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電子工作

いま、真空管オーディオアンプの初心者向けの本を書いているのだけど、初心者を想定して書くと自分が初心者だったころを思い出すわけで、そういえばそうだったなあ、とか小学生だったころをいろいろ思い出した。
 
電子工作を始めたのは小学5年ぐらいのころだったと思う。たぶん、たまたま本屋かなんかで見つけた電子工作雑誌を買って、それで夢中になったのだろう。当時は、教えてくれる人もいなかったので、それら雑誌を文字通りボロボロになるまで何度も何度も見て、それで、ときどき小遣いが溜まると部品を買いに行って、それで作っていた。
 
当時は大田区に住んでいたのだが、大森駅と蒲田駅の真ん中あたりの普通の住宅街のところにある踏切を渡ったすぐ右手に小さな電気屋があり、そこで部品を買っていた。なんと、その当時は、いまでは秋葉原の限られたところにしかない、趣味の電子工作向きの小物の電子部品を一通りそろえた店がそんなところにもあったのだ。
 
残念ながら電気屋の名前は忘れたけど、物静かでなんとなくあごがそっくり返った感じの四十ぐらいのおじさんがやっていた記憶がある。たぶん、何度も何度も通った小学生の自分を覚えていただろう。
 
最初に作ったのはご多分に漏れずゲルマニウムラジオだったが、まあ、これが、何度作っても一向に鳴らないのである。いろんな雑誌に、いろんなゲルマニウムラジオ製作記事が載っていたので、次々と試してみるのだけど、クリスタルイアホンを耳に入れても、時々、ガリガリ、とか小さくいうだけで、まるでラジオが聞こえない。
 
今思えば、一番の理由はゲルマニウムラジオの感度が悪すぎ、きちんとアンテナがつながれていないせいと、それに加えて配線ミス、そしてハンダ付け不良が重なって、なにをやっても鳴らなかったのは明らかなのだけど、そのころはそういう風に論理的には考えられず、鳴らないのを、ほぼ単純に「部品」のせいにしていた。
 
製作記事には、たとえばバーアンテナ(黒いフェライト棒に細い線をたくさん巻き付けた電子部品)はこれこれという型番のものを使います、と書いてあるけど、ローカルな電気屋には、まず同じものは、無いのである。そこで、おじさんが、これでも同じですよと出してくれるバーアンテナを買って、家に帰って作ってみると、うんともすんともいわない。あ、やっぱり、このバーアンテナがダメだったんだ、と思うわけである。
 
そのうち、自分のラジオが鳴らないのはあのローカル電気屋のせいだ、とまではっきり考えなくとも、何となく、そんな風に思うようになって行った覚えがある。そうこうしているうちに、秋葉原まで遠征することを覚え、めでたく雑誌記事に指定されているのと同じモノが手に入ったときなど、宝物のようにして持ち帰った覚えがある。
 
でも、結局、それで作っても鳴らなかったりするわけで、そういうことを何度も繰り返しながら、だんだん真相に気付いて行った、というのが、自分の電子工作修行だった。
 
ロジカルに考えれば、作ったラジオが鳴らない原因は、配線ミスかハンダ不良か電波不足のこの三つしか、まず、ありえないのである。すなわち、これは全部、自分のせいなのである(電波不足は自分のせいじゃないけど、アンテナ立てない自分のせい)。でも、小学生の自分は、まず最初に自分が原因だと疑うことはしないもので、何かしら外界にあるもののせいでうまく行かない、と考えるわけだ。子供の論理というのは、そういうものだよね。
 
しかし、そういう状態だと、逆に、自分を取り巻いているものが、めくるめくワンダーランドに感じられるのである。自分の周りを大量の「分からないもの」が取り巻いていて、自分はそれを次から次へと渡り歩いて何かをしようとするのだけど、どうしてもうまく行かず、結局はその分からない外界が、なにか自分の知らない不思議と秘密に満ち満ちた世界に感じられるというわけだ。

秋葉原から京浜東北線(国鉄の、ね 笑)に乗って、型番通りのバーアンテナを袋から何度も出して、そのちっぽけな部品を、痺れるような快感をもって見ていた子供の自分を、遠い思い出の反映ではあっても、今でもかなりはっきり思い出せる。
 
大人になって、何かがうまく行かない時、その原因の大半は自分にある、ということが分かってしまうと、そういうことは起こりにくくなる。仮に、原因が自分じゃないということが分かったときでも、大人の場合、その外の原因に対してはっきり対決するか無視するか、ということになってしまい、やはりそこに不思議は現れない。
 
大人はかくのごとく、大変に退屈な種族なので、仕方なしに人工的な不思議を作り出してそれで一時的に遊戯して、当面の満足を得て、また元の現実に戻る、ということを繰り返して生きていたりする。
 
それにしても、子供というのは、まったくのところ「分からないもの」に常に囲まれて生きているわけだけど、そういうものが心に及ぼす快感というのは果てしないような気がするな。大人になっても、そういう「分からないもの」を自分の周りにしっかり配置できる人は、おそらく少ない。たぶん、この事情は、いろんな解釈の仕方があるんで、一概にどうの、と言えないが、僕個人の感覚で言うと、こういう「法外な大人」の代表は、まず、カフカ、ということになりそうだ。
 
それにしても、ああいう子供時代の快感は忘れないようにしたいもんだ。最後にはそこへ戻って行くような気もするし。

(Facebookに投稿した文)

侘び寂び

自分には侘び寂びの心はわかると思う。自慢じゃないが、というかこんなの何の自慢にもならないが、侘び寂びほど分かりやすい感覚もない。日本人なら誰でもわかるとは決して言わない。というか、昭和から平成になって侘び寂びは表面上はあまり取り沙汰されなくなった覚えがあるので、おそらく若年層はそんなもの学校で出てきたかな、ていどで、その心が分かる若者がそう多いとは思えない。

あと、はっきりしているのが、昭和であろうが平成であろうが、まあ、恐らくそれ以前もそうであろうが、侘び寂びの心は日本にある感覚のほんの一部に過ぎないし、そんなに大それた大きいものであったことは無いように思う。

だいたいが、侘び寂びなんていう言葉自体が、大それたものになることを自ら拒否しているようなもんだ。たとえば、グローバルな侘び寂びとか、地球規模の侘び寂びとか、侘び寂び帝国とか、口に出してみればただのギャグにしかならず、まったくの形容矛盾になるのは見ての通りだ。

というわけで、侘び寂びというのは、ホントにつつましやかなものだ。

たしかに、自分には侘び寂びの心は分かるし、感じるし、なにがありがたいかも分かるし、およそ何でも分かってしまう。しかし、これは個人的にだが、自分は侘び寂びを積極的に賛美したことはないし、正直に言うとあまり好きじゃない。

僕が尊敬し憧れる日本人に兼好法師がおり、彼の徒然草は僕の最大の愛読書である。その彼が、徒然草の中で、この侘び寂びの実例をいくつか引いて賛美しているのを知っているが、兼好のそういう文はあまり好きじゃない。僕が兼好で好きなのは、猫まただ!って腰抜かしたり、しろうるりだったり、芋頭だったり、鬼が出たって右往左往したり、そういう文である。どうも、あの侘び寂びのくだりはインテリ臭くて、すかしてて、洒落者を気取ってて、鼻につく。

というわけで、侘び寂びは分かるけれど、好きじゃない、と。

いや、ちょっと待てよ。じゃあ芭蕉はどうだろうね。

自分は、奥の細道はずいぶんと好きで、古文がたいして分からないくせに、わりと何度も目を通している。特にそこに載る数々の芭蕉の句は、それほど古文の形式に拘ったものは多くなく、現代から見ても平易なので分かりやすく、そんなこともあり、ほとんど、及び難いとまで感じる好きな句がいくつもある。しかし僕には、それらに、侘び寂びの感覚はぜんぜん感じられない。乱暴に一言でいうと、芭蕉のそれらの句は、強さと、大きさ、を現していて、侘び寂びの感覚と逆を向いているように感じる。

まあ、結局、やっぱり、侘び寂びは好きじゃないわけだ。その感覚が分かるだけに、好きじゃない。侘び寂びを有難がってる現代日本人がいると、心の中で、フン! と言ってしまう。かといって、嫌悪したり、馬鹿にしたり、というのは全然違う。第一が、そんなに大それたものか、と言いたくなるのと、あとは、そんなのは心の中にしまっておいてくれよ、という感じかもしれない。

そうか、なんらかの羞恥を伴う感じがあるのかもしれない、いま気付いたが。

しかし、なんの羞恥だろう。侘び寂びは意外とエロチシズムと関係しているかもしれない。あまり深入りする気はないが、そんな気もしてきた。

ところで今日初めてWikipediaで侘び寂びの意味を調べた。で、改めて調べると、侘びは粗末で簡素な様子を、寂びは古びて寂しい様子を表すそうだ。それ以外にごちゃごちゃといろんな人や例を引きながらあれこれ説明しているが、ほぼすべて予想通りのことが書いてある。自分が侘び寂びが分かる、というのは、その心が分かるということなので、そのコアとなる概念を会得していれば、それについての説明は全部自分の予想したものになるのは当然のことだ。つまり、これは特段にタイソウなことではなく、たとえば、誰だって「悲しい」って何? 「嬉しい」って何? と聞かれればその心が分かっているので、特段の説明を要しないし、辞書を調べても、ああ分かり切ったことばかり書いてあるな、と反応するわけで、それと同じようなもんだ。

