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病 草 紙 異 本

この病草紙異本は、一般に「病草紙」と呼ばれる国宝を含む20図ほどの絵とは内容に重複がない、それとは異なる絵巻である。これは、現在は模写が残っているだけで、平安時代に描かれたと思われる原本は失われている。模本は数種あるが、ここに載せているのは「富士川家蔵本」である。一巻の絵巻物で35図を収録しており、絵のみで詞書が無い。何の病気なのか分からない絵も多いが、ここではいろいろ調べた結果も元に解説を記しておく。



1 背中に瘤のできた女

女の背中に巨大な瘤ができている。瘤を触っているのは医者なのか坊主なのかそのへんの人なのか分からないが、この女の旦那と思われる右の男の手つきを見ると「これはですね、こうこうこうしたあと、こうなってですね」と説明しているようである。なので、なにかしら訳知りの人に相談しているのであろう。瘤の感じだと骨が変形したいわゆるせむしのようなものではなく、粉瘤や脂肪種のような腫瘍が育って、この大きさになったのであろう。それにしてもでかい。

2 赤ん坊に処置する婆さん

母親に抱えられた赤ん坊のへその上あたりに、婆さんがなにやら細い棒のようなものを突き立てている。なにかしらのおまじないを書いているのか、とも思ったが、筆にしては細すぎ、金属の長い針のようなものにも見える。母親と左下の女の様子を見ても、緊急の病気ということはなさそうに見えるので、なにかの予防処置をしているのであろうか。ちょっと不明である。いろいろ想像ができるが、健康な赤ん坊にしてはちょっと手と足が細すぎるような気もするので、この長い針で何かしら鍼のような治療をしているのかもしれない。ちなみに、鍼灸はすでにこの時代からあったようである。

3 囲炉裏で火傷

これは見てのとおりである。男が囲炉裏の上に思い切りこけてあおむけになっているが、これはかなり重症のやけどを負うであろう。すでに着物には火がついているし、だいぶ危険な状況である。向こうの部屋には布団と枕があり、そこから起きて寝ぼけて転倒したのであろうか。それにしても、昔はこのような間取りが普通だったのだろうか。周りには食材が散らばって、棚の上には、カブとかすり鉢とか味噌壺みたいなものもあり、平安時代のキッチンの様子もなかなか興味深い。

4 目の手術

婆さんに近い女が、横たわった男の右目に何かを差し込み手術のようなことをしている。目からは血が流れ、取っ手付きのたらいに流れ出た血が溜まっているようである。これはまた激しい。当然このころには麻酔もないし、殺菌の考えもないので、やっていることはかなり危険な外科処置と思われる。突き立てている器具はピンセットのようなものに見えるので、何かを除去しようとしているのであろうか。それにしても、このころの人は豪胆である。自分の手で血溜めのたらいを押さえ、じっと苦痛に耐えている。

5 病人にまじないを書き込む僧

二人の女に両脇から支えられているこの女は何かしらの病人なのであろう。その女の体に、僧が筆でなにやら経文と思われるまじないの文句を書いている。右下の床の上に硯と墨のセットが置いてある。まじないを書いて病気が治るもんか、とバカにするなかれ。この時代には、こういうこともまことしやかに行われていたのである。

6 全身に発疹のできた子供

全身が発疹におおわれてしまった裸の子供を抱いて、母親が困った顔をしている。左下の婆さんは祖母であろうか、それはじゃな、みたいな感じでアドバイスをしているようである。まずは暖かくせよ、とのことで火鉢で火を熾しているのであろうか。この発疹は麻疹、いわゆる「はしか」のように思えるが、よく分からない。

7 発疹のできた男の子

全身に発疹ができた男の子が横たわり、後ろでおそらく母親らしき女が心配そうな憂鬱そうな顔をして頬杖をついている。臥せった男の子は髪を結っているところから、当時としてはもう青年である。このころは、12から16歳ぐらいで髪を結って帽子を被ったそうだ。それにしても、どうも、ひとつ前の絵の、同じく全身発疹の裸の子と母親と同一人物なように見えてならない。となると、もう、何年も同じように発疹を患っていることになるが、そんなことは無いであろうか。

