で、セザンヌだったよな

うん、でも、まあ、本当のところ、セザンヌにそれほど興味があるわけじゃないのかもしれない

そういえば、お前、むかし絵画に夢中だったころ、小林秀雄の近代絵画って文庫を、それこそすりきれるほど、読んだだろ? よくも、まあ、あれだけ同じ本を繰り返し読んだもんだな

ああ、あれぐらい何度も読むと、小林秀雄のものの捕らえ方の、その核心が自分の一部になりきってしまうので、ホントのところあんまりよくないんじゃないか、ってさいきん、思うようになったよ

あの本で、いちばん見事に書かれていたのがセザンヌの章だったな

うん、あれは見事な出来だ。ちょうどいい長さにまとまっているしね。最後のピカソの章はおもしろいけど、ちょっと長すぎるのと、やっぱり小林秀雄には扱えない領域というものをピカソがたくさん持っているせいで、結局はピカソの本当の凄さや、面白さや、革新的な部分、ってのが、うまく書けてないように感じてしまうな

そっか、それで、お前もあまりに小林秀雄が血肉になりすぎて、それが阻害要因になってピカソの奔放さにたどり着けない、って感じてるってわけか

ま、そのとおりだ。 しかし、それにしても、これ、どうでもいいこと、だろ? 話がクソ真面目すぎないか?

うん、まるで30のころのお前みたいだな、いい加減にするか。で、セザンヌは?

セザンヌはね、ホントのこというと、オレが本当に好きな絵はたった一枚だけかもしれない、なんて思うんだよ。

どの絵?

前にも何度も言ってるんだけど、東京の八重洲口を出てちょっと行ったところにあるブリジストン美術館に飾ってある、「サント・ビクトワール山とシャトー・ノワール」って絵だよ。あれは、本当にすばらしい絵だ

セザンヌは同じような絵をたくさん描いているけど、特にあれなのは、なんでだ?

いや、別に理由は無いんだけど、それこそ30ぐらいの若いころ、あそこで初めてあの絵を見て、それで参ってしまったんだろうな。あんなに美しい絵はそうそうあるもんじゃない。オレは、すでにあれを見たころはヨーロッパにも何度か行って、それこそセザンヌだってたくさん見ていたはずだ、オルセーとかでも

それでも、あれがいいと思ったわけだな?

そう。 ま、出会い、なんだろうな。たしか、ほとんど緑や黄色や茶色に塗ってあるんだけど、空が青くてね。でも、その中でも純粋な青は、それこそ空全体のほんの一部にしか塗ってないんだよ。2センチ角ぐらいにね。ほら、セザンヌって、そういう小さな色面を並べて構成するだろ、なので、画布全体で、まったく同じ色面は2度と出てこないみたいなイメージに感じられてさ、そのたった2センチ四方の青の「純粋さ」に当時のオレは、いっぺんで参っちゃったんだな。今でも、そのときの感じ、よく、覚えてるよ

それ以来、ずいぶん見に行ったんだろう? 東京駅ならすぐにいけるし

いや、つごう3回ぐらいかな。それに、もう、少なくとも10年以上は見てないな

そろそろ見に行ってもいいころか

いや、それがさ、かりに再会したところで、それほどの感動は起きないこと、最初から分かってるんだよ。感動の命ってのは、本当に短いもんだ

そうだな。だいたい、おんなじものを何度見ても、おんなじ感動で心に衝撃なんてことがもし起こったら、人間、くたびれて生活できないよな、わかるよ。と、いうか、当たり前の生理的反応ともいえる

ところでさ、いまのオレとオマエのこの対談だけどさ、口調や内容がなんとなく「小林秀雄対談集」の中のひとつみたいじゃないか?

うん、オレも気がついてた

オリジナリティがない、というより、気持ちわるいな

うん

止めるか

そうだな

なんか、がらって雰囲気変えられないの?

できるとは思うんだけど、うーん、どうかな。だいたいセザンヌの話なんかしようってのが、間違ってないか?

昨晩はそのつもりだったんだけどな。あ、いや、ブリジストン美術館での再会なんて話するからさ。オレはさ、昨日、セザンヌに美術館で再会したんじゃなくて、メルロ=ポンティの解説本の中で再会したんだ。その話をしないから、いけない

なるほど、で、それでどうした

うーん、いや、別に

言うことなしか

メルロ=ポンティってさ、名前だけは聞いたことあったんだけど、実は、オレ、ぜーんぜん知らないんだ。名前の響きがあまりにヘンっちいので覚えてたんだけどね

で、なんでメルロ=ポンティなの?

