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誤訳

ロバート・ジョンソンの和訳は僕も出しているんだけど、かつてロバートの日本版のCDが出たとき、そこに対訳が載っていて、そこに誤訳がいくつかあった。中でも痛恨の誤訳が、They’re Red Hotというホーカムソングの中で繰り返し出てくるセリフの

Hot tamales and they red hot yes, she got ‘em for sale
(ホットなタマーレ 真っ赤で辛い それが彼女の売りもので)

で、この「熱いタマーレ」を「熱いトマト」にしてしまった。しかし対訳した三井さんもロバートの英語を自分でヒアリングしたんだろうか、すごい苦労。それはともかく、その誤訳を取り上げて当時の評論家の日暮さんが、タマーレはメキシコの大衆食で、当時貧しい黒人社会ではこのタマーレがよく食されていたのは常識で、そんなことすら知らずに、こともあろうかそれをトマトとして対訳を発表してしまうなんてのいうのは大変恥ずかしいことだ、とかとか味噌糞に書いてた。

読んでて、そんなに味噌糞に言わなくていいのに、って思ったけど、あの頃の黒人音楽関係の人たちって、そういう人、多かった。ちょっとしたことで大論争になって罵り合い。

それで思い出したけど、だいぶ昔、Mixiのコミュニティで、僕より年上の北海道在住のプロのギタリストとネット上で知り合いになって、楽しく会話していたのだけど、僕があるとき、たしか、Me And Bobby McGeeの和訳をネットに上げたことがあった。そしたら、その中に誤訳があった。

ちょっとどの言葉か忘れたけれど、アメリカのスラングに近いイディオムを僕が知らなくて、直訳してしまったのである。これ、非ネイティブによくあるミスなのだけど、そのギタリストの人はアメリカで生活したことがある人で、その誤訳を指摘した後、あなたのようにアメリカ語を知らずに和訳するのは大変恥ずかしいことで、日本人というのはこれだからいつまでたっても文化の正しい理解ができないんです、みたいに言われた。

僕は、ふつうにご指摘ありがとうございます、と書いて誤訳部分を修正したけど、それ以来、その人と完全に疎遠になってしまった。

オレさあ、その人の「恥ずかしい」っていう気持ち、よく分かるんだよね。今の時代では、もうそういう感覚はかなり薄れてると思うけど、それってはっきりと言ってしまうと欧米コンプレックスの裏返しなんだよね。しかもそれってコンプレックスなので、その英語の誤訳を文字で見ると、紙の上にその本人の一番恥ずかしい劣等感が晒されているように感じるんだろうと思う。それで、怒って感情的に攻撃してしまうんじゃないかなと思う。いまどきは欧米コンプレックスもだいぶ無くなったけど、昔はひどかった。

とまあ、この「コンプレックス」もほぼ誤訳なんだが(笑) 英語のComplexは複合心理で、日本語のコンプレックスは劣等感の意味になっちゃって、おかしい。しかし今はでも、もう、日本語でもコンプレックスなんて、言わないかな?

能面

たいしたことじゃないけど妙だったんで書いておく。京都滞在の最終日、京都国立博物館へ行った。改修中だとかで、特別展のみしか見られず、まあその展示は良かったので、いいのだけど、他が見れず、実はがっかり。

展示は畠山記念館コレクションというもので、能面、茶器、絵、日常品その他、さまざまな日本の物が展示されていた。で、館内は暗く、人も少なく、みなマスクしてるし、静かで沈んだ感じだった。僕はそれまで飲み続けで疲れていたのもあって、特段の感慨もなく、何も考えず順路通り歩いて、展示品をぼんやり見ていただけだった。

そうしたら、三つの能面が並べて展示してあるところにきた。最初にあったのが、「翁」の面で、解説を読むと、この翁というのは能の演劇で特別の意味を持たせるというよりは、民族的に古くからある天下泰平を祈るシンボルで各地域での礼拝の対象であった、などと書いてある。

