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感性オーディオと工学の話

芸術科学会に感性オーディオ研究会というものがあり、僕の書いた文の中にも幾度か出てきた宮原誠先生がやっている。宮原先生と僕の仲は長く、僕はすでに十数年、宮原先生の仕事の広報的な部分を手伝ってきた。ここに、ここ最近の2年間に行った21回分の研究会の活動報告を載せておく。僕自身はこのうち2、3回に出席しただけで、大半は宮原先生の個人活動である。この報告書も、宮原先生から送られてきたワードの文をあえて整形もせず、そのまま羅列している。この長い報告をいちいち読む人はほとんどいないと思うが、ざっとスクロールするだけで、その雰囲気は感じ取れると思う。

https://niz237gt.sakura.ne.jp/hmlabArchive/announce/index.html

今回、改めてこの文書の集積を読んでみて、次から次へといろいろな考えが浮かんできて、妙なものだと思った。問題の所在ははっきりしているように思うものの、どうにも、その本質にフォーカスできない。一番簡単な方法は、世の中にいるハイエンドオーディオの食えない人々の趣味的な探求の一つに過ぎない、として放置、無視することだろうと思う。でも、自分にはそれをしてしまうには惜しい「何か」がここにはあると思う。逆にそれだからこそ、ここまで長年手伝ってきたわけだが。

少し前、「理科系のための哲学・芸術・美」という活動を長島知正先生とやっている、とアナウンスしたが、長島先生とお会いしたのは、元をたどれば宮原先生とのつながりである。感性工学の一連のコネクションだ。このだいぶ混乱しているように見える宮原先生の報告が、長島先生と僕がやっている「主題」と密接にかかわっていることは間違いない。そういう意味では類は友を呼ぶのだろうか。

僕の宮原誠評はいちおう昔から一貫していて「宮原誠は宮原オーディオという作品を製作する作家である」である。ご本人に何度も言っているが、もちろん先生は納得しない(時々は、そうかなあ、と言われることもあるが)。この報告書で執拗に展開されている事々が工学的用語で書かれているのを見ても分かる通り、先生にとってはこれは工学なのである。僕から見ると、その先生の「工学」(新・電気音響学という名前が付いている)が、現行の工学的方法論から見るとかなり雑に展開されているので、工学者に対してこういう論を展開するのは逆効果だ、と思っている。ただ、これについて僕の方で、先生の工学を現行工学に翻訳することはできない。恐らく、先生の数少ない弟子や理解者にもできないだろう。

さっき全体を読んでいたら、むしろ、その「工学的用語を使った現象の探求」そのものが、アート作品の一種にまで思えてきた。

たとえば、スピーカーボックスの稜線の急な部分で音の波面が乱れ、それが音の「凄み」を増す方向に作用する、と書いてある。したがって、ボックスの角を丸めてしまうと、音場は良くなるが、人をぞくっとさせる凄みは減ってしまう。この変化は劇的である。と書いてある。工学者の常識的感覚で反応すると「なにそれ。気のせいじゃない?」で終わる。実際に、スピーカーボックスに角を丸めるテープを貼って実験すると、7段階評価で+3の変化がある、と書いてある。「気のせいだろ」と反応したくなるところだ。あるいは、そう思って聞くからそういう結果なのであって、ブラインドでは違いは分かるわけないだろ、という反応もあるだろう。

しかし、とにかく、気のせいであろうと、プラシーボであろうと、何であろうと、+3も凄みが増したことをどう説明するか。これは「観察事実」だ。現行工学的に考えればこれには、数多くの要因が関わっていて、それらをきれいに切り分けることはとても困難で、そもそも工学的問題の線上に乗らない、と判断されるのが順当だと思う。先生が言うところの「波面の乱れ」は物理現象として確かに確認できるだろうが、同時に、被験者が角が鋭いのを視覚的に見て確認して「そのせいで」音に凄みが増したように感じるという心理効果も確認できる。

ここで後者について切り分けるために「ブラインドテスト」を要求するのが一般的だ。ブラインドテストで違いに有意差が出た場合と、出なかった場合でその後の展開は変わるだろう。出た場合に、一番最初にやらないといけないのは物理的条件を綿密に整えることだろう。スピーカーやリスナーの位置や部屋の形状が与える影響の特定が必要だ。次は、それがどんな要因で出たのか、それを追及するフェーズになる。「波面の乱れ」という物理現象はその一つだが、それだけではないだろう。それぐらいの微小変化が人間に検知されるということになると、角を丸めるテープがボックスの振動に及ぼす変化などいくつか物理要因が考えられるはずだ。

一方、ブラインドテストで差が出なかった場合はどうか。その時点で、スピーカーの角の話は「プラシーボ」として却下だろうか。波面の乱れは人間には検知できないほど微量である、で終わりだろうか。科学的態度に照らせば、いちおう、そういうことになるだろう。次に追及すべきは、スピーカーの角の形状についての視覚的、現象的な知識が、音の感じ方にどのような変化を及ぼすかという心理学的な探求になるだろう。

この成り行きは、一見、順当に見える。しかし、ブラインドテストで、その現象が物理現象なのか心理現象なのかを切り分ければ、探求の方向はきれいに分岐し、見通しが良くなる、というのは本当に正しい態度なのか。ここでその態度を是というか否というかが、分かれ目なのかもしれない。それで、僕の態度は「否」なのである。まあ、それだからこそ、宮原先生の延々と続く探求をいぶかしく見ながらも、去らずに付き合っているのだ。

なぜ「否」なのか、と言うと、そこで問題を、物理(波面の乱れ)か心理(プラシーボ)かという相反する二方向に分離させてしまうところに、現行の工学や科学的態度の限界を見るからだ。前者が「物質」、後者が「精神」に相当すると思うが、そもそもそうした二元論で当の問題(スピーカーの角で凄みのある音が出る)を処理できる、という考え方そのものに問題があるのではないか、と感じるからだ。この二元論は、「物理現象があって」それが人間という生身の物質に作用し、知覚と認識の処理を通して「認知される」という構図に沿っている。

「角を鋭くしたら凄みが増した」という現象は、ブラインドテストの場では無い条件で起こるものだ(被験者はみなテープを目で見て、宮原先生の言葉を聞いて知っている状況)。一方、ブラインドテストで確認できる現象はブラインドテストという条件で起こる現象を確認しているに過ぎない。ブラインドテストで、いったいわれわれは何を知りたいのだろう。その現象を「説明する」なんらかの「原因・理由」が知りたいのだろう。では、なぜ、原因・理由が知りたいのだろう。一つは「解明したい」という知的欲求だろう。しかし、その知的欲求そのものとて「理由・原因が解明されれば、それを今度は別のケースに利用して、われわれの生活に役立てることができる」という功利的な理由から来るのではないだろうか。つまり、そこで得られた原因・理由は、スピーカーボックスだけでなく「スピーカーボックス以外のもの」に応用できる道が開ける。スピーカーボックスの角での一つの発見を元にして、十の、百の、応用事例を増やすことができる可能性が開けることである(たとえば波面の乱れが音の凄みを増すのなら、巧妙に波面の乱れを与えた電気音信号を作り出し普通スピーカーでも凄みを出せる電気装置が作れるかもしれない)

工学というのが、主に物理現象の自然科学的な探求をベースに行われる、というのは、物理現象というものに正確な再現性が見られる、という観察に基づいている。すなわち、物理的な要因を特定できれば、それは物理的に整えた条件下で正確に再現し、それは、測定という行為で万人に確認される、と同時に、宇宙の果てまで行っても再現する、と仮定して構わないということである。この科学的な再現性と斉一性は、数限りない物理的な測定の結果によりその妥当性が増して行き、現代という時代でその妥当性はほぼ完成の域に達している。もちろん、科学で解明できない物理現象は今でも数限りなく存在するが、再現性と斉一性はその前提であり、その前提が崩れる事象は無いとされており、そう認定して不都合なこともほとんど無いことをわれわれは経験で補強し続けている。

あまり話を大きくする前に、スピーカーの話に戻るが、問題を物理現象と心理現象に分けるようなことをせず、従来工学的な原因・理由の探求をせず、この「角を鋭くしたら凄みが増した」という現象を「そのまま受け取る」という方法もあるのではないだろうか。「知見の他への応用」などは当面考えないのある。「いや、そんなことは考えていない。単純にその原因が科学的に知りたいのだ」と言うかもしれない。しかし、ここでいったん立ち止まってよくよく考えてみよう。その知的欲求と称する一種の本能は、生活の功利性の追求の歴史的な刷り込みから来ていないかどうか? 科学文明の勝利の感覚から来ていないかどうか? なぜ、そんなどうでもいいことを考えてくれ、などと言っているかというと、そこに、科学文明が爛熟した現代のものの考え方や感じ方の「次」が隠れているように思うからだ。

