最近さあ、とあるメールリストで超能力の話しが出て、みな大変だな、すごい興味を隠しきれずって感じだよ
どんなふう?
その中のひとりが自分には超能力がある、いや、彼はこれをただの能力とよんでいるけど、とにかく自分は例えばヒーリングができる。で、これは誰でもできることだと言ってる。で、みながとても普通に興味をもっている
はあ、なるほど。しかし、超能力や念力の話はいつでもとぎれることなく話題になるな。単純な科学で説明できない現象を疑うこと自体がほとんどナンセンスになったのはいいことだと思うよ。それはもう事実なんだから
そう。で、話ししてる人たちも、さすがに一昔前の、それは科学的に見て疑わしい、などと真っ向から対決する奴はいないよ。実はそう言いたい奴もひどく警戒していて、半信半疑だが、心の狭い偏狭な奴だと皆に思われるのを恐れている、ってとこか
そうね。その手の論争ももううんざりって感じだしな。で、みんな何言ってる?
ああ、そいつは、例えば念力で手を触れずに物を持ち上げる、なんてのは意味がないと、つまり実際に手で持ち上げればすむことだから。で、眼に見えない何か効果を上げることができる能力を対象にしている。だからこれは超能力ではない、ただの能力の延長だと言ってる
それはその通りだよ。そう定義すれば、超能力とは、有機体の持ってる能力全体を指すことになるけどな、人間で言えば創造の能力全体を指すことになる。
そうそう。超能力、念力などなどが人を引きつけるのは、人間が必要なしと捨ててきた能力、例えば昆虫の持っている能力にあこがれるということだろ。で、昆虫の能力を人間が手に入れて何の役に立つのか、と考えることは、まあ健全だな
まあ待て、それでくくるにはまだ問題があるよ。人間には昆虫の能力が残ってるし、分からないけど必要でもあるぞ。おれはかねがね思ってるけど、香港の街を見渡すとね、あれは昆虫の本能そのものだ。と言うより昆虫の美学で出来上がった街だ
はあ、で、昆虫の能力がまだ人間に必要だとすると、それは美学に役に立つっていうのか?
うーん、そうかなー。いや、俺を満足させるためだ。待てよ、じゃ、なぜおれはあの昆虫的なものの直中にいて満足をするんだろう。分からなくなってきた
昆虫だ、人間だ、と分けるのが悪いんじゃないか?同じ生命だ、と思えばいいじゃないか
いや、それはいやだ。ここには何か非常に古い因縁のようなものがある気がするな。人間と昆虫は古い古い昔、争って袂を分かったんじゃないかな。それでどうもお互いに憎みあっているような気もするしなあ・・
ずいぶんとアングロサクソン的考え方だな。アメリカが日本に爆弾を落としたのは、白人が東洋人を虫だと思っていたからだ、って言ってた本田勝一を思い出すよ
でも昆虫はとても魅力的だが、やっぱり最初に感じる生理的な反応は嫌悪感だろ?そりゃムカデがかわいいという人もいるさ、でもやっぱり何かあの形は気持ち悪いじゃないか。それに比べてほ乳類はたいがいかわいく見える。やっぱり何か根本的に違うものがあるんじゃないか?
たしかにそうだけどさ、ムカデで思い出したけど、ブッダが死ぬとき、猿も犬も泣いた、で、およそ地球上の生き物みなが泣いたそうじゃないか。で、中国かな?とにかくブッダの死を描いた絵を見るとさ、下の方でカエルやトカゲや、何とムカデも同席して泣いているんだ。
そうだ、あれこそ本当の大団円だ。で大切なのは、あの絵でさ、ブッダは一番上の中央の一番いいとこで横たわっているだろ、そしてその回りに泣いている弟子達、それを取り巻く犬や猿、それをまた取り巻く虫や何か、そして一番末席にムカデがいるんだよ。彼はもうほとんどお情けで同席させてもらっている、でもその彼もやっぱりブッダが死んだのを悲しんで泣いているんだ
つまり本当の平和は階級社会の中にこそあるのだ、と言いたいのか。もっとも現代人の心情には反するよな
あのね、正直に言うと、これら東洋的大団円の正確なアンチテーゼがキリストの死だと思うよ。あそこにはムカデどころか犬も猿もいやしない。荒涼とした眺めの中に、歯を食いしばって泣いている人間達だけがいる。あれを見るとね、ぜったい許せない、という悲壮感が伝わってくるよ
ちょっと待て、分かった。つまりあそこには大団円の愛情の代わりに憎しみと復讐心があると言いたいんだろ。しかしね、古い宗教画を見るとね、それらと共に、純粋な悲しみもあるぞ、何というか昇天するような恍惚感があるじゃないか
だからさ、それらは実は東洋産なんじゃないかなと思うんだ。現に西洋の古い宗教画のルーツを辿ると東洋に行き着く。
で、西洋的なものだけを抽出すると復讐心だっていう訳か、うーん
じゃもっと正直に言おう。このキリストの死刑を出発点にして、最後の最後、現代の民主主義に行き着いたような気がするよ。つまり、最も社会的に高い人が、最も精神的に高い人を理由なく殺した訳だろ。だから今度はキリストが属していた最も階級の低い人間達が復讐を誓った。それで民主主義に行き着いた。民主主義は西洋的なものの結末なのだ。でもそれは元々憎しみをそのはじまりにしているからきっといつか破局する
おまえはやっぱり極端だ。ほとんど受け入れがたいな。そのおまえが使っている極端な二元論こそが西洋産だよ
・・・。うーん、確かにおまえの言うとおりだ。あーあ、これが限界か、イヤになるな。これはお定まりのニーチェの論理だもんな
でも思い出したけどドストエフスキーも同じ事を言ったな、つまり自由、平等、友愛、シカラズンバ死、とね。つまり民主主義には愛情が欠如していると。ただし、彼はこれをキリスト教的立場から言っている。おまえはキリスト教と西洋文明が諸悪の根元のように言うが、そんなに単純な問題じゃないよ。だから、イヤになる前にもう少し考えてみるべきだな。まだまだ先はあるはずだよ
そうか、まあいい、くたびれたから止めよう
ああ、だいたいこれは「どうでもいいこと」についてしゃべってるんじゃなかったけ。話が重すぎるんだよ。だいたい話がどんどん重くなって行くということ自体、頭が時代遅れの証拠じゃないか
ふん、それについては現代なぞ糞でも食らえってなとこさ
はっはっは、おまえらしいが、もうすこしアイロニーを学ぶべきだな
元祖どうでもいいこと2