それを読んで、なるほどな、と思い、次の面を見ると、これは「小面」で、おなじみのあの若い女の顔である。

そしてそれと並んでいたのが、あやかしの面であった。これは「怪士」と書いて、戦いに負けた武将の怨霊である、とある。

なぜだか分からないのだけど、この小面(こおもて)と怪子(あやかし)が並んだのを見て、突然、気持ちが怪しくなり、そのまま号泣に近い状態になった。幸い、マスクしていて外から分からないし、人も少ないし、誰にも気づかれなかったけど、しばらく止まらず参った。

おそらくだけど、この怪子は俺だ、と感じたらしいけど、もちろん定かではない。

その展示では、それ以外に心が動くようなものはなく、ただ、たとえば琳派の絵に素晴らしいのがあったり、ふつうに感心して見ただけだ。会場を出て、係員の人に、改修中で展示はこれだけです、と言われ失望して、それで館を出て、三十三間堂があまりに真ん前にあったんで、入り、なんの感慨もなく出て、飯食って、京都駅から新幹線に乗って名古屋で降りた。

友人と会うためだったが、その夜一緒に飲んでいて、僕に付いている守護霊の話になった。それは、頭の禿げた老齢の武士で、きちんとした装束で無表情でいるそうなのだ。昔からそう言われていたので、その時は、まだ同じ霊がいるのを確認した形だった。

それで、さっきの能面のことを思い出し、なんでいきなりあのような堰を切ったような感情に襲われるのだろう、と考えると、それはなにかの過去の関係性が、霊界でつながっている、とするととても納得がゆく。

若い女、堕ちた武将、老武士、それから太平の象徴の翁、といったいくつかのキャラクタが、どうやらどこかで何かを演じているらしく、そのあの世で演じられているドラマが、現世界に「僕」という人間を投影して、それで動かしているらしい。

遠い過去になにかがあったらしいが、それがなにかは分からない。以上、まったくのたわごとなのはわかっているけれど、そうとしか思えないことが起こるのだから仕方ない。

プロのコピーライター

オレね、今また、自分の発案のサービスをやろうとしてて、それにサービス名を付けようとしてるの。で、今回は、オレはネーミングの決定には一切かかわらないことに決めてるの。

オレ、一回、これについて大きな失敗をしてるんだよね。もう時効に近いんで言っちゃうけど、かつてプロのコピーライターに頼んで、サービス名を作ってもらったことがあって、彼が5つぐらいの案を持ってきたのね。で、彼、これは自信作ですよ、って言って、ハイ!って見せたのが

「打っテレ」

だったの(ダメですよ、これ使っちゃ 笑)オレ、そのときの責任者で、決定はオレに一任されており、それで、これを却下しちゃったの。あまりに日テレみたいなのと、あまりにおふざけなのと、あまりにただのダジャレに見えたせいなの。で、結局、オレが選んだのは

「Zibang」

だった。これは、おそらくコピーライターの彼も、まあ、予備ていどに入れといた名前だったと思うんだけど、それを選んでそれに決めちゃったの。

それで、その後サービスをローンチして、で、まあ、1年弱ぐらいで頓挫したわけだが、もちろんその名前のせいでダメだったとは思わないけど、いま現在の大人になった自分(笑)から見ると、打っテレってネーミングは最高だった。心底、打っテレにするべきであった。

それ以来、プロのコピーライターというのは、やはり、すごい、って思うようになった。まったくのところもったいないことをした。オレの転職後1年半での頓挫人生には、これに類する後悔が山ほどある。