8 家をめぐっての争い

この絵はどうも分からない。白い着物を着た二人が争っているようで、周りの皆がそれを止めている。特に、右の丸坊主の男がエキサイトして左の男に飛びかかったようで、烏帽子の男が抑えつけ、女が袖を引っぱっている。左の男は何となく「これはお前のせいだからな、観念せい」と言い放っているようにも見え、女が「あんたももう止めなさい」みたいに止めに入っている。どうも、左の男は、この家の一角を壊して材木を没収しに来たように見え、この坊主頭の男はこの家の住人のように見える。しかしなぜこれが病と関係あるのであろうか。

9 発疹のできた女

全身に発疹のできた女をみなで介抱している。右の女はなにかしら椀に水薬のようなものを持っており、左の女が腕をつかみ、はい、お薬ですよ、みたいにしている。上の男は指を差して「あれ、こんなところにまで広がったぞ」みたいな感じである。発疹が何なのかは、やはり、よく分からない。

10 眠る太った女と何もしない皺々男

この絵は実は次の「痩せ細った男」とひと続きになっているので、なにかしらの関係がありそうだが、ここでは真ん中で切って二つに分けている。というのは他の摸本で、これらが別々に描かれているものがあるからである。
しかし、これら二つの絵が何を表しているのかはっきり分からない。まず右上に、全身黒く汚れた男が椀を持ってなにやら物乞いをしているように見えるが、真ん中の強面で体中皺だらけの男は何をする気も無さそうである。それで、左下の婆さんは囲炉裏で何やら煮ながら、その男に文句を言っているようである。裸の赤ん坊も婆さんの方に付きまとっている。左上の畳の上には太った女がだらしなく裸で眠っていて、あまり病気のようには見えない。
ひょっとすると、怠惰で寝てばかりのカミさんと何もしようとしない旦那の家庭で、親族に物乞いさせたり、婆さんに家事をやらせたりする、怠惰夫婦の風景なのであろうか。

11 痩せ細った男

この絵はひとつ前の「眠る太った女と何もしない皺々男」と続いている。こちらでは、すでに極度に瘦せ細って、骨と皮ばかりになり、ほとんど死にかかっている男があおむけになっている。左下では、女が大きなお櫃のようなものの上に頭を乗せて居眠りしている。右下の婆さんはなんだか妙な顔をして黒い椀を持っている。
分からないが、ひょっとすると、この二つの絵は昔の絵巻によくある、時間経過を表したものなのかもしれない。だとすると、前の絵の夫婦と婆さんは、この絵の人物と同一で、怠惰で何もしない男が病気になり痩せ細り死にかかり、それでも、怠惰な寝てばかりいる女は看病も何もせず相変わらず居眠りをしている。さんざん苦労させられた婆さんは、どうも男を助けようという顔やしぐさには見えず、最悪、毒を盛ってるんじゃないかと思えるほどである。
いずれにせよ想像の域を決して出ないが、おもしろい。

12 背中のできものを焼く

もう歳な女が、みにくくでこぼこに一面腫れた背中を出している。乳も垂れ、まことに生々しい。その後ろでは男が炭を熾し、女がうちわであおいでいる。どうやらこの焼けた炭で、病変した背中のでこぼこを焼くつもりのようである。この背中のでこぼこはこのような荒療治を繰り返したゆえなのであろうか、あるいは、すでに癌化するなどして病変した挙句なのであろうか、分からないが、なかなかに恐ろしい光景である。

