ずいぶん昔のことだけど、僕がまだ西洋古典絵画に夢中になっていたころ、仕事場の同僚の何人かと話していて、たぶん絵画まわりの話になったことがあった。話の内容は忘れてしまったが、そのとき一人の女性がこう言ったのである。

「昔の人がなぜ遠近法で絵を描かなかったか分からない。だって見たとおりに描いたらそうなるはずだから」

絵画に夢中になっていた自分は当然ながら、即座に、なんという間違ったことを言うやつだ、と反応したのだが、かと言って、その場で適切な説明はできなかったのを覚えている。たしか、こんな風な対話になった気がする。

「じゃあ、あなたは、たとえばピカソとかそういう絵を見てるけど、あれって遠近法もへったくれもないじゃん」

「だって、ピカソのはわざと遠近法を崩したんでしょ? ふつうに見たまま書けばああはならないじゃん」

「じゃあ、子供の絵はどうだ。よく、人と犬と車が全部同じ大きさに書いてあったりするだろ?」

「子供の絵は、まだ見ることについて未成熟なので当然じゃない?」

「昔の絵ではたしかに遠近法は崩れているけど、昔の人はさ、とくに宗教画なんかになると目に写ったものを描く、ということよりずっと重要なものがあったんだよ。その重要なものを描いたわけだからそれが遠近法になってなくて当然なんだよ。絵というものの意味が現代と違っているってことだよ」

「でも見たまま描けば遠近法になるよね」

といった感じで、話はかみ合わず終わってしまった気がする。自分は今でも、彼女の冒頭の発言はおかしいと思っているし、極端に言うと、一般的な現代人のただの思い込みだとすら思っている。当時の自分は絵画芸術に夢中だったさなかでもあり、こういう発言を聞くと、ほとんど条件反射のように「それは違う!」という風になるのだが、いざ、実際に当の発言をする人に何がおかしいか説得しようとすると、きわめて難しいのが分かる。

というわけで、少し前、その説得の道筋について考えてみたことがある。ここでは、それを文章にまとめて語ってみることにしよう。

お題は「昔の人がなぜ遠近法で絵を描かなかったか分からない。だって見たとおりに描いたらそうなるはずだから」、という発言は、どこがおかしいのかについてである。

たとえば、今、自分はノートパソコンの前に座っている。そして少し離れて向こうに四角い窓があり、その向こうに外の景色が見えている。自分の回りのあたりを見回してみると、たしかにその風景は遠近法に従っているような感じに見えている。

しかし、これは自分で確かめるとすぐに分かるが、目線を完全に固定した状態で風景を見ることはほとんどできない。自分の見ている目の前の世界が遠近法に従っているか否かは、目線をあちこちに動かさない限りわからない。それで、そうやって目線を動かして見ると、見た風景は正確な遠近法にはなっていなくて、少しずれていることが分かる。

これは、医学的に言っても、眼球を固定したときにクリアに見える角度というのは思ったよりずっと狭い。なので、人間は眼球をあちこち動かして、そのときどきの像を脳で再構築して画像を作っている。

さて、自分が見ている風景が遠近法にきちんと則っているかどうかを判断しようとしたとする。そうすると目線どころか首まで回して判定しなければいけなくなるが、やってみるとわかるけど、遠近法で言うところの消失点が誤ったところにできてしまう。これは当然といえば当然のことで、遠近法というのはそもそも平面に投影した立体の世界なので、それを、目線を動かして認知した立体世界に直接投影しようとすることに無理があるのである。

以上は製図でいうところの透視図法の話し(1点透視法とか2点透視法とかいうやつ)だが、遠近法にはそのほかに、空気遠近法とか、零点透視法とか短縮法とかあるらしい。たとえば、零点透視法というのは「遠くのものが近くのものより小さく見える」というものだ。子供の絵とかで遠くの木や車も近くの犬もおんなじような大きさに描いたのがあるが、それはこれに反しているわけだ。

しかし、再度、この遠くのものが近くのものより小さく見える、というのを、実際に自分で確かめてみると面白い。今、僕の前には至近距離にノートPCがあり、遠方に葉をつけた木が窓越しに見えている。これら2つを同じ視野に入るようにして見ると、これら2つはほぼ同じ大きさに見える。でも、実際には、ノートPCの方が圧倒的に小さい。これは零点透視法により、遠くの大きな木が小さく見えるせいだ。

たしかに、そうなのだけど、今度は、自分の意識を少し操作して、遠方の木だけを見てノートPCを意識しないようにしてみよう。そうすると、木は木だけに見え、確かにちょっと遠くにはあるけど、自分がそこまで歩いていって、その大きな木を両手で抱えるような動作を想像することでその大きさを想像上で把握し、そうすれば、その木は相応の大きさに感じることができないだろうか。

ここでも、やはり、先の目線を動かす、首を動かす、というのと同じく、注目点に対する意識を動かす、みたいに、なんらか「動いて」把握している。つまり、人間が何かを認識するときには、どうやっても「運動」が入ってきてしまう、ということにならないだろうか。

さて、知っている人には言うまでもないが、遠近法というのは、レンズと乾板というカメラ構造を想定したときに、そこの像において成立する幾何学的法則なのである。単純に言えば、カメラのファインダーをのぞいて、そこに写っている像が「遠近法による画像」なわけである。このカメラのメカニズムそのものは、先の人間の視覚のように運動がつきものというのとは違って、機構は完全に静止していてあいまいな部分は無い。

結局何が言いたいかというと、人間の目は動くことで働いているが、カメラはメカとしと完全に止まっている、ということ。そして遠近法は、この静止したカメラの方を使って定義された手法である、ということである。

あと考えてみると、人間の目の眼球にくっついているレンズは、カメラについているレンズに似ているけれどおそらくずいぶん異なっていて(このへんは医学的知識が欲しいところ)、さらにカメラのフィルムに相当する網膜は平面ではなく曲面であって、網膜に写っている像はカメラのファインダーに写っている像とはずいぶん違うはずである。

面白いと思うのが、こうやって考えてみると、人が目で見たものを紙の上に描く、という行為全体の中に、「厳密な遠近法に則した像」というのは実は現実にはどこにも存在しない、ということが分かる。出来上がった絵が仮に厳密な遠近法に則した絵だったとすると、その像は、現実の世界では、紙の上に描かれて初めて生まれたもので、それが生まれる前には、描く人の頭の中にしかなかった、ということになる。

もっとも、もし、そこに実物のカメラがあったら、そのカメラで写せば厳密な遠近法に則った像が現実に現れる。少し極端に言うと、もし物理的なカメラが無かったとしても、外界の立体物を、カメラモデルを使った透視変換という数学的関係によって処理する、という「理論」が存在していれば、遠近法に則した像は数学的に存在することになる。

でも、ここまで考えると、「遠近法」という理論の位置づけがずいぶんと下がって感じられないだろうか。遠近法がただの方法論なのだとすると、遠近法以外の他の方法論はいくらでも思いつくし、実際にあるし、遠近法はその中の単なるひとつに過ぎない。なのに、なぜ僕らはこの遠近法だけに法外に重要性があるように感じるのだろう。それは変じゃないか、と、思う。

現に、透視図法ではなく、たとえば平行投影法という数学手法を使うと、遠くのものが小さく写るということはなく、現実の大きさのまんまを反映した像が得られる。

ここでいったんまとめると、遠近法というのは実は、人間の眼球の構造がカメラに似ているという発見を元にして行われた「発明」のひとつである、ということである。

さて、少し前に書いた、目の前に写っている像を把握するには眼球や首を動かさないと無理だ、というところに戻る。僕らが実際にペンを持って紙を前にして自分の目に写っている光景を、眼球や首を動かしてスケッチしようとすると、理屈から言って実は厳格な遠近法に基づいた絵にはならず、必ずどこかが、これは必然的に歪むはずである。

もし、誰かが行ったスケッチが、完全な遠近法に沿っていたとすると、それはその人間が遠近法という理論を知っていて、それ使って自分の見た像を頭の中で再構成してから紙の上に描いたからである。そういう意味では、風景を描けば遠近法になっちゃうような人は、「自分の見た通りに描いていない」、とも言える。

冒頭の問題提起の「見たとおりに描けば遠近法になるじゃん」は、実は、そうではない、ということがこれで分かる。遠近法を知っていて、その遠近法理論が作り出す「人工像」にさんざん接してきて、それが当たり前の常識となって心身の一部になってしまった人にして、初めて「見たとおりに描くと遠近法になる」のである。

そうでない人は、今まで延々と述べてきた理屈から言って、絵は正確な遠近法にはならないのだ。それどころか、その見たとおりのスケッチが遠近法からかけ離れたものになる人だっているはずなのだ。ちょっと極端に言うと、「だから」、子供の絵はあんなに遠近法にならずに崩れるのだ。なぜなら彼らは「見たとおり描いたから」、である。

さて、それにしても、遠近法できれいに描かれた絵と、遠近法が発明される以前の遠近法が崩れた絵の二つを並べて、遠近法の絵の方が「進歩」している、と感じることが多いと思うが、それは一体どこから来る感覚なのか。

その根拠は、おそらく遠近法が客観的手法だ、というところにあるのだと思う。つまり、遠近法は多くの人を説得できるのである。誰が見ても美しかったのだ。

僕の好きな逸話にこんなのがある。前期ルネッサンスのイタリアの画家にパウロ・ウッチェロという人がいる。遠近法を誰が初めてやったかは定かではないが、一説にはこのウッチェロが発明したと言われている。ウッチェロはある日、この遠近法、つまり透視図法に気づき、その方法に基づいて絵を描いたのそうだ。出来上がった絵を自分で見て驚嘆し、「遠近法とはなんとすばらしいのだ」と、そのあまりの美しさに、絵を前に夜も眠れなかったのだそうだ。

おそらくウッチェロが自分のアトリエで完成した遠近法に基づいた絵を彼が外へ持ち出して他の人に見せたとすると、当時のほぼみなが驚嘆したと思う。それが証拠に、ルネサンスに入り、遠近法は急速に普及して、あっという間にほとんどの画家が遠近法に則って絵を描くようになる。それほどこの遠近法は魅力的だったのだ。

ポイントは、「皆が魅せられた」ということである。つまり、わかりやすくて、誰でも説得できたのである。

その理由は恐らく、人間の眼球の構造がカメラの構造にきわめてよく似ていた、ということがあったからだと思う。さっき言ったことと矛盾して聞こえるかもしれないが、遠近法を知る前から人は風景をたしかに遠近法的に見ていたのである。この遠近法という手法については、多くの人が納得できる客観性をとてもたくさん持っていた、と言えると思う。

このように、遠近法を「発明されたある手法」として位置づければ、これは多数ある手法の中のひとつに過ぎず、遠近法は特にヨーロッパ人たちをそのかなり早い時期に説得した手法であった、ということが言える。逆に、遠近法ほどの力があったかどうか知らないが、遠近法以外の手法はいくつもいくつもあったはずだ。特に、ヨーロッパを離れるとそれは顕著なのは知ってのとおりである。僕ら日本人は浮世絵で使われた絵画手法を知っている。それはヨーロッパの遠近法とはずいぶんと異なっており、そもそもカメラを模した手法とはずいぶん違う。

ところで、人が目の前の風景を見るとき、それを目を通して受け取って心の中で意識するわけだが、そのときに受け取る情報の全体量は、当の目に写った量をはるかに超えているはずだ。なんではるかに超えるなどと言うかというと、そこには自分の経験や、それに基づく予想、習慣、社会の通念、民族の歴史的経験まで含め大量の補完が入るからである。

ちょっと言い方が抽象的かもしれない。すごく端的に言うと、たとえば塀から犬が首だけ出してこっちを見ているとしよう。僕らは、あ犬だ、といって塀の下に隠れている一匹の完全な犬を心の目で見ている。聴覚の例だともっと分かりやすいかもしれない。ある曲を弾いているピアノの音を聞いているとする。聞いているのはただの高さの違う音の羅列だ。しかし、その曲を知っていれば、その音は曲となって聞こえ感動までも呼び起こすことができる。

このように、感覚で経験することと、それを心が受け取ったこととは1対1でイコールなのではなく、後者の方が圧倒的に量が多い。それは様々な補完による。そして、遠近法はその様々な補完の中の、ひとつに過ぎないといも言える。

さて、ここで少し話しを変えよう。

ここでの話しはもともとは絵の話なのだが、そもそも絵というのは何のために描かれるのだろう。「目に写った風景に似たものを紙の上に移す」、というのは絵を描く動機としては何となく薄弱に思える。何でそんな面倒なことしないといけないか分からないからだ。しかし、それ以外の動機としては、古今東西、太古の人間の洞窟の絵や、写真の無かったころ記録に残すための絵や、宗教における礼拝の対象としての絵など、を見てみれば、たぶんあげたら切りがないほど動機が見つかるはずだ。