で、だいぶ賢くは、なった。なので、今回は、オレは絶対にネーミングに関わらないって決めたの。

何もしていないとき

だいぶ前から、僕らって何もしないとき何してるんだろう、って思ってた。何もしないってのは意識が飛んでるときのこと。
 
うちから学校まで自転車で10分弱なんだけど、かなり長い坂を下りて行く。車もほとんど通らず快適なのだけど、坂を下っている5分間のうち、意識があるのって合計1分ぐらいな気がする。何回か意識的に、自分がどれぐらい意識的か意識してみたことがあるんだけど(言ってること訳わからんな 笑)、やっぱりせいぜい2分ぐらいだった。あとの時間は、何にも見てない。いや、眼には見えているけど何にも処理されてない。
 
もっとも脳科学的に言えば、その何もしてないときには、なんか脳が外界や内界の状況につき自動思考をしてる、ってことになるんだろう。でも、そうだとしても、自分にとって「なにかの変化」が起きない限り、視覚は戻って来ない。
 
なにかの変化というのは、坂下りなら、もうすぐ路地がある、とか車の音が後ろから聞こえたとか、そういう変化である。これらの変化が無いときは、自分には何にも起こっておらず、眼が開いているだけの状態になっている。
 
やっぱり、それは見てない、ということじゃないだろうか。
 
一度、自転車で坂降りてるとき、無意識状態をなるべく保って降りようと試みたけど、すぐ怖くなって、つまり「怖くなる」という変化が心に浮かんで、そのせいですぐに意識が働いて、眼が見えるようになってしまう。
 
でも、もし、これが自転車じゃなくて、坂道に沿ったモノレールの上に乗ってるなら、自分の中に、怖くなる、っていう変化が起こらないから、そのまま無意識で支障ないし、現に、多くの人は電車で居眠りしてる。
 
大森荘蔵が言ってたけど、私たちは、盲目の人は真っ暗な暗闇を生きていると想像しがちだが、それは間違いで、彼らは私たちが前を向いているとき後ろが見えないのと同じ意味で見えないのである、とのこと、なるほど、と思ったが、その坂を下る5分間のうち、3分間は、オレは盲目の人とまったく同じ状況になっているはずだ。
 
そんなことを考えて、こうやって部屋でぼんやりしてると、自分ってのはホントに細切れで生きてて、大半の時間は無意識で何にもしてない。
 
ところで、コロナのせいでずっと引き籠り。

エラい人

日本の政治家が異常なほど偉い、という話をしてたんだけど、これはホントのこと。僕がむかしNHKの研究所にいたとき、たまに政治家の先生が来ることがあったのだけど、はたで見ていて、完全に異様なほどの接待をしていた。その上下の距離たるや、果てしない。完全に将軍様で、そういう意味で、北朝鮮の将軍様の振舞いとなんら変わらない扱いだった。

もう20年ほど前のことだけれど、それを見てて、自分は、ああ、これは日本の政治家は一回やったら止められないだろうなあ、って思った。
 
で、自分のことだが、自分はこれまで、 人材的に偉い方向へ取り立てられることがあまりなかった人間だった。そういう器ではないというのもあるけれど、自らも「偉い身分」を避けて通ってきた、という面があった。しかし、過去に一度だけ、そういう機会があった。
 
それは、もう、先の政治家に比べると鼻クソみたいなものだが、学会の論文委員会の委員長だった。僕よりちょっとだけ年上の先輩で、このまえ早くして死んでしまった人なんだけど、その人が委員長だったとき、自分の後釜として、林君ならできる、と推薦されたのである。
 
で、委員長になり、最初の数か月はどう振舞っていいか右往左往で冷や汗ものだったのだけど、半年ほど経つと慣れてきた。そうしたら、人の上、それも一番上に立つ、っていうのは、こんなにも気持ちの良いものなのか、というのが実感できた。
 
委員会はたかだか20人ていどで、その委員の下にさらに下々のものが大勢いる、という構成だったけれど、その委員会で、一番いい席に座って、それで自分が、何かについて、極めていい加減なことを言っても、並み居る人々が、それを尊重して、斟酌して、忖度までしてくれる。こんな快感はそうそうあるもんじゃない、と、冗談抜きで思った。
 
