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スタバ青年の哲学講釈

このまえスタバに行ったら、隣のテーブルにいる若者二人のうちの一人が、ひたすら哲学を講釈してた。ソクラテスから始まって、プラトン、ニーチェ、カント、どうの、といろいろ出て来て、すらすらと流暢に解説している。それにしても、おまえよ、いろいろ間違ってるぞ。完全には間違ってないし、うまく説明してはいるけど、おまえが解説しているそれは、哲学じゃねえぞ、どっかに書いてある攻略本の受け売りだろ。

高齢のオレはそう言いたいところだったが、ま、好きにしなはれ。

とはいえ、ここで言っておこう。まず、若い彼、最初にソクラテスの「無知の知」から講釈を始めたが、彼のその説明は表層的過ぎる。

では、ソクラテスの言った無知の知とは何を意味するのか。それは、論理的言語に基づく知の帰結は結局すべて無知に終わってしまう運命にあると言っているのであって、それをその時、ソクラテス自らが気づいたことが大きな事なのだ。で、その結果、彼は多くの知者を敵に回すことになり、そしてそれら知者たちが実は無知であることを明かした彼だけがそれら知者たちより一歩抜きんでた特殊な存在であった、ということをソクラテスは神託を基に悟ったのである。

そしてもしそれが最高の知であったとすると、彼はその空っぽな知の元に自らを犠牲にして、死罪を受け入れて、静かに毒をあおって死ぬわけだが、ああ、空虚な真実のもとに死を受け入れたその最高の高貴さを、間近で見た弟子のプラトンの心はいかばかりであったか。ソクラテスはその最も空虚であると同時に最も貴重なものを自らの死をもって若いプラトンの胸に永久に刻み付けたのだった。

こういう人間劇に精神を動かされることなく、ソクラテスの無知の知だとか、プラトンのイデアだとかを口にしても、それはこれっぽっちも、なんの意味もない。そのソクラテスの思想が西洋哲学史を貫徹し、それがニーチェに否定されるまで続いた、だなんていう、つじつまが合っているだけの、体のいいことしゃべってんじゃねえよ!

と、オレは即座に反応し、スタバなんかに来なきゃよかったよ、って思ったわけだ。

隣のタリーズにしときゃよかったぜ。なんちゃって(笑

しかし、若者はさあ、「哲学が大切だとか言われて読んだけど、ほんっとわけわかんない!」って言っているむかしの若者のころが花だったな。いまは、一部の若者のやつら、哲学どころか、なんだって分かったつもりになってしゃべりやがるからな。ひろゆきやホリエモンや中田敦彦その他もろもろの悪い影響だろうな。

だいたいのところ、哲学には、ある「核」のようなものがあり、それが掴めていないと、論理をいくら深く掘っても無駄だ。そして、その「核」は論理によっては掴めない。そこを察知するのは、一種の哲学的カンや経験による。世に言う天才は、それをすでに学ばずとも持っているものだが、一方、秀才は、長い経験を経て身に付ける人もいるけど、無駄に高IQの人は、論理を追っている間に核を見失ったり、そもそもそれを軽視したりする。したがって、秀才には、ちゃんとした人と、大バカが混在している。で、さて最後に凡人は、これはもういろいろたくさんで、いろんな裾野を形成する。それこそ凡人の方が秀才なんかよりはるかにはるかに哲学を理解していることだってある。

と、まあ、勝手なことを言ってるが、以上は哲学に限らず、なんだってそうだよな。

そしてもうひとつ哲学に必要なのは「しつこさ」である。ではなぜ哲学者といわれる人種はしつこく追及するのか。これは、ちょっと考えれば分かるが、なぜそうなるかというと、それがその人にとってかけがいないほど切実であること、偏執狂的にこれが分からないと世界が終わる、自分も破滅する、と思い詰めていること、自分に真理に見えるものは誰がどう数学的に完全に否定したとしても全無視して自分の真理を信じないと気が済まない性癖、などなど、といったもののせいだ。

つまり、病人なのだ。

現実に沿って普通に生活をすることを旨とする人は、ダメだったらあきらめるか、いいところ迂回ルートを考えるでしょ? それが出来ない病人。

こんなわけで、一般生活を送る一般人にとっては哲学は害毒に違いない。でも害毒になるほどの哲学狂、ってことになると、これは不幸だ。

これが文学だと、それがわりと世間の目にも留まるね。太宰は心中マニアみたいなもんで最後はホントに死んじゃったし、芥川も川端も自殺、三島に至っては人騒がせぶっそう極まりない凄惨な死に様。ああなってしまう人たちを性癖では済ませられないでしょう。それと同じなので、病人、と言うのだ。

ところで、ソクラテスのこの有名な無知の知という日本語は誤訳だ、という説があるらしいのを知った。「無知の知」ではなく「無知の自覚」だとか。

もしこれが、「無知の自覚」だったらこんなに有名な言葉にならず、みなふつうにスルーしそうだ。自分がまだまだ無知であることを自覚しなさい、って、今ではごく普通の処世訓だから。ソクラテスは、ちまたにあふれてた「オレはすべてを理解した」とおごっている知者を次々と論理で粉砕して行った、そうしたら皆に恨まれた、それで死刑宣告された、というなんだかおそろしく平凡な劇になっちゃう(で、すごくありそうなこと)

ところがこれが「無知の知」ってことになっちゃうと、とたんに、無いものが在る、いや、在るものは無い、いや、それじゃおかしいから、そもそも無いや在るという言明がおかしく、万物は生成の途中だ、いや、それもおかしい、と論理が循環する。これは論理というものの宿命であろう。何千年もたって数学者のゲーデルがとどめを刺したが、ギリシャの時代からその宿命は自覚されていたような気がする。

