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混乱

アメリカではトランプがかなりでたらめなことをやっていて、世界じゅうがそれに振り回されている感じになっている。僕はどっちかというとトランプ派っぽい方にいるのでネット情報がそっち寄りで、そのせいもあってなぜああまででたらめか、ということについての理由付けは心得ているけれど、逆に反トランプ、その多くはリベラル派のいる世界では、到底信じがたい狂気が世界を大混乱に陥れているように見えているはずで、おそらく一種の集団狂気の現れとみなしているだろう。

フランスにエマニュエル・トッドという有名な人類学者がいて、彼は最近、「西洋の敗北」という本を出して、ヨーロッパへの徹底的な批判を繰り広げているが、その概要を彼のYouTube動画で見て、自分は驚いたことがある。日本人の僕が十年のスウェーデン暮らしを経てほとんど確信にまでなったリベラル思想の決定的な間違いを、ヨーロッパ人の彼がまったく同じように指摘していたからだ。

彼の主張の要点は、ヨーロッパはその道徳的基盤を形作っていた宗教を捨てたことにより、基盤を失って方向を間違った、ということだと思う。ただ、僕と少し違うのが、彼の場合、キリスト教、特にプロテスタンティズムを失ったことが決定的と考えているが、僕は、彼らがプロテスタンティズムを丸ごと科学に見代えてしまったからだ、と考えていることだ。

そして、なぜ、そんな乱暴なことができたのだろう、と今でもいぶかるのである。彼らは自分たちの人間性の奥底に食い込んだキリスト教をそんなに簡単に捨てて科学に交換するような暴挙をなぜ平気でしたのか。僕はそこで、「科学」というのはプロテスタンティズムの別名であり、実は同じものだった、と考えた。だからこそ、ああまで簡単に見代えることができたのだ、と。ただ、それらがなぜ同一だと主張できるかについて、丁寧に追及するのはかなり骨が折れる研究が必要で、僕はそれをするほどの根気はなく、そのままになっている。

一方、アメリカでは、国民の半数の人間たちがトランプを皇帝と崇めた熱狂に囚われているように見えているが、リベラル思想なもう半数のアメリカ人や、ヨーロッパ人たちは、まさにそこに全体主義の狂気を見ていると思う。それは極論すればナチやスターリンや、今ではプーチンのなしているファシズムの引き起こした光景と見るかもしれない。しかし、ファシズムをそこに見るよりも先に、トッドが指摘した、ヨーロッパが宗教的基盤を失ったことと同様のことが、むしろアメリカでこそ大規模に起こっていたと考えるべきではないのか。

ほんの50年も前のアメリカでは、地域社会ではみなが毎日曜に教会へ行くことが、何よりも優先する地域コミュニティの義務であった。おそらくアメリカでは今でもそういう地域は残っているはずだが、全体として見ると着実にそういう宗教を基盤にしたコミュニティは破壊され、駆逐されて行っているはずだ。なぜそうなるかというと、それはヨーロッパとほぼ同じで、科学と資本主義とグローバリズムを標榜したマルクス主義や急進リベラルの思想的影響のせいだと思う。いくらリベラルが輝かしい地球規模の理想を語ろうが、結局はそれは末端では、宗教コミュニティの破壊を招く。それは当然のことで、リベラルというのは宗教を科学に見代えた人々で、古臭く迷信的な宗教を捨て、科学の名のもとにグローバルに世界を改変しようとする強い意志と信念を持った人々だからだ。

思い出したからここでひとこと挟むが、僕はよく、アメリカ人の多くがいまだに進化論を信じていないなんて、信じられない、とほとんどせせら笑う人を見るたびに悲しくなる。

とにかく、そのリベラルの力は強大だが、なぜそれがそこまでの思想的権力を握ったかは、容易には分からない。ただ、それは「思想」であり、その偉大な思想をもってそれを社会に強行することのできるのは、一部のエリートたちであって、そこに集中していたのは確かだと思う。ああ、なぜそんな人類愛に満ちた一部のエリートたちが、キリスト教を科学に見代えるなどという、極めて乱暴な暴力を振るうことができたのか。それも愛と平和の名のもとに、だ。

