月別アーカイブ: 2010年9月

官僚を誤解してはいけない

物事を処理するとき、その「方法」にしか興味がない人、という話が出たが、いわゆる「官僚」の次のオレ流定義を思わせる。

”入力と出力を持つ箱において、入力に対し最適な出力を得る性能、常に性能に変化がない定常性、さらに、入力の種類によらず同等の性能が出せる適応性、の3つを満足する箱を「完全な官僚」という”

少し考えるとわかるけど、以上の定義を満足する完全な官僚というものがどういう性質の持ち主かと言うと、それは「常に元気で、明るく、活動的で極めてフレキシブルな人」なのである。ステレオタイプな、いわゆる、頭の固い退屈な理屈っぽい役人像と間違っても混同してはいけない。そんなわけで本当に官僚的なタイプの人と一緒に遊ぶと、実はとっても楽しい。

そして、彼ら官僚に欠けているのは、「産む苦しみ、生きる苦しみ」、コレである。というわけで、仏教には向かない。いや、一般に宗教には向かない。そして、芸術にも。

本質とは何か

かのホンダの経営者が製品の量と質の問題について、「どこに本質があるかを見る目が必要だ」と語ったそうだ。

さて、「本質」とは何か。こんな問いがあったとすると、それを哲学的に捉えるか、現実の分析結果からの帰結と捉えるか、という最初の選択にぶつかるんだが、僕は古いのでどうしても前者的発言になってしまう。で、答えると

”「あるもの」の「本質」とは、当のあるものをあらゆる角度から分析したときに、常にその結果を説明しうる「あるものの性質」を言う。”

となる。おそらくホンダの人の意味と違うところは一箇所だけ。「あらゆる角度から」というところ。彼の場合これが「ある角度から」になる。で、「量と質のどちらが本質か」の問題だったら、彼の場合、「製品の市場性」という角度から見た本質とは何か、ということになる。

本質の哲学的定義の方の、「あるもの」というところに「生命」を置くと、その「本質」がそもそも規定できるか、という大問題に発展する。たとえば、サルトルの有名な「実存は本質に先立つ」などの哲学的問題になる。

と、いうわけで、「あるもの」に「商品」を置いたときにも、その「商品」を、「物質」と見るか、「生き物」と見るかによって、その本質議論はまるっきり変わる可能性がある。前者を採用して物質だとすれば、科学的マーケティング手法になる。後者のように商品は生き物だということであれば、これは研ぎ澄まされた経営者のカンがモノを言うのかもしれない。

ちなみに、哲学的でない本質定義であれば、「あるもの」にたとえば「労働者」や「消費者」といった人間(生命)を入れても、まるで心配は要らない。なぜなら「ある角度」からしか見ないから。これが、「経営」である、あるいは「政治」も長い間そうだった。

質と量

作る人食べる人構造の過去の形態では、質が量を決めて量が増えることで質を維持していたけど、今後は、量が質を決めて質が量を決めて、結局、質と量は等価になってしまう。。。 と、いうのはSFかな。

ウルマーの言葉

まったくメージャーミュージシャンではないんだが、オレの尊敬するアバンギャルドジャズギタリスト&シンガーのJAMES BLOOD ULMER のインタビューを読んだのだけど、とても面白かった。ウルマーは、自分にとって、歌を歌うことと、ギターを弾くことは全然異なる行為だ、と言っている。自分が歌えるのはブルースだけだが、ギターでは自分が弾けるものが何だか知らない、と言う。つまり、ギタープレイでは可能性は不定で無限だが、歌では可能性はたった一つしかない、と。

しかし、こういうのを読むと、現在読んでいるベルグソン哲学的な解釈に易々と結びついてしまうのが、いいんだか悪いんだか。野暮だけれどネタを明かすと、可能性が不定で無限というのが人間の「悟性」を、たった一つの決して間違わない可能性というのが「本能」を、それぞれ代表している。ただし、上記、実は言葉を誤って使っている。後者の「決して間違わない」のは「可能性」ではなく、現在進行中の「単一の行為」である。

まあ、やはりすごいことを言う人だ。とにかく、ずっとご無沙汰だった最近のウルマーを聞いてみよう。

不文律

本音を書けば、政治家の汚職は10パーセントまで認めるという不文律でもできないものかね。ま、何十年か前には、それはあったんだが。

七人の侍

「七人の侍」の侍たちが、明日を煩わず、今を全力で生き、楽しいときは思い切り笑い、悲しいときは思い切り泣いている様子を見ていると、心が洗われる気持ちがする。もっとも、自分は百姓の側だったり、してるかもしれないけどな。

クソ真面目に偏狭

いまだに実用書を退け哲学書を読んでる、っていう偏狭さが、「金儲け」と「理念」という両極端の間を揺れて安定しない、という自分の態度の原因になってるのかな、、、などと、クソ真面目に考えるところが、すでに文芸書読みすぎ。

デジタルイタコ

Twitterをやっていると、「過去というものが、将来、完全可視化される」、というオレの大予言(笑)が当たるかもしれない、という気がしてくる。未来では、イタコを使う代わりにTwitterなどを使う。そして、デジタルイタコ、電子イタコ、電脳イタコ、Twiter霊視などなど。ああ、それにしても大御所の恐山はいずこへ。