久しぶりだな
ああ、たしかに
独り言が始まるときはだいたいが調子が悪いときだけど、今回もそうか
まあ、そうでもないんだが、退屈なんでね
スウェーデン生活なかなかなれないみたいだな
うん、1年で基本、ふつうに暮らせるようにはなったけど、そのぶん物珍しさも減ったし、そろそろ退屈になってくるってころなんじゃないか?
ま、いいや、それで今日はなんだ
思い出ばなし
そういや、お前って、昔の思い出ばなしって意識的に嫌ってるだろ。過去の友人たちで集まって昔話に花が咲いてるときだって、いつも斜に構えて、ああ、とか、うん、とか、そうだったな、とか相づち打ってるだけ、と
うん。なんか老人くさくて嫌なんだよ
でも、俺たちもう老人だろ、ほとんど
だから思い出ばなしするって言ってるじゃないか
老人臭くなく頼むぜ
ああ、あのな、昨晩、ネットであれこれしてるときに、なんでだったろう、ふと、山口巌という名前を思いついたんだよ、たぶん、なんかの連想で
おお、ヤマグチイワオとはなんと懐かしい!
だろ? それで検索窓に山口巌って入れてリターンキー押したら、いやー出てきちゃったんだよ。あいつが
へーえ、まだ健在なんだ
ああ、本人のホームページがバスっと出てきたよ
おい、ちょっと山口巌とおれたちの関係のバックグラウンド話せよ
そうだな。俺がまだ大学に入りたてのころ、そのころは大森に住んでいたんだが、大学生になり、酒もタバコもやり始め、そんなときに大森駅界隈をぶらついていたんだ。あそこには、バス通りより一段低くなった線路沿いに小スナックが乱立する小路があったよな
ああ、地獄谷ね。なんと30年以上たった今でも取り壊されもせず、まだ、あるよ
うん、それでその地獄谷へ降りてゆく崩れかけたようなコンクリートの階段を下りた真ん中へんに「チャレンジャー」という、バーのようなスナックのような店があったわけだ。その日の夜は入口に、ライブ演奏をやってる、っていう立て看板があって、へえー、と思い、入ってみたわけだ
あそこ、入口から中も見えないし、入りにくかったよな。よく入ったな。
うん、でも、まあ看板にたしかフォークライブって書いてあったはずなんで、敷居が低く感じたんじゃないか?
それにしても、むかし話とはいえ、その扉を開けて入ったことが、おおげさに言うとオレたちのその後の人生のかなりを左右したといって過言じゃないな
そうなんだよ。そうやって考えると、恐ろしいことだよ。俺の前半生の大半を決めてしまったかもしれない、あそこが
こわいこわい。で?
中に入ったらすでにライブは始まっていて、薄暗かった。人もそこそこに入っていた。うなぎの寝床みたいに入口から奥に向かって細長く、右側がカウンター、左側がベンチ席、店内は山小屋風のウッド調。細長い一番奥に小さなステージがあって、そこで誰かがフォークギター一本で日本のフォークソングっぽい歌を弾き語りしてた
あそこ、たぶん相当に古い店みたいで、薄汚れてて、臭かったよな
ああ、典型的なネズミのフンの臭いのする古店だったな。さて、それ以来だ。オレはそこで一発でマスターや客と仲良くなって、そのまま常連まっしぐら。まあ、通ったこと、通ったこと。大学生だった六年間の前半は、ほとんど毎日行ってたんじゃなかろうか
サントリーレッドのボトルを入れて、ロックで飲みながら、タバコ吸って、下らない話やら、発散しっぱなしの議論や、恋愛沙汰や、喧嘩やそのほか、まあ、混乱と不摂生の極みってところだな。あの時代に俺たちの脳細胞はかなり死滅したんじゃなかろうか
ははは、そうだな。しかし、昔話を始めると長くなりすぎて肝心の山口巌に到達できない気がしてきたな
山口巌は次回にしといたら?