僕は十年のスウェーデンの大学での仕事と生活で、それを肌感覚で感じ取って来た。僕のいた大学はUppsala大というヨーロッパで五百年以上の伝統を持つ由緒正しいリベラルの殿堂だったのである。僕はどうも理論というものが苦手で、直観に頼る人間なので、そういうリベラルの殿堂という環境に身を置くことで、その確信を得たのであった。具体的な事実の裏付けは、いろいろ目撃はしたが、それを元に理論を組み立てる忍耐心が自分にはあんまり無いので、この先それをするか、と言われると、しないような気がする。

僕の科学批判はだからここ十年ぐらいのことで、それはもう、心理的に頭がおかしいレベルに達しているのは自分で分かっている。ほとんど科学に対する「呪詛」に近い感情が自分の中で渦巻いていて、出口を探している。そういうときはちゃんと出口を作ってあげないと、自分が破滅する恐れがあるので、小出しにはしているつもりだけど、あくまで少しずつであって系統だっていない。

そのうち、やるか、と言われても、やらないかもな。病の草紙や下らないオリジナル曲作ってる方が楽しいしな。

それにしても呪詛か。とはいえ、自分はいま66歳だけれど、20代のころから自分が夢中になったドストエフスキーやニーチェに、自分が思想的にここまで蹂躙されるとは思わなかった。いま世界で起こっている欧米の軋轢やロシアが始めた紛争などなどは、彼らの予言が現実化したことと言ってまったく差し支えないわけで、トッドも結局は彼らにならったのではなかろうか。神は死んだ、オレたちは方向性を失った、神が死んだあと一体オレたちはどこへ行こうというのか、と叫びながら、真昼間に提灯をともして街中を走り回る狂人そのもののことがいま、起こっている。

人間の理性というものは、かくも暗いエネルギーに満ち満ちていて恐ろしい呪詛の塊のようなものだ。そこで自分は、日本人として、そういう暗い宿命的な理性ではなく、たとえば、徒然草というすばらしい文を残した兼好法師の現した「明るい理性」というものを大切にしたい。その明るい理性と、孔子の論語の礼を組み合わせれば、きっとゆるゆるだけど平和で節度のある社会になるかもしれないのに、と最近、思うようになって、それもあって病の草紙とかにかかずり合うんだけどね。

とにかく、残忍な西洋的理性には、もう、うんざりした、というのが正直なところ。

戦争

ウクライナでの戦争についてはこれまでも意見表明してないし、これからもするつもりはないけれど、一点、自分の立場をはっきりさせておこうかなと思う。

僕はもう66歳で、もし戦争が自国で起きても前線に出ないのだけど、もし、自分が実際に戦争に出兵する若さだったとしたら、僕は逃げる。国のために戦って死ぬなんて、僕は絶対に嫌。卑怯と言われようが弱虫と言われようが屑と言われようが、人を殺し殺されるところに大義を持って出て死ぬのはイヤだ。

戦後反戦教育のせいと言われるかもしれないけど、それは思ったほど関係ないかも。僕は士族の嫡男だと父に言われ続けて育ったから、大義のために命を懸けることは美しく、そこから逃げることは人として最大限に卑怯な行いである、と叩き込まれた過去があるけど、それへの反発があるからかもしれない。

それにしても、戦争当事者も、特にヨーロッパの首脳たちも、呑気に笑いながら、よくやった、我々のために、祖国の未来のために戦おう、とかよく言うもんだよ。そう言ってる間にも、人間が殺し合って死んでるの、忘れてるでしょ。口先ではいくらでも言うだろうが、忘れているはず。

かつて、とある日本の若者が、もし自分が戦争に徴兵されて、前線に出て、自分が人を殺さなかったら、そして皆が殺すことを放棄したら、どうなるだろう、という空想的なことを言ったのをかつて僕は聞いたことがある。実はすごく感心した。それは、その通りだし、そうあるべきだから。

現在、戦争の立役者たちが、ああだこうだと劇を繰り広げていて、そしてそれを世界中で恐ろしい数の人間が取り巻いて、ああでもないこうでもない、と言いまくっているけど、知らぬ間に人は生々しい現場を忘れるものだ。戦争の悲惨さとか言ってる人ほど、悲惨を引き起こした不正義に敏感で、直接自分が殺し合いの場にいないのをいいことに、戦争を続けさせるものだ。

