芸術科学会の学会誌Divaに掲載されたスウェーデン便り。長いです。
イ: さて、こんな風に対談調で始めちゃった海外便りだけど、これ大丈夫なのか?
ハ: うん、編集長に相談もせずいきなり対談形式だからな、却下されるかも。
イ: そしたら、どうする。
ハ: うん、このオレたちの対談をもとにして、ガーッと文章をおこすさ。オレ、文章書くの得意だし、1日でできるだろ、たぶん。
イ: ほんとか? まあ、いいや。ところで、この対談の設定から説明してくれよ
ハ: うん、まず、オレはスウェーデン在住の日本人で、大学で先生業をしている。で、今回、スウェーデンについてのいろんなことを日本のみなさんに紹介する役。それでおまえはその聞き役。日本人の立場でいろいろオレに聞いてくれればいいよ。もっともどの道、オレたち同じ筆者の分身なんだけど、いちおう、オレの名前は林だから「ハ」、おまえはインタビュアーだから「イ」ってことにしておこう。
イ: わかった。しかしオレたち、えらく男友達どうしっぽくしゃべってるけど、これでいいのか。もうちょっとマジメな口調じゃないと、いくら芸術科学会っていう柔らかい集団の学会誌だとはいえ、すごく浮いてしまわないか心配だな。
ハ: なんでこんな口きいてるかというと、オレとお前は高校のときからの友人で、社会人になっても毎年1、2回は飲みに行き、そのまま30年ぐらいたってもそれが続いていて、お互いを知り尽くしていて、えらく垣根の無い、はっきりした物言いをしても関係が壊れることがないような、そんな近しい友人という設定なわけ。だからこの口調でいいだろ。
イ: まあいい、わかった。それじゃ、まずお前のいまのバックグラウンドについて簡単に教えてくれよ。
ハ: オレはいまスウェーデンのゴットランドという島の一番大きな都市のVisbyという街に住んで、そこにあるゴットランド大学というところでUniversitetslektorとして働いている。Universitetslektorはアメリカや日本でいうところのAssociate professor、つまり准教授。Senior lecturerと呼ばれる場合もあるけど、要は独立した研究者でかつ教育者というポジション。
イ: 住んでどれくらいなの?
ハ: 去年の2012年の9月に来たので、10ヶ月ぐらいになるな。1年はたってないよ。ここに住むようになる前に、3度ほど来訪してるけど。
イ: 1年近くということか。それぐらいたつとそれなりにスウェーデンというところはこんな感じ、というのが分かってくるだろ。
ハ: うん、ただね、むしろこっちに住むようになって半年ぐらいの間に見聞きしたことのインパクトが大きくてさ、そのころは「うわー、スウェーデンってこんなところなんだ。日本と違うなー」とかいちいちあれこれ反応していたし、こう、なんというか、日本とスウェーデンの際立った違い、あるいは、意外と似通っている点、といったことが明確に意識されたもんだけどさ、半年を過ぎたぐらいから、そうでもなくなったよ。
イ: というのは、なぜ?
