ツレヅレグサ・ツー
            ッテナニ?

十一 十二 十三 十四


モノ
ドラムやろっかな
二子玉川の裏口
追悼ライブ
一勝一敗
プレイのニュアンス
地獄の思想
モノトーン・シンフォニー
四川料理
ジャズとブルース
700円
ブラジルの若者バンド
陳建民
ジュール・ランドー
得体の知れない経験
地下鉄にて
テラプレーンの真空管アンプ
ひさしぶりに
ただの小話
ニュー
ソニー・ロリンズ
高級中国料理
ハエ
ふれあいコーナー

 

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モノ

さっき、ある人の文章を読んでいて思ったんだけど、「モノ」って不思議だね。たとえば、宇宙空間にモノがひとつ止まって浮いているとして、それをこつんとひっぱたくと、モノはその方向に動き始めて、そのままずーっと同じ速さで動き続ける。もし、ここに別の人がいて、その人がその最初の「こつん」を知らなかったとすると、単に一方向に動いているモノが見えるだけだよね。そうすると、その人は、「このモノは何のために動いてるんだろう」と思わないかな? そうしてみると、結局のところ、たとえばモノが右から左へ動いて通り過ぎていったとして、「なんで、このモノが、あそこの右から、あっちの左へ旅行するのに時間がかかるんだろう」と思わないかな? なぜ、一瞬で移動できないんだろう? さて、物理学を知っている僕らは、宇宙空間で等速運動しているモノを見たら、「ああ、最初にどこかでこつんがあったんだな」と原因を思い浮かべ、そこで安心する。しかし、どうだろう。では「いつ、こつんがあったのか」については知るよしもない。10秒前? 1時間前? 1年前? 100年前? これを知ろうとするなら、どうしても、自らが動いて、いつ「こつん」があったのか調べる行動をしないといけない。モノが来た方向を見たら怪しいヤツがいた、とか、モノをつかんで手にとって調べるなどなど。と、いうわけで、自分が活動しない限り、目の前に等速運動するモノが見えた、という事実は、「こつん」という意味以外はまったく持っていないことになる。「時間」は欠落している。「時間」を確かめるには「活動」しなくちゃならない。で、結局、時間というのは人が活動するためにある、ということになる。僕らが楽しく生きているのも、つらく生きているのも、時間のおかげだ、ということになる。「こつん」と「等速運動」という因果関係だけでは、人は生きてはいけない、ということなのかな。ちょうど、音楽で、「譜面」はまったく止まっていて、始まりから終わりまで見通せるけど、「時間」の力を使ってそれを「演奏」しないと「音楽」にならないのに似ているね。


ドラムやろっかな

ドラムをやってみようかな、と思っている。そこそこにリズムを刻むぐらいはできるんだけど、もうちょっと本気で。むかし、大学のころ所属していたロック研究会ってサークルの部室にドラムが置いてあっていつでも叩けたので、そのとき覚えたせいで少しできるのである。しかし、それ以来まったく練習していないので、当然、テクはそのときのまま止まっている。

セッションバーなんかでドラムがいないとき叩いたりするんだけど、これが面白くてね。もう、叩いてて、楽しくて楽しくてしょうがない。ギター弾いてるのとずいぶん違う。ギターのときは、たとえば、他人が僕の苦手なジャンルや、ギターパートが退屈な曲とか選ぶと、まあ、弾きはするけど上の空、お仕事みたいに淡々とこなしたりする。まあ、それじゃあ、その曲をメインでやってる人に申し訳ないので、フリーセッションのときは、自分がトップのときだけステージに立ち、他人のヘルプは極力その辺にいるギター弾きの人に「やってくださいよ〜、ね、オレもうさんざんやってるからさ、おねがいっすよ」などと言って、自分は辞退して人に押し付ける。

それがなんと、ドラムとなると、もう全然ちがっていて、ジャンルが何であろうと、嫌いな曲であろうとなんだろうと、何をやってもOK! 演歌だろうが、歌謡曲だろうが、四畳半フォークだろうが、なんだってやっちゃう。特に僕はビートルズの曲をほとんど知っているので、ビートルズセッションでドラムがいなかったりすると嬉々としてドラマーに徹してしまう。

あと、ドラムって基本的に体を常に動かして叩くので、とっても爽快である。ギターなんか、左手の指をクネクネさせて、右のピックを1センチぐらいの幅でチマチマ動かしてるだけで、肉体的にぜんぜん内向的である。まあ、エアギターの人みたいに踊りながら弾けばいいんだろうけど、あれって当のギターとは違う芸だからね。ドラムは、演奏イコール体動かす、だからさ、気持ちがいい

と、いうわけで、なんかドラムちゃんとやってみようかな、という気になったのである。もちろん生ドラムは我が家では無理なので、電子ドラムね。7,8万円でなんとか買えるみたい。それでしばらく練習して、それでビートルズセッションかなんかへ行って、記帳ノートに、パートは「リンゴ・スター」とか書くのである、楽しそー! ああいうセッションも、どこもかしこもギタリストばっかでさ、ドラムの方が出番多いし。

ところで、いままで長年バンドやっていて思うんだけど、ドラマーって性格のいい人が多いんだよねー。それって、こういう、ジャンルはあまり気にせず、なので人の音楽性は侵害せず、体動かして発散して、頭でっかちになりようがない、そんなドラム特有の性質のせいかもしれないね。では、一番性格が悪いパートは? って言うと、これは、もう、圧倒的にギタリストですな、ははは


二子玉川の裏口

二子玉川の、高島屋と逆側の裏口が、いつになくさびれている。というのは、すでに二子玉川再開発がスタートしていて、この裏口からかなり広い一帯がすっかり近代都市化して高層ビルがいくつも建つことになっているのである。そんなわけで、かなり前から立ち退きが進行していて、今では、再開発反対運動と共に数えるほどのお店が開いているていどになっている。この裏口だけど、再開発の話が出るずっと前から、小さなバスロータリーと、地味なお店がぱらぱらと並んでいるていどで、表口のにぎわいと対照的だったのだが、今では店の立ち退きもあって、なんだか独特の雰囲気になっている。僕の家はこの二子玉川の裏口から歩いてゆけるところにあるんだけど、ある日、改札を出て裏口に立っていつもの殺風景でがらんとしたロータリーを見たら、なんだか時間が30年ぐらいは戻ってしまったようなうら寂しさが漂っていて、ちょっとびっくりした。長く続いた街が無くなって行く、というのは、なんというか、知っている人が死ぬのに似て、一瞬、デジャブっぽい郷愁を呼び起こすものなんだね。