覚えているが、いい加減な見解なのよ、僕の言ってることって。思い付きだったり、単に口からついて出てきたことだったり、誤魔化しだったり、自分は、自分が言ったことの底の浅さをまあまあ自覚している。それなのに、そのたわごとひとつで、みなが動いてくれるわけ。良きに計らってくれる、というか。
 
この経験はたった一年の任期で終わったけれど(二年だったかな?)自分的にはそれなりに貴重な体験だった。先も言ったように、日本で「偉い人」になるというのがどれほど、ほとんど麻薬なみに気持ちのいいものか、というのが分かったから。
 
僕はそれ以来、そういう立場についたことが無い。というか、ひととき、実はあったのだけど、その権利をまったく行使しなかった。そのせいで失敗したんだけどね、見事に。
 
結局、オレは政治家的なふるまいにはまったく向かなかった、というのが結論なのだけど、いまの日本の政治家がなぜ、あのように傲慢に振舞い、そして権力にすがり付くか、それは、そういう意味では理解できるんだ。
 
一種の麻薬だよ。というかある種の人性にとっては麻薬以上。

宇宙とロマンチシズム

この前、イケダ君が僕のこの覚書集を思い出させてくれて、100個作ってすべてに解題を付ける、という構想だったので、ヒマなときに続けようと思う。
 
http://hayashimasaki.net/oboe/index.html
 
で、この中の第30段に「太陽系に大巨人が現れて月をスコンとたたき出したら日食の予言は外れる」っていうのがあって、これには思い出がある。
 
むかしまだ若いころ、研究所にいたとき、そこで、週二回の夜、社食で酒が呑めるっていう企画をやってた。そこでオレも仕事後、よくビール飲んでた。あるとき、その中の先輩と宇宙の話になった。で、その先輩が
 
「この広大な宇宙の、果ての果てに星があって星雲があって、そういうものを今この地上にいる僕らがそれを知っているというのはすごいことだな」
 
みたいに言うので、当時はまだ若く、食えなかったオレは、いきなり
 
「それは、宇宙の単なる一つの見方に過ぎず、ただのロマンチシズムです」
 
と発言し、その先輩、怒ってえらく熱くなって、なにい? 林、お前そう思ってるのか、なんて奴だ、云々となって、しばらく論争になった。
 
で、その食堂呑みに、別の先輩(その先輩より先輩)がいて、その人はパワハラで有名な食えない人だったのだが(まだパワハラという言葉が無い頃だけど)、その人に、口論してる先輩が
 
「Xさん! 聞いてくださいよ。こいつ、科学が明らかにしたこの宇宙に広がる物質の世界をつかまえて、ロマンチシズムだ、って言うんですよ」
 
と言った。そしたら、その先輩の先輩が、予想に反して、うーん、としばらく考えたのち
 
「それは、林君の言う通りかもなあ」
 
と言ったのである。その先輩の先輩は、論理的に説明することに超うるさく、それがゆえに部下にパワハラしていたわけで、部下が論理的に正しく説明するまでは一切許さない人だったので、ガチガチの理屈屋だったと言っていい。
 
なんとその人が、物質科学は一種のロマンチシズムだ、というオレの暴論に賛成してしまったのである。
 
それを聞いた、当の先輩は、一瞬で閉口して、二の句が継げなくなってしまい、なんかぶつぶつと文句を言ったあと、黙ってしまった。
 
こんなことがあった若いころだけれど、その後、自分は、冒頭であげた覚書のように、宇宙のことが科学で分かるようになった、って言ったって、もし、たとえば突然、太陽系に大巨人が現れて月をスコンとたたき出せば日食予想などあっさり外れるじゃないか、と考えるようになった。

もし、あのときその先輩にそんなこと言ったら、お前オレをバカにしてんのかって余計怒っただろうな。でも、大巨人なんていうから荒唐無稽扱いされるけど、人類が核弾頭を月に打ち込んで軌道を変えれば、やっぱり日食予想は外れる。その月へ飛んで行く核爆弾を大巨人、と名付けても何の問題もなく思える。
 
