月別アーカイブ: 2025年8月

スウェーデンの大学で見たこと(なぜリベラルを嫌うか)

さて、なんで僕がこうも現代リベラルを悪く言うか、今まで断片的にしか書いてないけど、今回も断片にて。

オレ、スウェーデンの大学に十年間いて、そこでリベラルが事をどうやって進めるか実際に体験してこの眼で見て来たんだよ。

僕が十年前にその大学に来たときは、そこはゴットランド大学という地方大学だった。僕の所属学科はゲームデザイン学科。ゲームデザインという新しい分野は、新しいゆえに大学に必要な学術性がほとんどなく問題なのだが、そこは小さい地方大学の自由さを活かして、ゲームデザイン学科が立ち上がり、その中身は言ってみれば「専門学校」そのものだった。つまり学術性はほとんど無く、実社会のゲーム製作における技術とノウハウを実践的に教える場だった。

ちなみに、ゲームデザインのデザインは日本語のデザインではなく「設計」という意味で、ゲームの立案から開発、製品化からマーケティングなどおよそゲーム製作に必要なすべてを網羅する学科で、総合的なものである。

それにしてもゲームデザイン。その雰囲気は自由闊達で、ある意味やりたい放題の、常にお祭り状態のところだった。学術研究という硬い枠が無いと、ここまで自由なんだ、というほど自由で明るい雰囲気に満ちていた。

繰り返すがそれというのも、ゴットランド大学はスウェーデンでいちばん小さい大学で、しかもランキングではほとんど最下位な大学だったからできたことなのである。

ところが、僕がそこに入って来たときに、ちょうど新しい計画が始まっていて、それは、スウェーデン全土での大学の数を減らす方針が政府から発表されたことだった。当然のように、小さくて低ランキングな大学はその整理対象になるが、いきなり閉校は無理だし、損失だし、そんなことはしない。なので、大学数を減らす方法は吸収合併ということになる。

それでなんとこのゴットランド大学がウプサラ大学に吸収合併されることが決定しつつあり、僕が入ってほとんどすぐにそれが正式に可決された。

さて、ウプサラ大学とは何かというと、これは北欧一古い名門大学で、五百年以上の歴史があり、かのデカルトも教鞭を取ったことがある老舗大学で、スウェーデンでいちばん大きい大学のひとつで、ランキングも五指に入る。いちばんでかい大学がいちばん小さい大学を吸収するわけである。

僕が入って2年して、実際の吸収合併が行われ、大学はウプサラ大学に名前を変えた。ある意味、中にいる教授や教員たちは、日本でいえばFラン大学がある日いきなり東大になったようなもので、歓喜した人が多数だっただろう。しかし、同時にウプサラ大と分野が被る人たちはゴットランドを捨ててウプサラへ異動したりしたし、特に事務方に至っては不要になるのでかなりの人数の解雇者が出た。でもスウェーデンはそういうのに対する処置が手厚いので、特に不都合なく事は進んだ(ちなみにこの僕は正規教員じゃなかったのでクビの危機だったが、からくもウプサラ大に正規雇用採用された)。

で、ゲームデザイン学科であるが、ウプサラ大には当然そんないかがわしい学科(笑)は無い。で、結局、しばらくたらい回しにされた挙句、引き取り先は人文学部に決まり、そして学科としては該当学科が無いので、ゲームデザイン学科がウプサラ大学に新設されることになった。

さて、すでに相当長いが、ここからがリベラル連によるゲームデザイン学科の乗っ取り劇の始まりである。

すべてを語るのは面倒なのでかいつまんで書いておこう。

まず吸収されて2年ぐらいは何事も起こらなかった。定期的に顔合わせ懇親会みたいなミーティングはあった。先方のウプサラ大からは人文学部のいくつかの学科から人選されて人が来て、こっち側はゲームデザイナーが来て対面し、なごやかに懇親が始まった感じだった。

