月別アーカイブ: 2010年9月

芸術はときに爆発だ

芸術というのは時に爆弾のように作用することがある、とむかしどこかに書いたが、ホントにそうかもな、と思ったりする今日この頃。たとえば自分は、罪と罰を20回読んだから頭がおかしくなったのか、頭がおかしいから罪と罰を20回読んだのだか、分からない。と、いうか、これは同じことを言っている。

願掛け

パワースポットというのは、どうも自分はとりあう気になれないな。いわゆる超常現象などは無条件にその存在を信じている自分なのだが。いや、その存在が実生活に及ぼす影響を信じている、と言うべきか。そのせいなのかパワースポットは存在そのものより、その影響の方がなんだか嘘くさく感じちゃってね。

人生は、目的の達成ではなく、どう生きるかだ、ということがもし正しいとすると、願掛けというものはあまり意味がなくなる。あるいは願をかけるその内容が変わる。なので、自分は寺社仏閣に行くと、草木の様子や、人々のまちまちな動きや、建物の屋根のカーブの曲率を見たりして過ごす。

あ、もちろん、願もかけるけど。健康に幸せに生きられますように、とかね。

副社長の自殺

サムソン電子の副社長が自殺したってね。僕と同じ歳の51だ。その遺書には、過重な社内プレッシャーについての言及が残っていたそうだ。しかし、なぜ、社会組織というのは、気付いて見ると右にも左にも前にも後ろにも逃げ場がないという風な錯覚を人に与えてしまうのだろう。一個の生物として自身は自由なはずなのに。

そんなこともあり、大真面目な趣味、というのは大事なんだろうね。社会組織生活とぜんぜん違うところに何かを持っているということ。もっとも、さいきん、そういうことがよく言われるわりにはそれほど助けになっているかどうかは、分からない。当の行き詰まりを打開してくれるわけではないので、意外と逃げ道にならなかったりもする。つまり、社会で逃げ道がなくなったら、趣味の世界に逃避できるかというとそうも行かない、ということだ。

なので、大真面目な趣味を持つ、というのは、一般に考えられているように、気晴らしや逃げ道、といった現実的なものと言うよりは、心の持ち方を徐々に変えてくれるものとして機能するんじゃないだろうか。つまり、人生は、枝分かれした一本の細い道を歩いているんじゃなくて、大洋に浮かんでどこぞの島を目指している、とイメージすることが大事だと思うんだが、趣味というのはそういう心持を育ててくれるような気がする。

twitter

twitterはたしかになかなかおもしろいことが分かったが、いろんな人のtweetを読んでいると、ときどき、よくお店の入り口に立ってる実物大の人型の立て看板みたいに見える幻が、自分の周りにぴょんぴょんと配置されているように感じるときがある。

言葉と時間

言葉と時間という2つのことは、永遠のテーマなんだな。冷酷な時間に近寄りすぎてしまった現代から、もう一度、豊かな言葉を取り戻すことが、21世紀的と信じよう。「速く軽く薄くはかなく」は、すべて基本は「時間」に関係してるんだな。まあ、どこかで、転換期が来て、もう一度「言葉」に戻る、とオレは踏んでるんだけど、実際には来ないかもな。