リベラル

文科系の大学の先生が言ってたけど、いまの若い人たちは基本がリベラルだって。特に性差別についてはセンシティブだそうだ。

日本には保守、左翼、リベラルなどの言葉が錯綜していて、それぞれかなりあいまいな意味を持っているので、あれこれ論争が絶えない。若者がリベラルだ、といっても、本来の意味ではなく、わりと何もかも「平等」を基本で考える、という一面だけを指しているのかもしれない。

いちおうリベラル本場のスウェーデンで12年暮らした自分としては、リベラルが何を指すか自分なりに考えがある。

それは、「宗教(神)を完全に排除して、その代わりに論理科学を教条とする、人の在り方」だと思っている。

それを公理にすると、論理必然的に、まず真っ先にあらゆる事柄の平等が導き出され、それを元に、性差別のみならず、環境問題やらなにやらいくらでも派生した体系ができあがる。平等以外でも、たとえば科学的結論の重視と、科学に必須な倫理の議論も付いてくる、などなど、とにかく、一大形態を形作る。それがリベラル総本山ってもんだ。

日本の若者のリベラルはうわべだけで浅いし、結局、大人達が言うリベラルも大半が狭い。

リベラルが、万物の平等を言う、リーズナブルで元気で快活で寛大な人々ばかりなのに、なぜ僕がそれらの人々の底の底は傲慢だ、と傍若無人に言うかというと、それは先に書いた「公理」に集約されている。彼らは神を科学に見かえただけの人々で、宗教一色だった昔の、その侵略的性格を、ほとんど無傷のまま維持している人々に見えるからだ。

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