アジアンドキュメンタリー「世界で一番ゴッホを描いた男」を見た。ゴッホの複製油絵を描き続けた主人公が初めてアムステルダムで本物を見た後
「20年複製画を描いていたが、本物とは比較にすらならない」
とつぶやくのだが、それが、けっこう切なかった。全編を貫くゴッホへの大きな愛と芸術への真摯な情熱も、やはり見ていて切ない。
でも、最後の最後に、彼、少しずつでもオリジナル画を描こうと決心し、その第一作が映ったけど、その出来はなかなか良かった。それが救い。
その彼、中国のローカル都市で工房に寝泊まりして休む間もなく、すでに何十万枚も描き続けて、それでもぎりぎり食って行けるていどの金しか稼げない。そのせいで当初、ヨーロッパ行きはお金がないから、と家族に反対されるのだけど、結局、散財して仲間数人と初めてかの土地に立つ。
すべてが想像と違っていてショックを受け、夜は仲間と酒を飲んで煙草を吸って、語り合うシーンがいくつか出て来る。
そのシーンの中で、彼、ひとり酔っ払って、自分は中学1年までしか行ってない小卒の人間だ、貧乏で中学も行けなかった、と泣くシーンがあって、見ていて辛い。
20年間粗悪な複製を見て油絵を描き続けた彼は、その貧乏な生活の中で、ゴッホという芸術家に憧れ、崇拝し、貧困の中で自らを表現した画家の情熱に心酔し、という、まるで青年のままのような心で生きている。周りの複製職人の仲間の皆も同じで、中国の場末の食いもの屋で、芸術について熱く語り合っているシーンがいくつも出てきた。
ひるがえって自分はどうか、どうしても考えてしまう。
彼らに比べれば圧倒的に裕福で、なに不自由なく暮らして来た自分は、バブルの日本の大ゴッホ展ですでに25歳の時に本物を見て、その後すぐに海外へ飛び、アムステルダムでもどこでもさんざん本物を見て、自分のゴッホ観を育てた。印刷と本物の色の違いなんかあっという間に気付いた。
でも、彼らは、20年間、何も知らず、ただ青年らしい情熱だけを抱いて生きてきたわけだ。
自分は本当に贅沢だと思う。で、やはり、どうしても、僕は、いつしか、その青年らしい情熱をどこかで紛失して来たような気がしてくる。
オレも高齢者に差し掛かったし、こざかしい大人の計算なんか捨てて、もう一回青春に返るようにした方がいいんだろうな、と思った。