それから、出来上がった絵の評価について言うと、先に言った絵を描く動機、そしてその動機の元にある目的が達成されているかどうかによって評価がなされるわけなので、ここで、「カメラに写る像に近ければ近いほどいい絵だ」、というのは、たくさんある絵の評価法の中のほんの一部に過ぎないことも分かる。つまり、遠近法に則った絵というのが、他に比べてやたら高く評価されたとすると、それは実際はおかしい、ということになる。

ましてや、カメラ自体が発明される以前の絵画においては、カメラ像に似せる、ということ自体がまだ存在していないわけでなおさらである。ちなみに、本当にそのままの意味でカメラ像を絵画理想に仕立てた人たちが現れたのは、かなり最近のことで、少し前のモダンアートにおけるスーパーリアリズムという芸術の一流派にすぎない。

実際、特にモダンアート、あるいは、ヨーロッパを離れて他国の、特に日本を含めたエスニックな国の芸術を見ればすぐにわかるが、絵というものは、多種多様なたくさんの作画動機をほとんど無制限に盛り込むことができる表現手法である。

たとえばピカソは、その無制限な作画動機を次から次へとおそろしく精力的に実践してみせた代表的な芸術家であろう。彼の作品の全体で見ると、遠近法はちょうどそれが正当に占める位置のていどしか現れない。ピカソの絵の中で、きれいな遠近法になっている絵の枚数を数えて、それが全体の何パーセントに当たるかを計算すれば、遠近法が絵画芸術に占める量が分かるというものだ。ピカソという天才は、その芸術の製作動機というものを、時間からも空間からもおそろしく自由になって、すなわち古今東西、古代現代の別なく、ひたすら収集しては実践した人とも言える。

ピカソをはじめとする並み居る芸術家たちが、そのような多様な作品を発表するにつれて、僕ら民衆は徐々にそれに説得されていったのだと思う。

すでに1900年以降のモダンアートの時代をとっくに経験してきたわれわれの住む現代で、僕らの身の回りを見回してみよう。たくさんの絵に僕らは囲まれて生活しているが、そこではむしろ遠近法にきちんと従って描かれたものの方が少数になっていることが分かるだろう。もっとも、そういうものを僕らは絵とはあまり呼ばず、デザインと呼ぶが、それは同じことだ。

以上のようなわけで、遠近法というのは手法の一つに過ぎず、しかも、それほど大きな力を持つものでもない。

さて、ずいぶん長くなってしまったし、このへんからまとめに入ろう。

まず、昔の人が遠近法にしたがって描かなかったのは、まだ遠近法が発明されていなかったからである。そして、昔の人の絵には、遠近法による視覚イリュージョンの再現が現れる前に、たくさんの動機があった。それらの動機には、意味的なもの、実用的なもの、感情的なもの、象徴的なもの、宗教的なもの、多々ある。そして、遠近法はそれら動機の中の一つに過ぎないが、それらに優劣をつける理由はどこにもない。

むしろ、特にヨーロッパにおいて、遠近法が流行った歴史的な時期と、理論とか客観性とかが歴史的に大きな力を持っていた時期とが、オーバーラップしていることに注意すべきだと思う。遠近法という手法は数学によって記述できるところからも分かるように、きわめて客観的で理論的な手法である。その手法が否が応でも人々を説得できたということは、その人々が客観的で理論的なものというものを尊重して生活していた、ということの表れでもある。

さて、ひるがえって、現代という時代は、そういった昔ながらの論理とか客観性とかいうものが主流から外れはじめている時代だと思う。

そんな現代に生きていながら、「見たまま描けば遠近法になるはずなのに、そうならないのはおかしい」、と発言することは、むしろ、表面的で画一的な科学教育の弊害なのではないかと勘ぐってしまう。

以上、冒頭の言葉について、おかしいと自分が感じたその中身でした。

上野の国立博物館へ行ったら、広重の有名な浮世絵の「雨の橋」がかかっていた。この絵はその昔、ゴッホが南仏のアルルにいたときに日本にあこがれて、それで油絵で模写している作品があって、そっちの方がかえって有名なぐらいかもしれない。しかし、実際に日本の原画の方を初めて見たのだけど、これは見事な絵だ。

水かさの増した広い川、そこにかかる橋、そこを渡る雨笠や合羽をかぶった人々などの遠景がさらりとスケッチされているが、そのスケッチをすべて終了した後に、今度はそれまでやっていたスケッチの造詣とは一切なんらの関係も無く、おそらく定規を使ってめったやたらに画面上に線を引きまくり、それを「雨」としている。

唖然とするほど奇抜なアイデアだと思った。

このやり方で描いた絵が、まあ、一応、視覚的に言って雨に見えてしまうせいで、見る者は、これが「雨」だと分かった次の瞬間にその方法の斬新さがマスクされて見えなくなり、いつも経験している雨を見る日常感覚に戻ってしまう。でも、ふだん僕らが雨の降っている風景を見たとき視覚的にこんな風に見えているかというと、これはもう全然違う。第一、雨粒はほぼ点であって、それが上から落ちてきて目の前を通り過ぎるわけで、それは止まった線ではなく点の運動なのである、言うまでも無いが。

というわけで、この広重の雨は、視覚を写し取ったものではなく、一種の「雨」という記号に近い感じである。もしそうであれば、記号ということは、すでにそれは「言葉」に近いとも言える。

たとえばこの「雨」という言葉と、「本物の雨」という現実の間には、いったい何が横たわっているのだろう。言葉と現実はたしかに別のものだ。もし、自分が「雨」という言葉を知らず、現実の雨を経験したことがないとして、それで生まれて初めて「雨」という現実に遭遇したらいったいそれをどう感じるだろうか。僕らは白痴のようになって雨を見るだろうし、水滴を受けてでくの坊のように濡れるだろう。「あ、雨だ」という言葉を発することができないとき、その現実の雨はどんな形で自分の心に刻まれるだろうか。

こういう疑問は、僕にとって、絵画というものをまともに見られるようになってから浮上したものだ。なぜなら画家は、言葉を使わずに対象を掴むことからその仕事を始めるからだ。自分から一切の言葉を追い出して、それで生の物質に相対する、ということを画家にならってやってみるといいのだが、実際、きわめて難しい。でも、ときどきそれが出来ると、生の物質はきわめてグロテスクなのがじかに感じられたりする。

そんなとき、「視覚」っていうのはいったい何なのだろう、とよく考える。

広重の雨が、記号であって、ひいては言葉だとすると、広重の絵というのはずいぶんと知的な絵だということになる。この絵を描くにあたって広重は、雨の振る川にかかる橋の遠景を実際に見ただろうが、彼は前述したような「生の物質に相対している」というような原始的感覚とは無縁な気分なのかもしれない。まるでコンピュータのように、視覚の結果を記号化して、再構成して、あの版画を生み出したのかもしれない。きわめて論理的な方法論に基づいて作り出したのかもしれない。

そう考えるとなんだか古典の日本らしくなくて、面白い。

しかし、僕は実はもう一つ自分にとって衝撃だった江戸時代の絵を知っている。それは解剖図の絵で、処刑された罪人を医学的目的のためにその場で解剖する様子を写した絵なのである。

さっき広重の雨の方法論の斬新さについて言ったが、こちらの解剖図の方はそれとぜんぜん逆で、僕にはまったくに生の物質の写生以外の何者でもない、死体を視覚的に「写す」ということを強いられた絵師が見る果てしなく続く悪夢のように感じられた。自分にはそれはそれはショックな絵の数々だったのである。それを見て、記号化、言葉への翻訳が不可能な人間が生の対象に相対したときの悪戦苦闘を目の当たりにして戦慄した。

いや、ここで西洋であれば、「遠近法」とか「陰影法」とかなんとかのカメラ的手法に逃げ込むことで容易にこの危険を回避できるのだが、この死体を写す江戸の無名の絵師にはそういう安全な逃げ場が無かったようなのだ。にもかかわらず、先の広重の雨のように、なんとかしてその見たこともない対象を「記号化」し、言葉に移そうともがいている。しかしながら、それにことごとく失敗している。それが出来上がった絵に見事に表れている。自分の知っているいろいろな記号を駆使して死体を記号化しようとしているが、それは常にミスマッチを起こしていて、まるでデコード不能な記号列のような混乱を示している。

ここで死体を写した絵師も、人や犬や鳥や山や木や川や花であれば容易に記号化して再構成するだろう。しかし、それらの記号を解剖される死体に応用しようとして失敗すると、その全体の様相が、ありえないようなグロテスクさを発揮するのだから、それはそれは不思議なことだ。

さて、広重の雨では、先の解剖図のようなミスマッチとグロテスクはどこにも見られない。この「雨の記号化」は広重がオリジナルかどうかは知らないが、周到に考えられた手法を応用した結果なはずだ。見ていると広重の鼻歌が聞こえてくるようだ。

しかし、きっと、この広重もいったん未知の対象に絵師として遭遇してしまったときは、解剖図の絵師ときっと同じ精神状態になるに違いない。そして、それを記号化できるようになるまで恐らく絵は残さないんじゃないだろうか。生の物質に遭遇してから、それを記号にするまで、広重の中ではいったい何が行われていたのだろう。知るよしも無いが、そこに最大の、そして恐らく最も大切な秘密が奥深く隠されているのだろうと思う。

自分はひところベルグソンをずいぶんと読んでいたときがあって、その中でも特に「創造的進化」が好きだったので繰り返し何度も読んだ。この創造的進化は、ベルグソンの解説を見ても、彼の最高傑作のひとつと言われているそうで、何度も読む価値はある。特に前半の、進化論の批判と、それを土台にした本能と悟性についての長い分析は見事の一言に尽きる。読んでいてほとんど唖然とするほどすばらしいインスピレーションである。

ベルグソンはその中で、「本能」について定義するに、身体や生き物など有機体を素材として使用してあやまたずに目的を達する能力、とする。そして本能に対置するものとして「知性」とは、道具や機械などの無機物を使用して次々と連鎖的に新しい目的を達してゆく能力、としている。進化の歴史において前者の代表が昆虫、後者の代表が人間である。しかしそれまで言われていたように、本能を発達させた昆虫がさらに発達して知性を手に入れそれが進化して人間に至った、という考え方をしない。本能と知性に序列をつけないのがベルグソン的な考え方である。

つまり、昆虫とは本能が開花し完成された形態であり、人間とは知性が開花し進歩し続ける形態である、と言うことだ。両者はそれぞれの進化の歴史の末端にいる、とする。本能と知性は古い古い時代では一体になっており未分化であったが、あるとき二つの方向に分岐し、それぞれの能力を開花させるべく進化し、昆虫と人間に至った、とするわけだ。

以上の結果に至るベルグソンの分析の力は物凄い。ほとんどこの分析そのものが彼の哲学的本能に頼っているような、そんな風に思える。単なる知性では決して到達できない地点まで分析を進めている。

ベルグソンという哲学者は、結局、この「本能」という得体の知れないものを、哲学においてきちんと復権させたところに偉いところがある。本能を「弱った知性」と考えないこと。そして知性を主な武器にする人間にもこの「本能」は確実に残っていて、いざというときには十全に機能することがあるということ。さらに、「知性には不可能だが、本能にしか出来ないこと」というものが確実に存在することを証明してみせたこと。それらもろもろに自分は決定的な影響を受けている。

さて、ベルグソンの論によれば、本能というのは「有機体を道具として使う能力」ということだけど、有機体というのは印象でいうとなんだか「ごちゃごちゃしていて、ねちゃねちゃしている」よね。昆虫の世界とか森林へ入って間近に見ると、もうなんというか、グロテスクな形態が折り重なるように無限に近いようなバリエーションを持って次から次へと現れる見た目の複雑さが、まず、ある。続いて、まあ、あまり触りたくはないけど昆虫世界に手を伸ばしてみると、柔らかくて潰れ易い形態と各種の液体と粘着する体液などこれまた次から次へと互いに互いをくっつけて一緒にしようとする様子が感じられる。

これらを言葉で表現すると、ごちゃごちゃとねちゃねちゃなんだよね。

知性の生き物である人間であっても、こと、本能の発揮する場を観察すると以上の昆虫と同じようなごちゃとねちゃが現れるよね。典型的な例は食欲と性欲だろう。両者について、思い巡らしてみるとすぐに納得できると思うけど、どちらもほんとに「ごちゃごちゃ」していて「ねちゃねちゃ」しているでしょう?

