ブッダのことば (中村元訳)

仏教のもっとも古い文献を現代語に訳したものだそうである。ここに書かれていることが、ゴータマ・ブッダその人が実際に言ったことに一番近いらしい。

ブッダが死んだあと、宗教としての小乗仏教が興り、その後大乗仏教が現れ、流派もいろいろ別れ、仏教の経典もそのつどいろいろ変化し、増えていったとのこと。経典が日本に渡ったのは、大乗仏教の後で、そもそものブッダの生の言葉を多く記したこの文献は、日本には渡らなかったようである。

しかし、これを読んでみると、ブッダの言ったこと、そして行ったことは、とてもシンプルで、現実的である。宗教につきものの、神秘的なもの、難解なもの、形而上的なものはほとんど出てこない。僕が読んでいる限り、結局言っていることは「苦しみを絶つために、苦しみそのものを捨てよ」あるいは「死の運命から逃れるために、死そのものを捨てよ」といったことに尽きるように見える。そして、たとえば、苦しみそのものを捨てるために、苦しみの元となるものを捨てよ、では元になるものといえば、それは、執着であり、欲であり、なんであり、かんであり、と果てしなく列挙が続く。そして、それらすべてを捨てて清らかになりなさい、と説いている。それで、最後の最後は、生を捨てなさい、そして、死も捨てなさい、生も死もない世界に清く暮らしなさい、という風になる。

なんか、こう、限りなく植物のようになりなさい、と言っているようにも聞こえる。ニーチェは仏教を、老成した人間の語る衛生学だ、というようなことをどこかで言っているが、なんか分かるような気がする。