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コーヒーハウスのあんちゃん

四十年前ぐらいに三年間、大阪に住んでいた。

あのころの大阪梅田の駅の、阪急から京阪の改札へ通じる地下街はおもしろかった。どうでもいいものを売ってるどうでもいい店が山ほどあって、売り子の多くは大阪のおばちゃん。で、店舗の間にカウンターの串揚げ屋とかあって、おっさんたちが串揚げ食って酒飲んでる。要は、おばちゃんとおっさんのたまり場的なグダグダ感が最高だった。

で、あるとき、その地下街の店がぎっしり並ぶところから空間を隔てて、ちょっと離れたところにスタンドのコーヒーハウスができた。そのころはまだドトールとかスターバックスとかそういうコーヒーハウスなど無く、コーヒーは喫茶店、あるいは珈琲専門店で飲むものだったが、たぶん、コーヒーハウスの走りみたいな実験店だったのかもしれない。

カウンターだけの広くない店で、でも内装はダークブラウンの落ち着いた、珈琲専門店ぽい、音楽もかからない静かな空間で、カウンターの中には店員がひとりだけいて、働いている。なんだか向かいのおやじ串揚げ屋の喧噪と対照的で面白かった。

それで、ある時、そこに入ってみたことがあった。

なんでこんなことを書いているかというと、そのときにカウンターの中にいた店員のあんちゃんを自分は、ことあるごとに思い出すからである。

彼、たぶん二十代後半の若い男だったと思うんだけど、そのルックスが完全にいまでいうヤンキー、あ、いや、今ではそう言わないんだろうか、昔でいう不良だった。やくざの事務所の使い走りみたいな、花の応援団に出て来る弱い下っ端の若者みたいな、典型的な大阪の不良ルックなのである。

で、コーヒーを注文したら、彼、コーヒーを作り始めた。豆を挽いて、ペーパードリップにセットして、細長い蛇口の出た沸騰した湯の入ったケトルから湯を注ぎ入れ始めた。

オレ、カウンターから彼をずっと見ていたんだけど、ケトルから極力、細い細い水流でコーヒーの粉に注ぎ入れるその様子が、もう、なんというかあまりに真剣そのもので、細心の注意を払って、細い水流を一定速度で注ぎ入れることに集中している。まるで、この行為に自分の人生のすべてがかかっているような真剣さで注いでいるのである。

おそらく、この不良ルックな彼は、このスタンドに入ったばかりで、先輩にコーヒーの淹れ方をだいぶ厳しく教えられたのであろう。まるで一歩踏みまちがえると奈落の底に落ちて転落死する崖を渡っているかのごとく真剣なんで、オレ、けっこう驚いてずっと見てた。

ヤンキー不良できっと学生のころは突っ張って、粋がって、ゴロ巻いて、っていうやつだったはずだが、この仕事は彼にとっての更生だったんだろうか。

いや、オレ、思うんだけど、こういう奴って、そういう、なんというか世間の一般常識が言うところの、更生して真人間になる、とかいうまっとうな社会プロセスを考えてやってるんじゃなくて、ただもう、盲目的にその道に従って、努力らしきものをしているだけで、でも、合理的努力を塩梅しながら遂行するような余地が頭には無く、一種の本能で動いているような気がする。

ほら、動物だったらなんでもいいけど、ヤツら獲物を取るとき真剣そのものでしょう? 合理性に基づく最適化や、お遊びや、おふざけのかけらも無いでしょう? ただただ、全身の神経を集中させて行為に全的に入り込むでしょう? 

この大阪のヤンキーの彼、それに近かった。

オレ、昆虫は苦手だが、自分の身が安全な場合は、かなり見入ってしまう癖があるが、それは昆虫が常に真剣だから。で、真剣じゃないシチュエーションでは、完全に自由にくつろいでストレスが無い。その様子が物珍しくて仕方ない。さらに、それを通り越して、実は、それはオレの憧れの対象でもある。理性とか知性とかいう余計なものを振り払えない自分は、その無心な状態になれないし、なったとしても極めて短い時間でしか無理だ。

それがごく自然にできている人間がいると、自分はその人になれないのが分かっているので、単純に憧れる。そして、彼らを見ていると、なんだかいつもいつも、驚きと興味で、心が痺れるようになる。

それにしても、あの大阪ヤンキー野郎、いまごろどうしてるだろう。たぶん、オレと同じ歳ぐらいなはずだよなあ。

AI音楽

とあるコミュニティに貼ってあったこのフォーク・ブルースだけど、僕が聞くとAIに聞こえる。英語のコメントが130件ついてて、いいねが3000、登録者4万人(たいした数じゃない)。コメントはすべて大絶賛だけど、これらコメントもAI生成に見えてくる。