食欲については、僕ら毎日人前でおおっぴらに発揮しているんでそれほど意識的になれないかもしれないけど、性欲は普段、隠されているので、おそらく誰でもちょっと想像すると分かると思うんだが、なんと言うか、きわめて反知性的に感じられないだろうか。それら純粋な本能の前では、知性って吹っ飛んじゃうみたいなイメージがある。

そんな風に本能と知性は分離傾向にあるのに関わらず、この二つの間の自然な交流をやってのける芸当ができる人間というものが、世の中、ときどき現れる。そういうことが出来る人が、なんだか、見ていて、一番感動的だな。

先にも言ったようにベルグソンの創造的進化という論を進めるベルグソンその人がまさにそんな感じにも見える。彼の場合、本能の力を得た知性、という方向性で、「澄み渡った本能」という感じなんだ。ごちゃごちゃねちゃねちゃというものから僕らが感じるイメージは、なんというか、「濁った」感じなので、その濁っているはずの本能が「澄み渡ってる」、って面白いじゃないか。

逆に、知性の力を得た本能という方向性になると、古今の芸術家たちがそう見える。ちょっと前に見たシュールレアリスト展で、アンドレ・ブルトンの宣言をはじめとする並みいる作家たちについて、そんな風に感じたっけな。でも、もっとも、彼らの作品を見て感じるのは、やはり、「澄み渡った本能」だよね。絵画やオブジェがたくさんあったけれど、どれも何らかの本能が丸出しになっているものの、その作品の中身はごちゃごちゃねちゃねちゃといえども、その物理的形態は、画布の上の絵の具であり、各種無機物を使ったオブジェであり、ごちゃごちゃねちゃねちゃでは全然無いわけだ。

なんだか、澄み渡った本能というものに、憧れるよ。

昨日、ツイッターを見てたら誰かのツイートにこんなのがあった。

「民主主義って、最後は最大多数の最大幸福に落ち着くものだと思うんだけど、そんな中でごく一部の頭のおかしいクレーマーの意見がまかりとおるってのは、本来はおかしいんだと思うよ」

これを見て、あまりに正反対に間違っていると思ったので、思わず「ぜんぜんおかしくないと思うよ」とリツイートしたが、その後もいわゆる民主主義について何となく考えてしまった。

その日は鶴見線に乗って沿岸の工場地帯を散歩しに行ったんだけど、ぶらぶらと歩きながらあれこれ考えた。自分にしてはきわめて珍しい。というのは、ふだん、自分はあまりものを考えるということをしないのである。考えるときはだいたいこうして文章を書きながらで、頭だけで考えるということをあまりしないのだ。

自分は政治に興味がほとんど無いので、政治について考えることはほぼ皆無。投票も最近ようやくいくらかは行くようになったものの、成人になってから30年ぐらいはオール棄権だった。かといって「棄権」を自分のポリシーにしていたわけでもない。ただ、自分の興味の無いものに対して意思表示する、ということが嫌だとは常に感じていた。さいきん投票するようになったのはほとんど世間体からに近い。というか、前述の「なになにが嫌だ」というのは実は立派な意思表示であって、それを続けるのが面倒くさくなったというだけだ。歳を取って丸くなったとかそういうのではなく、単にそういうどうでもいい意思表示に使うエネルギーが惜しくなったという方が近い。ま、そういう意味では歳を取ったからであろう。

政治に興味がなければ、実際には民主主義という代物にもあまり興味はなく、まともに考えたことは無い。もっとも、民主主義についていうと、これは実は政治とは関係なく、社会が取った一種の「方法論」のように自分には思えるので、そういう意味では自分も社会で生活して社会活動をして生きているので、社会生活の前提として、一種の空気として感じていたことは確かだ。

なので、この言葉、「主義」という文字はついているけど、とても主義とは言いがたいと思う。結局のところ、自分が、子供時代から今まで育ってきた社会の空気がこの民主主義によるものだったので、すでにこの方法論は自分に染み付いて、染み渡っていて、改めて考えてみる必要もないと感じていたとも言えそうだ。

そういうことなので、冒頭のような言葉をいきなり聞かされると、ほとんど体が反応するのである。「それは違う!」という感じで。民主主義について言葉を弄して考えることはほとんどなかったけど、脳の奥の方では自分の心のどこかであれこれ考えて、というか想って、それなりの意見を蓄積して来たのだろう。

よく晴れた休みの日、殺伐としたコンビナート群を眺めながら、脳の奥に眠っていた考えを掘り起こしていた、というわけだ。

さてと、すでに前置きが長くなったが、冒頭の言葉の何が違うのか。

まず、この言葉を聞いておそろしく感心する、というか呆れるのは、人民の総意が社会を作るというやり方を取ったとき、それが最後には最大多数の最大幸福に行き着く、という発言の呑気さである。これは「考え」ではない、「感触」だと思う。この人は、人民が自分たちが一番いいという方法を取って考えて行動したとき、それが満足を与える平和な幸福な社会に行き着くと「感じて」いるのである。

人民が民主主義の方法を取ったとき、彼が言うような社会に「行き着かない」ということは同様にありえるはずだし、実際には、行き着くか行き着かないかはフィフティーフィフティーだ。では行き着かなかったときにどうするか。

この人の言葉から透けて見えるのは、もし行き着かなかったとするとそれは「頭のおかしい一部のクレーマー的人間のせいだ」という、これまた「考え」ではなく「感触」である。

だいたいが、この言葉は考えの表明ではなくて、感触の表明なのである。おそらく本人に聞いてもそう答えると思う。「私はそう感じるのです」と。そういう意味では、面白いのが、これは実は僕と同じだということだ。僕は「そう感じない」のであって、さっき書いたように「そう考えない」のではない。

あ、いや、これでは話が逸れてしまうので、この話はまた。もとへ

いまさら言うまでもないかもしれないが、この言葉はきわめて日本人的な楽観に基づいている。この人は、民主主義の社会に生きるにあたって、自分は最初から「大多数」の側に入るものだということを、おそらく一度も疑ったことがない。そして自分の属する民主主義社会の敵は少数の頭のおかしい人間たちであって自分がその頭のおかしい人になる可能性もある、ということを一度も想像したことがない。以上の事情がこの一文に染み渡っている。

いま自分はこの文を書き飛ばすにあたって珍しくWikipediaなどで裏を取っていないので、間違ったことを書くかもしれないが、そのときは直して欲しいが、民主主義は日本人の発明ではなく、西洋の発明品だ。そして、民主主義という方法論は、僕にいわせれば、人間性についてきわめて悲観的な見方を土台にして作り上げたものである。

なにが悲観的かって、多数の人民が社会に生きていたとき、それらすべての人々が一つの美しい理念に基づいて協力して、和を乱さず、整然と、その理念に基づいた社会を作り上げ、そこにすべての人々が幸福に助け合いながら暮らすということは、「不可能だ」、という前提から出発しているからである。そんな共通理念はどこにもないし、そもそも共通理念というのは幻であり実在しない、という長年の社会経験に基づいた感覚から出発しているのだ。

だから、「仕方なく民主主義」、なのだ。それが出発点だ。つまりこの主義は理念に基づいていない。そうではなくて「方法論」なのだ。だからこの文の最初の方で、民主主義は主義というより方法論だと書いたのである。

仕方ないから理念を設定せず人民の総意に任せた。そして仕方ないから殺し合う前に議論というものをしましょうということにした。それで決まらないときは仕方ないから多数決という方法を取るようにした。で、それでも少数の負けた人たちは恨みから破壊に走る可能性が高いので、仕方ないから制裁は加えず彼らの主張を封じ込めないようにした、などなど。

かくのごとく民主主義は苦肉の策だというのが自分の考え方である。

この「仕方ないから民主主義」という図式が、このように苦肉の策だとすると、これは本当に出発点であって、この策はそのままでは短期間しか機能しないのは目に見えている。そこで西洋ではどう考えたかと言うと、この「策」を「主義」にまで高めるべく、その策を取ることにみなが同意し、そしてみなで運営できるように、「人民を教育する」、ということを一番大切なこととして掲げた。

要は民主主義はその方法論だけではあまり機能しないはずで、人民の意識の教育と改造の方がずっとずっと重要な課題なはずなのだ。西洋では、この民主主義が定着するまでにそのような、個人と社会、そして自由と束縛、個人的責任と社会的責任などなどについての長い検討の歴史があって、その検討は一部の選ばれたエリートたちによるものだったが、結局、現代の民主主義に至る長い長い準備をしてきたようなものだったと思う。

さて、日本の民主主義にはかくのごとくの西洋で行われてきた訓練がほとんど欠如した状態のままここまで来ているように思う。冒頭の言葉に戻ると、努力しなくても大多数幸福に行き着けるという楽観が今でも支配しているように見える。単一民族の島国の日本ならではという気もする。

それで、この楽観自体は決して悪いことではないと思う。皮肉で言っているわけではなく、むしろ良いことだと思う。ただ、この楽観を民主主義という言葉と結びつけることが間違っているし、しかもそれは「悪い」と思う。だってこの楽観は民主主義とは相容れないものだから。

では楽観に基づく民主主義を標榜して何が悪いのか。

まず民主主義を名乗った時点で、国際社会において民主主義を名乗る西洋と同じ土壌に立ったことになる。したがってその時点で、同じ民主主義を標榜する国として連中と同じ土壌で戦わないといけなくなる。経済でも軍事力でも政治力でも文化力でもなんでもいいが彼らに勝るものを持たないと国は衰えてゆく。

さて、楽観に基づく民主主義は、みながあまりものを考えず、周りと同調することで、努力せずに大多数の同意を形成する風景になる。そして、冒頭の言葉に象徴されるように、基本的に、この大多数同意に同調しない少数の人間を排除することで大多数の同意を継続し、大多数幸福を維持しようとする。で、どうなるかというと大多数の同意に基づく社会は原理的にレベルの低い方にその重心が移る。

大多数が同意する集団と、その同意に基づく集団の社会活動についてのレベルはほぼ必然的に下がると思う。これはほとんど統計的に仕方ない成り行きだと思う。せいぜいうまく行ってガウス分布の真ん中の中間層のレベルに一致する道理だが、しかし、実際にやってみると中間層よりも下がる。なぜなら中間より低い層にも理解できる同意である必要があるわけで、その同意形成のための、たとえば「社会政策」のレベルは、中間層より下げないとうまく行かない。

さて、別にこのようにレベルが低くても大多数幸福な社会はうまくやれば作れると思う。ただ、問題は先に言ったように、民主主義を標榜したことで西洋の国々と同じ土壌で戦わなければいけなくなったという事実である。

ちなみに、集団の同意のレベルが平均よりずっと低い、というのはなにも日本に限らず西洋でも同じだ。問題は、そのレベル低下が長期的な意味で結果的に引き起こす「社会の停滞」をどう克服するかである。この停滞は厄介である。なぜなら停滞したままだと、同じ土壌の他国に負けてしまい、最後には当の社会を平和に維持できなくなってしまうからである。

この停滞は、大多数の側にいて、大多数に従順で、大多数の幸福を享受している人には克服できない。なぜならその当の停滞をそれら従順な人々が招いているからだ。ではどうするかというと、停滞の克服は少数の異分子こそが成し遂げることになるのである。

自分の考えでは、民主主義に理念らしきものがあるとしたら、大多数幸福を維持するという方にではなく、この、少数の異分子を排除しないメカニズムの方にあると思う。そこにこの民主主義の一番の発明のポイントがあると思う。先にも書いたが、民主主義はほとんど「仕方なしに」という理由で取った方法で、人性に対する悲観から成り立っているものの、たった一点、楽観というか、明るい部分があるとすると、それは、大多数が理解できない異分子を、分からないながらに皆が排除せずに尊重していると、ある日、偶然にその異分子の誰かが自分たちの停滞した社会にブレークスルーをもたらし進化させ、自分たちを停滞から救ってくれるのだ、というきわめて楽観的で根拠のない感覚にあると思う。

これは自分の感じ方だけど、この「異分子」というのは別に「よいもの」では全然ない。そして、さっき停滞を克服する、という風に言ったけれど、そういうポジティブなものですらない。単に、異分子なだけだ。

もっとも冒頭の言葉を言った人ならこう言うかもしれない。「たしかに異分子は社会を発展させたりする。さいきんの例ではスティーブ・ジョブスという超変人がネット社会を進歩させたように、そういう変わった人がブレークスルーを生み出すというのは分かる。でも「単なるクレーマー」は違うだろう? もっと極端な例では「犯罪者」は違うだろう? そういう異分子は排除するべきだ」、と。

では社会の異分子を横一列に並べて、どいつが社会の発展に貢献してどいつが害悪を流すか誰が判断して取捨選択するのか。大多数で構成されるレベルの低い集団が判断できないのは、これは原理的に自明だ。で、自分が思うに、厄介なことに、レベルの高い層の人たちであってもその判断はほとんど無理だ、ということである。要は誰が発展に寄与するか分からないのである。

ここで言っている発展は継続的発展のことではなくブレークスルーのことである。長く続く停滞を打破する力のことである。こういうことについては、基本、判断はできない、運任せである。異分子100人だか一万人だか10万人だかしらないが、その中から1人、それが出来る人間があるとき躍り出るのである。極端かもしれないが犯罪者予備軍もその中に入っている、あるいは極端には犯罪者も含めて誰がそれを起こすかはわからない。昔から言われるように天才と狂人は紙一重なのである。