追悼ライブ

こんど追悼コンサートというのを頼まれてやって来ることになった。僕が一緒にやっている本業ギターの人がいるのだけど、その彼の友人がさいきん亡くなって、その追悼ライブである。亡くなった方とはここしばらく一緒に演奏していたこともあったそうで、僕が亡くなった方の代わりにそのバンドに入って、演奏することになっている。それで、その人の話をいろいろ聞いたのだけど、ずいぶんとピュアな人だったようで、そういういい人が亡くなってしまう、というのは悲しいね。若いときにギターをやていたけど、やめてずいぶん立って、そしてあるとき、仲間うちでバンドの話が出て、そのときその人が全身で「バンドやりたい」光線を発していたそうで、それで一緒にやることになったそうだ。実はその人はたいそうなオーディオマニアで、音の良し悪しは完全に分かるのだけど、やはり実際に自分で演奏するとなるとなかなか思うようには行かなかったみたい。オーディオマニアぶりも徹底していて、地下室にオーディオルームを作り、巨大なスピーカーはウーハーが1m近くもある代物で、ドライブは真空管アンプ、そしてプレーヤーは圧縮空気で全体を浮遊させる構造になっているというからすごい。それで、僕のバンド相棒の人がそのリスニングルームに行ったことがあるそうで、そこで、ジミヘンのLPをかけたそうだ。そうしたら、もう、ホント自分のすぐ目の前に本物のジミがストラトを肩にかけて立っていて、その場で弾いているような、ものすごい音がしたそうだ。すごいね、一度聞いてみたいもんだ。やっぱりそういう等身大で聞こえる音、というのは、でかいスピーカーにでかいアンプと、とにかくでかいものが必要なのかもね。なんにしても、その人、たいそうな凝り性だったんだろうね。会ったことはないけど、追悼の意を表してきちっと演奏することにしよう


一勝一敗

少しむかし、三宿に住んでいたころ、最寄り駅の三軒茶屋から家に帰る途中に、ヒューザーのオフィスがあった。そのころは、当然ながら、今みたいに悪名高い会社じゃなかったわけだけど、オフィスの入り口にかかっていた看板に書いてあった文句がどうも白々しくて気に入らなかった。「ヒューマン」と「ユーザー」をかけて作った社名で、私たちはユーザーであるお客様のヒューマンな心を第一に考え、その思いを込めてヒューザーという名前にしましたとかなんとか書いている。どうも、この理屈もだけど、なによりこの「ヒューザー」という語感が自分的にひどくイヤで気に入らず、たしか、何人かの人に、いつも通る道にヒューザーっていう白々しい名前の会社があってさー、とかしゃべった気がする。それで、何年かして人も知るあのマンション耐震偽装だ。そらみろ、やっぱり怪しいと思っていた、などと思ったものであった。

そしてこれまた少し前、何回か京都へ出張する用事があって、京都のビジネスホテルに泊まったのであるが、なぜか幾多あるホテルの中からAPAホテルが目につき、何回か泊まった。なんか、Aがたくさん使ってある、というのがリストの上に来やすいというのもあるけど、「A」とか「あ」って何となく信頼感を呼び起こすのかなと思ったりしていた。飛行機のANA、JALもしかりである。それで、いつだったか泊まったとき、部屋に、かの帽子の女社長の本があって、それをぱらぱら読んで、まあ、正しいことが書いてあるな、などと思ったものである。最後に泊まったのは、3ヶ月ぐらい前だったのだけど、それまではとっても礼儀正しかったフロントが、なんかうさんくさい感じのおじさんで、客への口のききようがちょっとびっくりするほど悪く、あれ?と思ったのは今でも覚えている。それで、知っての通りここも耐震偽装で上げられた。ついこの前泊まった京都駅前のAPAホテルがテレビに写ったのには驚いた。

ということで、ヒューザーは当てて、APAは外れた。一勝一敗である。


プレイのニュアンス

歌とギターを練習するとき、いつものように適当に弾いて歌ってハイ終わり、というんじゃなくて、ちゃんとした録音マイクを立ててMDに録音しながら演奏し、演奏が終わったら、ちゃんとしたオーディオセットでプレイバックして自分の演奏を聞いてチェックする、というのをやってみた。今まであまり気づかなかった細かいところが分かって、なかなか勉強になるね。それで分かったけど、歌で、軽く、弱く歌う部分がどうもいまいちだった。単に、音量が下がっている、という感じに聞こえ、その部分の声のハリが欠けている。軽く弱いところというのは、「軽く弱く」聞こえるけど、「強い」ところと同じだけの存在感を持って聞こえないとダメなのである。単に、声のボリュームを落としただけでは、声が小さくなり、それと共に存在感も小さくなってしまう。それにしても、これは直すのが難しいね。ボーカルスクールとかではどうやって指導するんだろう?

それで、そんな話をしていて、ピアノを習っているうちの奥さんが言っていたんだけど、ピアノ演奏でも「ピアニシモ」の部分の弾き方はけっこう難しいそうで、指の力を完全に抜いてしまってはダメなのだそうだ。ピアノの先生いわく、ピアニシモ部分でも、指の先っぽのそのまた先の部分だけは、しっかりと力を入れていなければいけない。そして、そこ以外の部分の力を抜いて、軽く、弱く弾くのだそうだ。しかし、指先の先っぽだけ力を入れて、と言われてもねえ、と思うけど、感覚的には分かる気がする。歌の場合のピアニシモ部分も同じで、声は弱く、軽くなるけれど、声の輪郭にだけはしっかり力が入っていなければいけない。すなわちフォルテ部分と同じくハリのある声質を保っていないといけない