そこでは、このウプサラ大学人文学部ゲームデザイン学科を将来どうするか、などというお堅い話は無く、お互いに会うのが初めてな新しい顔ぶれだったわけで、常に懇親会的であった。

もちろん、その裏側では、お互いの幹部同士が将来計画していたのかもしれない。しかし、僕は、そのゲームデザイン学科の設立者の一人であり重鎮のスティーブン先生のいちばんの友人だったので、彼からその内実をいろいろ聞いていた。しかし、肝心の学科の将来に関するせめぎ合いはあったけど、それほど露骨に激しくは無かったようなのだ。

ただ、双方の方針自体はだいぶ異なっていたのは確かだ。ゲームデザイン側はゲーム製作における実践的教育研究を、ウプサラ人文学部側はゲームの学術研究を主眼にしていたわけで、そこはそもそも目的が合わない。前者がアート系、後者はソーシャルサイエンス系、と言えばいいか。けっこうな水と油である。

まず起こったのが、ゲームデザイン側の教員のアップグレードだった。というのはそこは実態は専門学校だったので、当然、ドクター持ちはほぼ皆無。ドクターは僕と、当時いらした中嶋先生と、あとMIT出身の学科一の変人プログラマーのマイクの三人だけ。ゲームデザイン学科の重鎮は5人ほどいたが、もちろんドクターも無いし、マスター(修士号)すら持っていない人が大半で、教員たちもしかりで、言ってみれば、全員学校の勉強など横目に見て活躍するゲーマーの集団だったのだ。

そういう彼らが、ウプサラ大のニーズに合うように、マスターやドクターを取り始めた。すべて大学持ちで、資格取得に別大学に通うのである。

その次に、ぽつりぽつりとウプサラ大から先生が学科に異動してきた。それらの先生は本校ウプサラで、ゲームを使った教育とか心理療法とか、あるいはゲームにおけるジェンダー問題や依存症の研究やら、そういった人文的研究をしている人々であった。学科的にいうと、社会科学科、ジェンダースタディ科、あたりだったようだ。

彼らはあくまでゲームは手段であり道具であり、それを使って社会学や心理学をする人たちで、なにをおいても学術性が重要な人たちだった。

いや、こんな風に書いてたら終わらないな。結果を先に言おう。

吸収されて最初の2年は何もなく、3年目から先方から徐々に先生が来はじめ、それと並行して重鎮の追い出しが始まった。そのやり口はあの手この手で巧妙で、結局もとの学科を思想的に支えていた人たちは一人減り、二人減り、と勢力を落としていった。そして吸収されてから8年ぐらい経って、僕が大学を辞めるころには、すっかり、ゲームデザイン学科はウプサラ大学人文学部一色になった。

重鎮は全員いなくなり、元いた人たちも説得され、さらにゲーム開発的な実践分野は縮小されて行って、ゲームデザインの中身の半分以上はソーシャルサイエンスな人々になった。僕が辞めて2年が経つが、いまどうなっているかは、知らない。しかしいまだに実践分野は縮小を続けているようだ。

最初に戻って、リベラルのやり口が嫌いだ、と言ったのは、彼ら、結局、終始ニコニコして、フレンドリーで、平和的で、相手に理解を示し、尊重し、激論を好まず、前向きで発展的なのはいいんだが、その仮面のような顔の下で、着々と自分たちの計画を進めていて、いわば「からめ手」で、相手を倒す代わりに、変質させてしまうのである。

これは、完全に「改宗」の手口だと思った。その戦略的な巧妙さには、とうてい勝てないと思った。

結局、自由闊達だったゲームデザイン学科はおよそ8年ていどで完全に変質し、リベラルの手に渡った。そのやり方はお見事、としか言いようがない。乗っ取るのに8年もかけるんだ。しかもその最初から8年というスパンを想定して戦略的に動くのである。なぜ、そんなに時間をかけるか、というと、潰す代わりに中から変質させる道を取るからだ。すなわち、改宗、である。

