月別アーカイブ: 2012年9月
草津
どうも海外赴任を前にして心が落ち着かないので少し文でも書いて気を紛らせようと思う。このまえ草津へ旅行へ行って来たので、そのときのことと、そのとき思いついたことでも、書くことにしよう。
草津へ行ったのは初めてではなく、たぶん二回目。とはいえ最初に行ったのがたしか家族旅行のときだったはずなので、40年は前だと思う。恐ろしく久しぶりに来たことになる。今回、改めて行ってみて、草津の温泉地の町がとても大きくてびっくりした。僕らは草津ホテルという創業100年のわりとよい旅館に泊まり、純和風の角部屋も、かけ流しのお湯も、純和風の食事も、何もかも快適だった。
ホテルに着いて、すぐそばにある西の河原へ向かう。湧き出た源泉が作るいくつもの池が点在する、火山岩が一面にごろごろ転がる斜面がある。強烈な硫黄の臭いと、あちこちから噴き出す水蒸気、ペンキで塗ったような鮮やかな緑色に染まった水溜りや、小川、といった中を、ゆっくりぶらついて斜面を登ってゆく。僕は以前、恐山へ行ったことがあるけれど、あそこをちょっとコンパクトにしたような感じだった。
その先には大きな露天風呂があるのである。露天風呂はひとつしかないが、ほとんどプールのように広い。晴れた空、そして山に囲まれた広々とした湯は実に気持ちがいい。
西の河原はその先に続く遊歩道の入り口でもあるので、ハイキングの装いで歩く人が多いけど、僕らは草津ホテルがすぐそばなので、浴衣に丹前をはおりセッタ履きでのんびり散策である。
お湯の後には冷えたビール、ほどなくして部屋出しの食事、さらにビール、と、くつろぎの極地だね、日本の老舗旅館。
むかし、日本住まいの長い韓国人の友人が言っていたが、日本の温泉旅館ほどすばらしい場所は世界中どこを探してもない、って。門をくぐるともう後は王様だ。よそ行きの洋服なんか脱ぎ捨てて、着物姿に下駄で至れり尽くせりの施設の中を王様気分で闊歩できるというのはすごい、と言っていたよ。たしかに、そうだね。
実は僕はこうして温泉旅館に来ると、飯を食ったあとは、ざっと風呂を浴びて部屋に戻り、テレビを見ながらだらだらとさらにビールを飲むのを常としている。僕の自宅にはテレビが無いので、久々に見るテレビがすごく面白いのである。
その日もそうしてテレビをつけてみた。ところが、しばらく見ないうちに番組にえらく見るものが無くなっていたらしく、チャンネルを変えても見るものがない。加えて今ではどのチャンネルでもハイビジョン画質の番組をやっているわけだけど、画質と解像度が高すぎて目に痛い。創業100年の宿の和風の極地みたいな部屋の中のハイビジョンがぜんぜん釣り合わないのである。古い旅館はやっぱり画質が悪い古いテレビで電波も悪く粒粒ノイズの乗ったみたいな絵の方がなんだかうまくフィットするな。特にNHKは同じハイビジョンでも他の民法よりさらに画質がよく、古旅館で瓶ビール飲みながら見るには「眩し」すぎて見るに耐えない。
僕はイヤになってスイッチを消し、ぼんやり外の夜の山を眺めながらビールをちびちび飲んでいた。
ほどなくして奥さんがお湯から帰ってきて、ちょっと夜の街を散歩しようよ、って言うのですぐに同意して出かけることにした。実は、これは、けっこう珍しいことで、だいたい夜は僕は床敷きの布団にねっころがってテレビとビールが多いのである。
彼女はカメラが趣味なので、歩きながら立ち止まってはあちこち写真を撮っている。さらに彼女はどっちかというとアート系なのでカメラを向ける被写体がいちいち変で、それでなんか見つけると、いつまでも被写体の周りを移動しながらああでもないこうでもないとシャッターを切っている。そんな調子なので、歩みがぜんぜん進まず、ものすごく遅い。