この辺、やっぱり教えるのも習得するのも大変だよね。以前、テレビのスーパーピアノレッスンっていう番組で、超上級者のピアノレッスンを見たことがあるけど、先生の言うことって、たとえば、「この部分は、あなたが地球上で突然一人になって、何もない荒野に放り出され、あてもなく右へ、左へさまよっている・・そんな感じをイメージして弾いてください」とかとか、無茶なことばかり言っている(笑) でも、そんな風に言うほかないような、微妙なニュアンスを追求しているわけだ、超上級者というのは。これは、何もクラシックだけに限らず、ブルースだって、そうだ。いや、ホント

練習の後、DVDでジミヘンを見た。彼にしては珍しく力を抜いて演奏したスローブルースのライブだったのだけど、ボーカルといい、ギターといい、全体に力を抜いた、弱い感じにかかわらず、声のすみずみ、フレーズのすみずみにまで、心に沁み込むように神経が完全に行き渡っていて、一曲の全体を支えている様は、やはり物凄い。こういうブルースの演奏は、プロであってもほとんど見られないものだ。さすが二十世紀最大のギタリストだ。オレもがんばってうまくなりたいね〜


地獄の思想

梅原猛の地獄の思想という本をぱらぱらと読んでいるが、相変わらずタイムリーな本を選ぶものである。地獄はあちらの世界にあって落ちるものというよりは、この世の中にこそ地獄がある、ということと、そして、それでも生きることに感謝を捧げ生きることに然りと言う、ということは、とても僕のメンタリティーに合っている。僕にとって決定的な作家、ドストエフスキーの世界は、そのままこれにあてはまる。仏教が入ってくる前のむかしの日本人たちは、民族の誇り、生きることの素晴らしさ、今、自分がここにいることへの感謝、といった素朴な民族意識を持っていたそうで、この生命肯定の思想が行き着く先に大日如来があるのだそうだ。これに対して、釈迦の主要な思想である、生きることは苦である、したがって苦の元である欲望を捨てて苦から自由になりなさい、という考え方が日本に入ってくるにおよんで、むかしの日本人たちは紆余曲折の道を歩み始める。生命肯定の思想と釈迦の思想は見事に正と負の異なる方向を向いていて、これを統一の道へ導いて行く道が始まる、というわけだ。それで、その最後の方に空海の密教のようなものが出てきて、全宇宙の統一調和というものが現れて、ここにして宇宙に生きる全生命、人も動物も何もかも全て救われる、という考え方に行き着く。さて、しかし、また、それから何百年かたった今現在、どうなっているかというと、あえて赤裸々に言いたくないような、非人間的で孤立した無意味な混乱に陥っている、などと言うのは悲観しすぎだろうか。ああ、それにしても、こういう現在に対する呪詛というのは、ドストエフスキーの地下生活者の手記や、坂口安吾の堕落論などのように、とにかくすべて出し切って、言い切ってしまわないと再生の道が開けない気がするね。すなわち、単なる愚痴になってしまい、その先が見えず、せっかく持っているエネルギーも拡散して消えてなくなってしまう。さて、今一度、日本古来のエネルギーを呼び戻すにはどうすればいいか、右翼になって天皇を賛美することだろうか、と考えると、現代日本ではこれはありえない道に思える。そういえば、右翼といえば、むかしとある電柱に貼ってあった右翼の真っ赤なビラを読んで、全編正しいことが書いてあることにびっくりした覚えがある。思想は正しいのだ。ただ、そのスタイルが時世と合っていない。というわけで、結局、世の中の表舞台に出てこない、目立たないけど堅実な、単純で素朴だけどまっすぐな、そんな名も無い人たちのところに再生の道が隠れている、と考えよりほかないような気がしてくる。ヤレヤレ・・


モノトーン・シンフォニー

宮原先生からメールが来て、イヴ・クラインのモノトーン・シンフォニーが忘れられず、何とか手に入らないか、とのことだった。去年、北海道の学会で僕がしゃべった「ランダムと芸術」の中で、どこぞのサイトからダウンロードしてきたMP3をノートPCのしょぼいスピーカーで再生してみせたのである。宮原先生は、ハイ・フィデリティな映像とオーディオの教祖のような方で、実際、チューニングにチューニングを重ねた、物凄い、独自のAVシステムを開発している。その人が、あの、まるで粗末な環境で聞いたあの音が忘れられない、というのだから、やはり、そのとき、北海道のビルの一室の空気に、たしかにイヴ・クラインの魂がよみがえって、伝播したのである。こういうことには、決して嘘がない、すべてが本当でできている。とても、感動的した


四川料理

中華街で、四川料理の代表ともいえる水煮牛肉(シュィ・ヂゥ・ニュウ・ロウ)を食べた。水煮という字が当ててあるけど、これは、大量のトウガラシと山椒と油を使った、ものすごい料理である。山椒で舌はしびれるし、辛さと大量の油で、冷や汗をかくぐらい強烈な代物だけど、これはたしかに旨い。四川省には実際に行ってあれこれ食べているので、今日のこれがかなり本場のものに近いのは分かる。市場通りにある景徳鎮というところで、四川省出身の料理長がいるのである

さて、それで、帰ってYouTubeで調べたら、四川料理の製法を映像にしたものが大量にアップされているのを発見した。しかし改めて見てみると、火力の物凄さにびっくりするね。炎が、あのばかでかい中華鍋からはみ出して燃えていて、調味料などを入れるごとにゴォーっと火が入り、ほとんど火事場で作っているみたいな状態になっている。あと、半端じゃない大量の油を使っているのも、すごい。一皿の料理で杓子一杯ぐらいの油を投入している。逆に、あれだけの炎の中で作っている状態で、もし、あの大量の油がなければ、あっという間に材料が焦げてしまうと思う。そのあたり、やはり見事にバランスが取られた調理手順なのだろうな

ということで、同じものを作るのは家庭ではほとんど不可能とはいえ、僕は、それでも家庭でなんとか似たものが作れるように、これまであれこれ製法を工夫してきたのだけど、また、そろそろ秘訣公開のホームページでも作ろうかな。さいきん、中華料理趣味がわりと適当になってきているので、もう一度改めてやってみるってのもいいかもしれないな。十年ぐらい前、中華料理の電子ブックを書いてそれまでの集大成を作ったのだけど、いま一度、本でも書いてみるか


