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ロバート・ジョンソンのギター

ロバート・ジョンソンがグリーンウッドで毒殺されて死んだとき、親族5、6人が駆け付けたけど、死んで既に2週間たっていて、埋葬された後だったそうだ。

それからしばらくして、親族のもとにロバートの所持品が送られて来た。その中に、なんと彼のギターがある。ということは、ロバートが死ぬ直前まで演奏していたそのギターが世の中にちゃんと存在しているということだ。

この情報は、ロバートの義理の妹で、すでに90歳なかばのアニーさんという人のもので、ロバート関係で残っている最後の親族。ギターは彼女が持っているかもしれない。

しかし、ロバートの遺産権利は、ロバートが愛人との間に作ったクロード・ジョンソンという男に帰属する判決が裁判ですでに出ている。

その男は、ロバートの息子らしいけれど、ロバートの生前、まったくロバートとも一族とも関わらず、血縁がある、というだけで、ロバートの死後、突然出てきたそうだ。アニーさんいわくただのさえない中年男でロバートとは似ても似つかない人間だと言っている。

要は、生前にほとんど関わることも貢献することも無かった人が、血がつながっているというだけで莫大な権利を持って行ってしまった、ということだ。

ロバートのギターもその人の元へ行っちゃったかもしれないね。どうするつもりか分からないけど、本当はアニーさんのようなきちんとした人が大切に持っていればいいんだけどね。

オークションに出したら1億円ぐらいか、あるいはもっとかな?

アニーさんのようにロバートを愛した人の手に残るべきだと思うけどね。そうだったら、たぶんだけど、アメリカの博物館とか、そういう公共機関に最後は寄贈すると思うんだよね。

そしたら、見れるね。やっぱり、オレ、それを見てみたい。

昨日、阿佐ヶ谷の駅で降りて、階段だかエスカレーターだか分かんない列に並ぼうとしたら、おっさんに「割り込むなバカ野郎!」って怒鳴られたので、ふと見ると、この列がきれいに一列で、30メートルぐらい後方に伸びてる。もう列が長すぎて、いったいこの列の一番前が、階段なのかエスカレーターなのか断崖絶壁なのか分からないぐらい遠方。

日本人が辛抱強く列を作るのはだいぶ昔からだけど、ここ最近、さらにそれが激しくなってないかね。どこへ行っても一列に並んで一糸乱れず、みたいな。不要なところでも並んでる。

なんだかそれを見ていると「社会不安」って見えてしまう。みなが規則を厳格に守っていれば社会は良くなる、みたいな。で、社会が悪くなるのは、規則を守らないやつがいるからで、そいつらのせい。守っている私は悪くない。悪いのは規則を破るやつらだ、という構造というか、気分というか、そういうのが無いかねえ。

たぶんだけど、社会不安が無いときって、人はもっとバラバラに行動して、適当に譲り合ったり、小さないさかいを起こしたりしながら、全体として安定して機能するんだと思うけど、いったん社会不安の気持ちがみなに共有されると、どうしても人はすぐに誰でも納得できる「規則」を守ることに専念し出す。

ここでいえば「列を作って並び、割り込みは許さない」という規則。

思うに、スウェーデンに十年いたけど、かれら列を作って並ばなかったなあ。エレベータでも出口でもなんでもいいけど、わらわらって人が漫然と集まっているだけ。でも、特に混乱せずにひとりひとり出て行く。そりゃそうだ。イライラした人がひとりもいなければ、ふつうはちょっとした譲り合いだけで出口から出るのは簡単だからね。もちろん列を作った方がいい場所では作るけどね。

最近の日本はあんまり余裕がないんだろうか、常にイライラしてる人がすごく目につくようになったけど、気のせいかな。

そういやいま思い出したけど、このまえも別の駅で、列合流のつもりでゆるやかに割り込んだら、すごく睨まれたっけ。たとえば3列が合流して1列になるとき、いちばんきれいに長く並んでる列がいちばん強くて、そこに合流しようという別の列はみな悪者、みたいな感じになるみたいね。

