検索で未来予想するのは馬鹿げている

かつて検索とは、蓄積された過去の事実から今の目的に沿った情報を取り出してくる行為であったが、現代では「検索は過去を探ること」では必ずしもないと思う。「いま」という言葉には状況に応じて幅があり、最近の、たとえばツイッターなどの情報登録スピードと検索エンジンクローラーのスピードを考えると、現代では、十分に「いま」を検索できる。

「いま」を検索できるようになると、それを材料に「未来」は十分語れる。しかし、本当の意味の「未来」というのは、アラン・ケイの言うように「発明するもの」なので、未来を語るには、実は、いまの情報より過去の蓄積の方が遥かに重要だったりする。

「いま」が検索できるようになった恩恵にあずかることで、検索行為によって未来が予想できるようになったのだが、それを実際にやっている人たちが結局「似たような未来」に行き着いてしまい、さらにその大半が実際に外れてしまう、ということが起こっている。この罠は、実は、ネット上に大量に存在する「未来予想が科学的に可能だと信じている愚か者たち」が発する「予想を語る言葉」がこれまた蓄積されて、それを検索が引っ掛けてしまうところにあるのではないか。

と、いうことで、未来を発明できる賢い人になるには、地道な教養の蓄積が必要だ、という昔からありふれた結論に到達してしまうわけだ。

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