あのさ

なに?

さいきんお前、またブルーになってない?

うん

たしか前回どうでもいいことでしゃべったときは、ようやく落ち着いた、とか言ってたじゃん

ああ

そんなに元気がなくちゃ先が思いやられるってもんだぜ

まあな

これはな、真顔で言うが、おまえ更年期障害じゃないか?

そうかもな。でも、まあ、更年期障害っていう便利な言葉の発明で、人ってのは本物の年寄りに変化する前にしばらく憂鬱になるもんだ、って認知されただけで、問題はひとつも変わってないんだけどな

少しは元気出しなさいな

わかった。今日は休みだしな、ひさびさに家に一人でいるし、いろいろ活動しよう。ちょっとその前にコーヒー淹れよっかな

おう、いいな、作ってくれよ

(中座)

さてと、できた

うーむ、なかなかおいしいじゃないか

ああ。このまえ自転車でうろうろしたときに見つけた珈琲焙煎屋で買ってきた豆で、これはブラジルだ

やっぱり焙煎したてはうまいな

でもさ、昨日さ、ほら、地元の老舗の喫茶店へ行って飲んだコーヒーあるじゃん。あれに比べたらまだまだぜんぜんむこうの方がうまいよ

ああ、あれね。あれにはびっくりだ。あの店はもういったい何十年あそこでやってるんだろう。昨日はカウンターの中の人がおばあさんだったんだよな。あの店、ふつうはおばさんが中に入るんだけど、ときどきあのおばあさんが出てくるんだよな

そう。それで、一言も発せず、黙々とコーヒー淹れたりサンドイッチ作ったりしてる。それでオレたちはカウンターに座ってたからばあさんがサイホンで淹れる一部始終を見てたよな

ああ、なんてことはない動きなんだが、出てきたコーヒーにはホントびっくりしたっけ。あのすばらしい香り、酸味、さわやかな苦味、古い喫茶店らしい高めの湯温、どれを取っても絶品だわ、あれ

そうなんだ。ああいうのは決して一朝一夕では無理だな。現に、いつものおばさんが作ったコーヒーは器具も豆も一緒なはずだけど、やっぱりあれよりかなり落ちるからな

ところで、おまえはさあ、そうやって浮かない顔したり、疲れたり、意気喪失したり、なにやらしてるけど、ああいうばあさんを見ると何か思うところがあるだろ

ああ、大有りさ

何を思うんだ?

いつも思うのは、オレは何が不満なんだ? ってことだが

それで?

ま、いいや、赤裸々に言うのも気が引けるよ。それより、もうひとつ感じることを言っていいか?

どうぞ

あのね、これは特に、日本の小さな賑やかな商店街とか歩いていて、で、ときどき地元のみんなと一緒に信号待ちなんかして、それで信号が変わって、それで通りを横断するときなんかに強く感じるんだけどさ

なかなか状況設定が細かいな

のんきに歩きながら、前から来る人、横を抜けてゆく人、向こうの歩道を歩いている人、止まっている車、左折する車、みんながいっせいに、往ったり、来たり、するだろ?

ああ

そのいろんなものが往ったり来たりするタイミングをぼんやりと感じているとね、なんだか「時間」というのは錯覚なんじゃないか、って感じるんだよ

哲学か

あ、いや、たしかにその内容は哲学的なんだが、そうじゃなくて、そう「感じる」んだよ。哲学になるとしたら、その後だ

なるほど、でもなぜだ? その心は?

わからない。でも、これはね、たとえ一時的であっても、心配ごとのない、悩み事のない、きわめてのんきな精神状態のときにしか起こらないんだよ

なるほど

それでさ、さっきの喫茶店のばあさんがサイホンでコーヒーを淹れているのを見ているときとかにもさ、おんなじようなものを感じるんだ。ひょっとすると、時間というのは徹底的に作り物で、本当はどこにも無いのかもしれない、ってね

ふーん

人間は死ぬと時間が無くなるよな、その辺にもなんか関係あるのかもしれないな

そういえば先日、お世話になってるかの先生の講演を聴きにいったときにも、そんなことを考えたっけな

ああ、先生は、「村上春樹は死は生の一部と言っているけど、自分は生は死の一部だと思う」と言ったんだよな。なぜかというと、われわれは今生きているけど、生まれる前はずっと死んでいた、それで、しばらくして死んだ後も、ずっと死んでいるんです。つまり、生というのは死という悠久の時の流れのなかのほんのわずかな泡に過ぎないんです、って説明したんだよな

で、オレたちは、それは違うんじゃないか、って思ったんだよな

ああ、先生の考え方は、「時間」というのは人間がいようがいまいがそれとは無関係に先験的に、確実に、どうしようもなく存在している、という感じ方を基にしたものだ、って思ったんだよな。で、科学系の人は往々にして知らず知らずのうちに時間に特等席を与える傾向がある、って思ったんだっけ

物理学の基本は時間だからな

うん。自分が泡として存在している時間が恐ろしく短くて、自分の存在以外の宇宙は逆におそろしく長い時間とともにある、という感じ方と違う感じ方があると思うんだよ。

というか、「おそろしくでかくて、おそろしく長い宇宙」というのは、生きている人間から見た宇宙の眺めだってことじゃないか?

ああ。でも、ま、いっか、どうもこっち関係に話が行っちゃう傾向があるな、オレたち

ま、いいじゃん。きちっと元気を取り戻してるじゃん、そういうときは

まあな。さてと、活動すっか

そうしろよ

OK!



新どうでもいいこと14