久しぶりだな

ああ

最後にしゃべったのは、と。いま、調べると誕生日の前だから、ま、1年弱か

ずいぶん経ったな。歳をとるとあっという間に時間がたつ、ってよく言うが、オレはそんなことはあまりないな。あっという間どころか、1年弱で2、3年分ぐらい生きたように感じるよ

ま、外国と日本を行ったり来たりしてる上に、いまだに安定しない生活してるからだろ

ああ、でも、オレたちようやく安定した地位を手に入れたんだよな。二か月前、スウェーデンのプロパー職をとうとう手に入れただろ?

あんまり実感、ないな。契約社員から正社員になった、ってことだけど、そのせいでますます根無し草みたいになった感が増長したな。それで、このどうでもいいことをまたぞろ書き始めたんだろ?

ああ、そうだ。なんだか、最近、調子よくないんでね、愚痴でも言うかと思ってね

オレたち、結局、しゃべるときは愚痴ばかり、と

ただね、ホント言うと、こんな風にどうでもいい世間話をさ、延々としたくなる、ってのもあるんだよ。他人が聞いても、まったく面白くない、ただ単に自分だけのことを、延々としゃべるの

それはね、おまえが、その当の、世間話をいままで異様に嫌っていたせいだよ。周り見てみろよ、どいつもこいつもみーんな自分のことと、世間話しかしゃべってないだろうが、お前だって、それを、ふんふん、って聞いてるじゃん。おまえも、ホントはそれがしたいだろ

ああ、それを自分になぜ禁じたか、いまじゃ覚えてないが、そんなことを続けてるうちに、すでにその、自分語りと世間話を遂行する能力が、相当に退化したと思うよ

でも、それは、人前でできなくなった、ってことだろ?

ああ、人前じゃなければ、ここで、こうして、やってるだろ

とはいえ、それでもずいぶん気を遣ってるけどな。いくらどうでもいいこととはいえ、これは文筆、だからなあ

そうか? オレは平気だな。このまま本題に入らずに、ずーっと、誰も見向きしないありふれて平凡なことをいくらでも書いてやろうか

できないくせして

できるよ

ウソつけ。このまえ、オレたち、とある友人の一人に、あなたの文は前置きが長すぎ、起承転結の起が肥大しすぎてて、本論に入る前にかなりの人が脱落すると思うんで、考え直した方がいい、って言われたじゃん

そうだったな。神妙に聞いたが

なぜ、神妙に聞く? ただの趣味のなぐさみで文を書いてるだけなら、読んでるどこのどいつが脱落しようが関係ないじゃん。まったく、物書きでもないくせに

いいじゃないか、別に

さてと、で、どうすんの? 愚痴、言うの?

言うよ。前置きは止めだ

で、なに?

さいきん、調子悪い、って話だよ

ああ、なんで?

わからない。ただ、常に、なんだか悩んでるよ

なにを?

さあ。じゃ、まあ、直近のところから行くか。この前、仕事の打ち合わせで、とある先生と初めて会ってさ、会議に入る前に雑談したんだよ

ああ、あの美大の先生だよな。マイルドないい人だったな

オレが、最近、研究で始めたバーチャル美術館の話を持ちかけて、いつもオレが言ってる、本物の絵画をバーチャルで、つまりモニターの上で完全に再現したい、ということを言ったわけだ。たとえば、ゴッホみたいな厚塗りの油絵の表面形状を0.1mmぐらいの精度で完全計測して、絵の具の色を完全取得して、それを完全3DCGで再現したい、って

最近始めた、お前の企画ね?

そう。その話をしばらくしてたら、その先生に、それはやってもいいけれど、本物を完全に再現する、ということになると、最終的には当の本物の価値に傷をつけることになるので、結局は受け入れられない、という成り行きになりますよ。現にほとんどどこでもやられていない、ということは世の中にニーズがないからです、と言われたんだ

正しいね。ずいぶんとはっきりモノを言う人だな

あ、いや、要約するとこうなっちゃうけど、実際はずっとずっとマイルドな物腰の柔らかい言い方をしてたよ

それにしても、お前はそれが不満なんだな?