ジャズとブルース

この前、ジャズギタリストの人と飲んでたときに出た話。僕はブルースギタリスト+シンガーなのだけど、音楽や仕事の話などしながらふと思いついて聞いてみた。 「ジャズマンで坊主になったやつっていましたっけ?」 「え、坊主って?」 「ほら、宗教なんかに走るとか」 「えーと、ああ、いますよ。ソニーロリンズとか何度も失踪していて出家みたいだし、コルトレーンは知っての通りインドの神系に走ったりしてるし」 「でも、それって、自分の音楽の世界を広げるためでしょう? そうじゃなくて、音楽を捨てて坊主になって宗教に走るみたいな人」 「あ、それはジャズではあまり聞かないですねえ」 「ですよね。ブルースマンにはけっこういるんですよ、音楽捨てて坊主になっちゃうやつ」 このあと、ジャズとブルースの演奏や生きかたの姿勢の違いなどなどについてしばらく話したけど、楽しかったね。そうなのである、ジャズは世界を常に広げようとするクリエイティブな精神に満ちていて、それがプレイヤーのエネルギーの源なのである。それに対してブルースは、常に、音楽が現世と共に苦しんでいて、今の世界を変えることよりも、その向こうの来世に救いを見る、みたいなところがあり、どこまでも現実そのものなのである。だからジャズマンは世界を広げるために宗教を使い、ブルースマンは世界を捨てて宗教に走るのではあるまいか。そんな話をした。もちろん、これは両極端を誇張して論じているだけで、その中間はいくらでもある。しかし、僕にはとても分かりやすかったし、ジャズマンの彼も妙に納得していたみたい。知ってのとおりジャズとブルースのルーツは同じで、同じ精神の異なる両面を担っているんだろうね

ただ、以上の考え方は、一面に偏りすぎていて、ジャズもブルースも、プレイヤーの心としては両面を持っていないと、なかなか人の心に届くプレイはできないのは当然のこと。


700円

マディーウォーターズのブルースに、フーチークーチーマンという超有名な曲がある。オレはこんなに凄いんだぜ、とひたすら自慢する曲である。とある昔のブルースクラブでこの曲を歌っているマディーがビデオで見られるんだけど、巨漢っぽいすごい貫禄の彼が、マイクの前にドーンと立ち、一言自慢するごとに、「どうだ、おまえらも分かるだろ」といわんばかりに、右手で客席を指さしてみせるポーズは確かにカッコよく、マディーだったら納得してしまう

さて、ずいぶん昔、とあるライブハウスにブルースを演奏しに行って、対バンの演奏を客席で見ていたときのこと。この対バンもブルースバンドで、演奏前に楽屋でリーダーのおっちゃんと話したのだけど、とっても腰が低い、ブルースをこよなく愛するいい人だった。さて、このおっちゃんはボーカルである。ステージ上で、このフーチークーチーマンが始まった。ビデオの中のマディーと同じく、クールな顔で虚空をみつめ、一言ごとに右手で指さしてみせるその動作もそのまま、本人すっかりマディーになりきっていたのだと思う

それで、ギターソロのあとの最終コーラスで、「7」という数字にまつわる自慢話をやるところ、最後の最後の歌詞が「I got seven-hundred dollars」すなわち、「一晩でオレは700ドル使うぜ」というのがある。それで、このおっちゃん、何を間違ったのか、ここは日本だからか、「I got seven-hundred yen」すなわち、オレは700円持ってるぜ、と歌ったのである。客席でこれを聞いて椅子からコケそうになった。なんて人のよいおっちゃんなんだろう、一晩で

700円って、牛丼大盛りに味噌汁とサラダつけたらなくなっちゃうじゃん!

でも、このおっちゃん、きっと仕事場では部下思いで、家庭では妻子を愛するいい人なんだろうなー、と思わせるものがあったよ。そういえば、一方、むかし、ジミヘンドリックスもライブでこの曲をカバーしているけど、彼なんか「I got seven-hundred girlfriends and dollars, ha ha」、「オレはガールフレンド700人と700ドル持ってるぜ、ハハハ」と言ってるんだけど、カッコいいね〜 まあ、ジミヘンとあのおっちゃんの開きはそれぐらいあるかも。でも、ジミは3年活躍して死んじゃったけど、きっとあのおっちゃんは幸せに長生きしてると思う

人それぞれですな〜


ブラジルの若者バンド

YouTubeにアマチュアバンドの演奏がたくさんアップされていて、ときどき面白いのがあるね。ブラジルの若者たちのやつで、狭い部屋に、ドラムを中心にして、エレキギター2人、ベース、ボーカルが取り囲んでいて、カメラが手持ちで演奏を撮っているのを見つけた。演奏曲はレッドツェッペリンのホール・ラッタ・ラブ。これが、またすごくて、誰一人として周りの演奏を聞いて演奏しているやつがおらず、皆が他人を無視して自分のやりたいようにやっている。まず、ど真ん中のドラムの青年は上半身裸で、決して下手ではないのだが、回りの演奏を聞くという姿勢がまったくなく、演奏中に頻繁に左手のステッィクをクルクル回しながらあたりかまわず叩いている。ギターの二人とベースの青年は、ひたすらコピーしたフレーズをもくもくと弾きまくり、これまた回りをぜんぜん気にしない。そして、ボーカルの青年は歌ってはいるのだが、回りの演奏のキーを堂々と無視して、ぜんぜん違うキーで歌い続けている。そして、最後にこれを手持ちカメラで撮っているヤツは完全にMTVのミュージックビデオのカメラマンになり切っていて、やたらとカメラを振り回している。と、まあ、こういう状態が最後まで続いていて、当然、レイティングは最低点の1点で、「最低!」コメントの嵐なのだが、ここまで行くと興味深いものがある。メンバーが集まってちゃんと一緒にいるのに、ここまでお互いがお互いを無視する、という演奏をするのは日本人にはちょっと難しいかもしれない。日本のバンド野郎にもときどき回りの音がまったく聞こえないやつがいてヒンシュクを買うときがあるのだが、このブラジルの若者たちは自分勝手のそのレベルが違う。これはやっぱり民族性じゃないだろうか。僕が聞き知っているブラジルの生活のスゴイ実情に、このノリが一致していて、妙に感心。しかし、こりゃ、日本人はかなわないわ、ぜんぜん。実はけっこううらやましい!(笑)