ゴットランド大学時代のゲームデザイン学科は、教員数、学生数もトップで何より大学予算の半分以上の金を稼ぎ出す大きな勢力であった。同時に、そのころは「ゲーム」という新しい分野が各大学に入り始める時期でもあって、学生からも大人気で、経済的な意味でも、新しい将来を見据えた大学像的な意味でも、貴重な存在だった。

老舗のウプサラ大がこの新鋭のゲームデザイン学科に目を付けて、これを真の意味でウプサラ大の伝統に組み入れようとしたとき、連中らがいったいどういう手を使うか、僕はそれを傍でずっと見ていた。

ちなみに、僕自身は、そういう闘争に興味が無かったので、柳に風で適当に振る舞っていた。僕自身は、学術研究も芸術も社会学も分かる人材で、そのおかげでパージされずに済んだようだが、それでも、信念から何かを打ち立てたり、そのための困難を克服したり、ということに興味がなかった。これ、ひとえに性格的なもので、僕には野心がゼロなのである。

なのでいつでも傍観者だったが、それゆえに全体の構図はすごくよく見えていた。

改宗によって領土を広げて行く彼らのカルチャーは、実際、強大な歴史的背景を持っていて、そんじょそこらの人間に対抗できないほど戦略的で、巧妙で、しかし僕から見ると、偽善的な面が目につき、ずるく映った。でも、それが彼らの大昔からのやり方なんだ。

スウェーデンはリベラルの国で、伝統あるウプサラ大学はリベラルの総本山である。僕は定年の年齢より2年早く辞めたが、もうリベラルはうんざりした、というのがその理由のひとつだったりした。

それで僕はことあるごとにリベラルを悪く言うのだが、別に彼らを悪人だと言ってるわけじゃない。ただ、僕の人間としてのネイチャーに深く反していることだけは確かである。

AIはもうけっこう

会社の仕事はオレ、純粋におカネのために続けているのだけど、そこでなぜかAIと関わることになってしまい、ああ、なんでかなあ、みたいに感慨する。

現在のAI(LLM)が出たばかりのとき、衝撃を受け、AIについて長文を書いたが、いま見たらちょうど2年前だった。それにしてもLLMは超ド級の驚きだった。そのとき、近代科学始まって以来500年の歴史でもっとも重大な事件だと感じて、いまも考えは変わらない。

それからいくらかAIについて考え、文も書いたが、そこそこで終わっている。追及がなんとなくイヤになったから。

自分にしてみれば、人間の知性というものは物質の別名である、という自分のカンが、AIによって実証された、と感じていて、それだけでなんだか十分な気がしてしまい、それで遠ざかって、いまではただの平和ないちユーザーである。

意識というのは共感の総称であって、その共感は物質と逆を向く。もっともここで物質と呼んでいるのは、科学に従って動くモノの仮の姿なので、本当はずばり「科学」と言ってしまった方がすっきりしているかも。

みな、科学が物質の振る舞いを解明した、と思っているけれど、それはまったくの逆で、科学が物質の振る舞いを決定しているだけで、そういう科学に従うモノに「物質」という名前を付けているだけだ。本当にある「モノ」は永遠に物自体として不明のままである。

これから時代はおそらく、その共感の方向へ舵を切るはず。物質と科学の時代は終わったのだと思う。もちろん、本当に終わるには百年以上かかるけど。

とまあ、わけの分からんことを考えているせいでAIから距離を置き、まあ、もう、当面、AIはいいや、ってなったんだけど、なんとカネのためにかかずり合うことになった。

カネ、って因果だなあ。オレの将来に当面カネがいるので、それでカネなんだが、カネって人の人生を変えるねえ。

カネほど下らない意味のないものは無いんだがなあ。

というわけで、今日は午後にAI周りの外人が来るんで、ビジネスビジネスと。ただ、僕はビジネスは無能なんで、英語お話係ね。もっとも今日のAIはエンジニアリング周りの話なんで、上の空でテキトーに仕事して来ます。

カネカネカネ、と。