そして、さらに年月が経って、最近では、物質科学信奉者を捕まえて、あなたのそれは宗教の一種で、あなたは科学教の信者だ。自分が信者だと気づいていないところが、よけいに科学教の信者だということを証明している、などと、だいぶ過激なことを言ったりする。

でも、考えてみると、自分の若いころの初心に戻って、あなたのそれは一種のロマンチシズムですね? と言った方が良さそうだね。そしたら、その人はロマンチスト、ということになり、なんか、いいじゃん。僕はロマンチストは大好き。

コンテンツやアートとアカデミア

ここしばらく科学者が科学を批判、あるいは告発することが、けっこう目に付くようになった。その真偽はめいめいが決めればいいことだけど、ここでちょっと害のあまりないことをひとつ。
 
僕の研究分野は、コンテンツ制作技術なのだけど、この分野はアカデミックな論文を通すのが難しい。たとえば、CGを使ってどんな魅力的な映像(コンテンツ)を作るか、ということをやっているわけだけど、その結果をそのまま論文に書いて投稿してもまず、リジェクト(返戻)される。というのは、コンテンツ制作は実は「アート」の一分野なのだが、ところが、その結果を「コンピュータ・サイエンス」など理科系の学会に投稿するからである。工学技術者の多くはふつうアート作品を評価できない。
 
ところが論文が通らないと研究者のステータスが上がらず、昇進できないし、それよりなにより今では多くを占める期限付き研究者にとっては死活問題で、論文が通らないと職を失って路頭に迷う。なので、まずは論文は通らないと困る。
 
で、どうするかというと、工学技術者でも評価できるようなおぜん立てを論文の中に入れて投稿する。それは何かというと、主観評価実験である。主観評価実験っていうのは、無作為に被験者を20人以上集めて、その人たちにコンテンツを見せて、たとえば5段階で評価してもらい、過去のコンテンツと比較して、自分のコンテンツの方がいい、ってやるわけだ。
 
20人の人間の感覚はまちまちだけれど、20人ぐらい集めればそこそこに平均化して、主観に基づく判断も「客観的な評価」とみなすことができる、という統計手法を使うわけだ。
 
まあ、これ以上はえらく専門的になるので説明しないけど、こと「コンテンツ」すなわち「アート」に対する評価としてこれほどいい加減なものはない。アートを知っている良識ある人ならば、いかにこれがいい加減なものか知っているはずだ。でも、アートの評価ができない人々に納得してもらうには、この方法しかないので、仕方なしにやるわけだ。
 
実はこれ以外にも結果のコンテンツを評価する方法はある。たとえば、結果に対してcritical thinking(批判的考察)を加えるという方法もある(アート業界ではこれはreflectionと呼ばれたりする) しかし、工学者はアートの素養そのものが欠けている場合が大半なので、彼らはその批判文を見てもただの「屁理屈」とみなして、却下する。で、客観的な理由を示せ、と迫って来る。で、しかたなしに評価実験をやってグラフを描いて、数値を見せるわけだ。
 
先に書いた理由で、論文は通さないと意味がないので、この実験をくっつけるのだが、僕はここで白状するが、いままで実験計画がかなりいい加減なことを分かっていて、それを論文に書いて出したことが何度もある。詳細はここでは言わないが、やった本人(僕)は何がいい加減かちゃんとわかっている(このいい加減は雑という意味ではなく、きちんと実験しているが、実験の目的が、アート的良心のためでなく、論文を通すためになっている、という意味である)
 
もちろん、査読する工学者もきちんとした人たちなので、その「いい加減さ」は突いてくる。でも、しょせん工学者がアートの本質に達することは、まず、滅多に無く、底が浅いので、僕の方はその予測できる反証が起こらないように、実験を塩梅するわけだ。
 