以上の理由から、「だから」、異分子は排除してはいけないのである。それどころか、たとえその異分子の人の言うことが、一般の大多数の人にとってまったく理解不能であり、迷惑極まりなく、完璧に理不尽であっても、とにかく尊重してあげないといけない。そしてさらに、そういう異分子が活動できるようにしてあげないといけない。これは実際には大多数にとってはリスクであり、痛みである。しかし、そのリスクと痛みを大多数側は「負う覚悟」をしていないといけない。

この「覚悟」は、実際にはなかなか難しい行為である。なにせ理解不能でもの騒がせな異分子を認めろというわけだから。大多数から見ると「あいつがいなければ平和なのに」って考えるところ、立ち止まって、「いや、あいつにも生きる場所があるのだ」と尊重しないといけないわけだから。

最近起こった、この手の象徴的出来事の一つは、ノルウェーでたった一人で罪の無い70人以上の、主に若者たちを殺した自国の極右のテロリストに対する、ノルウェーでの裁判の経過かもしれない。これほどひどい異分子に対しても、正当な法をもって判断するということにノルウェー人たち自身が誇りを持っている。自分たちが作り上げた民主主義はこの極端な犯罪者によっても崩壊することはない、という自信が伝わってくる。もちろん国法(ノルウェーは死刑も無期懲役も無い)に反して死刑にすべきだという意見もある。しかし、それと同時に彼ら人民の頑固なまでの民主主義社会を堅持する態度も見える。調べてみるといい、日本では決して見られない光景である。あるいは中国なら即日死刑で終了かもしれない。

結局、まとめると、民主主義は大多数の幸福のための発明ではなく、むしろ少数の頭のおかしい人たちを認めるというところにその方法論のダイナミズムがある、ということ。そういう意味で冒頭の言葉は正反対だと自分は考えていること。さらにきわめて日本人的な楽観に基づいた言葉なのはいいがそれを民主主義と勘違いすることは、勘違いだけで済まず日本の衰退につながるということ。民主主義本場の西洋では、その主義についてかなり高いリテラシーを人民が持っているらしいということ。

さて、以上、冒頭の言葉に対して、「それは違う」、と自分が反応した中身である。

思うに、西洋の民主主義はネット社会になって一段階進んだようである。ここで言った「異分子」というものを、合理的に育て、場所を与え、さらに社会で活動できる方法を与えること、というメカニズムの新しい形態をインターネットによって作り出したからである。民主主義というのはつくづく進化論のメカニズムの延長にあるのだなと思う。閉じた社会と開いた社会を交互に繰り返すことによって社会を発展させてゆく、という見方は進化論のメカニズムそのものに見える。

ネット社会はたしかにそのように進んでいるように見えるが、これは大きく言って西洋の話だ。日本は少なくとも同じ土壌に乗ってしまったので、以上のようなことを自分は言っているが、そもそも最初からその土壌に乗らない、という選択肢もある。たとえばイスラムがそれだろう。

いわゆるグローバルスタンダードについては、自分はかなり苦々しく見ている。東洋には東洋の独自のスタンダードが見つけられるはずだ、とも思っている。しかし、これはまた別の話なので、この話はこれで終わる。

久々の書き飛ばし、乱文失礼!

再現性の法則に奉じて、因果律を使って、統計的検定に従って行動を計画することができる人って、ある意味幸せな人だが、手に入るのは統計的幸せだけではないのか。「95%幸せ」とかね。「50%死んでるシュレーディンガーの猫」みたいなもんで、生きている猫には出会えないのと同じく、生きている幸せも手に入らない。

哲学というのは、原書の翻訳を無理してがんばって読むのは研究者でもない限り止めておいて、信頼できそうな解説本を読んだ方がいいみたいだ。なによりも哲学は実は面白い、ということが分かるから。いい解説本は、それを書いている哲学者自身が面白い、と思って書いているからなおさらなのだ。それにしても、哲学に夢中になったりしちゃうと微妙に世間ずれしてしまうのも、たしか、かもな。実際、そのせいで世の中のバカバカしさが見えてしまったりするしね。そういや、むかし、筒井康隆が日記に、「昨晩酔っ払って仲間といろいろしゃべったがしらふで思い出すと相手の言葉の裏がことごとく分かってしまいそれでひどく落ち込む。こんなことなら心理学なんか勉強しなければよかった」って言ってた。

数年前、松山へ行ったときである。夕方に、独りで道後温泉の界隈をぶらぶらし、まずは何か食うかと思い、あたりを物色し、他よりも田舎臭くて少し貧乏臭い看板の出た店に入ってみた。ガラガラっと引き戸を開けると、中はなんだかガランとして誰もいないみたいだ。まだ、やってないのかな、と思ったが、すいません、といいながら店の中に入って、少し前へ進むとカウンターの中に、婆さんが独り座っているのが見えた。あの、と言うと、座ったまま、いらっしゃい、と答えた。

なんだ、やってるじゃないか。カウンターに座って、改めてあたりを見回すと、店内はかなり古臭く、なんだか汚らしい。床はいまどきはないような細かいタイルのようなものが敷いてあり、目地が茶色くなっており、テーブルや椅子の類も古くて錆びていて、全体にガランとして殺風景である。カウンターから中を覗くと、厨房と思われる奥の部屋の床にガス台と寸胴が乗ってなにやら煮ているようだが、厨房は黒ずんでいて、さらに汚い。

まあ、いい、とりあえず婆さんに瓶ビールを注文する。婆さんがよちよち歩いてきてテーブルの上に瓶とグラスを置いた。さて、と、ビールをついで飲もうとしたらグラスの周りのテーブルの上に、なんだか小さな羽虫が這っている。目の前のカウンターの縁にはゴキブリの子供が歩いているし、身の回りに小さな虫や蚊が飛び回っていて、体が痒くなる感じである。

あまり物を食べたくなる雰囲気ではないのだが、もともとは腹ごしらえのつもりで入ったので、無難なところでザルそばを注文した。ほどなくして、厨房に中年の男が現れた。婆さんだけではなかったのだ。婆さんはその男に注文を告げるとカウンターの中の椅子に再び座った。この婆さん、一応、動けはするのだけど、どう見てもかろうじて動けるていどで、表情にまったく生気がなく、もうすぐ死にそうな感じに見える。

一方、この中年男の方はおそらく婆さんの息子であろう。小太りで、髪の毛もぺったりと油っぽく、少しオタクな感じに見える。ザルそばの注文を受けて、厨房とカウンターを行き来して忙しそうに仕事を始めた。ほどなくすると今度は、手を動かしながら、座っている婆さんに文句を言い始めた。何を言っているのかは全然分からない。かなり大きな声でしゃべっているが、僕の知らない言語である。どうやら、調理の手順やら食器のしまい場所やらの文句を言っているらしいのだが、文句は一向に止む気配もなくずっと続いている。

それで、婆さんは、というと、最初に何かを言われたときは、もぐもぐとなにやら言い返したが、そのあとはまたもとの無表情に戻り、延々と続く文句を、聞いているんだか聞いていないんだか、無反応でじっと椅子に座って、何を見るでもなく前を向いている。どうやら、これはほとんど毎日繰り返される日常的出来事のようだった。改めて婆さんを見ると、その顔にあまりに生気がないせいで、ほとんど不気味に思えるぐらいだ。

きっと、この婆さんは、この古くて汚らしい店で、同じことを毎日繰り返しながら死ぬのを待っているんだろう。死ぬときは、息子にいつもの文句を言われ続けながら、ふと気づくとカウンターのあそこの椅子に座ったまま冷たくなっているんじゃなかろうか。人の外見にこれほど生きることを諦めた感じがはっきり出ているのを見ることが珍しく、僕は、あたりじゅう小さな虫だらけのカウンターでぬるいビールを飲みながら、この光景をずっとながめていた。

息子が出来上がったザルそばを持ってやってきた。お待ちどうさま、っと愛想よくとても元気である。すでに自分はおいしく食べることは諦めていたが、それでも食うことは食った。肌色のプラスチック製のザルの上に乗ったソバは、海草で出来たみたいに半透明でプルプルでヌルヌルしていて気持ち悪い。そばつゆの横にウズラ卵が一個置いてあり、これを入れろということなのだろうが、僕はなんだかぼんやりしていたのか、そばつゆカップを持ち上げたひょうしにウズラ卵の上にガタっと落とし、そのままぐちゃっと割ってしまった。

食ってみたが、まずい。ひょっとすると、これまで食べたソバの中でもっともまずかったかもしれない。あたりの不潔さや、飛び回る羽虫や、死にそうな婆さんや、聞き取り不能な息子の文句のせいもあっただろうが、食っていて気持ちが悪くなり、それでもソバをすべてかきこんでビールで流し込むと、もう、一刻も早く店を出たくなったので、席を立った。ありがとうございました、と相変わらず息子は愛想がいい。お勘定をして店を出た。

こうして、店選びは見事に失敗した。自分は初めての土地に来ると、同じような失敗をすることが多い。ことさらに汚い店を選んでしまい、たいていの場合、食い物などはうまくないのを通り越して、まずかったりする。

それでも、しかし、あの古いソバ屋には、他のどこにもないドラマがあった。

人生のドラマというのはどんな変哲の無いところにでも転がっているのだな。いや、逆に、変哲のない生活の場であるほど、それは毎日、大量に繰り広げられているんだろうな。自分はふだん、東京という都会のクリーンなエリアに住んでいるが、ああいうところは生活が、快適さに最適化されているせいでほぼパターン化されて、こんなドラマを見ることは少ない。快適だが、単調な光景の繰り返しが見えるだけだ。それに較べて、この田舎の古びたソバ屋には、初めて見る人を驚かす奇妙な人生の図があった。

僕は店を出て、それでも少しは小ぎれいなお店も並ぶ、道後温泉の商店街を歩きながら、そんなことをしきりに考えていた。

さっき数年前に自分が書いた文をたまたま見たらオモシロかった。

「当時のオレの年齢は25歳、うーむ、若い。 愚劣で汚れたアホくさくい実社会などを、まだこれっぽっちも知らず、ただただ若いリビドーを飲酒で紛らし、膨らむだけ膨らんだロマンチシズムの真っ只中に、毎日を夢中で生きていた、そんな頃である」

老人になったら、若いころにもどることに、しよう。

カントの解説本を3回ぐらい読んで、なんだかずいぶん分かってきた。カントを分岐点として、なぜ自分がヘーゲル、マルクスの道へ行かず、ショーペンハウエル、ニーチェの方に来たか、その理由が分かったような気もした。

ニーチェの、神は死んだ、という有名になり過ぎた言葉も、こういうカントの絶望紙一重の理性の深淵体験から出てきたんだな、と思い、感動もするし、緩やかだけど戦慄も、する。

真昼間に提灯をぶら下げて走り回る狂人はこんな風に叫んでいるのだったよな 「おまえたちは一体知っているのか、神が死んでしまったことを、そしてオレたちが神を殺したことを。世界は真っ暗だ、神が死んだ後、オレたちは、いったいどっちへ動いて行けばいいのか」

カントは神を信じていたが、神が存在することの証明は、論理的に不可能である、ということを厳密に証明した。かくして、神というのは、ある人には信じる対象となったし、また、ある人にとっては人間とは金輪際無縁なものとなった

東海道四谷怪談を読んでわかること。オレたちが生活しているこの世に「恨み」という悪いものが跋扈している状態を避けるために、幽霊であってもこの世で通用する実質的な「力」を与えてやって、恨みを現実的に解消させている。お岩は決して足の無い漠然とした幽霊としては現れていない。

戸板に打ち付けられたお岩の幽霊が出て、伊右衛門に言う文句、

田みや、伊藤の血筋をたやさん。

この文句の、意味じゃなくて、字面と響きが、なぜか、大好きだ。東海道四谷怪談は歌舞伎の脚本で、鶴屋南北の作だが、これはオレの最愛の書。この本のどこを開いても、いつでも毎回、自分の心の中にある目と耳がそのとりこになる。

東海道四谷怪談を読むことで喚起される「ある感覚」は、現代人のオレの心にもたしかにしっかりと江戸時代が生き続けているという証拠でもある。というわけで、時代というのは不死なのだが、たとえ古い時代が死んでいないとしても、今生きている自分が気付かなければ、自分の目の前には現れないわけで、その「気付き」を担うのが、たとえば四谷怪談という作品、ということに、なる。

ということは、四谷怪談というのは、オレにとって正しくタイムマシンに相当する、ということになる。行ったことの無い土地へ電車に乗って出会いに行くのに、まあ、似ている。

ホーキング博士は、未来へ行くタイムマシンは可能だが、過去に戻るタイムマシンは不可能だ、とコメントしたと聞いたが、きわめて唯物論な発言だ。でも、それって、世の中を「唯物論な科学者」の目で見たら、その通りで、どこにも間違いはないんだよね。オレの目は、ホーキング博士のそれとは異なるので、同じ世界を別様に経験しているということになり、実は博士の言と少しも矛盾しない。なんで矛盾しないかというと、二人は住んでいる世界が違うからだ。これって一種のパラレルワールドかもしれないね。