一方、僕は、元来が歩みはのろい方なので、それはぜんぜん気にならず、やはりぶらぶらしながら路上で見つけたどうでもいいものなどに見入りながら歩いている。その点、利害がそこそこ一致していてよかった。
しばらくして夜の湯畑に着いた。
湯畑は、草津町の中心にあって、ここから出る源泉を木でできた畑みたいなところに通して温度を下げ、それを各温泉風呂へ供給するのだそうだ。しかし、湯畑はこんなに広くてにぎやかだったんだね。きれいにライトアップもされ、なかなかの見ものだった。周りにはお店がひしめき合っていて、けっこう栄えている。ただし、昔の風情のようなものはきれいに無くなっているようだった。
40年ほど前に行った草津はほとんど覚えてはいないけど、おぼろげながらはっきりとした感じは今でもあって、それは当時子供ながらに見た光景としても、けっこう強烈な温泉情緒があったことだった。湯畑にも行っただろうし、温泉町も歩いただろう。覚えているのは、あたりに漂う湯の煙、ごつごつした岩、そして斜面、強烈な硫黄臭、といった風なのだけど、そんなひなびた情緒は少しもなく、あっけらかんとした観光地だった。もで、まあ、別に悪いことじゃない。ひょっとすると僕は湯畑と西の河原を混同していたのかもしれないし。
湯畑から戻るともうずいぶん遅い時間で、そのまま寝た。
翌日、これまた珍しく早朝の6時すぎに起き、西の河原の露天風呂へ朝風呂を浴びに行く。あいかわらず広大な風呂に2,3人が点々としているだけだ。不思議と若者が多い。草津には老人の湯治客風もいるにはいるんだろうが、おしなべて少なく、大半は若者な感じだ。
その後、これまた部屋出しの純和風な朝飯を食ってくつろぐ。それにしてもどの料理を食べても繊細で、工夫があって、美味しい。僕はここ何回かスウェーデンへ行っており、あちらへ行くと痛感するが、こんないちいち繊細な料理は西洋には皆無と言っていいかもしれない。日本の格上の温泉旅館はこの食事のよさがあるからいい。
10時に旅館を出て、バスの時間までずいぶん間がある。どこへ行こうかと思ったけど、結局、草津熱帯園というところへ行くことにした。そっちへ向けてのろのろ歩き始めた。
草津熱帯園は、古かった。人はまばらに入っているけれど、係の人は園内の広さに比べておそろしく少なかったと思う。後で知ったが、昨年、親会社が倒産し、加えて震災で客が来なくなり、潰れかかったが何とか持ちこたえて今に至るそうだ。でも老舗の動物園で、けっこう名が通っているそうだ。
入り口を入ってひとしきりいろんな昆虫の標本を見た後、いったん外へ出ると少し離れたところに巨大な半球状のドームが見え、これがまた外から見ると、まるで100年前に不時着した宇宙船みたいなルックスと色合いでなかなか見ものである。階段を下りた左手にはサル山。
サル山には相当数の日本ザルがいたと思う。近くに猿えさというものが売っている。粗末な小屋の前に板が渡してあり、そこに角切りの野菜が入った小さなザルが並んでいる。小さな箱があって100円玉を入れてセルフサービスでザルごと持ってゆく。小屋の中をのぞくと台所のようなところがあって、まな板と包丁が置いてあり、切りかけのニンジンやナス、キュウリ、カボチャがごろごろと散らばっていた。
客は相変わらず若者のグループが多くて、猿えさを買ってサル山へ行き、外から中にいるサルに野菜のかけらを投げ始めた。野菜のかけらを投げるとサルたちがそれを上手にキャッチして食べる、サルたちはみなこの趣向を知っているので、若者が投げ始めると寄って来て、なかには後ろ足で立ち上がり、両手を合わせて「ちょうだいちょうだい」みたいなジェスチャーをするのもいる。というわけで、彼ら無邪気にキャーキャー騒いでいる。しかし、山のサルみなが来るわけではなく、ほんの数匹が集まるだけで、他のサルはあまり気に留めていなかったりするので、まあ、なんというかサルたちも客サービスの一環としてやっているだけかもしれない。
