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日本版シリコンバレー

日本版シリコンバレーを作るという政府の計画があるそうだ。これは別に初めてのことではなく、これまでも政府や産業界は、シリコンバレーだけでなく、日本版Googleを開発する、とか和製ジョブズを養成するとかいろいろやって来た。今回のは、その再燃のようなものだ。

それで、それを報道した記事に大量についているコメントのほとんどすべてが、どうせ失敗する、というネガティブ意見というのが、すごい。皆で失敗オーラを送り込んでる感じで、これはそのオーラのせいできっと本当に失敗するね。かくいうこの自分も失敗オーラ派かもしれない。やはり日本そのもののマインドセットの問題かな。

カタカナ英語を使っちゃったけど、マインドセットとは「これまでの経験や教育、先入観から作られる思考パターンや固定化された考え方」のこと。で、スピリチュアル的に言うと、このマインドセットが物事の方向や成否を決めている、ということになる。

アメリカのシリコンバレーは元を辿るとヒッピー文化あたりのスピリチュアル的思想に端を欲している。マインドセットさえ変えることに成功すれば、あとはプロセスが勝手に付いてくると思い込むことをスピリチュアルというのだが、そう簡単なことじゃない(啓発系ビデオではみな簡単簡単言ってるけど、大半の人は不可)

この日本版シリコンバレーの記事も、「政府がエコシステムの形成を目指すのは、日本が世界各国に追いつけなくなる、との危機感のため」と発言させるマインドセットが、すでにスピリチュアルと正反対を向いているので、この計画を実施するにせよ、その結果は別のものになるだろうね。

しかし、以上、自分も、一生懸命失敗オーラを避けて発言するのも大変だな。

自分は、スタートアップのようなことをやって2度失敗しているが、その経験から言うと、最低でも2度失敗しないと学習できなかった。僕の場合、3度目は諦めてアカデミアへ逃避した。というのもその時点ですでに53歳だったしね。これが20年若ければだいぶ違っていただろうと思う。

3度目の正直を、障壁なく保証するには、制度だけを変えてもだめで、人間のマインドセット自体を変える必要があると思うけどな。かといって失敗に烙印を押す日本人のマインドは、世の中を見ての通り、極めて根強いもので、変わりそうもない。そんな中でやってゆく方法の一つは、自らが変人になって世間の有言無言のバッシングの届かないところに身を置くことかな。日本世間は「おもしろそうな変人」には逆に極めて寛容なので、それを利用するといい。

記事の最後にあるように、さらにこれにかける全体金額が少なすぎなのも問題だね。100無駄して1成功、というやり方はカネのない日本には難しいのだろうね。日本の30倍以上の無駄を突っ込んでいる中国やアメリカと同じようになるはずがないのは、残念ながら見えている。となると戦略を変えないといけない。

スピリチュアルな人々でも集めてみる? 最近、日本でかなり増えてるみたいに見えるけど。ただこれまた多くはニセモノだろうから難しいところ。

結局は「自由」が与えられる場所にすることかな。ここでいう自由はLiberty(責任の伴う自由)ではなくFreedom(単なる物理的自由)の方。ヒッピー文化はFreedomの上にLove & Peaceを描いてやっていたんだしね。ただ、これも封建社会な日本にはほとんどそぐわず、絵柄が違い過ぎ。

かくいう自分は3度目の正直を実行中で、新しいWebサービスを始めた。バーチャルミュージアムのプロジェクトで、2020年の8月3日にオープンした。

https://hachikei.com/

やっぱりオレって、スピリチュアル的な意味でも、そういうことをやりたくてやりたくて仕方ない人間なんだな。今回も、こんな風になるなんて、あまり思っていなかったけど結局そうなった。

いずれにせよ、政府は政府、世間は世間で、マインドセットがスピリチュアルな人々は、それらを横目に可能な限り自由にやるといいよ。

ロックンロールバンド

急に思い出した昔ばなし
 
オレは高校生のころからギターを弾いて歌ってバンドをやっていたが、中学の3年のときに不良(当時はツッパリって言ってた。いまではヤンキーかな)にギターを教えてもらった、そのつながりで高校時代、多くの不良とつるんでバンド活動とかもしてた。
 
あるとき、その不良の一人に自分のバンドのギターをやってくれないか、って頼まれて、ツッパリバンドでリードギタリストになったことがある。練習は、そいつの古い家の屋根裏部屋。ドラムもアンプもあって、まあ、近隣はうるさかっただろうなあ。
 
で、そのバンドはロックンロールバンドで、当時なので、みんなリーゼントっていうの? 髪の毛にポマードつけてとさかみたいなの作って、いつも櫛持ってて梳き梳き(すきすき)して、革ジャンにスリムのジーンズに短靴な人たちで、アイドルはもちろんキャロル。なのに、そこに、ふつうの軟弱なカッコしたマッシュルーム頭のオレだけ完全に違和感。
 
で、コンサートの当日になった。あれは大井町のシブヤ楽器(だっけ?)のホールだった。
 
オレは当時より偏屈で、そのころサンダルしか履かなかったのだが、それがまず仲間で問題になった。というのは、メンバーは全員コーディネートされた衣装で出ることになっていて、特に白いスニーカーは全員同じものを履く、って決まってたの。でも、オレは強行にスニーカーは絶対履かない、って拒否した。そしたら、僕を呼んだ彼が、まあ、いいじゃん、林はそれでいいよ、って言ってくれ、仲間たちはホント、しぶしぶ承知した。
 
ギターはテスコの糞ギターで、オレはコンサート前日に弦を張り替えたが、当時はギターも弦も品質が悪く、チューニングがボロボロ以下で、しかも、いちばん細い弦を張ったせいで、もう、ビヨーンビヨーン言っちゃって音楽にならない。
 
バンドのパフォーマンスは演出がきちっとされてて、手順が全部決まってて、踊りとかも全部きっちり練習して決まってた。やつら不良って、勉強はぜんぜんしないけど、そういうことは物凄く真面目にやるんだよね。
 