このスピーカーの例でいえば、その現象を丸ごと受け入れて、たとえば、「角の鋭いスピーカーをうまいこと宣伝して凄みのある音楽を再現するオーディオとして皆に普及させて音の凄みというものを皆に味わってもらおう」という活動をする、という風に発展させたらどうだろう。ここで、波面の乱れとか、音信号の歪みとか、プラシーボによる心理的効果とか、ブラインドでテストしたときの結果とか、そういうものを科学的に整理して断罪したり、唯一絶対な原因・理由を探求したり、ということをしないのである。物理現象、心理現象も何もかも含めて、総花的に検討と追及を進める道というのもあるのではないか、ということである。この道は、正直、あまり科学的ではない。むしろ「こうしたら、こうなった」という現象についての知識の集積に終始するともいえる。それはちょうど、西洋的な科学的手法に対する、昔からの東洋的手法にも対応する。分かりやすい例で言えば、西洋医学的な手術や薬剤に対する、東洋医学的な気や漢方薬に対応する。

僕は、さっき、宮原先生のこの一連の工学的分析追及の言葉自体がアート作品の一種に見える、と書いたが、それは、このような東洋的方法論に似たものを想起させる何かが、先生の探求の中に見えるからである。西洋科学を学んだ東洋の本能を持つ精神、という構図がどうにも見えて来るような気がするのだ。もっとも、これは少し言い過ぎかもしれない。自分としては、そこに自分特有の性質を重ね合わせることが多いからかもしれないが、それは個人的な話だ。

僕の考えでは、現在、華々しい成功を収めているアメリカの、Google、Apple、Facebookなどが、実は以上に述べた問題に既に痛切に気付いていて、西洋のデカルトの思想から生まれた自然科学と、そこから生まれた現代の工学の限界を、東洋的方法論を取り入れることによって克服し、既に次の世代へと持っていってしまった、と見ている。この点、彼らの知的な勘は極めて鋭く、驚嘆する。僕が何度も出す例だが、情報社会のあり方を変えてしまったと賞賛されているスティーブ・ジョブズが禅を信奉し東洋に多大な興味を持っていた、というのは決して決して偶然ではない。

この件をきれいに分析して、示すのは並大抵ではできず、今のところ自分の手には余る。したがって、上述は僕自身の直観から言っているだけである。しかし、昨今、ここまで日本の家電メーカーが敗退続きで出口が見えず、国をあげてグローバル化やイノベーションを振興しているにも関わらず実績が出ないとなると、われわれも、もう一度、ここに述べたようなファンダメンタルな事々について、前提や起源に戻って考えてみるべきではないか、というのが最近の僕の考えである。

そもそもは宮原先生の感性オーディオについての話だったが、あの依然として混乱した宮原先生の報告書の堆積の中に、以上のような「大問題」が潜んでいるように、自分には見えるのである。

絵画とデジタル

ひろしま美術館にあるゴッホのドービニーの庭って絵が好きだって話はずいぶんしてるけど、彼のいい絵は日本にあと数点ある。

小品だけど、オーヴェールで描かれた「あざみの花」という画布も好きだ。ドービニーの庭と同時期の死ぬ少し前に描かれた絵で、どちらも色使いはほとんど同じ。このころのゴッホは、どの絵も、十数色程度の色数だけを使い、それを塗り絵のように塗っているだけで、使われている色彩の数がそんなに多くない。そういう意味では、それこそ浮世絵の多色刷りみたいな感じになっている。

このあざみの花は箱根のポーラ美術館にあり、先日行って見てきた。やっぱり素晴らしいな、いつまで見ていても見飽きない。

ここまで絵そのものが好きになってしまうと、もう、実は、これが本物である必要はなく、この絵の完璧なレプリカがあれば、オレはそれで十分満足する。結局のところ絵画というのは視覚的なものなので、視覚が満足させられれば、それでいいのだ。

ということは、完全な複製が製作できれば、それは本物と正確に同じ価値を持つということだ(少なくとも僕にとって)。それで、本物と完全に同じものを製作するには絶対にデジタル技術でなければ不可能だ。腕の立つ複製職人もかなりのところまで行くが、こと完全複製となると困難と思う。

最近、ネットで、そういう超器用な職人が出てきて、紙の上に写真そっくりな絵を描いて、皆が無邪気に驚いているのとか見かけるけど、あれは対象が写真だからできるので、絵画の場合はできるか否か怪しい。特にゴッホの絵などの場合、絵の具の盛り上げと、偶然を利用したタッチが多用されているので困難さは写真を写すよりはるかに高いと思われる。

まあ、最近の高度なCG技術を使えば写真みたいな絵はあっという間にできるのを見ても分かるように、写真そっくりに描くのは意外と簡単なはず。皆が驚いてるのがバカみたいに見えたりする。

ま、とにかく、完全な複製はデジタルであるべきだ。

というわけで、ゴッホの絵は、無数に増やすことが可能な道理になる。オレは、それを一枚、是非、欲しい。額装して飾って家に置いて、いつでも見たいんだ。

それなのに、オレの今の環境では、超不完全な複製印刷、超ひどい出来の画集、液晶モニタの上の汚いデジタルデータ、しかもすべてオール凸凹なしのペラ紙しか、無い。凸凹特殊印刷の複製ってのがミュージアムショップで売ってたが、見たけど、いい加減なもんで、しょせん色彩は全然再現できてないし、凸凹がついた紙なだけで、油絵の具の質感とか皆無だ。

というわけで、電車で箱根まで行って、バス乗って美術館行って、入場料払って、本物を見るしか、今のところ方法が無い。

3Dプリンターもあるんだから、ボタン一つでゴッホのこの「あざみの花」の完全なデジタル複製が出てくる、っていうシステムはできないものか。いや、これは今現在のテクノロジーで十分に可能なはずだし、研究室の中では実現できているに違いない。

そうなった暁には、初めて、この、ゴッホの貴重な「あざみの花」は永遠に増殖しながら生き残るのではないのか(デジタルだと経年変化が無い、という下等な意味ではない)。

デジタル複製の場合、それが完璧になれば、「増殖」というのは当たってないと思う。というのは、ボタン押せばいくらでも同じものが出てくる、ということは、それは「複数」では無く「一個」ということだ。だから、そのようなことが可能になって、初めて、このゴッホの「あざみの花」という芸術作品は、「唯一無二」の、ほとんどあの世に属する、完全に抽象的な、一個の「表現」に形態を変えて昇華するのに、違いない。

だから、デジタルにすると劣化せず退色しないだとかなんだとかいう話は些末事で、どうでもいいことなのだ。

今はまだデジタル技術がまだまだイマイチなんで、ゴッホの「あざみの花」はポーラ美術館所蔵の「本物」が本物なだけで、その形態はまだ不完全だ。そのせいで、オークションに出て何十億円とかで競り合ったり、印刷した画集が売れたり、盗難にあったり、火事で燃えたり、贋作だったり、なんだかんだという「人間的なあまりに人間的な」ドラマが「本物」の周りでドタバタ劇のように繰り広げられているのだ。

そんな喧噪の中で、この「あざみの花」の純粋な「ビジュアル」は沈黙をたたえて存在している。オレは、その孤高な沈黙に会いに箱根へ行くわけなのだが、その唯一無二の芸術精神を、大仰な額縁に入れられて壁に固定されている、その目の前に見えている牢獄から「救い出したい」と切に思う。

がんじがらめの「物理」から、「理想」を救い出すには、もう、完璧なデジタル技術しか、方法が無い。

さいきん、自分は、そんな風に「デジタル」を捉えている。

早く、そうなんねーかな。

って、研究者なんだから自分でやれよ、か。

asamigogh

(Facebookから転載)

スウェーデンの婆さん

うちの近くにスウェーデンの大型病院がある。今日はよく晴れた暖かい春びより。駐輪場に自転車を止めようとして通りかかったら、日の当たる外に、車椅子に乗った婆さんがいて、タバコを吸っている。隣を通り過ぎるとき、その気はなかったが自転車の呼び鈴が鳴ってしまい、あしまった、と思って婆さんを見たが、婆さん、呼び鈴など気にも留めず、そのままタバコを吸っている。

