さいきん、文章をツイッターでぶつ切りで書くことが多くなり、まとまった文章を書くことが減った。ツイッターの140文字の制限はなかなかすばらしい発明だと思うけど、やはり、感覚的な、文体中心の表現になるので、いつしかそういう形式に向いたことばかりを書くようになるのは当然で、逆に、それに向かない話題はやはり少しは長い文で表現しないと無理だ。長文を書くのはそれなりに大変なのだけど、それにしてもいいかげん書き始めようか、と思い、このブログをリニューアル再開した。
じっさい、いろいろ書きたいことはあるんだけど、中でも、その内容が重過ぎてなかなか書き出せない話題がいくつかある。今日は、重い腰を上げてそれについて書こうかと思ったけど、いざ始めようとするとくじける。さて、何の話題のことを言っているかというと、それは「死刑」についてである。
でも、まあ、せっかく書こうと思い立ったのだから書き始めることにしよう。しかし、ここで持論を丁寧に辛抱強く論ずるのは、やはり大変なので止めておき、自分のスタンスと、それからそのスタンスに至った過去の思い出などについて書いておこうかなと思う。つまり、自分がこれまで死刑の問題というものにどんな風にかかわってきたか、その周辺を随筆風に書いておこうというわけだ。
まず自分のスタンスを先に言っておくと、僕は死刑制度には反対である。これが自分の立場だ。
僕が死刑について考え始めたのは大学生のころだ。その発端は、非常に単純なもので、ドストエフスキーの「白痴」という小説を読んだことからだった。大学生のころというと今から30年以上前のことになる。当時は、まだ学生たちが社会問題を活発に論じ合う雰囲気が残っていたころだ。ちょうど学生運動が収束しかけたころに自分は大学生だったので、当時の大学にはまだ「革命」という文字が入った立て看板があちこちにあり、それ系のビラもしきりに配られていた。そんな中でご多分に漏れず僕も社会問題に興味を持っていたかというと、実はそれは全く、無い。自分はそのころから社会問題にはきわめて疎く、興味を持つことができなかった。そしてそれはいまだに続いている。そういうわけなので、死刑のことについても、それを社会問題として考えることは自分にはなかった。
一方、大学生になって自分はドストエフスキーの小説に出会い、特に、「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」の4つの分厚い長編小説については繰り返し繰り返し読みふけっていた。よく知られているように、ドストエフスキーは、まだ若いころ当時の革命グループの地下組織に属し革命運動に参加していたことがあり、それがあるときに当局にばれ、たいした裁判もなされぬまま死刑宣告を受け、刑場まで連れてゆかれ、処刑寸前で皇帝の恩赦が降り、懲役に減刑される、という経験をしている。その強烈な経験はドストエフスキーの思想に大きな影響を及ぼしたらしい、当然であろう。そして、彼は「白痴」の主人公のムイシュキン公爵の口を借りて、死刑囚と処刑についての物語を語らせる。
若い僕は、このムイシュキン公爵の展開する物語に強い印象を受け、彼の主張をそのまま受け入れた。彼の説は、死刑というのは人間が人間に対して行う最大限の暴力であり、それは当の罪人が犯した殺人や虐殺よりもさらに一段上の罪である、というものだった。大好きな作家の作り出した、大好きな主人公がそう言うのだから、僕も素直にそれを正しいと信じた。これはいわばヒューマニズムに立った死刑反対論といえるものだ。ここでちょっと補足しておくと、では、殺された被害者とその親族に対するヒューマニズムはどうなるのか、と言うと、ムイシュキンはこんな風に言う。殺される人間は、自分が殺される直前まで助かるなんらかの可能性を残しているものだ。しかし、死刑というのは100パーセント確実に時間を指定されて殺される、というところに限りない残虐さがある、という。これは、間違いなく、作家のその人の体験を基にした考え方だと言えると思う。
さて、これが自分の死刑問題に関する出発点だった。その後、時間がたち、いろいろな人とそんな死刑の話しも含めて議論をしているうちに、僕は僕なりのスタンスを作っていった。当時、大学生だったころの自分は、ずいぶんとシリアスな人間でもあり、酒を飲んじゃあ周りの人間とああでもないこうでもないとシリアスな問題について口論していた。議論というよりは口論なのである。いま思うと誰も議論なんかしていなかったかもしれない。「議論」というのは論理のドメインを限って勝ち負けを決めるもので、善悪を決定するための方法ではない。当時の言い合いは、ドメインを限るなどというルールなど端から存在せず、最初の土俵からはすぐに転落し、場外乱闘に近い、広がるだけ広がった場で言い合いをしていただけで、互いにひたすら自説を主張し合っていたのに過ぎなかったような気がする。
そうこうしているうちに自分は社会人になるが、社会人になってからの僕の死刑に対する主張はこんな風に形を変えた。