ハ: うん、ひとことで言って、民族と生活、人、歴史、伝統、といったことの相違や類似というのは、そうそう簡単に語れるものじゃないな、ということが分かってきた、ということかもしれない。このまえネット見てたらある人が、外国に住んでその国について語れるようになるには最低でも5年は住まないとダメだ、と書いていたけど、それがオレにもだんだん肌で分かるようになってきたということかな。
イ: なるほど、そういう意味じゃ住み始めたばかりに見たあれこれのスウェーデンは、一種、観光客として観察した外国の面白さみたいなもので、今ではそうも行かなくなってきた、ということだな。
ハ: そうだ。何にしても文化と伝統を理解するというのは容易じゃないってことさ。
イ: しかしな、それじゃ、話がややこしくなるだけで、これを読んでくれている読者に楽しい話題が提供できないじゃん。インタビュアーのオレとしても、それも困るな。だから、まあ、お前のそのシリアスな理由は分かったから、もうちょっと気楽にスウェーデンについて話してみてくれよ。その方が聞いてて楽しいからさ。
ハ: わかった。ただ、ちょっと前提に話しておきたかっただけさ。あと、もう一点だけ言うと、オレの住んでいるのはGotland のVisbyという極めて小さな街、しかも街の中心地がまるごと世界遺産という超観光地だということ。なんだかんだでVisbyはスウェーデンでも、いわゆる田舎に相当する、ということも前提にあるよ。だから、オレが語ることも、あくまでもスウェーデンの一部のことだということも分かっておいて欲しいな。
イ: なるほど、日本でいうと、東京や大阪とかじゃなくて、ずっと小さい一地方都市に住む外国人の見た日本っていう感じか。
ハ: そうだ。
イ: さて、と。しかし、前置きが長いな、おまえも。
ハ: 性格だよ、仕方ないだろ、お前もよく知っているとおり。
イ: この海外便り、何回かシリーズで続くことになってるそうなんだ。俺たちの前任は、かの中嶋正之先生が書いていて、先生もVisby在住なんで、スウェーデンについて書いている。それとかぶらないように行こうと思うよ。
ハ: なにからいこうかな。初回ということだと、やはり一般的な生活について語った方がいいかな。それともいきなり、スウェーデンの教育システムだとか、政治だとか、人間性だとか、そんな話にするか?
イ: いや、初回はまず、気楽に行こうよ。前置きも固くなったしさ。じゃあ、まず聞くけど、スウェーデンの生活はどう? 住みやすい?
ハ: うん、1年近くいるけど、オーバーオールでかなり住みやすい近代化した国だと思うな。
イ: 家はどんなところなの?
ハ: 最初の3ヶ月で家を替わっていまは2軒目なんだけど、最初はアパート、で、いま住んでいるのはほぼ一戸建てで2ファミリーの家だよ。
イ: 住環境はどんな感じ?
ハ: アパートのときも、いまのところも、おしなべて快適だな。スウェーデンの家は、さすが北欧の北国だけあって作りがしっかりしていて、機能的にできてると思う。
イ: あ、そうだ、北欧だろ、寒いだろ? 去年の9月からというと、ひと冬を越してるんだろ。ものすごく寒いんじゃないのか?
ハ: それがね、そうでもないんだよ。スウェーデンは南北に長くて、ゴットランドはその中でもほぼ南端に近いし、島なので周りをバルト海に囲まれていて温度が安定してるんだよ。とはいえ北海道よりはずっと北なんで寒いには寒いけど、それほどじゃない。感覚としては札幌かなんかにいる感じ。真冬で一番寒いときが-10度ぐらいで、だいたい-2、3度がふつう。雪も降るけど一番積もったときでも50cmぐらいだったかな。
イ: そうなんだ。それにしても寒いことは寒いよな。北欧と聞いた最初の印象は、特に冬になると雪と寒さに閉ざされて家から出られず、プログラミングとかゲーム作りとか面倒で時間がかかることをするか、そうじゃなけりゃ酒でも飲んでる以外にすることがない、という風景がすぐに思いつくんだが。
ハ: いや、俺も来る前はそう思ってて、わりと覚悟してきたんだけどね、実際はぜんぜんそんなことはなくて、冬で寒くたって外へは出るし、別にそれほど日本の冬と変わらないよ。少なくともVisbyはね。
イ: そっか。それにしても、寒い国ほど冬の家の中が暖かいっていうから、その点はいいよな。
ハ: いや、それがさ、少なくともゴットランドでは室内の温度がそんなに高くないんだよ。
イ: え? 暖房完備なんだろ?
ハ: そりゃ、完備さ。すべての部屋に温水ヒーターがあって、すべての壁に断熱材が入っているので、万全なんだけどさ、暖房の設定温度が低いんだよ。学校でオレが聞いた限りでは18度だって。特に秋になってから1、2ヶ月の寒さにまいった。外が寒くなり始めるころだろ? それなのに中央温度管理がノロノロでなかなか暖房スタートしなくてさ、まあ、寒いのなんの。
イ: でも真冬になればほどほどじゃない?
