ばかげた話だが、俺はもう何を考えて生きてるのか分からなくなったよ

なにをいいやがる

あーあ、最近はね俺の批判精神も、笑い飛ばす精神も、アイロニーの精神もことごとく行き詰まったよ

まあしゃべれよ

じゃしゃべるか・・俺は日本人に生まれたことを呪いたくなったよ。もういやだな、限界に近い。早いとこ止めたらいいじゃないかという声が俺の内側から常に聞こえていて、同時に止められるはずもないだろうが、という声も同じ所から聞こえてくる。いいか、この状況そのものが日本人的なのだ。むろんここで言っているのは現代日本、いや東京人のことだぜ。なんとけちなロマンティシズムしか持てないのだろう、日本人というこのたまらない人種は。ここで是非必要なのは欺瞞をよしとする精神だ。しかしそれができないのだ、体質的に無理なのだ。俺は昔日本人の反省好きについてずいぶんと批判し、そういう奴等を嫌悪したものだが、しょせんこの俺も同じ穴のむじな、ということになると閉口を通り越して実に嫌な気分になるよ。そして、この自分を嫌になるという自己嫌悪こそ日本人の最悪の特質だ、ということになると、意地でも自己嫌悪なぞに陥ってたまるか、という気になるだろ?だからさ、逃避するんだよ。

それにしても俺達の世代は、現実逃避は悪いことだと教えられ続けてきたよな

しかし何故だろう。なぜ俺達の親の世代は現実逃避が悪だと教える必要があったんだろう。現実というものがほとんど唾棄すべきものに陥ろうとしているときに、それを分かりながら逃避をするな、ということはこれは酷だよ。むしろその時は進んで意識的に逃避するべきなのだ。いいか、言うのもバカバカしいほど分かり切った図式だが、俺達の次の世代は今度は意識をせずに現実逃避している、まあ、これがなれの果てさ。

ふーん、下らん話だ

自分が子供の頃に訳も分からず教えられ続けて来たものに未だに縛られていると感じることほどいまいましいことはないな。青春時代には反逆も企てようとするが、それはだめだよ、何せ実質的な生活感がまだないからな、実質的な反逆にはむろんならない。だからその時期は多いに逃避して詩的気分に浸るべきだ。そしてね、それが過ぎて本当の生活が始まるとね、縛られる、ということがほとんど生理的感覚になって自分の中に残っていると気付くのだ。そして大切なことはそれを隈無く意識して、今度は本当に実質的な反逆を企てることだ・・と思うがな・・

おまえバカな奴だな、ま、精神未発達ってやつだ。反抗期を30後半まで持ち越してどうするつもりだよ、このバカ



元祖どうでもいいこと8