なんとなく、YouTubeの、日本再生のための会議とか、見ちゃったりするんだよねえ、外国にいると、寂しいせいか。
さっきは安宅さんって人がしきりにアジってた。僕も一時期そういうところに出入りしていたから知っているが、典型的な、六本木界隈に大勢いる知的エリートの、ほがらかさ、明るさ、適度の気安さを持っている人の一人で、しゃべりが面白いし、理解もできるけど、金払ってまで続きを見ようとは思わないな。その動画では、彼は、日本には異人が必要だ、って力説してた。
さいきんオレは小林秀雄の本居宣長を読んでるけど、あんまり分からないながら(ってのは本文に古文が多すぎ)、とても共感するところが多いんだよな。
ああ、古い日本。前にも書いたけど「思考停止」って言葉がオレは大嫌いで、それを聞くと、思考なんていう低級なことはインテリに任せておけ、とか放言したくなる。
思考って、「考える」でしょ。で、考えるの日本語の語源は宣長によれば(たしか)「かむかへる」なの。かむかえるっていうのは迎える、ということ。物について考える、というのは元々は「物を迎えて、それと交わる」という意味だったんだそうだ。こういうのを聞くと、あまりに高級な概念で、心底うっとりする。こういうものに比べたら現代インテリ共の思考なんていうものは低級なもんだ。
そんなバックグラウンドがあって、他人をつかまえて思考停止って偉そうに揶揄するのが大嫌いなんだ。宣長のいう意味での日本古来の「考える」は、宣長から小林秀雄、そしてオレ、と伝わっていて、もう自分には染みついている、と、この本で本居宣長を改めてあれこれ知って思ったな。こんなえらい学者が江戸時代にはいたんだよ。
YouTubeに現れる日本の未来をなんとかしたい人々を否定する気はない。でもさあ、あのアジテートを聞いて「そうだ、そうだ、本当にそのとおりだ!」って気勢を上げるのはオレは真っ平だな。
だから、彼らの言葉をよそに自分は、宣長式に行くことにするよ。ある意味じゃ安宅さんのいう異人になるってことだが、まー、オレの場合は役に立たない異人だな。もうそれでいいや(笑