ハ: うん、少なくとも家は暖かくて快適だな。でもオフィスは相変わらず寒い。18度って微妙な温度でさ、動いていればいいんだけどデスクワークをしてると足元からしんしんと冷えてくるよ。でも、これはね、さすがに日本という南国からの人間ゆえみたいだよ。学生とかぜんぜん平気って言ってるし、俺が寒がりなだけかも。
イ: で、住環境だけど、作りがしっかりしてるわけね。
ハ: うん、いま住んでいる家の写真を見せるよ。ここがコーヒールーム。
イ: へーえ、さすがにヨーロッパだなー、ファンシーって感じじゃないか。
ハ: うん、高い天井、フローリングに白塗りの壁、木製の家具、あと何といってもあの日本のマンションでデフォルトの、醜いアルミサッシというやつがなくて、木とプラスチックでできた2重ガラスの窓がいまでもヨーロピアンなデザインでね、インテリアは素晴らしいよ。
イ: そうだ、Ikeaの国だもんな。日本でもイケアはずいぶん繁盛しているみたいだし、特に女性とか、スウェーデンには一種憧れがあるみたいだよね。
ハ: うん、スウェーデンはインテリアもだけど、住環境に対してはとても熱心だよ。ここVisbyにはIkeaこそないけど、大きなインテリアショップが何軒もあってね、入って見てみると、品揃えはとてもモダンでシンプルでセンスがいいよ。さすがだね。
イ: 水まわりとかそういうのは?
ハ: うん、それもしっかりしてるよ。ただね、こっちはさすがに風呂がイマイチでね。バスルームは当然トイレと一体で、前に住んだアパートには一応バスタブがあったけど、今の家にはなくてシャワーのみ。しかもバスルーム自体がすごく狭い。
イ: そうか、逆に日本は風呂の国だもんな。ワンルームでもない限りトイレと風呂は当然分かれていて、特に風呂場はすごくこだわるよね。
ハ: そう、そのノリがこっちは無い。まあ、当然ともいうけど。ちょうど、西洋のホテルのバスルームだと思えばいいよ。そんな感じ。
イ: キッチンは?
ハ: キッチンそのものはすごくきれいで機能的なんだけど決定的なのがガスがなくてすべて電気なこと。レンジはIHでもなくて電熱なんだ。丸い重い鉄の台の中に電熱線が仕込んであって、スイッチを入れてから熱くなるまで数分かかる。それで火を弱くしても、今度は鉄の熱容量のせいでぜんぜん弱くならない。そのディレイが慣れなくてね、1年近くたったいまでもうまく調理ができないよ。
イ: そっか、それは厳しいな。でもそれ以外は問題なしと。
ハ: うん、きっちりしてるよ。それにしてもすべて電気だね。暖房もキッチンも温水もぜんぶ電気。
イ: 電気代がかかりそうだな。
ハ: いや、まず、暖房と温水のために使われる電気はふつうすべて家賃に最初から含まれていて、あと、水道も含まれているんだよ。ということは、熱い湯は使い放題で、気にせずたっぷり使える。その点は快適だな。
イ: ところで家賃も含めて物価はどうなの? なんとなく高い印象があるけど。
ハ: いや、そうでもないよ。ただね、価格についてはオレの住んでるのが郊外なので、いろんな点で、たとえばストックホルムとは違うよ。聞いた話だとやはり都市のストックホルムの方がなにかと高い。
イ: なるほど、そりゃそうだ、日本だってそうだよな。Visbyに限ってで教えてくれよ。
ハ: まず、家賃だけど、少なくともここは東京より安い。ただ、夏季は除く、だ。ここVisbyは超観光地で夏場は街全体が完璧なリゾート地になる。そのせいで夏季の6、7、8月は賃貸アパートはほぼ無くなってしまい、すべてホテルに鞍替えしちゃうんだよ。ここの賃貸状況については話し始めると長いから止めとくけど、Visbyはそういう特殊性があって、あまり家賃について語れないな。まあ、いまの家で参考までに書いておくと、2LDKで暖房、水込みで月に5900クローネ。急激に円安になったからな、いまのレートだと9万円だな。来たばかりのときは7万円で、安いと思ったけど。
イ: うん、いまのやたらな円安は痛いな。
ハ: ああ、かなりね。ちょっと少し前の為替レートの感覚でこれからは話すことにするけど、その他の物価をいうと、まず食材はわりと安いよ。
イ: スーパーマーケットみたいなのはあるの?