じつは、ブレア・ウィッチ・プロジェクトを見てすごく気に入ってしまい、本当はもう一回借りて見たいのだけど、うちの奥さんには面白くも怖くもなかったらしく、面と向かってアレの何が面白いの? と、言われ、そのときなんとなく虚勢を張ってしまい、まあ、別にたいした映画じゃないんだけどさ、とか答えてしまい、そのせいでなんだか借りれなくなっちゃった。

ブレアウィッチのなにが自分に面白いかというと、二人の男と一人の女性の行きつ戻りつのちょっとしつこい人間劇っぽい展開。これは脚本が、気に入った。で、ブレアウィッチで自分が怖いと思うところは、エンディングの、廃屋の階段を叫びながら昇ったり降りたりするシーン。自分が子供のころ外で遊びまわってたときの恐怖経験みたいなものが蘇るから、らしい。

それで、さっき、ブレアウィッチに似た超低予算の素人ドキュメンタリー風の恐怖映画「パラノーマル・アクティビティ」を見たのだけど、やっぱ、オレはこれも怖いわ(相変わらず奥さんはまるで怖くないって 笑) そういやずいぶん昔だけど、かの「リング」を見て、怖くて、一ヶ月、電気をつけて寝てたもんな。これも奥さんに、バッカじゃないの、といわれている。

現在というのは、完成された過去と比べると常に未完成な未熟なものなので、現在がイヤになることは自然なことだ。でも、その嫌悪感や倦厭感は、未来へ至ろうとする意思や希望の力とバランスを取るべきものだ。しかし、バランスは至るところで容易に崩れる。倦厭側にも、そして、希望の側にも。ある人は、未熟な現在を逃れて平穏な過去の中に身を浸していたいと願い、ある人は、貧しい現在に蓋をし、過去は忘れ去り、追い立てられるようにひたすら未来の実現を願う。本当の人生は、そのバランスの中にこそあるはずなのに。

朝、なんとなく手に取った文庫は小林秀雄だった。詩人の中原中也の思い出を書いた文を読んだのだけど、やはり、見事な名文だ。こんな文章を書ける人は、もう、ほとんど出てこないのだろうな。文体というものの姿もインターネットの登場でずいぶん変わった。文体は今では万人が着ている服装のようなものになった。今では、人々は文体というものを、その文章を書く人の外見のように眺めていて、要するに、人がしゃべっているところをカメラの眼で見ていることに近い事情になっているように思う。書くことと話すこととの間にだんだん差がなくなって行く過程とも写る。人々の求めているものが変わったせいで世の中で流通する文体が変化するということと、文体が世につれ変わるということは同じことなので、日本語の文体の姿は、はっきり、変わったのだ。さて、それにしても、冒頭に書いた先の小林秀雄のエッセイなどを読むと、なんだか強烈なぐらいの味わいがあり、それゆえの安堵感、そして大げさに言うと人生の充実感のようなものを感じるのは、これは確かなことだ。それはひとえに、その文体に「深い」なにかが刻まれていることが伝わって来るからなのだが、今の時代、こういったものに接することは極端に減ったね。僕は、それは時代の流れであって仕方ない、とは言わない。やはり名文は名文であって、その文が名文か否かを判断できる人は育てないといけない。でも、今の人間にそれら名文を書けとは言わない。名文か否かが分かる感性を内に持ちながら、現代風の安い文体を書き飛ばす人がたくさん出て欲しい。と、言うか、自分はそういう文章書きを目指したい。

作品の著作権意識というのは根深く、そして厄介だ。すでにできあがってしまった作品という静的なものにこだわるのを止め、表現の方に軸足を移したい。人間が生きて生活して、その一挙手一投足が表現になり、芸術になる、そういう方向へ行ければと思う。ほら、一世代前の、ピカソも、ウォーホールも、ダリも、そうだったでしょ? これは感覚的に言うが、作品の著作権意識、アイデアの知的財産意識、というのは長年に渡った貨幣経済から来ている根の深い一種の古い社会本能ではないかな? 現代は、人間たちが、これに変わる新しい本能への脱皮を目指してもがいているようにも、見える。

カントの純粋理性批判を買って読んだことがあるんだけど、最初のページからほとんど分からず、3ページぐらいで挫折した。そのときは、哲学って、本当にむずかしいもんだな、と思ったものだ。しかし、最近になって改めて哲学の解説書のようなものをいろいろ読んでみると、哲学は、実は、思ったより分かるものだということが分かった。どうやら、日本語で読む哲学って、あの独特の漢語を組み合わせた用語のせいで理解できないことが多いようだ。

というわけで、最近、弁証法の入門書を読んでいるのだが、その中にカントの哲学の骨子を説明している部分があって、ほんの5、6ページなんだけどちゃんと理解できた。そっか、そういうことを言っていたんだ、って感じ。僕が読んだカントについてまとめると、以下の通り。人間が論理的にいくら考えても、絶対に解明できない世界が常に彼方に残る。なぜかというと、彼方の世界を実際に論理的に解明しようとすると必ず矛盾した結論が引き出されるから。結局、宇宙は、人間が分かる現象界と、人間が分からない英知界に分けられている。でも、英知界は人間には分からない、と言いながら、じゃあ、なんで英知界がある、なんて言えるんだ、と言いたくなるが、これこそが、人間には論理を超えるモノを理解する能力がある証である、と考える。

かくのごとく、「論理」じゃなくて「言葉」を使うと、いろんなことが言えて、いろんなことを理解できる。いや、「いろんな」どころか「あらゆる」ことが展開できる。そんなわけで「言葉」というのは極めてヘンな存在である。そして、カント以降、「言葉」へ関心が移ってゆくのである。

アメリカ系のある種のエリートは、アクティブさ、バイタリティ、スピード、どれもちょっと日本人と次元が違う高さを感じることが多い。日本人は、結局は、俳句と浮世絵的感性で勝負になってしまうのかな。少し前の文で、常に動いていないと落ち着かない現代人は、少しは「動かないこと」を見直したらどうか、と書いたが、それと同時に思ったことは、でもそれじゃ現代国際社会を生き抜けないだろうな、ということだった。「動き」が基本な社会は、やっぱりアメリカ系かな。癪だけど、今のところグローバルスタンダードは止められない感じ。それにしても、日本。さいきん聞いた子供の運動会の話で、学校が近隣の騒音苦情をそのまま受けて、音楽なし、徒競走のピストルなし、なんていう運動会をやっている小学校で育った子供が、将来アメリカ人に勝てる気がしない。グローバルスタンダードに西行さんと写楽さんで対抗だなんて、戦闘機に竹やりに近いんだろうか。

自分はギター弾きで歌うたいなのだが、毎回ライブで演奏するたびに思うのが、自分の演奏はかなり雑だということ。つまり、オレたちバンドの演奏は完成度が高くなく、たとえばそのまま完成CDにできない。もっと普段の練習を増やせば演奏クオリティの平均レベルは上がって行くだろうことは分かっているけど、演奏態度が根本的に出たとこ勝負なのでクオリティの上下が激しいのである。でも、その意味じゃ、目指しているのはジャズ的精神なのかもな、つまりインプロヴィゼイション。もういまさらこれ以外にできないので、この路線のままだな。つまり、決まったとおりの演奏は、しない、という。

そう考えると、オレはやっぱり、ブルースマンってことになるな。ま、それでいいか、「オレはブルースマンです」、って分かりやすくて、いいや。黒人でもないのにブルースマンって、いいな~ 海を越えた地球のほぼ裏側でブルースマンだなんて、ひょっとすると、オレたちはホントのソウルブラザーズかも、しれないよ。

ヘンな思い出話だが、オレは、およそ十年前、私生活が、まったくどうにもならなくなった時期があってさ、その数年間を経たあと、ホントの意味でブルースが歌えるようになったよ。それまでは、歌えなかったんだ。こればっかりは、なぜだかわからないが、そうだったんだ。なので、オレは、「ブルース」っていうのが万国共通で、国境がない、ということを体で知っている。ジミヘンドリクスがやったブルースっていうのも、そういうブルースだよ。彼は、狭い黒人ブルースを地球レベルに広げた人だ。少なくとも、オレはそういう影響の受け方をしている。

フィレンツェのウフィッツ美術館の最初の部屋には、前ルネサンス時代に描かれた三つの大きな聖母子の絵が掛けてある。ずいぶん昔のことだが、かつてこの前に立ち尽くしたことがあったっけな。チマブエからドゥッチオ、そしてジョットと、ルネサンスの夜明け前に立ち会ったような感じだった。

イタリアルネサンスはジョットをその幕開けにするようなので、実は夜明けというよりは、夜明け前だ。そして、ジョットになってもまだ完全に夜は明けていない。チマブエ、ドゥッチオ、ジョットと見て行くと、画面の全体に、徐々に「動き」が加わってくるのが、わかるんだ。

当時から自分はジョットの大ファンなのだが、その一方で、心の奥底ではドゥッチオに計り知れないぐらいの安堵感を感じていて、どうにもならなかったことがあった。あの恍惚とした黄金色の光に、魂が溶け込んでしまうんだ。でも、自分のどこかで、ああ、このままじゃだめだ、とブレーキがかかるのが分かる。

それにしても、まさに歴史上の最大級のムーブメントであったルネッサンスの「動き」の始まりの直前に描かれた、これら「神々しいような静止」を前にして、自らを振り返ると、オレたち現代人は救いがたいほど浮かれてるよね。もう少し「動かない」ことを覚えた方がいいのかもしれない。常に「動き」がないと落ち着かない、って感じじゃないか?

さて、聖母子の部屋を出て次の部屋へ行くと、今度はシエナの画家、シモーネ・マルティーニの大きな受胎告知の絵がある。これは、本当に、ものすごい絵だ。ウフィッツ美術館は展示管理がいい加減なので柵もロクにない。なので、当時、オレはマリアやガブリエルの至近距離10センチぐらいで見入っていたよ。このマルティーニの独特の冷たさ、これは、どこから来ているんだろう。前期ルネサンスの画家には、ずいぶんと、この「冷たさ」を持った画家がいる。

まあ、あれこれ歴史やなにやら調べればいろんなことが分かるのだろうが、根っから勉強嫌いのオレはほとんど調べていない。絵画は絵画としてしか見ないんだ。バックグラウンドも何にも調べずに絵だけひたすら見ている。ほとんど強情に近いこんなことはいい加減にして、最近、たまには調べようかな、と思ったりする。

それにしても、絵を絵としてしか見ないと、言葉の入る余地がないので、いったん分かってそれが自分のものになるとまさに血肉の一部になり、他のものに転嫁できず、場合によっては一種のトラウマのようになる。その点、「言葉」で分かったものというのは、状況しだいであっという間に別のものに転嫁して安全に抜け出すことができる。

言葉、言葉、と。少し前にも考えたこと、あったっけな、廣松渡を読んで。言葉にも言霊というものがあるのだが、言葉と言霊には相関が無かったりしてな。前にもどっかに書いたけど、言葉が言霊を獲得するには、当の言葉が金輪際介在しない、目の前に「ある」世界に心が触れる人間経験の、歴史的な蓄積が必要みたいなんだな。言い換えれば「言葉を言葉で分かることはできない」ということになる。

ところでウフィッツ美術館なのだけど、前期ルネサンスを過ぎて、ルネサンス本番になっちゃうと、オレ的には少し引いてしまうところがある。自分は「奇妙なもの」に惹かれる傾向があるせいで、ボッティチェリやダビンチ、ラファエロ、ミケランジェロと華々しくなってくるとあまり反応しなくなってくる。ずいぶん昔、ルネサンスを賛美する友人に、そういうオレのことを「お前は根が北方性憂鬱だ」と言われたことがあったっけ。これは、図星だ。

春になる桜がえだは何となく花なけれどもむつましきかな

ある朝、ぼんやりして手にとった文庫本をたまたま開いたらこの言葉がでてきた。はい、これは、西行ですね。いまから八百年以上まえ、当時の社会に生きる苦労を思うと、こんな句が読める人はさぞかし心がきれいだったのだろうと思う。

心がきれいか・・・ 年月が経つと、汚いものは風化してしまって、きれいな心しか残らないのかもな。西行だって歩いて息をしていたときは、別にそうそうきれいばかりじゃなかったはずだよな。と、いうか、西行の場合、なんだか、ひたむきな苦労、とでも呼べそうなものを感じるけど。

ある人があくせくと生活して、苦労して、それで死んで、それで思い出になって、それで年月が経って、余計な雑音が風化して消えて、さて、それで最後の最後に残ったその人の魂が、その人の評価を決めるのかな。もっとも、これじゃ、ちょっと、考え方が年寄りくさいか。