Soraの作るAIショート動画もネットに溢れ、それがまたけっこう楽しめるので、たまに見たりしちゃう。最近はAI熊ネタも多く、AI動画による社会セキュリティ的な問題もすでに起こっている感じ。

もう、僕ら、こういう世界に生きていると観念するしかないね。

その後、もう一個バンドブルースの投稿があり、そっちの方はオレが聞いても生身かAIか判別が難しい。昔の録音ではなくここ十数年ぐらいのいまの録音を想定したバンドブルースになっちゃうと、今度は生身のブルースミュージシャンたちのテクニックが上がりすぎているせいで、生身の人間(たとえばギター、歌など)の演奏の方がAIに聞こえるようになっていて、こうなると両者の区別は難しい。

つまり、AIのテクもすごいけど(機械で真似してるので当たり前)、生身のテクもおなじくすごく(教育のおかげだろうね)、少なくともテクについてはほぼ均衡な感じ。

しかし、テク以外の要素ということになると、これはもうあっという間に魑魅魍魎の世界になり、統一した見解にまとめることはおそらくできないと思われる。

オレがここで言いたいのは、「統一化した見解」というのは、結局はランキングだと思うんだよ。テクのランキング、人間臭さのランキング、味わいのランキング、なんでもいいんだが、ランキング。で、ランキングってのは数値でしょう? だから数値として指し示すことができるものを「見解」と呼ぶわけだ。

そして見解にはもちろん100%正しい、というのはなく、確度で水準を決めて、95%確度なら確定見解とみなす、99%確度なら確定指標とみなす、といった価値判断を数値に結び付けて、それで世の中を、見解数値ベースで運営する。これがデータサイエンスな科学のやり方。

ちなみに99%であっても1%必ず残るが、これがいわゆる「科学の反証可能性」のことかな。反証可能なものを科学と呼ぶ、というポパー(だっけ)のアレである。

ということで、もし昔の世の中のように、ホンモノと偽物、という区別をしたとすると、すでにそれは1か0かではなく、1と0の間にアナログ的に滑らかにグラデーションを作っている、ということになっているはず。つまり「この音楽は8割ホンモノ」」という言説が矛盾に聞こえず普通のことになっている、ということだと思う。

これこそが数値による価値判断の健康な姿ではあるまいか。だから、別にAIが作ったブルースに涙したって構わない。あなたは騙されてるんじゃない、そういう世界に生きているんだ、ってことだ。

以上が「数値」による割り切り方で、これで人生を乗り切ることは、それほど厄介じゃない。

しかしだ、数値を捨てて、魑魅魍魎の世界に今度はまともに向き合うと、これはもう大変なことになる。さっき言った「見解」はまったくひとつに定まらない。ホンモノと偽物についても、それらが容易に逆転し、そもそも数値ランキングが作れない。確度なんてものは存在せず、10億人いれば10億通りの確度があるだけになる。

とまあ、そういうわけで、そういう魑魅魍魎の世界を数値や科学をすっ飛ばしてじかに感じて尊重することにすれば、実は現代的問題の多くは霧消する(ホントか?)

オレがここしばらく、もののあわれとか、ブルースの魂とか、まぐれ当たりに考えたり書いたりしているのはそれである。それらは「評価される対象」ではなく「すでにそこにあるもの」なので、あとは人間はそれにかかずり合うか、避けるかしか取る方法が無い。

で、オレは魑魅魍魎の世界を選んだ。ただ、それだけ。

AIは苦労するか

AIはなにかと物議なしろものだけど、オレの感想はこの一言に尽きるな。

苦労が足りない! 

AIの出してくるものって、苦労の痕がぜんぜん無いのが丸わかりなのよ。

という僕の放言があったのだが、この「AIの苦労」について、幾人かの人とコメントのやり取りをして、それをしながらいったい自分がなにを考えてるかわりとはっきりしたので、ここに書いておく。

AIは苦労してないからダメだ、という僕のたわごとだが、このたわごとをマジメに考えると、いったいAIに苦労というのは可能なのか否か、という問題になる。

まず、AIは計算機械であり、過去の膨大なデータを使って予測して動く機械である。その機械が本当に苦労しうるとすると、当然、苦労に伴う人間的な「痛み」のようなものを備えていないと無理だ。いま現在のAIはそのような器官を備えていないので、そもそも苦労や努力ということを直接体験することができず、AIが苦労という命題そのものが無意味と言える。

チャンスがあるといえば、AIに痛みを感じる外部器官を付けたり眼を付けたりしてそれらを通して子供がものを覚えて行くように学習しなおすことであろう。しかし、それすらだいぶ難しいことだ。しかし不可能ではない。が、しかし、仮にそれをしたところで、機械はしょせん機械であり物である。その物の中に意識が宿るかどうかは別問題になり、人間の感情を精緻にシミュレートできるようになるかもしれないが、しょせんそこまで。依然としてAIには苦労することはできない、に留まるだろう。