ただし、さすがにデータの捏造はしなかった。データを捏造すると、これはもう犯罪行為とみなされるのは、小保方さん騒動で周知のことになった。ところが、実験そのものをコントロールしたり、条件をコントロールすることで、望みの結果が出やすいように誘導することは、それほど難しいことではなく、これは悪い事でもない。
 
詳細に見て行けば、いったいこの実験をやった人がどこを誤魔化したかは、本当は判明するのだが、ことアートの件になると、査読する方にそのカンが働かないので、追及されずに済むようにコントロールできる。
 
と同時に、これを追求し過ぎると、逆に査読している人のアートの素養の無さが暴かれることになるので、ふつうはそんな馬脚を現して恥をかきそうなことはやらず、論文執筆者と査読者の間の阿吽の呼吸で、追及はあまり深入りしないていどで止めるのが普通だ。じゃあ、結局、どこで採録か返戻か決めるかっていうと、論文全体の総合的な信頼性を持って決めたりする。
 
ただ、偏屈な工学者ってのは、けっこうな数いるもので、ひたすら返戻を出しまくる困った人も一定数いる。僕がかつて論文委員長だったときも、「困った査読者ですねえ」とか言って、適度にその人へ論文査読が回るのを避けるようにしていたものだが、それもあまりやり過ぎると社会的信用を失う恐れがある。かくのごとく社会の趨勢に乗りながら、かつ、自身の良心と折り合いをつける、という非常に厄介な綱渡りをするはめになったりもする。
 
さてさて、いったいこれで何が言いたいかというと、まあ、それほどひどい批判や非難をする気は無いのだが、テクノロジー系コンテンツやアートについて、世に出ているアカデミックな内容やそれをベースにした定説などは、話半分にそこそこに受け取ればいいもので、そんなに正しいものは無いと思っていい。コンテンツとかアートとか、そもそも平和なもので、人も死なないし、世の中への影響も大してない分野なので、そのていどのいい加減さでもいいんじゃないか、と思う。
 
ところが、これがコンテンツやアートだから呑気にいい加減なことを言っているが、今回の伝染病のように、感染症だ、医学だ、環境問題だ、ってことになると事は深刻である。
 
しかし、かろうじてアカデミアの内情をいくらか知っている僕が思うに、本当のことを言うと、それらシリアスな分野においても、先に紹介したコンテンツやアートのときと事情は似通っていたりする。そんな状態なので、言いたいことは、「みなさん、世の中には、正しいか間違っているか、良いか悪いか、という明快な区別判断は無いんです。科学で証明されれば正しいと感じてしまう人はぜひ思い直してもらって、科学を過度に信頼しないように心がけてください」ぐらいですかね。

Dアップ

そういえば思い出したが、僕が初めて秘密組織というものを、実際に経験したのは、今からおよそ20年前にN研究所で働いてる時だった。僕は陰謀論者でも秘密主義でもなんでも無いのだけど、あの経験はなんか印象的だったので今も覚えている。

あ、期待しないで。つまらない話だから(笑

当時(いまでも?)N研究所では、管理職への昇進を、俗にDアップと呼んで異動時期に辞令が下りる仕組みになっていた。Dグレード以上は管理職なんで、Dアップって言うんだろう。あの頃の職員制度はシンプルで、管理職と一般職の二種類しかなく、ある年齢に達して、ある査定が下ると、一般職を管理職へと昇進させるってわけだ。

あるとき、異動時期に、僕がそのDアップになった。職場にいると、誰だかに呼ばれて、所長だかの部屋へ入って、そこで辞令を受け取るってわけだ。オレは当時、世俗にきわめて疎かったので、辞令受け取っても、へえー、管理職ねえ、って思っただけで、特段の感慨もなかった。

