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原家本(奈良国立博物館所蔵)

本図は経典の「起世経」を元にしたもので、七つの地獄を描いている。



一 屎糞所

罪人たちが浸かっているこの黄色い液体は糞尿である。巨大な白い蛆虫が罪人をさいなんでいるが、この虫は針口という名前だそうだ。クリっとした大きな目に触覚が生えてなかなかおちゃめなルックスである。罪人たちは目が腫れ上がっていていかにも辛そうだ。

詞書はこんな風に書いている。

「むかし人だったころ、愚かな心から、清らかではないものを清らかと思い、汚くないものを汚いと思い、仏法にありながら三宝を敬う心がない者が、この地獄に落ちる。罪人は糞尿の穴に頭から落ちて行き、その悪臭と、汚らしさは、たとえようがなく、また、その糞尿の合間には針口という蛆虫がいて罪人をかじって食べる。その苦しみは耐えがたい」

欲にまみれた汚いものにうつつを抜かし、清らかなものをないがしろにする、仏を敬わない輩が、この糞尿と巨大蛆虫の地獄に落ちて延々と苦しむのである。なお仏典によれば地獄の苦しみは永遠ではなく、ちゃんと期限がある。とはいえ、ふつう兆年単位である。地獄の虚空は漆黒で、暗黒の中でひたすら糞尿に浸かって何兆年も苦しむ罪人には、本当になりたくない。

二 函量所

三つ目の鬼が監視する中、三人の罪人がいかにも辛そうな顔をして、火の中にいる。彼らは、鬼に命令されて灼熱の鉄を升に入れてそれを測らされているのである。鬼の白髪は長く、しなびた乳が垂れ下がる鬼婆である。罪人が手を休めたりすると、即、棒で殴りつけるのであろう。鬼婆は皺々で大きくて、怖い。

詞書にはこんな風に書かれている。

「むかし人だったとき、斗升の大きさをごまかして、人々を悩ませたり、商人を苦しめたりする、情けない奴、そういう輩がこの場所に生まれる。ここには鬼がいて、罪人に器を持たせて、炎の中で真っ赤に焼けた鉄を罪人にひたすら測らせることを休みなく延々とさせ、その苦しみは耐えがたい」

斗升は今でいえば一斗缶で18リットルだが、いずれにせよその大きな入れ物の量をごまかしたのである。酒だか醤油だか味噌だか分からないが、升の大きさをごまかす輩はそのころ、けっこういたのであろう。

三 鉄磑所

四人の鬼が楽しそうに全力で罪人たちを鉄臼でこなごなに挽いている。鬼は人よりだいぶ大きく、左上の鬼は右手でたくさんの罪人を抱えて、一人一人鉄臼に突っ込み、二人の鬼が臼に巻きつけた紐を全力で引っ張り、罪人をすり潰す。ギザギザの鋼鉄から潰れた手足と血が噴き出している。右にいる鬼婆はザルでばらばら死体を掬い取っているが、これがまた活き返り、再び鉄臼で挽かれ、それが延々と続くのである。

詞書にはこんな風に書かれている。

「むかし人に生まれたとき、心がねじけていて、他人の物をかすめ取ってお代も払わず、あるいは、心が醜くいやらしく近寄りたくないような人がこの地獄に生まれる。ここには獄卒の鬼が罪人をつかんで、鉄の臼に入れては挽き潰し、体は砕けて散らばり、その痛みと苦しみは、比べられるものがない」

どうやら、生来、心がねじれて汚くいやらしくて悪く、することといえば他人のものを公然と盗み取ることぐらいしかしない、どうしようもないワルな輩がこの地獄に落ちて、鉄臼ですり潰されるようである。楽しそうに労働する鬼の人数も多く、きっとそういう輩はこのころ、そのへんにたくさんいたのであろう。

四 鶏地獄

炎の中に、翼を広げた巨大な鶏がいる。絵が傷んでいるせいで、残念ながらあまりよく見えないが、上から落ちて来る罪人を口から炎を噴き出して焼き、火の中に落ちた彼らを足で踏み潰しているようでである。

詞書にはこのように書いている。

「むかし、人間だったとき、愚かな心ゆえに腹黒く、争いを好み、あるいは、生き物をさいなみ、鳥や獣を苦しめる者が、この地獄に生まれる。ここは、猛り狂う炎の中に鶏がいて、罪人をひたすら踏みつけ、彼らの体はずたずたに切り裂かれ、その苦しみは耐えがたい」

愚かな心からむやみに争いを好み、動物を虐待などもする、心ない人間が落ちる地獄というわけだ。それにしても、この巨大な鶏の正確な描写は見事である。鶏は上から落ちて来る罪人を見ているのだろうか。それにしても、鶏が完全にあっちの世界に行っている表情に描かれていて、なかなかに恐ろしい。

五 黒雲沙

画面の上は怪しく逆巻く黒い雲が覆い、その下に、裸の罪人たちが炎の中を逃げまどっている。

詞書にはこうある。

「むかし、人として生まれて、心が醜く悪く、人を傷つけ、人の家に火をつけて焼くのが好きな輩が、この地獄に落ちる。黒い雲の中から、焼けて熱せられた砂が降り、罪人をひたすら焼き、止まることがない。その苦しみは延々と続き耐えがたい」

罪人の部分が傷んでいて見えにくいが、焼けた砂が黒い雲から間断なく降り続け、逃げても隠れるところもなく、さいなまれ続けるなど、素晴らしい想像力である。

六 膿血所

罪人たちが浸かっているこの液体は膿汁なのである。そこを巨大な蜂のような虫が飛び回り、彼らにかじり付き、さいなんでいる。

詞書にはこのように書いてある。

「むかし人だったとき、心が愚かであらゆる人に対して腹黒く、汚いものを分かっていて人に与え、食わせた輩が、この地獄に落ちる。ここには大量の膿の汁が溜まっていて、罪人はその深い膿に口鼻のところまで浸かり、さらにそこには最猛勝という虫がいて、罪人に喰いつき、骨をつらぬき、筋は切れ、その苦しみはたとえようがない」

漆黒の虚空を飛ぶ巨大な虫の形態描写が見事でなんともリアリティがある。相変わらず目が大きくクリっとして面白いが、目の腫れ上がった罪人たちは、頭を出していれば虫に喰い破られ、嫌ならば汚い膿汁に沈むしかなく、逃れるところがない。こんな苦しみが延々と間断なく続くのは、まことにたしかに耐えがたいであろう。

七 孤狼地獄

裸の若い女の罪人が、口から火を噴く大きな怪物に責められ、逃げまどっている。見えにくいが、拡大して見ると、女の頭と右わき腹に鋭いくちばしを持った妙な虫が食らいついている。この最後の孤狼地獄は詞書が欠けていて、別の説もあるそうだ。怪物は狼に見えなくもないが、想像上の怪物なのであろう。