そういう当たり前な心が形成されるためには、それらの言葉で表されるところのものを、繰り返し感じる環境が必要だが、きっと僕の若い頃に自分の周りにそれがあったんだろう。死んだ親父あたりがオレに侘び寂びを仕込んだのかもしれない。喜怒哀楽と共に。

冒頭に書いたように侘び寂びの心は昭和ぐらいで終わっていて、すでにそれはもう日本人の共通の感覚ではなくなったように思える。それどころか、2015年になって、思い返すとどうだろう。この侘び寂びという、およそ、強さや大きさと正反対を向く感覚から遠く離れて、逆の方向へ向かおうとする光景の方が目に付くようになった。

こうして見ると、やはり自分が思っていたように、侘び寂びには「力」がなかったのだな、と妙に納得する。しかし、その順当な成り行きは、まさに侘び寂びの正当な運命を現しているわけで、実は、その侘び寂びの衰退こそが、その心が本物であったということを示しているともいえる。いくら僕が侘び寂びは気に入らない、と言っても、やはりそれはホンモノだったのだろうね。勇ましいくて騒々しい言動ばかりでいい気になっている昨今の日本人は、少しはそれを思い出した方がいいんじゃないかね。

定食屋のおっちゃん

今日、二子玉川の界隈で夕飯を食べようと思ったのだけど、なかなか適当な店がなく、けっこうしばらくさまよった。昨日飲み過ぎて、もうビールとかアルコールは見たくもなかったので、夕飯だけ食おうと思って歩いたのだ。それにしても改めて、飲まずに食うだけのところというのが無い。飲み屋ばかりである。しかし、これは意外だった。ふだん、夕飯を食いに入るときは基本、ビール付きなので今までこの事態に気づかなかった。酒を飲まない人というのは、実は一人で飯食うの大変だったんだ。
 
というわけで、飲み屋ばかりが並ぶ飲食街の外れまでずっと歩いて行ったら、ようやく古臭い飯屋を見つけた。「つばめ」というのれんがかかっていたけど、こんな店、二子玉川界隈に長年住みながら、今の今まで気が付かなかった。こんな店あったっけ? みたいな感じである。店の前の地面に置かれた古びた黒板に、かすれた白いチョークで定食メニューがぎっしりと書かれていた。ま、ここでいいか、と店に入った。
 
入口に「不況に負けず、営業中」と書いた札がかかっていた。
 
ガラっと、入ると、店内はガラガラで、若者が一人で黙々と飯を食っている以外、客は誰もいない。典型的な昔の定食屋の内装で、粗末なテーブルに粗末な椅子、そして、端っこにある棚の上でテレビがかかっていて、相撲をやっている。威勢のいい給仕のおばちゃんが「いらっしゃいませ!」と言う。

この店、入ってすぐ、かなり参ったのだが、店内が、もの凄く、臭い。最初は、古い店によくあるネズミの糞の臭いかな、と思ったけど、しばらくいて思い至ったのだが、これは浮浪者の臭いだ。よく、電車とかに、ふいにボロボロの浮浪者が乗ってくることがあるので、わりとよく知っている臭いだ。
 
臭いなとは思ったけど、まあ、仕方ない。客席から厨房は見通しになっていて、中でおじちゃんが二人働いている。おじちゃん二人とおばちゃん一人でやっているようで、昔の定食屋らしく三人はよく無駄話をするのだが、その会話がけっこう大衆店っぽくて面白いな、と思って聞いていた。ゴーヤチャンプルとアジフライの定食を頼んだ。
 
ほどなくして飯が出てきた。山盛りのゴーヤチャンプルと、揚げたてのアジフライに、キャベツにトマトにポテトサラダ、味噌汁にお新香にどんぶり飯、という感じで、ボリュームたっぷりでかなりお得だ。これで750円なのである。店内は臭いが、食いものはまずくはない。もちろん、コテコテの大衆飯なので、お味がどうのと食うタイプの飯ではなく、とにかく食うこと優先の代物だ。それにしても、まさに昭和の味だ。
 
相撲を見ながら、食った。相撲を見るなんて、何年ぶりだろう。ところで、いまどき、横綱がみんなモンゴル出身だなんて知らなかった。しばらく見ていると、日本人の大関が出てきて、歓声がすごくて人気があるみたいだったけど、モンゴルの横綱にわりとあっさりと負けてしまった。
 
そうこうしていたら、おばちゃんが入口を見て、「あら、ジンさん来たわよ」と言うので、入口を見たら、ガラガラっと扉が開いて、どこから見ても土方の仕事帰りのおっちゃんが入ってきた。
 
「おいっしょーっ」みたいな声を出して椅子に座って身体を投げ出した。間髪を入れずにおばちゃんが「生ビールですね」と言うと、おっちゃん、「うん」と言って首を縦に振った。
 
「生ビールお待ちどうさま!」とビールを置く。ここで、そのへんのサラリーマンみたいに、すぐにジョッキに手をかけて、グビグビグビっと飲んで、はあー、うまい! みたいなテレビのCMみたいな飲み方をしないところがさすが土方のおっちゃんだ。おっちゃん、すぐに手を出さず、しばらくジョッキを眺めてから、おもむろにつかむと、ズズッと少しだけ飲んで、また椅子に寄り掛かった。
 
オレはアジフライを食いながら、一部始終を見ている。相撲は日本人が負けて、すでに終わってニュースになっている。
 
しばらくすると、おっちゃん、財布を出して、千円札をひっぱり出して、しばらくごそごそしていたが、おもむろに、「俺、金ねえや。千円しかない」と大声で言った。おばちゃんがすぐに、「千円あれば大丈夫よ、気にすることないって」と言うと、おっちゃん、「でも、これじゃ飯、食えないな」、おばちゃん、「なによ、いいのよ、明日にでも持ってきてよ」と言う。おっちゃんしばらく黙った後、「うん、明日、持ってくるよ」と言うと、厨房のおっちゃんが「なに、いつでもいいからさ」と言う。
 
ということで、おっちゃんはツケで飲食だ。僕はそのやり取りを感心して聞いていたが、食い終わったんで、お勘定してもらい、店を出た。
 
暗い夜道を歩きながら、その店のおばちゃんとおじちゃんと、いかにも土方な、抑揚のない唐突な感じのしゃべり方をするおっちゃんの会話をいちいち思い出しているうちに、なんだか泣けてきた。まあ、別に、昭和だ、人情だ、なんだとか言いたいわけではなくて、これは、なんというか、一種の音楽だな、と思った。店が浮浪者の臭いだったのは、その手の人がけっこう来る店だったんだな、きっと。そんなこんなもすべて含めて、一連の出来事や、風景や、会話などが、不思議な音楽を聞いたみたいでね、それで感動したんだな。

永遠の0

永遠の0という映画を見た。3月に出張で東京に一時帰国し、あれよあれよの忙しく楽しくも短い東京ライフが終わり、スウェーデンへ帰る飛行機の中で見たのである。この映画、そして、この映画の原作については元同僚のFacebook投稿で知った。元来、娯楽映画にはほとんど興味がなく、特に最近の日本映画になんの関心もない自分としては、どこか別のところで話題になることを通してでしか、そういうものに触れることはないのである。

元同僚のFacebookエントリーについては、僕もコメントでいくらか参加したと思う。この永遠の0という映画そして原作に関し、見なくても読まなくても、想像で、もっともらしいことは簡単に言えるわけで、呑気にコメントを返していたのだと思う。当の元同僚は、やはりコメントのいろいろな反応を見るに至り、さすがにその当の原作と映画を自身で当たらないことには応えようがないと判断したようで、結局、原作の書籍を買って読んだそうだ。その、彼の、長めの感想文も、僕は読んだ。

僕は、というと、この手の戦争映画には意識的に近寄らないようにしている。その理由はそうはっきりはしないのだが、ただ、ある感覚に基づいて「近寄らない」という反応は、かなり尊重していい行動の指針である。何かの危険を、第六感で察知している、と考えてよいと思う。ひいては、人間の社会生活というのは、その「勘」によって成り立っていると言ってもよいと思うし、その勘があればこそ社会はほどほどに平和に推移するのである、と考えて構わないと思う。

さて、それで僕の今回の永遠の0鑑賞だけど、やはり止めた方が無難だったかもしれない。成田からヘルシンキまではおよそ10時間だ。機内ムービーをブラウズして、この映画があったので、Facebookの投稿で知っていたので、見てみようかな、という気になった。それで、どうだったかというと、自分でも呆れるほど、泣けて泣けてしかたなく、どうにもならないほどであった。

僕は機内アルコールを飲みながらほろ酔いで見ていたので、そのせいもあるのかもしれないが、映画が終わり、席を立ち化粧室へ行き、その狭い部屋の中で号泣してしまったほどだ。どうにも自分を制御できないので、化粧室を出て、乗務員のところへ行き、仕方なしにさらにビールをもらい、自分のシートに戻った。ほぼ呆然として、缶ビールを飲みながら反芻したが、やはり、何度も何度も号泣に近い感情に襲われて、まことに参った。ちょうど、そのときに機内は擬似夜間に入り、照明が暗くなったので助かった。あそこまで泣いていると、さすがに恥ずかしい。