ま、とにかく言いたいことは、僕は逃げます、ということ。もし若者に相談されたら、逃げなさい、と即座にアドバイスする。現実には逃げるのは難しく、金持ちや権力者ばかりが逃げるのであって、一般人は逃げられず殺し合いをすることになるんだけどね。

だからこそ、可能なら逃げろ、って言うと思う。国のために死ぬなんて馬鹿げている。

考え方のゆくえ

自分のこれまでの考え方の変遷を見てみると、幾人かの自分のアイドルによってこれまで形成されて来たのは明らかなのが分かる。それは、ドストエフスキー、小林秀雄、ニーチェ、ベルグソン、ゴッホなど数えると十ぐらいになりそう。

そのやり方だが、まず、直観でそれら信頼できるもの、愛するものを手に入れたら、それに対して一切批判的にならず、完全にその人の言うことを正しいと信じて、ひたすら摂取する。

いちばんはなはだしかったのはドストエフスキーで、僕は、罪と罰をはじめとするあの糞長い複雑な長編小説群をそれぞれのべ十数回以上読んでいる。読んでいる際、これはなにか言っていることがおかしいのではないか、と疑問を持つことを一切せず、ひたすら読んだ。

そういう期間を経た後の、それらの自分への影響は、これは絶大なものになる。しかも批判的に読まないので、ロジックを通して身に付いたのではなく、対象が自分に乗り移るに近く、悪い言葉でいえば憑依とか洗脳に近い状態になる。

でも、結局のところ、そのやり方は最初にその十人だかの対象を選ぶところにかかっていて、それを間違えると取り返しがつかない。選ぶのには「直観」を使っているので、その直観が間違えば、僕は間違った人間になってしまい、いったい何をしでかすか分からない危険人物になる。

唐突だが、この前も話題になったアメリカ副大統領のヴァンスには、自分は同じ臭いを感じる。彼もそういうタイプじゃないか、って気がする。

それはともかく、その最初の僕の直観は、対象についていったい何を根拠に、何を見ているのだろう。しかし、僕のこのやり方は学生時代からずっと続いているので、すでに後戻りはできない。こういうやり方の悪いところは、前述通り間違った人間に仕上がると、ほとんどテロリスト級の厄介な人間になることだ。

では仮に直観が間違ったとして、では、その「間違った」とは何のことかといえば、それは誰にも分からない。だから余計に厄介なのだ。

それで、こういう厄介な人間が増えると社会は収拾がつかなくなるので、そうならない方法論が、ほぼ社会のコンセンサスとしてこれまで出来上がってきた。それが、科学に基づいた批判精神であろう。科学とは、何事についても、まず見て接したら、いったん疑って、「なぜ」と問いかけることである。僕のように直観で無批判にいきなりその対象に夢中になってしまう、ということを本能的に警戒する精神である。それによって、統計的に見ると、社会で人間がダークサイドに落ちる人数が減る。結果、社会は安定して機能しやすくなる。

自分は高校までは理科系だった。小6の卒業文集の寄せ書きに、将来なりたいものというのがあって、自分は堂々と「科学者になりたい」と書いたのだ。理科系の大学に入ったが、科学精神は一気に減退し、それから40年以上そのままで今に至る。学業や仕事の上では理科系のままだったが、それら仕事について自分はずっと上の空だった。結果、モノにならないまま終わった。

結局、自分の人生への処し方は、まったくに科学的でなく、対象を愛して相まみえる、というやり方しか取っていない。それで良かったかどうか、というと、今の自分の様子を見ていると、いいと言い難い。それで、結果、ここずっとオレの標語であった、孔子の言葉が出てくる(孔子が言った意味は違うけどね)

君子もとより窮す(笑

ヴァンスの演説

これはアメリカの副大統領のヴァンスがヨーロッパでやった演説だけど、前々から話題になってるのを、日本語字幕付きで見た。

しかし、これはショッキングだ。並みいるヨーロッパの面々を前にして、アメリカ人の彼が滔々と説教している。これはもう、完全に、説教であって、もし、これが宗教リーダーかなんかならまあ、分かるけど、この人、アメリカを代表する政治家だからね。

よく、これだけあからさまな説教ができるもんだ、さすがに感心した。

ヨーロッパの重鎮たちはおそらくただただ唖然としただろう。そしてヨーロッパのインテレクチャルたちもただただ唖然としただろう。演説終了後の拍手はあるが、途中、どんどん拍手が減って行き、ほぼ最後の方でとっておきのユーモアを披露したが、ぜんぜんユーモアになっておらず、聴衆に完全に無視され、むしろ聞いてる部外者のオレの方が笑っちまった。

