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ロバート・ジョンソンのギター

ロバート・ジョンソンがグリーンウッドで毒殺されて死んだとき、親族5、6人が駆け付けたけど、死んで既に2週間たっていて、埋葬された後だったそうだ。

それからしばらくして、親族のもとにロバートの所持品が送られて来た。その中に、なんと彼のギターがある。ということは、ロバートが死ぬ直前まで演奏していたそのギターが世の中にちゃんと存在しているということだ。

この情報は、ロバートの義理の妹で、すでに90歳なかばのアニーさんという人のもので、ロバート関係で残っている最後の親族。ギターは彼女が持っているかもしれない。

しかし、ロバートの遺産権利は、ロバートが愛人との間に作ったクロード・ジョンソンという男に帰属する判決が裁判ですでに出ている。

その男は、ロバートの息子らしいけれど、ロバートの生前、まったくロバートとも一族とも関わらず、血縁がある、というだけで、ロバートの死後、突然出てきたそうだ。アニーさんいわくただのさえない中年男でロバートとは似ても似つかない人間だと言っている。

要は、生前にほとんど関わることも貢献することも無かった人が、血がつながっているというだけで莫大な権利を持って行ってしまった、ということだ。

ロバートのギターもその人の元へ行っちゃったかもしれないね。どうするつもりか分からないけど、本当はアニーさんのようなきちんとした人が大切に持っていればいいんだけどね。

オークションに出したら1億円ぐらいか、あるいはもっとかな?

アニーさんのようにロバートを愛した人の手に残るべきだと思うけどね。そうだったら、たぶんだけど、アメリカの博物館とか、そういう公共機関に最後は寄贈すると思うんだよね。

そしたら、見れるね。やっぱり、オレ、それを見てみたい。

昨日、阿佐ヶ谷の駅で降りて、階段だかエスカレーターだか分かんない列に並ぼうとしたら、おっさんに「割り込むなバカ野郎!」って怒鳴られたので、ふと見ると、この列がきれいに一列で、30メートルぐらい後方に伸びてる。もう列が長すぎて、いったいこの列の一番前が、階段なのかエスカレーターなのか断崖絶壁なのか分からないぐらい遠方。

日本人が辛抱強く列を作るのはだいぶ昔からだけど、ここ最近、さらにそれが激しくなってないかね。どこへ行っても一列に並んで一糸乱れず、みたいな。不要なところでも並んでる。

なんだかそれを見ていると「社会不安」って見えてしまう。みなが規則を厳格に守っていれば社会は良くなる、みたいな。で、社会が悪くなるのは、規則を守らないやつがいるからで、そいつらのせい。守っている私は悪くない。悪いのは規則を破るやつらだ、という構造というか、気分というか、そういうのが無いかねえ。

たぶんだけど、社会不安が無いときって、人はもっとバラバラに行動して、適当に譲り合ったり、小さないさかいを起こしたりしながら、全体として安定して機能するんだと思うけど、いったん社会不安の気持ちがみなに共有されると、どうしても人はすぐに誰でも納得できる「規則」を守ることに専念し出す。

ここでいえば「列を作って並び、割り込みは許さない」という規則。

思うに、スウェーデンに十年いたけど、かれら列を作って並ばなかったなあ。エレベータでも出口でもなんでもいいけど、わらわらって人が漫然と集まっているだけ。でも、特に混乱せずにひとりひとり出て行く。そりゃそうだ。イライラした人がひとりもいなければ、ふつうはちょっとした譲り合いだけで出口から出るのは簡単だからね。もちろん列を作った方がいい場所では作るけどね。

最近の日本はあんまり余裕がないんだろうか、常にイライラしてる人がすごく目につくようになったけど、気のせいかな。

そういやいま思い出したけど、このまえも別の駅で、列合流のつもりでゆるやかに割り込んだら、すごく睨まれたっけ。たとえば3列が合流して1列になるとき、いちばんきれいに長く並んでる列がいちばん強くて、そこに合流しようという別の列はみな悪者、みたいな感じになるみたいね。

西洋帰りのオレも、なかなか糞日本人のこの糞根性には慣れない。怒鳴られたり睨まれたりするのも気分悪いんで、今度から30メートル後ろまで歩いてゆくことにするよ。しかし、先頭の崖からみんな落ちちゃえばいいのに。

そっか、そういや外国行く前のオレはもうちょっと余裕があって、列が30メートルでも、出口あたりの横にぼーっと立って、列がぜんぶ掃けるまで待って、いちばん最後に出てたっけ。