冷静に考えれば、この映画はまさに泣かせるために作られていたわけで、僕は単にそれに乗せられただったとも言う。映画や小説などの物語につき、この手の泣かせ方で泣いてしまうことにつき、自分はほとんど重きを置かないようにしている。こういうものを自分は感動とは呼びたくないのであって、むしろ花粉症で鼻水をたらしているに近い、と考えるようにしているのだが、それにしても、今回は泣きすぎである。

それですぐに思ったのは、原作を書いた、あのスキンヘッドの百田尚樹とかいうやつにここまで泣かされたのは、誠に忌々しいということだった。もっとも先に書いたように、むしろ監督と脚本の方がお涙演出を多く入れたからだろうから、原作者のせいにするのは変なのだが、しかし忌々しいことは変わらない。なぜなら、先日の都知事選で、田母神俊雄の応援演説に立った彼の発言を読み、それが非常に嫌だったからだ。さらに、NHKの経営委員でもあるわけで、ああいう男が、戦時中の国を思う日本人を、「現代風に」美化した発言をするたびに、本当に嫌になる。

などなど、悔しいから、いろいろ言ってはみるのだが、やはりどこか自分の琴線に触れる部分があったのは確かなのである。演出による泣き、というのはカタルシスであって、思い切り泣いて感情を発散して、映画から出てきた後はすっきり、というメカニズムなはずなのだが、自分は、今回の場合、見た後もすっきりせず得体の知れない心の疼きみたいなものが続いたからである。

では、それは何か。

実は、それは、わりとはっきりとしている。僕が思ったのは死んだ親父にまつわることだった。親父は今から25年ちょっと前、親父がまだまだ若い58歳の時、僕が28歳ぐらいのときに癌で死んだ。親父が病気になる前まで、親父と自分はそれほどの交流は無く、僕は親父をどちらかというと敬遠していた。人間、癌にかかり死と隣り合わせになると、自然にシリアスになるもののようで、親父が病床にあったとき、僕と親父の間に何度かの忘れがたい交渉があった。普段は決してしない手紙のやり取りもあったし、ごくたまに見舞いに行ったときの、夢の中のような思い出もあった。

最後に、親父が死んで、結局、俺になにを残していったかというと、それは、「お前は士族の嫡男だ」という言葉だった。親父いわく、林家は武家の血を引いているそうなのだ。僕は長男なので、武家の嫡男として生まれた以上、その血に恥じぬように生きろ、ということを、親父は僕に言いたかったらしい。自分はと言うと、そういう重いものを元来嫌っているので、その考えには、表では反発していた。しかし、血の誇り、という概念は、僕の心に深く突き刺さるものであったことは間違いなさそうだ。

今この現代で、士族の嫡男などということがどれほどの意味を持つか、とは思う。第一、林などという姓はありふれたもので、親父は武家の血を引いていると言っているが、これは親父の単なる勘違いかもしれず、実はそのへんの水呑み百姓の血を引いているだけかもしれない。ましてや、親父はその証拠をほとんど残さなかったので、なおさらである。家系図の一つも持たない自分が士族の血を引いていると自負するなど、ほぼ馬鹿げたことだ。

以上の通りなのだが、やはり、僕にはこの親父の言葉は深く自分に影響を及ぼしたようなのだ。いかなることがあっても、決して誇りを捨てるな、卑怯なことは死んでもするな、真実のためとあれば自らを犠牲にしてもそれを貫け、ということだったのだが、なぜ俺はそれが嫌だったのかと言うと、俺は、そういう生まれの宿命から自由になりうる、ということを信じたかったのだ。俺たちには「知性」という、誰にでも等しく与えられている能力によって、その宿命から開放される道が絶対に開けているはずだ、と考えていた。そう考える自分にとって、士族的な責任観念は邪魔以外の何者でもなかった。

理性では以上の通りなのだが、しかしながら、ひょっとすると、俺がこれまで生きてきた、その要所々々での重要な決断は、その士族的責任観念の影響下でなされたものだと思えることは、確かなのだった。これは、自分の理性でうまくコントロールできないだけに、自分には忌々しいものだった。一種の「弱み」と言ってもいいような感覚を持ってしまう。自由になりたいのに、どうしても自由になれない「足枷」のようなものと言ってもいい。

さて、映画の方に戻ると、この映画は、これら自分の弱みという弱みを刺激するように作られていた。今回のような映画を見させられると、否応無く心が反応してしまうのだ。そういう意味で、あの映画の主人公と主要なプロットは、士族の心というものがあるなら、それを、そのままに体現するようにできていた。したがって、自分は、どうあっても心が自動的に反応してしまうのだった。

さて、そういう意味合いにおいてだけど、自分にとってあの映画に、唯一、傷があるといえば、最後の最後のラストシーンで、敵艦に突っ込む直前に、主人公の顔のアップが続き、彼が唇を歪めて瞬間、にやりと笑ったこと、それと、突っ込まれる空母のアメリカ兵たちが英語で、またあのZeroが来たぞ、クソ、なんとかしろ!と絶叫した声が入ったところだと思った。その瞬間に、主人公の日本人としての士族の血はすべて、敵を倒すことに急転直下に転化されたからだ。無垢な誇りが社会的行動に転化する瞬間だ。

この瞬間の出来事は、映画上でもまさに瞬間の出来事であって、合わせて数秒のことだ。しかし、ここに明らかな「美化」がある。あるいは、血の誇りというものが最初から「美」であるのなら、美が行動へ転落する様子がある。単なる「美」が、実質的な「力」を得る瞬間だ。これをもってして、日本人の血に流れるいわば抽象的な武士道的精神が、具象的な日本の政治の力に転化されることが実際に、起こる。

さて、もうこのへんにするが、号泣するほど感動した映画ということになってしまうわけだが、見終わった後、しばらく呆然と考えながら、はっきり思ったことがあった。それは、自分は、ヨーロッパの哲学を知っていて、本当によかった、ということだった。

人間というのは、民族も、血族も、身内も、何もなく、ただ唯一ある神の元に、放り出されたたった一人の絶対的に孤独な存在に過ぎない、ということを前提にして、そこを出発点にして、ひたすら神から与えられた知性に従って思考することで、この世界を構築しようとしたのが、西欧哲学の伝統だ。俺はそれを、身をもって知っている。それこそが、この日本の特攻隊で終わる戦争における一悲劇を描いたこの映画に強烈に現われている、生まれに基づく誇りの観念に対する、唯一の、正反対な、大きなカウンターとしての力に感じられたからだ。ヨーロッパ哲学は、このような胸をえぐる日本的情緒に幻惑された精神に対する、正当な、力強い、カンフル剤なのだ。

少なくとも、自分にはそうだ。何かのために命を捨てるという行為は尊く、神聖なものだ。それは、それで、いい。しかし、決して、それを元に社会を組み立ててはいけない。ヨーロッパ哲学は、その内部に、ほとんど本能的に、そういう洞察を抱いている。それは、ひょっとするとギリシャのソクラテスより、ナザレのイエスをその起源としているのかもしれない。その起源ははっきり分からないが、これは確かなことだと思う。

ところで、僕に士族の誇りを植えつけた親父も、やはりその教養の半分はヨーロッパの哲学と文学から来ている、と自分で言っていた。親父は、苦労の多い幼少時代を送り、自分が本当になりたかった職には付けず、結局、ローカルな会社の重役で終わったが、元来は文学青年であり、その志は死ぬ最後まで捨てなかった。日本とヨーロッパの相克は常に彼の中にあったのであり、その息子の俺は、ほぼそれをなぞるように生きてきた。僕は、心情的にずいぶん親父に反抗したが、やはり血は争えない。そして、この俺には、母方の血も同時に流れていて、そっちはそっちで、また全然違う心が流れている。それについては、また別途書くかもしれないが、ここでは話すのは止めておく。

この永遠の0の原作を書いたのは百田尚樹という作家である。ついこの前の都知事選で、彼は、その応援演説でずいぶんと、日本礼賛な、戦争やむなしな、日本人の誇りを取り戻す時期だ的な発言をしたと聞いている。昨今の日本の右傾化の先端を行っているようだ。知っての通り、都知事選で落選した田母神俊雄は現在の最右翼であり、20代の若年層からもっとも多い票を獲得したとも聞く。そして、百田は、小説家を超え、この映画の原作者として、そして、NHKの経営委員にも任命され、確実に社会に影響を与え、それを操作する側に回っている。

万世一系の天皇を賛美し、愛国心を鼓舞し、他国から日本国を守るためには戦争も辞さず、日本人であることに誇りを持ち、最終的には特攻隊として戦地に散っていった若者たちを究極の愛国者として賛美し、今一度、戦後に混乱してしまった日本人の心を愛国心によって統一しよう、という動きがあることは知っている。この永遠の0という映画は、それを直接な言葉では言わず、見た後に、見た者の心にそういう心を植えつけることに成功していると思う。そして、その原作者は、世の表舞台に出てきて、映画では直接に言わなかったことをはっきりと口にし、日本人たち、とりわけ若者たちにそれを語りかけている。

僕は、今の若者たちがこの構図に対して、そのまま取り込まれ、抵抗せず、共感し、信じ、その思い通りになってしまうことにつき、何も不思議だと思わない。日本の若年層の右傾化はこれからさらに進むだろう。そして、彼ら若者たちに「戦争の悲惨さ」をいくら訴えても無駄だと思う。それは火に油を注ぐだけだ。この永遠の0という映画自体がそう作られていたではないか。戦争の悲惨さは、なんの抵抗もなく、戦争の賛美と肯定に転化しうるのだ。