ところで、西行の句には、先に言ったひたむきな苦労みたいなものに対する苦しみを歌ったように感じるものがいくつもある。先日、図書館でたまたま借りた本の筆者によれば、西行は若くして出家する前、心を寄せていた高嶺の花の女がいて、出家の理由のひとつはその女に対するかなわぬ愛であり、彼は、出家してから死ぬまでの長い間、その女への慕情を常に心に抱きながら句を詠んだ、と書いてあった。

そう思うと、彼の句に現れている、先に言ったひたむきな苦労、という感触もすっかりとうなずけるものになる。

でも、どうなのだろう。たとえ、それで解釈が可能になったところで、結局はなるほどね、で終わってしまうかも。少なくとも自分は、そうだな。女への生涯変わらぬ一途な慕情というものを持つことができた西行という人間と、さらにそれを元に句を詠んだその芸術家としての資質、といったものの方が解釈よりもずっと重要で、そちらの方は性質上、解釈のしようがない。

西行という人間がいて、詠んだ句があれば、それで以上だ。そしてその人間と作品の二つと、今の自分が相対している、ということだけが重要に思えるし、それで十分だ。そう考えちゃうと、いわゆる客観批評は用がないということになる。

ということで、批評というものも、その批評をする人込みで、価値の高い低いが決まることになる。そうなると西行と批評家は同じ地点に立つことになる。それで、冒頭にあげた句を読む心と同じ心を持って西行を語る、ということが仕事になる。

ということは、結局一番大切なのは思考能力ではなく、想像力だ、ということになる。

大田区の大森にはCIAOという名前のイタリア料理屋さんが2軒ある。駅前にあるのが大森店でフレンチ風創作イタリアン、そして、山王小学校の近くにあるのが山王店でイタリア家庭料理である。大森CIAOはお兄さん、山王CIAOは弟さんがやっている、と聞いたことがある。いずれにしても、どちらも、もう30年ぐらいやっている超老舗で、双方とも老舗の風格がある。30年も続いているレストランって、間違えようのない独特の風味があって、変哲のない料理でも、その感覚がすみずみにまで行き渡っている感じ。おいしさだとか、サービスがどうのとかいうより何より、心が満足する。

解説本を借りて弁証法を勉強している。言葉だけは知っていたテーゼ、アンチテーゼ、アウフヘーベン、ってヤツだが、おもしろいわ~ それで、弁証法ってのが、ホントは何だったのか、この歳になって今ごろ、分かった。それで自分の生き方を振り返ってみると、「あれかこれか」という単なる取捨をやけに嫌ってきたオレの人生が、なんとまさに弁証法的であったことが、判明した。ひょっとしてひょっとすると、これぞ、時代の空気ってものなのかもしれないな、などと思った。「アレ」と「コレ」という対立するものがあったとき、コレを取ってアレを捨てたり、アレを取ってコレを捨てたり、できない。必ず、アレとコレから新しい「コンナノ」を作ろうとしてしまう、そういう態度のことだ。しかし、いまこの現代に生きていて、この態度が必ずしも正しくないようにも思え、やはり思想というものにもジェネレーションというのがあって、交代したり循環したり回帰したりということが起こるんだろうな、と思ってみたりね。

前々から思ってたが、ジャズのサックスってみんな似たように吹くよね。どことなくチャーリーパーカーのフレーズが出てきて、あとコルトレーンっぽい連続音が入って、などなど。 しかし、それと、もう、ぜーんぜん違う原理で吹いてるのがフェラ・クティのサックス。たとえばZombieという曲のサックスソロは聞くとホント不思議な息づかいを感じる。それにしてもFela Kutiを最初に聞いたのはOriginal Sufferheadという、ワンコードで20分以上続く曲だったのだが、そのあまりのサウンドに、驚嘆して、唖然として、戦慄したよ、誇張でなく。

心霊現象とか、UFOだとか、超能力だとか、一般に現在の科学では解明できない現象を神秘的な現象と呼んだりするが、この神秘に対する態度って本当に人それぞれでけっこうはっきり分かれるものだね。自分はというと、神秘というものがあることを疑ったことはまず、無い。現状の科学を持ち出して神秘的現象そのものが真実かウソかを判定しているのを時々見かけるが、馬鹿げたことだと思う。自分としては、その神秘的現象を経験した当人の心にそれが何を残すか、ということこそが問題だ。そうすると、結局、その神秘的経験によって心に残った代物を、今度は真実とみなすのかウソとみなすかの、という問題になり、問題の局面が変わる。

たとえば、ひとだまの生成プロセスが科学的に解明されたからってひとだまの価値が落ちるわけではない。たしかに、科学的に解明された神秘現象はこれまで山ほどある。迷信や迷妄から開放されて生活が整理され快適に向かって行くことは、間違いなく有益だ。しかし、解明済みの神秘現象とて、それを経験した当人にとってみれば、なぜまたそのタイミングで自分の目の前でそういう物理現象が起こったのかについては、誰も説明してくれはしない。

もともと科学というのは理性の飛び道具なのだ。それは時間と空間に飛び回る有象無象を一つ一つ撃ち落して、不安のない平穏な生活空間を作ることを目指している。それに対して有象無象と一緒に仲良く暮らすことを目指す能力を「本能」という。「本能」がなぜ科学的に再構成できないか、というのは根が深い問題だと思う。が、しかし、何百年か後にはできるようになるだろうね。その暁には、きっと科学というもの自体が変質してるだろう。

ところで、こんな風に考えているということは、結局のところ自分は科学をなんとなく毛嫌いしているんだろうな、と思わざるを得ないな。というか、いま現代、すっかり庶民レベルに落ちてきたこの「科学的解明」というものが気に入らないというべきか。ほとんど新種の迷信ではないかと思えることもある。

この惨憺たる現代日本は構造改革するほか先はなさそうだが、その方法論が今の若者たちのビヘイビアーの中に昆虫的本能として発揮されているはず、と、誰か賢い人が分析解明してくれないものか。やっぱり、老人は後続に道を譲るべきだと思う。それも、今こそ。 新しい人に任せるとしばらく数年は混乱するので、それを乗り切るだけの力を最低限確保した上で、なのだが。まあ、これからの老人は趣味で多忙だから、現役をあっさり引き下がる人は増えるだろうね。しがみついてる老人は、独りになると何もすることがなく不安なんだよ。

20年前のバブル期は、若いカップルがセンチュリーハイアットを予約してドレスとタキシードでディナーしてたって。最近のカップルは、七輪焼肉で270円のホルモン食ってホッピー飲んでる。

上野のどこぞから、建設中のスカイツリーを見たが、怪獣みたいでカッコよかった。できあがったらふつうになっちゃったね。

とあるネットニュースで、最新の経営手法に関して、社員の健康悪化そのものもコストに換算して管理対策するという考え方について読んだ。いやー、大変な時代になっちゃったね。これを読んでいると、ハリウッド映画に出てくるステレオタイプ経営者の姿が目に浮かんでくる。「みんなで明るく元気な職場にしましょう」というスローガンの裏に渦巻くこの非情さ。人の世というのはたしかにそういう二重性に支えられて、いるよね。

孔子は、二千年以上前に、「人民を従わせることはできるが、その理由を教えることはできない」と、はっきりと言い切っている。思うにあの人は、いわば、フリーの経営コンサルの元祖みたいな人だったね。後半生は、為政にも、人民にも、属せず、それでいて厭世でもなく。孔子を経営コンサルタントとして考えると、彼が飽きるほど繰り返す「仁」「徳」「孝」という代物たちの本当の意味が見えてくるような気がする。

孔子が解こうとした人性の謎は、いまだにまったく解けていない。いや、待てよ、彼は解こうとしたんじゃなくて、途方もない人性をいかに飼い慣らすかについて工夫を凝らした人だったっけ。徹底した現実主義なのだ。うわべが君子であれば、裏が二重だろうが三重だろうが人の世は平和、ってこと。ソクラテスもそういう人だった。

ある異国の人相見がソクラテスに会い、人相を見るに、「あなたは知見も狭く情欲に傾く性質がある」と言った、そうしたらソクラテスは「よく私という人間を見抜かれましたね」と答えた、という逸話はニーチェで読んだが、あれは本当なのか?

しかし、なんで古今東西の思想家やら何やらの人の多くは「うわべがすべて」のようなところに行き着くんだろう。あるいは、この自分がそういう人ばかりに惹かれるんだろうか。もっとも、この俗世で、うわべがすべてなんていう発言をするとかなり誤解されるだろうけど。今の世のように、本当にうわべがすべての世界になってしまうと、かえって「うわべがすべて」と宣言することが嘘つきや不誠実と受け取られることが多いとは、皮肉なもんだ。

うわべの下に隠れている心は、誠実でも不誠実でも善悪は問わないが、一つだけ重要なことはその心が「深く」なければいけないということだ。浅い心の持ち主がうわべを飾ると、そのうわべはすぐに取り繕えなくなり、馬脚をあらわし、無様なことになる。

オレにとっての日式B級飯の最高峰は、やはりココ、大井町のスタミナカレー。カレー粉そのもののまっ黄色のシャバシャバカレーと、豚肉とタマネギをグチャグチャに煮たものが平皿のご飯に半々にかかっている。全体に、なんとなく発酵気味で、臭い。最初にここに入ったのは、もう30年近く前だったような気がするが、あのころはもっと強烈だった。豚肉タマネギ煮はもっとずっと得体の知れないあくどい味と臭いで、金くさいスプーン、半分腐った福神漬、埃だらけの小型テレビ、すすけた蛍光灯、うーん、最悪なのだが独特の風格があったな。30年たった今ではずいぶんまともになったが、往年の味のいくらかはちゃんと残っている。B級好きな人には、お勧め。

紅茶とケーキが好きだからって 紅茶にケーキを入れて食べる人はあまりいない、という自分の言葉を偶然みつけて少し笑った。紅茶にケーキを投入したら、飾りつけがもげ、クリームが浮き、スポンジが溶け、油の膜が広がり、なんだか阿鼻叫喚地獄だな。そういや、子供のころ、クリープと砂糖を入れた紅茶に、マーガリンを塗ったトーストをビチャっと浸して食うのが好きだったときがあったな。親には叱られてたが。そうそう、この紅茶とケーキの話だが、若いころ、いきつけの場末パブで、大量の水を飲みながら安ウィスキーをロックでこれまた大量に飲んでいたことがあり、友達に、お前そんなめんどうなことせずに水入れて一緒に飲みゃいいだろ、と言われ、そのときにとっさに答えた言葉だったっけな。じゃあ、お前は紅茶にケーキが好きだからって、紅茶にケーキ入れて食うのか、ってね。どーでもいい話なのだが(笑)

中華街で、老舗なのに協調性のない孤高の中華料理人がやっている上海飯店という店がある。孤高なんて言っても求道的なところはまるでなく、むしろいい加減。でも、この人は昔からオレの憧れの人なのである。オレは中華料理を作るときの身のこなしをこの人を見て覚えたのである。いまでも中華街へ行くと、必ずこの上海飯店へ向かって、あのあんちゃん(今ではもちろんおじちゃん)が元気でいい加減に店をやっている様をのぞきに行く、そして、ときどき店に入って食う。もう、30年来の客だ。

料理のコツは、最後には、結局、カッコよく作ることにあるみたいなんだ。ただしこれはあるていど以上のレベルの人の場合の話で、レベルが高い場合、最後の最後、このカッコよくってのが料理に品と深みを与えるのである。これは音楽の演奏と、同じ。オレが上海飯店のあんちゃんから習ったのは、この「カッコよく作る」っていうことなのだ。

そういう意味じゃ、料理のレシピなんてものは、たいしたものじゃないな。さらに現代では、プロの料理人でさえ惜しげもなくレシピ公開してるからね。レシピだけで作れるのはあるレベルまでで、それ以上のレベルを目指すことになるとやはり壁が現れる。そりゃ、そうだよね、レシピには「どうやってカッコよく作るか」なんて、書いてあるはずないし。

ま、曲のコピー譜だけ見て一生懸命演奏してるようなもんだ。コピー譜には、どうやってカッコよく演奏するか、とか書いてない。演奏の場合、ビジュアルのウェイトが大きいことは当然だけど、料理も、実は、そうなんだぜ。

絵画はいつまで見ていてもそのままだが、音楽は一方的に終わりが来る、というのはきっとなにかしら深い仔細があるんだろうな。そしてそれだけではなく、もっといろいろな点で、音楽と絵画というのが見事に相補うようにできているというのも不思議だ。音楽的な絵画、そして絵画的な音楽、というのがあるのも、そういう相補性があるがゆえだろう。しかし、おのおのに接していてもっとも感動的に思える瞬間は、音楽が決して入り込むことのできない絵画だけの領域、そして、絵画が決して入り込むことのできない音楽だけの領域が垣間見えたときだ。そういうものを目の前にすると、感動を超えて、慄然とすることがある。