現行の日本の死刑制度には反対。ただし、死刑を完全公開制にし、むかしのようにみなが見に行き、あるいは今風であればテレビ中継をして、完全に国民に開かれておりかつ国民めいめいがなんらかの形で立ち会う死刑ならば、賛成。あるいはこれは実現は不可能だと思うが、昔のようなあだ討ちが合法的に行え、被害者の近しい人が加害者を処刑するのなら、それも賛成。
いったい、何がきっかけでこのように考えが変わったかはっきり思い出せない。ただ、ムイシュキン公爵が主張するヒューマニズムの立場からの死刑反対についてはどうやらそぎ落とされてしまっていることが分かる。つまり、人間が人間に対し100パーセントの確実さを持って死を宣告し殺すことについては「かまわない」と言っているわけだから。ムイシュキン公爵の説は、やはり自分の生来の感覚にはなじまなかったと見える。ちなみにこの公爵の死刑に関する演説は、いま読んでもとても面白くて魅力的なので、読んだことがない人は読んでみるといいと思う。小説「白痴」のごく最初の方、第一編の2節と5節あたりで、ペテルブルグに着いたばかりの公爵がエパンチン家のサロンに突然現れて皆の前で長々と話をする場面に出てくる。
さて、そのころの自分にとって死刑の何が許せなかったかというと、それは明快である。それは「死刑を実行する主体」が明確でない、というところに尽きた。死刑は国の制度であり、現在、日本国は民主主義制度に基づいて成立運営しているので、国が実行することは国民の総意によるもの、ということになっている。すなわち死刑を実行する主体は国民である。それなのに、当時、刑が決定した後、いつ、どこで、誰が、死刑にされたかどうかすら国民には知らされない。国による処刑は、どこか分からないところでこっそり執行されている。仮にも人一人の命を落とすことについて、そんな秘密裏にやることは許されるべきではない、と考えたのである。
もうちょっとダイレクトに言うと、死刑は国家による合法的な殺人である。その殺人の是非については問わないが、国民1人1人が、手を下してその殺人を行っているということを、皆が責任を持って意識してはじめて、その殺人は意味として成立するのである。殺人者という社会の邪魔者が出たとき、それを皆で特定だけして、後は死刑執行人に汚れ役だけやらせて殺させて、当の国民めいめいはのうのうと何事もなかったように生きているとは何という不健全さ、そして欺瞞か、と思っていたのである。だから、死刑の現場を公開にして、国民みながそれに立ち会うことで、合法的な殺人の意味を常にみなで支えていないといけない、と考えたのだ。
ここまで来ると、実は、先のムイシュキン公爵の説のいくらかは自分にも残っていた、と思えないこともない。というのは、国が国民の総意に基づいて行う行為は恐ろしく多岐に渡り、その中には死刑ほどでなくとも、かなり汚れ処理に近いものもあるはずだから。それらについては触れずに、ただ死刑だけを取り出して主張するということは、やはり「死刑」というものを何か「特別なもの」と考えているということだ。そこにはムイシュキン公爵の影響が色濃く出ていて、すなわち、死刑という行為は人間が人間に対して行う行為の中で最も特別な、残酷な行為である、と考えている。同じような国家の合法的殺人には「戦争」というものがあるが、それよりもはるかに残虐な行為と位置づけているのである。
思い出すがその昔、「ジャンク」という名前の残酷ドキュメンタリー映画が流行ったことがあった。僕は見なかったが、トレーラだけは見た。その中に、アメリカの凶悪犯が電気椅子で処刑されるところを映した場面があった。体格のいい毛むくじゃらな大男が目隠しをされ電気椅子に固定されているところを正面と横から映している。あと何秒かでスイッチが入り通電し死にいたることを彼は確実に100パーセント知っている。その屈強な大男は額にだらだらと汗を流し、大きく肩で息をしていた。この映像は当時の自分にはショックで、耐えられないものだった。恐らく残酷な殺人現場というのはこういうもので、そういったものは普通は公には見られないものだろうが、死刑の映像はこのように公になる。そして普通の殺人は殺人者が加害者だが、この死刑については「我々国民」が行為者ということになる。
死刑制度が民主主義の下で存続しているからには死刑は合法的な行為であり、通常の殺人とはそこが決定的に異なっている。しかし、殺人という意味では同じだ。このジャンクという映画のこのシーンはそれを端的に示していた。(原注:その後、この映画はやらせだと判明したそうだが、それでも別に趣旨に影響はない)