正直に自分の感想を言うと、これは痛快だった。ヨーロッパはかつて150年以上前、ボードレールがこき下ろしたように、アメリカを文化的に完全に下に見ていた。ボードレールなんか、アメリカを味噌糞に言いもしなかった。一言二言で殺人的無視するだけで、それほど下に見ていた。時代は次に移り、サルバドール・ダリになると、アメリカを見下してはいるが、大いなる可能性も見出していてそのへんが均衡する。そして、21世紀になり、おそらくアメリカはヨーロッパを正式に追い越したみたいに自分には感じられる。

これはね、やはり「慢心」だと思うよ。ヨーロッパは油断しすぎだと思う。

ちょうど、慢心して油断しきった日本が中国に産業的にあっさりと抜かれてしまったように、慢心したヨーロッパは文化的にアメリカにあっさり抜かれた、という風景に、自分にはどうしても見える。

ヨーロッパはこれで反省するだろうか、と思うと、ぜったいに反省しないと思う。おそらく、トランプとヴァンスを生んだアメリカを、内心、劣等中の劣等とみなすことを止めないと思う。アメリカという国は、その劣等国民が半数いる哀れな国だとみなすと思う。

でも、そう遠吠えしている状態では、ヨーロッパはそのまんまだろう。

あと、ひとつ言えるのは、慢心するほどに成熟した国のシステムは、まず頑丈で変わらないものだけど、たくさんの弊害を生み出す代わりに、強固な安定を保証してもいる、という点。腐敗したシステム、というのは意外とロバストで、恩恵も多く与え続けられる、ということだ。

アメリカは、その強固なシステムを、トランプを筆頭にむちゃくちゃに破壊しているが、さて、それがどうなるか、まあ、神のみぞ知る、だね。

とにかく、この演説は、おそらく歴史に残るだろうな。驚いた。

健康年齢

健康年齢ってのがあって、男性は72歳ぐらいだそうだ。オレはいま66歳なので、あとたった6年ってことになる。一方、会社の家畜になって働かされるというような目に遭う人を社畜って呼んでる。

ある社畜だった人が定年になって、それなりの備蓄があれば社畜を卒業して、こんどはのんびりと自分の好きなこと、社畜ゆえに余裕がなくてできなかった、本当に自分のやりたいことをやれる時間になる。

しかしそういう身分になってから、実際に残された時間は、たとえばオレならたった6年でまったくに長くはなく、思ったより短い。だから、老人は限られた時間を自分のために使うよう心掛けるべきだ、とかとかみたいなことが言われたりする。

しかし、これ、おかしくないか? オレから見ると、こういう考え方というのは、せっかく社畜から解放されて自由人になったかに見えて、こんどは健康年齢に至るまでの時間を自分のために使わないといけないという指令が脳のどこかから出ていて、その妄想に憑りつかれているだけではないか?

それって、会社に使役されて社畜をやっていたことと、あんまり変わらない。今度は生物学的本能に使役されて、残り少ない時間を追い立てられて生きる、ってことで、社畜と構造があまり変わらない。

ということで、社畜を卒業したら、こんどは人畜か、生活畜か、生畜か、なんかそういうものに見た目が変わるだけだよなあ、とさっき考えていたら、解決した。まさにそういう生き方を、六道における畜生道と呼ぶのであった。

畜生道とは、いつ襲われるか、取って食われるか、という状態に常にびくびくしながら生きる存在を言うのだが、健康年齢というバカげた数字にいつ襲われるか、やられるかにびくびくしながら生きることは、まさにこの畜生道そのものではないか。

ってなわけで、この現代はどうも、餓鬼道と畜生道に満ち溢れて見える。

しかし、オレ、仕事人生であんまり社畜じゃなくて、良かった。囚われの状態が長く続くと、そういう発想自体に知らずにトラップされるもんだ。そういう妄想から解脱しなさい、アーメンだ。

僕はブルースシンガーなんで、声を楽器として使うなんていう考え方とは無縁で、ずっと喉だけで歌ってきたのだけど、寄る年波なのか、どうも最近、声がうまく出なくなったり、歌ってて枯れてしまったりするようになった。