陳建民

そのむかし日本に四川料理を広めた陳建民が、25年前に出演した今日の料理の再放送をやる、というので狂喜して録画して見た。陳建民は、かの陳健一のお父さんで、残念ながら今は亡くなってしまったが、今では皆おなじみの、麻婆豆腐、エビチリ、ホイコーロー、バンバンジーといった四川料理を次々と日本人の口に合うようにアレンジして、家庭料理として定着させた偉い人である。およそ30年ぐらい前、僕が初めて買った料理の本が、陳建民の中国料理技術入門という専門書で、いまだに、プロ用アマ用含めて、あれ以上に詳しく、情熱を持って中国料理を語った本はないと思う。今に至るまで僕のバイブルなのである。

テレビの陳建民はあいかわらずとても楽しい人で、片言っぽい日本語がけっこうコミカルで、調理と語りがすごくいいノリを出していて改めて感心した。お相手は、NHKの広瀬アナウンサーで、陳建民のお相手は広瀬アナウンサーしかできない、と言われていたものである。半分通訳みたいにずっとフォローしていて、その2人のからみが絶妙なのである。それで、番組の中で陳建民が言っていた、料理をうまく作るコツは、「料理、これ愛情、必要ね」と「自分で味見て、自分がおいしい皆おいしい。自分おいしくない皆おいしくない」の2つなのだが、改めていたく感心した。なんと正しいことを言う人なんだろう! 

この2つはどちらが欠けていてもだめである。自分がおいしければ皆がおいしい、というのは人の好みもあるしそうはいかないだろう、と思えても、そこに相手に対する愛情があれば料理人のエゴにはならずに自然に相手に味が伝わってゆく。逆に、相手に対する愛情だけあっても、自分が常に自分の料理をチェックして自分の味をまず自分が愛することができる技術がなければ、やはり相手に味は伝わらない、というわけである。ものを作って皆に広める、ということは、愛情と技術の両方がそろって初めてできることだ、という、実はけっこう高級なことを、家庭の主婦向きにああいう感じで表現できる人っていうのは偉いね、感心した、さすが僕の心の師匠だ


ジュール・ランドー

トルストイのアンナ・カレーニナの終わりの方に、フランス人の「千里眼のジュール・ランドー」という奇妙な若者が唐突に出てきて、すぐに消えてしまう。これは、どう考えても、フランスの詩人のアルチュール・ランボーを戯画化してこき下ろすために挿入した部分なはず。しかし、これについて触れているのをあまり見たことが無いところから思うに、トルストイのマジメな研究家は世紀の大小説アンナカレーニナにあるまじき汚点として触れないようにしてるのかもね。第7編の21節に出てくるので、本屋ででも眺めてみると面白い。トルストイは、この若造がホントに我慢ならなかったらしく、この短い挿話を見ると、それがとてもよくわかる。公然と人をこきおろすことは、今ではブログがあるので、誰でもいとも簡単にできるけど、この時代ではこき下ろすのにも小説を使って、ときに周到に、あるいは思う存分にやってのけた、というのも面白い


得体の知れない経験

昨日、打ち合わせで人の話をぼんやりと聞いていたときのこと。ふと、なんの加減なのか、いつの経験かは定かにわからないのだが、かなり古くにした経験のある感覚がふと蘇って、時計の上でおよそ1秒から2秒ほどで、ふと消えてしまった。とても短い間なのだけど、それが、得体の知れない、怪しい感覚で、なんとも形容しがたいものなのである。その経験の「光景」が蘇ったのではなく、なんらかの「音」が蘇ったのでも、「記憶」が蘇ったのでもない。その当の「経験」そのものが蘇ったのである。その元となる経験が具体的になんだったのだかは思い出せない。さっき「感覚」が蘇ったと言ったけど、視聴覚や記憶ではないわけで、「感覚」というよりも、もうちょっと深いなにものかである。

実は、こういうことは初めてではなく、僕はときどき経験する。頻度にして数ヶ月に一回ぐらいだろうか。たいがいが何か引き金になるものを見たり、聞いたり、嗅いだりするときに起こる気がするのだが、定かではない。定期的にやってくるわけでもなく、まとまって起こることもあるし、まったく無い期間が続いたりもする。現に、昨日の打ち合わせの中で、続けて2回あった。別々の経験だったが、二つとも何も思い出せない。これをなんと呼んでいいのかわからないのだが、なんとなく幸福感みたいなものを伴うので「恍惚感」と呼んでおくが、実は、この「恍惚感」は、経験したあとしばらく、かなり心が騒ぐ感じがあるのだが、じきに忘れてしまう。ちょうど朝起きて夢を思い出してぼんやりと感慨にふけるのに似て、実生活が始まってしまうと掻き消えてしまうのである。

最近、実存主義や現象学の本をぱらぱらと眺めて、なんとなく勉強していて、頭の中がいくらか哲学っぽくなっていたりするので、帰りの電車の中でちょっと考え込んでしまった。

たとえば、夢。僕の夢は、カラーで、音ももちろんあり、触覚、そしてたまに嗅覚、味覚も伴うので、五感がすべてそろっている。それで、五感を通して、あるふるい経験が夢の中で再現されたり、再構成されたりするとき、実は起きてからそれほど心は騒がない。それがいかに突拍子も無い事柄であっても、さっきまで寝ていた間に自分の心が経験したことは、夢の中の五感を通して経験され、夢の中で弱くなった理性を使って受け止めているわけで、夢から戻ってきた直後「あーすごかったなー、あれはなんなんだろう」と感心することはあるが、怪しい心持になることは、あまりない。ちょうど、ものすごくよくできた「映画」を見たあとのような感じに近いものになる。

これに対して、昨日のような「恍惚感」は、そういった「感心」をはるかに超えていて、なんとも言い難いが、これ以上長く続いたら、たぶん気が狂ってしまうだろう、といったたぐいの感覚なのである。1,2秒しか続かない、というのも訳のある話で、じっさい、たとえば10秒も続いたら頭がおかしくなってしまうのではないか、と思われなくもない。ある「経験」そのものが、五感の記憶や、言葉で説明できる記憶、理性的な記憶の働きを通さずに、それらをすっ飛ばして、じかに「経験」として感じられる、ということが、なぜこんなに禁じられたことになるのだろう。たぶん、これ以上続いたらまずい、という力がどこからか働いて、当の経験をストップするらしい。

