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墓場と餓鬼

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平安時代には、一般の墓地は山の中に共同墓地のような形で存在していたようである。ここでは、その墓地で戯れる餓鬼たちが描かれている。

見ると、五つの、盛り土をした、いわゆる墓がある。盛り土だけのもあれば、塔婆が刺してあったり、てっぺんに仏塔を立て、まわりを木の柵で囲んでいるのもあり、さまざまである。これらは、おそらくあるていどお金のある人の墓なのであろう。この時代は、身分の高い人の間で火葬がようやく始まったていどのときで、一般民の場合は風葬、すなわち野ざらしが多く、その後、死体を埋める土葬へ移っていったようだ。

絵に見えるように、立派とは言えないながらもまがりなりに建てられた墓の合間に、死体が放置されている。左上では木の棺桶に入った死体は黒ずんで、腐り、膨れていて、野犬が腿のあたりに喰らいついている。周りには髑髏や骨が散らばる。真ん中には白骨化した骸骨と並んで、まだそれほど歳でもなさそうな女がむしろの上に横たわっている。左目の眼窩がむごくただれ落ちているようだが、頭のそばに大小の黒い椀が見える。これは、おそらく、ここに運ばれたときにはまだ息があり、せめてもの慰みに、水と食物を置いていったのだと思われる。いや、今でもまだかろうじて生きているかもしれない。その奥には、すでに死んで黒ずんで干からびたような死体があおむけになっている。

現代の常識ではまことに過酷な風景で、こんな中で生きながら放置され、死んでゆく人々の気持ちはいかほどの絶望だったであろうか。

そんな悲惨さが伝わる昔の墓地であるが、餓鬼たちはまことに生き生きと、骨や髑髏と戯れているように見える。往生要集には、餓鬼は火で焼かれた死骸を食う、と記されているが、彼らには死肉を食うことは許されていないのであろうか。見るともっぱら、散らばる骨に執着しているようである。