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子供のころ

オレの子供のころかあ。

鉛筆、のちにボールペンで、ひたすら細密画を描いてたのを思い出す。ちょうど、写真がなかったころの昔の生物学の研究書の挿絵みたいな感じ。日本画の鳥獣の絵にも似るかも。

小学校低学年では鳥ばっかり描いてた。なんでだろう。

本を読まず図鑑ばかり見て、父にいつも叱られてた。

父は僕に文のある絵本をいくつか与えたが、かなり強烈に覚えているのが、たしかウォーリーの冒険みたいな題の、アザラシの子供が海を巡って各地を放浪する話だった。でも、いま思い出すのは、水面からアザラシがアタマを出している絵柄で、これはいま思うと屹立した男根以外に連想が思いつかない(笑

全体に小さいころは、まだ未分化な性的快感の薄いベールに覆われているような世界で、完全に上の空だったっけ。

あと、人間の内臓にハマった。人体模型っていうプラモデルを買ってもらって夢中だった。

そのとき、異種合体の快感の虜になった。その古いプラモデルの部品にあった、プラスチックと金属の絡み合いがどうしても魅力的で、離れがたかった。

この異種合体に魅せられる癖は大人になってはっきり形になった。これまで自分が夢中になった、ドストエフスキー、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、フランシスコ・ゴヤ、ロバート・ジョンソン、そして中国料理体系ですら、この異種合体にどうにも惹かれる性格によるものだった。

オレの今後には、いったいこんどはどんな異種合体モノが現れるであろうか。きっとまたまた夢中になってわけが分からなくなるであろう。

とまあ、以上の子供時代は小学五年ごろで終わり、その後は科学の子になった。

大学で発狂して完全に科学を捨てる。なんでか分からない。

スウェーデン人の友人

スウェーデンにいたときの一番の友だちはMike(Mikael)っていうスウェーデン育ちのイラン人、教育はアメリカMIT、っていうやつだった。彼はおそらく超高IQだが、あまりにそれがぶっ飛んでて、完全なる変人であった。

ネイティブ米語でものすごくしゃべり、ものすごく元気。で、空気がぜんぜん読めない。あの、例の、ナントカいう症例そのものなやつだった。

結局、オレ、スウェーデンでは彼としか親しく付き合わなかったなあ。

彼はバハイ信教という宗教の信者で、そのせいもあるのか、女っけが完全にゼロ、そのせいで恐ろしいほど純潔であった。食べるものはベジタリアンではないがむちゃくちゃ変。酒を一滴も飲まないので、そこが僕と合わないけど、彼はいわばナチュラルハイなやつだった。

いまでもときどきメールを交わすけど、話題がどうにも変だったり、哲学的だったり、宗教的だったり、する。

ここしばらくAIに関するメールのやり取りをしてたけど、数日前に僕が、人間とAIの関係ではeros(エロス)こそが重要なカギになる、みたいに書いたら、エロスはゴミだ。でもゴミも役に立つことがある、みたいに書いてきたので、おっと、これはたぶんerosをポルノと誤解したんだろうと思い、そう書いたら、ごめんごめん僕はマサーキがeroticismのことを言ったのだと思った、とか書いてきて、いや、まさにeroticismのことを言ってたんですけど。。。

そのあとの彼の言葉を読むと、eroticismはフィジカルな欲であり、対して、loveはプラトニックな創造する力である、みたいに書いてあるので、恐ろしく純潔な彼はきっといわゆる性的欲求は低次のものであり、愛こそがそれを昇華した高みにある真のエネルギーの源である、としているのであろう。

Mikeはたぶん、性的なeroticismを理解しないのは当然として、erosですらうさんくさく感じるだろうけど、僕にはそれらは大切なので、Mikeには反対だが、そういう感覚の差というのはなかなかに埋めがたい。

なんとなくだけど、彼の世界の理解は、ギリシャのパルテノン神殿のように乾いていてすっきりしていて硬くて幾何学的で、数学的だ。

対して、僕の世界の理解は、芭蕉が詠った蛙が飛び込む池のように、狭い池の水に藻が生えて大量の微生物の坩堝のような生命を含んだ水の、その表面に広がる波のイメージだ。

この二つは、もう、ぜんぜん違う。

彼は確実にぶっ飛んでいるが、実際、この僕もかなりぶっ飛んでいるみたいだから、きっと両極端として友人同士でいられるんだろう。僕はMikeみたいなやつ、好き。

コーヒーハウスのあんちゃん

四十年前ぐらいに三年間、大阪に住んでいた。

あのころの大阪梅田の駅の、阪急から京阪の改札へ通じる地下街はおもしろかった。どうでもいいものを売ってるどうでもいい店が山ほどあって、売り子の多くは大阪のおばちゃん。で、店舗の間にカウンターの串揚げ屋とかあって、おっさんたちが串揚げ食って酒飲んでる。要は、おばちゃんとおっさんのたまり場的なグダグダ感が最高だった。