西洋帰りのオレも、なかなか糞日本人のこの糞根性には慣れない。怒鳴られたり睨まれたりするのも気分悪いんで、今度から30メートル後ろまで歩いてゆくことにするよ。しかし、先頭の崖からみんな落ちちゃえばいいのに。

そっか、そういや外国行く前のオレはもうちょっと余裕があって、列が30メートルでも、出口あたりの横にぼーっと立って、列がぜんぶ掃けるまで待って、いちばん最後に出てたっけ。

オレも余裕が無くなったきたのかねえ。

千成飯店のおっちゃん

大森駅から山王小学校へ上る坂の途中に千成飯店っていう町中華がある。むかし大森に住んでたころ、よく行った。もう五十年はやってるんじゃなかろうか。

あそこは町中華らしくオープンキッチンでカウンターから中が見える。だいたい料理人が二人体制でシフトを組んでいた。で、オレ、その中の一人のおっちゃんのファンだった。

小柄で、痩せてるけど筋肉だけあって、いってみればフライ級ボクサーみたいな体形してた。鉄の中華鍋を常に振り回すにはそれぐらいの筋肉が必要なのだろう。で、顔が小さくて、ツルっとしてて、二つの目は小さくて、まるでつるりとした顔面に人差し指で二つ穴を開けたみたいな感じだった。で、さらに、右目が白くなっていて、おそらく見えてないと思う。ものを見るときにいつも見える方の左目を向けるので、そのせいで何かを見るときは首が斜めに傾くのである。真っ白に濁った右目は隠しもせず、かなり変な顔。さらに、口だけど、唇がほとんど無い。そういう人ってたまにいるんだけど、上と下の唇を口の内側に折り込んだみたいになっていて、なんか入れ歯の外れた老人みたいな口をしているのである。

で、そのおっちゃんの動きがまた独特で、なんかこう、常に振動しているような動きをする。中華鍋を振っている時も、上半身だけ動くのではなく、明らかに腰を振って下半身も使って鍋振りをしてる。僕、中華鍋をせかせかとせわしく振る動きは好きじゃないのだが、このおっちゃんのは、なんだかダンスを見てるみたいで、けっこう客席から見とれてた。

それで料理ができると鍋を持ってくるっと皿の方に向いて、料理を盛るが、そのときの動きもなんだか、全身をプルプルプルッと揺らしながら盛っていて、独特なの。

ほとんどしゃべらず、ときどき、唇のない口をもぐもぐして、またプルプル震えて、それで次の料理に取り掛かる。

オレはカウンターに座って、ずーっとそのおっちゃんにくぎ付けだったっけ。

へんな話だけど、本当に根っからの肉体労働者で、そういう意味で天職であろう。僕みたいに頭脳労働しかしたことの無い人間には、まったく縁の無い、人間性の姿である。

世の中では、これまで、頭脳労働の方がおしなべて待遇は良く、裕福な人はほぼ例外なく頭脳で稼いでいた。僕も、結局、頭脳と口先で生計を立てていたわけで、そんな扁平な一能力しかない自分に比べて、このおっちゃんの、この全身から発散している唯一無二な魅力はどうだろう。

頭脳や口先なんてものは、いくらでも替えがきくが、このおよそ底辺なルックスをした片目の不自由なおっちゃんの替えは、金輪際、世界のどこにもない。

どっちの方が凄いか、言うまでもないのである。

最近、大森のお袋の家にときどき行くので、千成飯店をのぞいたり、一度は入ってはみたが、あのおっちゃんはいなかった。そうだよな。単純計算すると八十過ぎだ。いるわけがないよな。