だから、西欧哲学なのだ。明治維新は実はまだ始まったばかりなのだ。少しも終わってはいないのだ。僕らは、今に至っても、本当に、ヨーロッパの過去のエリート達に学ばないといけない。ヨーロッパは知っての通り、戦争に次ぐ戦争、血で血を洗う長い歴史を経ている。その中で、哲学者たちがいったい、この世をどう考えて、どう結論付けたか、それを学ぶのだ。そういう教養こそが世の中を救うのだと思う。もちろん、ヨーロッパも、この僕らの貴重な日本文化を学ぶべきだ。そういう地道な活動しか、本当の本当は、わかりあう道もないし、平和というものも、無いのだと思う。

以上、映画を見て、機内で考えたことを書いておいた。

共時性と因果律

ここしばらく、ハイエンドオーディオの教祖のような先生とメール上で議論している。その先生は宮原誠北陸先端大名誉教授。実は僕は宮原先生の裏方の手伝いをずっとしてきたのだが、最近になって先生のやっていることに納得がいかなくなり、議論を仕掛けたのである。もっと正直に言うと、納得できなくなったというより、ハイエンドオーディオという自分のネイチャーと反する仕事に関わっていることが、だんだん嫌になってきたのである。

先生の説は、学会ではほとんど認められていない。ほぼ無視されている、と言っていい。若干の論文は通ってはいるが、大半の論文は出しても出してもリジェクトされる。先生もすでに70歳を過ぎ、高齢なのだが、少数の賛同者を集めていまだにアクティブに活動している。しかし、アカデミック関係の方はさっぱりで、先生の説を聞く者はほとんどおらず、したがって、その根本的な部分を徹底的に議論して明るみに出そうなどという人は皆無である。

そこで、この僕がいま、それをやっているのだ。いったいなぜ、先生の説は学会から無視されるのか。どこが学会の方向性と決定的にずれているのか。そして先生の説は果たして正しい方向を向いているのか、などなどということを、行ける所まで議論しようとしている。

さっき、もう関わるのが嫌になった、と書いたが、それは当の先生というより、「ハイエンドオーディオ」の方なのだ。このあたり、僕のどこに心理的な引っかかりがあって、こういう風に感じるかについては、また別途考えようと思う。そこには「なにか」がある。しかし、容易に取り出すことができず、今のところ放置されている。なので、この「ハイエンドオーディオが気に入らない」という話は、先生との議論には出て来ておらず、僕も触れていない。

僕がいま先生と議論している、その道筋は、僕自身の身を「学会側」に置いて、先生の説を真っ向から攻撃することである。

このブログの題に、共時性と因果律と書いたが、僕は、先生の仕事を「共時性」のたまものだ、と考えてきた。非常に率直かつ乱暴に言うと、僕は先生のハイエンドオーディオを「オカルト」と考えてきた。宮原誠はそのオカルトの「教祖」である。オカルトを扱う教祖のくせして、因果律を絶対視する「学会」という世界をいまだに重く見るなど馬鹿げたことだ。そもそもオカルトは科学にはなりえないのだ。それなのに、先生は自身のことを、純粋に、工学的かつ科学的だと称している。自身につき、なにも分かっていないではないか。

と、まあ、こういう風に思ったので、今度はこの僕が「因果律」を絶対視する人間に成り代わり、先生に思い知らせてやろうとしているわけだ。非常に生意気に聞こえると思うが、先生は工学者ではなくアーティストなんだ、ということを自覚してもらいたいということなのだ。先生はその最初は確かに工学者だったが、もう今ではアーティストの域に入り込んでしまい、もう戻る道は無いのだ、と分かって欲しいのだ。

それにしても、自分は共時性側の人間なので、かなり無理をしてこの役を演じており、途中でこれもまた嫌になるかもしれない。

とかとかいうことを、最近しているときに、4年ほど前に自分がブログに書いた共時性に関する文章を見つけ、なるほど、ここに素描されている共時性と因果律の関係が、ほぼ先生に対する自分の考えをきれいに表しているな、と感心したので、この新しい方のブログに転載しておくことにした。それでは、どうぞ。

(2010年 1月11日 Yahooブログより)

昨年末から3冊ほどユングに関する本を読んでいる。特段の理由はないのだけど、少し前に会社が移転し、そうしたら近くに図書館があったので、昼休みなどにふらっと出かけたりして、それで何とはなしに哲学・心理学コーナーへ寄ってみたらユングが目に付いて借りた、というだけである。しかし読んでみたらとても面白く、さらに共感できるところがとても多く、引き続き借りて読んでいる、というわけだ。

しかし、なんだかユングを読んでいるとうちの奥さんの評判が微妙によくない。彼女だって昔は読んだはずだけど、僕が、なんであまりいい顔をしないのか聞いてみると、今の心理学界ではユングはどうやら少数派で、下手をすると異端扱いされている、みたいなことを言う。それで、ネットであれこれ調べてみたら、たしかに、そんな感じのことがいろいろ見つかった。

僕は2冊目に借りた、彼独特の論である「共時性」についての本に決定的に共感し、とても面白く読んだ。

しかし、この当の共時性で当時ユングはずいぶんと評判を落としたらしい。共時性というのは、誰にでも経験がある、いわばありふれた現象を指して名付けたもので、それは、いわゆる「意味のある偶然の一致」のことである。たとえば、ある日の朝、いつもの電車に乗り遅れたせいで、たまたま車中である人に出会って、そのおかげで新しい仕事につながった、とかいうものである。たしかに、こんな話というのは、色々なところで頻繁に聞くような気がしないであろか。

ユングは、こういう、一般的にいわれるところの「因果律」とは無関係に起こる現象が人の運命を変えたり作って行ったりすることに着目し、それを「共時性」と名付けて心理学の研究対象にしようとしたのである。共時性は、その性質上、因果律で説明できない。まったく無関係な二つの因果(前の例なら、自分が電車に遅れた原因、と、出会ったその人がその電車に居合わせた原因)によって、ある時間に同時に生起した出来事(同じく前例では、車中の出会い)によって、生命の上に新しい「創造」が生まれる(前例では、新しい仕事が生まれた)、という、いわば「どこにでもあること」を科学の上に乗せて論じようとしたのである。

そして、ユングの試みの結果どうだったかというと、かんばしくなかったらしいのだ。まず、共時性の科学的分析はあまり大きく育って行かなかったようだ。たぶん、問題設定が科学的分析に向かなかったのだろう。加えて、常識がただの「偶然」として処理していることを、それとは違った角度から説明しようとするその態度はいきおい、「迷信的」「神秘的」に傾かざるを得ず、さらに悪いことに、ユングは共時性の題材として「易学」や「占星術」などを持ち出したものだから、結局、予想されるどおり「非科学的」のレッテルを貼られてしまったようなのだ。

現代の常識では、易学などは「統計手法」の応用として理解することで処理するのが一般的である。しかし、ユングはこの解釈法については真っ向から反対していて、まったく違った解釈と理解をしようと試みる。その言葉が、当の易学を専門としている人たちの神秘的言動に近くなるのは、むしろ当然のことなのだが、そういった言葉は、現代人が常識として寄って立つ科学の道と著しく反目してしまう。

さもありなんの成り行きである。ユングがこの共時性を言い出したのは後半生でのことで、彼自身、世間に発表するのをずいぶんためらっていたようだ。恐らく、世間の反応がくまなく予想できていたからだと思われる。しかし、彼はこの考え方が遠い未来に重要になるはずだ、と信じてあえて発表したようだ。ユングは、自分が生きている間にこの共時性の学問が花開くなどとは、まったく期待していなかったように見える。傍から見ると、途中で放り出してしまったようにも見える。

さて、自分は、というと共時性的出来事の神秘性については、ほぼ言葉どおりに信じている。

たとえば、卑近なところで言えば、ひところ流行った血液型占いというのがある。僕は決して血液型がどうのという言動はしなかったし、今でもしないが、実は、否定もしていない。ときどき血液型占いの無意味さを口を極めて攻撃している人がいたり、あるいは、あれはただの日本人の血液型と性格に関する統計を利用しただけだ、という人がいたり、あるいはあれは罪の無い遊びの一種で特段の意味はない、という人がいたり、いろいろである。しかし、ひそかに僕は、それらとは全然違う考え方をしていたのである。

なぜ、「密か」かというと、この辺、自分はずるいのだが、攻撃派とまったく違うことを考えていたからといって、血液型占いを信じて使っている人たちに自らがなるわけでもないし、攻撃派が目の前で攻撃しているのを見て擁護派に回るわけでもなく、黙って他人のふりをして静観しているだけで、実際、あまり潔い態度とは言いがたい。

ただ、僕には、攻撃している人たちの攻撃しているモノが、ことごとく例外なく的外れに感じるだけである。

その理由はユングその人の言っていることと同じで、どの攻撃も、すべて「因果律」を元になされているが、その攻撃対象は因果律とは根本的に違う次元にあるものだからである。攻撃している人たちは、結局、「因果律が設定できないことはバカげている」と言っているだけなのである。なんでバカげているかというと、因果律の発見とその適用こそが人に繰り返し利益を呼ぶ、と考えているからである。そして、因果律が発見できないと利益の保証がされず困ったことになると考えているからである。そして、これらは、みな、正しい。しかし、その論理の最終目的が「利益の保証の確保」にあることは間違いない。

