会社に置いてあった浮世絵を持って帰ってきた。部屋に何枚か飾ろうと思う。
それにしても、これらの浮世絵をホンモノと言うべきか、というとたしかに微妙な問題だね。
ちなみにこれらは、浮世絵の木版手法で本当に刷って作られた版画で、そういう意味ではホンモノ。(狭義の)浮世絵はもともとは版画なので、もともとが印刷物なわけだ。印刷である以上再現可能で、印刷手法さえ継承されれば永遠にホンモノが量産され続ける。
なんだか面白いな。たとえば目の前に小林秀雄の文庫本がある。これは印刷だ。ではこれはホンモノか。文が原文である限りはこれはホンモノで、「数」という観点では無限に量産できる道理になる。電子本であっても原文なのでホンモノで、電子本に至っては物理媒体すらないので、現れたとたん数としては無限にある、と言うことができる。
目の前にある浮世絵だって同じことで、これはホンモノだ。
絵が文と違うのは抽象化度が完全では無いところなのかな。浮世絵の場合、絵具の質が違っていることで、色合いが時代によって微妙に変わる。
そういや、かなりしばらくの間、僕はバーチャルミュージアムの研究をやっていたが、あそこでもホンモノと複製の意味をあれこれ考えたっけな。その道で有名でかならず引用されるのが、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」、という批評文だが、それは今でも自分の考えの基礎になっている。
ところで、たとえばベンヤミンの思想ってのはホンモノだろうか? 思想は文よりさらに抽象化度が上がっていて、それになるともう、あの世、すなわち形而上に属しているとしか言いようが無くなる。
しかし「内容」と「メディア」の呼び名を混同しているからこういう煩雑な議論になるのかもしれないね。
かつての自分は、たとえば世界にたった一枚しかないゴッホの原画を、もし完全にデジタイズすれば、描いた彼が現したその芸術の魂は、画布という物理世界に縛られたこの世界から完全に飛び立って、形而上の世界に移行して、永遠に生き続ける、と考えていたっけ。
そのようなことを、昔、美大の先生に言ってみたら、林さん、その考え方は世間には受け入れられませんよ。したがって、研究として成立しません、って言われたっけ。
じゃあ、それでは、音楽は?
内容とメディアの問題はひょっとして、いまのAIの時代、本当に大問題になっているのだろうな、と思うが、あまり世の中でそれが取沙汰されないのは、まだまだ僕たちいろんなことが分かってないからだろうな。いろいろと果てしないもんだ。