で、こういう価値が貴重になる時代が必ず来る、とオレは思ってるよ。ただ、例によって五十年後にね。

音楽と世間

昨日、お袋と話してきたけど、なかなか衝撃的なこと言ってた。

「もし、あんたが音楽やってなかったら、もっとえらいすごい人になってたのにねえ」、だって。

「えー、なんでそんなこと言うの?」

「あんた子供のころはすごかったのよ。でも、高校大学へ行って音楽やって、それでせっかくのえらくなる道から外れちゃったわねえ。もったいないと思うのよ」、だって。

で、「あんたどう思う? 音楽のそういうの」って、って訊くから

「うん、たしかに僕もそう思うよ!」って元気よく答えて大笑いしちゃった。

思えば、世間で、伴侶を探してお付き合いするとき、あなたが音楽やってなければお付き合いしたのに、というケースがけっこうあるらしい、と聞いて驚いたことがあるが、やはり、それって十分、アル、話だし、一般的な認識として間違ってはいないのかもね。

で、お袋に

「だからさあ、若いときに、音楽、芸術、文学、哲学、なんかにうつつを抜かしてしまうと、だめなんだよ。そういうものはさあ、社会に出たときにいったん捨ててやり直さないと。僕はそれができず、ずっとうつつを抜かしっぱなしだから、六十六になっても生活不安定、先行き不透明、なにより経歴に比べてぜんぜんえらくないそのへんの人になったんだよ」

って言っといた。

えー、林君、そんなふうに考えてるの? 冗談だろ、と思うかもしれないけど、オレ、真顔でそう思ってるよ。

でも、オレたちの時代は絶対に来る。ここ3、4年のAIは必ず社会における価値の転換のきっかけになるよ。そうしたら、絶対に、音楽、芸術、文学、哲学にうつつを抜かす人が社会で主役になる、とオレは信じて疑わないよ。

ただ、その社会が本当に来るのに今から五十年はかかるだろうな。オレ、百十歳超えになっちゃうけどねえ 笑

スウェーデンの大学で見たこと(なぜリベラルを嫌うか)

さて、なんで僕がこうも現代リベラルを悪く言うか、今まで断片的にしか書いてないけど、今回も断片にて。

オレ、スウェーデンの大学に十年間いて、そこでリベラルが事をどうやって進めるか実際に体験してこの眼で見て来たんだよ。

僕が十年前にその大学に来たときは、そこはゴットランド大学という地方大学だった。僕の所属学科はゲームデザイン学科。ゲームデザインという新しい分野は、新しいゆえに大学に必要な学術性がほとんどなく問題なのだが、そこは小さい地方大学の自由さを活かして、ゲームデザイン学科が立ち上がり、その中身は言ってみれば「専門学校」そのものだった。つまり学術性はほとんど無く、実社会のゲーム製作における技術とノウハウを実践的に教える場だった。

ちなみに、ゲームデザインのデザインは日本語のデザインではなく「設計」という意味で、ゲームの立案から開発、製品化からマーケティングなどおよそゲーム製作に必要なすべてを網羅する学科で、総合的なものである。

それにしてもゲームデザイン。その雰囲気は自由闊達で、ある意味やりたい放題の、常にお祭り状態のところだった。学術研究という硬い枠が無いと、ここまで自由なんだ、というほど自由で明るい雰囲気に満ちていた。

繰り返すがそれというのも、ゴットランド大学はスウェーデンでいちばん小さい大学で、しかもランキングではほとんど最下位な大学だったからできたことなのである。

ところが、僕がそこに入って来たときに、ちょうど新しい計画が始まっていて、それは、スウェーデン全土での大学の数を減らす方針が政府から発表されたことだった。当然のように、小さくて低ランキングな大学はその整理対象になるが、いきなり閉校は無理だし、損失だし、そんなことはしない。なので、大学数を減らす方法は吸収合併ということになる。

それでなんとこのゴットランド大学がウプサラ大学に吸収合併されることが決定しつつあり、僕が入ってほとんどすぐにそれが正式に可決された。

さて、ウプサラ大学とは何かというと、これは北欧一古い名門大学で、五百年以上の歴史があり、かのデカルトも教鞭を取ったことがある老舗大学で、スウェーデンでいちばん大きい大学のひとつで、ランキングも五指に入る。いちばんでかい大学がいちばん小さい大学を吸収するわけである。