ああ、もうこれだけ婆さんになると、大半のことはどうでもよくなるだろうし、周りで起こっていることの大半はきっとどうでもいいことになってるだろう。どうでも良くないことは、もう二つか三つあるぐらいで、後はもう関係ないんだろうな。

などと思いながら俺は自転車を停めて、日だまりの中を歩いていて、逆に考えたが、こうして婆さんや爺さんになる前の俺たちは、自分にとってどうでもよくないと思っている大量の事々に囲まれて生きてるよな。本当に大切なことは実はとても少ないのだ、などと言う気はないが、まあ、今の俺たちは、実に大量の物事に対処いけないといけない人生だなあ、と。  

その昔、何百年か前の人々は、そんなに大量の事々に対処する必要などまったく無かったはずで、そんな時代だって、実際、同じような人間が、同じように、泣いたり、笑ったり、タバコ吸ったりしてただろう。  

いま、仕事で、平安時代に描かれた絵巻物のデータを作っている。俺の大好きな、病草紙という、当時の病気を描写した絵巻物だ。風病を患ったという烏帽子を被った男が碁盤の横で目を回している。周りの女たちがそれを見て笑っている。このころの絵巻にはそうやって笑う女たちがここそこに登場するのだが、みな、本当に屈託のない笑顔をしている。男の眼を回す様子がおかしかったんだな、きっと。今の俺たちが見てもおかしく見えるだろう。でも、こんなに屈託なく笑うだろうか、今の俺たちは。  

他の絵では、急性の下痢を催した女が縁側で、口からゲロを吐いて尻から下痢を庭に向かって水のように噴出している。その女を一人の婆さんが、しなびたおっぱいを丸出しにして介添えしている。別の女は部屋で煎じ薬を作り、赤ん坊がそのへんを漫然と這っている。庭にいる小汚い犬が嬉しそうな顔をして庭に撒き散らされた下痢の臭いを嗅いでいる。  

まあ、呆れるほど、そのまんまな生き物たちの動きそのものだ。病人も、婆さんも、女も、赤ん坊も、犬も、ほぼ一つか二つの原理だけで動いている。そういう単純な時代の、単純な生き物の動きのその様子を、こうやって絵巻とかで見ると、不思議な気分になる。既に失われてしまったあれこれの動きなんだが、ただ、人間自体はそれほど変わってはいないとも思う。  

大量の余計のなものがもし俺たちから去って行けば、きっと俺たちとて、この病草紙に描かれたプリミティブな人間に戻れるかもしれない。日だまりでタバコを吸っていた婆さんが、そんな感じにも見えていたし。

(Facebookに投稿した文)

ノグチ君のこと

ふとしたことで思い出した、自分が小学生だったときのこと。たしかあれは小学5年の時だったと思う。当時は、生徒が学校外のふだんの生活で従わないといけない事項というのが、いくつも定められていた。盛り場を出歩かない、とか不純異性交遊をしない、とかは、たしか既に校則に含まれていたが、それだけでなく、実にたくさんの禁止事項が事細かに決められていた。
 
で、これはそのとき僕が通っていた学校に特有の規則だったのだが、「指定区域」というのがあった(正確な名前を忘れた)。学校を中心として東西南北に何々駅のここまで、という風に細かく区域が指定されていて、その区域を示す地図まで作られていて、学生は親同伴で無い限りその区域を出てはいけない、という規則だった。
 
この規則は当時も、実態に合わないのではないか、などと賛否が多かったようだった。そして、あるとき、夏休みを前にして、とうとうこの規則を緩和または撤廃するという動議が持ち上がり、先生とPTAそして生徒代表が集まって討論会が開かれることになった。
 
僕がなぜその討論会の場にいたのか不明なのだが、僕はその討論会に出席し、そこで一つだけ今でも覚えていることがあったのだ。かなり厳粛な雰囲気で会が進み、空気がピリピリとしていて、とても自由闊達な討論とは呼べない感じで、子供ながらに何となくその厳しい感じに圧倒されておとなしくしていた。そして会は進み、学生代表が意見を言う順番になった。
 
その時に登壇した小学5年の子だが、たしか名前をノグチ君といったはずだ。ノグチ君は普段はとても活発な、くだけた感じの、利発な子だったが、なんとなくしゃべるときぐにゃっとしたなよっとした感じでしゃべる癖があったことを、覚えている。檀上のノグチ君は、あらかじめ考えてあった内容を話しはじめた。区域外というのは現実に合わないし、他校にないものだし、僕たちの自由を奪うものだし云々ということを訴えたはずだが内容は覚えていない。
 
で、そのスピーチが終盤になったとき、ノグチ君は感極まってその場で泣き出してしまったのだった。どんなに泣くのを止めようとしても、どうしてもしゃくり上げてしまって言葉にならない。檀上で泣いたまま立ち往生してしまったのである。
 
僕は、そのノグチ君が泣き出したことだけ、鮮明に覚えているのである。自分も小さい子供ながら、なぜあのときノグチ君が泣き出してしまったか、痛いほどよく分かったのである。不思議なことに「なぜ彼は泣いているのか」という質問が仮りに発せられたとしても、それにはまったく回答できない、ということだった。もちろん、いま現在ならその理由につき言葉を使っていくらでもしゃべれるだろう。しかし、その時の子供の自分には「理由」は皆目分からなかったが、なぜ泣き出してしまったか、その「心」は完全に分かっていた。檀上で泣き出して立ち往生するノグチ君を見ながら確実に百パーセントそういう気持ちを抱いたことを、いま現在「思い出せる」のである。
 
今朝、このエピソードを思い出して、なんだか不思議な気持ちになったから、これを書いているのだが、何かを「分かる」ということはどういうことだろうな、と思ってね。その時の僕は確実にノグチ君に共感していたから分かったのだ。彼が登壇してしゃべっている内容は、頭脳を使ってそこそこに追ってはいただろうけど、何というか、その時の彼の心の動きを、自分の中で正確に追っていたのだと思う。そのせいで、彼が泣き出したとき、それが心で分かったのだと思う。
 
こういうのが、僕のふだん言うところの「文学」なのだ。科学でも哲学でもない、文学。いま、自分は、みずからを、結局は文学的な人間だなあ、と思うことが多々あるのだけど、それはそんな小さいころの経験の積み重ねがあったからかもしれないな、と思ったり、あるいは、自分が文学的な性向なせいで、自身の子供のころの思い出を文学的に脚色して思い出すのかもしれないし、どちらだか分からないが、どっちにしても今の自分が文学野郎なのは間違いなさそうだ。
 
それにしても当時の小学校の規則のがんじがらめ感はひどいものだったが、こんな討論会を催して子供にも意見を言わせるなんて、その昔の日本もなかなか民主的だったじゃないか。少し感心する。

大阪天満にて

仕事で大阪の天満に来ている。夕飯を食おうと一人で出歩いて、しばらくぶらぶらしたけど、相変わらずの関西のノリだなあ、と思いつつ、やはり同じ仕事の用事で二年前にもここに来たっけ、と思い出した。
 
飲み屋と飲食店と雑多な店でごったがえった迷路のような路地は、少しも変わっていなかった。オレは、いちいち飲み屋をのぞいちゃあ歩いたが、昔と少し違った事といえば、ほぼ満員な店の若者率が高かったことぐらいか。
 
かと思うと、ものすごく古風な、蛍光灯が煌々と点いた、明る過ぎて逃げ場がないような無骨な居酒屋が、こんどはオヤジやジジイで満席になっていたりする。面白いものだ。
 
昨晩さんざん飲んだせいで、今日は、まあビール一杯で飯を食うぐらいにしたいもんだ、と思いつつも、体調は既にリカバーしているので、今日も飲んだって構わない。
 
ごちゃごちゃした路地をぶらついてさんざん見物したあげく、路地街から、その外のふつうの街に通じる通りがあった。遠目に眺めると、店舗が切れはじめた向こうの方に、黄色い地に赤い文字の中華料理屋の看板が見えたので、そっちへ向かった。
 
店の前に来てすぐに分かったが、いちおう古くからある中華屋のようだが、それなりに寂びれた感じで、まあロクな店ではない。分かっていながら、のれんをくぐって入ってしまう。
 
中に入ると思ったとおり、わりと広い店内にもかかわらず、客が一人もいない。一番奥の隅のテーブルで、すでにお爺さんとお婆さんに近くなった二人が、テーブルの上の新聞紙を挟んで向かい合って何やらしゃべっている。
 
入って来た僕を見て、まるで少しびっくりしたような感じで、おばちゃんが、いらっしゃいませ! と元気よく叫んで、雑談をすぐに終了して立ち上がった。見ると確かにお婆さん。でも、髪を茶色く染めて、大きな真珠っぽいイアリングをしてるせいで、遠目にはおばちゃんだ。
 
