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ストックホルムの移民街

ストックホルムで移民がいちばん多く住んでいる街Tenstaと、その隣のRinkebyへ行ってきた。セントラルから地下鉄で20分ほど。この地域は移民の人口が70%以上で、治安的にもスウェーデンで一番悪いそうだ。ちなみに2番手はMalmöで、ストックホルムでは無くてコペンハーゲンに近い国境で人種混合しており、治安悪化は、まあ、うなずける。
 
今回行ったTenstaは、昔、住居が不足したとき国の政策でたくさん作った、いわゆる団地に、その後、移民が多く住むようになり、今では大半が移民の地区になってしまった、という経緯だそうだ。この地域に隣接したHusbyでは、3年前に暴動が起こって街に炎が上がり、スウェーデンでこんなことが起こるのかとみな驚いたところである。要は、Tensta・Rinkeby・Husbyの一帯は移民だらけな地域なわけだ。
 
Tenstaの駅を降りて地上に上がると、別に何ということはない閑散とした街だった。駅の上にショップが並んだ建物があり、結局、それだけでほかに何もない。駅前には街並みもなく、すぐに団地がひたすら並んでいる状態だった。きわめて退屈なところで、そういう意味では殺伐としていると言えなくもない。ただ、団地を見るとそれほど老朽化しておらず、メンテナンスはされているので、スラム化とかいうのとはぜんぜん違う。つまり、ふつうの居住地区だった。唯一の違いは、歩いている人にスウェーデンらしき人がいないこと。ごくたまにスウェーデン人かな、と思う人もいたが、だいぶ貧しそうな感じだった。

Tenstaの駅前。左手の赤い枠が室内ショップの入った建物、右手はすぐ団地が続いている。奥の方に悪趣味な高層ビルが一つだけぽつんと建っている。

さて、Tenstaに降りても、何も見るものがなかったので、隣のRinkeby駅まで歩いてみることにした。団地を抜けると、ちょっとした草原になり、向こうに教会が見えた。行ってみると、教会の周りはだいぶ広い墓地になっていて、たくさんの墓石が並んでいる。ヨーロッパの墓石はいろんな形をしていてそれぞれユニークで見ていて面白い。ふと、墓地越しに立つ北欧の教会に黒い衣服の修道女が入って行くのが目に入った。この光景は美しかった。

TenstaとRikebyのちょうど真ん中あたりにある教会。周りは広い墓地になっている。

自分はスウェーデンに住んで5年目になるが、もうだいぶ食傷していて、スウェーデンの美しい風景がまったく心に響かなくなってしまっているのである。今日は、本当に、久しぶりに、僕が30年前に北欧古典絵画を通して知って、そのまま十年近く陶然として夢中だった北欧の美をここそこで見ることができて、それはとても良かった。

なんとなくゾンビが出て来そう(笑) それぞれにかなり趣向を凝らしていて、面白い。

この教会と墓地と周囲の美しい自然は、ちょうどTenstaとRinkebyの真ん中へんにあり、そこを越えてRikebyの街に入ると、また同じような団地が並ぶ。ほどなくして駅に着いた。こっちはTenstaよりは少しは活気のある所で、駅の上の広場をショップが取り囲んでいて、少しは街らしくなっている。ただ、そこを出ると、やはり同じようにすぐに団地だ。ただ、団地の一階部分にショップがいくらか伸びていて、本当に少しだけだけど、他ではあまり見られない異国情緒な店舗もあった。

Rikebyの駅上のショッピング広場。少しは活気があるが、道路とか全体がとてもきれいでゴミ一つない。

僕が行ったのが12月26日のクリスマス休暇中だったからかもしれないけど、移民が7割以上いるのに、なぜ彼らは自分の国では全開状態で繰り広げる中東アジア的カオスを、ここスウェーデンではやらないのだろう。街を歩いても、ゴミ一つ落ちていないのは、普通のスウェーデンの街とまったく同じで、中東アジアでは普通な、散らかって汚らしく放置されたところが見当たらない。

スウェーデンでは珍しい若干の異国情緒のある店。このように外にせり出して商品を並べているのを見るのは、まれなこと。

一つ気付いたことと言えば、ヘアサロンがすごく多くて、しかも、中をのぞくとお客さんもけっこういること。しかし、食い物飲酒より、ヘアサロンなんだね。僕は経済にも政治にも明るくないからわからないのだけど、スウェーデンでは移民が気軽に商売して儲けられる構造になっていないんだろうか。全世界にチャイナタウンを持つかの中国人ですら、スウェーデンではロクな街を持っていないのである。
 
知っての通り、スウェーデンは移民と難民の受け入れには非常に寛大な国の一つで、政策的にも完備していると言っていい。それができるのも、政治も、国民も、困った人を助ける慈善、異文化の許容、そして多様な人々の人権についての意識が高いからこそだ。僕もスウェーデンに住んでいて、その意識の高さは感じる。彼らにとってすごく重要な社会の要件なのだ。
 
しかしながら、こんな抜け殻のような移民地区を歩いていると、どうしても別のことを考えてしまう。
 
慈善と人権というもの自体が元来はヨーロッパのもので、それらの概念にはやはり西洋らしさが染み付いている、というか、西洋が基礎になって出来上がった概念だ。だから、それらを適用した結果できあがる社会が、西洋の枠組みと西洋文化の色をしているのは、言ってみれば当たり前のことだ。
 