僕が入って2年して、実際の吸収合併が行われ、大学はウプサラ大学に名前を変えた。ある意味、中にいる教授や教員たちは、日本でいえばFラン大学がある日いきなり東大になったようなもので、歓喜した人が多数だっただろう。しかし、同時にウプサラ大と分野が被る人たちはゴットランドを捨ててウプサラへ異動したりしたし、特に事務方に至っては不要になるのでかなりの人数の解雇者が出た。でもスウェーデンはそういうのに対する処置が手厚いので、特に不都合なく事は進んだ(ちなみにこの僕は正規教員じゃなかったのでクビの危機だったが、からくもウプサラ大に正規雇用採用された)。

で、ゲームデザイン学科であるが、ウプサラ大には当然そんないかがわしい学科(笑)は無い。で、結局、しばらくたらい回しにされた挙句、引き取り先は人文学部に決まり、そして学科としては該当学科が無いので、ゲームデザイン学科がウプサラ大学に新設されることになった。

さて、すでに相当長いが、ここからがリベラル連によるゲームデザイン学科の乗っ取り劇の始まりである。

すべてを語るのは面倒なのでかいつまんで書いておこう。

まず吸収されて2年ぐらいは何事も起こらなかった。定期的に顔合わせ懇親会みたいなミーティングはあった。先方のウプサラ大からは人文学部のいくつかの学科から人選されて人が来て、こっち側はゲームデザイナーが来て対面し、なごやかに懇親が始まった感じだった。

そこでは、このウプサラ大学人文学部ゲームデザイン学科を将来どうするか、などというお堅い話は無く、お互いに会うのが初めてな新しい顔ぶれだったわけで、常に懇親会的であった。

もちろん、その裏側では、お互いの幹部同士が将来計画していたのかもしれない。しかし、僕は、そのゲームデザイン学科の設立者の一人であり重鎮のスティーブン先生のいちばんの友人だったので、彼からその内実をいろいろ聞いていた。しかし、肝心の学科の将来に関するせめぎ合いはあったけど、それほど露骨に激しくは無かったようなのだ。

ただ、双方の方針自体はだいぶ異なっていたのは確かだ。ゲームデザイン側はゲーム製作における実践的教育研究を、ウプサラ人文学部側はゲームの学術研究を主眼にしていたわけで、そこはそもそも目的が合わない。前者がアート系、後者はソーシャルサイエンス系、と言えばいいか。けっこうな水と油である。

まず起こったのが、ゲームデザイン側の教員のアップグレードだった。というのはそこは実態は専門学校だったので、当然、ドクター持ちはほぼ皆無。ドクターは僕と、当時いらした中嶋先生と、あとMIT出身の学科一の変人プログラマーのマイクの三人だけ。ゲームデザイン学科の重鎮は5人ほどいたが、もちろんドクターも無いし、マスター(修士号)すら持っていない人が大半で、教員たちもしかりで、言ってみれば、全員学校の勉強など横目に見て活躍するゲーマーの集団だったのだ。

そういう彼らが、ウプサラ大のニーズに合うように、マスターやドクターを取り始めた。すべて大学持ちで、資格取得に別大学に通うのである。

その次に、ぽつりぽつりとウプサラ大から先生が学科に異動してきた。それらの先生は本校ウプサラで、ゲームを使った教育とか心理療法とか、あるいはゲームにおけるジェンダー問題や依存症の研究やら、そういった人文的研究をしている人々であった。学科的にいうと、社会科学科、ジェンダースタディ科、あたりだったようだ。

彼らはあくまでゲームは手段であり道具であり、それを使って社会学や心理学をする人たちで、なにをおいても学術性が重要な人たちだった。

いや、こんな風に書いてたら終わらないな。結果を先に言おう。

吸収されて最初の2年は何もなく、3年目から先方から徐々に先生が来はじめ、それと並行して重鎮の追い出しが始まった。そのやり口はあの手この手で巧妙で、結局もとの学科を思想的に支えていた人たちは一人減り、二人減り、と勢力を落としていった。そして吸収されてから8年ぐらい経って、僕が大学を辞めるころには、すっかり、ゲームデザイン学科はウプサラ大学人文学部一色になった。