むかし記号学会で、「テレビジョン解体」というテーマでシンポジウムをやるからといって、そこに講演に呼ばれたことがあった。記号学というのは、学問としては哲学に分類されるわけで、哲学者の集まりでしゃべるなんて大丈夫か、と、ずいぶんビビったっけな。

しかし実際に参加してみたら、そこではテレビを記号学的に解体しようとしていたのだが、記号学という武器を使った攻撃にも関わらず、テレビの「中身」はまったく解体されずに無傷のまま残ってしまった、という結果を見せ付けられたような形だった。哲学者たちだって、やはり「中身」すなわち今で言うところの「コンテンツ」の扱い方には苦労しているということが分かって面白かった。

物事の記号的構造をいくら、調べて、分解して、再構築しようとしても、その「中身」は分析も解体も構築も拒否してそのまま残る、というのは一種当たり前のことなのだろうな。なぜなら、分析も解体も構築も拒否するような代物を「中身」って呼んでるからだ。このへんは循環論理だね、ホント。

中身、っていうのは魂みたいなものかもな。魂がこの世で活動するために肉体と言葉が必要になるわけだけど、解体はその肉体と言葉には及ぶのだが、どうしても魂までうまく届かないみたいなのだ。

シンポジウムでは、記号学の人がドキュメンタリー番組を記号論的に解体する作業を紹介していたが、そのあとに、今度はNHKでドキュメンタリー番組を長年作り続けたディレクターが出てきて制作作業について語った。その両者の語りの落差たるや、埋めがたい感じを受けたな。というのは、記号学の人が映像の方法論や型についてしゃべっていたのに対して、ディレクターはそんなものは見向きもせず、ひたすらドキュメンタリーの魂の話に終始していたからだ。

自分は、というと、実は仕事の上では、その中身と言葉のちょうど真ん中のところをねらっている。なので、先の記号学の人ともドキュメンタリーのディレクターとも等しく距離が離れたところにポジションを取っている。仕事では、言葉を書くとそれがコンピュータで自動的に映像になる、ということをやっているのだから、意味的にはそういうことになる。

しかしだ、仕事の見かけはそのように中庸なのだが、その全体はやはり魂の方にずっと傾いている。自分という人間をよくよく観察してみると、これはもう頑固なほど魂寄りなのだ。それで、ホントのホントのことを言うと、仕事の上ではそれが足かせになっていると、さいきん思うようになった。

それにしても、「中身」、すなわち「魂」で生きている、ってことになると、聖徳太子のころからまーったく進歩してない、ってことになっちゃうな。しかし、どっちにしても、オレは魂のあることをやるよ、そういうガラなんだわ。仕方ないんだわ。

校則違反した生徒たちを3時間正座させたことが発覚して学校側が謝罪、で、それがニュースネタになるとは、唖然だ。こんなどうでもいいことがトピックスの上位に入ってあまねく知れ渡るなんて、なんとなく世も末って感じがするな。

やはり、今の世の中は、下々の僕たちの層の積層した力によって、善悪などの構造自体を変化させようとしている真っ最中なのかな。ちょうど変態中の蛹の中のようにね。それにしても蛹が孵ったら、いったいその殻から、なにが飛び立つんだろう。

僕たちはたしかに旧い構造を変えられる力を手にしたけど、その力の使い道はもちろん確立はしておらず、そうとうに危なっかしい。でも、一度は通るべき道なんだろうな。ということはつまり、この現代では、下らないことがこれから先もイヤというほど起こる、ということでもあるな。

仕事がらときどき初音ミクで作った音楽を聞くことがあるが、あれはオレには全部同じに聞こえる。オタクのソングには何だか特徴があるね。ちょっと長めのメロディアスな歌い上げっぽいカデンツと、せわしいリズムに乗った単調なメロディーを、交互に繰り出し、声も楽器の音も高音ばかりで、中音というものがなくて、低音もほとんどないのだが、代わりにケツを蹴るような打撃音がカデンツ以外のところにコンスタントに入ってる。

オタクのソングは、あれは、もう、一種の、オタクのBLUESだね。「辛い宿命からの逃避」、というモチベーションがその昔の黒人ブルースとほぼ構造が同じだ。オレはブルースを演奏するが、オタクのソングは忌み嫌っている。なぜならモチベーションの構造は同じだが中身が違うから。でも、しかし、中身、って何だ?  中身、中身、人間の中身ってホントなんなんだろう?

さて、それでは、このオタクソングと黒人ブルースの間の関係を、実存主義のサルトルと構造主義のレヴィストロースになぞらえてみよう。

まず、黒人ブルースは開いた音楽であり、それゆえ世界のポピュラー音楽の基礎となった、という事実を盾にして、狭いコミュニティでしか通用していない閉じたオタク音楽の卑小さを糾弾したのが、サルトル。それに対して、そういうオタク攻撃のしかた自体が、既成社会の価値観に囚われた社会の発展という偏見に基づくものであり、まるで演歌の心以外認めない偏狭ジジイのように進歩が無い、と論難し、勝ったのがレヴィストロースなので、アル。しかしながら、黒人ブルースもオタク音楽も構造が一緒だということで等しく偏見なく認めてしまったら、一体、何がよい音楽だか分からなくなったため、やっぱこりゃイカンと反省して生まれたのがポストモダン、っていうわけで、アル。

もっとも、きっと、ポストモダン的に言ったら、オタク音楽に対してはこうなるかもな。「きみたち、いいんだよ、それでいいんだ、なすがままにやりたいようになさい、それがゲンダイというものなのだから」ゲンダイとは「現代」ではないことに注意。すべてはキゴウカされ、だからといってムナシクもならない、タノしくカツドウして、すべてはユルサレルのである、アーメン、アーメン、、、

オレが嫌いな解決法、ハイブリッド。

半端でいやだ。長所と短所がある何かと、これまた長所と短所がある別の何かがあったとき、その2つの短所だけ捨てて長所だけ残して混合して元の2つよりいいものを作ってしまおう、という考え方自体がいやだ。それに、できあがったものを見たとき、そこに元の何かと何かが丸見えになっているのは、やはりぶざまだ。

でも逆に、何かと何かのちょうど真ん中を作ることはよいことだ。そして、混合ではなく真ん中を作ることを、中庸の精神と言うのだ、孔子の言うところの。何かと何かの混合を作るには、当の何かと何かが揃っていればあとは混ぜてちょっと調整すればできるが、真ん中を作るときはそうは行かない。作る前は真ん中には何も無いから、その真ん中を見極めて、新たに作らないといけないからだ。

こういう事情を、中庸を得るのは難しい、というのだ。実は日本は歴史的に言ってこの中庸の方法論が抜群に上手な国だった。しかし、さいきんはどうだろう。白か黒かをやたらはっきり断罪することこそ現代的な人間の姿だと勘違いしているようすが目につくのは、これはかつての西洋コンプレックスが庶民にまで降りてきた、その成れの果てだろうか。

そういう、つまらない人間たちはたいていこの「中庸」というものを逆に中途半端だとバカにする。つまらない人間が中庸を得るときは、それはたいていが混合だ。孔子は、君子の中庸は「時ニ中ス」、小人の中庸は「忌憚ナシ」、と言ったけれど、小人たちはまさに、あれこれのものを節操なく混合して右往左往して、そのせいで言葉だけがやたら氾濫する。

インターネットのせいもあって、特に、現代は、「忌憚のない人」たち、つまりあたりはばからず騒々しい人たちが氾濫しているでしょう?



孔子の弟子の一人に子路っていう人間がいて、彼はなんだかすごくいいヤツなんだよ。もっともオレはこの孔子の弟子の子路を、中島敦という昔の文士の「弟子」という小説で先に知ったのだけど。この中島敦は教科書にも載っている有名な人らしいね。

子路は、一途で、不器用で、血の気が多く、考えるより実行するタイプの荒くれ男風の人物像なのだ。子路は字で名は「由」というのだが、孔子の言葉で、この由について言った片言がいくらか残っていて、読んでいると何だか不思議な愛情を感じるんだな。

その中の一つに、うろ覚えだが、こういうのがある。子路は常日頃から自分自身に、いにしえの詩で言われる「出すぎたことをしなければ良くないことは起こらない」という文句を繰り返し言い聞かせていたそうだ。それを見た孔子は「そんなことで、何が良いことが起こるものか」と言った、というのだ。

僕の持っている論語の解説本には、この逸話について「孔子は、積極的に事を進めることこそ大切だ、といましめたのである」などと書いてあるが、そんな馬鹿馬鹿しい当たり前のことを書かないでくれよ。子路は自分の積極性が落ち着いて定まった方向性を見出せないことを痛感していたからこその態度だったはず。孔子は子路のそういう性格をよく知っていたので、きっと「そんな風にして何が良いことがあるものか」という言葉を、微笑みながらちょっとからかうように子路に投げかけたのだと思うよ。そこに現れているさりげない孔子の子路に対する愛情や気遣い、子路の実直さや、その他もろもろに感動するんだ。

先の解説本しかりだが、論語の儒教的な解説というのは、あまり面白くもない感じだな。もちろん儒教は論語が基礎になっているわけが、何だか当の孔子の人間像とずいぶんかけ離れてしまっているね。孔子は、儒教で言うところの聖人君子なんかより、ずっとずっと人間臭い、愛すべき人間だったと思うよ。先の子路に言った言葉とかを読むと、オレにはそう直観できる気がする。

まあ、それにしても、学者ってのは、大半、アホやのう~(笑) あと徒然草を研究してる学者も、ずいぶんつまらない解説を書いてるよ。同じくパスカルのパンセにも、あるいは、さいきん流行のニーチェのアフォリズムにもね。だから、まず対象を好きになって、あとは、自分がそれに感じることを素直に信じた方が、ずっといい。

さいきん出会った人、孔子。おもしろいね、2千年以上前の人に新たに出会えるなんてね。そんなとき、たしかに、孔子という人は不死なんだと思える。そして、孔子が不死だったらオレたちも不死だろう? そして下々のものたちまでみんな、みんな、不死なはずだろう? オレはそう考えるよ。

オレの元同級生の友人にこれまでさんざんBlogtwitterをすすめたが、ヤツいっこうにやる気配なし。あいつは「走り」が趣味なヤツで、 まあ、彼の立場から見てみれば、このオレにジョギングやれって言っても一向にやる気配なし、と同じようなものか。

「おまえもtwitterぐらいやれよ」「おまえがジョギングしないのと同じさ、イヤだね」という会話は、ディベート術的に言うとtwitterからジョギングへの論点の不当なすり替え、ってことなのだが、それは「論点」が「twitterの効能」にあるからで、相手にしてみれば、その勝手な論点の設定が不当ということになる。ここで「やるとよいことは知っているけど、やりたくないからやらない」ということを論点にすると、twitterすることとジョギングすることは同じ土俵に乗る。

twitterをやると、何がいいの? 小さな発散? ライフログが残せて後で楽しい? 他人の生態が感じられる? 世界が広がる? ゆるい情報交換で仕事に役立つ? などなど。

ジョギングやると、何がいいの? 運動不足解消? 目標の達成感? 外界の空気を吸ってリフレッシュ? 同じジョギングの仲間作り? などなど。

こうやって2つの事柄の「よいこと」を列挙すると、だいたい対応するものが見つかるわけだ。きっとこれは「悪いこと」でやっても同じことになるだろう。それじゃあ、結局、「twitter」と「ジョギング」って「内容」が入れ替わっているだけで、それを容れる「枠」は同じってことじゃないか。ま、こういうのを、構造主義っていうんだよな。「枠」すなわち「構造」がものごとを作り出している、という考え方だ。

ところで、構造主義のレヴィ・ストロースが、当時論戦常勝の実存主義のサルトルに勝った、っていうことになってるらしいのだが、でも、なんだか、これを聞いたときは痛快だった。オレは世代的に実存主義の空気で育ったはずなのだけど。

しかしさいきんはね、善悪っていうのが、かなりのレベルでなんだか分からなくなってきたよ。オレたちは、原理的に善悪の枠組みを変えることができる、つまり、オレたちは善悪の基準を作ることができる、ということが実感できるようになってきた。ということは、オレたち自体は善悪を超えたポジショニングができる、ということも薄々わかってきた、というか。

それにしても、オレたち庶民のように、移り気で、見識があやふやで、いい加減で不徹底で、他人の意見に影響されやすい、そういう人間たちのかたまりが善悪の基準を作れるようになってしまう、というのははなはだしく危険なことなんじゃないか、とも思えてくる。さらに恐ろしいことに、我々めいめいが善悪を超えたところにいる、いわゆる善悪の彼岸にいる、と感じはじめたときだ。なぜなら、その論理的帰結として「われわれは何をしても許される」ということになってしまうからだ。

さて、まさにこういう考え方をしたときこそ、古典の空気が必要なときだ。なぜなら、古典として名が残っている思想家たちは、みなめいめいの時代の中で自分は善悪の彼岸にいると強烈に自覚した人間たちだったからだ。もちろん当時はなかば密かに、であるが。

ということで結局、このように庶民が善悪を作る時代になったとき、めいめいがしなくてはいけないことは、過去に戻って偉人たちの吐いたよい言葉の空気を吸うことなのだと思う。

でも、まあ、善悪の話なんていうのはタイソウな話なんで、あんまり人前ではしない方がいいかもな。

しかし、やっぱり、今日電車に乗ってて漠然と思ったんだけど、かつて実存主義的だった自分のものの考え方も、時代が進むと共に構造主義的に変って行った。それは確かだ。とはいえ、それでも変らない自分の心ってのがあって、これは一貫しているように思えるが、はて、どんな心だろうね?