そのときの演出は、最初、演奏隊だけがスローブルースを演奏して、そこに、リーゼント、サングラス、革ジャン、ジーンズ、白いスニーカーのボーカル隊が駆け足で入って来て、いっせいにロックンロールに移行する、ってやつ。
 
で、ライブ始まって、オレがビヨーンビヨーンってスローブルース弾いてて、その時点で、我ながらもう糞演奏で、そこに、白スニーカーたちがカッコつけながら駆け足で入ってきた光景を今でも覚えてる。
 
で、そのロックロールの途中にギターソロがあるんだが、その時、オレだけにスポットが当たって、ボーカル隊の4人がオレの右に二人、左に二人来て、一人は立って、一人は膝まづいて、ソロの間じゅう両手で、ヒラヒラヒラヒラ、ってやるの。
 
これは超恥ずかしくて、その時は、オレ、なんでかわかんないけど、自分だけスニーカーじゃなくて、サンダルを履いてるのが特に恥ずかしかった。しかし、こんな演出、オレ、聞いてねーよー、ってマジで思い、下向いて弾いてた。
 
その後、コンサートが終わってたむろしてたとき、メンバーのやつらが、林のギターがビヨーンビヨーンいっちゃってうるさかったよな、みたいにオレにわざと聞こえるように文句言ってた。で、友人がそれをなだめてたの、覚えてる。
 
それで、あっさりクビになった。
 
オレの若い頃って、なーんにも考えてなかったから、感情のディテールが無くて、クビになっても、悪口言われても、陰口たたかれても、なんとも思わなかったんだよね。メンタル最強。
 
ああ、あのころの強メンタルのオレに戻りたい。

ブルジョア・ブルース

自分には人種差別感情がたぶんほとんど無いと思っているのだけど、なぜなのかはよく分からない。差別される側としては、大昔、ヨーロッパで英語がロクにしゃべれない東洋人としてバカにされた経験はあるが、悔しい思いはしたものの、差別されたという感覚は無かった。
 
差別をすることも、されることも、どちらもほとんど経験が無いので、結局、自分には人種差別についての感覚はほとんど持ち合わせが無い、ということになると思う。
 
そんな自分は黒人ブルースにハマった。知っての通り、ブルースはアメリカの黒人差別のただなかで生まれた音楽である。なぜ、それに、それほど惹かれたものか、これまたよく分からない。人種差別の感覚が無いのだから、それが直接の原因になったとは思えない。
 
ところで、このまえ、スウェーデンの僕の所属するバラライカ・オーケストラのコンサートで200人の前でブルースを歌って喝采されたのだが、そこで歌ったのはブルジョア・ブルースという歌で、これはアメリカの古い黒人シンガーのレッドベリーの歌だ。
 
この歌を選んだのは僕じゃない。オーケストラのリーダーのオーヴェさんがこの歌を持ってきて、僕に歌ってくれ、って頼んだのだ。
 
しかし、この曲の内容は、もろに黒人差別の経験を歌ったものなのである。レッドベリーがカミさんとワシントンDCへ行ったら、白人の皆に見下され、蔑まれ、こんなところは来るもんじゃない、こりゃブルジョアの街だ、最悪だ、みんなに知らせてやらなくちゃ、って歌っているのである。
 
この歌を、黄色人種のオレに歌わせるなんて、しかし、オーヴェさんも人が悪い(笑 
 
オーヴェさんは白人だが、彼は民族音楽のプロミュージシャンで、ジプシーミュージックみたいなのを演奏している。そういう意味では、日本人のオレがブルースを演奏するのに近いとも言える。たぶん、そんな類似があったんで、僕にこの曲を持ってきたのかな、とも思った。
 
しかしながら、このまえ、20人の白人のオーケストラをバックにして、ステージ中央にギターを抱えて座って、200人のほぼ全員白人の客の前で、大音量で
 
Hey! I tell all the colored folks!
Listen to me!
Don’t try to find your home in Washington DC
 
(おい! 有色人種のみんな! オレの言うことをよく聞け! 間違ってもワシントンDCを棲み処にするもんじゃねえぞ!)
 
って、シャウトして歌ってて、なんというか、内心、すごく微妙な気持ちになったよ。僕自身の中には、先に書いたように人種差別は最初から無いんだが、なんだか、黒人差別をプロテストする歌を、オレ、大勢の白人を前にアジテートしてるなあ、とか思って。
 
ご存じの通り、スウェーデンは人種差別を始め、あらゆる差別がもっとも少ない国の一つで、すでに、ここにいる白人のみなも、自分が「白人」だなどという意識はなく、単に「人」としか思っていないと思う。そもそも、僕が上に書いているように、スウェーデンの人々を「白人」呼ばわりすることは、おそらくここでは問題発言だろう。
 
そういうわけで、偏見がほとんど無いので、そもそも「白人の前で黄色人が黒人差別のプロテストソングを歌う」というシチュエーションの捻じれにはみな、不感症になっているはずで、なんだか変じゃないか、なんて感じる人はほとんど皆無だと思う。
 
実は、僕も、ほぼそうなのだが、ただ、ひとりのミュージシャンとして、このBourgeois Bluesをオレ、歌ってるとね、このスウェーデンのステージで起こっているような、きれいに整備され、守られた、人工的な理解の場が、なんだか夢のようにリアリティが失われて感じる瞬間が、あるんだ。不思議な感覚だよ。
 
というわけで、来週またBourgeois Bluesを歌う。あと、Kindhearted Woman BluesとKey To The Highwayも。オレの出番、楽しみだなあ。

若者と哲学

少し前、神戸へ行ったとき、甲南大学で20人ぐらいの学生を相手に、日本ビジュアルカルチャーの講義をした。縄文から江戸までの日本のビジュアル中心に紹介するお話で、スウェーデンでやってるのを日本語に直したものである。
 
学生たち、興味を持って聞いてくれたのだけど、そのスライドの最後の最後に哲学の話が少しだけ入れてある。それは「主観と客観」の捉え方についての、西洋と日本の違いについてである。講義でさんざん日本ビジュアルに接した後に、それを分かってもらいたい、という意図で入れている。
 
