じいちゃんと戦争

朝っぱらから何なんだけど、戦争で思い出した。

うちの母方のじいちゃんは25年前ぐらいにたしか96歳で死んだけど、じいちゃんがまだ三河三谷の田舎の家にいたとき、夏休みによく泊りがけで遊びに行った。

僕が酒が飲める年齢になってからは、あの懐かしい、造りの悪い木造の家の二階の殺風景な和室へ上がって、じいちゃんとふたりでよく酒を飲んだ。

じいちゃんは、最初のころはいちばん安いトリス、それも高くなると今度は酒税が低くて高アルコール濃度なジンに代わった。じいちゃんはそれをストレートで飲んで、煙草はハイライトだった。つまみは、よくじいちゃんが作ってくれた安い鶏レバーの乾燥ニンニク炒めが多かったっけ。じいちゃんは若いころ少しだけ板前をしてたことがあり、料理が上手だったのである。

ほとんど、明治時代のできごとかみたいな感じの畳の部屋の窓際に二人して座って、酒を飲んで煙草を吸って、いろんなことを話した。

そのころはまだじいちゃんはたぶん、70過ぎぐらいだったと思う。

思い出したのはそのじいちゃんとの酒飲み話で、それは、じいちゃんの経験した戦争の話が多かった。じいちゃんはたしか満州事変かなんかで下等兵の歩兵で戦争へ行った。そのときの経験談は、かなり生々しく、それは正真正銘、本当に起こった事実だっただろう。それを少しここで書いておこう。

歩兵の連隊が行軍して、疲労困憊でどうにもならない中、休憩になり、やれやれどっこらしょって丸太の上に座ってしばらくして気付いたらそれは死体だった、という話。

あるとき野営をしていたら夜になり、そこに敵軍の爆弾が雨あられと降ってきた。野営にはたくさんの兵がいてみな慌てて逃げ出した。じいちゃんは、これまでそんなことはさんざん経験してきて、もう逃げ回るのが馬鹿馬鹿しくなってしまい、その野営の場からそのまま動かなかった。仲間の一人が

「井上さん、こんなところにいると吹き飛ぶぞ! 早く逃げろ!」

と言っても

「オレはもう、いい、ここにいる」

と、じいちゃんは野営のテントから動かなかった。周り中で爆弾が炸裂したけど、奇跡的にじいちゃんのテントには着弾せず、無事だった。

翌日外に出てみると、野営場から逃げ出した仲間たちはほとんど死んだのが分かったそうだ。じいちゃんに逃げろ、って言った仲間も戦死した。

あと、度胸試しというやつもその場で見たそうだ。兵隊が広場に集められ、上官が説教する。

「これから度胸試しを行う。敵兵を連れてくるから、指名された者は銃剣で刺し殺せ」

というわけだ。中国人が一人、皆の前に連れ出された。指名された者たちは銃剣を持って前に出たけれど、おじけづいて殺せない。そうしたら、上官が「いくじのないやつめ!」とそれら下等兵を殴り飛ばした。そして、上官みずから中国人を刺し殺した。

じいちゃんはさいわい指名されなかったが、一連の出来事を仲間と一緒にこわばった表情で、見ていたそうだ。

以上、まだまだたくさんあるわけだが、話を聴いたのが、僕ももう40年ぐらい前のことなので忘れた。じいちゃんは繰り返し、繰り返し、二人で酒を飲むたびに戦争の話をしたっけ。僕はそれを聞いてどうだったか、というと、へえー、すごいね、と聞いていただけだ。

そしてじいちゃんは戦争の話になると、最後にいつもこう言うのが常だった。

「正樹な、人ひとりの命は地球より重い、というのがあるだら。あのな、あんなひどい嘘っぱちなことはにゃあぞ。命が地球より重いなんて、そんなはずがあらあか」

と、三河弁で言うのだった。

今の世の中、戦争の一次情報を持っている人間は、ほとんどみな死んでしまった。

少しはそれにつき、考えるんだね。

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