喉で歌うと喉を大事にしないといけないんだが、それも限界がある。ボイトレなどでなされていると思われる、声を効率よく無理せず発声させる方法を使えば、たぶん改善されるだろうが、そんなこと考えたこともない。

今日、これからライブで歌わないといけないけど、どうも起きて喉の調子が悪く、困っていて、なるべく声を出さずに、咳払いもせずにじっとしてる。これから風呂に入って蒸気吸入もする。

ブルースの歌にもいろいろあるし、三大キングのように天性の声質に恵まれたブルースマンもいて、あっちの歌い方になると、まず、ボイトレ的方法論が必要になるだろう。てのは、その当の天性が無い人は、手管を使って真似するしかないから。

でも、ブルースマンには、そういう声質じゃない人もたくさんいる。ジミー・リードやジミー・ロジャーズなんかいい例。僕から聞くとエディー・テイラーもそうだな。でも、僕の大好きな、フェントン・ロビンソンは、あれは天性の豊かでふくよかな甘い声がないとだめだね。マジック・サムの脳天抜けるみたいなハイトーンもだなあ。ローウェル・フルソンのつぶやくような甘い声もだ。

しかし、歌の個性って何だろう。僕は、その人がふだんしゃべる、その地声でブルースを歌うことこそが、ブルースシンガーの個性だと思っているので、そのようにしていて、それ以上のボーカルテクニックなんか見向きもしなかった。

あんまり結論みたいなのは無いけど、とりあえず、今日はこの喉じゃ困ったな。もっとも、このまえ浜のドルフィーに出る前もこうだったので、ごまかしごまかし何とかなるかもな。

YouTubeとかで絶賛されてるシンガーはみんなボイトレ系で、素人には分かりやすいんだろうが、僕には何の興味もない。ていうか、おんなじような発声と音程とリズム感と歌い回しと傷が最小限のボーカルラインは、聞いててもオレはまず、10秒で飽きる。地声で歌った方がいいよ。

前にも書いたけど、YouTubeで、アメリカの学校の式典みたいなののホームビデオを見たことがある。それはどうやら先生のリタイヤ記念パーティーらしいんだが、生徒がバンド演奏してて、最後の最後にその先生がお別れのスピーチして、スピーチが終わったら、学生たちが、先生もなんか歌ってー!ってみんなではやし立てるの。

先生は人前で歌を歌うようなタイプじゃないすごく真面目そうな人で、いや、オレはいいよ、って逃げてたけど、あんまり生徒がはやし立てるんで、とうとう観念してマイクの前に立った。

曲はヘイ・ジュード。学生の演奏をバックに歌った先生のその歌がやっぱり案の定、ぜんぜんうまくない。でも、それを聞いているとそれがなんと、すごく心に響くのである。

Hey Jude, don’t make it bad, take a sad song and make it better…

って、上手じゃない地声で歌った音が聞こえてるんだけど、オレは感動して涙ぐんだよ。

歌というのはね、そういうものなの。

民衆の理想

5年ぐらいかもっと前だったか、一般民がやたら政治的な発言をするのが目立ち始めたとき、僕はそれにすごく抵抗があり、われわれ一般民は政治に直接かかわるのではなく、理想を保持すべき役割で、政治は政治家に任せるべきだ、と考えていたのをさっき思い出した。

しかし、この考え方は当時も無茶な考え方だった。なにせ、民主主義の世の中では、たとえば欧米の若者たちが直接政治的な見解を持っていることが賞賛の的になっていて、日本では、主に大人達が、日本の若者は政治に興味がない、「だから」日本の若者はだめなんだ、と大手を振って発言していたときだったからね。

政治家たちの主人であるわれわれ一般民は、政治に関心を持ち、自身の社会的見解を持つべきで、民主主義という方法論を正しく動かす原動力は、民衆の政治参加にこそある、という考え方だ。

これ、一見、傷のない論理だけれど、結局、あれから5年、10年経って、その考え方が失敗したことは、これはもう明らかだと思う。

もっとも、こんなことを言っても、当時そう言ってた人々は絶対に賛同しないだろうと思う。かつて政権交代した民主党の失敗を見て、投票した自分が恥ずかしい、などとウルトラ馬鹿げた発言をして懺悔していた自称頭のいい、実は頭の悪い大人たちが、そうそう変わるわけがない。

