雑文」カテゴリーアーカイブ

質と量

作る人食べる人構造の過去の形態では、質が量を決めて量が増えることで質を維持していたけど、今後は、量が質を決めて質が量を決めて、結局、質と量は等価になってしまう。。。 と、いうのはSFかな。

ウルマーの言葉

まったくメージャーミュージシャンではないんだが、オレの尊敬するアバンギャルドジャズギタリスト&シンガーのJAMES BLOOD ULMER のインタビューを読んだのだけど、とても面白かった。ウルマーは、自分にとって、歌を歌うことと、ギターを弾くことは全然異なる行為だ、と言っている。自分が歌えるのはブルースだけだが、ギターでは自分が弾けるものが何だか知らない、と言う。つまり、ギタープレイでは可能性は不定で無限だが、歌では可能性はたった一つしかない、と。

しかし、こういうのを読むと、現在読んでいるベルグソン哲学的な解釈に易々と結びついてしまうのが、いいんだか悪いんだか。野暮だけれどネタを明かすと、可能性が不定で無限というのが人間の「悟性」を、たった一つの決して間違わない可能性というのが「本能」を、それぞれ代表している。ただし、上記、実は言葉を誤って使っている。後者の「決して間違わない」のは「可能性」ではなく、現在進行中の「単一の行為」である。

まあ、やはりすごいことを言う人だ。とにかく、ずっとご無沙汰だった最近のウルマーを聞いてみよう。

不文律

本音を書けば、政治家の汚職は10パーセントまで認めるという不文律でもできないものかね。ま、何十年か前には、それはあったんだが。

七人の侍

「七人の侍」の侍たちが、明日を煩わず、今を全力で生き、楽しいときは思い切り笑い、悲しいときは思い切り泣いている様子を見ていると、心が洗われる気持ちがする。もっとも、自分は百姓の側だったり、してるかもしれないけどな。

クソ真面目に偏狭

いまだに実用書を退け哲学書を読んでる、っていう偏狭さが、「金儲け」と「理念」という両極端の間を揺れて安定しない、という自分の態度の原因になってるのかな、、、などと、クソ真面目に考えるところが、すでに文芸書読みすぎ。

デジタルイタコ

Twitterをやっていると、「過去というものが、将来、完全可視化される」、というオレの大予言(笑)が当たるかもしれない、という気がしてくる。未来では、イタコを使う代わりにTwitterなどを使う。そして、デジタルイタコ、電子イタコ、電脳イタコ、Twiter霊視などなど。ああ、それにしても大御所の恐山はいずこへ。

興味と思考能力

「物事に興味が無い人は、思考能力の低下が著しい」との記事を読んだのだが、思うに、「興味がある」、ということと、「思考する」、ということは同じことで、「興味を持つと思考力が向上する」とかいう因果関係とは関係ないと思う。これって昨今の幼稚な因果律過信から来た言葉という感じ。そんなのほっといて気楽に興味のあることだけをやっていればいいんじゃないだろうか。

ユングの共時性

ユングの言った「共時性の原理」を知り、激しく共感する。共時性とは、何の因果関係もないふたつの事柄が偶然同時に起こってそれがきっかけで何か新しいことが始まることをいう。たぶん、現代のネット社会のポジティブ面に、正確に適用できるはず。

ところで、調べてみたら、ユングの共時性など彼の後年の心理学は、現在の心理学会では異端扱いだそうだ。まあ、当然か。今は、物質としての脳や遺伝子をあれこれいじくる時代だもんな。それでこの共時性という概念だが、当時ユングは誤解されること覚悟で発表したそうだが、はたして案の定その通りになった。何となく感慨を感じるね、複雑な気持ちって感じだ。それにしても、こういうものが新興宗教的いかがわしさと紙一重になってしまうのはなぜなんだろう。共時性そのものは、ただの「生活の知恵」に近いものなのだが、そんな常識的生活の場にまで心理学などという科学を持ちこまないでくれ、という一種の抵抗なのかな。