人生において、保証された利益は重要だが、それとはまったくタイプの異なる利益も重要なのだ。その利益は保証されはしないが、人に生きられ、新たに作られる性質のもので、結局のところ「創造の喜び」に相当する。保証された創造、というのはあり得ないはずで、本当に生命的な創造というのは因果律からは出て来ない。

そして、この「創造」がなければ社会の進歩もなく、進歩がなければ最終的には保証された利益だって得られない、ということはほとんど常識に属する。したがって、因果律と同じかあるいはそれ以上に大事なものが現に「ある」わけだ。ただ、人は、これに共時性などという名前を付けて、こともあろうに易学を持ち出し、それを科学の一分野である心理学で扱うなどということは許さないのがふつうだ、というだけだ。

そうなると、たぶん、もっとも穏当で、常識的で、バランスのとれた、そしておそらく妥当でもある態度は、人生は「因果律」と「共時性」のハイブリッドで渡ってゆくもので、どちらも大切で、そして、そのバランスの取れた配分を会得することが重要である、という風に対処することであろう。

でもね、こんなところで自分はひねくれてもいて、上記のハイブリッド案は妥当と認めながら、自分自身によくよく訊ねてみると、こういう「いいとこ取り風」の、皮肉っぽく言えば「乙に澄ました綺麗ごと的」な考え方が、「嫌い」なのである。実は、この辺りに自分の無意識に頑固に居座る「なにか」を感じるのだけど、その正体はまだ、分からない。

長くなり過ぎたし、この辺で止めるけど、しかし、まあ、ここまで書いてしまうと、またうちの奥さんの評判、悪くなるだろうな~(笑)

カポーティ―の「冷血」

5年前ぐらいにヤフーブログに書いた文だが、たまたま読んだら面白かったので、ここに載せておく。

先週ぐらいから、アメリカのカポーティーという作家の「冷血」という本を読んでいた。自分は過去に読んだ好きな本の再読を思い出したようにするぐらいで、まず新しいものを読まないので、実に久しぶりである。結果、夢中になって読んでしまった。久しぶりに本に夢中になって下車駅を乗り過ごす、などということもあった。改めて小説というのは面白いものだ。もっとも、これは映画も、漫画も、テレビも同じ。受け手を惹きつけておけないものは残りはしないはずだから、当たり前なことだ。

二人組みの男がとある田舎の屋敷に忍び込み、そこに住む地元の名士のような誠実で立派な家族4人を惨殺して逃げ、さんざん逃げたあげく捕まり、刑務所に入り裁判にかけられ死刑を宣告され、そして最後に刑が執行される、というだけの物語である。この二人は、いわゆる社会の底辺にうごめく大量の人間たちの中の一員で、めいめいさまざまな形で社会に対して不満を持ち、信頼感を欠き、社会での自分の位置を見失って、そのほとんどの時間を我執と欲望に従い行動し、最下層に向かって抗し難く落ちて行き、それを止めることができない、そんな人たちだ。

この小説には、この二人の男の周りの実に多種多様な人間たちが描写されている。彼ら二人とその家族のめいめい、そしてその周辺の下層を生きる人たちなど、そしてその丁度反対に位置する、惨殺された何不自由ない立派な一家、地域社会に誠実に生きる人たち、事件の捜査官たち、裁判官たち、群知事など偉い人たち、など。結局、最後まで読み進むと、この二つの陣営の人々の対照はかなりくっきりとしていて、永久に分かり合えない、混じり合うこともない、水と油の層を形作っているように見えてくる。

舞台はアメリカなのでキリスト教徒は至る所に出てきて、この水と油の橋渡しをしようとするように見えることもあるのだけれど、その効果のほどは説教の言葉とともにむなしく消えてゆく、という印象がある。永続を約束するそれら宗教の言葉は実に無力だ。しかし、それに対して、進行する物語の中で、それぞれの陣営に属する人の、相手の陣営の人に対する個人的な共感のようなものが、ある瞬間きらりとひらめくような場面がばらまかれている。光った次の瞬間にはすぐに消えて元に戻ってしまうのだが、でも、この長続きしない短命な光だけがこの両者を結びつける唯一の道のように見えたりする。こういうまるで法外とも見える「共感」は、理屈や、生活観や、習慣や、規範といった、およそ理性的なものと無関係に現れては消えてゆく。まるで前世に何らかの関係なり血縁なりがあって、その遠く忘れられた記憶が本人の意思と無関係に現れては消えてゆくようだ。

さて、それとは別に、読んでいて思ったのは、上層に生きる人たちの、社会に対する義務と権利に裏付けられた生活の単調さである。それに対して、下層に生きる人たちの苦しみと不幸とつかの間の喜びなどがごっちゃになった生活の多様さは呆れるほどだ。生活の単調さだけではない、心の動きも同じだ。苦しみや喜びに安定しない心、高揚し、失望し、やけになり、怠惰になり、また高揚し、ということを果てしなく繰り返している中で、およそ上層に安定する人たちには思いもつかない、大切なものをつかむことがある。もっとも、つかんだ後にそれを育てて大きくするすべを知らず、すぐに手放して無くなってしまうのだが。

さてと、そろそろ阿佐ヶ谷に歌を歌いに行かないといけないので、中途半端でここで止める。

これを書いたカポーティは、二人組みの殺人者の特にペリーの方に異常な感情移入をしたとのことだが、僕も同じだ。心のどこかで「こいつはこの俺だ、俺のことだ」という気持ちを感じる。もちろん僕は、彼のような不幸な生い立ちでは決してないのであるが、しかし、やはり、血縁なのだ。

2009年2月1日

東京五輪決定のこと

(Facebookに投稿した文)

東京五輪決定、みなにならって、まずは、おめでとうと言っておこう。

スウェーデンにいるんで皆より反応が遅いんだが、今朝起きて、東京に決定のニュース見て、へえー、と思った。僕のネット環境ではネガティブ意見の方が目に付いたので、蓋を開けて日本ポジティブに転んだのが少しだけ驚き。ただ、最後に残った3国を見ると、これって東京しか選べなくないかな、と思っていたので順当といえば順当だったのかもしれない。

ところで、「僕のネット環境」と「あなたのネット環境」って、これは激しく違うよね。特にSNSを日常的にやっていると、情報ソースがそれぞれの環境ではなはだしく異なるからね。オモシロい、ヘンな世の中になったもんだ。

あともう一つ意外だったのは、東京への放射能影響はそれほど重大視されなかったかったんだな、ということ。東京の放射能汚染についてはほとんど実態が判然としない状態で、各国の代表たちは本当に東京に来るのかな、と思っていた。代表が来るのを辞退したらオリンピックは成り立たないので、東京はダメなんじゃないかな、と思っていた。でも、250キロ離れてるから、まあ、大丈夫でしょう、という判断だったんだね。

個人的に、僕はスポーツが好きじゃない超インドア野郎なので、オリンピックにもあまり興味はない。もっとも、テレビの無い我が家でも、オリンピックとワールドカップについては、壁の共聴コネクタに鰐口クリップで長いビニール線をつなぎ、延々と引っ張って使ってないVHSレコーダのアンテナ入力につなぎ、プロジェクターで見る、みたいなことは、やってた(あ、こんなこと書くとNHKが集金に来るかな 笑)

スポーツも、見れば、面白いんだよね、見ないから無視してるだけで。あと、スポーツもやれば面白いんだよね、やらないだけで。当たり前だ、だってスポーツって娯楽だもん。

経済効果は多大ということで、あと7年の間にあれこれのいろんな仕事が生み出されて、結果、社会に活気は出るだろうね。反面、さまざまな、小さくて、吹けば飛ぶような、でもこれまで日陰の文化として永続してきた、そんなようなものは邪魔であれば一掃されてしまい、翌日からは無かったものとみなされるようなことが進行するだろうね。

前々回の北京オリンピックでも、北京の古い街並みはかなり一掃されたからね。フートン(胡同)と呼ばれる古きよき北京の面影を伝える古びた街並みは、かなりのエリアで更地になったと聞いた。オリンピック前に北京へ初めて遊びに行ったとき、このフートンを散歩して、古い中国の変わらぬ情緒に浸ったのを思い出す。上半身裸の男が行き来して、老人が道端に座ってぼんやりしていたり、子供たちが走り回っていたり、とても気持ちがいい空気だった。

中国政府は強引が許されているから、とあるフートンの立ち退きの時は、2週間前通告ののち有無を言わせずブルドーザーで取り壊しというのも、聞いた。

東京は中国みたいに乱暴なやり方はできないだろうが、結果的に同じことが起こるのは確実だろう。

元来、僕は、「みなで同じことをする」のが子供時代から苦手だった。そんな自分は、たとえば合唱とか恥ずかしくて仕方なく、やむなくやるときは声は出さず歌う真似をしてしのいでいた。そんな自分もバンドでワントップで弾いて歌うのは少しも恥ずかしくない。「合唱で人前で歌うの恥ずかしい」「えー、だって林君バンドで歌ってるじゃん」「一人は恥ずかしくないけど、みんなで同じことするのは恥ずかしい!」「それって逆だよ!」という会話を何度かした覚えがある。

あ、あと、アイドルのコンサートかなんかで会場でいっせいに「おう!」とか「へい!」とか言ってこぶし突き出すのも、恥ずかしくて見ているだけで穴があったら入りたくなる(笑) ましてやそのアイドルがバーチャルだったりすると、もう訳が分からず反射的に目をそらしてしまう。だって、このバーチャルキャラを裏で動かしてるのってすね毛が生えた腋臭な野郎どもだぜ?って言いたくなる(失礼)

