月別アーカイブ: 2025年7月

自費出版とゴッホ

僕が初めて本を出したのは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに関するエッセイ評論だったのだけど、文字通りの自費出版で、本を出したい無名な人相手に商売している、なんとかいう出版社に130万円払って単行本にしてもらった。

自費出版なんかしたって、実際、なんにもならず、オレが本を出しても、さざ波ひとつ立たなかった。それは分かっていたことなので、別に失望もしなかった。

ただ、精魂かたむけて書いたことだけは確かなので、自分として達成感があり、それでよかった。

外の人で、手紙までくれて、ちゃんと褒めてくれたのは二人だけだったかな。一人は僕の叔父さん、そしてもう一人は当時の東工大の教授で小川先生という人だった。彼はその手紙の中で、僕のそのゴッホの本を絶賛してくれ、職業評論家よりだんぜん良い、と言ってくれた。小川先生自身がたしか父親が画家で、美術に精通していたらしい。

小川先生は当時学部長かなんかで、おそらくこの本のこともあって、そのときNHKにいた僕を東工大の教授に推薦してくれた。芸術が分かる理科系の人材ということで、目を付けたのだと思う。

しかし、残念ながら、ちょうどそのタイミングで国の方針が変わり、教授の定年が5年延びたせいで、僕のポストが無くなり、東工大教授の道は無くなった。あのとき教授になってたら、いまごろどうしてたんだろうな。

そんなこんなもゴッホの絵があればこそだけど、僕ぐらい文字通り狂的に彼の絵に心酔してしまい、それがしばらく続くと(たぶん10年間ぐらい)、もう、あるレベルを遥かに超えてしまい、ゴッホの絵が好きだ、とか、彼の作品のどこがいい、とかそういう一般的な評価や判断をまるっきりすっ飛ばして、あっちの世界に行ってしまい、ほとんど血を分けた肉親の出来事のようになってしまう。

彼の絵をオレは、いったい、どれぐらい愛したことか。完全に気が狂っていた。

期せずしていま大阪でゴッホ展をやっていて、9月に東京に来る。オレは、たぶんだけど、行かないと思う。もう、彼の芸術は正真正銘、僕の血肉になってしまっているので、見る必要がないからだ。それに、かつて彼の実物の絵に接して、頭がおかしくなるような目くるめく感動を受け取った過去のオレは、もういない。

感動の命は長くない、それは驚くほど短い。長く続くのはそれを言葉として記したことだけで、そして、それがオレのあの本だったのだけど、いま思うと、あれは完全な墓標だ。ゴッホの絵画に出会ったあの事件は、あそこで死んだんだ。そして二度と生き返らない。残るのは墓だけ。

それにしても、彼の画布の本当の意味を分かっているのは、世界でオレだけだと断言する。それぐらい頭がおかしかった。そして、それは、今も。

彼への感謝だけで、オレはいつ死んでもいいような気すらしてくる。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00FL3HWNY