もちろん、唐突にそんな哲学的なことを言い出しても、ふつう、分かるものではない。講義のあと、学生たちとお茶を飲みながら、しばらく話をした。驚くことに、学生たちの何人かから、自分は哲学に興味がある、と言ってきたことである。
 
思えば、スウェーデンにしばらく滞在したK君も哲学を知りたい、と僕に直接言ってきたっけ。僕もそれを受けて少し話しかけたが、準備なしにするのは難し過ぎて、途中であきらめてしまった。
 
若者が哲学という言葉を出すことにつき、僕はわりと懐疑的で、ひょっとしてどこかの雑誌か何かでそんなことが言われていて、それで一種の流行として哲学という言葉を出しているだけだろうな、と大半は勘ぐって受け流してしまうのだけれど、どうもそうでも無いようなのである。
 
で、甲南大の2、3人の哲学を知りたいと言ってきた学生と、みなと一緒にしばらく哲学の話をした。僕が講義後の質疑のときに出した例は
 
「君たちは、空に輝いているあの太陽は何だと思いますか? 地球の何百倍も大きくて、中では核融合が起こっていて、恐ろしく熱くて、人間などちょっと近寄っただけですぐに死んで蒸発してしまう、そういう物体だと思ってますよね? でも、それは違うんです」
 
と、乱暴なことを言ったのだけど、やはり大人にこれを言うのと、若者に言うのとでは、その反応が異なるのである。
 
その後、そういうことを巡ってお茶を飲みながら若者と話したときにも、その若者の方から、先生、僕はときどきこう感じるんです、という話が出てきて、それは
 
「僕らが住んでいるこの世界というのは、誰かが作り出したものかもしれず、ひょっとすると全部作り物かもしれないし、でも、自分たちにはそれが本当はどうなのか、知る方法がない。そう感じるんです。先生の太陽の話だって、そうで、あの太陽も作り物かもしれない」
 
という話で、彼の心は、やはり現実とイメージの間を揺れているわけだ。「現実」というのは「客観」、「イメージ」というのは「主観」で、その関係の危うさを心で感じ取って、それに一種の危機を感じている、というのがよく伝わってくる。
 
一方、昨晩、僕は「告白」という10年前ぐらいの松たか子が主演の映画を見たが、実に残酷な映画でよくこんな暗いストーリーを作るなあと感心したが、あの中でも若い子たちが現実とイメージの間の危うさの上を揺れている。それから、僕は漫画をほとんど読まないが、ごくたまに読んでみると、その中でも、やはりその同じ危うさがテーマになっているのを見ることがある。
 
きっと、そんな中で、日本の若者は、現実とイメージの間に思いをはせるようになるんだろうな、と想像する。
 
それで、彼らと話していて、大人と違うな、と思ったのが、そんな話をしていると、若者たちの目が輝くというか、一生懸命理解しようとする、というか、そんな率直な目をすることだ。そういうところは、若いって、本当にいいなあ、って思う。
 
大人的に言えば、それは若者がまだたいして何も知らないからで、単に雰囲気で一生懸命に見えるだけだよ、ということになるかもしれないし、それは、まあ、そうだろう。
 
でも、日本の彼ら学生は、大学生活の後半になると、例の真っ黒な就活スーツを着て、髪を切って黒くして、マニュアル通りの面接をやって、社畜の振りをして働きはじめる。その状況は、それはもう完全に虚構の世界の中を生きている感覚になるんじゃないだろうか。現実とイメージの境は、自分という独立した人間の心の中で怪しく揺れ動き、現実を生きているのか、イメージを生きているのか、虚構を強制されているのか、虚構を演じているのか、分からなくなるのではないだろうか。
 
そんなところを突いて、日本の映画や小説や漫画のストーリーが作られるのだが、それは一種、強烈な「哲学的な問い」であることは間違いなく、彼ら若者が哲学という言葉を口にするのは、ひょっとすると何か切実なものがその心の裏にあるのではないか、と僕などは、買いかぶりかもしれないが、感じることがある。
 
願わくば、そういう若者たちに、哲学をちゃんと教えてみたいものだと思う。

タイムアウトと村さん

目黒タイムアウトに初めて行ったのはいつだろう、と調べてみたけれど、はっきりした日にちが分からない。メールをさかのぼってみると、2009年の10月半ばに、職場が新宿から目黒に移っているので、そのころということになる。ということは、ほとんどちょうど10年前で、僕が50歳のときだったんだな。

オフィスは目黒の権之助坂を降り切ったあたりにあったのだが、移転して最初に出勤したその帰りの夜、さっそくタイムアウトを見つけた。店へ降りる階段の入り口にポンコツギターが掛けてあったので、あ、こんな店がある、って思い、よほど入ろうと思ったけど、狭い入り口から中を覗くと奥の方に階下へ降りる階段が見えたが、だいぶ入りにくく、うーん、と思ってそのまま入らず、駅へ向かってしまった。

翌日、こんどは絶対に行こう、と決めて、夜オフィスを出て、権之助坂を上って、それで迷わず入り口を入った。ぎしぎしと狭い木の階段を降りて扉を開けると、狭いスナックのようなバーで、店内は雑然としていて、ギターや楽器が見えて、奥の方に小さなステージが見えた。客はおらず僕だけだった。

そのときオレは初めて村さんに会った。

いらっしゃいませ、って言っただろうなあ、村さん(当たり前か 笑) ビールください、って言っただろうな、オレ(これも当たり前 笑) 村さんの第一印象は、バーのマスター稼業はまだだいぶ慣れてないのかなあ、って感じで、なんだか客の前で身を持て余してるみたいに見えたっけ。

僕は、どんなシチュエーションでも、そういうふるまいをする人って、無条件ですぐに信用するので、なんだかほっとしたっけ。で、いつものように、ギター弾いてブルースとか演奏するんですよー、みたいに話して、ちょっと弾いてみていいですか、みたいにギターを取って、ステージで、たぶん、Robert Johnsonの、きっと、Kindhearted Woman Bluesを歌っただろう。