で、あるとき、その地下街の店がぎっしり並ぶところから空間を隔てて、ちょっと離れたところにスタンドのコーヒーハウスができた。そのころはまだドトールとかスターバックスとかそういうコーヒーハウスなど無く、コーヒーは喫茶店、あるいは珈琲専門店で飲むものだったが、たぶん、コーヒーハウスの走りみたいな実験店だったのかもしれない。

カウンターだけの広くない店で、でも内装はダークブラウンの落ち着いた、珈琲専門店ぽい、音楽もかからない静かな空間で、カウンターの中には店員がひとりだけいて、働いている。なんだか向かいのおやじ串揚げ屋の喧噪と対照的で面白かった。

それで、ある時、そこに入ってみたことがあった。

なんでこんなことを書いているかというと、そのときにカウンターの中にいた店員のあんちゃんを自分は、ことあるごとに思い出すからである。

彼、たぶん二十代後半の若い男だったと思うんだけど、そのルックスが完全にいまでいうヤンキー、あ、いや、今ではそう言わないんだろうか、昔でいう不良だった。やくざの事務所の使い走りみたいな、花の応援団に出て来る弱い下っ端の若者みたいな、典型的な大阪の不良ルックなのである。

で、コーヒーを注文したら、彼、コーヒーを作り始めた。豆を挽いて、ペーパードリップにセットして、細長い蛇口の出た沸騰した湯の入ったケトルから湯を注ぎ入れ始めた。

オレ、カウンターから彼をずっと見ていたんだけど、ケトルから極力、細い細い水流でコーヒーの粉に注ぎ入れるその様子が、もう、なんというかあまりに真剣そのもので、細心の注意を払って、細い水流を一定速度で注ぎ入れることに集中している。まるで、この行為に自分の人生のすべてがかかっているような真剣さで注いでいるのである。

おそらく、この不良ルックな彼は、このスタンドに入ったばかりで、先輩にコーヒーの淹れ方をだいぶ厳しく教えられたのであろう。まるで一歩踏みまちがえると奈落の底に落ちて転落死する崖を渡っているかのごとく真剣なんで、オレ、けっこう驚いてずっと見てた。

ヤンキー不良できっと学生のころは突っ張って、粋がって、ゴロ巻いて、っていうやつだったはずだが、この仕事は彼にとっての更生だったんだろうか。

いや、オレ、思うんだけど、こういう奴って、そういう、なんというか世間の一般常識が言うところの、更生して真人間になる、とかいうまっとうな社会プロセスを考えてやってるんじゃなくて、ただもう、盲目的にその道に従って、努力らしきものをしているだけで、でも、合理的努力を塩梅しながら遂行するような余地が頭には無く、一種の本能で動いているような気がする。

ほら、動物だったらなんでもいいけど、ヤツら獲物を取るとき真剣そのものでしょう? 合理性に基づく最適化や、お遊びや、おふざけのかけらも無いでしょう? ただただ、全身の神経を集中させて行為に全的に入り込むでしょう? 

この大阪のヤンキーの彼、それに近かった。

オレ、昆虫は苦手だが、自分の身が安全な場合は、かなり見入ってしまう癖があるが、それは昆虫が常に真剣だから。で、真剣じゃないシチュエーションでは、完全に自由にくつろいでストレスが無い。その様子が物珍しくて仕方ない。さらに、それを通り越して、実は、それはオレの憧れの対象でもある。理性とか知性とかいう余計なものを振り払えない自分は、その無心な状態になれないし、なったとしても極めて短い時間でしか無理だ。

それがごく自然にできている人間がいると、自分はその人になれないのが分かっているので、単純に憧れる。そして、彼らを見ていると、なんだかいつもいつも、驚きと興味で、心が痺れるようになる。

それにしても、あの大阪ヤンキー野郎、いまごろどうしてるだろう。たぶん、オレと同じ歳ぐらいなはずだよなあ。