取りあえず、生ビールを注文した。
 
赤い椅子に黄色いテーブル、広めの店内に、壁にべたべたと隙間なく貼られたメニューや、料理の写真や、あと有名人の描いた色紙など。左の棚の上にはテレビが乗っていて、大音量でプロ野球をやっている。天井の蛍光灯で店内は明るい。要は、本当に古臭い、昔からある中華料理屋である。
 
おばちゃんが「ビールのアテはどうしましょ」みたいに言う。アテか、飲みに来たんじゃないけどな、と壁に貼られたメニューを見ると「かしわ炒め」というのが目に入った。大阪では鶏は「かしわ」なのは、かつて3年間大阪に住んだ経験のある自分はもちろん知っていた。実は自分はこの「かしわ」という響きが当時から好きだったのだ。ということで、かしわ炒め下さい、と注文した。
 
ビールを飲みながら店内を眺めてぼんやりとしていると、お待ちどうさま、と、かしわ炒めが出た。鶏肉と筍と小松菜のあんかけのような料理が来た。あんは少しの醤油の入った薄いベージュ色で量が多く、この調理法は東京にはほとんどない。これは古い関西の廣東料理の典型的な調理法なのだ。かつて大阪に住んでいた自分はよく知っている、懐かしい姿だ。
 
食ってみると、おいしくない。筍などいつのものか分からない様子で、すえたようなヘンな味がする。調理が下手とは言わないが、端的に料理が古臭くて、今の人が満足するとは到底思えない味だ。客が一人もいないのがうなずける。
 
しかし、俺はそんなことは全然気にしない。自分は、自身で長年料理も作っているし、世界をさんざん食べ歩いてもいるし、料理が出ればたいていすぐにその素性が分かるのだが、実はオレはこのタイプのまずい料理に極めて寛大で、むしろ食っていて、まず過ぎてかえって感動したりするぐらいなのだ。
 
したがって、知らない土地で、わざわざ変な店を選んで入ってしまい、出てくる料理が糞まずい経験はしょっちゅうなのだ。しばらくビールを飲みながら食っていて、この今のシチュエーションが、何かに似ていることに気付いた。それは、果たして、一年前に学会で行ったスペインのサンタンデールという街でのことだった。
 
そのとき、退屈な学会を抜け出して、一人でサンタンデールの街を当てもなく歩いた。やはり、享楽的な国のスペインだけあって、いろいろ楽しそうなレストランやバーはあったのだが、結局、オレは、国鉄のターミナル駅に戻ってきて、その駅前にあった、ひどく変哲のない、客がまばらにしかいない、やはり蛍光灯で明るい店内の駅前食堂に入ったのだった。
 
給仕のおばちゃんは、百戦錬磨な感じのスペインのおばちゃんで、愛想よく観光客然したオレを迎えてくれたが、なんだかその様子が今日の中華屋のおばちゃんと似ていないこともない。加えて、そのスペイン食堂もガラガラで、客は冴えないオヤジが二、三人しかおらず、棚の上にテレビがあり、大音量でサッカーをやっていた。オレは今日と同じく、鶏肉のセットメニューを注文した。スペインのセットメニューはワイン込みだ。ハーフボトルの赤ワインが付いて来る。だいぶお得だ。
 
殺風景な店内の安物テーブルの上に料理がドカンと乗ったが、まあ、量は多いがうまくもなんともない。赤ワインはすでに封の空いたフルボトルがどんと置かれた。どうやら、ハーフでもフルでもどうでもよくて、好きなだけ飲んでいいよ、ということのようだった。
 
その時も、オレは大音量のテレビを聞きながら、小汚い地元食堂で、食って飲んで放心していた。今日は今日で、小汚い天満の中華食堂でプロ野球の大音量を聞きながら、食って飲んで放心している。やっていることが、まるで変わらないのだ。
 
店内のおばちゃんとおじちゃんは仕事が無いのでいつしか、再び、同じ隅っこのテーブルに戻って、大阪弁でずっとなにやら話し込んでいる。「いうてんやんか」とか「いっしょやろ」とか「あかんやろ」とかいう言葉がしきりに聞こえてくる。
 
そうこうして、ビールも半分ほど飲んだころ、例によってオレは、わけもわからない強烈な多幸感に包まれた。オレの多幸感は、だいたいがこういうシチュエーションでしか現れないのである。
 
それにしてもオレは、やはり「何か」から逃げ出したい、と常に思っているのだろう。しかし、こんな場末のシチュエーションで、場違いな多幸感を感じながら、実際には、オレは、妙に糞真面目なことを考えている。
 
そのときは、空間と時間について考えたんだっけ。人間は空間を克服する術を今までたくさん開発してきた。今朝東京にいたオレがその日の夜には大阪にいる、しかも、パソコンを覗けばいま渋谷にいる知人がリアルタイムでメッセージを送って来ている。空間についてはそんな調子なのに、考えてみると、空間の対となる「時間」の方は少しも克服されていない。相変わらず時は同じように流れ続け、変えようがない。
 
で、この、人間がオフィシャルに開発してきた術ではどうにもならない「時間」から自由になる方法は、実は昔から、ある。それの最たるものは麻薬だ。しかし麻薬は禁止されている。ということになると、この俺の多幸感などはまさに、それだ。この感覚は空間からの解放とはまったく無縁で、ひたすらオレの時間感覚を狂わせ、俺をそこから解放するように働くのだ。
 
オレが逃げ出したい、と思っているのは何だろう。何から逃げたいのだろう。なぜ、俺は、こういう、反知性的な、白痴的なもののただ中でしか、その多幸感を得られないのだろう。
 
そうこうしているうちに多幸感は去って行った。いつも、どんなに長くても五分ぐらいで終わってしまうのだ。

仕方ないんでオレは、少し生暖かくなった残りのビールをチビチビ飲みながら、テレビを見始めた。巨人とディーエヌエイの試合だった。すでにテレビをまったく見なくなっているオレは、物珍しいので、そのプロ野球中継をずっと見ていた。
 
でも、俺は野球などどうでもいいのだ。それにしても、安中華屋で、まずい食い物を食って、ぬるいビールを飲んで、プロ野球を見る、という構図は、実はオレの生涯の憧れの的だった。自分には、そういう生活は出来るはずがない、ということが分かっているので、それゆえに憧れだったのだ。
 
おばちゃんが外の暖簾を下ろして、店内のテーブルの上に置いた。まだ八時ちょっとだが、そろそろ閉店らしい。残りのビールを流し込むと、お勘定してもらった。ありがとう、おおきに、と標準語と大阪弁を交互に数回繰り返して、おばちゃんがオレを送り出してくれた。
 
外へ出ると、夏の大阪の夜は生暖かく、まだまだたくさんの酔っ払いが、飲み、騒ぎ、たむろしていた。

(Facebookに投稿した文)

部室でのこと

(Yahooブログに2010年2/28に投稿した文)

この前、同僚と話していてふと思い出した話。

今から30年ほど前、自分が大学生だったころ、ギターを弾いてブルースを演奏していた自分はロック研究会という音楽サークルに入っていた。ロック研には学内に音が出せる部室を持っていて、ドラムやアンプやボーカルアンプなどすべて揃っていたので、そこで適当に時間割を決めて部員のバンドが練習をしていた。

当時、大学生になりたての自分は、部に属してはいたが、完全な変わり者扱いであった。というのは、部の活動に貢献するということを全くせず、部員とのコミュニケーションもまるでとらない、バンドも自分以外はすべて外部の人間で、その他、およそ「協調性」と名付けられることを一切、まるでわざとのようにしなかったのである。それでいて、ブルースバンドとして演奏活動はしていて、部室を練習場として使って、学祭ではライブに出演したりはしており、回りからはブルースに凝り固まったかなり不可解なやつと映っていたらしい。

ある日、バンドの仲間と部室に入ってエレキギター2本で練習していたときのこと、途中から後輩の二人が部室に入ってきて何ということなしに雑談を始めた。練習していた自分はこれがうるさくて仕方なく、演奏をいきなり止めて、ギターのボディーをバンッと叩き、いま練習してるんだから静かにしろよ! と怒鳴ったのである。二人は一言もなくすごすごと不服そうに部室を出て行った。その後、相棒が心配して、おい、あんな風に言って大丈夫なのか、と言ったので、別にかまわねーよ、と答えたものだ。

