境界知能

これはちょっと久しぶりに目が覚める話だった。

IQや境界知能のことはけっこう調べていて、知ってはいたが、これまである意味、客観視していたのだが、これを見て、これはオレだ、と思った。見方が客観から主観に移った。

口幅ったいが、測定された僕のIQは高めなのだけど、一種の生きにくさ、というか異人感をどうしても振り切れなく、最近など、それが高じて、一体オレは何者なんだ、と自問自答する始末に陥っていたが、その正体が分かった感じ。

僕が、これまでずっとずっと、小学生のころから、いわゆる境界知能らしき人々に強烈な共感を覚え、その逆の高IQの人々に強烈な反感を持って来たのは、オレ自身が、境界知能的なものをもって生まれて来たからみたいだ。

僕の説によると、IQというのは今現在の欧米主導な現代社会の基礎になるもので、社会が先にできてて、その中でIQが測定され能力が決められてハイアラーキーができるのではなく、人間の能力として極めて狭い範囲だけを対象としたIQの方が先にあって、それに従って設計されたのがこの現代社会だ、という逆転発想である。

もっと言うと、このIQは科学と整合性が良く、見ればすぐわかるが、正直、科学で業績を上げるのは高IQの人に限られている。そして、科学は目に見えるものしか扱わず、目に見えるものの最たるものが「物質」である。したがって科学主導の社会は物質の性質に依って立っている。

恐ろしいことに昨今のAIの出現で、知的能力というものが物質的な機械で現すことができることが分かり、知的能力とは単なる物質の振る舞いに過ぎない、ということが(自分的に)明らかになった。

僕らは物質の振る舞い由来のIQに縛られて生活している。

もっとも、これをあまりしゃべり過ぎると、陰謀論に直結するので、これ以上は言わないが、僕の、「知性とは物質の別名である」という考えは捨てない。本当はいつか、これを証明して、世に問いたい、と思い続けてきたが、めんどくさくて手を付けてない。

まー、今後もやりそうもないが、単発でそういうことの発信はこれからもすると思う。

それにしても、オレのスウェーデン移住の十年は、このことをみずからに思い知らすための経験だったんだな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です