そういうひねくれものなので、まあ、東京五輪で浮かれるのは無理。これはネガティブとかそういうんじゃなくて、個人的な性格そのものだ。

そういう性格なので、おのずと、名も無く、変哲も無く、およそ力というものを持たず、吹けば飛ぶような、しかし、長い長い時代に渡ってしっかりと持続し、自立してきた、そんな「文化の形」というものに、過度に愛着を感じる、ということに、相成るわけである。

「失われ行くもの」、という言葉は、常にその失われようとしているものについての生命の微妙さとかけがえの無さと永続性とを表している。また、はかないからこそ貴重なのである、というところも命と同じだ。何度でも自動的に生き返るような代物は命とは言わない。

僕は、宮崎駿の作品をなんと一つも見ていない、という非国民なのだが(すいません、アニメが苦手なんです 笑)、彼が最近引退表明した。最後の作品の評やそれについての彼自身の言葉をいくらか読んだけど、彼自身、そういう、悪い目線だけで壊れてしまうような、しかし持続する変哲ない民族の心のような、そんなものをただ大切にしたかった、みたいな記述を見かけたところを見ると、きっと僕の感覚に近いんだろうな、たぶん。

というわけで、持続する目立たない文化の方が自分には重要なのだ。作り出されては消えて、また、さらにでかくなって作り出されて、また壊して作って、ということを平然と延々と繰り返し、世の中をおそろしく乱暴な手つきで平らにならして行くような、都会の上層で行われている喧騒とはほぼまるで無縁な、持続する小さな文化である。

オリンピックそのものは、まさに永続する世界文化の形なのは間違いないので、それに嘆息するいわれは無い。しかし、オリンピックを、経済活性化を伴うイベントとして見ると、やはり自分はあまり近寄りたくない代物になってしまうな。本当に貧しかった50年前の日本とは事情はずいぶんと異なる。逆に今回も、もっと適任な国もあったのかもしれないね。ただ、昨今のオリンピックはイベント規模がエスカレートしているので、世界が納得するオリンピックを開催するのは貧乏な国では難しいだろうしね。

正直言うと、そういうイベントのあり方がアメリカ的に見えてしまい、これが世界文化の主流であらざるを得ないわけで、その方向性に逆らえる文化は今のところ無さそうだな、という風に見えるんだけど、そんなことを言い出すと不穏なので、これ以上は言わない。

まあ、とにかく、あと7年間、日本は威信にかけてがんばります、っていうことになったわけで、事態を好転させざるを得ないし、たくさんのおこぼれもあるだろうし、悪いことではない。

ただ、その影で音もなく消えて行く貴重な日本の文化というものを、五輪誘致決定のニュースを見て真っ先に思ったので書いておいた。

テクノロジーピープルとアートの素養

「それにしてもテクノロジーピープルはいい加減きちんとアートの古典を勉強するべきだと思うよ、マジで」

なんていうきいた風な口をきいてツイートしたんだけど、あまりにあいまいで、あと、このツイートの後

「これからのテクノロジーにはアートの素養が必要だとかクソ真面目な意味というよりは、テクノロジーピープルと称される人々はアートを学んで自衛しないとますます食いものにされるだけだよ、というぐらいの意味。」

などと補足したが、これじゃ余計にわけが分からないので、ちょっとここで補足しておこうか。

実は、この手の警句じみたあんまり意味の取れない文句は、書いている自分もあんまりはっきりした意味なしに書いているのである。というか、なんとなく思いつきのカンで書いているのであり、この文句につき、自分にはっきりと主張できる意見というものがあった上で書いてるのではないのである。

ただ、いずれ自身のカンから出た言葉なので、カンが間違っていなければ、あとから自分の言葉を補足したり、解説したりはできるはずで、もしそれが出来なかったとしたら、単に口から出まかせを言うやつということになってしまうわけだ。もっとも、それもいいのかもしれない。ひょっとすると世の中のかなりの「目立つ人間」は、そういう一種無責任なノリで発言をしているかもしれない。いや、たぶん、そうだろう。しかし、それはまた別の問題だ。

ただ、この言葉、知り合いの若い子が少し反応してくれたんで、やっぱりいわゆる「解題」を書いておこうかな、と思ったのである。

ただ、本音を言うと、書きにくい。自分は仕事がらテクノロジーピープルの一員なのであり、僕のいわゆる仕事仲間もテクノロジーピープルが多いわけなのである。その人たちは自分の知り合いなので、なんだか、この「少しはアートの勉強しろや」ってのが、その人の中の誰かを指して言っているように思われかねないからである。でも、そんなことを言っていたら、なんにも言えなくなるし、面白くもないので、この個人ブログにでも書くか、ってところである。むろん、誰それを名指しで批判したりしているつもりもなければ、悪意もまるで無いのだ、と前置きしておこう。この先、読むんだったら他人事だと思って読んでほしい。あるいはもし思い当たるふしがあるのなら僕のような年配からよくある苦言かなんかだと思ってもらってもいい。

実は、なんで冒頭で紹介したツイートみたいなことを言いたくなったかというと、先日、学会から放送のインタラクティブコンテンツについて書いてくれと頼まれて原稿を書いたのだが、その最後の方に、こんなようなことを書いたのである。

「テクノロジーがアートで終わってしまってもいいじゃないか。それにしても、これからのテクノロジーはますますアートの素養が必要になって来るだろう。ただ、そのテクノロジーアートが本当に開花するのは、テクノロジーピープルがアートの素養を身に付けたあかつきの、そのまた後になるだろう」

これを書いたとき、僕の頭の中に、かのスティーブ・ジョブズがあったのは確かだ。彼はテクノロジーピープルではなく、基本、クリエイターでありアーティスト系の人間だろう。その彼が、テクノロジーの最先端を率いて自身のアート的理想を注ぎ込んで、かの世界の賞賛の的になった発明を生み出したわけだ。僕は、ジョブズのファンではない。むしろ、テクノロジーピープルの一員として、ジョブズみたいな傍若無人な人間と働くのは、はっきり言ってごめんだ。

まず、一つ言えるのが、ジョブズが自身のアート的理想をきっちり具現化できるところまでテクノロジーが進歩した、そんな現代の世の中になったということだ。すでに現代ではテクノロジーとアートは切り離すことのできない代物になっている。そんなときに、テクノロジーピープルが昔のまんまのナイーブな「技術者」に終始していた場合、単にわけも分からずクリエイターたちに利用され、それで終わっちゃうだろう、と思うわけだ。

特に心配になるのが、堅物の技術屋ならまだいいんだが、自分がテクノロジーを提供してアートの理想の実現に一体となって参入している、という一種のロマンチシズムを持っている人だ。ジョブズが分かりやすいので、まだジョブズを引き合いに出すが、ジョブズの抱くクリエイター的理想の実現にテクノロジーを提供して全力を尽くし、偉大なアーティストを信奉して貢献する、という光景はうるわしくはあるのだが、もし、そのテクノロジー人間が当のアート自体をはっきり認識し理解しておらず、単にアートという言葉の響きにロマンを感じる程度の場合、なんだか見ていて気持ちがよくない。

これは自分の憶測だけど、そういうアートに対するロマンを抱いたエンジニアって、けっこう存在しているんじゃないかと思っている。それで、そういう人が情熱的で、いい人で、素朴だったりすると、ますます救えない感を自分は抱いてしまう。

だって、アートって、エゴなんだぜ。実はアートって恐ろしいもので、通常、有害なものなんだぜ。

この基本をテクノロジーピープルが理解していない場合、いいようにアーティストのエゴの犠牲になる図式が見えてやりきれなくなる。まあ、本人、それでいいのだろうし、他人の俺が介入する余地はないだろうし、理想に向かって身を粉にして働いているのだから、本人幸せだし、達成感もすばらしいだろうし、文句は無いはずなのだけど、エンジニアのひとりとして自分が見ると、どうにも嫌な光景に映ることがある。

アートを高尚だと思い込むのも、ナイーブなエンジニアの悪い癖で、高尚なものに奉じているのだから、それで幸せなんだか、あるいは、その高尚さで貧弱な自我を隠して見えないようにしたいんだか知らないが、心理学的に問題を感じることもある。

ということで、エンジニアにはぜひ、アートの古典を勉強して、エゴなアーティストにタダでいいように使われないようになって欲しい、と思うのである。あるいは、別に使役されていてもいいが、自分が本当には一体何に、どのような経緯で、使われているか、自身で正確に把握して、仕事してほしいのである。それならいい。生きるためだもの。

さて、僕のツイートで言うところの「アートの古典」の「古典」という言葉についてだが、古典といっても、ルネサンスからレンブラント、バッハからモーツァルトとかの古いことを言っているわけじゃなくて、近代以降のことである。絵画だったら印象派以降、特に、フォーヴィズム、表現主義、ダダ、キュビズム、シュールレアリスム、ポップアート、などなどのモダンアートが出たところから後である。歴史で言えば近代史ということになると思う。ただ、その、伝統に基づくアカデミズムに反逆するモダンアートというものが、どんな背景で生まれたかについて正確に理解するにはルネサンス、あるいはもっと前からひも解く必要があるわけだが、そんなことしてたら美学生みたいになっちゃうわけで、そこまではやることはないと思う。