ハ: うん、むしろたくさんありすぎるぐらいで、Visbyなんかたいして広くないのに大型スーパーが5、6軒あるよ。ほぼ年中無休で7時から22時まで開いててコンビニも兼ねてる感じ。スーパーに行けば日本にあるようなものはだいたいあるので不便はないな。
イ: 食材は?
ハ: まずね、野菜が安いと思う。こっちはキロで値付けするんだけど、重さ単位だと東京の半額ぐらいに思えるな。あと、さすがに肉は豊富で安いと思う。ただ、東京も肉の安売りがすごいので、それほど変わらないかもしれない。あと、なんといっても乳製品がおいしくて、安くて、量が多い。そのへんはさすがヨーロッパさ。
イ: 東京と同じように何でも手に入るの?
ハ: いや、まあ、これまた話し始めると長くなりすぎるのでやめておくけど、東京と同じとはとても言えない。日本人の感覚から言うと無いものが多いよ。ただね、これは食生活の違いからも来ているので一概には言えないな。
イ: 食生活って言葉が出たところで、このへんで食いものの話を聞こうか。
ハ: ようやく出たか。あのさ、俺ね、こっちに来ても思ったけど、日本人の食いものに対する執着と、こだわりと、追求心はね、これは国際標準から言ってすでに「異常」の域に達してると思うよ。俺がスウェーデンに行くんだ、と日本で話すとほとんど人の最初の反応が「寒いでしょ?」で、次は「食べものはうまいの?」だからなあ。
イ: そうだよな、なんであれ、とにかく外国に行くっていうと最初に聞きたくなるのが「そこには旨いものはあるのか」だからな。
ハ: だよな、一体、いつからこんなに食いもの命になっちゃったのかね、日本人は。
イ: ま、それはいいから、聞かせろよ。スウェーデンに旨いものはあるのか?
ハ: うーん、これっていちおう公の場なんで、あんまり悪いことを言うのは気が引けるので、なるべく穏便に言うけど、旨いものはそれほど多くない、っていう印象だな。
イ: そっか。ヨーロッパの北の方はおしなべて旨い料理が少ない印象だもんな、仕方ないか。でも、肉とか乳製品とか旨いだろ?