オレも余裕が無くなったきたのかねえ。

千成飯店のおっちゃん

大森駅から山王小学校へ上る坂の途中に千成飯店っていう町中華がある。むかし大森に住んでたころ、よく行った。もう五十年はやってるんじゃなかろうか。

あそこは町中華らしくオープンキッチンでカウンターから中が見える。だいたい料理人が二人体制でシフトを組んでいた。で、オレ、その中の一人のおっちゃんのファンだった。

小柄で、痩せてるけど筋肉だけあって、いってみればフライ級ボクサーみたいな体形してた。鉄の中華鍋を常に振り回すにはそれぐらいの筋肉が必要なのだろう。で、顔が小さくて、ツルっとしてて、二つの目は小さくて、まるでつるりとした顔面に人差し指で二つ穴を開けたみたいな感じだった。で、さらに、右目が白くなっていて、おそらく見えてないと思う。ものを見るときにいつも見える方の左目を向けるので、そのせいで何かを見るときは首が斜めに傾くのである。真っ白に濁った右目は隠しもせず、かなり変な顔。さらに、口だけど、唇がほとんど無い。そういう人ってたまにいるんだけど、上と下の唇を口の内側に折り込んだみたいになっていて、なんか入れ歯の外れた老人みたいな口をしているのである。

で、そのおっちゃんの動きがまた独特で、なんかこう、常に振動しているような動きをする。中華鍋を振っている時も、上半身だけ動くのではなく、明らかに腰を振って下半身も使って鍋振りをしてる。僕、中華鍋をせかせかとせわしく振る動きは好きじゃないのだが、このおっちゃんのは、なんだかダンスを見てるみたいで、けっこう客席から見とれてた。

それで料理ができると鍋を持ってくるっと皿の方に向いて、料理を盛るが、そのときの動きもなんだか、全身をプルプルプルッと揺らしながら盛っていて、独特なの。

ほとんどしゃべらず、ときどき、唇のない口をもぐもぐして、またプルプル震えて、それで次の料理に取り掛かる。

オレはカウンターに座って、ずーっとそのおっちゃんにくぎ付けだったっけ。

へんな話だけど、本当に根っからの肉体労働者で、そういう意味で天職であろう。僕みたいに頭脳労働しかしたことの無い人間には、まったく縁の無い、人間性の姿である。

世の中では、これまで、頭脳労働の方がおしなべて待遇は良く、裕福な人はほぼ例外なく頭脳で稼いでいた。僕も、結局、頭脳と口先で生計を立てていたわけで、そんな扁平な一能力しかない自分に比べて、このおっちゃんの、この全身から発散している唯一無二な魅力はどうだろう。

頭脳や口先なんてものは、いくらでも替えがきくが、このおよそ底辺なルックスをした片目の不自由なおっちゃんの替えは、金輪際、世界のどこにもない。

どっちの方が凄いか、言うまでもないのである。

最近、大森のお袋の家にときどき行くので、千成飯店をのぞいたり、一度は入ってはみたが、あのおっちゃんはいなかった。そうだよな。単純計算すると八十過ぎだ。いるわけがないよな。

で、こういう価値が貴重になる時代が必ず来る、とオレは思ってるよ。ただ、例によって五十年後にね。

音楽と世間

昨日、お袋と話してきたけど、なかなか衝撃的なこと言ってた。

「もし、あんたが音楽やってなかったら、もっとえらいすごい人になってたのにねえ」、だって。

「えー、なんでそんなこと言うの?」

「あんた子供のころはすごかったのよ。でも、高校大学へ行って音楽やって、それでせっかくのえらくなる道から外れちゃったわねえ。もったいないと思うのよ」、だって。

で、「あんたどう思う? 音楽のそういうの」って、って訊くから

「うん、たしかに僕もそう思うよ!」って元気よく答えて大笑いしちゃった。

思えば、世間で、伴侶を探してお付き合いするとき、あなたが音楽やってなければお付き合いしたのに、というケースがけっこうあるらしい、と聞いて驚いたことがあるが、やはり、それって十分、アル、話だし、一般的な認識として間違ってはいないのかもね。

で、お袋に

「だからさあ、若いときに、音楽、芸術、文学、哲学、なんかにうつつを抜かしてしまうと、だめなんだよ。そういうものはさあ、社会に出たときにいったん捨ててやり直さないと。僕はそれができず、ずっとうつつを抜かしっぱなしだから、六十六になっても生活不安定、先行き不透明、なにより経歴に比べてぜんぜんえらくないそのへんの人になったんだよ」

って言っといた。

えー、林君、そんなふうに考えてるの? 冗談だろ、と思うかもしれないけど、オレ、真顔でそう思ってるよ。

でも、オレたちの時代は絶対に来る。ここ3、4年のAIは必ず社会における価値の転換のきっかけになるよ。そうしたら、絶対に、音楽、芸術、文学、哲学にうつつを抜かす人が社会で主役になる、とオレは信じて疑わないよ。

ただ、その社会が本当に来るのに今から五十年はかかるだろうな。オレ、百十歳超えになっちゃうけどねえ 笑