街にはたくさんの異国人が歩いていて、人間だけ見ると、ここはスウェーデンか、と思うような風景なのだが、街自体は何の特徴もないつまらない場所だった。それで、どうしても思ってしまう。みな、故郷が恋しくないのだろうか。いや、ここにも仲間はたくさんいる。それは分かる。でも、異国の血は騒がないのか、こんな殺風景な街に毎日暮らして、老いて、死んで行くのか。
 
結局のところ、街自体に生気もなく、面白くないのでたいして放浪せずに、早々に電車に乗って帰ってきた。ストックホルムセントラルに戻って街を歩いていると、何の疑問もない。ここを見ている限りは、充実した古い美しい街だ。しかし、歩いていても何となく浮かない気分だった。
 
妙なことだけど、さっきまでいた周辺の移民街がもっとごみごみして汚なくて生活感満載だったら、きれいなヨーロピアンな街に帰ってきて、ほっとしてすがすがしく歩いたかもしれないな、と思った。

ナポリタン

昔、喫茶店のマスターをやってた知り合いがいて、その人から聞いた話。昼下がりの、客の少ないある日、ちょっとむさい感じの変なやつが店に入ってきて、ナポリタンをたのんだそうだ。で、ナポリタンを作って、その人のテーブルにタバスコと粉チーズと一緒に置いた。そしたら、その人、まず粉チーズをかけ始めたのだけど、それがいつまでもかけてて、とうとう空になるまで全部かけてしまい、ナポリタンの上に白いチーズがうず高く乗っかってる状態になった。マスター、カウンターの中で面白いからそのままどうするか見ていたそうだ。そうしたら、粉チーズを全部かけてしまうと、こんどはタバスコをかけるわけだけど、これがまた、いつまでもいつまでもかけてて、とうとうひと瓶ぜんぶかけてしまった。で、どうするか見てたら、おもむろに食べ始めたのだけど、2、3口食べたら変な顔して、それ以上食べず、そのうち「すいません」と呼ぶのでその人のところへ行ったら「これ持ち帰りたいんですけど」と言ったそうだ。で、マスター、そのタバスコで真っ赤になったチーズとナポリタンをビニール袋にドサドサってあけて口を縛って、お勘定したあと、はい、って渡したら、「ありがとうございます」ってお礼を言って出て行ったそうだ。ヘンな人もいるもんだ。

地獄谷のロシナンテ

大森駅の線路沿いの地獄谷の思い出を伝承している人はいるだろうか。お袋が大森に住んでいるから、遊びに行くときは、いつも地獄谷をチェックしてから行く。この前も行ってみたら、入り口近くの超老舗のラーメン屋の長崎屋がとうとう閉店していた。結局、入らずじまいだったな、残念。
 
で、これまでずっと気になっていたお店があってね、地獄谷の真ん中へんにあるロシナンテというスナック。およそ40年前、あそこは大森界隈の文学者とか芸術家とかのたまり場だった。かなり有名どころも通っていたはず、誰だか忘れてしまったけど。
 
ロシナンテのママは美人で知的で、昔の言葉でいえばマドンナ的存在だった。文化人の通う店のママとして彼女以上の人はいないみたいな、いい感じの女性だった。そういう知的な人の集まるところのママというのは、ママそのものがあまりに知的にふるまってしまうと、客だかママだか分からなくなるし、そもそも知的な芸術家系の人たちというのは、相応に我が強いもので、ママとぶつかっちゃったら洒落にならないし、客同士がぶつかったときママがどっちかに加勢しちゃったらうまくないし、っていう風に、ママっていうのは、なかなか難しいポジションだと思うんだ。

僕は常連ではなかったけれど、人に連れられて数回は行って、その様子を見ていたのである。店の常連客とかがなんか論争的な雰囲気になるときも、ママは、柳に風だったり、あるいは天然風にとぼけてみたり、はたで見ていても、本当に上手に受け流していた。ママ本人が本当はどういう人なのかは容易に分からないけれど、そのやり方が本当に素敵だった。わがままな常連客も、ママにはかなわんな、で収まってしまうのである。そんな、ママには、なんだか憧れがあったなあ。
   
で、その後、十数年たち、地獄谷とはすっかり疎遠になり、ほとんど足も運ばない状態が何十年か続いた。そしてここ十年ぐらいになるけれど、お袋のうちへ行くついでに地獄谷チェックをするようになったわけだ。

それで、年に一、二回地獄谷偵察に行き、そのたびにロシナンテの前を通るわけだけど、店の周りの敷地には、いつも大量の植物が置かれていて、店の入り口はその植物にずっと覆われたみたいになっていた。植物はきれいに手入れされているから、誰かしらが育てているのだろうけど、店が開いているようには到底思えなかった。
 
ロシナンテのママ、どうしただろう。死んでしまったかな、などと思っていた。
 
それで、ついこの前のこと、地獄谷の階段を降りたら、ロシナンテの前で、小柄なお婆さんが植物の手入れをしているのが遠目に見えた。え、ひょっとして、ママか? と思ったけど、遠くて分からず、とにかく店の方向に歩いて行った。実は、僕が店の前に来るまでのあいだに、扉から中に入ってしまったのだけど、5メートルぐらいだったかなあ、一瞬、そのお婆さんの顔がはっきり見えた。
 
たぶん、間違いなく、あれはロシナンテのママだ。面影がはっきりあった。すごく上品な感じの、いまどきは滅多にいない感じのお婆さんだったっけ。
 
僕の性格がこんなじゃなかったら、きっと声をかけただろうけど、勇気がなくてできなかった。でも、ママ、元気でよかった。