あ、いや、この前、世田谷の中央図書館に行ってね、哲学の棚に解説書がずらって並んでたんで、別に考えずに3冊続きでもっていって、借りたんだ。それが、ベルグソン、デリダ、そしてこのメルロ=ポンティ、ってわけ

ふーん、全部読んだの?

いや、ベルグソンをまず読んだ、おもしろかった。その次、メルロ=ポンティ、これも面白かったんで、いま再読中。それで、デリダも最初の方だけ読んでみたら、これまた、面白いんだよ。結局、3冊ともおもしろい

しかし、お前もよく哲学の本を読むよな。朝、コーヒー飲みながら、哲学書なんか読んでると、毎回、カミさんに、そんな本ばかり読んでるからダメなのよ、って言われてるだろ? 懲りないねえ

そうだな。今回、オレは失業してしまったので、もう、それに返す言葉は全くないな。それでも開き直って読んでる。バカだな、オレ。まあ、どうにでもなれさ

それにしても哲学なんてのに夢中になってると世間ずれするってのはホントなのかね。そういえばさ、半年前ぐらいに、東洋経済だかなんだ忘れたけど、コテコテのビジネス雑誌で「いま、哲学が熱い」だか「混沌とした日本経済を乗り切るには哲学への回帰が必要」だかなんだかっていう特集があったろ?

あったあった。下らない記事だったけどな

そうだよな、あれから世の中では、ぱったりと哲学なんていう言葉は聞かなくなった。それが証明してるよな。雑誌社としては、なんらか売り物、っていうか流行になる言葉を作りたかったんだろうな。まあ、彼らにはそれは何だっていいわけで、たまたまちょっとひねって「哲学」を出してみた、ってことだろうな

そう、それで、長続きしなかった。当たり前の成り行きだよ

きっと、雑誌の編集会議でだれかが提案してみたら、ま、やってみたら? って通ったんだろうな

うん。当たるも八卦、当たらぬも八卦、みたいなもんだ。だいたい、哲学なんてさ、まあ、社会の実務にはまったく必要ないと言っても、言い過ぎじゃないと思うな、正直な話

しかし、哲学をしっかり勉強した人間が、その当の哲学を実務に直接応用するんじゃなくて、その「哲学する心」をもって実務を考える、っていうところが大切なんじゃないか? 哲学のひとつやふたつに夢中になったことも無い心じゃ、実務や経済やそのほか仕事だって、新しくて深みのあることはできないよ、って言うことじゃないか?

はっはは! おい、こら、オマエ、本当にガラでもないこと言いやがったな、はっはっは!

そう笑うなよ。オレだって、恥ずかしいな、と思って言ってるんだから

なら、なんで言う? 言う必要、ないだろうが

いや、読者に対するサービスのつもりなんだが

バッカなやつだなー だって、これ、独り言だろ? なんで、「読者」、なんだよ

うん、まあ、いいじゃないか。ちょっと茂木健一郎のマネをしてみたくなったんだよ

ふふふ、おまえ、彼に、嫉妬してるんだろ、え?

うるせーな、してねーよ!

してねーなら、なぜ怒鳴る。してるんだよ。オレはオマエだから知ってるぜ。オマエはずいぶん若いころから「有名な知識人」になるのが夢だっただろ?

うーん、そこまではっきり言われるとしかたないな、たしかに、そうだ。そういう風にむかしの友人の前で宣言したこともあったしな。オレは将来、知識人になる、ってさ

それなのに、今のオマエは有名どころか、無名そのものだもんな。おい、こら、オマエのクソ真面目ブログのアクセス数って、一日で2,3人だろ? 

2,3人が悪いことか!

悪かないよ、仕方ないってことさ。継続することが重要だよ。それで有名にならなければ、それまでだ。いかにいいものを残すかってことに集中するんだな

ま、いいさ。オレも、もう有名になるのはあきらめたよ。地道に考えて、地道にものを書くさ、それで、満足

そういうこと

さて、と。 なんだかキッチンからうまそうな匂いがしてきたなー

おう、そうだな、今日はカミさんの機嫌が珍しくイイから、夕飯作ってくれてるんだよな

このまえオレがシンガポールに行ったときに現地スーパーでたくさん買ってきた現地スパイスセットを使ってインド料理作ってるんだわ、あれ。いやー、ハラ減ったなー

いやーオレもハラ減ったわー

じゃ、これはこのへんにしとくか

ああ、そうしよう。それより、飯、飯



新どうでもいいこと2