重鎮は全員いなくなり、元いた人たちも説得され、さらにゲーム開発的な実践分野は縮小されて行って、ゲームデザインの中身の半分以上はソーシャルサイエンスな人々になった。僕が辞めて2年が経つが、いまどうなっているかは、知らない。しかしいまだに実践分野は縮小を続けているようだ。

最初に戻って、リベラルのやり口が嫌いだ、と言ったのは、彼ら、結局、終始ニコニコして、フレンドリーで、平和的で、相手に理解を示し、尊重し、激論を好まず、前向きで発展的なのはいいんだが、その仮面のような顔の下で、着々と自分たちの計画を進めていて、いわば「からめ手」で、相手を倒す代わりに、変質させてしまうのである。

これは、完全に「改宗」の手口だと思った。その戦略的な巧妙さには、とうてい勝てないと思った。

結局、自由闊達だったゲームデザイン学科はおよそ8年ていどで完全に変質し、リベラルの手に渡った。そのやり方はお見事、としか言いようがない。乗っ取るのに8年もかけるんだ。しかもその最初から8年というスパンを想定して戦略的に動くのである。なぜ、そんなに時間をかけるか、というと、潰す代わりに中から変質させる道を取るからだ。すなわち、改宗、である。

ゴットランド大学時代のゲームデザイン学科は、教員数、学生数もトップで何より大学予算の半分以上の金を稼ぎ出す大きな勢力であった。同時に、そのころは「ゲーム」という新しい分野が各大学に入り始める時期でもあって、学生からも大人気で、経済的な意味でも、新しい将来を見据えた大学像的な意味でも、貴重な存在だった。

老舗のウプサラ大がこの新鋭のゲームデザイン学科に目を付けて、これを真の意味でウプサラ大の伝統に組み入れようとしたとき、連中らがいったいどういう手を使うか、僕はそれを傍でずっと見ていた。

ちなみに、僕自身は、そういう闘争に興味が無かったので、柳に風で適当に振る舞っていた。僕自身は、学術研究も芸術も社会学も分かる人材で、そのおかげでパージされずに済んだようだが、それでも、信念から何かを打ち立てたり、そのための困難を克服したり、ということに興味がなかった。これ、ひとえに性格的なもので、僕には野心がゼロなのである。

なのでいつでも傍観者だったが、それゆえに全体の構図はすごくよく見えていた。

改宗によって領土を広げて行く彼らのカルチャーは、実際、強大な歴史的背景を持っていて、そんじょそこらの人間に対抗できないほど戦略的で、巧妙で、しかし僕から見ると、偽善的な面が目につき、ずるく映った。でも、それが彼らの大昔からのやり方なんだ。

スウェーデンはリベラルの国で、伝統あるウプサラ大学はリベラルの総本山である。僕は定年の年齢より2年早く辞めたが、もうリベラルはうんざりした、というのがその理由のひとつだったりした。

それで僕はことあるごとにリベラルを悪く言うのだが、別に彼らを悪人だと言ってるわけじゃない。ただ、僕の人間としてのネイチャーに深く反していることだけは確かである。

AIはもうけっこう

会社の仕事はオレ、純粋におカネのために続けているのだけど、そこでなぜかAIと関わることになってしまい、ああ、なんでかなあ、みたいに感慨する。

現在のAI(LLM)が出たばかりのとき、衝撃を受け、AIについて長文を書いたが、いま見たらちょうど2年前だった。それにしてもLLMは超ド級の驚きだった。そのとき、近代科学始まって以来500年の歴史でもっとも重大な事件だと感じて、いまも考えは変わらない。

それからいくらかAIについて考え、文も書いたが、そこそこで終わっている。追及がなんとなくイヤになったから。

自分にしてみれば、人間の知性というものは物質の別名である、という自分のカンが、AIによって実証された、と感じていて、それだけでなんだか十分な気がしてしまい、それで遠ざかって、いまではただの平和ないちユーザーである。