13 腹が極度に膨張した女

これは厳しい。周りの女たちを見ても分かるように身分の高い人々の住む屋敷の中の光景である。裸になってしまっている病気の女の腹が、ほとんどありえないぐらい腫れて膨張している。おそらく腹水が溜まりに溜まっているのであろう。痩せ細った腕を支えている女は、中に溜まった水を抜こうと、女の体を起こしている。膨張した腹の二か所から血の混じった水がたらいに吹き出し、女はまことに苦しそうである。左の女は、顔を隠し、この光景に涙しているようである。昔は適切な外科処置もまだ無かったので、このような修羅場になるまで、いかんともしがたかったのだろう。

14 畳の上で放尿する女

乳を丸出しにしたさほど歳ではなさそうな病の女が畳に座り、右の二人の女はよほど臭いのだろう、鼻を押さえている。この絵ではこの女が何をしているのかほとんど分からないが、この巻物にはいくつかの別バージョンがあり、そちらを見るとわかる。女の股の左下に白い布が折り重なって見えるが、実はそこに向かって長々と放尿しているのである。このサイトに載せたバージョンでは、実は、男女の性器は隠されて描かれていないのだが、他のバージョンではそのまんま描かれている。この光景も、実は性器を丸出しで放尿しているのだ。右下の女は白布を引き出して、これを当てがうのであろう。単なる小水がこれほど臭いというのも、何かの病気なのであろう。病の女の顔を見ると、それほどやつれて見えないので、判断に困るが、いずれにせよ、畳から動けないか、あるいは病でおっくうなのであろうか。

15 大飯ぐらいの男

男がどんぶりを持って飯を食って口いっぱいにほうばっている。床にはおかずがならび、右下の男はご飯の入ったお櫃を持っている。左の婆さんはそれを見て大笑いし、右の若い女も「あら、いやだ」みたいにして笑っている。ただ、この、男が空のどんぶりを左の胸にあてがっている、そのしぐさの意味が分からない。飯で口がいっぱいなのだろうが、どうもこの絵では口が無いように見えてしまい、最初は、口から食わずに胸の穴から食っているのか、と思ってしまったが、そんなことはあるはずがない。ただ、ちょっと釈然としない。

16 公衆浴場

これはどうやら公衆浴場のようである。三人の若い女がお湯を浴び、一人は赤ん坊を行水させている。そこへしなび果てた婆さんが「わしも入れてくれんか」みたいに入ろうとしている。右の木の塀の向こうでは隙間から女たちをのぞき見している男が二人いる。右上で火を焚いて湯を供給する浴場のようなところであろうか。女の髪は長くなく、これは庶民の風景であろう。調べてみるとこのころはまだ、全身浸かる湯舟というものはなく、主流は蒸し風呂だったそうだ。それと、この絵に書かれたような小さなたらいに湯を入れてそれを浴びる行水のようなものがあったらしい。病草紙に風呂の風景というのも変だが、当時の衛生法のひとつとして取り上げたのであろうか。それにしても風呂ののぞき見はこんな昔から定番だったようだ。二人の男の顔が、なんだか真面目くさったむっつりすけべ顔で、いい味を出している。

17 腹を揉む女

上半身裸の男が横たわっている。表情から言って苦痛を訴えており、なんらかの病であろう。白い着物の若い女が腹を揉んでいるようだ。左の女は「困ったわねえ」みたいなしぐさで、右の若い男はなんだか仕事のような感じで背筋を伸ばして見守っている。しかし、よく見るとこれは、腹を揉んでいる、というよりは、なんだかかなりきつい力で腹の皮をつまんでいるように見え、つまんでいるところも、胃の位置よりだいぶ左下にずれているような気がする。どうも、この男の奥さんが優しくさすっているのとは違っているようで、なんらかの特殊な施術かもしれない。もしそうだとすると、男の奥さんは左下の女で、若い男はこの病気の男の侍従かなにかであろうか。施術はだいぶ痛くて、男は口を開けてうなり声をあげていることになるが、本当のところは、分からない。