ハ: ああ、畜産の国でもあるんで、ソーセージ、ハム、ベーコンなどの肉加工品はおいしくて安く、チーズ、クリーム、バターなど乳製品もこれまたおいしくて安いよ。それは確かだ。あとね、ジャガイモがここではほぼ主食の扱いなのでジャガイモは旨いぜ。それから野菜には旬がしっかりあってね、旬の野菜がこれまた旨い。旬のトマトやレタス、キュウリとかは最高。冬だと根菜のたぐいの滋味にあふれた味わいは素晴らしいよ。あとはキノコ類だな。マッシュルームなんかさすが本場だよ。味も素っ気もない日本マッシュルームとは大違いでね、マッシュルームってこんなに旨いものだったんだ、って思う。あと旬のキノコに素晴らしい珍味があったりね。
イ: へーえ、あとは海産物が旨いんじゃないか? 海に面した寒い国というと。
ハ: と思うだろ、それが違っていて、ぜんぜんなんだよ。海鮮系はそもそも売り場も小さく種類もすごく少なく、鮮度もイマイチ。生魚も売ってるし、みなそれを調理してよく食べるんだけど、種類はすごく少ないし、白身の魚が数種類とサーモンがあるくらいかな。エビ、カニ、イカ、貝のたぐいはぜんぜんダメ。ほとんどが冷凍で貧弱。どうもやっぱりスカンジナビア半島は外海じゃないといい海鮮は獲れないのかな。
イ: なんだ、それは残念だな。しかし、まあ、日本人の魚に対する感覚は、これまた世界標準から言って異常の域に達してるからな。日本人に日本以外の魚を語らせても、まあ、評価が悪くなるのは仕方ないかな。
ハ: その通り。ただね、寿司はね、すごい人気だぜ。Visbyには残念ながら一軒しかないけど、この前ストックホルムへ行ったら、まあ、あることあること、街じゅう寿司バーだらけだよ。スウェーデン人に聞いても、寿司は、もう、抜群の人気食だってさ。これは特にヨーロッパの北の方の国に共通してるらしいよ。それにしても常々思ってるんだけど、ライスボールの上に生の海鮮を乗せた寿司なんていう変な料理が、なんでここまで世界で流行るかすごく不思議だよ。
イ: よくある「日本食はヘルシー」ってやつじゃないの? で、スウェーデン寿司は旨いの?
ハ: まずい。
イ: ははは! たまたまじゃなくて?
ハ: まあ、2、3軒ぐらいだからたまたまかもしれない。でも、日本に行ったことのあるスウェーデン人に聞いてもストックホルムの寿司はうまくない、って言ってるから、そうなんじゃない? でも、旨いところももちろんあるらしいよ。
イ: ところで、スウェーデンの「料理」ってのは、どんなものなの?
ハ: うん、あんまりはっきりしないんだけど、オレは仕事の会食でけっこう高級なレストランにも入っているし、人に呼ばれて家庭的な料理も食べたりもしているんだけど、どうも、こうはっきりした姿を言いにくいな。基本、西洋料理なんで、スターターがあって、メインがあって、デザートがある、ってことで、肉や魚を焼いてソースをかけた料理が多いのかな。たとえば、こんなのとか。
イ: なかなかモダンじゃないか。
ハ: そりゃそうだ、これは有名な高級スウェーデン料理屋の一品料理だからな。ホタテに白ゴマと黒ゴマをまぶして揚げて、上にキャビアを乗せ、カスタードソースとチャイニーズソースを半々にかけた創作料理だ。
イ: うまそうじゃないか。
ハ: うん、まあ、うまいんだけど、思ったほどじゃないよ。実は、それが不思議だったんだ。高級料理は特にすごくきれいに丁寧に作られてるのがわかるのに、なぜあんまり旨くないのかな、って言うこと。最初のころはね、スウェーデンの料理人はどうもソースを甘くしすぎるとか、クリームを入れすぎるとか、火加減の感覚が甘いとか、調理が単調だ、とか、俺もいろいろ難癖つけてたんだけど、半年以上たったいまは、そうではなくて、どうやらこれは現地人の味覚と食に対する態度や、そのほかいわゆる文化が違う、ということに帰着するらしいな、ってことになった。
イ: そっか、そのへんが最初におまえが言っていた外国の文化を判断して語るのは容易じゃないってことのひとつか。
ハ: うん。食、という比較的割り切るのが簡単な問題について考えたって、そういう困難にぶつかるんだ。まして、それが、その国に深く根ざした文化や伝統や人間性とかいう話になると、まあ簡単に言い切ることは不可能だな。そういう「困難」に、理屈じゃなくて皮膚感覚で気付くようになったということが、外国に住んで仕事していくらか分かるようになったことかな。
イ: なるほど。それにしても、おまえも食の話になると、まあいろいろうるさいな。
ハ: そりゃそうだよ。オレはおまえも知るとおり、中華料理の調理を趣味にして30年以上たつからな。食うだけじゃなくて、調理人の立場から批判できるからな。ま、なんでも聞いてくれ。
イ: わかったわかった、ところで中華料理はどう?