村さん、すごく褒めてくれて、もう、そのとたんに常連扱いになった感じ。村さんの推薦で、それから、タイムアウトでバタバタっとライブが決まった気がする。

あれから10年だったんだな。オレの50代の人生は、目黒タイムアウトとともにあったな。たくさんの人に会って、たくさんの人を連れて行った。行くといつも優しい目をした村さんがいた。

村さん、いままでありがとう。そして、さようなら。

素養

これは何度か書いているけど、さっき、思うところがあったので、再び。

だいぶ前だけど、僕がいた会社で本を出すことになり、皆が自分の仕事についてエッセイを寄稿した。上がって来た原稿は、みなが共有していたので、人の書いたのが読める。

その中に、一人、自分の仕事にいつも全力で打ち込むわりと熱い人がいて、2、3ページ分の彼の原稿も上がってきて、僕はそれを読んだのだけど、彼は、文章を書くのは大の苦手だったらしく、その文章は、はっきり言ってかなり下手だった。

ところが、読んでみると、まるで彼が仕事の現場で悪戦苦闘しながら働いているのをそのまま見ているような、その情熱が文からそのまま伝わって来るのである。文が下手なのは本人も分かっているようで、でも、とにかく「オレはこれが言いたい」という情熱がものすごく強く、書いた文をあれこれいじくりまわして、あっちを直してこっちを直して、そのうちにわけが分からなくなり、みたいに、作文の上でも悪戦苦闘している様子が、文体から分かるぐらい、変な形容だが、壮絶な文章だった。

でも、その文章の全体から、彼の一本気で熱い人格がそのまま浮かび上がってくるような、見事な文だったと思う。それを僕は、ひとり読んで、驚嘆したのである。

そして、その原稿は編集部の校正に回され、ほどなくして校正済みの文が上がってきた。ご想像通り、文章はほぼ全面的に直されて、元の文は跡形もなくなっていた。きれいに整頓された無個性な文体で、仕事の様子が整然と説明されている、それだけの文章になっていた。その文はそのまま印刷され、書籍になった。

で、これを思い出して何を思ったかと言うと、僕は長年の文学野郎なので、文学の素養は相応に身に付けている。それに照らして判断すると、彼の元の文は文学作品として価値があり、極端な言い方をすると、完成されていた。それが自分にはよく分かったので、もし僕が校正をしたとすると、文学的な意味での魅力を削ぐことなく注意をしながら、文法上の誤りとか、そういう機械的な要素だけを直しただろう。自分とて、完璧にその校正ができるとは思わないが、極力、文に現れた個性を残す努力をしただろう。

編集部で校正をした人に文学の素養があるかどうかは、知らない。文学素養はあっても、単なる職業と割り切って、機械的に仕事をしただけかもしれない。でも、もしその職業が板につき過ぎて、文学をすでに忘れ果てていたのだとすると、それは悲しいことで、実際に、その人は、一つの文学作品を葬ったということになる。

文学の素養などというものは、とりとめのないもので、そんなものを持ってたって世の中の役には立たない。その文学教養を組織的に論理的に適用してベストセラー小説が書けるか、というとそんなのは無理だ。教養は、決して「方法論」として組織されていないので、そのまま役には立たない。機械に文学教養を教えても、素晴らしい小説を生成してくれるわけではない。

でも、人がその教養を持っていることで、せっかくの価値あるものが埋もれてしまうことは防ぐことができる。この例ならば、あの校正人がおざなりな校正をせず、文学素養のある人が校正していれば、筆者の心は文になって生き残ったのだ。

教養というのは、そういう過程を経て世の中を豊かにするわけだ。そういう意味では役に立つんだ。

この前、自分は、神戸の学会で、21世紀は哲学とアートの素養が絶対に必要です、としゃべってきたが、やはり説得力に欠けるんだ。哲学とアートが直接に何の役に立つか分からないからだ。でも、この文の顛末記のような、そんな形を取って役に立つのである。21世紀は、きっと、そういう素養によって、その結果に決定的な差がつくはずだと思う。

しかし、これをどうやって説得したらいいものか。冒頭の彼の文の顛末の話を例にして説明したって、「役に立つって、たったそれだけかい」で終わってしまいそうだしね。

難しいなあ、って思ってね。

露天風呂にて

新潟の貝掛温泉というところへ行ってきた。山奥の一軒家で、いちおう秘湯扱いらしいが、ひなびた山の宿とかじゃなく、わりと立派な、いわゆる温泉旅館である。けっこう大きな露天風呂があり、とても快適な、由緒ある古い旅館だった。

貝掛温泉は目に効く温泉として有名だそうで、お湯にホウ酸だかが含まれてて、昔は湧出した水を、そのままパッケージして目薬にして売っていたそうだ。温泉は37度のぬる湯で、ほとんど体温と同じぐらいである。目に効く、っていうんで、みな、湯が湧出しているところへ行って、目をつけてパチパチする。それで、湯はぜんぜん熱くないので、30分とか、下手すると1時間とか、ひたすら露天に浸かっている、という感じになる。そして、それが済んだら、隣接した熱い湯に移動して、十分に温まって、湯場を出るのである。

そんな風に長湯になるので、湯に浸かって、周りの自然を見ながら、ひたすらぼんやりすることになる。

僕もそうして浸かっていたら、最初、巨大なオニヤンマが露天の湯の周りをひたすら輪を書いて低空飛行をしており、ずっとそれを目で追っていたけど、なんだか、あまりに巨大で怖い。こっちに目掛けて飛んで来ると、思わず、顔をそらしちゃう。まあ、先方も体当たりをするはずもないのだが、自分の目の前の50センチぐらいのところでしばらくホーバーされると、なんかだいぶ怖い。僕は、虫が苦手なのである。