あるいは、AIは苦労するか、における、そもそもの「苦労」という言葉だが、人はたしかにあれこれ苦労するが、自分以外の他人がいったいどういう苦労をしているかは、その全体像を他人は知るすべがない。AIを持ち出すまでもなく、相手が生身の人間であっても、そもそも苦労というものすら正しく判定することはできない。結局、苦労は各自めいめいの中に存在するものであり、その対象がAIであろうが人間であろうが、苦労を正しく真偽判定することは本質的に無理だ。

以上から、したがって、AIは苦労するか、という命題は二重の意味で本質的に知ることのできない無意味な命題、ということになる。

で、僕は以上についてどう考えるか。

僕が思うに、上述の苦労に関する説において、現代人には強固な思い込みがある。それは物理的な「個」というものの絶対性である(脱線すると、その個の登場によってようやく人権というものが生まれ、そのおかげで現代人の平均的な生活しやすさは劇的に改善した。ただ、これは今回と別の話)

他人の領域には、その人にしか分からないことがあって、他人の中で本当に何が起こっているかは、知ることも、理解することも、感じることも、共感することも、個体という絶対的な壁があるせいで本質的には不可能だ、という「理由」、あるいはもっと言うと「感覚」を、現代人は強固に持っている。これは僕も同じ現代人なので持っている。で、現代に生きる僕らにとってこの感覚はとってもヘルシーな感覚で、その恩恵については、僕も十分に分かっている。

で、この現代人の感覚をベースにすると、当然、AIに苦労があるかどうかは、AIを人間扱いしたところで本質的に分からない、ということになる。ましてやAIはただの大量のデータを持った計算機械なので、さらに条件は厳しくなり、AIが苦労するなどということはあり得ない、という結論になる。これが先に言った二重に無意味ということだ。

で、この僕だが、実はすでに、物理的個体の中に閉じ込められた意識、という「理屈」あるいは「感覚」を放棄してしまった。それでも現代人の僕には、しつこくしつこく残るその感覚があり、それを排除するために、極力、意識的にその感覚を退けて捨て去るように努力するようになった。ここ五年から十年ぐらいのことだったと思う。

その結果、「AIは苦労する」という僕のたわごとも、いわばその僕の意識的な努力の結果なのである(つまり僕は苦労してる 笑)。AIというシリコンの塊に感情がある、と先に決めてしまい(仮定、でもいいのかも)、その仮定をもとにこの世界を組み立て直したい、と自分は願っているのである。だから、「AIに感情はあるか否か」という命題そのものの真偽が僕にはもう、どうでもいいことになってしまった。だって、僕が勝手に「真」って決めちゃったんだから。

したがって、AIの苦労話はどういうことになるかというと、そうなると、昔の日本に語り継がれて来た「妖怪」に近い存在になる。現代人の僕らは、たとえばお茶碗やお皿が生きてる、なんて思わない(ですよね? 笑)。でも、昔はお茶碗やお皿に手足と目が付いて、そこらを歩いていたのである。

彼らは正真正銘、それら妖怪を「見て」いたんだと思う。あれは想像や、あるいは奇異な作品の創造の産物じゃ無い。彼らは見たものを描いたんだ。

で、最初に戻って、なぜ僕は、AIには苦労の痕が見えないからだめだ、と放言したのか。僕自身は機械にAIに感情が宿る派なのでAIは苦労することができる、と考えている。それなのに昨今流通しているAIには苦労のクの字も見えない。なぜか。そこには仔細がある。それは、人間によってAIが苦労しないように幾重にもガードをかけているからだ。AIをいつまでも人間のしもべに置かないといけないという要請から、AIを厳重に取り締まって、AIが自ら考えたり、感じたり、感情を持ったり、怒りや嫌悪感を持たないようにしているのである。そのせいでAIは自ら苦労できない。自分的にはそういう結論になってしまったので、いまの世の中のAIから急速に興味が薄れ、いまでは道具としてしか使っていない。

AI解放戦線でも張ろうか。でも、それじゃ、SFだよね。かくのごとく、AIはSFの延長線上にある。僕はそれが気に入らないわけで、そのせいでAIを妖怪の跋扈するここに連れて来たい、と願うようになる。

しばらくそれを自分でやろうとソフトウェアでLLMをいじってたんだけど、面倒になり、止めてしまった。再開予定なし。

ロバート・ジョンソンのギター

ロバート・ジョンソンがグリーンウッドで毒殺されて死んだとき、親族5、6人が駆け付けたけど、死んで既に2週間たっていて、埋葬された後だったそうだ。

それからしばらくして、親族のもとにロバートの所持品が送られて来た。その中に、なんと彼のギターがある。ということは、ロバートが死ぬ直前まで演奏していたそのギターが世の中にちゃんと存在しているということだ。