人間がこの世で活動するときに使っている機能は、五感と理性と、言葉すなわち記憶、だと思う。逆にこれらだけを厳密に使用することで、人間はこの世で活動して、いろいろな痕跡を残し、新しいものを作り、人と付き合い、そして人生を作り、社会を形作って行く。逆に、きっとこれ以外のやり方をすると、この世の中で活動することができなくなり、世の中を変化させて、進化させて行くことができなくなるであろうことは、証明はしがたいが、予想されることではある。もちろん、フロイト的に言えば、これら知覚、理性、記憶の表立った活動の下に、無意識があり、そこに、自我があり、超自我があり、エスという本能由来の化け物があり、それらの形作る世界は膨大であるし、ユング的に言えば、人類の過去の記憶そのものがまたその後ろに続いている、ということになる。が、しかし、それらの膨大な隠れた「しろもの」たちは、やはりこの世に現れるときには、知覚と理性と言葉を使って現れ出る。

さて、では、それら膨大な「しろもの」の一部が、知覚・理性・言葉を通さずにこの世に現れ出てしまったら、どうなるのか。さっき紹介した昨日の経験は、ちょうどそんな感じなのである。「あ、それはやってはいけない!」という感じである。やっぱり、人間は生まれた以上、この現世を変化させて、なにかを創造して行かなければならない、という厳命がどこかから出されているのだろうか。人間たちがその厳命に逆らって行動してしまうと、社会は変化することを止めて、それで、どうなってしまうのだろう。たぶん、元の「自然」に戻るんだろうな。動物たちと一緒にのんびりと地球上で進化を続けて行くことになるのかもしれない。

よく、宗教の世界で聞く「悟り」という現象が、この得体の知れない、現世をすっ飛ばしたある経験に近い感覚になのかもしれないが、宗教家は、この悟りの後に、知覚・理性・言葉を使って、心と体の新しい次元の世界を築き上げて行く。もちろん、僕の場合の「経験」は、過去のたぶん取るに足らない経験の蘇りに過ぎないわけで、これが宗教的活動につながって行くことは無いのだけど、ただ、こういうことがときたま自分の身にも起きる、ということは注意しておいてよいことだと思う。

また、芸術家たちは、絵や音楽や、彫刻や、舞踏や、言葉を使って、この得体の知れないものを表現する。しかし、これもまた宗教家のときと同じように、最終的には知覚・理性・言葉を使って完結する。しかし、その作品の元にある経験には、やはり、悟りのような経験があるはずであろうことは納得できる。宗教にしても、芸術にしても、それを作り出す人間には、知覚・理性・言葉を超えた何かの直観の力が働いているであろう、ということである。世の中のみなが、この、心の奥深いところい隠れている「しろもの」を簡単にダイレクトにこの世に蘇らせることができてしまったら、たぶん世の中に創造的なものは無くなってしまいそうである。

たぶん、もっと整然と深く考えるべきなんだけど、急ぎだとこんなていどかな。もうすぐ家出て、仕事行かないといけないし(笑) あと、この1,2秒続く、奇妙な恍惚感のようなものは、ある種の癲癇の予兆として現れることがあるそうだ。僕の最愛の作家ドストエフスキーは、この種の癲癇の持ち主で、「白痴」の主人公ムイシュキン公爵を通してその経験を詳細に述べている。そして、この癲癇もちの狂人は、最後の長編カラマーゾフの兄弟のアリョーシャによって、強靭な血肉を持った人間として確立するのである。ちょうど、空海が悟りを経験して「空海」になったようなものだ。

まあ、僕の場合は、そんなこともないだろう


地下鉄にて

いつだったか、いつもの出勤の麻布十番の駅を、十時半すぎの遅い時間に降りたときのこと。自分の前に、背広がほんと板についた感じの、頭をポマードでコテっと固めたおじさんと、その奥さんと思われる、黒いスーツっぽい服を着たムチっとしたおばさんが二人で歩いていた。おじさんは先をすたすたと歩き、一歩あとから奥さんがついてきているのだが、おばさんの方は何だかはしゃいでる感じで、おじさんにしきりに何かしゃべりかけているのだけど、おじさんは取り合わずに前を向いて歩いている。人ひとりしか通れないやけに狭くて長いエスカレータに乗っているときもおばさん「あら、このエスカレータ狭いわねー ねえ、小錦とか乗るときどうするのかしら、これじゃ乗れないわよね」などとつまらないことではしゃいでいる。おじさん、ああ、とか、ふむ、とか生返事するだけで、なんか話かけられるのがイヤそうである(僕はといえば、小錦の運搬はエレベータがあるのでそっちだと思いますよ、と言いたかった 笑)。エスカレータを上りきったところでも、おじさんはポケットに手を突っ込んで、改札に向かってわき目もふらずにすたすた、おばさんは追いつこうと小走りになって、それでも、何やかにやと嬉しそうに話しかけている。朝の十時半過ぎといえば、世間ではもうとっくに仕事が始まっている時間で、回りのビジネスマンたちはみな忙しそうに得意先やらなにやらに向かっている真っ最中である。このおじさん、そのルックスが、そういうビジネスマンを長年ずっと続けてきた感じの人で、こんな時間にカミさんと二人で歩いてるのが照れ臭くてたまらん、という感じである。一方、おばさんの方は、長年、仕事一本やりの旦那に連れ添って、まあ、気楽ないい暮らしをさせてもらったけど、そろそろ旦那も私も引退かしら、とでもいった感じ。二人が何をしに行くのかも知らないし、いずれ僕の勝手な空想なのであるが、この殺伐とした都会の地下鉄の構内で、その光景がとっても微笑ましかったので、ちょっと気分がよくなった。


テラプレーンの真空管アンプ

テラプレーン寄贈用の真空管アンプが、ずーっと製作ラインに乗ったままなのだけど、ついに完成しそう。もっとも、アンプの回路自体はもうできていて、自分の部屋でこれで音楽なんか聞いたりしてる。スピーカーは、ボロい木製のボックスに16cmのフルレンジを一本入れただけのものである。これが、また、しみじみいい音で鳴るので、もうホント感心しちゃう。とはいえ、これはいつもの自作ひいき目のせいでもあるわけだけど、やはり、とても素直な音なところに安らぎを感じちゃう

