(Yahooブログに2010年2/28に投稿した文)
この前、同僚と話していてふと思い出した話。
今から30年ほど前、自分が大学生だったころ、ギターを弾いてブルースを演奏していた自分はロック研究会という音楽サークルに入っていた。ロック研には学内に音が出せる部室を持っていて、ドラムやアンプやボーカルアンプなどすべて揃っていたので、そこで適当に時間割を決めて部員のバンドが練習をしていた。
当時、大学生になりたての自分は、部に属してはいたが、完全な変わり者扱いであった。というのは、部の活動に貢献するということを全くせず、部員とのコミュニケーションもまるでとらない、バンドも自分以外はすべて外部の人間で、その他、およそ「協調性」と名付けられることを一切、まるでわざとのようにしなかったのである。それでいて、ブルースバンドとして演奏活動はしていて、部室を練習場として使って、学祭ではライブに出演したりはしており、回りからはブルースに凝り固まったかなり不可解なやつと映っていたらしい。
ある日、バンドの仲間と部室に入ってエレキギター2本で練習していたときのこと、途中から後輩の二人が部室に入ってきて何ということなしに雑談を始めた。練習していた自分はこれがうるさくて仕方なく、演奏をいきなり止めて、ギターのボディーをバンッと叩き、いま練習してるんだから静かにしろよ! と怒鳴ったのである。二人は一言もなくすごすごと不服そうに部室を出て行った。その後、相棒が心配して、おい、あんな風に言って大丈夫なのか、と言ったので、別にかまわねーよ、と答えたものだ。
恐らくこの事件があってからだと思うのだが、自分は部の中で不可解な変人からさらに進んで「嫌なやつ」という評判になったようだった。なんだか、色んなところで、そういう言葉が聞こえ始めたように覚えている。
さて、今の自分だったら、部の中で上記のような、部の他の人を人とも思わないような態度を取ることは絶対ないと思うが、逆に、そのときなぜそういう態度に終始したか、というのを思い起こすと、それははっきりしている。そのときの自分はおよそ「人間関係」というものが、はなから、まったく分からなかったのだ。文字通り、完全に自分の中に存在せず、抜けていたのである。部という集団があって、そこに属している人間は一種の仲間であり、ある決まりやマナーにしたがって人間関係を築きながら協調しないといけない、という今では当たり前のことが、まったく理解できていなかったのである。
と、いうことなので部の中で変人、嫌なやつ扱いをされていても、自分はまったく気にもかけなかった。普通だったら、人から嫌われている状態というのは居心地の悪いもので、気に病むものだろうと思うのだが、この事態を何らか収拾しようなどとはこれっぽっちも考えなかったし、平然としていたものだった。
人に、ある「概念」が欠けている、というのは不思議なもので、その概念を常識として備えている人たちから見ると、それに欠けた人間というのは、ひどく不可解で、腹立たしく、気持ち悪く、感じるもので、結局はその人を排斥する行動に出るものだと思う。しかし、排斥される側の当の人間にとっては、実は、ほとんどまったく良心の呵責の対象外なので、意外となんとも思っていないものなのだ。
そして、またある日、バンド仲間と練習をしに部室に入ったときのことである。この部室には一番奥に黒板がある。それを見ると、なんと、そこに、「林君は今後この部室で練習をしないこと」とでかでかと書かれていたのである。しかもその文句の回りに、ロック研の名だたる先輩の署名が20ぐらいぎっしり書かれていた。いま思うとかなり過激な宣告なのであるが、これまたそれを見たときの自分の反応がおかしくて、単に、へーえ、と思っただけで何の感情も持たなかったのである。
もちろん自分のバンド仲間はこれを見てあれこれ心配して、これじゃもうここで練習はできないかもしれないな、他のところでやらないとな、しかし、林、おまえ何があったんだよ、などなど。自分は、うーん、たぶん部外の人間としかバンドやらないからかな、でも、まあ、大丈夫なんじゃないの、みたいに答えた。まあ、それはともかく、いま思っていちばん変なのが、こういう仕打ちに対してまったく無反応だった、ということである。
さて、このように書かれたからといってすぐに部室を出るわけでもなく、まずはしばらく練習をしていたのだが、途中でたまたま先輩の一人が入ってきた。この先輩、黒板に目を留めると、なんだこれは、と言ってすぐに、「おい、こら、オレの名前もあるじゃねえか、オレはこんな署名してないぞ!」と叫んで呆れ顔。「おい、林、これはでたらめだぞ、気にしなくていいからな。それにしても、誰だこんなことを書いたやつは、こともあろうに先輩の名前を勝手に使って書くとはけしからんやつだ、これは問題だぞ!」と、一人でかなり憤慨している。