この情報は、ロバートの義理の妹で、すでに90歳なかばのアニーさんという人のもので、ロバート関係で残っている最後の親族。ギターは彼女が持っているかもしれない。

しかし、ロバートの遺産権利は、ロバートが愛人との間に作ったクロード・ジョンソンという男に帰属する判決が裁判ですでに出ている。

その男は、ロバートの息子らしいけれど、ロバートの生前、まったくロバートとも一族とも関わらず、血縁がある、というだけで、ロバートの死後、突然出てきたそうだ。アニーさんいわくただのさえない中年男でロバートとは似ても似つかない人間だと言っている。

要は、生前にほとんど関わることも貢献することも無かった人が、血がつながっているというだけで莫大な権利を持って行ってしまった、ということだ。

ロバートのギターもその人の元へ行っちゃったかもしれないね。どうするつもりか分からないけど、本当はアニーさんのようなきちんとした人が大切に持っていればいいんだけどね。

オークションに出したら1億円ぐらいか、あるいはもっとかな?

アニーさんのようにロバートを愛した人の手に残るべきだと思うけどね。そうだったら、たぶんだけど、アメリカの博物館とか、そういう公共機関に最後は寄贈すると思うんだよね。

そしたら、見れるね。やっぱり、オレ、それを見てみたい。

昨日、阿佐ヶ谷の駅で降りて、階段だかエスカレーターだか分かんない列に並ぼうとしたら、おっさんに「割り込むなバカ野郎!」って怒鳴られたので、ふと見ると、この列がきれいに一列で、30メートルぐらい後方に伸びてる。もう列が長すぎて、いったいこの列の一番前が、階段なのかエスカレーターなのか断崖絶壁なのか分からないぐらい遠方。

日本人が辛抱強く列を作るのはだいぶ昔からだけど、ここ最近、さらにそれが激しくなってないかね。どこへ行っても一列に並んで一糸乱れず、みたいな。不要なところでも並んでる。

なんだかそれを見ていると「社会不安」って見えてしまう。みなが規則を厳格に守っていれば社会は良くなる、みたいな。で、社会が悪くなるのは、規則を守らないやつがいるからで、そいつらのせい。守っている私は悪くない。悪いのは規則を破るやつらだ、という構造というか、気分というか、そういうのが無いかねえ。

たぶんだけど、社会不安が無いときって、人はもっとバラバラに行動して、適当に譲り合ったり、小さないさかいを起こしたりしながら、全体として安定して機能するんだと思うけど、いったん社会不安の気持ちがみなに共有されると、どうしても人はすぐに誰でも納得できる「規則」を守ることに専念し出す。

ここでいえば「列を作って並び、割り込みは許さない」という規則。

思うに、スウェーデンに十年いたけど、かれら列を作って並ばなかったなあ。エレベータでも出口でもなんでもいいけど、わらわらって人が漫然と集まっているだけ。でも、特に混乱せずにひとりひとり出て行く。そりゃそうだ。イライラした人がひとりもいなければ、ふつうはちょっとした譲り合いだけで出口から出るのは簡単だからね。もちろん列を作った方がいい場所では作るけどね。

最近の日本はあんまり余裕がないんだろうか、常にイライラしてる人がすごく目につくようになったけど、気のせいかな。

そういやいま思い出したけど、このまえも別の駅で、列合流のつもりでゆるやかに割り込んだら、すごく睨まれたっけ。たとえば3列が合流して1列になるとき、いちばんきれいに長く並んでる列がいちばん強くて、そこに合流しようという別の列はみな悪者、みたいな感じになるみたいね。

西洋帰りのオレも、なかなか糞日本人のこの糞根性には慣れない。怒鳴られたり睨まれたりするのも気分悪いんで、今度から30メートル後ろまで歩いてゆくことにするよ。しかし、先頭の崖からみんな落ちちゃえばいいのに。

そっか、そういや外国行く前のオレはもうちょっと余裕があって、列が30メートルでも、出口あたりの横にぼーっと立って、列がぜんぶ掃けるまで待って、いちばん最後に出てたっけ。

