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異国の食いものの話

僕の住んでたスウェーデンのウィスビーに、スウェーデン人の旦那とロシア人の奥さんの夫婦がいて、ときどき、遊びに行ってた。

で、ロシア人の彼女が作るパンケーキとボルシチが美味しくてねえ。長年に渡って作られた家庭料理ってすごいなあ、って思った。パンケーキは、彼女、毎朝焼いてるんだけど、変哲ないけど絶妙な味と食感がすばらしかった。そしてボルシチはベジタリアンなやつだったけど、野菜だけでこんな風にできるんだ、って感心。この料理、いままでレストランその他でずいぶん食べたけど、彼女のボルシチがいちばん美味しかったな。

一方、ご主人のスウェーデン人の彼は自家製ビール作りが趣味。リビングに改造冷蔵庫が置いてあって、冷蔵庫の中にビールのあの巨大なボンベみたいなのが2本入ってて、側面に開けた穴にビールサーバーの蛇口がついてんの。で、常に冷えた自家製ビールがそこから飲み放題なの。で、このクラフトビールがまたおいしくてねえ、飲み出したら止まらない。飲み放題だしね。

オレはオレで自家製のどぶろくを持って行ったっけ。なじみの無い味なのか、微妙にウケなかったが(笑

あと、そういや、シリアから難民入国でスウェーデンに来た、わりと若い男性の家にお呼ばれしたことがあって、彼がけっこう豪華なシリアの家庭料理のフルコースでもてなしてくれた。シリアでは男性が料理するのかな。で、これがまたまた絶品の家庭料理なのよ。使っているオリーブオイルは取り寄せで、オレ、あんな素晴らしい味のオリーブオイルって、おおむかしギリシャへ行ったとき以来初めてで感動した。数々の料理は、見たことも無いような独特なもので、本当に美味しかった。

あ、あと、やはり中東から来たおばさん連が作ったお菓子を、おすそ分けでもらったことがあって、これがまた旨かった。羊系のなんらかの脂と大量の砂糖で作った、かなりあくどくて劇的に甘いお菓子だったが、食べてて、意識が中東のあの世界にトリップしそうな独特な味で、感動した。

まだあった。あるとき中国人の先生がオレの学科に着任してスウェーデンで一人暮らしを始めた、彼がオレと同じく料理が趣味で、中国料理のすべての材料を通販で取り寄せ家で調理してた。あるとき、彼の家にお呼ばれして、彼が郷土料理をフルで作ってくれた。北方出身で、どこか場所を忘れちゃったけど、その料理がもう、これは、今までのどこでも決して食ったことのない独特な中国料理で、今でも自分の語り草として残っているが、本当に感動的だった。まるで、中国の地方の奥地のお家にお呼ばれして食べているような、そんな料理だった。

オレがスウェーデンに移住して本当に良かった、と思ったのは以上の異国の本場料理を食えたことぐらいかな。

長くなったけど、最後にもうひとつ思い出したのでついでに書いとく。これは僕の中では貴重中の貴重なスウェーデンでの経験で、別に書いた方がいいかもだけど、僕より年配の生粋のスウェーデン人の先生がいて、彼は奥さんが亡くなって一人暮らしなんだが、彼が自宅のディナーに何回か招待してくれた。そこで、ダイニングルームの調度品から食器まで完璧なヨーロピアンな中で、彼自らが調理したイタリア料理のフルコースをふるまってくれた。彼はスウェーデン人だけどイタリアフリークで、毎年フローレンスへ訪れるほどなのである。

それでそのディナーだけど、これは、もう、何をかいわんやで、僕がスウェーデンの十年で高級レストランも含めて食べた西洋料理のなかでも、ダントツに素晴らしかった。美味しいなんてもんじゃなく、スープからデザートまで、すべて絶品だった。彼、なんであんなことができるんだろう。ヨーロッパの趣味人のレベルというのは桁違いだな、と思ったよ。

そしてそのとき特別に抜いてくれた、希少だという年代もののイタリアワインは赤だったけど、あれ以上の赤ワインを、生涯でオレ、飲んだことが無い。ほんのかすかな雑味もないあっさりした清水のような飲み口なのに、深い深い味と香り。この世にこんなすごいワインがあったのか、というほどだった。

とまあ、結局、オレ、昔からだけど、異国文化は食い物から入るのよね。そして、食いものに終始するのかもしれない。

汎用人工知能(AGI)

これはずっと前から言っているのだけど、脳の機能というのは「制限する」ことだと思う。僕の感触では、生物には、本来はおよそあらゆるものがすでに見え、感じられていて、脳や、目とか耳とかの器官というのは、その、世界にすでにある、あらゆるモノが生物に無尽蔵に流れ込んで来て起こる無意味な混乱をせき止めて、それを生物の行動にとって意味ある知覚認識になるように「制限」をかけている器官の数々だと思う。