18 頬が腫れた女

女の左の頬が異様に大きく腫れている。虫歯が由来で菌が入って膿が溜まっているのか、リンパ腺が腫れているのか、なんなのか病気そのものは分からないが、顔の大きさほど腫れているので、なかなかに重症に見える。頬を触っている歳のいった男はちょっとインテリジェントな顔をしていて、医者であろうか。右の女が連れてきた人のように見える。

19 狂った男

上半身裸の男が、えへらえへら笑って狂い踊りをしているように見える。女二人が男から逃げているが、女の一人は、笑って「あら、またあのキチガイが来たわよ」みたいな表情に見えるので、よく現れる狂人なのであろうか。ところで、この絵の別バージョンでは、男と二人の女の間の地面に、黒く変色して腐って膨れ上がった死体が転がっている描写がある。なぜ、その死体がこの絵では無いのか定かではないが、平安時代の飢饉の時などは、道端に死体がごろごろ転がっているのは、日常なことで、そんな過酷な状況で頭のおかしくなった人間も多くいたのかもしれない。この男、腰のまわりに神社でよく見るあの紙垂を付けている。紙垂はそれより中の場は神聖であるという意味で、男は気がふれて、自分は神で、自分が飢饉を起こしているのだ、と思い込んで徘徊しているのかもしれない。もちろん想像の域を出ないが。

20 嘔吐する男

左の男が食事中に思い切り畳の上にゲロを吐いている。一緒に飯を食っている男は箸でそれを指して、余裕で笑っているので、「おまえ、それ、またかよ」みたいな感じで、この男はしょっちゅう吐いてる慢性の胃腸炎なのかもしれない。右上の男はこの事態に慣れていないようで、ああたいへん、とだいぶうろたえている。ところで、食事は、小皿もたくさん付き、別椀も床に置かれ、なかなかに豪華のようである。

21 男根縛った坊さんのなんらか儀式

僧侶と思われる男が、屹立した陰茎の亀頭部分に紐を巻きつけ、なにやら派手に踊っており、周りは老若男女の人だかりである。しかし、これは何を示しているかイマイチ分からない。最初、男の左手に持ったのは剃刀で、ひもで縛った男根を切り落とす去勢の儀式をしているのかと思ったが、左手に持った物は柄が細すぎ、どうも刃物ではなく、ただの扇子のようなものに見える。
調べてみると、平安時代にはすでに宗教的理由から男根を切断する事実はあったようで、羅切と呼ぶのだそうだ。この絵の男は坊さんに見え、また、いやに真面目腐った顔をしているので、ひょっとするとこの羅切をこれからする前の、一種の儀式を執り行っているのであろうか。まわりの観客の反応を見ても、「うわ!」とか「ぎえ!」とかそういう怪訝な様子に見えるので、そうなのかもしれない。

22 引かれてゆく小人

背中が曲がったいかにも醜い大きな頭を持った小さな男が引き車に乗り、それを四人の子供たちが引っぱっているが、どうも何が描きたかったか分からない。この醜い小人のような老人は、袈裟のようなものを着ているようにも見え、坊さんなのであろうか。前にそろえた手のところからは、煙がひとすじ、なびき出ているのはお焼香みたいな何かなのか。ギャラリーの女は、「ウワオーウ」みたいに両手を上げて笑っているし、左の男は無表情で見ているものの、片手で鼻を覆うこのしぐさは、このころの絵では「臭い」のジェスチャーなので、なにか滑稽で臭くて醜いものが通ってく、みたいな反応である。

二十三 手に下駄を履いた男

この両手に下駄をはいて髭を生やした男は何をしているのだろう。足はだいぶ細いので、足の利かなくなった足萎えなのであろうか。とはいえ頼みの綱の下駄をはいた両腕も身体を支えるには細過ぎる感じである。それにこの体勢だと、これは後ろに向かって進むしか難しそうで、やはりどういうことなのか理解に苦しむ。さらにギャラリーの二人は、嘲って笑っているようでもあり、そんな人の不幸を笑わなくてもいいのに、って思うので、ひょっとすると何かの仔細があるのかもしれないが、分からない。はだしの子供は鋸や槌を持っているので、大工仕事をする人のようで、右の男が棟梁であろうか。特にこの男は嘲り顔で、手つきがこれからぶん殴ろうとしているようにも見え、どうも分からない。手下駄の老人は、地面を見てなんの反応もしていない。