意識というのは共感の総称であって、その共感は物質と逆を向く。もっともここで物質と呼んでいるのは、科学に従って動くモノの仮の姿なので、本当はずばり「科学」と言ってしまった方がすっきりしているかも。

みな、科学が物質の振る舞いを解明した、と思っているけれど、それはまったくの逆で、科学が物質の振る舞いを決定しているだけで、そういう科学に従うモノに「物質」という名前を付けているだけだ。本当にある「モノ」は永遠に物自体として不明のままである。

これから時代はおそらく、その共感の方向へ舵を切るはず。物質と科学の時代は終わったのだと思う。もちろん、本当に終わるには百年以上かかるけど。

とまあ、わけの分からんことを考えているせいでAIから距離を置き、まあ、もう、当面、AIはいいや、ってなったんだけど、なんとカネのためにかかずり合うことになった。

カネ、って因果だなあ。オレの将来に当面カネがいるので、それでカネなんだが、カネって人の人生を変えるねえ。

カネほど下らない意味のないものは無いんだがなあ。

というわけで、今日は午後にAI周りの外人が来るんで、ビジネスビジネスと。ただ、僕はビジネスは無能なんで、英語お話係ね。もっとも今日のAIはエンジニアリング周りの話なんで、上の空でテキトーに仕事して来ます。

カネカネカネ、と。

自費出版とゴッホ

僕が初めて本を出したのは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに関するエッセイ評論だったのだけど、文字通りの自費出版で、本を出したい無名な人相手に商売している、なんとかいう出版社に130万円払って単行本にしてもらった。

自費出版なんかしたって、実際、なんにもならず、オレが本を出しても、さざ波ひとつ立たなかった。それは分かっていたことなので、別に失望もしなかった。

ただ、精魂かたむけて書いたことだけは確かなので、自分として達成感があり、それでよかった。

外の人で、手紙までくれて、ちゃんと褒めてくれたのは二人だけだったかな。一人は僕の叔父さん、そしてもう一人は当時の東工大の教授で小川先生という人だった。彼はその手紙の中で、僕のそのゴッホの本を絶賛してくれ、職業評論家よりだんぜん良い、と言ってくれた。小川先生自身がたしか父親が画家で、美術に精通していたらしい。

小川先生は当時学部長かなんかで、おそらくこの本のこともあって、そのときNHKにいた僕を東工大の教授に推薦してくれた。芸術が分かる理科系の人材ということで、目を付けたのだと思う。

しかし、残念ながら、ちょうどそのタイミングで国の方針が変わり、教授の定年が5年延びたせいで、僕のポストが無くなり、東工大教授の道は無くなった。あのとき教授になってたら、いまごろどうしてたんだろうな。

そんなこんなもゴッホの絵があればこそだけど、僕ぐらい文字通り狂的に彼の絵に心酔してしまい、それがしばらく続くと(たぶん10年間ぐらい)、もう、あるレベルを遥かに超えてしまい、ゴッホの絵が好きだ、とか、彼の作品のどこがいい、とかそういう一般的な評価や判断をまるっきりすっ飛ばして、あっちの世界に行ってしまい、ほとんど血を分けた肉親の出来事のようになってしまう。

彼の絵をオレは、いったい、どれぐらい愛したことか。完全に気が狂っていた。

期せずしていま大阪でゴッホ展をやっていて、9月に東京に来る。オレは、たぶんだけど、行かないと思う。もう、彼の芸術は正真正銘、僕の血肉になってしまっているので、見る必要がないからだ。それに、かつて彼の実物の絵に接して、頭がおかしくなるような目くるめく感動を受け取った過去のオレは、もういない。

感動の命は長くない、それは驚くほど短い。長く続くのはそれを言葉として記したことだけで、そして、それがオレのあの本だったのだけど、いま思うと、あれは完全な墓標だ。ゴッホの絵画に出会ったあの事件は、あそこで死んだんだ。そして二度と生き返らない。残るのは墓だけ。

それにしても、彼の画布の本当の意味を分かっているのは、世界でオレだけだと断言する。それぐらい頭がおかしかった。そして、それは、今も。

彼への感謝だけで、オレはいつ死んでもいいような気すらしてくる。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00FL3HWNY