心、心、と。 これは一種の矜持のようなものかもしれないな。

目黒川沿いの桜は見事だ。満開の桜の花の下の遊歩道を歩いていて、ふと我に返ると、自分が見ているのが、花見の場所取りをしてる下っ端や、発泡酒飲んでオニギリ食ってる主婦や、何も分からず走リ回ってるガキとかばかりで、肝心の桜をぜんぜん見ていないことに気がついた。やっぱりオレは自然ものより人間ものが好きなんだろうな。

うちで和食だとかなりの確率で、ご飯、キノコ、大根おろし、山芋、のコンビネーションが出てくるが、まったく片田舎の木食上人じゃあるまいしな。と、書きながら、なんでオレは「木食上人」なんていう言葉を知っているんだろう?

これは、たしか、青山二郎と小林秀雄の酔っ払い対談に出てきた単語だ、それを読んで覚えたんだ。小林の「ミケランジェロは89歳で死ぬとき、ようやく何でも表現できるようになったとき死ぬのか、と言ったのだ」という言葉を受けて、青山が「そんなことは木食上人でも言えるさ」と一蹴する場面だ。

ところで、バチカンにあるミケランジェロの「死せるキリストとマリア」の彫刻は、彼が24歳のときの作品なはず。驚異的というのはこういうものに使う言葉だ。ほんのかすかな傷も見当たらない、真実に完璧な作品で、唖然とする。そのミケランジェロが89歳になって「ようやく何でもうまく表現できるようになったのに」と、言うんだからなあ、表現とは果てしのないものだ。

しかし、オレはルネサンスの最盛期はちょっと苦手で、どうしても前期ルネサンスへ行ってしまうな。ピエロ・デラ・フランチェスカが、結局、一番、好きだ。やっぱりオレは何についても「エキゾチズム」に走る傾向があって、この性癖は直らない。ここで言うエキゾチズムとは「あり得べからざる組み合わせが生み出す不思議な効果」という意味だ。「傷の無い完璧な調和」というものをそれ「単体」で想像して享受することがうまくできない。

なんだか面倒な話になっちまったな。キノコと大根おろしの話だったのに。

しかし、ロンドンのナショナルギャラリーは、とにかく、スゴイ。先に書いたピエロのすばらしい絵があるなどコレクションがスゴイのは大英帝国の名残だが、何がスゴイって、作品の保存状態などのメンテナンスや、展示の仕方に細心の注意を払っているところなど、芸術作品に対する愛情のかけ方が尋常じゃない。

たとえばイタリアの並みいる素晴らしい古典絵画など、イタリア本国では展示がいい加減、フランスへ行ってもいい加減、アメリカはけっこうきちんとしてる、しかしイギリスにはかなわない。やっぱり、イギリスって、本国産の古典絵画にいいものがあまりないからな、尊敬と憧れがあるのかな。

そうそう、それから大英博物館もすばらしい。あと、大英博物館の入り口からちょっと裏に入ったところのワガママっていうラーメン屋も旨かったっけ。

7、8年前だったか、自分が情報系の研究職だったころ、「メタデータ」ってのが流行ったときがしばらくあった。当時、オレはこのメタデータというのがどうしても虫が好かず、嫌っていたっけな。

メタデータとは「データについてのデータ」のこと。当時は、メインのデータというものにくっつける説明用のデータのことを指していた。例えば、「映像」がメインデータで、「その映像の作者名や制作日時」などがメタデータである。

メタデータのどこが虫が好かなかったかと言うと、「メインとサブ」という主従の関係がどうしても固執されていたところ。当時から、そして、もっとずっと昔からオレはメインサブ、主従、ハイアラーキ、階層的整理、といった一連の概念を嫌っていたのだった。

もちろん、ここでいうメタデータはかなり狭い意味で、本来の「メタ」という接頭語は「高次な」という意味なのでずいぶん違う。と、いうか、むかし自分が嫌っていたメタデータはむしろ「メタ」の誤用とも言えるかもしれない。

それにしても、いま現在、モノからコトバへのパラダイムシフトという概念を新しく習った自分は、かつてメインとサブという構造を嫌った自分の目指すべき故郷を見つけた感じだな。

データのためのデータは、それで結構。でもこれからは、前者のデータが後者のデータを生むというだけでなく、そうして現れた後者のデータがさらに新しいデータを生んで、それが円環を成す、という経過を経て、あらゆるデータが並置される世界観へ移行する、と考えてみよう。

世界は因果律の連鎖によって現前しているのではなく、並列的な関係性によって現前している、と感覚的に納得したいのだ。でも、これは自分でもちょっとやってみるとわかるんだけど、現代人にとってどれだけ大変か、とも思う。

ややこしいな。ま、いっか。ただ、自分が言葉に固執する意味がだんだん分かってきたって、こと。

昨晩は三宿のロックバーで集会、演奏、飲み。ここ、ターゲット層が50代以上なんだわ。で、ホントに客のほとんどが50以上。一番若い人で47歳だったぜ。生ギターかかえて、あれやろう、これやろう、と、次々とみんなで楽しく歌って演奏してたんだが、ふと正気に戻って周囲を見渡すと、ホントにみんな50以上のじじいばっかで、なんだか侘しく切なくなったよ、なんだかね。深夜のじじい集会ロックバーでビートルズやイーグルスを演奏しながら、ああ、10年後、20年後の養老院はきっとこんな感じなんだろうなあ、と未来を垣間見た気がして、ちょっとブルーになったぜ。でも、オレが将来の養老院に入るころは、オレは確実にスターだな、あまりうれしくないけど。

東南アジアではエビを発酵させた蝦醤(シア・ジャン)が調理によく使われる。国によっていろんな名前になっていてたとえばインドネシアではトラシというそうだ。これは料理に一種の臭いにおいを付けるために使う。臭くないと旨くないからだ。いまではポピュラーになったナンプラーや、この蝦醤や、日本のくさやもそうだが、その臭いのタイプは「肛門臭」に分類されると思われる。料理にこの臭いをつけることは多くの国で見つかるので、まったく世界中だれもかれも肛門の臭いが大好きだ、ということになる。一種の肛門愛の変種なのであろうか。高度に文明化した現代人であっても、肛門臭への偏愛のようなプリミティブな感覚を料理の上にしっかりと残して、それを「うまい」という代替語でおおっぴらに言ってはばからない様子はなかなかに、感動的ではないか。

もう、さいきんは、「悪いこと」、という意味がなんだか分からなくなったな。いいことと悪いことの基準はわれわれみなで決めている、という感触がとても強くなってきた。 そうなってしまうと、そういう大切な基準を日々作っているのが、このようにその場限りで打算的なわれわれで本当にいいのか、と、実は、事あるごとに痛切に思うようになり、やりきれなく感じることが多くなった。こんなときは、たとえば、ニーチェの「道徳の系譜」でも読んで、いいことと悪いことに関する「いい空気」を吸い込むことが大切だ。あ、そうか、やっぱりこのやるせない感は、現在の日本の世の中でいわれるところの「いいこと悪いこと」に関する「空気が悪い」、ってことかもな。結局、なにがよくても悪くても実際にはどっちでもよくて、悪いとしたらそれは空気ではないだろうか。

餃子の王将ではバイトのオネエチャンが「ゴーテーイーガー」と叫んでいるが、あれは鍋貼一个(グオ・ティエ・イー・グア)、すなわち「鍋貼り付け焼き餃子を一個」という意味である。

罪と罰の主人公ラスコーリニコフに、「あなたには空気が足りない」と忠告する人は、事件を捜査している中年の刑事だったっけ。その彼はラスコーリニコフに、自分を「終わった人間」と自己紹介していた。あなたには空気が足りない、と言い当てるのは自分のように長年生きてきた経験がある人間であればやさしい。大切なのは、あなた自身が空気を求めて動くことです、と、彼は、この若い、将来のある、ラスコーリニコフに忠告するのだ。

「超訳ニーチェの言葉」という売れ線の本がある。先週、本屋でこの本を立ち読みしたが、しかし、これは、ニーチェじゃない。それどころかニーチェがもっとも嫌悪していた俗臭芬々たる本になっているその手管は、見事なほど。しかし、これも、一種のコラージュやフロッタージュの言葉版と思えば面白いのかもしれない。

廣松渡という哲学者が言っているが、世界構築について、古代は「生物」を、近代は「機械」を、そして現代は「言葉」をリファレンスにしている、とのこと。すばらしいことを言うもんだ。「モノが先にあって、それをコトバが説明する」のではなく、「コトバの存在により、モノが現れる」ということ。廣松渡はモノ的世界からコト的世界へのパラダイムシフトと言っている。

ちょっと外出でもして実際にやってみると分かるが、自分の中からコトバを完全に追い出した状態で、目の前に広がる木々や大地や空を見ようとしても、ほとんど不可能に近いほど、難しい。ときどき1秒ぐらいできるような気がするときがあるけど、その瞬間、自分が完全な白痴になっているような気配がしないか。

しかし、おかしなことだけど、その瞬間こそがコトバがモノを作り出す原動力になっている。人間というのはコトバの無い世界ではすでに生きられなくなっている。まさにコトバが世界を作っているのである。しかし、その当のコトバ、そしてその当のモノというものを世界から狩り出して来るには、その当の「世界」を白痴になって感じる体験がどうしても必要のようだ。

そして、芸術家と呼ばれうる人間の大半は、それが、意識的に、できるのである。

誰の言葉だか忘れたが、昔の画家の言葉に、芸術を理解するにはこちらも少し気が狂う必要がある、というのがあるが、その通りだ。

二子玉川の高島屋なのだが、本体ビルの周辺の土地を少しずつ高島屋が買っては飲食店などを開店してるみたいだ。それも元の小道などを残し、区画せず、不定形な土地形状のまま不定形な建物を建てている。そのせいで一帯がなかなか楽しいエリアになりつつある。しばらくはこの方法論が流行りそうな予感。そう考えると、広い土地にライトグレーとブルーの概観の高層ビルを建てて、周りに広々と空間を設けて、小道を作り草木や街路樹を植える、という快適エコライフみたいな街づくりはもう、古いんじゃないだろうか。日本の都市計画も、もういちど、ごちゃごちゃアジアの感覚に戻れたら、嬉しいな。

ところで、「事」っていうのは、もともと昔は、「言」って書いたんだってね。「事」というのは、「物」の振る舞い、というよりは「言葉」の姿そのもの、という感触だった、ということなのかな。廣松渉の「物と事」を読んで。

週末は上野へいって埴輪に会いにいこうかな、あの風通しのいい目と口と頭に。

八重洲のブリジストン美術館にひさびさに行ってみようか。あそこにはセザンヌのサントビクトワール山を描いた風景画が一枚あるが、あれは本当に、すごい絵だ。周りにはコローやマネやモネなどの宝石がたくさんあるが、このセザンヌの画布は宝石中の宝石だ。

それから、ほとんど知られていないが、箱根のポーラ美術館には、ゴッホの小品が一枚ある。あざみの花を描いた最晩年の画布で、実は、この絵は、かなりすごい。あれだけのために行く価値がある(かもしれない)。

あと、バブル期の日本を騒がせたゴッホの向日葵の画布が新宿の損保ビルにある。サザビーズで58億円だかで落札された絵だけど、そういう浮世のごたごたなど噂にも知らぬ、と言いたくなるような、黄金色に塗られた向日葵が、厚いガラスの向こうで、なんとなく悲しげに、でも純粋で素朴な光に輝いているのが、見られる。

ついで。広島へ行ったらひろしま美術館へ行ってゴッホの晩年の作「ドービニーの庭」を見るといい。僕の考えでは、この絵はゴッホのたくさんの傑作の中でも、最高傑作といってよい作品だ。この絵が日本にあるのはうれしい。

むかし、どこぞの哲学スレッドで、「整数と自然数の数量は同量である」という数学命題の証明があるが、あれが納得できない、と発言したことがあった。そしたら、そのスレッドの常連が、まるで子供の質問に答えるときのような口調で中途半端に諭してくれたことがあり、ちょっと頭にきたこと、あったな。別に彼らに説教する気はないが、哲学を志す者たるもの、定期的に初心に戻って、哲学界では常識と化してしまっている事柄を改めて疑い、自身の力でゼロから検討し直すべきだと思うよ。ああいう態度に出る人たちは、実はそれができていない場合がほとんど。