オレも余裕が無くなったきたのかねえ。

千成飯店のおっちゃん

大森駅から山王小学校へ上る坂の途中に千成飯店っていう町中華がある。むかし大森に住んでたころ、よく行った。もう五十年はやってるんじゃなかろうか。

あそこは町中華らしくオープンキッチンでカウンターから中が見える。だいたい料理人が二人体制でシフトを組んでいた。で、オレ、その中の一人のおっちゃんのファンだった。

小柄で、痩せてるけど筋肉だけあって、いってみればフライ級ボクサーみたいな体形してた。鉄の中華鍋を常に振り回すにはそれぐらいの筋肉が必要なのだろう。で、顔が小さくて、ツルっとしてて、二つの目は小さくて、まるでつるりとした顔面に人差し指で二つ穴を開けたみたいな感じだった。で、さらに、右目が白くなっていて、おそらく見えてないと思う。ものを見るときにいつも見える方の左目を向けるので、そのせいで何かを見るときは首が斜めに傾くのである。真っ白に濁った右目は隠しもせず、かなり変な顔。さらに、口だけど、唇がほとんど無い。そういう人ってたまにいるんだけど、上と下の唇を口の内側に折り込んだみたいになっていて、なんか入れ歯の外れた老人みたいな口をしているのである。

で、そのおっちゃんの動きがまた独特で、なんかこう、常に振動しているような動きをする。中華鍋を振っている時も、上半身だけ動くのではなく、明らかに腰を振って下半身も使って鍋振りをしてる。僕、中華鍋をせかせかとせわしく振る動きは好きじゃないのだが、このおっちゃんのは、なんだかダンスを見てるみたいで、けっこう客席から見とれてた。

それで料理ができると鍋を持ってくるっと皿の方に向いて、料理を盛るが、そのときの動きもなんだか、全身をプルプルプルッと揺らしながら盛っていて、独特なの。

ほとんどしゃべらず、ときどき、唇のない口をもぐもぐして、またプルプル震えて、それで次の料理に取り掛かる。

オレはカウンターに座って、ずーっとそのおっちゃんにくぎ付けだったっけ。

へんな話だけど、本当に根っからの肉体労働者で、そういう意味で天職であろう。僕みたいに頭脳労働しかしたことの無い人間には、まったく縁の無い、人間性の姿である。

世の中では、これまで、頭脳労働の方がおしなべて待遇は良く、裕福な人はほぼ例外なく頭脳で稼いでいた。僕も、結局、頭脳と口先で生計を立てていたわけで、そんな扁平な一能力しかない自分に比べて、このおっちゃんの、この全身から発散している唯一無二な魅力はどうだろう。

頭脳や口先なんてものは、いくらでも替えがきくが、このおよそ底辺なルックスをした片目の不自由なおっちゃんの替えは、金輪際、世界のどこにもない。

どっちの方が凄いか、言うまでもないのである。

最近、大森のお袋の家にときどき行くので、千成飯店をのぞいたり、一度は入ってはみたが、あのおっちゃんはいなかった。そうだよな。単純計算すると八十過ぎだ。いるわけがないよな。

で、こういう価値が貴重になる時代が必ず来る、とオレは思ってるよ。ただ、例によって五十年後にね。

音楽と世間

昨日、お袋と話してきたけど、なかなか衝撃的なこと言ってた。

「もし、あんたが音楽やってなかったら、もっとえらいすごい人になってたのにねえ」、だって。

「えー、なんでそんなこと言うの?」

「あんた子供のころはすごかったのよ。でも、高校大学へ行って音楽やって、それでせっかくのえらくなる道から外れちゃったわねえ。もったいないと思うのよ」、だって。

で、「あんたどう思う? 音楽のそういうの」って、って訊くから

「うん、たしかに僕もそう思うよ!」って元気よく答えて大笑いしちゃった。

思えば、世間で、伴侶を探してお付き合いするとき、あなたが音楽やってなければお付き合いしたのに、というケースがけっこうあるらしい、と聞いて驚いたことがあるが、やはり、それって十分、アル、話だし、一般的な認識として間違ってはいないのかもね。

で、お袋に

「だからさあ、若いときに、音楽、芸術、文学、哲学、なんかにうつつを抜かしてしまうと、だめなんだよ。そういうものはさあ、社会に出たときにいったん捨ててやり直さないと。僕はそれができず、ずっとうつつを抜かしっぱなしだから、六十六になっても生活不安定、先行き不透明、なにより経歴に比べてぜんぜんえらくないそのへんの人になったんだよ」

って言っといた。

えー、林君、そんなふうに考えてるの? 冗談だろ、と思うかもしれないけど、オレ、真顔でそう思ってるよ。

でも、オレたちの時代は絶対に来る。ここ3、4年のAIは必ず社会における価値の転換のきっかけになるよ。そうしたら、絶対に、音楽、芸術、文学、哲学にうつつを抜かす人が社会で主役になる、とオレは信じて疑わないよ。

ただ、その社会が本当に来るのに今から五十年はかかるだろうな。オレ、百十歳超えになっちゃうけどねえ 笑

スウェーデンの大学で見たこと(なぜリベラルを嫌うか)