生成AIは麻薬

だいぶ昔の百五十年も前のパリの話だけど、その当時のインテリ層の連中が集まると、麻薬のハッシシのことがよく話題になり、多くは進んでそれを体験したそうだ。

ボードレールに「人工楽園」という本があるが、そこに彼自らが体験したハッシシの克明な記録が書かれている。かなり面白い。

しかし、この本を思い出すと、麻薬の記述に至る前に、「酒」に関する短い記述があり、それが自分には忘れられない。パガニーニとギタリストが流しの放浪をしていてギタリストが泥酔したときの演奏の光景が書かれていたり、泥酔したとある労働階級の男が道端の溝にはまって、それをもう一人の泥酔の男がのろのろと引っ張り上げている場面の、恍惚とした情景が描かれていたり、読むと陶然とするのだが、これについて書くと切りがないので、置いておく。

ハッシシの流行ったパリでのこと、例によってハッシシの話題になった。そこに、誰だったかたしかバルザックだったか、その話の輪の中に、老年に差し掛かった芸術家がいた。彼もみなの麻薬の話に食い入るように聞き入って、あれこれ根掘り葉掘り質問をしたそうだが、いざ、誰かがホンモノのハッシシの持ち出すと、彼は尻込みしたそうだ。

まるで、恐ろしい蜘蛛かなんかを見るようにおっかなびっくり覗き込み、匂いをかいだりして、でも、人に勧められても決してやろうとは、しなかったそうだ。

こういう奥ゆかしさや、警戒する様は、なんだか未知の物に出会った猫のような反応で、とても魅力的だ。特に老齢の芸術家は既に麻薬などに頼らずとも、膨大な経験をその心身の中で醗酵させているわけで、麻薬などは不要と考えても少しも不思議じゃない。

オレね、昨今の生成AIは麻薬だと思うんだよ。

酒や煙草ではなく、麻薬。

生成AIを進んでやる人間、尻込みする人間、嫌悪する人間、といろいろいるが、どれが良いとも言い難い。というよりは、ボードレールは書いているが、彼のそれまでの観察によれば、麻薬は何も新しいものを創造しない。そうではなく、それを経験する人間がもともと持っている芸術的感性を増幅し異常に鋭くする、と言うのである。したがって、その時点でのその人間の素性が陳腐であれば、麻薬は馬鹿げた結果しかもたらさない。

彼が正しいとすると、AIはちょっとした試金石の代わりをするのではないか。その人間がもともと持っている素質、というものが増幅されて人の眼に見えるようになる。

つまらないやつがやれば、いわば見ていてバカ丸出しだ。手を出さなければバカも見えなかったのに、その光景はほとんど悲しくなるほど。

オレはというと、生成AIという麻薬には手を出す方だけれど、相応の警戒心は持っていて、それはちょうど老齢の芸術家と同じ気分だ。なぜ手を出すかと言うと、麻薬というのは、なんだかんだで、それまで自分が持っているけど漠然としか感じていなかった大切な宝物のようなものを、はっきりと認識されるものとして現出させてくれることを、知っているからだ。

それが新しいなにかを創造して、時代を変えて行く力になる、ということは間違いなく起こる。人間にはやはり麻薬が必要であるらしく、少数の選ばれた人が麻薬の力を得てそれを成し遂げる。

しかしその副反応として、膨大な量の馬鹿な中毒患者を残して行くわけなのだが。

芸事

三島由紀夫は憂国っていう短編を読んで一気に気持ち悪くなり以後敬遠。彼が常に携えていたらしい葉隠っていう武士道を語ったといわれる本があるが、存在が嫌で仕方ない。宮本武蔵なんかも何を間違ったかかつて五輪書を買ってしまったが、もう、捨てちゃったかもしれない。