恐らくこの事件があってからだと思うのだが、自分は部の中で不可解な変人からさらに進んで「嫌なやつ」という評判になったようだった。なんだか、色んなところで、そういう言葉が聞こえ始めたように覚えている。

さて、今の自分だったら、部の中で上記のような、部の他の人を人とも思わないような態度を取ることは絶対ないと思うが、逆に、そのときなぜそういう態度に終始したか、というのを思い起こすと、それははっきりしている。そのときの自分はおよそ「人間関係」というものが、はなから、まったく分からなかったのだ。文字通り、完全に自分の中に存在せず、抜けていたのである。部という集団があって、そこに属している人間は一種の仲間であり、ある決まりやマナーにしたがって人間関係を築きながら協調しないといけない、という今では当たり前のことが、まったく理解できていなかったのである。

と、いうことなので部の中で変人、嫌なやつ扱いをされていても、自分はまったく気にもかけなかった。普通だったら、人から嫌われている状態というのは居心地の悪いもので、気に病むものだろうと思うのだが、この事態を何らか収拾しようなどとはこれっぽっちも考えなかったし、平然としていたものだった。

人に、ある「概念」が欠けている、というのは不思議なもので、その概念を常識として備えている人たちから見ると、それに欠けた人間というのは、ひどく不可解で、腹立たしく、気持ち悪く、感じるもので、結局はその人を排斥する行動に出るものだと思う。しかし、排斥される側の当の人間にとっては、実は、ほとんどまったく良心の呵責の対象外なので、意外となんとも思っていないものなのだ。

そして、またある日、バンド仲間と練習をしに部室に入ったときのことである。この部室には一番奥に黒板がある。それを見ると、なんと、そこに、「林君は今後この部室で練習をしないこと」とでかでかと書かれていたのである。しかもその文句の回りに、ロック研の名だたる先輩の署名が20ぐらいぎっしり書かれていた。いま思うとかなり過激な宣告なのであるが、これまたそれを見たときの自分の反応がおかしくて、単に、へーえ、と思っただけで何の感情も持たなかったのである。

もちろん自分のバンド仲間はこれを見てあれこれ心配して、これじゃもうここで練習はできないかもしれないな、他のところでやらないとな、しかし、林、おまえ何があったんだよ、などなど。自分は、うーん、たぶん部外の人間としかバンドやらないからかな、でも、まあ、大丈夫なんじゃないの、みたいに答えた。まあ、それはともかく、いま思っていちばん変なのが、こういう仕打ちに対してまったく無反応だった、ということである。

さて、このように書かれたからといってすぐに部室を出るわけでもなく、まずはしばらく練習をしていたのだが、途中でたまたま先輩の一人が入ってきた。この先輩、黒板に目を留めると、なんだこれは、と言ってすぐに、「おい、こら、オレの名前もあるじゃねえか、オレはこんな署名してないぞ!」と叫んで呆れ顔。「おい、林、これはでたらめだぞ、気にしなくていいからな。それにしても、誰だこんなことを書いたやつは、こともあろうに先輩の名前を勝手に使って書くとはけしからんやつだ、これは問題だぞ!」と、一人でかなり憤慨している。

ここで、また、自分の反応だが、なんでこの先輩が憤慨しているのか、その意味がまったく分からなかったのである。いま思えば、たしかに他人の名前を勝手に使ってこのようなことをするというのは卑劣なことで、名前を勝手に使われた人間が憤慨して当然なのだが、自分にとっては、この人なんでこんなに怒ってるんだろう、という感じで意味が分からなかったのだ。ここでも、やはり、自分には何かの概念が完全に欠けてしまっている。その先輩はとてもいい人で、ずいぶんと自分を慰めてくれたのだが、そもそも自分には事情があまり理解できていないこともあり、はあ、と聞いていたが、「デヘヘ」とかなんとか照れ笑いの一つもしたであろう。そのぐらいのことはできたのであり、それで人間関係も何とか持っていたのであろう。

かくのごとく、少なくとも部の後輩たちとは険悪だったらしいのだが、たしか学園祭だかの打ち上げで大酒を飲んで酔っ払って大騒ぎして、それを機に何となく和解してしまった。まあ、青春の一こまだと言ってしまえば、それまだ。

ところで、自分だが、その後、これらの人間関係云々が理解できるようになったのはかなり遅く、大学に6年行っても分からず、就職して初任地の大阪に3年いても分からず、その後、東京に戻り、数年ぐらいしたころからようやく理解し始めたようである。これは、自分が先頭に立って仕事をまとめなくてはいけなくなってからだったように思う。

それにしても、人間関係とか、協調性とか、気配りとか、そういったことにつき、生まれながらにまったく欠けてしまっているように見える人間というのが時々いるが、自分はそういう人たちにけっこう甘いところがある。それは、こんな風に自分もむかしそうだった、ということもあるのかと思う。いまこの現代の日本では、自分勝手に傍若無人に振舞うことについて、極端に厳しくなっていて、そのような人が出るとこれを寄ってたかって排斥するような傾向があり、そういったニュースなどを知るたびに情けなく寂しい思いをする。周りから何らか外れた人間は、昔よりはずっと生きにくくなっていることは確かじゃないか。そんなとき、実は、たとえその人間が犯罪者級の輩であっても、密かに共感してしまう自分の心を抑えられない。

ただ、この共感は多分に抽象的なものかもしれない。その傍若無人な輩がもし、自分のテリトリーの中で騒動を起こしたら、自分も怒って排斥する行動に出るかもしれない。ただし、その輩が自分と距離の離れたところで騒動を起こしている限りは、むしろ、害悪を流す人間の方に共感する方向に走ってしまう。

社会において、そういう迷惑な人間が現れたとき、これを一種の世論の総意として寄ってたかって排斥する場合、実は、この距離感というものが大事なのかもしれない。寄ってたかって排斥する人たちの集団というのは、個々人は距離的にもちろんまちまちに離れているのだが、その問題児の周りにいて直接迷惑をこうむっている人間たちを、想像力のよって自分と距離感の近い存在として認めるのではないだろうか。つまり、まるで自分のことのように怒り、同情する。一種の共同体意識が働くせいで、個々人の距離が小さい状態を想像力で作り出すのではないか。

ひるがえって、なぜ、自分がこれら排斥する側の共同体の人間たちと逆の感情を持つかというと、きっと自分は、彼らを自分の仲間と見なしていないからであろう。そして、当の問題児の方に近い自分というものを見出すからであろう。

いまの自分はこの手の問題児ではない。しかし、たしかにまだ世間の垢にまみれていなかった頃の自分は前述のごとく、自分を縛る人間関係を意識しない存在だった。そういう過去の自分の姿に近いものとして問題児に対してある共感と愛情を抱くのだろうな。しかし、ここではっきり言っておかないといけないが、この共感も、愛情も、抽象的なものである。いわば心理的なものであり、実体や実質的な力を伴っていないようである。つまり、共感を持った問題児について実質的にこれを助けたり、排斥している周りの共同体に敵対してこれを変えようとしたり、という行動を自分は取りはしない。

しかし、こういう実質的な力を持たない心理的な「気分」を軽く見てはいけない。こういうものは無意識において知らぬ間に蓄積され、自分の実質的行動を背後からあやつるものなのだ。ここぞ、という決定の瞬間に、突然、その蓄積した力を発揮して、その人の人生を変えたりするものなのだ。

人生ってのは、不思議だな。

ある成功した人に会ったときの話

5年ほど前、僕が前の会社でリストラにあい、職探しをしつつ、わりと弱っていたころのこと。その前の会社で自分が作ったモノをいろいろと売り込み、さらに世の中でなんとかして存続させようとあくせくしていた時だ。さいわい、単なる一技術としては上出来なほどたくさんの人が興味を持ってくれていた。その中には実際にそれを使いたい、と引いてくれる会社や人もあった。
 
当時の自分はなんとまだウブであったので、そういう引きの言葉をわりと真正面から受け取り、その気になったりしていたころだ。もっとも、さすがに実際に職を失って困ったりしていると、だんだんと自分も疑い深くなり、というか、世間的にまっとうになり、他人が自分に示す、あるいは自分の技術に示す興味につき、その大半が単にその他人の、自分のあずかり知らない、個人的な事情やその他の状況によるものに過ぎない、ということが分かり始めていたころでもあった。
 
ま、というわけで、まあ、いろんな人と次々と会っていたものだ。逆に自分がまだウブだったせいで、手あたりしだいに他人と会っていた、ともいえる。もしそのとき自分にもう少し世の中を見る目があったら、あんなに非効率な行動はしなかったと思う。そういや思い出したが、無職になって僕は個人名刺を作ったが、肩書が5つぐらいついていた。博士をはじめ、客員なんとか、なんとか研究員、そのほかもろもろ。5つもあったのは、非効率に行動していた結果でもあった。
 