そうね。ま、やつが登場するところぐらいまでしゃべるか。オレは当時すでに黒人ブルースをやり始めていたんで、すぐにそのチャレンジャーの常連出演者になったわけだ。芸名はハウリン林といってた。そこでは、みなに「ハウリン、ハウリン」と呼ばれてた
Howling Wolfから取ったんだよな。しかし、まあ、今から考えると恥ずかしいネーミングだよな
まったくだ。若いってのは、おもしろいや。で、ブルースを日本語にして弾き語ったりしてたわけだが、そこに、あるとき出演希望で現れたのが、山口巌だったわけだ。ひょろっと背が高い、きさくな、ひょうひょうとした感じの人でさ、フォークギター一本で日本語のオリジナルを弾き語るんだけど、どの曲も、非常によくできた曲でさ、感心したわけだ
うん、ジャズをベースにしたポップスだけど、激しい表現は皆無で、ギターをつま弾きながら囁くように歌うシンガーだったな
うん、今思っても曲はどれもよくできてたな。で、すぐに知り合いになり、そうこうしているうちにオレが彼のバックにつくことになったわけだ。彼が生ギターで弾き語り、オレがエレキでリードをつける、って感じだった。チャレンジャー以外でもデュオでいろんなところで演奏したな。自由が丘のパブでレギュラーの商売演奏までしてたことがあった
山口巌の曲は女の子うけする感じだったよな。というか、普通の女の子にうけるというより、スナックやバーの水商売系の女性にすごくうける曲だったな
うん、ジャズの香りがする大人の音楽って感じだったからな。歌詞の内容はほとんどすべて色恋。それもきわめて表面的な大人の軽いノリで、深刻なところがぜんぜんなく、いわば大人の軽薄みたいな感じで水商売向きだったんだと思うよ
なにはともあれ、いちおう、山口巌が出てきたな。それで?
またここからが長いんで、もういい加減に今回は適当なところで止めるぞ
ああ
その当時のチャレンジャーのマスターはカナモリさんという人で、この人は水商売が長い、ほとんどヤクザ一歩手前みたいな雰囲気の、プロ中のプロだったわけだが、なんかの事情でマスターを下りることになった。そのときに、店の後をつぐことを名乗り出たのが山口巌、ってわけだ
あ、思い出したけど、あのとき、カナモリさんが後釜探してるってとき、おまえ名乗り出ただろ、オレがやろうかな、って
ああ、若気のアホってやつだ
カナモリさんは大人なんで、オレを見て、まるでそれを本気にしなかったっけな
そりゃそうだ
で、山口巌がマスターになった、と
そういうわけ。すでにけっこう長くなったが、山口巌がマスターになってからが、本格的なチャレンジャーライフだったんだよな
そうだな、またにすっか。それにしても「チャレンジャー」っていう店の名前もなんだか恥ずかしい系のネーミングだなー 時代がかってる、ってことかな。フォークハウスだったわけだけど、当時の日本のフォークミュージックって、たしかに「チャレンジャー」って雰囲気、あったな
そうそう。なんか妙に青臭くて、妙に情熱的で、変に素朴な感じがあった。それこそ、時代だぜ
オレたちもひところは、それにどっぷり、と
結局、オレたち40歳になるまでの20年間その影響の下にあったと言ってもいいな
死んだ親父は、このチャレンジャーへのオレの入り浸りを警告するようなこと、ずいぶん言ってたっけな。おまえもそろそろいい加減にデカダンス的な生き方を止めて、堅実に社会に目を向けるべきだ、と再三言われていたっけ
そうだな。オレは耳も貸さなかったけどね。
で、40歳になって、やむにやまれぬ本能からか、無理やり大転換を図る、とこういうわけだな?
ああ、その件は、あまりにプライベートなんで語るのは今はやめておくけど、あそこまで過激に縁を切るとはな、自分でも思ってもみなかったし、今から考えても、よくそんな無茶をしたもんだと思う。ただ、お前が言うように、あれは「本能」から来ている。なので、そのとき自分はその本能から来る衝動に、まったく逆らえなかったともいえるな
それからほぼ15年がたったわけだけど、それで、どうよ
どうにもはっきりしているような気がするんだが、結局は、前半生ノリをそのまま引きずっているように感じるな。生活自体は転換したが、本性はやはり変わってない気がする
というと、あの地獄谷の入口にあるチャレンジャーってヘンなフォークバーの扉を開いたのが、運の尽きってことか
そうだ
運命というのは、恐ろしいもんだな
ああ
それで、おまえ、いま、スウェーデンくんだりに住んでいるのも、そのせいか
たぶん、そうだ
へーえ
あーあ、今日は休肝日にしようと思ったけど、なんだか飲みたくなっちゃったな
飲みゃいいじゃん
じゃ、ビール一缶だけ飲んでいい?
オレに聞くなよ。オレだった飲みたい気分だぜ
ほどほどにしとこうな
ああ、明日があるしな。飯も作れよな
うん、じゃあ、チャレンジャーに乾杯、ってところか
山口巌の話をまた、してくれよ
それは次回に。それじゃあ、冷蔵庫、冷蔵庫、っと
ちなみに、ここで言ってるのはこの山口巌、です。本人のために補足しておく。
新どうでもいいこと20