で、翌日(かな?)には、オレは管理職になったわけだが、別に仕事の様子が変わるわけでもなく、そのまま出勤してふつうに仕事してた。

そしたら、別の個室にいる部長と副部長の部屋へ行くように言われ、行ってみたら

「林くん、あのね、今日の夜、ちょっと会合があるんだけどね、それに出てくれる? 場所は成城学園のマ・メゾン、あそこね。予約してるから、来てね」

と言われた。僕もその時は、それ何かの宴会ですか? とかなんとか聞いたけど、来れば分かるよ、としか教えてくれない。

で、夜になってその成城のフレンチレストランへ行ったら、大きめの個室が予約されていて、そこに通された。で、その部屋に入ったら、なんと、僕の部の管理職の全員がすでに大テーブルに座っているではないか。

オレが入って来るのを見て

「林くん、おめでとう、今日から君もわれわれの仲間だね!」

とか言うのである。で、聞いたら、管理職会という会があって、これは一般職にはその存在を知らされておらず、定期的に会合を開いては、管理職だけで、仕事に関する密会をしてる、ってのが分かった。

まー、政治家で言うところの料亭の会合みたいなもんだ。

新米管理職のオレは

「へええ! こんなことやってたんですか!」

とか反応したが、まあ、十人弱はいたと思うんだけど、みな、笑顔でオレの肩叩いたりして、やけにフレンドリーなの。そのときの特権的感覚の快感、っていうか、そういうのを何となく覚えていて、その秘密な感じがとっても印象的だった。

もっとも、世間知らずの自分は、管理職の仲間入りをしても、特段に嬉しくもないし、責任感を感じてなんか自覚するわけでもなかった。あの特権的秘密団体への、なんというか帰属意識みたいなものをオレがあのとき持てたら、ずいぶん変わってただろうな。

ところがオレは、そのまま管理職業務をテキトウにこなしながら、自分勝手にやりたい放題やって、あげくの果てに、上が止めるのもあっさり無視して、辞表出してN研究所を辞めちゃうんだが、オレも、もうちょっと世俗が分かるのが早ければ、今ごろもっと楽に生きてたのになあ、とは思う。

カセットプレイヤー

オーディオ談義。

オレのオーディオのメインギアは、自分で作った2A3シングルの真空管アンプと、フルレンジスピーカをインストールしたトールボックスで、大変良い音がする。

オレ、かつて、アパートで一人暮らしをしてたことがあって、もちろん、このギアを部屋にどかんとセットして、CDかけて、ええ音やなあ、と悦に入っていた。

ある日、友人が部屋に遊びに来た。もちろん、そのオーディオセットであれこれBGMして、酒飲んでた。そしたら、彼が部屋の隅っこにあるブツを指さして、それ、なに? という。ああ、それはオレがヒマつぶしに作ったカセットプレイヤー、って答えた。

そう。それは、適当な板の上に立体配線で作った真空管カセットプレイヤーだったのである。ウォークマンをスペーサで板に固定し、そのヘッドフォン出力を2球のモノラル真空管アンプで増幅し、それを、8cmぐらいのスピーカを100円ショップで買った木箱に入れたヤツで鳴らす、ってシロモノだった。

オレ、聞いてみる? って言って、部屋の隅のカセットテープ箱をがさごそして、大昔にダビングした、Muddy WatersのSale Onというラベルのついたテープを持ってきて、電源入れてセットして再生ボタンを押した。B面をかけたんだな、オレ。曲は、I Can’t Be Satisfiedだった。Muddyのエレキ弾き語り。

そしたら、それを聞いたその友人、即座に

林さん、こっちのほうがぜんぜんいいよ! あっちの化け物みたいなのより、ずっといいよ!

と言うのである。で、オレはというと、うーむ。たしかにこっちのほうがはるかに音がいい。不思議だなあ、って思ったけど、きっと1948年に録音したMuddyの音は、圧倒的にこの糞チープなカセットテーププレイヤーに軍配が上がるのだ、と思い知った

その後は、ずっとこの糞カセットプレイヤーでブルースを聞き、いい気分で酒を飲んだ。

オーディオってね、そういうもんだよ。