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中国と日本

中国は唯物、日本は唯心、というのが僕の感覚である。僕も長年、中国料理をやって来たので、この感覚は、歴史とか文学とかからではなく、そっちから来ている。なので、自分の中でわりと強固。

そもそも中国は唯物なので、論理的で、合理的である、というのが僕の理解で、それがこの工業社会、ひいては情報社会にフィットするのは当然で、あっという間に日本を追い越したのも必然に見える。中国では、国のシステム化さえ正しくできれば、恐ろしい規模とスピードで機能するはずで、ああなって当然。システム化に必要なのは有能な頭脳と権力で、中国共産党の首脳の超絶頭脳は、やはりさすがだと思う。

一方、日本は唯心なので、論理と合理がハナから苦手。西洋からにわかで輸入したけど、いつまでたっても板に付かない。その代わり、漫画アニメなどのエモーショナルな、いわゆるソフトパワーは圧倒的に強い。工業と情報で中国に勝とうとしてもおそらく無理でしょう。合理的なシステムをまったく構築できない日本の様子は、オレも現場でイヤというほど見てきた。

まー、日本の国も中国共産党みたいにトップダウンな組織にできれば、あるいはだけど、さて、中国ほど有能なトップ集団が形成できるかと言われれば、はなはだ心もとない。ちょっと古い考え方だけど、天皇を復権させるぐらいしか、思いつかない。

と、まあ、そういうわけで、中国に負けて悔しい爺さんたちは多いだろうが、ちょっとアタマを冷やして、よく両国を見た方がいいと思うけどね。

我が国は、もう、侘び寂びと、もののあわれで、いいじゃん。

嫌中のはなし

最近、やけに中国が嫌い、っていう言葉を聞くけれど、思えば、いまから15年ほど前、僕がまだ会社にいたころ、周りでは、韓国が嫌いな人がけっこう多く、そのころ僕は、韓国と日本なんてメンタリティが正確に同じなのになんでそんな嫌うの、と言うと即、韓国人と日本人はぜんぜん違う、ってけっこうな権幕ですげー言われたっけな。

でさあ、なんだか最近、こんどは嫌韓があまり聞こえなくなり、代わりに嫌中になった感じ。ひょっとして15年経って、同じ人たちがスライドしてきた?

多民族職場で働くある人から聞いた話だけど、そこにまだ20代の若いフィリピン人がいて、日本語・英語・フィリピン語のバイリンガルで、フィリピンを出たくてしかたなく、いま、日本で働いてるけど、ゆくゆくはヨーロッパへ行きたい、と言っているそうだ。で、その彼に、フィリピン出たいなら日本国籍取ればいいんじゃない?って言ったら、彼、国籍取るってどこでも大変だけど、日本はいま、ナショナリストの高市首相だからダメじゃないかなあ、って言ったそうだ。

東南アジアの国々の人たちは、日本のナショナリズム台頭について、そんな風にふつうに思われてるんだなあ、って面白かった。

特に日本の爺さんたちが目につくんだけど、まず、韓国を忌み嫌い、次は中国を忌み嫌い、ってのはなんか同じ原理じゃないですかね? 中国も韓国も、おまえら昔には日本が統治して、惨憺たる途上国だったのをオレたちが近代国家にしてやったのに、今度はその恩を忘れて成り上がり、傍若無人に振る舞いやがって、感謝の心がない下品なやつらだ、って一部の日本爺は思ってるんじゃないですかねえ。

ま、こんなこと言ったら、そういう人たちに喧嘩売ってるようなもんだけど、おそらく、中国、韓国、東南アジアの国々は、自分たちの過去のひところに日本に侵略され支配された、という風にふつうに認識しているはずで、そういう目で、以上の忌み嫌い日本爺たちを見ていると思うけどね。ま、下品なのは一体、どっちだよ、って話。

もっとも、隣国を嫌うのは、実は、ふつうのことで世界じゅうどこでも起こっていることなので、特別じゃない。僕のアイドルのボードレールだって「哀れなベルギー」という文庫一冊分ぐらいの本をわざわざ書いて、ベルギーをこれでもかというほど罵倒しまくっている。かのニーチェは、自国のドイツを最大限に侮蔑しているのはいいとして、その次にはイギリスやアメリカを味噌糞にこき下ろしている。