十分ぐらいしてようやく巨大トンボがいなくなって、やれやれって思って、水面を見ると、3メートルぐらい先のところに、小さな虫が誤って落ちたらしく、ひたすらもがいている。5ミリぐらいだろうか。すくって外へ出してやってもよかったけど、ま、いいや、って見てた。見ると、いちおう水流があるらしく、1秒に1センチぐらいの速度で移動している。ひょっとすると、もがいてるんじゃなくて、泳いでるのかもしれない。

3メートルぐらい先にある大きな石に向かってゆっくり移動しているので、ずっと見てた。5分ほどたったら、とうとう岸まで到達した。どうするだろう、って見てたら、あ、岸に着いた、と思ったとたん、石の上をタタタタタと大きなアリが登って行くのが、見えた。そうか、あいつだったか、巨大アリだったのだ。すごい勢いで走って石の裏へ消えていった。

それにしても、水面はそこそこ波で荒れてて、あの、藻で滑りそうな石に着いたとき、水面でもがいてたアリは、いったいどんな風に石に足をかけて、しかも6本もある足をどう使って態勢を立て直して、すかさず石の上に着地できたんだろう、あいつ、そんなことをいつ習ったんだろう? ってしばらくぼんやり考えてた。

で、ふと気づくと、今度は、1センチから2センチほどある木片みたいなのがやはり前方3メートルぐらいのところに浮いているのが見えた。しばらく見てると、その木片からかすかな細かい同心円状の波が広がるのが見えた。10秒にいっぺんぐらいの頻度である。死物の木片では、これはあり得ないので、これまたやはりなんらかの生き物であろう。でも、ごくたまにしか波が出ないので、たぶん、こいつはすでに瀕死だろう、ってしばらく見てた。

そうこうしていたら、僕の浸かってるぬる湯の向こうにある、熱い湯のところから、おっさんがこっちに移動して来て、じゃぶじゃぶ、って湯をかき分け、僕の前方5、6メートルのところに座った。遭難している大きめの虫は、そのおっさんと僕のちょうど真ん中へんに浮かんで、おっさんの方に向かって、やはり秒速1センチぐらいで移動している。

おっさんは虫に気が付いたかな、って思ったが、共同風呂って、なんだか他人と目を合わせるのを極力避けるようなところがあって、ジロジロ見るわけにいかないが、ちらっと盗み見したら、おっさんがその虫を見ているような気がした。

しばらくしたら、おっさん立ち上がり、虫の方に向かって移動したので、お、ひょっとして虫をすくって、レスキューするつもりなのかな、ってちょっと期待して見てた。小さな四角い顔で角刈りっぽくした強面の小柄なおっさんだったが、へえ、ここで助けるか、って思ってたら、そのまま、虫の横を素通りして、右奥の方へ行って湯を出てしまった。

そりゃそうだよな、そんな虫なんか気にするような感じじゃないしな、とか勝手なことを思って、やはりしばらく虫を見てた。

この虫も、前と同じような移動速度で、同じく、岸の石に向かっているので、ほどなく到達するのである。ずっと見てたら、果たして、岸に着いた。そしたら、ホント、着いたか着かないか、ぐらいの恐ろしい速さで、まるで、そのむかし驚嘆したクルって回るクロールのターンみたいに素早く、その虫は、垂直に一直線にすごいスピードで飛び上がり、あっという間に背の高い木を超えて、向こうへ飛んで行ってしまった。瀕死かと思ったら、すごい勢いでびっくりした。

2匹の虫のサバイバルを見て、もう、いい加減に湯を出るか、と思って、自分の後ろの石の上に置いた白い手ぬぐいを取ろうとしたら、その手ぬぐいのすぐ横に、だいぶ大きな、鮮やかな緑色をしたバッタが横倒しになって死んでいた。虫の苦手な僕は、うわってなったが、さっきはいなかったから、僕が湯に浸かってる間、そこを死に場所に選んだものらしい。

バッタをそのまま放置して、手ぬぐいを持って、そういえば湯で目をパチパチしてなかったっけな、と思い、湯が湧出してるところをざぶざぶと歩いて、湯に目を浸けて、それで風呂を出た。

30分も露天風呂に入ってると、いろいろあるもんだな。

「表現の不自由展」の中止騒動と、芸術について

あいちトリエンナーレで開催された「表現の不自由展」の展示作品の中に、慰安婦像など日本人を不快にさせるものがあるとの理由で、また、脅迫じみた投稿も相次ぎ、結局早々に中止を決定した、というこのニュース、考えがなかなかうまくまとまらないけど、すごくもどかしい思いがいろいろあるので、現時点の感想を書いておく。

慰安婦問題の少女像 きょうかぎりで芸術祭展示中止へ

まず、このニュースを見て真っ先に感じたのは、自分は芸術と表現の自由の側にいるのは、これはもう、長らく芸術至上主義だったことからも明らかなので、そっち陣営として極めて平凡なことだった。つまり、芸術理解の浅い行政の芸術への介入に嫌気がさし、人々の心を豊かにするはずの芸術が人を不快にさせていいのか、とかいう幼稚な芸術理解に嫌気がさし、さらにこれを政治事件と取り違えて脅迫じみた言動をするやつらの馬鹿さ加減に嫌気がさし、といった、もろもろの反応である。一方、僕と逆の側にいる人々は、僕のこの反応を裏返したような反応をしたはずで、今回は、その人たちが行政と相まってイベントを中止に持ち込んだ、という結末だったわけだ。

それで、思うに、自分のこの反応は、単に、たとえば、学校での教師ぐるみのいじめやら、理不尽な校則による人権蹂躙やら、ヘイトスピーチやら、そういうものを見聞きしたときの嫌悪と同じもので、それが特段に「芸術」だから、という特別なものではなかった。というか、自分的に、このニュースを見ても、そこには「芸術」も「表現」も「自由」も関係しているようには、まるっきり思えなかった。

そうなってしまう一つの理由は、僕がこの展示を見ていないこと、それから、ネットで断片的に作品の写真を見ているだけなこと、つまりモノを見ていない、ということもあるだろう。