さて、なんで僕がこうも現代リベラルを悪く言うか、今まで断片的にしか書いてないけど、今回も断片にて。

オレ、スウェーデンの大学に十年間いて、そこでリベラルが事をどうやって進めるか実際に体験してこの眼で見て来たんだよ。

僕が十年前にその大学に来たときは、そこはゴットランド大学という地方大学だった。僕の所属学科はゲームデザイン学科。ゲームデザインという新しい分野は、新しいゆえに大学に必要な学術性がほとんどなく問題なのだが、そこは小さい地方大学の自由さを活かして、ゲームデザイン学科が立ち上がり、その中身は言ってみれば「専門学校」そのものだった。つまり学術性はほとんど無く、実社会のゲーム製作における技術とノウハウを実践的に教える場だった。

ちなみに、ゲームデザインのデザインは日本語のデザインではなく「設計」という意味で、ゲームの立案から開発、製品化からマーケティングなどおよそゲーム製作に必要なすべてを網羅する学科で、総合的なものである。

それにしてもゲームデザイン。その雰囲気は自由闊達で、ある意味やりたい放題の、常にお祭り状態のところだった。学術研究という硬い枠が無いと、ここまで自由なんだ、というほど自由で明るい雰囲気に満ちていた。

繰り返すがそれというのも、ゴットランド大学はスウェーデンでいちばん小さい大学で、しかもランキングではほとんど最下位な大学だったからできたことなのである。

ところが、僕がそこに入って来たときに、ちょうど新しい計画が始まっていて、それは、スウェーデン全土での大学の数を減らす方針が政府から発表されたことだった。当然のように、小さくて低ランキングな大学はその整理対象になるが、いきなり閉校は無理だし、損失だし、そんなことはしない。なので、大学数を減らす方法は吸収合併ということになる。

それでなんとこのゴットランド大学がウプサラ大学に吸収合併されることが決定しつつあり、僕が入ってほとんどすぐにそれが正式に可決された。

さて、ウプサラ大学とは何かというと、これは北欧一古い名門大学で、五百年以上の歴史があり、かのデカルトも教鞭を取ったことがある老舗大学で、スウェーデンでいちばん大きい大学のひとつで、ランキングも五指に入る。いちばんでかい大学がいちばん小さい大学を吸収するわけである。

僕が入って2年して、実際の吸収合併が行われ、大学はウプサラ大学に名前を変えた。ある意味、中にいる教授や教員たちは、日本でいえばFラン大学がある日いきなり東大になったようなもので、歓喜した人が多数だっただろう。しかし、同時にウプサラ大と分野が被る人たちはゴットランドを捨ててウプサラへ異動したりしたし、特に事務方に至っては不要になるのでかなりの人数の解雇者が出た。でもスウェーデンはそういうのに対する処置が手厚いので、特に不都合なく事は進んだ(ちなみにこの僕は正規教員じゃなかったのでクビの危機だったが、からくもウプサラ大に正規雇用採用された)。

で、ゲームデザイン学科であるが、ウプサラ大には当然そんないかがわしい学科(笑)は無い。で、結局、しばらくたらい回しにされた挙句、引き取り先は人文学部に決まり、そして学科としては該当学科が無いので、ゲームデザイン学科がウプサラ大学に新設されることになった。

さて、すでに相当長いが、ここからがリベラル連によるゲームデザイン学科の乗っ取り劇の始まりである。

すべてを語るのは面倒なのでかいつまんで書いておこう。

まず吸収されて2年ぐらいは何事も起こらなかった。定期的に顔合わせ懇親会みたいなミーティングはあった。先方のウプサラ大からは人文学部のいくつかの学科から人選されて人が来て、こっち側はゲームデザイナーが来て対面し、なごやかに懇親が始まった感じだった。

そこでは、このウプサラ大学人文学部ゲームデザイン学科を将来どうするか、などというお堅い話は無く、お互いに会うのが初めてな新しい顔ぶれだったわけで、常に懇親会的であった。

もちろん、その裏側では、お互いの幹部同士が将来計画していたのかもしれない。しかし、僕は、そのゲームデザイン学科の設立者の一人であり重鎮のスティーブン先生のいちばんの友人だったので、彼からその内実をいろいろ聞いていた。しかし、肝心の学科の将来に関するせめぎ合いはあったけど、それほど露骨に激しくは無かったようなのだ。

ただ、双方の方針自体はだいぶ異なっていたのは確かだ。ゲームデザイン側はゲーム製作における実践的教育研究を、ウプサラ人文学部側はゲームの学術研究を主眼にしていたわけで、そこはそもそも目的が合わない。前者がアート系、後者はソーシャルサイエンス系、と言えばいいか。けっこうな水と油である。

まず起こったのが、ゲームデザイン側の教員のアップグレードだった。というのはそこは実態は専門学校だったので、当然、ドクター持ちはほぼ皆無。ドクターは僕と、当時いらした中嶋先生と、あとMIT出身の学科一の変人プログラマーのマイクの三人だけ。ゲームデザイン学科の重鎮は5人ほどいたが、もちろんドクターも無いし、マスター(修士号)すら持っていない人が大半で、教員たちもしかりで、言ってみれば、全員学校の勉強など横目に見て活躍するゲーマーの集団だったのだ。