ちなみに、誰か他人に会って名刺を渡して、そこに肩書が5つも付いていると、大半の場合、相手に対して逆効果になる、ということもその頃の僕は分かっていなかった。こんなにたくさん頑張ってるから私は価値のある人間ですよ、というアピールなわけだが、他人はそういう人を見ると普通は引くものだ。そんなものを相手に見せるより、相手にお世辞をたくさん言っていい気持ちにさせた方が恐らく十倍以上効き目がある。大量のアクティビティで人を圧倒するというのは失敗の元だ。ということも、その頃は分かっていなかった。日本だから? いや、違う、これは外国でもそうだと思う。
 
そんなアンバランスな自分には、それ相応なのか、けっこう変な人も引っかかるようで、かなりの変わり者とも会ったのである。その中の一人を思い出したのだ。
 
その人は、コンピュータとインターネットを利用した新しい学習塾の形態を考え出し、世に先だってそれを始め、そして成功した人だった。既に巨万の富を築いていたようで、全国にフランチャイズ校が多数あり、東京の本社でその人はたしか、社長、あるいは会長をしていたはず。重要な経営ミーティングに出てトップダウンな指示を出す以外はほとんど経営は他役員に任せ、自身はそれとはまったく違ういろんなビジネスに進出し、世界をまたにかけてあっちこっち飛び回っているそうだった。
 
先方が僕の技術に興味を持ち、まずは一度お会いしましょう、ということになった。自分は六本木ヒルズレジデンスに部屋を持って、そこを個人用のオフィスにも使っているのだけど、そのレジデンスエリアにあるレストランで昼食でもどうですか、とのこと。
 
ヒルズのレジデンスエリアへ入るのなど初めてだった。マンション下の公園の指定場所で待っていると、いつも上機嫌のその人が現れ、一緒に、やけに高級感漂うレストランに入り、仕事の話などをした。食事と話が終わり、その人が、ちょっと自分の部屋に寄って行きませんか、と言う。食事のとき、オーディオの話も出て、その人は個人で高級オーディオの海外販売なども手掛けているので、それらもお見せできますよ、と言うのだ。
 
レストランを出て、何重にもセキュリティのかかったビルディングへ入って、エレベータで十階だかに上がり、その人の部屋へ入った。
 
部屋には所狭しといろんなものが置いてあった。置いてあるものはなにもかも高級品で、さすが大金持ちの趣味は違うものだ、と自分には物珍しかったが、本当になんというか、そういう金持ち特有の、地に足のついていない、常にフローティングして世の中を自在に横滑りしているような感じが、とてもよく感じられた。ちなみに自分はこの人だけでなく、そういうタイプの人を何人か知っていたので、それらに共通の感じ、ともいえるものだ。
 
何百万円もする超高級オーディオで音楽をかけ、何十万円もするソファに腰をかけて、しばらく話をした。話は、これまたそういう人によくある、自分の成功の自慢話が主で、自分がいかなる方法で成功したか、について語っていた。もう少し正確にいうと、「方法」というよりは、いかなる「精神」で成功したかという話である。
 
さっき成功した大金持ちを何人か知っていた、と言ったが、そういうタイプの人たちにはある共通した「ノリ」があり、彼らが決して何らかの方法論で成功したのではなく、そのノリ、もうちょっと高級に言えば「精神」で成功した、というのが分かるのだ。そういう意味で、世の啓発書に成功者がたくさん色々なことを書きつけているが、そこに記載されている方法を真似してもダメで、精神の方を真似しないといけない。しかし精神はふつう真似は出来ないもので、そのせいで啓発書が何百万冊売れてもそれを買った何百万人が成功をするなどということが起こらない、というわけだ。
 
その人がその豪華な六本木ヒルズレジデンスで僕に語った精神も、そういうものであった。それを聞きながら、自分には、はっきりと、この精神は自分には真似できない、と感じたものだ。
 
その中で、こんなやり取りがあった。
 
「それで、いまはどうしてるんですか? 林さんぐらいの才能があれば、行く先はたくさんあるでしょう」
「いや、なかなか難しいです。それに、いまとぜんぜん違う業種に行くのも辛いですし」
「なぜですか? そういうのがあればそれでもいいじゃないですか」
「いや、やはりある程度堅実に長続きするところでないと職につくのはどうにも・・」
「そんなことを言っていたら先に進めないでしょう」
「でも自分には家庭もあるし、そんなその場限りであちこちふらふらするわけにいかないし」
「失礼ですがご家庭は奥様とお子さんもいらっしゃるんですか」
「いえ、子供はいません。奥さんだけです」
「それならば、それほど気にすることもないじゃないですか。家のローンが残っているとか?」
「いや、借金はゼロなんですよ。それだけは助かってます」
「そうですか、それならば、もっと自由にご自分の才能を発揮できる場へ進んで行くべきと思いますよ」
「でも、今の境遇になる前からうちの奥さんとはさんざん喧嘩もしてますしね。奥さんがそんな軽率なことは許してくれないですよ」
「奥さんのせいですか」
「うーん、せいと言うのもなんですが、やっぱり、勝手なことはできないですね。今までも、いまの無職の待遇になった経緯でさんざん言われてますからね・・」
「そんなのは放っておけばいいじゃないですか」
「そうは行きませんよ」
「つまらないですね。林さんのやろうとしていることを邪魔するのでしょう?」
「邪魔というわけじゃないですが、彼女に無断に事を進めるのは無理ですよ」
「そうですか、僕だったらそんな奥さんとは別れてしまいますね」
「そうですか」
「ええ、自分は自分のやりたいこと、今まさに行こうとしていること、それを邪魔するような人と一緒にはいませんね」
「なるほど」
「なんであっても自分の自由が一番です、その自由を妨げるものを自分は許せませんね」
「なるほど、言われていることは分かります」
「私なんかは、いまのカミさんとは別れてこそいませんけどね、彼女は彼女で自宅に住んで、そこで自由にやってますよ。まあ、自分はほとんど帰らずに駆け回ってますけどね」
「僕もそんな風に自由にできればいいんですけどね」
「奥様と別れられないのは分かりますが、自分にはそれは考えられませんね。すべては自身の自由ですよ。それが一番、大切じゃないですか」
 
と、まあ、こういった調子だった。
 
で、さっき思い出したこと、というのは、「自身の自由の邪魔をするものは許さない」というその人の言葉だったのである。その人は、およそ「制約」というのは外すべきもので、それに躊躇をするのは馬鹿げている、と考えるのである。一方、自分は、実は、「制約」こそが自分の人生を形造っている、と考えているのである。すなわち全く逆方向を向いている。そして、少なくともその人とのことについては、先方は大金持ちの成功者、自分は無職の敗残者、という結果になっていたので、彼の「精神」の方が正しいのではないか、と考える方が自然であろうか。少なくとも、啓発書的にはその通りであろう。
 
でも、これは、異なる二つの精神がある、ということで、それらは交換できないのだ、というのが正しいのであろう。僕には彼の精神が真似できないのは自明だが、彼も僕の精神を真似できないのである。自分は成功していて、相手は失敗している、ならば、その失敗している人の精神を真似するなど馬鹿げている、というのが彼にとっての真似をしない直接の理由であろうが、しかしそういう意味ではなくとも、彼にしたって僕の精神の真似は不可能だ、ということだ。
 
そして、彼が「林さんのように自分はしませんね」という理由が、「自由」だったり、「金」だったり「成功」だったり「地位」だったり、その他いろいろあるだろうが、逆にこの僕が彼に「自分はあなたのようにはできませんね」という時(こっちはずいぶんネガティブな響きになってしまうが)、やはり、それら自由や富や名声とは異なる、しかし自身が人生をかけて守るべき「なにか」があるべきはずのものだろう。
 
いったい、その「なにか」は何なのだろうか。はっきり名指すことはできないけれど、それが自分のかけがえのない「精神」であることは、間違いなさそうだ。

乱数とスピリチュアルなど

(2010年3月のYahooブログより転載)

ちょっと、たまたま、スピリチュアル系の本を読んだせいで思い出したこと。

乱数というのがある。ランダムにでたらめに現れる数字のことである。この規則性のない乱数を次から次へと発生させる機械を乱数発生器というのだけど、この乱数発生器は、実はコンピュータではとっても大事で、けっこう色々なところに使う。