不満っていうか、そのことは自分にも分かっている。でも、自分はやってみたい、と、まずは反応した。相手には、そうです、それは分かります、だから研究でやるんです、と答えた。あと、50年後か、100年後かわからないけど、デジタルは完全な複製というものに到達するはずですよね、とも言ってみた

最近のお前の説だな。デジタルの拓く新しい地平、ってところか

うん、そんなような会話をしながら、オレとその先生は、打ち合わせの部屋に向かって、エレベータ乗ったり、廊下歩いていたりしたわけだ

で、なにが、愚痴なんだよ。いつものお前の主張じゃないか。その先生が言うような、世の中に対する正しい観察眼にもとづいた、現実的で実用的なモノの見方に対して反感を持って、やたらと理想や理念に走る。それだろ? ひょっとして、それでも相手の方が結局は正しい、ということに対する、愚痴なのか?

いや、その時は、自身の理念に固執したりするより先に、あっという間に、すぐに思い至ったんだよ。一応、いつものオレの極端な主張はしたのだが、その直後に、すぐに気付いたことがあったんだよ

それは、なに?

それは、ああ、またオレの大衆性の無さが、ここでも暴露された、って思ったの。会議室へ向かうエレベータやら廊下やらで、その先生と交わしたこの短い会話で、またまた、オレという人間の悩みの根本を突き付けられたように感じて、会議室に入るころには、だいぶん、気が滅入って、落ち込んだんだよ

お前さ、もう、仕事、止めたらどうなの?

どうやって食うんだよ

っていうかさ、そんな些細なことで、滅入ったりしてたら、仕事人間として、持たないぜ

だから、こうやって書いてるんじゃんよ

ところで、なんで、それがお前の悩みの根本なんだ?

つまり、オレには常に本質だけが問題であって、それ以外の膨大な枝葉にはまったく興味がない、ということだ。デジタルをやるんだったら、デジタルの哲学的な本質に到達することだけが重要で、それ以外のことはどうだっていいんだ

なんか、カッコいいこと言ってんじゃん

まあね。でも、カッコいいどころじゃない、この性癖のせいで、オレはホント、辛くなるんだよ

まあな、世の中、そして世間、そしてそれを相手にする仕事、すべてみな、その枝葉の方こそマジョリティであって、それによって社会は回って動いてるわけだからな

何が辛くなるって、さ。どうしようかな、言おうかな、言うまいかな

言えよ。どうでもいいこと、なんだから

うん。辛いのは、劣等感のせいだよ。社会の趨勢に乗ることができない、その能力の足りなさに、辛くなるんだよ。あ、いや、能力というより、なんていうんだろう、その社会のマジョリティというものの流れに、心から同調できず、すぐに心情的にひねくれるせいで、余計に悪循環になり、結局、仕事していてときどき、ひどい劣等感にさいなまれるときがあるんだよ

なんだか、あんまり分かんないな、なに言ってるか。それに、おまえ、それは愚痴じゃないぜ。単なる弱音じゃないか

そうか。そうだよな

でも、まあ、ヨーロッパの名門大学の准教授に正式になれたんだから、その点は十分に社会の趨勢に乗れてると思うけどね

でも、オレは、そういう身分にはなったが、結局、55になるまでに、世の中というものを少しも動かせたことがなかった

そんなことは、ないだろ。ひところは、少ないながらも人を使って、ずいぶんうまいことやってたじゃないか

結局、失敗しただろう? 

それは結果論だろ

あの失敗はね、たまたまじゃないんだよ、オレがあまりに本質、本質って行き過ぎて、いわゆる大衆性を失ったからだよ

ふーん。それは大げさすぎると思うけどな。それは、お前な、本質にこだわり過ぎたんじゃなくて、概してお前が目の前のモノ以外が見えず、そこに深く入り込みすぎる、というただのよくある欠点のせいだよ。いわゆる、視野狭窄ってやつさ。

ということは、オレはその視野狭窄を認めたくないせいで、それを、本質だけが大事だ、とかいう高級な問題にすり替えてるってことか

そうさ、その通りだよ。いい加減にするんだな。仕事をする人間としての大人らしさが、足りないな、お前は。子供じみてるよ

ちょっと待て、お前はオレだな?

ああ、そうだよ

で、オレが子供じみてて、お前は大人の一員としてオレを子供じみてると批判するんだな?

そうだ

ってことは、オレたちの本性は、自身が子供じみていていることを分かっている大人なんだな?