僕の頭の中にあるのは、やはり、昨今のテクノロジーアートなのである。このテクノロジーアートは、昨今、なんだかホントに食えない代物になりつつあるような気がする。アートっていうのは、単に新しいことやればいいわけじゃなく、単に面白いことやればいいわけじゃなく、単にテクノロジーをアートっぽく移し替えればいいわけじゃなく、それだけではダメなんだが、実際に氾濫するテクノロジーアートの大半は、それである。

そりゃあ、数うちゃ当たるわけで、中にはいいものもあるし、そういう混沌とした世界から次世代の新しさ、というものが生まれる、と言ったっていいけれど、僕はあまり賛成しない。ただ、むやみに楽しいからってテクノロジーをいじって珍奇なものを大量生産している光景は、見ているとげんなりする。特にテクノロジーの一般人たちに、少しの新規アイデアさえあれば作品まで持って行ける環境とスキルがかなり簡単に付与されているせいで、この光景は拡大している。

とある古株の先生が、いつだったか、NHKで、ダビンチの最後の晩餐をフォトショップでレタッチして、元の画像を復元した、というのをやっているのを見て、それこそ頭から湯気を出して怒っていたことがある。芸術に対する冒涜だ、というのである。ここでは、当の行為が冒涜か否かはそれほど大事じゃなくて、問題は、「冒涜だと怒る人間の感覚」の方であり、「フォトショップレタッチでダビンチの真相を再現したいと思う人間の感覚」の方なのだ。すなわち、その人の日常感覚が、アートにかかわる行為を見たとき、それに対して「心理的に、無意識的にどう反応するか」ということである。

すなわち、ダビンチの作品を巡って「行動する人たち」の感覚の問題なのだ。僕は、ここで、即座に反射的に、冒涜だ、と怒る感覚を大切にしたいのである。本当に冒涜かどうかは後で考えればいい。そういう心が、大切だというのだ。

それにしても、別に何をレタッチしても構わないが、ただもう無邪気に、ダビンチという古典の大芸術家の真相に近づくために、フォトショップというテクノロジーを使って、それを解明したい、という、その「無邪気さ」は、本当に救えない印象を与える。無邪気なのだ。素朴なのだ。善意なのだ。何にしても、「いい人」がそういうことをするのが一番救えない感じを持つ。悪いやつは何をしてもいいが、いい人がただもう無邪気に下らないことをする、というのは何という害悪だろう。

たとえば、そういう善意の人たちって、モナリザにヒゲのいたずら書きをしたマルセル・デュシャンとか、ちゃんと知っていて、それでその行為をちゃんと理解しているだろうか。アンディ・ウォーホルがキャンベルのスープ缶のシルクスクリーンを刷ってアートだと言って量産したときの、そこに群がった人々の喧騒とウォーホルの孤独をちゃんと感じ取っているだろうか。そんなはずはないと思う。

テクノロジーピープルって、ピープル呼ばわりしたのは、一般人のことを言っているからだ。エンジニアの中にも抜群のセンスの持ち主は一定数必ずいる。そういう飛び抜けたエンジニアは、アートの古典は理解しているし、仮になんにも勉強したことがなく、古典など知りもしなくとも、そういうことはカンで理解しているものなのだ。だから、そういう少数の優秀者は放っておけばいいのである。問題は一般人の方だ。さっき、そういうエンジニアピープルがアーティストにいいように使われるのが忍びないと言ったけど、今度は、そのエンジニア自身がアーティストになりテクノロジーアートを作り出している場合は、忍びない、だけじゃ済まなくなる。

もうこれ以上は言わないが、頼むから、そういう人々に、モダンアートの歴史を勉強して欲しい。そして、そのモダンアートの作品の意味を理解できるようになって欲しい。今の現代の僕らが、無邪気にテクノロジーでめちゃくちゃなものを作って遊んでいられるのも、過去のモダンアートの黎明期に、多くの才気あふれる芸術家たちが、伝統を受け継ぎながら、それと戦い、そして苦々しくも厳しい実践を経て、それで勝ち取った歴史があるがゆえだ、ということを認識してほしい。彼らの多大な知的努力の上に、これらのほほんとしたテクノロジーアートが許されているのだということを知ってほしい。そして、無邪気な僕らのアートとて、そういう過去の芸術家たちの筋金入りの理性と理論が、今でもその裏を支えているのだ、ということを認識してほしい。

以上が、自分がテクノロジーの人たちもモダンアートを勉強した方がいい、という言葉のだいたいの意味なんだが、まあ、ここまで書いてみると、もうどうでもいいかもしれない。こんなに一生懸命に言ったところで何が始まるわけでもない。というか、古い世代の人間の言うことであり、俺も若い世代に説教をする年頃になったか、というだけかもしれない。自分は説教は得意じゃないし、好きじゃない。ただただ、見ていていらつくことがあるので、その意趣返しに書いているだけだ。

僕の仕事は、実は、まさにテクノロジーアートなのだけど、自分は、正統派として、現代の趨勢の否定と、伝統からの脱出、をかかげて仕事するよ。それをテクノロジー界で自らがきちんと示すことが大切だ。愚痴を言っている場合じゃないし、啓蒙はがらじゃない。このへんにしておこう。

三島由紀夫のこと

(Facebookに投稿した文)

お袋が三島由紀夫についてツイートしていたので、ついついまた思い出して、少し過去をあさってしまった。

そのツイートも、三島由紀夫が大大大嫌い、というもので、お袋らしい(笑) 一方、もと文学青年だった死んだ親父は、三島由紀夫の初版本を持っていたり、もちろん相当の敬意をいだいていたはず。息子の俺はというと、三島本人と、三島の小説と、三島の言う日本については、実はどうしても生理的に受け付けないのだが、理性では受け付ける。三島の文学の凄さは少し読めばすぐに分かる。ああいうのを天才、そして異彩というのだ、と言いたくなる。三島の日本論も理屈は分かるし、賛同するところも多い。

しかしながら、生理的にダメなのはいかんともしがたく、俺は三島が好きだ、とはとても言いがたい。この父母にしてこの子あり、といったところだろう。

そういえば昔だれかが、三島由紀夫って名前、なんか青春っぽいよね、あれじゃ40歳とか過ぎたら恥ずかしいよね、って言ってたっけ。

そうだ。東京の僕のうちには、三島由紀夫と東大全共闘の討論を記した本がある。対話がそのまま書き起こされていて、最後に、討論を終えた後に、三島と全共闘がそれぞれ書いた文章が並んでいる、そんな本だ。この本、よく、寝る前に寝床で読んだっけ。何だか、これが好きなんだ。

この討論会は三島自決の1年前のものなんだ。YouTubeでは討論を撮ったフィルムも見られる。動いている三島だけど、さっき書いたように自分は生理的にダメなんで、閉口する感じで見るんだが、自分の前ふり演説が終わって、次に学生がしゃべっている演壇の片隅に座って、うまそうに煙草を吸いながら、学生と一緒に笑うその姿は、やはり惚れ惚れとしてしまうし、いま見るとどうしても泣けてくる。

三島由紀夫が演壇に立ったとき、「灰皿はないんですか? ここは煙草ものめないの?」「床にどうぞ」「ああ、そう、床ね」という会話があったようで、このさりげない会話が何だかこのあとに続く相当に混乱した対話に先立つ、ピアノの最初の一音みたいで、それが大好きだった。

さっき、名前が青春してる、って書いたけど、こういう討論を見ると、三島も学生も若い。物理年齢のことを言っているのでも、個人の精神年齢のことを言っているのでもなく、彼らと、彼らをそのとき収容した東大の教室の空間と、空気と、すべてをひっくるめて、その時代そのものが若い。

ノスタルジーなんだろう、たぶん。だから間抜けにも泣けてくるんだろうが、今どきの日本に、こんなピュアな人間たちがどこかにいるんだろうか、と、見ていると言いたくなる。どこを向いても金と私欲と偽善と嘘ばかりで息が詰まる、と言えば言いすぎだろうが、しかしやはり過去は戻らないんだ。

まあ、だから懐古趣味ってわけだ。

でも、ひょっとして、もし、それがただの懐古趣味じゃなかったとしたら? 実は、日本が本来、いまこそ取り戻さないといけない「精神」だったとしたら? その日本精神を蘇らせることこそが未来の俺たちが正しく再生する道だとしたら?

そして、もし、その精神が「絶望的に失われつつあり、蘇生が完全に不可能なもの」だということが動かしよう無く、厳然たる事実だったら? そのときは、いったい、どうすればいいのか。

これは俺の自分勝手な三島自決解釈なんだけど、以上のことを三島はその中に持っていて、それで自決したのだと思う。そのせいで、自分は昔、三島の自決は「日本との心中だ」と書いたんだ。すでに当時、ずたずただった日本を見て、こんな日本を楽に死なせるのに人手はいらん、俺一人で十分だ、と思ったのではないか。一見、当時の堕落した日本と刺し違えて散ったように見えるけど、その実は、愛するからこそ殺した、つまり心中に近い行為だったんじゃないのか。そう思ったのである。

そして、その自分の考え方は今も変わらず、三島の割腹自殺は、それこそ江戸時代の心中もののように、ただただ、痛ましくて、悲しい出来事に見える。

彼ほどの人間が、その当時の日本の趨勢と、向かおうとしている方向を見誤るなど、俺はあり得ないと思う。誰よりも正確に把握していたと思う。だから、当然、自衛隊駐屯地に閉じこもり、広場に自衛隊員を集めさせて、檄文を撒いて、バルコニーで一人演説したときも、彼の言うことに賛同する自衛隊員など、まず皆無であろうことは、彼が一番よく知っていたはずのことだ。

したがって、最初からの覚悟の自決なのは間違いない。自ら作ったストーリーに沿って死んだわけだ。そういう意味では、この行為は三島の創作の一つであり、文学的な、個人的なものである、という風に片付けるのが、まずは、順当ということになる。

時の首相は、狂ったか、とコメントしたわけで、たしかに、それが順当な解釈だ。

でも、もし、気違いじゃなかったら? 狂ってなかったら?

