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遊びに興じる公家たちと餓鬼

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公家の男女が、食べものや酒の並んだ宴席で、楽器など演奏して遊び興じる場面が描かれている。よく見ると、何人かの身体に小さな餓鬼が憑りついているのが見える。

左上のでっぷりした男は楽し気に流し目しているが、はだけた胸に餓鬼がへばりつき、また、そのとなりの琵琶を弾く男の右肩にも餓鬼が乗って顔に手をかけている。画面左下の笛を吹く男には左の脇腹に憑りついて、その右となりの男は、紙が傷んでいて見えないが、おそらく左から這い上ろうとしているようである。いちばん右の男は拍子木を打っているが、あぐらをかいた足の間から餓鬼が顔を出している。

宴席はなかなかに豪華で、各自のお膳の上には6種の小皿が載り、酒の盃と、なにやらてっぺんに茶色い栗のようなものを載せた一品料理が置いてある。いったい何の料理かすごく気になるが、これだけでは分からない。男たちはみな肉付きよく、姿勢もリラックスして、まさに宴たけなわだ。右には美しく着飾った二人の女がいて、一人は琴を弾き、一人は鼓を打っている。いちばん右の女の横顔など、享楽に上気したような恍惚な表情がまことに印象的である。

おもしろいことに、餓鬼たちは女には憑りつかない。しかし、すべての男に憑りついている。

この最初の絵を皮切りに、この後、さまざまな餓鬼の生態が描かれるわけだが、そちらを見ると分かるように、餓鬼は、まともな食い物や水を摂れず常に飢え渇いているのだが、糞尿や血膿や泥水など不浄なものは摂取できるのである。そうだとすると、この場面では、餓鬼たちは享楽に溺れる男たちのおこぼれにたかっているのであって、そのおこぼれは不浄なもの、ということになる。やはりそこには、享楽を戒めるべき、という仏法が間接的に反映しているのであろうか。

餓鬼は生前悪をなしたものが死んで霊になったもので、生きている人間にはその姿は見えない。贅沢に溺れるこれら公家たちも、もちろん、当人たちはまったく気づいていない。しかし、あなたたちも死んだら餓鬼になり、次は同じようにこうして憑りついておこぼれにたかるのですよ、という言葉が聞こえてくるようにも思える。