以上のように考えていた30歳前後のころの自分は、ずいぶんいろいろな人とこの死刑について口論した覚えがある。どこぞの飲み会の三次会ぐらいの夜半過ぎに、そのとき初めて話す人と飲み屋で酔っ払って口論したことを覚えている。その人は僕より年上だったが、この死刑に関する僕の説を聞き、林君の言うことはすべて間違っている、と言われた。その人は、被害者と被害者の家族について言い、何であろうと正義はこの場合国の方にあり、処刑される犯罪者に正義は無いのだから、被害者側の心情を考えれば処刑されて当然であり、そしてそれにつき我々が処刑が当然と考えている限り、それを民主国家である国が代行することについてなんらの問題もない、という風に言っていたと思う。当然、僕は、それは問題の局面が違うとか何とか言って一晩中噛み付いていた。
さて、そんな30代が過ぎてから、自分はもうそういった社会問題に関することについて口論するのはほとんど止めてしまった。面倒くさくなったのである。と、同時に、40代になってプライベートライフが劇的に変わるということが起こり、そっちが忙しく、社会問題どころじゃなくなったというのもある。50代になった今でも社会問題にはあまり口出ししない。この再開したブログで、今回を含め、いくらかは書いているが、ずいぶん穏当に書いているつもりである。昔はもっとずっとずっと過激で、傍若無人で、血が熱かったのである。
では大人になって、社会経験を積んで、人間関係で苦労して、その考え方が変わったかというと、僕の場合、そんなことは全く無い。そういう意味では、自分は大人になって意見が「穏当な方向に変わる」というのはあまり無さそうだ。やはり基本的な自分の考え方は若いころに出来上がっていて、それを発展させながら今に至るのである。したがって、死刑に関する自分の考え方も30代からほぼ変わってはおらず、冒頭で言ったように死刑制度反対の立場である。ただ、いま現在、死刑制度反対な理由を述べよ、とオフィシャルに言われたら、もう少し現実的な理由をいくつかあげるとは思う。国際社会の趨勢では死刑制度はマイノリティであるとか、死刑による犯罪抑止効果はほとんど無いとか、冤罪の問題とか、などなどである。総合的に考えて死刑制度は廃止するべきではないですか、と穏当に言うであろう。
しかし、自分の心の奥では、どうか。
今の自分にとって、なんと言っても気持ちが悪いのが、日本の国民意識調査で死刑制度支持が85パーセントを超えているという事実である。85%というのはすごい数で、ほとんどの日本人が賛成、と言ってもいい数字であろう。さらに最近、陪審員制度が導入され一般市民が判決を下すにつき極刑判決が増えているとも聞く。さらに法相の執行拒否による事実上の死刑なしの状態については、法相を非難する国民の声が増えているとも聞く。これら日本の死刑賛成の声は大半が被害者感情を重要視するところから来ているように思える。結局は「目には目を」の感覚なのであろうか。社会全体を改善しようとするよりも、余計なよそ者を排除することを真っ先に考えるのであろうか。僕の感覚では、戦争という合法殺人の延長に死刑というものを置いているようにも見える。結局は、やられたからやり返す、あるいは、やられる前にやる、という戦争の基本と同じだ。死刑についてもそう考えているからこそ、自分たちが手を下さずとも、遠く離れたところで国民の総意そして法律に基づいた悪人の排除、つまり死刑という殺人が行われていても自分たちの良心は安らかなのであろうか。
被害者感情を想像するのに「想像力」と呼ばれる能力はほとんど必要ない。なぜなら自分がいて、自分の大切な人がいて、その中で自分が生活している以上、それを突然侵害されることを想像することはほとんど感情的にできることでなんらの努力も必要としない。自分の大切な人が殺されたときのことを想像すればほとんど条件反射のように心身が反応するから、情景を想像すればすぐに分かることだ。それに対して、殺人者の感情、そして死刑の判決を受けて処刑を待っている罪人の感情を想像するのには、多大な「想像力」が必要だ。一般人は、自分が殺人者になる、ということを考えたことも無いから、そんなことは「考えられない」の一言で大半は終わってしまう。しかし、それは、余計な想像力であろうか。たかだか小説家や思想家といった少数の人間の職業に必要なものに過ぎないであろうか。しかし、そういう卑近なものから遠く超えた想像力を皆が持てるようになることこそ、民主主義社会の完成と発展にとって重要なことではないのか。そう考えることは論理の飛躍だろうか。民主主義の完成などどうでもいいことであろうか。でも、民主主義は、国民の大多数の総意であれば何をしてもいい、という主義では無い、ということをちゃんと理解しているのだろうか。
僕のこの死刑反対の態度の元になったのがドストエフスキーの小説だった、とは最初に書いたが、ロシア人の彼はキリスト教的なものを奥深く持った人間として、人と人との関係を徹底的に、グロテスクに至るまで追及した人だ。僕も多感な若いころに、ドストエフスキーを通してそのキリスト教的なものに深く影響を受けている。ひょっとすると、そういうものなのであろうか。
さて、書いているとだんだん熱くなってくるが、これぐらいにしておこう。これまでずっとこの件について自分の立場をはっきりさせて表明しておきたかったので、まずはそれができて、よかった。