そうしたら、今この現在に、私は正気でござい、とのほほんと暮らしている自分は、三島に涙したりして、いったいどうしようと言うのか。こういうものは、まるで棘のように、心のどこかに刺さったままになっているんだろう。まあ、死ぬまでの間、人生逃げ切れば、それで結構だろう、と日々忙しく上の空で生きているわけだけど、そんな自分にも、こんなような棘がたくさん刺さっていて、突然何かの拍子で痛みが走るのだ。

それで、改めて気付くんだよ。俺たちの過去に、こんな人がいたんだということを。痛ましいじゃないか、悲しいじゃないか。そして、切実に思う。三島さん、なんで、いまこの現代の日本にいないんですか、なんで死んじゃったんですか、と。

以上、死んだ親父譲りのノリで考えるとこんな感じ。

で、今も元気なお袋のノリで考えると、三島って、生理的に、大大大嫌い!(笑

三島由紀夫vs東大全共闘:http://youtu.be/Eo6o2WDl88k

幽霊について

夏は幽霊、ってことで幽霊についてつらつらと。

実は、Facebookかどこかで幽霊についてコメントしたら、ある人から、林さんの言うことはなんとなく文学的でよくわかりません、林さんにとって幽霊って何ですか、と端的に聞かれたので、たしかに、と思ったのである。それ以来、ああ、幽霊について書いておこうかな、と思っていたのだけど、そのままになっていた。

自分は重い腰を上げてしか書かないので、今回もそうなんだけど、まあ、書いている。本当は自分はもの書きで生計を立てたいと思っているのだけど、これでは明らかに難しい。だから、きっと、いまだに文章で生活して行くことができていないんだろう。ま、それはいいとして。

Facebookにも書いたし、ことあるごとに言ってはいるんだけど、自分は幽霊は信じる側である。ただ、文学的に信じている傾向は確かにあって、「幽霊というのはこうこうこういうもので、その存在を信じています」と、端的な言い方で言えない感じがある。なので、自分は幽霊を信じますよ、と言って、人に、どういう風に? と聞かれてしまうと、どうしても話が長くなってしまう。なぜなら文学的に、なかば観念的に信じている傾向があるからだ。

そんなのは信じてる、っていえるのか? そんな回りくどい説明じゃなくて、そのものずばり、幽霊という「実体」をお前は信じているのか否か? と詰め寄られたときどう答えるか考えてみると、自分は、それでも、「信じている」と答えると思う。

ここで「実体」に関する、果てしない文学的、あるいは哲学的な考察に入っていってしまうのは話が違っちゃうし、止める。と、いうか大変すぎてできない。自分としては、だいたい2000年に入ってからだと思うのだけど、「実体」とか「事実」とかいうものが、見る見る間に解体されて行くように感じ始めるようになったことは確かで、これについては以前、このブログの「事実とは何だろう」にくどくど書いておいた。

実体や事実が解体されてしまえば、もう、幽霊を信じる信じないも、ない。現実そのものが幽霊みたいなもんだ。最近ときどき、2000年から10年以上経ったけど、このままどうなってしまうんだろう、と思う。もっとも、困ることはない、むしろ解体が本当に終わったらすっきりすると思う。

さて、幽霊の実体についてだけど、自分には、幽霊を「見た」という経験が皆無ではないけれど、とても少ない。人の形をした幽霊は見たことが無い。見たことがあるのは、今思い出せる限りでは2回で、いずれも「渦巻き」だった。幽霊とは呼べないかもしれない。

一つは、昔住んでいた家の近くにあったうらびれた神社で婆さんがお祈りしている光景に偶然遭遇し、そのとき周りの木々が婆さんを中心にざわざわと渦巻いて見えたこと。もう一つは、恐山の宿坊に泊まったとき、夜、独りで野外の風呂小屋に風呂に入りに行ったとき、脱衣場の天井の隅っこに渦巻きが見えたこと。この2回である。いずれも時間にして数秒の出来事で、いずれも気味が悪くなり、逃げ出した。

と、ここまで書いてなぜだか感じるのだけど、なんだか、自分は何度も幽霊を見ているような気がしてきた。どうしても思い出せないけれど、何度もどこかで見ていて、しかし、でも、自分が、それを、故意に覆い隠して、忘れているような気がしてきた。

何で、こんなことを思うんだろう。

やはり、それというのも、死んでしまった「なにか」が、今でも生きている、と感じることが多いせいかもしれない。

一番簡単に解決する考え方は、たぶん、現に今生きている人の中に死んだ人の思い出が残っているということ、そして、死んだ人の残したものが、現に今物理的に残っているということ。そういう、過ぎ去った過去の残存物が、現在生きている人をして、あるタイミングで、幽霊という心的実体としてその姿を現す、という考え方だろう。つまり、死んだ人は既に完全に「無」なのだけど、この世に残った残存物が、現在の人の心象風景に現れる、ということ。すなわち、幽霊は徹底的に現に生きている人の心が作り出した単なる心理現象である、という風に考えることが、一番、ありそうな、そして、一番科学的に感じられる解決なように思う。

でも、本当に、そうか。

この考え方で説明できないのは、まったく関係の無い複数の人々が、同じ幽霊の実体を見ることがあるという現象だろう。もっとも、この場合は、ある物理現象が現実に発生した、として、それをめいめいが目撃し、そこに自分の心象を重ねてそれを幽霊と解釈しているのである、という説明の仕方になるだろうね。たとえば、墓場の人魂を何かの燃焼現象で説明するような、そんなやり方になる。ある人は、この炎を見て、自分の婆さんの幽霊と思うかもしれないし、ある日とは死んだ友人と思うかもしれないし、ある人は驚いて腰を抜かすかもしれない。

そんな風に考えて行くと、結局、幽霊の、いわゆる科学的な物理的な説明の仕方というものと、心理的な説明の仕方というものと、そのものずばり超常現象としての説明の仕方という複数の説明の仕方は、遠い将来のどこかで一致するのかもしれない、という風に考えることが、もっとも素直な流れのようにも思える。

たとえば、近代になってからの科学では、この世で起こる不可思議を許容することができるような理論がいくつも出てきた。不確定性原理と量子力学、不完全性定理、複雑系とカオスなどなどである。これらが意味するところのものがさらに解明されて行けば、いわゆる超常現象的なものも、科学が対象とする「現実」の枠組みの中で解明されるときが来るのではないか。そして、そのときには、物理科学と精神科学は一致し、大団円を迎えるのではないか、という予想である。

自分はもともとは理科系で、大学以降に、文学そして哲学に興味を持ち、ときに耽溺し、今に至るので、上述の大団円を一番信じてもよさそうな人間なのだけど、実は、こういう風景をあまり信じる気になれない。要は、そういう結末がイヤなのである。

なぜイヤだと思うか、というと、これはほぼくだらない理由だ。つまり、幽霊の居場所がなくなっちゃいそうで、つまらないのである。

もっとも、その大団円が来たとしても、生命や、精神や、運命の、不可思議がなくなるわけでは毛頭なく、単に、物理現象と心霊現象の原因に関する不毛な戦いに決着がつくだけであろうから、別にかまわないはずだ。だから、結局、イヤだという感想も、たいした意味はなく、さっき下らない理由と書いたのである。

それにしても、こうやってあれこれ書いていると、やはり何となく哲学系に走ったりする。もう少し本題に戻そうか。

いま思い出したが、この幽霊話のそもそものきっかけは、幽霊を信じるか信じないかの調査をしたら、半数以上の日本人が幽霊を信じる、という結果が出たというニュースだった。これを見て、ああ、順当な結果だろうな、と思った。僕の周りの友人などを思っても、まあ、半分以上の人が、幽霊は信じる、って答えているように思うからだ。

いわゆる超常現象については、そもそも科学を持ってしても、それが錯誤か否か決定できないのだから、幽霊は結局分からないものに終始する。それならば、否定しちゃうんじゃなくて、一種の人生の楽しみや刺激の一種として幽霊は信じますよ、という態度でいた方がいい、ということもずいぶんあるだろう。僕がさっき、物理と精神の科学の大団円を望んでない、と言ったのも、結局はそんな理由である。

幽霊を信じていた方が、人生が楽しく、さらに豊かにもなるとしたら、信じた方が得だろう、と、こうなるわけだ。

それにしても幽霊もなめられたもんだ。ホントはすごく怖いのが幽霊なはずなのにね(笑

実は、自分は、たいそうな怖がりで、以前、映画の「リング」を見たときも、およそ一ヶ月は怖くて電気を消して寝られなかった。だから、幽霊は信じますよ、とかあっさり答えてはいるものの、本当に幽霊が出てきたら怖くて参ってしまうに違いない。

未完