スタバ青年の講釈によれば、ソクラテスは無知の知(自覚)を発見したが、同時に「知」が確実に存在することを知っていた。そして、それを初めて形あるものとして取り出したのがプラトンで、それが「イデア」である、だそうだ。哲学論理的に考えて順当に映る話なので、ここで

「なるほどねえ、若いお人よ、あんたモノが分かってるじゃないの」

と言ってもいいところだが、彼に決定的に欠けているのが、その「知」がソクラテスからプラトンへ譲渡される劇を成就させるために、ソクラテスは自らの死を賭けた、ということについての自覚がまったく欠けているところだろう(などと若者に説教するのは、極めて大人げないのでしないが 笑)

若いお人が言った「ソクラテスのこの原理はニーチェまで続いた」、という説は、おそらくニーチェがソクラテスを初めて完膚なきまでに批判したことから来ているのだろう。ニーチェの批判は、ソクラテスは無知の知という本質的に無意味な論理の構造を、アテネ市民を騙して吹き込んだ。当時のアテネ市民は論理もそこそこに、善いのびのびした「本能」で生きていた。ソクラテスは論理という空虚な武器で、その本能を根絶やしにしようと目論んだ、というところだった。

しかし、ニーチェはニーチェで、当時のアテネ市民の本能が、爛熟を越して堕落していたことも分かっており、それは一掃される運命にあったのだろう、ということも認めており、ソクラテスはその重い重い荷を負わされた悲劇の人、と捉えることもできる。そして、ソクラテスその人は、その心に邪悪な本能を擁していた。それは彼のその醜い容姿を見れば分かる、とニーチェは言うわけだ。

ニーチェその人は、この堕落してソクラテスが抹殺する前の、ギリシャの善きのびのびした本能を、まるでかつて14世紀にイタリアルネサンスが花開いたように、19世紀に花開かせようとして、強引に、ツァラトストラという一大詩を書いて目論んだが、失敗して、狂死した。

ニーチェがどこかでソクラテスに兜を脱ぐ場面がある(見つからないけどどっかの本)

「ああ、ソクラテスよ、ソクラテスよ、それがそなたの秘密であったか、その時代で誰よりも賢明な知を宿した巨人よ」

みたいな文句がある。僕はかつてそれを読んで、ショックを受けた。こういう二つの巨大な魂の交感を「分かる、感じる」ことが哲学であって、それ以外はただの屑に過ぎない、と僕が考えるようになったのもそういう経験からである。

ああ、それにしても、オレはオレで語り出すと、止まらない(笑

しかし自分は自分で、哲学を文学的にとらえ過ぎなんだろうなあ、とは自覚している。

ああ、中国

とある大学で聞いたんだけど、ある中国人の先生が入ってきたら、その人の論文の引用数がその大学で断トツに高く、表彰されたそうだ。で、その人のその年の研究発表リストが大学のホームページに掲載されて、それを見たら、10人ぐらいの中国人研究者が相互リンクして大量に投稿していて、その数が、明らかにほかのふつうの研究者の発表数とバランスが取れていない(1人だけ20倍30倍の発表数)

そうなっちゃうと、論文数がすご―い、って感心するより、かえって中国の信用を失う結果になっているように見える、って言ってたな。僕もなんだかそう思う。その中国人先生も、少しセーブして最低でも自分が筆頭のペーパーだけを自分の大学では公表すればいいのに(もっともそれでも多い)、と思っちゃうな。

僕は、過去に日本に新しい文化を伝来してくれた中国、その昔には孔子が出た中国、仏教と儒教をベースにした高いモラルなど、中国をずっと尊敬してきたのだけど、昨今の中国には閉口することが多い。金と権力とクオリティを極限まで追求する浅ましい亡者に見えることが多くなってしまった。

世界のアカデミアもおそらくかなりの部分、中国人に支配されているんじゃないかと、なんとなく邪推してしまう。

ところで中国といえば、大学生のころ中国料理に魅せられてから、もう40年以上ずっと、作ったり、食ったり、調べたりしている。

僕が好きだったのは、中国料理は、それがいかに絶大な権力を持つ皇帝の料理由来の宮廷料理であっても、そこに消されることなく刻印されている中国庶民の感覚だった。どんなに贅を尽くした高級なものにも必ず付きまとう庶民感覚。それこそが、僕が心に抱き続けた中国文化の尊敬と憧れの対象そのものだった。

それは広大な土地に生きる無数の庶民の群れと、それを統治する絶大な権力の間に共有、共感された文化そのものの姿で、それが中国料理の膨大な世界にいちばんよく表れていると思った。

これは、一神教のもとに人民主導の民主主義というフレームワークに行き着いた西洋圏と鮮やかな対照を成していると思った。そういう意味で、「僕にとって中国料理は別格で、西洋思想と対をなすもの」だったのだ。

昨今の状況を見ていると、この僕が尊敬する中国文化が、だんだん見えなくなりつつある。もし中国が、明示的には毛沢東から始まる唯物論に完全に侵されてしまったとすると、これは恐ろしい。庶民にはいまだに共感されている形而上的な感覚が、権力中枢とエリートたちから遮断されてしまったとすると、おそらく彼らエリートたちは留まることを知らずに突き進むだろうと思う。

ただ、それでも、僕はときどき中国本土を訪れ、そのへんをほっつき歩いて場末で食って飲めば、変わらず執拗に維持された中国庶民感覚にいまも圧倒されるわけで、こういうものが無くなるはずがない、と確信する。

でも、中国上層の人々は、いま、もういちど、孔子や仏教の国だったことを思い出し、その強靭な庶民感覚を上層エリートの世界にもきちんと持ち込んで欲しい。

実は、以上の事情は、日本もほぼまったく同じである点、同じ東洋の国という気がする。