芸術でなによりも一番大切なことは「見る」ことである、五感を通して触れることである。これはもう、間違いない。だから、五感を通して接した芸術に、言葉にならない「なにか」が、その作品の中に、あるか、無いか、が芸術の価値を、まず最初に決定的に決めるのであって、そこは揺るぎようがない、というのが自分の芸術観だ。作品が表現しようとしている意図などというものは、たいてい俗か、あるいはおまけなのであって、それは二の次なんだ。

だから、芸術においては、作品にはどうしても触れないといけない、見ないといけない。仮にそれがネット上の写真や複製であっても、それは仕方ない、その限られた範囲内で、とにかく作品に触れないといけない。それをせずに、芸術の尊厳を言っても、表現の自由を言っても、それは空言というものだ。それで、この件についての自分のことだが、展示会は中止になったので見ようがないが、ネットで知った断片に触れただけの感想で勝手なことを言うと、僕にはその作品群が、あまり魅力的に思えなかった。簡単に言って、カッコいいように見えなかった。

作品を作るときには、その作家の力量が確実にものを言う。当たり前のことだが、これを他人に伝えるのは難しく、客観的指標などしょせんはどこにも無いので、あとは、一種の「存在感」に頼ることになる。芸術を論じていると、結局は、そういうことになるんだ。

たとえば、思い出すが、数年前、ノルウェイへ旅行して、モダンアート美術館に入ったら、そこに有名なアーティスト(名前を忘れた)の展示があった。それは、巨大な牛一頭を縦に切断して、真っ二つにして、そのまま透明のアクリルで固め、その切断された牛の入った巨大なアクリルのボックスを二つ並べたもので、見る人は内臓を露出させた切断面の中を歩いて見られる、そんな作品だった。おそらく動物愛護の人や牛を愛する人が見たら卒倒しそうな作品だが、これは、まさに、圧巻だった。世界のあらゆることを集めたみたいに見えるその重量感と、存在感は物凄いものだった。これは、明らかに、作家のたぐいまれな力量のせいだ、とすぐに感じた。

あるいは、たとえば、僕はマルセル・デュシャンとアンディー・ウォーホールを信奉していて、事あるごとに彼らを引き合いに出すが、彼らの作品の多くは、ひどく取り留めのないものだ。男性便器に署名を入れて床に放置したり、マリリン・モンローの写真を大きく引き伸ばして赤や緑に塗ってみたり、そんなようなものだ。デュシャンのその便器(Fountainという作品名)だって、今回の中止騒ぎと同じく、当時展示されたときは、スキャンダルを巻き起こし、展示は撤去されたのである。でも、そんな混乱や喧噪や俗な社会反応をはるかに超越した、正真の芸術家としてのデュシャンとウォーホールが、その醜いドタバタ劇の向こうに、ゆるぎない存在感をもって静かに控えているんだ。

以上のような芸術家の「力量」が、あらゆる作品を芸術たらしめているわけで、そういうもののない作品は、それはただの俗な社会装置に留まる。別に作品にする必要すらない。言葉で言っておけば済むようなものだ。それで、以上の芸術の芸術たる部分はまるで理解しない人の方が世の中ではマジョリティなので、そういう人は作品から言葉やメッセージを受け取るだけで、それを判断して、いいだ、悪いだ、と言っているだけだ。結局のところ、今回だって、そういうマジョリティが展示を中止に追い込んだわけで、これは単なる社会現象の一つに過ぎず、少なくとも僕にとっては芸術本体と関わりのないことで、どうでもいいことだ。

今回の表現の不自由展で言えば、作家たちもさることながら、これを企画プロデュースした人の芸術的な力量の大きさで、その価値が測られることになるだろう。それは、この後に自ずと見えて来るだろうと思う。

どんなにまばゆいばかりの芸術作品であっても、それが作品である以上、必ず無理解な俗世間にさらされることになる。そして、その俗世間は、その作品に対し、その芸術家に対し、ピンからキリまで玉石混交さまざまに反応し、年月が経ち、その評価は落ち着くところへ落ち着いてゆく。そして、すぐれた芸術家だけが、歴史に残り、最後には教科書に載って、俗な世間も「大芸術家」として認知して、文句を言うのを止める。それは、特に、何百年も前、芸術が特権階級のためのものだけだった時代が終わり、近代になり、世間に開放されて以来、繰り返し行われてきたことだ。

そして、その芸術の価値は、やはり、芸術が特権だった昔の権威を引きずっている。でも、近代の訪れとともに、幾多の偉大な芸術家たちの努力の積み重ねにより、その芸術の「特権性」は解体されたと思う。その代わり、それは、さっき書いたように、作家とその作品の、存在感や重さというものに姿を変えたのだと思う。

結局、「芸術」や「表現」や「自由」というのは、世俗的なところには存在しておらず、それらの貴重さは独立しており、社会などという俗なものからは演繹できない。でも、特権が排除された今、芸術は特権的には働かない。だから、芸術も表現も自由も、俗な社会に対しては必ず戦いを強いられる。それは、俗社会の中の健全な営みの一つに過ぎない。いつだっていつの時代だって、そうやって戦った来たのだ。本当に価値のあるものは、決してその時代にすんなり受け入れられることはない。それは戦って勝ち取るものだ。そのためには、この現代であっても、僕たち俗衆は、「カリスマ」を必要とする。今回の騒動の中から、そういうカリスマが産まれれば幸いである。

近代になって、芸術の価値の特権が排除され、皆のものになり(民主化)、特権的な芸術価値は芸術家個人のカリスマに形を変えたが、今度は、この21世紀に、そのカリスマが排除される時代になって行くだろうか。僕が今の社会を見ている限り、それは当分、起こりそうもない。むしろ、いま、俗世間はひたすらカリスマを求めて右往左往さまよっているように見える。一刻も早く、自分が無条件で信じられる対象を見つけたいという、矢も楯もたまらぬ欲求が世間に渦巻いて見える。世界的にそうだと言ってもいいが、これは特に日本のような国では顕著に感じられる。

