心霊現象とか、UFOだとか、超能力だとか、一般に現在の科学では解明できない現象を神秘的な現象と呼んだりするが、この神秘に対する態度って本当に人それぞれでけっこうはっきり分かれるものだ。自分はというと、神秘というものがあることを疑ったことはまず、無い。現状の科学を持ち出して神秘的現象そのものが真実かウソかを判定しているのを時々見かけるが、馬鹿げたことだと思う。自分としては、その神秘的現象を経験した当人の心にそれが何を残すか、ということこそが問題だ。そうすると、結局、その神秘的経験によって心に残った代物を、今度は真実とみなすのかウソとみなすかの、という問題になり、問題の局面が変わる。
たとえば、ひとだまの生成プロセスが科学的に解明されたからってひとだまの価値が落ちるわけではない。たしかに、科学的に解明された神秘現象はこれまで山ほどある。迷信や迷妄から開放されて生活が整理され快適に向かって行くことは、間違いなく有益だ。しかし、解明済みの神秘現象といっても、それを経験した当人にとってみれば、なぜまたそのタイミングで自分の目の前でそういう物理現象が起こったのかについては、誰も説明してくれはしない。
もともと科学というのは理性の飛び道具なのだ。それは時間と空間に飛び回る有象無象を一つ一つ撃ち落して、不安のない平穏な生活空間を作ることを目指している。それに対して有象無象と一緒に仲良く暮らすことを目指す能力を「本能」という。「本能」がなぜ科学的に再構成できないか、というのは根が深い問題だと思う。が、しかし、何百年か後にはできるようになるだろうね。その暁には、きっと科学というもの自体が変質してるだろう。
ところで、こんな風に考えているということは、結局のところ自分は科学をなんとなく毛嫌いしているんだろうな、と思わざるを得ないな。というか、いま現代、すっかり庶民レベルに落ちてきたこの「科学的解明」というものが気に入らないというべきか。物事が庶民の場にまで降りてくるには何十年もかかるんだけど、とうとう科学も落ちて来たね。それで結局、その多くは新種の迷信のようになってしまうんだろうね。