ハ: まずいね、残念ながら。
イ: そっか、うまい外国料理はないのか。
ハ: それがあんまり無いんだよ。ただ、これまたVisbyとストックホルムに数回行ったていどなんで何とも言えない。うまいところも当然あると思うよ。そういえばストックホルムでたまたま入ったインド料理屋が抜群に旨かった。
イ: そういえば甘いものは?
ハ: うーん、甘いものについてあんまり知らないのがオレの欠点だ。元来が酒飲みで辛党なんでね。というわけでうちの奥さんの反応で行こうか。彼女いわく、スウェーデンのお菓子は「素朴」だそうだ。すごくおいしいものは無いけど、素朴で昔ながらのお菓子にいいものがあるって。ただ種類が少ないからすぐ一巡しちゃうって言ってたな。
イ: スイーツについても日本はけっこう高度だからな、それも仕方ないのかな。
ハ: たとえば、これはスウェーデンの伝統スイーツのプリンセスケーキ。
イ: へーえ、なんだか日本にあんまり無い素っ気なさっていうか、色っていうか。
ハ: だろ? 中はスポンジケーキにラズベリーのジャムやカスタード、生クリームが層になって入っていて、外側を薄緑色のマジパンでくるんで、粉砂糖で飾っている。素朴な感じじゃないか。それでね、食べてみると、これが意外とおいしいんだよ。特にやっぱりスウェーデンは乳製品がおいしいから生クリームの味が最高なんだ。
イ: へーえ、しかし、まあ、これまで食いものについて聞いてみると、それなりにいろいろ食べられて楽しそうじゃないか。スウェーデン料理はうまくない、って言ったって、やっぱりあれこれの独特の特色はあるわけだろう?
ハ: その通りだ。どうも食にこだわる人には旨いまずいで食を判断してお山の大将みたいになっちゃう人が多いからな。特にネットの口コミの自称グルメはそんなやつらばっかりだろ? でもさ、食いものってのはさ、その国の伝統と歴史と文化に直結しているはずのものだろう? それをつかまえて旨いまずいといって断定するのはやっぱり乱暴だし、驕りとまでは言わなくても、極めて一面的な捉え方だと思うよ。
イ: とかなんとか言ったって、うまいものはうまい、まずいものはまずいんだけどな。
ハ: まーねー。でもそれを言うなら、オレには、食い物をアレンジして何でもかんでも旨くし過ぎる東京の食文化には、たくさん言いたいことがあるんだけどな。もっとも対談の趣旨から外れるからやめとくわ。
イ: そうそう。しかし食いものの話だけでずいぶん時間がたっちまった。どこまで聞いたかも忘れちゃったよ。
ハ: 暮らしやすさについてだろ?
イ: ああ、そうだった。もうだいぶ長くなったし、このへんで最後にしようか。住んでいて全体的な便利さ、みたいなのはどんな感じなの?
ハ: うん、いや、便利だよ、文句はないよ。これまたVisby事情ではあるんだけど、ショッピングから始まって、たとえば、郵便、銀行、役所の手続き、日常生活の中のこまごまとした必要やトラブルシュートやその他、だいたいちゃんと整備されている感じだな。
イ: ということはほとんど東京で暮らしてると同じような快適さってことか。
ハ: いや、それは無いな。この手のことについての東京の便利さは異常だからな、そうはいかない。実は、最初の半年はね、スウェーデンってのはサービス関係のノリがホント日本と違うな、笑えるぐらいルーズでスローだったりするな、とかいろいろ思ってさ、人にもずいぶんそういう風に言ったよ。
イ: たとえば?