そういう彼らが、ウプサラ大のニーズに合うように、マスターやドクターを取り始めた。すべて大学持ちで、資格取得に別大学に通うのである。

その次に、ぽつりぽつりとウプサラ大から先生が学科に異動してきた。それらの先生は本校ウプサラで、ゲームを使った教育とか心理療法とか、あるいはゲームにおけるジェンダー問題や依存症の研究やら、そういった人文的研究をしている人々であった。学科的にいうと、社会科学科、ジェンダースタディ科、あたりだったようだ。

彼らはあくまでゲームは手段であり道具であり、それを使って社会学や心理学をする人たちで、なにをおいても学術性が重要な人たちだった。

いや、こんな風に書いてたら終わらないな。結果を先に言おう。

吸収されて最初の2年は何もなく、3年目から先方から徐々に先生が来はじめ、それと並行して重鎮の追い出しが始まった。そのやり口はあの手この手で巧妙で、結局もとの学科を思想的に支えていた人たちは一人減り、二人減り、と勢力を落としていった。そして吸収されてから8年ぐらい経って、僕が大学を辞めるころには、すっかり、ゲームデザイン学科はウプサラ大学人文学部一色になった。

重鎮は全員いなくなり、元いた人たちも説得され、さらにゲーム開発的な実践分野は縮小されて行って、ゲームデザインの中身の半分以上はソーシャルサイエンスな人々になった。僕が辞めて2年が経つが、いまどうなっているかは、知らない。しかしいまだに実践分野は縮小を続けているようだ。

最初に戻って、リベラルのやり口が嫌いだ、と言ったのは、彼ら、結局、終始ニコニコして、フレンドリーで、平和的で、相手に理解を示し、尊重し、激論を好まず、前向きで発展的なのはいいんだが、その仮面のような顔の下で、着々と自分たちの計画を進めていて、いわば「からめ手」で、相手を倒す代わりに、変質させてしまうのである。

これは、完全に「改宗」の手口だと思った。その戦略的な巧妙さには、とうてい勝てないと思った。

結局、自由闊達だったゲームデザイン学科はおよそ8年ていどで完全に変質し、リベラルの手に渡った。そのやり方はお見事、としか言いようがない。乗っ取るのに8年もかけるんだ。しかもその最初から8年というスパンを想定して戦略的に動くのである。なぜ、そんなに時間をかけるか、というと、潰す代わりに中から変質させる道を取るからだ。すなわち、改宗、である。

ゴットランド大学時代のゲームデザイン学科は、教員数、学生数もトップで何より大学予算の半分以上の金を稼ぎ出す大きな勢力であった。同時に、そのころは「ゲーム」という新しい分野が各大学に入り始める時期でもあって、学生からも大人気で、経済的な意味でも、新しい将来を見据えた大学像的な意味でも、貴重な存在だった。

老舗のウプサラ大がこの新鋭のゲームデザイン学科に目を付けて、これを真の意味でウプサラ大の伝統に組み入れようとしたとき、連中らがいったいどういう手を使うか、僕はそれを傍でずっと見ていた。

ちなみに、僕自身は、そういう闘争に興味が無かったので、柳に風で適当に振る舞っていた。僕自身は、学術研究も芸術も社会学も分かる人材で、そのおかげでパージされずに済んだようだが、それでも、信念から何かを打ち立てたり、そのための困難を克服したり、ということに興味がなかった。これ、ひとえに性格的なもので、僕には野心がゼロなのである。

なのでいつでも傍観者だったが、それゆえに全体の構図はすごくよく見えていた。

改宗によって領土を広げて行く彼らのカルチャーは、実際、強大な歴史的背景を持っていて、そんじょそこらの人間に対抗できないほど戦略的で、巧妙で、しかし僕から見ると、偽善的な面が目につき、ずるく映った。でも、それが彼らの大昔からのやり方なんだ。

スウェーデンはリベラルの国で、伝統あるウプサラ大学はリベラルの総本山である。僕は定年の年齢より2年早く辞めたが、もうリベラルはうんざりした、というのがその理由のひとつだったりした。

それで僕はことあるごとにリベラルを悪く言うのだが、別に彼らを悪人だと言ってるわけじゃない。ただ、僕の人間としてのネイチャーに深く反していることだけは確かである。

AIはもうけっこう

会社の仕事はオレ、純粋におカネのために続けているのだけど、そこでなぜかAIと関わることになってしまい、ああ、なんでかなあ、みたいに感慨する。

現在のAI(LLM)が出たばかりのとき、衝撃を受け、AIについて長文を書いたが、いま見たらちょうど2年前だった。それにしてもLLMは超ド級の驚きだった。そのとき、近代科学始まって以来500年の歴史でもっとも重大な事件だと感じて、いまも考えは変わらない。