まあ、そうだ

やっぱり、分裂してるってことだな。それが、さいきんの悩みの本質だ

だから、本質についてこだわるな、って言ってるだろうが。そんな御大層なことじゃなくて、ただの誰にでもあるふつうの悩みだって、なんで認めようとしない。自尊心からか

うーん、たぶん、そうだな。クソ

それにしても、お前、そんな大人になりきれない状態で、よく社会で仕事してんな

仕方ないだろ。だって、仕事だもん

あーあ、しかし、こんなことってさ、仮に思っていても、大人ってのは、人前で言わないもんだぜ。それを、まあ、くどくどと、しつこく、よくやるよ、お前も

だから不調だって言っただろ、それにこれは、どうでもいいことに書いてる一人芝居じゃねーか

これネット公開してるんで、仕事で関係してる人も見るよ。いいの?

いいよ、別に

おまえ、こういうことは私小説で書くんじゃなかったのか?

え?

私小説

うーん、そうだな、そうだった

おまえの私小説、あれからどうなったの?

この前、中華街の上海飯店でのエピソードをだいぶたくさん書いて、そのままになってるな。その後に、関内から野毛まで歩いて、それでエピソードは完結することになってるんだが、書かないまま、放ってある

書けよ。そっちに書けよ、そういう自己分析とか、劣等感とか、泣き言だとか、弱音だとか、そういうことはさ

そうだな。そのつもりだったしな

そうだ、思い出した。お前、ダメだよ、今日みたいに、自分を切り刻むみたいなことしてちゃ。そうじゃなくて、ほれ、世の愚劣に対して怒って、攻撃するんじゃなかったのか。健康に怒ること、これが大切だよ。おまえ、このどうでもいいことシリーズの最初に、そう自分で言ってたじゃないか。むかしの誇り高かった自分に戻るんじゃなかったのか?

そっか、そうだったな、情けないな、そうしないとな

しかし、どうやら、本当に不調のようだな

まあな。こんな地の果てまで来て、不調になってる場合じゃないし、そんなヒマもないはずなんだけどな

でも、お前、ここ数年ずっと同じような不調だったわけだから、今に始まったことじゃないだろ。いつも、これは更年期障害だな、って言って流してたじゃん

うん、それだな。日々の仕事に追われて超忙しくしてる人は、その更年期障害に気が付くヒマもないだろうが、オレの場合は北欧でのんびり時間があるからな。そのせいだろうな

ヒマがたくさんあるなら、いいじゃないか。それこそオレたちが望んでたことだろ

ヒマはあっても、外国仕事暮らしのプレッシャーは、半端じゃないけどな

でも、ヒマ、あるんだろ? それだけだって、おおぜいの社畜がそのへんをせっせと歩いてる日本から見ると、御の字では、ないの?

社畜か。正直ね、オレは、その社畜が自分を社畜だと認識せずに、使命感を持って社畜をやってるケースに何度も遭遇したけどな、それ見て、バカだな、って思うと同時に、うらやましい、と感じることがよく、あったよ

うらやましいんなら、お前も社畜になれよ、バカなやつだな

なれるんなら、なってるさ。なれなかったんだよ

あのな、そういう時はな、社畜を見て、バカなやつらだ、っていうところで思考を止めるべきだぜ。そこまでで考えるのを止めて、その社畜を懸命にやってる人間と、それを仕組んでいる社会構造を、糾弾、攻撃するんだよ。その方が健全だぜ

まあ、そういうことを世間一般の人々ってのは、常にやっていて、それで至る所で主義主張を繰り広げては、いがみ合ってるんだけどな

どうも、今日のお前と話していても、無駄な感じだな。たいへん、弱ってる

そろそろやめるか

やめよう

明日の夜、カミさんも帰ってくるしな

そうだよ。お前、このままの超散らかった状態じゃ、まずいだろ、叱られるぞ。片づけ、片づけ

明日やるよ

そっか、明日、やるか

夜も遅いし、コーヒーでも淹れて、ゆっくりと飲みながら、廣松渉の新哲学入門でも読むか

それが、いかんなー なんか、漫画とかなんか、どうでもいい娯楽、ないのか?

ない

今度、買っとけよ

そうするよ!



新どうでもいいこと23