失礼な言い方だが、ネットで見た、この展示会に並べられた作品の数々の、弱々しい様子を見て、実は、そのカリスマの解体、みたいなことも考えた。なんだか、誰にでも作れて、誰にでも寄り添える、無名性の高い作品、そんな芸術のゆくえみたいなものを感じないこともない。たとえば、僕の大嫌いなバンクシーなどはそれを狙っているように見えるので、ひょっとすると芸術界は、無意識的にでも次のフェーズに向かって動き出しているのかもしれない。

バンクシーで思い出したが、これはどっかで書いたが、あの、数年前にあった、オークションで自動仕掛けで切断された作品を見て、僕は、今回よりもはるかに不快に思ったっけ。一連の行為があまりに貧弱で幼稚だったので腹が立ったのだ。でも、それは、僕自身が、芸術史的に言うところの、自然模倣から呪術、特権的価値、そしてカリスマへ、と形を変えながらも、常にその奥底に存在し続ける「なにか」、時代を超えて存在する芸術作品の普遍性みたいなものを、まだ未練がましく信じているからかもしれない。僕は、やはり今でも芸術至上主義なのは間違いないが、そこで言う芸術は解体前の芸術のことで、歴史の向こうの遠い過去から綿々と人類が守り続けて来た価値として理解していて、それがなければ生きていけない、そんな貴重なものなのだ。

でも、現代では、そんなものはもうないんだよ、って言われてみれば、そうかもしれない。世界というのは、つくづく流動しているものだと思う。人は、その中に、何とかして不動のものを見出そうと常に、もがいている。僕もその中のひとりにすぎないが、願わくば、自分の見出した不動のものが、「永遠」の相に届くもので、ありますように。

顧問

思い出ばなし。

社名は出さないで書くけれど、かつて7年前にとある会社をリストラされた自分は、ハローワークに通っていたことがあったのだけれど、偶然が重なって、だいぶ昔に交流のあった会社の社長に拾ってもらい、無職は二か月ほどで終わらせることができ、そこで技術参与という肩書で働きはじめた。

会社にいるとよくあることだが、社長の知り合いの年配の人が顧問と称して会社に来ているのだが、一向になにをしているのか分からない、そういう立場に自分もいたわけだ。そこは純技術会社で、百五十人ぐらいの社員の多くは技術者である。自分は特に、顧問部屋みたいな隔離されたところではなく、現場の中にデスクを与えられて、そこに毎日通っていた。

周りの人で、僕を少しは知っている人はいたことはいたが、大半の人は、あの人、あのデスクに毎日来て、何をしてるんだろう、といぶかしく思っていたと思う。社長からは技術者たちを引っ張ってくれれば、と思われていたようだが、僕はその手のふるまいが苦手で(これが自分の最大の弱点)、特にその会社の仕事などせず、研究の仕事を継続して何となくやってたり、ネットサーフしたり、という具合で、きっと周りからは、お荷物感が強かったと思う。

そうこうして半年か一年か忘れたが、ちょうど4Kが流行り始めたころで、その会社製の4Kモニターが実験室に入り、そこにグラフィックカードを積んだPCが接続されて、PCが4Kモニター上で動く環境ができた。林さん、こんなのがありますよ、と言われ、案内されたので、さっそくそこにUnityゲームエンジンをインストールしてしばらく遊んでいた。

まず、四角い箱を作って、そこに手持ちのゴッホのJPEG画像を貼って、その中をウォークスルーして4Kで絵を見てたりした。そのUnityプロジェクトを自分のPCに入れ、家に持って帰り、デザイナのカミさんにこんなのやってるだけどさ、と見せたら、せっかくならただの箱じゃなくて、美術館にしなよ、絵も額に入れてさ、簡単だから私が作ってあげる、っていうんで作ってもらい、それを会社に持ち込んで、なんとなくCG美術館みたいなのが4K上でできた。

とはいえ、自分はこれを仕事だとはまったく思っておらず、第一、その4KのPCは、超高解像度の二次元データを見せる用途のものだったのである。たまたま空いてたんで、僕が遊んでただけ。

そうこうして、技術展示会にその4KのPCを出す、って言うんで、僕も二次元データ閲覧ソフトを展示する要員になった。ついでなんで自分のCG美術館もおまけとして入れておいた。

で、展示の前々日だかになって、その4K展示の横に立って、Iさんという人に、CG美術館見せて、こんなのも入れといたけどこれは完全オマケね、って言ったら、それを見たIさんが、これいいじゃないですか、せっかく林さんが作ったんだし、こっちをメインで見せましょうよ、というので、最初僕は、えー? これ遊びで作っただけだし、メイン出し物はあるんだし、そんなことしていいの? ってあんまり本気にしなかったんだけど、Iさんが、絶対その方がいいというんで、それを見せることにした。

さて、そうこうして展示前日になった。もうずいぶん長くなったが、これが、実はこの文で言いたかったことなのである。

社員のみへの展示の前日の午後、僕が立ってるそのCG美術館のところに、社員の技術者が次々と見に来たのである。今まで挨拶もしたことない、僕のぜんぜん知らない人が、何人も来て、なんだかすごく嬉しそうに、すごくニコニコして、僕のCG美術館を見ていろいろ質問をしてゆくのである。これは、もう、自分としてはびっくりだった。

さっきも書いたように、みなにとって僕は、なにしてるか分からない顧問の人という認識だったと思うのだが、なんと、その人が自力でCGアプリケーションを作って4Kで美術館やっている、と聞いて意外だったのであろう。そのうちの一人には「林さん、あの席でこんなもの作ってたんですか! ぜんぜん知りませんでした!」ってすごく感心して言われたりした。

やっぱり技術者は、自分でものづくりをしてなんぼな人たちなので、同じ技術者としてこの人は仲間だと思ってくれたのであろう。とても意外で、かつ、嬉しかったのを覚えている。

展示当日になって来場者の受けもわりとよく、それで、これを機に、バーチャルミュージアムの仕事を正式に始めることと、相なったわけである。まあ、とにかく、人生なにがどうなるかって、分からないもんだね。