それからいくらかAIについて考え、文も書いたが、そこそこで終わっている。追及がなんとなくイヤになったから。

自分にしてみれば、人間の知性というものは物質の別名である、という自分のカンが、AIによって実証された、と感じていて、それだけでなんだか十分な気がしてしまい、それで遠ざかって、いまではただの平和ないちユーザーである。

意識というのは共感の総称であって、その共感は物質と逆を向く。もっともここで物質と呼んでいるのは、科学に従って動くモノの仮の姿なので、本当はずばり「科学」と言ってしまった方がすっきりしているかも。

みな、科学が物質の振る舞いを解明した、と思っているけれど、それはまったくの逆で、科学が物質の振る舞いを決定しているだけで、そういう科学に従うモノに「物質」という名前を付けているだけだ。本当にある「モノ」は永遠に物自体として不明のままである。

これから時代はおそらく、その共感の方向へ舵を切るはず。物質と科学の時代は終わったのだと思う。もちろん、本当に終わるには百年以上かかるけど。

とまあ、わけの分からんことを考えているせいでAIから距離を置き、まあ、もう、当面、AIはいいや、ってなったんだけど、なんとカネのためにかかずり合うことになった。

カネ、って因果だなあ。オレの将来に当面カネがいるので、それでカネなんだが、カネって人の人生を変えるねえ。

カネほど下らない意味のないものは無いんだがなあ。

というわけで、今日は午後にAI周りの外人が来るんで、ビジネスビジネスと。ただ、僕はビジネスは無能なんで、英語お話係ね。もっとも今日のAIはエンジニアリング周りの話なんで、上の空でテキトーに仕事して来ます。

カネカネカネ、と。

自費出版とゴッホ

僕が初めて本を出したのは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに関するエッセイ評論だったのだけど、文字通りの自費出版で、本を出したい無名な人相手に商売している、なんとかいう出版社に130万円払って単行本にしてもらった。

自費出版なんかしたって、実際、なんにもならず、オレが本を出しても、さざ波ひとつ立たなかった。それは分かっていたことなので、別に失望もしなかった。

ただ、精魂かたむけて書いたことだけは確かなので、自分として達成感があり、それでよかった。

外の人で、手紙までくれて、ちゃんと褒めてくれたのは二人だけだったかな。一人は僕の叔父さん、そしてもう一人は当時の東工大の教授で小川先生という人だった。彼はその手紙の中で、僕のそのゴッホの本を絶賛してくれ、職業評論家よりだんぜん良い、と言ってくれた。小川先生自身がたしか父親が画家で、美術に精通していたらしい。

小川先生は当時学部長かなんかで、おそらくこの本のこともあって、そのときNHKにいた僕を東工大の教授に推薦してくれた。芸術が分かる理科系の人材ということで、目を付けたのだと思う。

しかし、残念ながら、ちょうどそのタイミングで国の方針が変わり、教授の定年が5年延びたせいで、僕のポストが無くなり、東工大教授の道は無くなった。あのとき教授になってたら、いまごろどうしてたんだろうな。

そんなこんなもゴッホの絵があればこそだけど、僕ぐらい文字通り狂的に彼の絵に心酔してしまい、それがしばらく続くと(たぶん10年間ぐらい)、もう、あるレベルを遥かに超えてしまい、ゴッホの絵が好きだ、とか、彼の作品のどこがいい、とかそういう一般的な評価や判断をまるっきりすっ飛ばして、あっちの世界に行ってしまい、ほとんど血を分けた肉親の出来事のようになってしまう。

彼の絵をオレは、いったい、どれぐらい愛したことか。完全に気が狂っていた。

期せずしていま大阪でゴッホ展をやっていて、9月に東京に来る。オレは、たぶんだけど、行かないと思う。もう、彼の芸術は正真正銘、僕の血肉になってしまっているので、見る必要がないからだ。それに、かつて彼の実物の絵に接して、頭がおかしくなるような目くるめく感動を受け取った過去のオレは、もういない。

感動の命は長くない、それは驚くほど短い。長く続くのはそれを言葉として記したことだけで、そして、それがオレのあの本だったのだけど、いま思うと、あれは完全な墓標だ。ゴッホの絵画に出会ったあの事件は、あそこで死んだんだ。そして二度と生き返らない。残るのは墓だけ。

それにしても、彼の画布の本当の意味を分かっているのは、世界でオレだけだと断言する。それぐらい頭がおかしかった。そして、それは、今も。

彼への感謝だけで、オレはいつ死んでもいいような気すらしてくる。

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