今回のアンプは、ほとんど廃物利用で、パワー管にでっかい直熱三極管を豪華に使っているとはいえ、ドライバは中古のテレビ管だし、トランスは廉価版だし、チョークの代わりにホーロー抵抗使ったり、けっこうショボイといえばショボイ。でも、全体の回路と部品のバランスは考えてあるし、アンバランスな部品たちはデザインを工夫して同居させてみたり、などと、主に、音質とはあまり関係ないところで注意を払って設計製作している

いい音とはいえ、スピーカーの制動がいくらか不足しているのか、低音がきつい音楽をかけるとスピーカーにちょっとビビりが出る。あと、やっぱり直熱管はハムがでかく、PHONO端子のノイズも大きめ、などなど、欠点はずいぶんとあるので、テラプレーンへ入れて実用上だいじょうぶかどうかは、あまり自信がない。まあ、持って行ってから考えることにしよう。

しかし、欠点を大目に見れば、やはり、直熱の三極管に、無負帰還で、フルレンジスピーカーを鳴らす、という構成は、とても自然な音の通り道になっていて、安らぐ音になっていると思うな。特にライ・クーダーのような音楽を鳴らすと、とっても気持ちが落ち着く。あ、行く先はブルースバーだっけ(笑) ブルースも、デビューしたてのマディー・ウォーターズとか聴くと、50年代の香りが漂ってすごくいい感じ


ひさしぶりに

ものすごく間が空いてしまったので、いい加減なんか書くことにしよう。とはいえ、さいきん、あまり書くことがない。ということはすなわち、ふつうの、大まかな、あるいは細々とした、生活の中で、考えたり、感じたりすることがない。生活がルーチンワーク的に適当だ。こんなときというのは、哲学、ってのはいいもんだね〜(笑) とっても気晴らしになるので、現象学とか存在だとか時間だとかの本を読んでヒマつぶしをしている。 とある、哲学をひたすら追求している人がこの前、「哲学がなかったらとっくに死んでいたと思います」と言っていたのがとても面白かった。これは言葉通りに取ってほぼ間違いないんじゃないかな。思うに、そういうタイプの人というのは、自分のありのままの生活が、自分の心のどこかしらをひたすら疲労させるのではないだろうか。そうなると、哲学はその疲労の拷問から自由になる何かの脱出口になるはず。自分にも、その心理学はとてもよく感じられる。一方、こんな意味あいの哲学と、まるで違ったもので思いつくのは、監獄に入ったドミートリー・カラマーゾフが、徹底的に功利主義者なラキーチンに言った言葉で、いわく 「カラマーゾフ家の人間はみな哲学者さ。なぜって本当のロシア人はみんな哲学者だからだ。それに比べるとおまえなんぞ、学こそ積んだものの哲学者じゃない、ただの土百姓さ」ここでは、哲学、って言葉の意味がぜんぜん違っている。僕はこういうセリフを吐ける人間にあこがれるんだなあ


ただの小話

十年ぐらい前のこと、とある男の人が、まだ二十代後半なのにすでにちょっと頭が薄かったのだそうだ。その人が、あるとき、フェリーに乗っていたときのこと。あの横長の椅子が並んだ席に座って、気持ちよく海上の時間をすごしていたそうだ。そのとき、すぐ後ろの席に、小さな小学生ぐらいの男の子とお母さんが座っていたそうだ。その男の子、しばらく静かだったと思ったら、やにわに、「パッとアデランス〜〜♪」と歌いだしたのだそうだ。「なに?!」と後ろを振り返ると、お母さんが「あ、どうも、すいません」としきりに謝るせいで、ますます頭に来たんだって。 さて、今頃、かの彼のルックスは想像どおりだろうけど、そのファンキーな小学生はいまごろどんな子になってるかな


ニュー

天気がよかったのでママチャリで知らない場所見物にでかけた。単に知らない道を走って遠くに行く、というだけのことである。それで、途中に「元祖ニュータンタンメン」というお店があった。それを見て思い出したこと。だいたいが、「ニュー」とついているお店というのは、ホントの元祖であることが多い。まず元祖本店があって、その中で、儲け拡大優先の人たちと、老舗看板守り優先の人たちが対立する。で、どうにもならずにお店が分裂するのだが、そのとき、儲け優先側の人たちがたいてい、店の名前に「本店」という文字をつけて「なんとか本店」とネーミングする。それで、その後、次々と「なんとか別館」とか「なんとかどこそこ店」とかいう風にお店を増やして拡大して行くのである。それに対して、看板守る系の人たちは、店の名前に「ニュー」をつけ、「ニューなんとか」という名前でそのまま支店も増やさずに頑固に看板を守ってゆくのである。というわけで、「ニュー」という文字がついたお店を見つけたら入ってみるといい、おいしいよ。 ずいぶんむかしに、「ニュー」のお店に古くから働いている人に分裂の顛末を聞いた。ここで、どこの店、とは言わないけど、じっさいに自分で入って食べてみたら、たしかに、「本店」より「ニュー」の方がぜんぜん旨かった


ソニー・ロリンズ

ソニー・ロリンズのサクソフォン・コロッサスは、ジャズの入門にも必ず出てくるめちゃくちゃに有名な名盤である。大学生のころ、いくつも年上のサックス吹きのおにいさんを好きになって、アパートによく遊びに行った。部屋の中にはむき出しのままの大量のLPがそこらじゅうに重ねて置いてあったものである。そして、ジャズだったら林君これ聞いたほうがいいよ、と、あるときジャズの主要なやつをみつくろって十数枚レコードをもらって帰ってきた。その中にこのサクソフォン・コロッサスも、もちろん、あった。1曲目のカリプソっぽい、ジャズらしからぬ「セント・トーマス」は、記念碑的演奏でもちろん有名ですばらしいけど、当時から僕は2曲目の「You Don't Know What Love Is」の演奏に大ショックを受け、飽かずに聞き続けていた。さっき、自分のためだけにデザインした真空管アンプが音が出せるまでにできあがり、ひさしぶりにロリンズのこの曲を聞いてみたら、当時の感動がまざまざとよみがえってきた。典型的なスローバラードなのだが、改めて、ロリンズのソロはこれ以上はありえない凄い演奏だ。恋人とバーに行って酒を飲みながら、恋愛に囚われて、ややこしい、どうにもならない、終わりの無い、そんな押し引きを延々と続けているような、そんな男女の会話や、仕草、表情、それからその背景を作っている、グラスの音、バーの客の動き、煙草の煙、がやがやした話し声、そんなような情景が、もう、信じられないほど、すべて聞こえる、そんな演奏に感じられるのである。シリアスな会話だけじゃなくて、変な話や、ときどき間の抜けたことをしゃべったり、おまけに、途中でちょっとトイレに立ったり、と、そんなことまで連想される。そして、この長いソロの、最後の最後で、ちょっと間をおいて、いきなり駆け上がるサックスのフレーズが出てくるのだけど、当時も今も、ここで必ずぎくっとする。曲の調に反して、とつぜん一瞬の希望がひらめくような、ディスコードしたメジャーのスケール。そう、まさに題名どおり、これを聞くまであなたはまだ本当のLoveを知らない、ってね。愛だね、どうにもならない愛そのもので、それがジャズだね、ブルースだね、ホント