そういうわけで、他国を嫌うのはよくあることで、それは別にかまわないけれど、まあ、嫌韓も嫌中も、見ていて気持ちいいもんじゃないし、みっともないので止めるんですな。やるんだったら、ボードレールかニーチェぐらいの知能を持ってから、やるんですね。すなわち、一般人には無理。

僕は韓国も中国も好きなので、以上となんの関係もない。若かったころはニーチェと同じく自国の日本が大嫌いだったので、かえって隣国の韓国と中国が好ましかった。いまでは日本も好きになったので、東アジア三国は好きだな。そして東南アジアは、昔から好き。だいいち、大昔、中国と朝鮮の文化にここまでお世話になった日本なんだし、彼らを嫌う理由は僕にはない。

僕が嫌いなのはむしろ西洋だけど、これはまた別な話。

陽気な薬剤師

このまえ処方箋を持って薬局へ行ったときのこと。

店内に入ると、お客の初老のおばさんと薬剤師のおねえさんが話してて、なんだか超盛り上がっていて、終始きゃはははって笑ってる。旗の台駅の周辺の話をしてたから、ああ、なんか知り合いなのかな、って思ってた。

で、こんどは僕の番になり、薬の中に胃薬があったんだけど、薬剤師のおねえさん、忘年会の季節ですものね、って言うんで、そうですね、と言うと、なにかとお酒を飲む季節なので胃腸、大切ですよね、とかなりハイテンションで言ってくるんで、そっすね、実はこれから僕、呑みなんですよ、とか言ったら、きゃあああ、そうだったんですね、いいですね! とか言うんだけど、すでに薬はもらっておカネも払ったので、じゃ、どうも、行ってきます、って出口に向かったら、今日はなんのお料理ですか? って超嬉しそうな笑顔で言ってくるんで、えーと、和食です! って言ったら、和食いいですねー! 忘年会はやっぱり和食ですよね! ってなって、僕、じゃ、どうも! って出口を出ると、行ってらっしゃいませー! と相変わらず超陽気に送り出してくれた。

いやー、すごいな。とすると、最初のお客も、別に知り合いじゃなくて、お客さんみんなにあの調子なんだ、って思って、歩きながら笑っちゃった。

で、ふと思ったら、もらった薬の説明をぜんぜん聞いていないことに気づいて、二度笑ったよ。

しかし、陽気な薬剤師もいたものだ。

自己反省ツールとしてのAI

AIを自己反省のツールとして使う件だが、どういうことか書いておこう。

まず僕が腹立ちまぎれに書いた長文がある。それをコピペしてChatGPTに貼るのだが、冒頭に以下のようなプロンプトを書いた。

「こんな文を読みました。僕はこの人、アホでバカだと思うんですが、どう思いますか?」

こうしてAIに訊くと、AIはかなり全力でユーザーの味方になり、その線で答えて来る。

これをやったら、AIのやつ、僕の文を読んで、箇条書きで6つぐらい、この文の論理の甘さや、あいまいさ、不徹底さ、矛盾をいちいち指摘し、それからこの文を書いた人(オレ)が、どれだけ、自惚れていて、そのくせ実力はなく、それを糊塗するために一見賢そうな用語を交え、せこい真似をするか、ということをいちいち指摘して来た。

もう、見るも無残なほど、文と書き手をこき下ろし、人間としても文としても無価値で屑である、と断定しやがった。

さらに、その最後に、「もしお望みでしたら、こういう人間を一発でがつんと潰すような返答を作ることもできますが、やってみますか?」と、こう、来た。

オレ、さすがに、以上を読んで、自分が恥ずかしくなって、落ち込んでしまったので、「はい、お願いします」とか「実はこれ僕が書きました」とか、書けず、そのままAI対話を丸ごと削除しちゃった。

いやー、参りました。完敗です(笑

みなさんも、これ、たまにやってみるといいですよ。自分がいかにダメな人間か、ときどきは気付いた方がいいです。ただし、精神が弱い人にはお勧めしません。悩んで鬱になるかも・・・