僕は少し離れたところにいて、コンクリートのへりに寄りかかってその光景をずっと見ていた。
このサル山と小道を挟んだ向かいが例の巨大ドームで、そこに熱帯動物が山ほどいるのである。しかし、その前に、目に付いたのが、ドームの外の少し外れたところに見えた小さな檻であった。看板が出ていて、そこには「この猿は人間に飼われていたせいで仲間になれなくなってしまった猿です」みたいに書かれている。整備されていない雑草の生えた小道みたいなところを下ってゆくとその檻のところへいける。誰も行く者はいない。
行ってみたら、コンクリートで作られた狭い独房が4つ並んでいる。高さ1メートル、奥行き2メートル、横幅が2メートルぐらいでえらく狭い。正面には鉄網が貼ってあり、中が見える。そのときには独房のひとつにはたして日本猿が一匹だけいた。
人間に飼われていた猿が成長し大人になると手に負えなくなり飼えなくなり、結局、処分してしまう、ということをときどき聞いていたが、この猿もそのうちの一匹で、飼い主が動物園に押し付けた形だったのだろう。人間が育てた猿は、サル山には入れない。猿社会に戻れないのだ。
独房の猿は、これは、見るに耐えないほど惨めで可哀想な存在だった。がらんと狭い剥き出しのコンクリートの向こう側の壁に、体の右一面を押し付けて、しゃがんでうつむいて下を見たままびくともしないのである。寝ているわけではない、目は開いているのである。でも下を見たまま微動だにせずうずくまっている。
見れば誰でもすぐに分かると思うが、人間でいえば、完全な精神病患者だった。人間と暮らした自由で幸せな日々は頭のどこかにまだその記憶はあるのだろう。そしてその当の人間に永久に裏切られて、こうして独房の一室で死ぬのを待つ身になったのだ。その心の痛みが剥き出しのまま目に見えているようで、見るに耐えない光景だった。
その日はまだ夏の暑さが残る9月の初旬で、あたりを直射日光が照りつけていた。
僕はなんだかその場にぼんやりと立って、こんな風に思った。こんなことは言っちゃいけないかもしれないが、サル山で投げつけられるえさにちょうだいちょうだいしているサルも、見捨てられ独房で独り死ぬのを待っている猿も、特に人間社会と変わるところは無いのかもしれない、と。ただ、猿たちの方が事情が先鋭化していて、剥き出しで、救いが無いだけで、人間社会の方はそれほど辛くならないように何かしらの息抜きが用意されている、という違いだけだ。本質的な事情はそれほど変わってはいない気もする。
だいぶ悲観的なことを書いているけど、実はオレはだから猿にあまり近寄らないんだ。まるで剥き出しの自分を見ているようでイヤになるんだ。
サル山を抜けて巨大ドームの中へ。これまた古い柵や、檻や、水槽や、池などなどに、あらゆる熱帯の動物がひしめき合っていた。ドームの中は蒸し暑くて、ひととおり順路に沿ってそのまま歩いて外へ出てしまったが、じっくり見る気があれば、かなりの見ものがたくさんあったと思う。
ドームから再び夏の空の下へ出た。草津熱帯園はなかなかに濃い場所だった。でも、外見は幸せそうに見える動物園よりもお勧めかもしれない。
さて、再び湯畑へ戻り、昼飯を食いに老舗っぽい蕎麦屋に入り、鴨汁付け蕎麦を注文した。これがまた絶品で、瓶ビールを飲みながらいい気分だった。かくのごとく、人間社会には息抜きがたくさんあるのだ(笑)
草津一泊旅行はとても楽しかった。草津よいとこ一度はおいで、と言うが、なんど行っても楽しそうなところなので、特にまだの人には草津は、お勧めである。