理念と魅了

また最近、Jordan Petersonの日本語訳とかやったりしているので、彼のことを考えるのと、あと、彼の周りで起こっている騒動を英語のソースで眺めてみたりすることがいくらかあるのだけど、いろいろ思うことがあるな。断っておくけど、僕はなぜだか数年前から、Petersonから距離を置いている。

世界は問題で、はち切れんばかりになっているけれど、平均した人々の生活は改善され続けている。何年か前から、これは日本でも起こったことだけれど、一般の人々が「現実問題にきちんとアクセスしろ」そして「現実の問題を解決しろ」そして「夢物語は止めろ」と言い始め、それがまたたく間に数が増え、日本では、理想を語る、ということが、夢ばかり見ているお花畑、と揶揄されるようになった。

そうなると、学校や大学の教育も「現実的」な方向に舵が切られるようになり、社会人になってすぐに役に立つことを教えろ、ということになり、とにかく理想なんかどうでもいいから、現実問題に対処する具体的能力を養え、ということになる。

実際、その「能力」を一番高度に身に付けているのは政治家という職業人で、その能力は「教え」によっては得られず、数多い実践を積むことと、あとはその人間の持つ適性(遺伝)によるものだと思う。後者はどうしようもないので、前者を教育の場に持ち込んで、いわゆる「アクティブ・ラーニング」(ワークショップを通して学生自らに気付かせる)という方法論がおおいに流行った。

Peterson先生の大学の講義をYouTubeで見ると分かるけど、彼はおおぜいの学生に向かって、とにかく一方的にしゃべりまくっている。質疑はゼロじゃないけどほとんどない。というか、あまりにしゃべりまくりなのでアクティブな学生もさすがに割り込めないみたいだ。そういう意味で、ここ最近推奨されているアクティブ・ラーニングの真逆に見える。

Petersonには信者がたくさんいる。若者が多いはずだ。彼は、要は、説教師なのだ。フォロワーは信者のノリで彼についてくる。

若者たちは、問題解決能力の取得をなかば強制され、それを得た者はそれにより自分に自信を持ち、立派な能力を身に付けた人間として、巣立って行く。というのが大人が描いたストーリーなのだが、そうじゃない若者がまた、大量にいる、ということだ。つくづく、人間というのは弱い生き物だなと思うのだが、彼らは「理論」に飢えている。「理想」に飢えている。「大義名分」に飢えている。

問題解決はできるようになったが、そもそも、その問題をどのような根本的な理由によって自分は解決しようとしているのか、ということがいつの間にか見えなくなってしまった、という風景に見えることが多々ある。

そんなところにPetersonが颯爽と現れたわけだ。彼の理論が正しいか、正しくないか、それは僕も知らない。ただ、彼には根本的な理論の極めてはっきりした「提示」がある。それに狂喜して飛びつく若者が大量に現れても、驚くにはあたらない。

僕の考えでは、大人は、やはり理論や理想を教えるべきだと思うけどね。そういう意味でPetersonに賛成する。多くの大人たちは、口を極めて彼を攻撃するが、若者たちを魅了する、というのはやはり大切だと思うよ。それら大人は、そういう安易な熱狂の虜になる若者に、常に警戒するように言い、自分の力でいいか悪いか判断しなさい、そういう能力こそ養いなさい、とか無責任に若者に忠告するが、それはねえ、ちょっと難しくて言い表しにくいけど「そういう独立心のある人間がいちばん偉いんです」という価値観の表明だよ(たぶん、これは一種のキリスト教のプロテスタント的な価値観だと思う) で、若者たちがもし、それで混乱するのなら、その価値観は、十分な説得力を持たなかったということだよ。

21世紀になって、物事は、理念と理念の戦いの場になったのだと、つくづく思う。前世紀の20世紀には、それらの理念が、大きな世界的な現象を引き起こすことが何度も起こり、それで世界は激動したのだけど(共産主義と資本主義の対立とかとか)、個人個人を動かすには足りなかった。それが21世紀では、個人レベルで起こるようになった。

誰がいちばん強い理念を持っているかによって、世界がリアルタイムで具体的に変わる、そういう世の中になったんだよ。僕には、これがものすごい「相変化」に見えるけれど、一方で、本当に大変な世の中になった、とも見える。引退して、山水の世界へでも、隠居したくなるはずだ(笑)

それはともかく、自分の考えでは、そういう理念の世界になると、大切なのは、どのように理念を構築するか、ということと、いかにしてその理念を世の中に現出させるか、の二つになる。それらが何に相当するかというと、前者が哲学、後者が芸術である。さいきん自分は、20世紀は科学と政治の時代、21世紀は哲学と芸術の時代、とときどき言っているのだけど、その理由は以上のようなものだ。

ただ、はっきり断っておかないといけないが、以上は、欧米のメインストリームのモノの考え方における筋道を示したもので、東洋、そして日本は異なる。欧米が世界の道筋を圧倒的な力で作ってしまったので、それに乗っている限り、彼らの土壌で勝負しないといけない。そのためには哲学と芸術が必須だ、と言っているのだ。

では、東洋、そして日本の独自の道というのは、あるのか。僕はあると思っているが、まだあまりはっきりしない。しかし、現在の中国の急速かつ極度の発展が、その一つの方法論を決定的に示したことは間違いない。そして、日本も、中国のように意識的にではないが、その独特の文化によって世界に、ある一つの道を示したことも間違いない。欧米のメインストリームにどうしても乗ることのできない大量の若者たち、しかも欧米の若者たちですら、日本の漫画アニメゲームが救済している風景は、見ていて不思議に思うほど世界に浸透している。

あまりに単純化しすぎているかもしれないが、そういうわけで、政府が、クールジャパンという、まったくCoolじゃない政策を推進しているのは、外してはいない。ただ、日本の筆頭商品の「コンテンツ」が、欧米価値に呪縛されて身動きできない日本政府の、正確なアンチテーゼから生まれていることは、理解するべきだと思う。では国はその貴重な商品をどう育成すればいいだろうか。それについては、また別途、書くかもしれない。