TLに、「結局、人生最後に残る趣味は何か」とかいうつまらん本の紹介が出てきて、それで突然思い出した。
大むかしの僕の職場は古い会社だったんで、部活動というのがあり、まだ若かった僕は美術部というのに所属していて、ときどきペン画とか出していた。部員は爺さんばっか。なので、爺さんとの交流、という不思議な時間を経験した。
そこにMさんという人がいて、その人が定年退職を期に自費出版の本を出した。僕にもくれた。簡易装丁のいちばん安い感じだったけど、本は本だった。
そういや、そのころのその会社の定年間近組は、とある関連会社に集まっていて、その関連会社は基本、仕事がヒマで、爺さん社員とかはたいした仕事もないので、そのころ行き渡り始めたパソコンワープロ(一太郎)とかで、キーボードをポチポチ押しながら優雅に自分史とか書いてる爺さんもいたっけ。自宅にはパソコンが無いので会社で書くわけだ。
Mさんのそれがそうだかは知らないが、1センチぐらいの厚さの本で、彼がいままで書き溜めてきた文章を並べたもののようだった。
Mさんの趣味は、絵を描くことと、俳句を詠むことと、批評文を書くことと、旅行と、ビールを飲むことだったらしい。若い僕は相応に傲慢だったので、その本をパラパラ見ながら、合間合間のペン画は下手だし、俳句は下手だし、批評はなってないし、なんじゃこれ、と放り出したっけ。
俳句について論じた文があって、そこに彼の句が例題として載っていた。彼の数々の下手な句の中で、僕がひとつだけ覚えているのが、その例題の句だった。それは、「陽光に若い女の肌光る」、という句だった。なぜこれだけ覚えてるか不明だが、下手なことこのうえない、と今でも思う。
彼は、俳句について論じた文の中で、もちろんこの私の句が下手なのは分かっているが、こうして句になって現れただけでそれは表現活動であり、芸術なのである、と論じていた。その後、五七五の順列組み合わせを計算して、その天文学的数字をどうのと詮索していたが、若い僕は、なんて下らない文だ、とか言って放り出したので、それが何を論じてたか忘れた。
その会社は理科系なので、Mさんももちろん理科系で、本には批評文がいくつもあったが、それらはいかにもステレオタイプな理科系的詮索ばかりだった。
理科系的批評文はつまらなかったが、ちょっとしたエッセイには面白いのもあった。いまでも覚えているのは、ドイツへ行って、単身ビヤホールに乗り込み、ドイツ的喧噪の中で飲んだドイツビールに、天にも昇る気持ちになった、というくだり。
Mさんはすべて下手とはいえ、趣味を持ち、批判精神も持ち、自身の見解も持ち、幸せな老後へ突入したもののはずだったが、退職して間もなくして、亡くなったという知らせが来た。ちょっと怖そうな、でもたぶん若いときはけっこうな男前の、僕ぐらいに小柄で、太りもせず、身体が弱そうには見えなかったが、ちょっと神経質な感じだったのを、今も思い出す。
若かった僕は、そうか、死んじゃったか、で終わってしまったが、彼からもらった本は捨てずに、その後数回の引っ越しでも残った。でも、いまから数年前に、読まない本を大量に捨てたときがあり、そのとき、Mさんも含め、他人からもらった数冊の自費出版本はぜんぶ捨てちまった。
いまこうして思い出すと、取っておけばよかったかもしれないが、他人の自費出版本をすべて捨てたタイミングで、生意気だった若いオレもMさんと同じ歳になり、定年退職となった。で、どう、ということはない。オレも、いくつかの趣味と、雑文書きをして自費出版しているところはMさんと変わるところが無い。
この文、オチはない。単にさっき、その、とうの昔に亡くなったMさんをなぜか思い出し、彼の下手な句を思い出し、ホント下手だったなあ、と感慨しただけのことでした。しかし、なんらかの哀愁は、ただよう。人生って、なんだろうね、とかね。