ま、いまのこの混乱した社会を見て、とにかく、オレのかつての感触はそうそう間違っていなかったと思う。

僕は「民衆は政治的であるのではなく、理想を持つべき」というが、その「理想」は、欧米発の急進リベラルのいう理想とはぜんぜんまったく意味が違う。彼らの抱く理想は血塗られている理想で、その残忍な血を認識した上でその当の理想を見ないと完全に間違う。

なのに、ぜんぜん違う性質を持った日本人が欧米リベラルを見違えて、間違って輸入して、日本に適用した行為は、本当にバカげているとしか言いようがない。

では日本民衆の理想は何かというと、それは残忍さのない、「明るい知性」に基づくものだと思う。明るい知性って何かというと、それは吉田兼好の徒然草をぜんぶ読めばわかる(小話も含めて)

徒然草を読むとはっきりするが、あそこには極めて明晰な、科学的方法であるところの帰納と演繹が現れるのだが、それはあるところまでしか行かず、その限界に来ると見事に静止する。悪魔の手に渡る前に止めて、涼しい顔をして、それで、どうにも下らなかったり、ただ可笑しいだけだったり、迷信的で非科学的だったりする小話に平気で移行する。その明晰さ、軽々しさ、軽快さ、くったくのなさ、といったものが全編に行き渡っている。あの様子を僕は「明るい知性」と呼んでいる。

欧州の暗くて宿命的な知性は、オレはもううんざりだ。それを標榜する日本人の傀儡どもには、もっとうんざり。

と、まあ、愚痴を並べたが、なんと今日は大晦日じゃないか。そんな時にこんな面倒な話をして、困ったもんだ。

ま、来年になったらなんとかなるでしょ。

とある人の思い出

TLに、「結局、人生最後に残る趣味は何か」とかいうつまらん本の紹介が出てきて、それで突然思い出した。

大むかしの僕の職場は古い会社だったんで、部活動というのがあり、まだ若かった僕は美術部というのに所属していて、ときどきペン画とか出していた。部員は爺さんばっか。なので、爺さんとの交流、という不思議な時間を経験した。

そこにMさんという人がいて、その人が定年退職を期に自費出版の本を出した。僕にもくれた。簡易装丁のいちばん安い感じだったけど、本は本だった。

そういや、そのころのその会社の定年間近組は、とある関連会社に集まっていて、その関連会社は基本、仕事がヒマで、爺さん社員とかはたいした仕事もないので、そのころ行き渡り始めたパソコンワープロ(一太郎)とかで、キーボードをポチポチ押しながら優雅に自分史とか書いてる爺さんもいたっけ。自宅にはパソコンが無いので会社で書くわけだ。

Mさんのそれがそうだかは知らないが、1センチぐらいの厚さの本で、彼がいままで書き溜めてきた文章を並べたもののようだった。

Mさんの趣味は、絵を描くことと、俳句を詠むことと、批評文を書くことと、旅行と、ビールを飲むことだったらしい。若い僕は相応に傲慢だったので、その本をパラパラ見ながら、合間合間のペン画は下手だし、俳句は下手だし、批評はなってないし、なんじゃこれ、と放り出したっけ。

俳句について論じた文があって、そこに彼の句が例題として載っていた。彼の数々の下手な句の中で、僕がひとつだけ覚えているのが、その例題の句だった。それは、「陽光に若い女の肌光る」、という句だった。なぜこれだけ覚えてるか不明だが、下手なことこのうえない、と今でも思う。

彼は、俳句について論じた文の中で、もちろんこの私の句が下手なのは分かっているが、こうして句になって現れただけでそれは表現活動であり、芸術なのである、と論じていた。その後、五七五の順列組み合わせを計算して、その天文学的数字をどうのと詮索していたが、若い僕は、なんて下らない文だ、とか言って放り出したので、それが何を論じてたか忘れた。

その会社は理科系なので、Mさんももちろん理科系で、本には批評文がいくつもあったが、それらはいかにもステレオタイプな理科系的詮索ばかりだった。

理科系的批評文はつまらなかったが、ちょっとしたエッセイには面白いのもあった。いまでも覚えているのは、ドイツへ行って、単身ビヤホールに乗り込み、ドイツ的喧噪の中で飲んだドイツビールに、天にも昇る気持ちになった、というくだり。