それでは、この発生器をどう作るかというと、ふつうはある「数式」を使って作ったりする。その数式に「種」と呼ばれる数を入れてやると、後は計算で乱数を次々といくらでも発生してくれる。でも、しょせん数式なので、最初に入れる「種」が同じなら同じものが出てくる。なので毎回、発生させるたびに種を変えないといけないわけだ。それで、普通は、この種にそのときの年月日時刻を使ったりする。たとえば現在で言えば、2010年3月7日9:30なので「201003070930」みたいな数を種に使う。これなら毎回違うからちょうどいい。

しかし、こういう数式で作った乱数は、実は本当の乱数とは言えない。なにせ、もし、使った数式と種が分かってしまったら、出てくる数を完全に知ることができてしまう。さらに、結局、数式で計算して出している数なので、仮に数式や種を知らなくても頑張れば出てくる数を予測できてしまうかもしれない。そんなことから、このやり方で作った乱数は本当の乱数とは言えず、こういうのは擬似乱数と呼ばれている。

さて、この乱数を何に使うかといえば、色々あるだろうけど、たとえば暗号の鍵に使ったりする。乱数のようにデタラメに出てくる数を鍵に使えばそれを予測するのはとても難しいので、暗号として成立するというわけだ。しかし、もしこの乱数が予測可能であったとしたら、とたんに暗号は危なくなることは想像できる。

そんなわけで擬似乱数をたとえば上記のような暗号の鍵に使うのはどうもいけない。擬似乱数は、簡単な数式でいくらでも乱数を発生できるのでえらく便利なのだが、どうも危なっかしいのである。

それでは、本当の乱数というのはどうやって作ればいいのか、というと数式を使わずに、自然現象を使う。

たとえば、よく知られている乱数発生源に「熱雑音」というのがある。電気をそこそこ通す物質を「抵抗体」と言うが、これに熱を加えると、物体の中の電子が不規則に振動して、これが雑音を発生する。出来のあんまりよくないアンプを無信号でフルボリュームにするとスピーカーから「シャー」という音が聞こえたりするが、あれはだいたいアンプの中で発生する熱雑音である。

このように熱で電子を振動させる、などという超アナログなことをすると、その現象はまったく予測不可能なので、その雑音を使って乱数を発生させると、決して予測できない乱数がいくらでも取り出せる。宇宙の全歴史の中で同じことは2度と起こらないアナログ現象を使うのだから強力である。ここで深入りはしないが、特に、量子力学というものが知られてからは、真の意味で予測不可能なことが保証されたようなものなのである。

いや、ちょっと解説が長くなりすぎたが、思い出したこと、というのは次のことだ。

ずいぶん前のことだけど、どこかの大手のコンピュータメーカーからコンピュータのリリースのアナウンスがあり、それを見たときのことである。今度発売するモデルでは、そのコンピュータで使う乱数発生器を、それまでのように数式で発生させる擬似乱数ではなくて本当の乱数にするために、乱数を発生させるハードウェアチップを搭載している、と書かれていた。

このチップは、たぶん熱雑音を利用した簡単なチップなのだと思う。チップの中に熱雑音を発生させる何らかの小さな抵抗体があり、そこから出てくる純粋アナログノイズをデジタルに変換し、数にして、それを何らか整形して、乱数として出力するのであろう。

この小さなチップを想像してみた。すると、黒いモールドに金属の足がムカデのように生えているルックスはCPUとかメモリと変らないのだが、こいつは、一見そいつらと同じに見えて、決定的に違う「器官」を持っている。それは熱雑音を作る小さな小さな抵抗体である。まるで、黒いデジタルチップにぽっかりと空いた、外界に対する「窓」のように感じられないだろうか。

この話を聞いたときにすぐにこう思ったのである。

確定的に動いているコンピュータにこんな物理窓を開けてしまうと、ひょっとしたら、念視とか念力などのサイキックな能力のある人間は、この窓に精神をチューニングすることで、コンピュータの中に入れるようになるんじゃないか、と。

しかし、こんなことをすぐに連想する自分は、けっこう知らずしてスピリチュアル系だったのだろうか。自分の哲学的な意味でのルーツは、ドストエフスキー、ゴッホ、そしてニーチェといったところなのだが、この3人、みな何らか精神あるいは脳を病んでいたのは偶然なのだろうか。「病んでいる」という言い方は、通常の生活では極めてネガティブな意味だけれど、こういう人たちにとっては、この病んでいる部分が、なんだか得体の知れない渦巻くエネルギーの源泉であったりもする。そのエネルギーを元手に、小説を書いたり、哲学的思考をしたり、画布を塗ったりすることで、この現世とインターフェースしている人たちなのだ。

さっきのようなコンピュータに開いた物理窓から侵入する、などという話は、まずはよくあるSF的発想なのであるが、実は自分はSFはあまり好きではない。なんだか娯楽の域をどうしても出ないような気がして嫌なのだ。それで、いわゆるスピリチュアル系も同じような理由で敬遠している。

でも、自分の頭の中では、これらSFやスピリチュアルで言われていることを、ときにほぼまるごと納得している、というのも変な話だ。世間にいるいわゆる常識人たちが、SFやスピリチュアルの「娯楽から外れる真面目な部分」を、単なる荒唐無稽として一笑に付すことについては自分は賛成できない。自分は荒唐無稽だとは決して思っていないのだが、逆にそれらの「娯楽的」な部分が気に入らないのである。

先日、たまたま仕事で知り合いになった人に、まあほんのシャレ的なノリでスピリチュアル系の本をもらったので読んでみたのだけど、全部読んでみてちょっと悩んでしまった。その本はバシャールスドウゲンキという本で内容は完全スピリチュアルとチャネリングの話なんだが、言われていることのかなりの部分が自分がふだん思っていることに一致していたのである。

ヤレヤレ困ったもんだ。この本を読んでいると、その内容が、自分の心の中に、一種の二重性を持って入ってくる気がする。真面目な意味と娯楽的な意味の2つが、何だかぜんぜんうまく区別できず、二重写しのまま心の中で展開される感じというか。まるで、言われるところのパラレルワールドよろしくだ。

さっき、昨日から紛れ込んでいた蝿がぶんぶんとうるさいので見たら、出窓の上で逆さになってひたすらすごいスピードで羽ばたきしている。平面の上をめったやたらに滑っている感じで一向にらちが明かない。時々なにかにつかまって何とかしようとしているけど、どうしても起き上がれないようで、すぐにまた逆さになりそのままもがいている。そのうちようやく窓の桟を利用してはずみで宙へ飛び立つことができたが、今度はめったやたらに飛んでは壁に激突を繰り返している。いずれにせよ飛び立てたのだから、きっとどっかの壁に着陸してじっとするだろうと見ていたが、今度は床に落ちてしまい、また逆さのまま全速力で羽ばたきしながら床の上をめったやたらにあちこち滑りまくっている。そのうち、床に置いた鉢植えやら椅子の足やらにぶつかり何とか身を起こそうとしているらしいがだめで、そのまま床の上を滑ってするするするっと部屋の真ん中あたりに来た。いまだに羽ばたいているけど羽音はだいぶ弱くなり滑って移動する距離も短くなり、時々、羽ばたきを止めるようになり始めた。しばらくするとバタっと羽ばたきを止めたままになり、その場でひっくり返ったまま、今度は足をやたらと動かしてもがいている。そのまま見ていると尻尾に近い方から足の動きが止まって行き、最後には一番前の足を動かしているだけになった。ほどなくして、その足も停止し、逆さのまま死んでしまった。

変身

カフカは好きな作家の一人だ。カフカで一番好きなのは、と問われれば間違いなく「審判」をあげるが、それにしてもやはり、カフカを初めて知ったのが「変身」という超有名な作であることは変わらない。今朝、ネットを見ていたら、このカフカの「変身」の少しおもしろい新訳が出たという記事を見つけた。多和田葉子という人の訳で、今までの日本語の意訳的な部分を少なくし、原文のドイツ語に近い形で訳したそうだ。外国語訳で「原文に近い」というのは極めてあいまいな話だが、どうやら「直訳」に近い形で処理したもののようだ。

例えば、かの有名な小説の書き出しの「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。」というのを、次のように訳した、とある。

「グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。」

この文は、なぜだか、自分には、とてもいい感じに映る。なぜだろう。どことはなしに、自分の文体のリズムに近いような気がする。

ところで、自分は文章を書くのが好きでほとんどそれを趣味にしているような状態だが、僕のこれまでの文学修養は、ほとんどが外国文学の翻訳文によるものなのである。若いころに熟読したのはことごとく外国文学である。ドストエフスキーを筆頭とし、あともろもろの著名な外国作家の本を主に新潮文庫で読んでいた。なので結局、自分の文体は翻訳文学から来るノリが大きいことが予想される。逆に言うと、日本文学の並み居る作家たちの美しい日本語の文体というものから、文体の機微を吸収することはあまり無かったとも言えそうだ。もちろん、日本文学も主要な作は読んでいたが、たとえばドストエフスキーを十回再読するところ、漱石は一回で終わり、というぐらいの比率だったはず。

というわけで、自分の文体はおそらくあまり日本文学的ではなく、むしろ翻訳文学にありがちな、ちょっと無理でガタがくる単語の組み合わせ、そしてあまり美しく流れない語順、情緒的というより説明口調な、そんな文体の雰囲気がかなりの影響を自分に与えているはずであろう。もう今さら日本語の美文を書こうとも思わないし、このままだと思う。

それで、「変身」の新訳だが、思い切った直訳口調が自分にことのほかしっくり来るようだ。しかし、それにしても、毒虫を「ウンゲツィーファー」と訳すとは思い切ったことをするものだ。などなど思っている時に、ずいぶん昔、カフカの変身についての感想文を書いたのを思い出し、探してみたら見つかったので、以下に若干の推敲加筆と共に再掲しておく。

では、どうぞ。

ちょっと前に、例によって家を出る前になんか本はないかと本棚をあさって、まあいいや、と持って出たのが、薄っぺらい岩波のカフカの「変身」だった。変身はすでに昔に読んでいたけど、文庫にはもう一編「断食芸人」というのが収録されていて、これは読んだことがなかったので、持って出たのだった。さっそく断食芸人を読んだのだけど、ひさしぶりのカフカも面白いなあと思って読んだ。短かったのですぐに読み終わってしまい、では、まあ、というわけで変身の方を再読してみた。

なんと、こちらは夢中になって読んでしまい、二日分の電車の中で最後まで読んだのだけど、この小説にはびっくりした。カフカを夢中になって読んでいたのは、たしか20年近く前のことだったと思うのだけど、やはり歳を取ってから読むと変わるものなのか。端的に感想を言うと、これほど、暗くて、悲しくて、空しくて、ここまで悲観的なものだとは思わなかった。むかしカフカを夢中で読んでいたころは、「審判」や「城」が気に入っていて、当時はその幻想小説としての側面に耽溺していたのであった。「変身」は学生のころ読んだままで、たしか再読はしなかったのではなかったか。

これほど有名な小説だと、ほとんど誰でも筋書きは覚えているはずだろう。勤め人のグレゴール・ザムザが朝起きたら一個の毒虫になっている、そういう小説である。僕が覚えていたシーンは、父親が投げつけた林檎がグレゴールの腹にめり込んで、そのまま腐ってしまう場面と、たしか最後の方で、グレゴールが居間へ出て行ってしまい、一騒動起こし、そのあと回れ右して自分の部屋へすごすご戻っていく、という、この二つの場面だけだった。最後にグレゴールがどうなって終わるかも覚えていなかった。

たしかに、僕が覚えていた場面はあった。しかし、それより後があったのである。グレゴールが居間から自分の部屋に戻った後、しばらくしてグレゴールは死ぬのだった。最後の夜、弱りきった体で居間に出てきたグレゴールが元で、家族に一騒動が持ち上がり、その後、彼は身動きもできずに、そのままそこの床でじっとしている。その間に、妹と父親と母親たちは、自分たち一流のいつものやり方で結論をつけるのだった。この汚らしい毒虫はもう兄グレゴールではないのだ、という妹の主張を、父親は承諾し、母親はやり過ごす。グレゴールはしゃべれないので何も言えず、じっとこの家族のやり取りと、自分に下された判決を聞いている。

そして、彼は、最後の力をふりしぼって埃だらけの自分の部屋に戻ると、扉がものすごい勢いでぴしゃっと閉められる。さて、やれやれ、今度は? とグレゴールはひとりごち、そして、自分が消えていなくなることがいま一番必要であることを悟るのである。その後、彼が死ぬまでのほんの十行の描写が、こんなにもやり切れず、また、美しいものだったとは、完全に予想外だった。彼は、安らかな、そしてむなしいものおもいに、いつまでも身をひたして、じっとしている。そして、教会の時計が朝の3時を打ち、外がほの明るくなり始めるとき、彼は息を引き取る。僕には、この大きな芋虫みたいな「しろもの」が、ぼんやりした朝の光にわずかに縁取られて静かにじっとしている光景が、なぜかとても美しく感じられた。

このほんの十行ていどの描写だが、二十年前の自分は完全に読み飛ばしていた。自分は「メルヘン」というのを嫌って敬遠する傾向があるけれど、これは極上のメルヘンに思えた。メルヘンというのは、理屈ぬきに襲ってくる運命に不平を言わずに従いなさい、ということを言う物語のことだと思う。メルヘンは主に子供に語られることが多いが、メルヘンは子供向きに作られているのではなくて、子供そのものがごく自然にメルヘンを生きているのである。子供というのは理屈が分からないから、突然理不尽なことが襲ってきてそれに服従させられる経験をしょっちょうするはずで、それは、メルヘンと同じ状況なのだ。それで、そういう過酷な体験の全体が、悲しくて、でも、安らかで、美しい、そんな世界を形づくる、そういう光景を産み出すのが童話の役割なはずだ。まさに、グレゴールが死ぬ前の光景がメルヘンに見えるのは自然なことなのだ。

しかし、カフカは、そんなことはお構いなしに進んでゆく。グレゴールが死ぬ美しい場面を描いて、行も空けずに、すぐに家族にとっての夜明けがやってくる。朝いちで起きた小間使いの婆さんが死んだ芋虫を発見するのである。家族にとって、余計ものがようやくいなくなり、長い長い悩みの季節が終わって、ようやく開放の時がやってくる。家族三人はひさしぶりに揃って外出し、最後に、若くて、それゆえに美しい、生命で溢れかえったようなグレゴールの妹が、太陽の光の中で明日に向かって伸びをする、それで物語が終わるのである。

それにしても残酷なラストシーンを付け加えるものである。グレゴールは平凡な、今でいうところのサラリーマンなのだが、彼はそれまで、身の回りに起こるあらゆることに対して「思考」によって対応する男性として現れる。他のカフカの作品でも主人公としてよく現れるタイプだ。そして、この小説で、その思考する男に与えられた運命は以下のような感じだろうか。

「思考」しかない世界を歩くものは、あるとき突然、自由のきかない体に閉じ込められ、丸まって狭い一人の部屋の床にうずくまり、早晩死を迎え、あとには死体という抜け殻が残り、それもさっさと始末され、そして何も残らない。この運命に途中で気付いても、もう遅い。思考はべったりと自らに貼りついていて、振り落とせないのだ。そんな人間の中には「生命」という生まれつき高貴なものが住める場所がないのだ、云々。

たとえば自分はそんな風に思考だけで日々を忙しく生活する、いわゆる典型的な凡人サラリーマンではない、と反論できないこともないのだが、実際の話、よくよく自身を反省してみると、かなりの時間をそういう自動思考によって動く生活で過ごしていることに気付かないだろうか。そんなことを言ったって仕方ないじゃないか、それに常にそういう時間のみで過ごしているわけでもないし、と言うだろうか。でも、やはり自分だって少なくとも幾分かは、そして時には大いに、この毒虫に変身したグレゴールと同じではないか。少なくとも僕はそう感じているので、そういう人間についての悲観的な人生観のかたまりのような、この小説には、本当に、参ってしまった。

実は、学生のとき以来、本当に久しぶりにこの小説を読み、そのあまりのネガティブさに唖然とし、こんな作品が世界の名作として若者たちの読書リストに入っているなんてひどい話だとすぐに思った。もちろん、この本の中に美しい幻想は、先にも言ったように、ある。もっとも、少なくとも若かりし僕は、実は、前者のネガティブにも、後者のメルヘンにも、そのどちらにも気が付かず、頭に残ったのは奇怪なプロットの要所要所に現れる描写の面白さだけだった。ということで、結局のところ、若者に無縁なものは、若者は最初から見ようとしないし、見えもしないので、別に名作として読んだとしても実害などもありようがないな、と思い、納得した。

それにしても、若い僕はそうではなかったが、感覚の鋭いごく少数の若者には、このような作品はきっと危険な爆弾として作用するに違いない。芸術というのは果てしないものだな、と思う。