ハ: うん、そうね、たとえば郵便とかなかなか届かなかったりね。日本から荷物を送って金曜にスウェーデンに着いたとするじゃん。そうすると、そのまま土日は確実に放置。こっちは土日は業務停止なんだよ。それで月曜に、中央局からローカル局へ移送、火曜にローカル局から配送。でも何かの理由で局留めになって、「どこどこに取りに来い」という紙だけ届く。それで仕方なしに紙とID持って水曜にわざわざ取りに行く、とか、そんな速度感覚なんだよ。東京だったら金曜に着いたら土曜にすぐ受け取りだろう、って感じだけどそれはありえないな。
イ: はあー、そうだよな、東京なんかだと、宅急便のおじさんがもう疲労困憊しながら夜の9時を回っても、何度も何度もノックして荷物を持ってきてくれたりするもんな。最近じゃ、ネットで注文して1日以内で着いちゃうのが当たり前になっちゃったり、土日だからお休みとかもありえないし。
ハ: だろ? スウェーデンはぜんぜんそんなことはないよ。かなりスローだよ。お前の言うその疲弊した宅急便おじさんはここにはおそらくいないだろうな。だって疲弊してまで早く届ける必要もないし、受け取る側もそんなに早く受け取らないといけないとも思ってないし、届ける方と受け取る方がかなり低いレベルで自然に妥協してお互いに必要以上に忙しくならないように自然調整してるみたいなんだよ。
イ: まさにスローライフだな。
ハ: そう。この余裕がさ、東京にないところだな。東京から来てしばらくは、スローなのがすごく変に感じられたり、ほとんど笑い話に感じられたりしたもんだけど、もう今ではね、遅れてもなーんとも思わなくなったよ。
イ: つまり、おまえ自身が順応してスローになったというわけか。
ハ: そう、そうに違いない。まあ、Visbyという田舎だからというのもあるんだろうけど。しかしながら、このスローでバランスする、というのが郵便だけじゃなくていろいろなところで出てくるんだよ。これは東京という超せわしいところに生きてきた身としては教訓的だな。
イ: 東京もそうすりゃいいのにな。
ハ: まあ、無理だろうな。
イ: ま、それはそれとして、結局、便利で整備されている国ということだな?
ハ: そう。テンポやノリは日本と違うけど、最終的なクオリティ・オブ・ライフみたいな形で総括すると、きわめて快適な生活だよ。慣れてしまえば文句はないよ。かえってのんびりしていて心に余裕ができてこっちの方がいいと思うに至って、とてもうらやましくもなるよ。
イ: なるほど。今回は生活まわりの身近なことを聞いたけど、次回はそのうらやましくなったとか、そのへんについてその意味を教えてくれよ。
ハ: わかった。生活スタイルとか、人とか、教育とか、文化とか、もう少し中身まで掘り下げて語ってみるかな。ただなあ、それってある意味、危険なんだよな。
イ: お前ってそんなに神経質だったっけ? 別に気にせず思ったことを言えばいいよ。それが仮りに一面的で、他の面からみて間違っていたとしても、そうそう気にする必要もないだろ。だって、その間違いを言う人の見方だって、やはり一面であることは確かなんだから。
ハ: うん、ホント、西暦も2000年を過ぎてから、物事の姿というのはそういう徹底した仮想性を持つようになったと常々思うな。そう思わないか?
イ: ああ、分かるよ。でも話題が重いし、きりがないよ。次回に回そうぜ。
ハ: そうだな。ところでオレたちいまフェリーに乗ってるんだよな。
イ: うん、ストックホルムから夜のフェリーでVisbyへ帰る途中にしゃべってるんだもんな。それにしても夏になるとゴットランドは急激に人が多くなるなー。
ハ: うん、オレたちのまわりも、ビールを次々と開けてできあがってるおじさんおばさんや、走り回ってるガキんちょや、へんちくりんな格好して大騒ぎしてる若者の集団とか、おおぜいいてかなり楽しそう。
イ: オレたちもビール買ってきて、いっぱいやってくつろごうぜ。
ハ: うん、そうしよう!
新どうでもいいこと19