なんか生成AIから急速に興味が無くなったんだが、なんでだろうな。
オレ自身は日々、いろんなものを生成しながら生きているのでそれで十分で、機械に生成してもらう必要性を感じないからかもな。
これって、ひょっとすると、スウェーデンをすでに引退して、ゆくゆく日本も引退する、という人生のタイミングだからかもしれない。結局、自分が少し前まで生成AIを使ってみて、関わって、あれこれ考えていたのは、具体的な仕事が自分にあったからで、そのせいだったのだろう。それがなくなってしまったいま、あとは自分次第であり、自分の場合、AIは急速によそ事になってしまった。
いまは、オレはオレだけの身一つで、なんだって生成できる。そう考えればAIなんていう稚拙なマシンは不要になった、ということなのかな。
あと、もうひとつ、オレ、現AIの裏で行われている「リベラル縛り」がイヤでたまらず、現在の生成AIから出て来るものはすべてその制約の中の生成であり、読んでも、見ても、聞いても、極めてどうでもいいもの(僕基準で)しか出て来ないと感じる。そのせいで、AIを見限ったのだろう。
たとえば、僕が、それでもまだよく利用するOpenAIのChatGPTを使っていると、そのリベラル縛りがよく感じられる。使ってると紙背にサム・アルトマンの顔が守護霊みたいに浮かんでくる(笑) 画像生成の方は、ChatGPTほどひどく感じないが、やはりなにかリベラルな人々が好きそうな絵に引きずられる傾向があって、古典絵画野郎な自分はときどき、出て来た絵にイライラして、放り出してしまう。
もちろん、以上はAIの問題ではなく、生のAIに被せたアラインメントの問題なのはわかっているが、こちらからは手の出しようがない。
これを克服するには、自分でAIを構築し直す必要があり、おそらく世界で、日本で、多くの研究者が取り組んでいるだろう。きっと、ChatGPTやDALL-Eなどなどリベラル臭芬々なAIと、ぜんぜん異なる生成AIがこの先、巷にあふれるだろう。
しかし、そうなったらそうなったで、これまで数に制限のあったアーティストが巷に溢れかえるということになり、そんなに大量のアートを、ひとりのオレが関われないよ、ってことになり、またまた興味が薄れそうだ。
というわけで、オレはもう「生成オレ」で十分なので、それでかなりしばらくは生きてゆくよ。