と、いうわけで、一般に武士道というものが嫌で仕方なく、その理由うんぬんより、とにかくその世界観が自分には生理的に気持ち悪くて無理である。

これ、なんだろうな、と思い、そんなこともあり、最近、林家クロニクルという一文を書き、理由を明らかにしようとしたものの、父への反抗心という以上のものは出て来ず、そんなのは幼稚な理由であり、あの一文はむしろ武士道の肯定になっているかもしれない、という始末。

https://hayashimasaki.net/etc/hayashichronicle/index.html

で、昨日、なぜか乃木大将のことを調べたりしてしているうちに、河上徹太郎の吉田松陰という本を引っ張り出して、なんとなくながめていたら、最後の章が「殉死」という文で、読んでたら前述の葉隠について出てきて、それで三島も出てきて、彼、葉隠入門という本を書いたりしていて、いろんな引用なんかもあった。

で、その葉隠の中の一節に、こんな風な文を見つけた。

「芸は身を亡ぼす。芸事するなんて侍じゃない。芸能が上手な人間は馬鹿である。ただの下らん一芸に執着するせいで、その他のものが目に入らず上手になるにすぎない。そんなものは何の益にもならない」

つまり、芸能などというものは極めて軽薄なバカバカしいもので、男子のすることじゃない、最低だ、という恐ろしいことが書いてあるのを発見して、すげー、喜んじゃった。

そうか! オレがギターを弾いて歌ってるのは、芸能ヤロウになりたかったからで、それは、あの我慢ならない葉隠に語られている武士道を、横目に見てバカにしてはやし立てるためだったか、ということが分かった。嬉しい。オレ、することが一貫してる。

しかし、自分、実は、音楽でブルースを演奏していてもどうしても葉隠的なものをイヤでも表してしまう傾向があり、それには少し閉口していたことは、していた。

それでまた、そうか! と思い至った。

オレがちょっと前からかかり切りになっている日本語オリジナル糞曲の録音は、さらにそこから自由になるための超越的芸能であったか。いやもう、ホントに下らない曲の数々なのであり、葉隠の常朝が聞いたら、日本男子の成れの果てのそのまた成れの果て、と絶望するであろう。ざまあ見なさい、である。

いや、でも、こんな論のようなことを考えずにいられないところがそもそもオレの儒教的性格を暗示しているわけで、忌々しいが、ま、しかたない。

それに儒教は武士道と違う。孔子は自ら演奏もしたし音楽好きだったしな。

自虐

僕は、日本って国はだめだ、って相応に思ってるし、そういう発言もたまにする。

それにしても、やっぱり、常に日本は駄目だってダメ出しし続ける日本人って、自分の幸福じゃない境遇は日本がだめなせいだ、っていうことを要は言いたいのだろうかな。

つまり自分が駄目なのは人のせい、周りのせい。

人のせいにしちゃいけません、というのは古今東西言われるけど、どうなんでしょうね。

そういえば、ドストエフスキーの小説でも、ロシアが公然と否定されることについて熱狂する人々が頻繁に出てくる。彼いわく、これぞロシア人の際立った特性のひとつである、って書いてる。オレのせいじゃない、ロシアのせいだ!と言って溜飲を下げる人々。

ドストエフスキー自身は小説の中では、それをいいとも悪いとも言ってない。ダメでクソな自国にそれでも生きているんだオレたちは。それに他にどこへ行く場所があろうか、という自虐の中に喜びを見出す性癖があるのは、オレ、よく分かる。

これって不思議なことだけど、民族主義の一性質なんだと思う。リベラル思考にはこういうマゾヒスト的なもの、かけらもない。

あと、ロシア人は元来アルコール漬け民族でもあって、酒漬けの人によく見かける、人生のほろ苦さを甘受して、それを静かな喜びにする感じを思わせる。そして、その気持ちも分かる。自分もきっとそれだと思う。

ただ、最近、酒量がすごく減ったので、代わりにオレ、なにしてるんだっけ? 

昨晩もオリジナル曲の「地下鉄ライダー」いじってて、「朝起きたら」に着手して、地下鉄の方は完成したから披露したくて仕方ないけど、オレの目標は最低8曲でアルバム作ることなので、それまで発表しない。

あ、今日こそオフィスへ行って、仕事する。