ここで、また、自分の反応だが、なんでこの先輩が憤慨しているのか、その意味がまったく分からなかったのである。いま思えば、たしかに他人の名前を勝手に使ってこのようなことをするというのは卑劣なことで、名前を勝手に使われた人間が憤慨して当然なのだが、自分にとっては、この人なんでこんなに怒ってるんだろう、という感じで意味が分からなかったのだ。ここでも、やはり、自分には何かの概念が完全に欠けてしまっている。その先輩はとてもいい人で、ずいぶんと自分を慰めてくれたのだが、そもそも自分には事情があまり理解できていないこともあり、はあ、と聞いていたが、「デヘヘ」とかなんとか照れ笑いの一つもしたであろう。そのぐらいのことはできたのであり、それで人間関係も何とか持っていたのであろう。
かくのごとく、少なくとも部の後輩たちとは険悪だったらしいのだが、たしか学園祭だかの打ち上げで大酒を飲んで酔っ払って大騒ぎして、それを機に何となく和解してしまった。まあ、青春の一こまだと言ってしまえば、それまだ。
ところで、自分だが、その後、これらの人間関係云々が理解できるようになったのはかなり遅く、大学に6年行っても分からず、就職して初任地の大阪に3年いても分からず、その後、東京に戻り、数年ぐらいしたころからようやく理解し始めたようである。これは、自分が先頭に立って仕事をまとめなくてはいけなくなってからだったように思う。
それにしても、人間関係とか、協調性とか、気配りとか、そういったことにつき、生まれながらにまったく欠けてしまっているように見える人間というのが時々いるが、自分はそういう人たちにけっこう甘いところがある。それは、こんな風に自分もむかしそうだった、ということもあるのかと思う。いまこの現代の日本では、自分勝手に傍若無人に振舞うことについて、極端に厳しくなっていて、そのような人が出るとこれを寄ってたかって排斥するような傾向があり、そういったニュースなどを知るたびに情けなく寂しい思いをする。周りから何らか外れた人間は、昔よりはずっと生きにくくなっていることは確かじゃないか。そんなとき、実は、たとえその人間が犯罪者級の輩であっても、密かに共感してしまう自分の心を抑えられない。
ただ、この共感は多分に抽象的なものかもしれない。その傍若無人な輩がもし、自分のテリトリーの中で騒動を起こしたら、自分も怒って排斥する行動に出るかもしれない。ただし、その輩が自分と距離の離れたところで騒動を起こしている限りは、むしろ、害悪を流す人間の方に共感する方向に走ってしまう。
社会において、そういう迷惑な人間が現れたとき、これを一種の世論の総意として寄ってたかって排斥する場合、実は、この距離感というものが大事なのかもしれない。寄ってたかって排斥する人たちの集団というのは、個々人は距離的にもちろんまちまちに離れているのだが、その問題児の周りにいて直接迷惑をこうむっている人間たちを、想像力のよって自分と距離感の近い存在として認めるのではないだろうか。つまり、まるで自分のことのように怒り、同情する。一種の共同体意識が働くせいで、個々人の距離が小さい状態を想像力で作り出すのではないか。
ひるがえって、なぜ、自分がこれら排斥する側の共同体の人間たちと逆の感情を持つかというと、きっと自分は、彼らを自分の仲間と見なしていないからであろう。そして、当の問題児の方に近い自分というものを見出すからであろう。
いまの自分はこの手の問題児ではない。しかし、たしかにまだ世間の垢にまみれていなかった頃の自分は前述のごとく、自分を縛る人間関係を意識しない存在だった。そういう過去の自分の姿に近いものとして問題児に対してある共感と愛情を抱くのだろうな。しかし、ここではっきり言っておかないといけないが、この共感も、愛情も、抽象的なものである。いわば心理的なものであり、実体や実質的な力を伴っていないようである。つまり、共感を持った問題児について実質的にこれを助けたり、排斥している周りの共同体に敵対してこれを変えようとしたり、という行動を自分は取りはしない。
しかし、こういう実質的な力を持たない心理的な「気分」を軽く見てはいけない。こういうものは無意識において知らぬ間に蓄積され、自分の実質的行動を背後からあやつるものなのだ。ここぞ、という決定の瞬間に、突然、その蓄積した力を発揮して、その人の人生を変えたりするものなのだ。
人生ってのは、不思議だな。