Mさんはすべて下手とはいえ、趣味を持ち、批判精神も持ち、自身の見解も持ち、幸せな老後へ突入したもののはずだったが、退職して間もなくして、亡くなったという知らせが来た。ちょっと怖そうな、でもたぶん若いときはけっこうな男前の、僕ぐらいに小柄で、太りもせず、身体が弱そうには見えなかったが、ちょっと神経質な感じだったのを、今も思い出す。

若かった僕は、そうか、死んじゃったか、で終わってしまったが、彼からもらった本は捨てずに、その後数回の引っ越しでも残った。でも、いまから数年前に、読まない本を大量に捨てたときがあり、そのとき、Mさんも含め、他人からもらった数冊の自費出版本はぜんぶ捨てちまった。

いまこうして思い出すと、取っておけばよかったかもしれないが、他人の自費出版本をすべて捨てたタイミングで、生意気だった若いオレもMさんと同じ歳になり、定年退職となった。で、どう、ということはない。オレも、いくつかの趣味と、雑文書きをして自費出版しているところはMさんと変わるところが無い。

この文、オチはない。単にさっき、その、とうの昔に亡くなったMさんをなぜか思い出し、彼の下手な句を思い出し、ホント下手だったなあ、と感慨しただけのことでした。しかし、なんらかの哀愁は、ただよう。人生って、なんだろうね、とかね。

世界で一番ゴッホを描いた男

アジアンドキュメンタリー「世界で一番ゴッホを描いた男」を見た。ゴッホの複製油絵を描き続けた主人公が初めてアムステルダムで本物を見た後

「20年複製画を描いていたが、本物とは比較にすらならない」

とつぶやくのだが、それが、けっこう切なかった。全編を貫くゴッホへの大きな愛と芸術への真摯な情熱も、やはり見ていて切ない。

でも、最後の最後に、彼、少しずつでもオリジナル画を描こうと決心し、その第一作が映ったけど、その出来はなかなか良かった。それが救い。

その彼、中国のローカル都市で工房に寝泊まりして休む間もなく、すでに何十万枚も描き続けて、それでもぎりぎり食って行けるていどの金しか稼げない。そのせいで当初、ヨーロッパ行きはお金がないから、と家族に反対されるのだけど、結局、散財して仲間数人と初めてかの土地に立つ。

すべてが想像と違っていてショックを受け、夜は仲間と酒を飲んで煙草を吸って、語り合うシーンがいくつか出て来る。

そのシーンの中で、彼、ひとり酔っ払って、自分は中学1年までしか行ってない小卒の人間だ、貧乏で中学も行けなかった、と泣くシーンがあって、見ていて辛い。

20年間粗悪な複製を見て油絵を描き続けた彼は、その貧乏な生活の中で、ゴッホという芸術家に憧れ、崇拝し、貧困の中で自らを表現した画家の情熱に心酔し、という、まるで青年のままのような心で生きている。周りの複製職人の仲間の皆も同じで、中国の場末の食いもの屋で、芸術について熱く語り合っているシーンがいくつも出てきた。

ひるがえって自分はどうか、どうしても考えてしまう。

彼らに比べれば圧倒的に裕福で、なに不自由なく暮らして来た自分は、バブルの日本の大ゴッホ展ですでに25歳の時に本物を見て、その後すぐに海外へ飛び、アムステルダムでもどこでもさんざん本物を見て、自分のゴッホ観を育てた。印刷と本物の色の違いなんかあっという間に気付いた。

でも、彼らは、20年間、何も知らず、ただ青年らしい情熱だけを抱いて生きてきたわけだ。

自分は本当に贅沢だと思う。で、やはり、どうしても、僕は、いつしか、その青年らしい情熱をどこかで紛失して来たような気がしてくる。

オレも高齢者に差し掛かったし、こざかしい大人の計算なんか捨てて、もう一回青春に返るようにした方がいいんだろうな、と思った。

神社とトリップ

世田谷区はもともと畑だったので、農地がいまでも多く残り、地物野菜が栽培されて、それがローカル地域のここそこで、直売で売られている。そういう野菜はおいしくて安いので、今日のような日曜に、電動自転車でのんびり買いに行く。