24 陰嚢の膨れた男

この異本のバージョンでは、性器は隠されてしまっていて何だか分からない。たまたまなぜか中国人がサイトに載せていた白黒の別図があるので、下に載せておく。
見てのように、陰嚢が頭ほどに腫れあがり、醜く黒ずんで、陰茎はその塊にほとんど埋没している。この男、腫れあがった金玉を露出させながら、妙に落ち着いた偉そうな表情をしているのが謎である。右上の若い男前らしい僧は鼻を覆って、どうやら腫れてるだけじゃなくて臭いようである。右の男も扇子で臭い臭いとあおいでいる。床には、何かしらの薬のようなもののと、椀の上に置いた小刀が見える。ひょっとすると、この扇子をあおぐ男は医者で、これからこの腫れあがった陰嚢に外科手術を施そうとしているのかもしれない。で、男の方は「わしは、もう、覚悟は決まった。ざっくりやってくれ」と意思表示しているのかもしれない。 ちなみに陰嚢がこのように巨大化するのは、寄生虫のフィラリア類による象皮病であろう。

25 陰嚢の膨れた男その2

こちらも前の図と同じく、性器が省かれているが、同じく別バージョンからの図を下に載せておく。ひとつ前の男と同じく、象火病による陰嚢が黒ずんで長大に腫れている。男は自らの陰嚢を指さして、これをどうすればいいのか、と訴えているように見える。左の扇子を持った烏帽子の男は指さして、もう一人の手前の歳の男におもしろそうに笑ってなんか言ってる。左の若い女は娘なんだろうか「お父さん、止めてよ」みたいなしぐさをしている。左下の男は赤鼻でまつ毛がやけに長く描かれていて、なんとなく外国人っぽい。外国の人を連れてきてお伺いを立てているのであろうか。

26 下痢をする若い女

だいぶ若い女が高下駄をはき、着物をまくり上げて、下痢便のようなものを放出している。子供を連れた右の女はおなじく高下駄をはき、臭さに顔を押さえている。高下駄をはいているのは、ここは共同の野外便所ということである。しかし、便の出るところがチューブのように飛び出していて、これは直腸が裏返って外へ出てしまった直腸脱というものであろうか。若い女性がなりやすいという記述は調べても出てこなかったが、厄介なものであろう。

27 白髪の老女

この図は、まったく意味が分からない。白い紐のようなものを両手で持って何かをしているが、紐の先は描写が途切れていて、なにかが省略されているのであろうか。それから、この絵は、ひとつ前の下痢をする若い女と隣接しているので、なんらかのつながりがあるのかもしれないが、それにしても、意味は分からない。

28 男根を切り落とそうとする男

本図では性器は省略されているが、これは、左手で男根をつかみ、右手に持った小刀でこれを切り落とそうとしているところである。経緯はよくわからない。奥に碁盤がある意味はよく分からないが、衝立の上には法衣のようなものがかけられていて、僧なのであろう。右の僧は「これ、おまえ、早まるのはやめなさい」みたいに止めているようだ。奥の僧はおもしろがって「やれ、やれ」みたいに笑っている。手前の女も止めなさい、みたいにしぐさをしている。 第21図にも書いたが、仏教の修行の妨げになるからとの理由で男根を切断することは羅切と呼ばれ、当時からそういうこともいくらかはあったようである。