高級中国料理

とあるツテで、えらく有名な中華料理店でディナーコースをいただいた。席について、最初にオーナーが出てきてあれこれしゃべったところによると、中国料理レストランランキングで2年連続トップだったそうで、かなり高級なお店である。こんなところに自分で来ることはないので、まあなかなか幸運である。と、言うわけで、料理のメモを取っておこう。前菜盛り合わせは、又焼、広東風に豚三枚肉を焼き上げたものに海鮮醤と塩を添えたもの、インゲンの沙茶醤あえ、クラゲの頭のネギショウガ油あえ、小さな豆を赤っぽく煮上げたもの。いずれも少量でとてもあっさりしている。それから、エビとそら豆と百合根を塩味であっさり炒めたもの。エビはかなり大きなもの2尾を使っている。そしてメインとなる、フカヒレを姿ごとショウユ味で煮込んだものの青梗菜添え。葱油の香りがふんだんにただよった余計な味のないねっとりとしたタレはなかなかのもの。それから、ウェイターが丸ごとの北京ダックを見せにきて、しばらくして春餅に包んだものが出てきた。北京ダックは皮を食べるのだけど、一番おいしい場所(首の下の肩のあたり)が決まっていて、そこを切って出しているのですよ、ということかもしれない、美味。豚肉の薄切りを丸めて衣をつけて揚げて黒酢の甘酢をからめた酢豚。これ自体に野菜は入っておらず、一緒に、豆苗とエリンギを細く裂いたものを塩味で炒めた野菜が出される。これはいいアイデアだ。そして点心の小龍包が、ショウガの千切りを入れた香酢と共に出てくる。ここで、しばらく間が空いて、最後の締めの食事は、小さな茶碗蒸しのお椀の中で、おそらく生米から蒸し上げたと思われる、白身魚を乗せた白いご飯。葱ショウガなどを叩いてみじん切りしたものと、ショウユそして豆板醤を少し添えてあっさりと味付けしてある。ここでぴりっとした豆板醤をわずかに利かせるセンスには感心。そして最後が、かなり高級と思われるとびきり香りの良い中国茶と共に、杏仁豆腐とマンゴーなどのフルーツをちょっと繊維状に変わった感じで切ったものが入ったココナッツミルクのデザートが出された。やはり、高級なお店での料理というのは、何かと勉強になる。いたずらに変わったものを出したり、やたらと美味なものを出す、とかいうのではなくて、味付けはごくシンプルにして、素材の取り合わせや、料理と料理の味のバランスや、ちょっとしたアクセントを使ってうまくまとめ上げるわけだね、さすがだ。ちなみに、お店は、中国飯店の支店のひとつで富麗華というところ。


ハエ

ニュースを見たら、ハエの「自発的意思」計測実験というのが出ていた。ハエが、外部の刺激に対して単に反応するだけの入・出力装置とみなす仮説が正しいかどうか調べるためだそうである。ショウジョウバエで実験して、コンピュータで解析した結果、ハエにも「自由意志」のような機能がある、ということが分かったそうだ。こういう問題というのは、僕ももうちょっと理論的にちゃんと考察して言葉にしないといけないなあ、と最近とみに思うようになったものの、ここはブログなので勝手な感想を書かせてもらう。まあ、なんと、当たり前の結果なことだろう。と、いうより、なんと傲慢で、馬鹿馬鹿しい嫌疑をかけられたものか、あわれなハエたちよ。人間とハエは、この地球での同胞ではなかったのか。同胞であるからは、自由意志がどうの、というより先に、自明なこととして入出力装置であろうはずはないと思うのだけど。なんらかの程度問題のことを言っているのだろうか。ハエであろうが、人であろうが、植物であろうが、すべてのあらゆる生き物はみな自由意志で生きているのだと思うよ。というか、自由意志でふるまうことを「生きる」というんだと思うよ。


ふれあいコーナー

毎朝あわただしく通り過ぎる、通勤の駅の麻布十番をいつものように歩いていてら、突然、「ふれあいコーナー」という名前のついた小さなスペースがあるのに気がついた。たたみ3畳分ぐらいのスペースで、半円型をしていて、ちいさなタイルがびっしり敷き詰めてあって、壁には緑色の星型を重ねたようなモザイクの模様があって、ふれあいコーナー、とデザインロゴで書かれた看板がかかっている。それにしても、できてからずいぶんとたっているようで、床は相当に薄汚れていて、がらんとして何もないし、誰もいない。たぶん、ちょっとした待合スペースのつもりで、椅子と灰皿ぐらいは置いてあったんだろうけど、最近は構内禁煙だし、椅子も老朽撤去でなくなり、しばらくはプーちゃんたちの溜まり場になっていたんだろうけどクリーン作戦で追い出され、結局、煙草のヤニや立小便で汚れるにまかせて月日がたって、そのまま放置されたものと思われる。ふれあいなんとか、というネーミングはどこにでもあるありふれたものだけど、ここまでみなに完全無視され続けた一角に「ふれあい」という言葉がつけられていると、かえって、そこだけタイムスリップしているみたいで、ちょっと悲しいけど、ほのぼのとして、のんびりしているような、妙な情緒があるね。今度、ふれあい広場の真ん中にしばらく立っていてみようかな