この考え方は、フランスの哲学者ベルグソンのもので、彼がこうしたアイデアを唱えたのはいまから百年以上前のことである。僕は彼の著作を何度も読むうちに、正確な理解は難しいながら、世界に対する全体的なイメージ図を、このベルグソンから引き継いだのである。なので、そういう意味で、上述は僕の単なる思い付きではない。

たとえば、麻薬やある種の薬物は人に幻覚を引き起こす。これらの物質は脳に働き、脳の機能を麻痺させる、あるいは過度に活性化させ、脳の機能を狂わせ、それによって幻覚を起こす、と一般には考えられていると思うけど、上述に照らすと、それはちょっと違うと思う。これら薬物は、脳の外界を制限する機能の一部を破壊して、その部分を無防備にするのだと思う。そうすると人の周囲の外界にすでに存在している錯乱が、脳で止められることなく、意識に侵入してくる。それで幻覚を見るのである。

この事情は、およそヴォワイヤン(見者)系の芸術家なら自らの経験からよく知っているはず。それは、ヴァン・ゴッホでもいいし、ランボーでもいいし、モーツァルトでもいいし、ドストエフスキーでもいいだろう。

だから、昨今のAIに関する議論で、AGI(汎用人工知能)が出来る、出来ない、いや、すでに出来ている、と、喧々諤々の騒ぎだが、僕にとってはAGIの議論ほどバカバカしいものはない。

前述の考え方から言うと、「知能」というのは、「人間」により作られた「制限」そのものに過ぎない。したがって、その知能をAIで実現する、というのは、単に人間がどのような知能という制限をAIに課すか、というだけの問題で、現在取りざたされるAGIは、お話にならないほど狭い人間的活動だけをターゲットにして、それを実現するために必要な制限を作って掛けているだけに過ぎない。

人間の広大な認識思考は、知能という制限をはるかに超えている。知能がAIで実現され、AGIができあがって何かいいことがあるかというと、それはひとえに、そういうお話にならないほど狭い知能というものをもって、人間は知能を持つ優れた存在だとする、そういう愚かな、主に科学主義な連中をAIに置き換えて、世間から一掃させることぐらいしか思いつかない。

彼らは単に、自分で自分の首を絞めて、自分らを世の中から抹殺しようとしているに過ぎない。どういう料簡なのだ、と思う。

ところが、そういう彼らは、自分たちはAIを一段高い見地から見て論じている、という自負があるせいなのか、自分たちはAGIでリプレイスされない層にいると信じて疑っていないように見える。でも、たぶん、AIが進歩すれば、もう彼らみたいな知識層は不要になる。理由は、AIと同じで、彼ら、下らんことしか言わないからだ。

でもそれは、彼らという「人間」が不要になるわけではない。不要になって置き換えられるのは彼らの「知識層としての仕事」だけであり、彼らという人間はそのまま残り、その後も、飲みも食いもして、泣いて笑って生活する、そんな人生は続くわけである。めでたくAGIが実現してシンギュラリティが来て、彼らのつまらない学問知識をAIに委譲して、ようやく彼らも「人間」に返るのか、って思わず言いそうになる。

で、これが皮肉ならカワイイもんだが、シャレにならないほどそのまんまかも、とついつい思ってしまう。

頂き女子

頂き女子の話、なかなかド外れていてすごいが、女も、はまるバカ男も、ホストとかも、実はオレはかなり共感できたりする。こんな詐欺まがい(あるいは詐欺そのもの)に引っかかって何千万もつぎ込む男はバカに違いないが、これは、もう、ファンタシーだよねえ。もうさあ

Is this the real life? Is this just fantasy?

って思わず口ずさんでしまうよ。

いまのこの日本の世の中だけど、すべからく人間というのは昔からそういうものだとはいえ、社会を見る側の人間があるファンタシーに冒されていれば、日本の世間はすでに餓鬼や畜生ばかりが闊歩する地獄の様相そのものでしょう。

そんな世界を日々見て生活しているときに、そこに、頂き女子が現れてファンタシー提供してくれれば、カネがあれば逃避ぐらいするさ。いや、オレはすでにもう、それは、逃避だとも思わない。

社会全体がひとつの大きな詐欺である、と言ってひとつもおかしくない、そういう世界がひたすら進行している。その只中で、自分こそ正常であり正義であり少なくとも騙されていない、と自信を持って語っている人の方こそ、オレには愚かに見える。

そのむかし、小林秀雄を熟読し、そして、長らく敬遠していた池田晶子をようやくいま読んでいる自分は思うが、その昔、小林が世の中に絶望し、20年後に池田が世の中に絶望し、さらに20年後にオレが世の中に絶望している。

そして小林が鮮やかに言い放ったように

「絶望の中から物を言わんと願う者は詩人である」

ということ「のみ」を信じて、小林秀雄も、池田晶子も、文を紡いでいるわけだ。願わくばこのオレもそうであらんことを、ってことだ。

でもね、絶望な世の中に沿ってただ生存しているだけの大多数に比べれば、この頂き女子や騙されるバカ男の方が何倍いいか分からない。ましてや、絶望に気づこうともしない体のいい秀才については、なにをかいわんやだ。

Anyway the wind blows…