29 死体にかぶりつく狂女

地面に転がった、むしろのかけられた死体の肩にかぶりつく女が描かれている。嚙みついた所から血が出ているので、死んで間もない男と思われる。上半身をはだけた女の目は完全にあっちの世界へ行ってしまっているので、おそらく気が狂っているのであろう。子供ははやし、烏帽子の男は「うわあ、こりゃひどい」みたいに指さしている。その左にいる男は、赤鼻に髭に白髪だが、なんとなく外国人っぽい。

30 熱を出して寝込む女

病の女が床につき、一人の女が心配そうにひたいに手を当てている。病人の頬は上気してだいぶ熱が高そうである。枕元にいろいろ転がっているが、何かしらの薬などであろうが、どれも何だか分からない。左下には、同じ部屋に発疹が出た顔が腫れた女が臥せっているが、同じ部屋でこうなっているのだろうか。あるいは、これは時間経過を表していて、最初、熱が出て、その後に発疹が出て顔が腫れ始めた、ということを言っているのかもしれない。

31 横っ腹から糞をしている男

男の横っ腹に開いた穴から糞が出ている。地面に突っ張った左手に高下駄をはき、それを見て臭そうにしている女も高下駄をはいているので、ここは共同青空便所である。それにしても、人工肛門ではあるまいし、外科手術もなかったこのときに、どうしてこのようなことになってしまったのか、どうにも分からない。左には、なんだか羊顔をした犬がおとなしく糞を待っている。おそらくこの後、これを食べようというのであろう。

32 顔面に瘤ができた女

肌や手や黒髪の様子を見てもそれほど歳と思えないのだが、鼻を中心に醜く黒ずんで腫瘍が膨れ上がっていて、鼻呼吸はとうに無理で、口を開けて息をしている。これは厳しい。頭髪もてっぺんがあらかた剥げてだいぶ薄くなっており、おそらく腫れものから滲出液がつねに出ているのであろうか、床に白布、そして左の女は紙を丸めたものを差し出している。ところが床ではおかっぱ頭の少女が呑気に横になって本を読んでいて、どうやら、家庭の中の日常の風景のようである。

33 両足が象皮のようになった女

両足が黒変して象皮のように硬くでこぼこに醜く腫れあがった女が憂い顔して、知り合いだかにそれを見せている。フィラリア類の寄生虫による象皮病であろう。

34 中国風の絵柄による風景1

この図と、この次の図は、実はこの絵巻ものの最初の二図なのだが、病草紙との関係があまりに分からない異色の図なので、ここでは最後へ持って行った。二人の女の髪型や男のかぶった帽子など、あきらかに中国風で、中国のどこかの何かを模写したものなのかもしれない。内容は不明である。 天蓋のようなものをかけられた男は、でも、しかし、顔を見るとなんらか病人のようで、左こぶしを握りしめている。天蓋の中で何が起こっているのかは皆目分からない。

35 中国風の絵柄による風景2

こちらの図は、ひとつ前の図から時間経過した後の図であろう。よく見ると、風景を描写している地点が、前図では横たわる男の左側、そして、この図では右側の反対に移動している。女たちは部屋へ入ってきて、青い着物の女は「ああ、見られたもんじゃないわ」みたいなしぐさで、赤い着物の女は、横たわる男を見ながら両手で、右側の何かに向かって「ちょっと待って、まだよ、まだ」みたいに何かを止めているようにも見える。男はいまでは口を開け、脚を開いて、なんとなくこと切れたように見えないこともない。手前のおじさんはなんだか放心している。位置的に言って、天蓋の中で、この男が何かしらの医学処置をしたのかと思ったが、なんの器具もなく、それは考えにくい。さらに分からないのは、左に描かれた二人の男が大きなお盆のようなものを運んでいることである。しかも彼らは雲の上に乗っていて、どうやら現実の何かでは無いらしい。日本の絵巻物は右から左に進行するので、左に描かれているが、これは、赤い着物の女が右手に向かって何かを抑えている、それであろう。
くだくだと予想を書いたが、本当のところはまったく分からない。