さっき、岡本から喜多見あたりまで走っていたら、氷川神社という巨大な神社を見つけ、自転車を降りて入った。

考えてみると、日本という国は、もう、いたる所に神社と寺がある。無宗教な国だけれど、この様子は外せず、そのおかげで、ごく自然と日本人には日本的宗教心が染み渡っている、と言っていい。だって、界隈を歩けばすぐに神社と寺にぶつかるんだから。それらが古代のオーラをその地域一帯に放出していて、そこに住む人はそういう宗教的な人に、なるんだよ。

で、氷川神社だが、都会の住宅地のどまんなかの広大なエリアが、背の高いうっそうとした木々に覆われていて、ここはどこなんですか? みたいな様相になっている。

人はほとんどいないけど、散歩している人たちがごくふつうに神社に立ち寄り、賽銭やってお参りしている。

僕も賽銭をやったが、手を合わせて目をつぶって「イヤー参ったなあ」と心の中でつぶやいて5秒ぐらいですぐに掃けた。人のを見ると、2回だか3回だか手を叩いて、そのあと2回だか3回だか礼をするんだね。みんなよく心得てるわ。あ、そうだ。その前に、あの水が出てるところでみんな手をすすいでたっけ。オレ、それもしてない。

昔、僕が小さかったころ、よく父に連れられ界隈を散歩したもんだが、父は神社があると必ずお参りして、小さい僕にやり方を教え込んだもんだが、僕はなぜか恥ずかしくてたまらず、ロクに覚えもしないし、ちゃんとやらなかった。それというのも、そんな小さいときから、みなで同じ動きをする、というのが恥ずかしくてたまらず、そのせいである。

というわけで、65歳になっても礼拝の仕方ひとつも知らない不信人な人間になったが、いやいや、心の中は、僕はその日本人的宗教意識でいっぱいになっているのである。行動に出ないだけで。

うっそうとして昼でも暗い人のいない氷川神社を出ると、今日は晴れたおだやかな日だったので、晩秋の柔らかい光を受けた木々や草や花々にそこらじゅうで出会う。

どうやら氷川神社のオーラに自分は占領されてしまったようで、周りのその光景がいちいち異様な宗教感に満たされて見えて、どうにもならなくなった。

小さいころに刷り込まれた日本の原風景と、昨年まで住んだスウェーデンのゴットランドの自然と、建造物や、古びた工業施設や、小学生のとき電信柱の脇に大量に落ちていたカラー抵抗とカラー線材を見つけた驚きとか、西洋美術館でゴッホの絵を見て愕然として呆然自失した記憶とか、そういうものが一気に噴出して、頭が完全にトリップしてしまい、わけが分からなくなった。

オレ、たまにこういうことが起こる。これを人に言うと、それ、脳の病気の前触れかもしれないから医者で検査してもらった方がいい、とよく言われたっけ。

いまのところ脳に異常はないのだけど、なんか、やはりあっちの世界と通じている狭い通路がどこかにあるらしく、それがなにかのきっかけで開くみたいなのだ。でも、時計上ではほんの短い時間なので、気が狂わなくて済んでいる。でも、元来がこんな感じなので、人間社会の現実的対処がうまくできなくて、当然といえば、当然。そのせいで、トラブルが絶えないが、守護霊の爺さんが守ってくれているせいか、それほどひどいことにはなってない。

自転車で帰路につき、さっきの氷川神社から離れるにしたがって、怪しい気分は激減し、ちょっと走ったら完全に正気に戻った。ヤク中が癒えるのとおんなじだ。

それにしても、あのトリップな時間は、おそろしいほどの幸福感に満ちているので、あの世界にずっと浸っていたい、と思うことしきりだが、それはだめ、ってどこかでストップがかかるようで、長続きしない。でも、そのときに得たものは、回り回って自分の生きるアイデアの元になるのだろうな。そうじゃなけりゃ、おかしいし、そうじゃない生き方なんて、奴隷の生き方じゃないか、って極論もしたくなる。

でも、なあ、奴隷、というと極めて悪い言葉だけれど、古代の古い規範になり切って平凡に生きることが、本当はいちばんまっとうな生き方だ、と、どうしても自分には感じられるので、そういう人々を奴隷呼ばわりは決してしない。自分にとって奴隷、と言って罵る対象は、大半の場合がいわゆる進歩に満足した現代人だ。

というわけで家に着いて、でも、まだわずかに怪しい感覚が残っている。昼飯でも食えば、じきに消えるでしょう。