ツレヅレグサ・ツー
            ッテナニ?

十一 十二 十三 十四


オタク
ナンバ
ゆとり教育
地元料理屋にて
哲学の本と四谷怪談
溝の口商店街
ソウルの刺身
実体
月光
プロ
あましょく
大興奮
セザンヌ
人身事故
マイルス・デイビス
通信簿
スーパーのレジにて
料理人のリンさん
ソウル

廣松渉
近眼
雑記
中目黒

 

GO HOME

オタク

仕事がら、いわゆるオタク文化に接することがいくらかあって、「萌え」だなんだ、という言葉を聞くこともしばしばあるのだけど、自分はやはりどうしてもなじめない。と、言うか、極力、目に入らないように避けている。これは間違いなく「知りたくない」という努力をしているわけで、そんな余計な努力を惜しまない、ということは、その努力に見合うだけの、かなり強力な理由があるに違いない。それは、何なんだろう

まず、はっきりしていることは、たとえば、やつらが何に萌えているのか、自分にもはっきり分かるということである。これはあまり認めたくないけれど、もし、何に反応しているのか皆目分からなかったら、こんなに嫌悪する必要すらないわけで、そもそも自分にはまったく関係ないこととしてごく自然に無視されるべきことなのに、そうじゃないわけだから、つまり自分にも「分かって」いるのである。

分かっているのに、仲間になるのがどうしてもイヤだ、というわけなのだ。まあ、分かる、ということと、そういう風になる、ということは全然違うことだけどね。それで、オタクだが、がんばって自分に問いただしてみると、まず、恥ずかしい、というのがある。ときどき、完全オタクじゃないけど、オタク偏見の無い人に「林さん、そんな拒んでないで、一線を越えてこっち来ちゃってくださいよ、楽しいですよ〜」なんて冗談っぽく言われるんだけど(笑)、言うこと聞いてホントに行っちゃったら、楽しいってことになるのかね。しかし、もしそうなったとして、その情景を想像すると、恥ずかしくてしょうがない。

じゃあ、自分でコソコソやるのはどうか、というと、これも自分には強力な自制心が働いて、やっぱり自分で自分が恥ずかしくてできない。羞恥心って心理学で何を意味してるんだっけ? 公の場で性欲を丸出しにしてるみたいな、そんな感じなのかな。実際に、自分は、電子部品買いに秋葉原に行くけど、オタク系の場所にたくさんいる男たちは、強烈な性欲パワーを電熱器のように発していてその熱気で息が詰まる感じがする。性欲パワーをピストルや機関銃にして発することのちょうど正反対な感じ。あのリトル電熱器たちの一員になるのはどうしてもイヤだー、というのが、まあ、その羞恥心なわけだ

これって、フロイトの言うところの「抑圧」みたいなもんなのかな。抑圧だとすると、その理由は自分には明かされていない、ということになる。もし、その抑圧のせいで、心身に変調をきたすほどになってしまったら、臨床治療しないといけない。今のところ自分はそれほどの自覚症状がないから、たぶん治療は必要なさそうだ。自分のリビドーにまつわる抑圧は、今のところいろんな安全弁を組み合わせて、うまく調節されているらしく、安定状態を保っているらしい。まあ、ヤレヤレである

オレはハードボイルドな人間だから、オタクなんかふふんだ、なーんて言葉を今書いてみたけど、ハードボイルドって、今現在言うと、これはこれでけっこう恥ずかしいね(笑) ひところは男のスタイルのひとつとして一世を風靡したんだけどね。こうしてみると、やっぱり「恥ずかしい」って何なんだろう。結局は、「みんなと違っていて不安」っていう感情なのかな。となると、オタクになるのが恥ずかしい、ってことは、自分は非オタク人種に属しているはずなのに、その集団の中で「自分は実は人種が違うんです」ってカミングアウトするのが恥ずかしい、「人と違うことをするのがイヤだ」ということなのかな

でも、もしオタク側になったとしたら、今度はオタク人種の仲間入りをするわけで、人と違うことすると恥ずかしい意識が働いて、オレも無地のTシャツにズルズルのチェックのネルシャツ着て肩掛けかばん下げて運動靴はいて平行移動するみたいに歩かないと恥ずかしくなるのかな〜(笑) 人って人種からは逃れられないのかな。いろんな人種を一人で使い分けて、あっちからこっちへと普通に行き来しながら羞恥心も特に感じない、という人は偏見に対して自由な人っていうことになるのかな

ま、もう、いいか。とにかく自分がオタクになることは、決してないだろう、ということだけははっきりしてるので

 

ナンバ

むかしの日本人は、「ナンバ」と呼ばれる、今とぜんぜん違う歩き方をしていたんだってね。たまたま買った本で読んで知ってびっくりした。出す足と同じ側の肩を前に出して、今のように体をねじらず、足を振り上げず、平行移動みたいにして歩いていたそうだ。むかしの日本の絵で庶民の生活を描いたようなものを見ると、走っている人間が、両腕を前に出して、やけに腰が引けた姿勢をしているのをよく見る。とってもなじみの絵柄で、あれは庶民の滑稽な様子を表現してるんだろうな、などと何となく思っていたのだが、違っていた。本当に、ナンバで、ああやって走っていたらしいのである。日本人が西洋式の、足と腕を交互に出して体をねじる歩き方になったのは、明治時代からだそうだ。明治っていえば、ついこの前の昔ではないか。それまでの日本人はみんなナンバ歩きをしていたんだ、ちょっとビックリした

と、いったところで、ネットで調べてみると、Wikipediaを始めとして、資料やコメントが山のように出てくる。ぜんぜん話が飛ぶようだけど、この前、泉岳寺界隈を初めて歩いたとき、ちょっと謎のカレー屋を発見した。看板に「お水はいっさい出しません」と書いたあったのである。どうしても意味が分からず、謎だなあ、と思い、いろんな人に言ったんだけど、こちらもネットで検索してみると、レポートがぼろぼろ出てきて、もう、それらを読んだだけで、雰囲気も味も謎も解けてしまい、行ったのと同じような気になってしまった。インターネットというのはつくづくスゴイものだ、と、当の事情よりそっちの方に感心してしまった

カレー屋の方は、それでも、実際にお店に行ってきて食べて金払って、初めて「経験」として定着するのだ、と言えそうだけど、ナンバ歩きはどうなんだろう。明治時代以前にタイムマシンで戻れるわけでもなく、検索キーワードをタイプインしていくつかの解説を読んで、いくつかの画像を見て、それでうまくすればいくつかの動画まで見られて、それで「なるほど、ナンバってのはこういうものか、分かった」ということで、知識として入力して、いったん終了、ということになる。それで、それらは、まるで合コンネタみたいに自分の中にインデックスされていて、なんか軽い会話のシチュエーションで、適宜インデックスから引き出して、「ナンバって歩き方があるの、知ってる?」と、やるわけだ。しかし、これで本当にいいんだろうか、といつも疑問に思う

想像力、という言葉があるけど、これって、自分が今の時間のココにいて、それで、頭の中で情景や意味を想像することで昔のことを頭の中に漠然と構築して、それを頭の中で見ながら、人に言葉で説明する、っていう能力とするのが、分かりやすい説明かもしれないけど、そうは思えないんだな。想像力っていうのは、たとえば昔のことならば、今の自分を捨てて、その当の昔に、自分が「なり切る」能力を指すはずだと思う。ネットで出てくる文章というのは種々雑多で、よく「結果の信頼性が低い」のが問題で、検索エンジンは精度を高めないといけない、なんていうことが言われるけど、本当にそうだろうか。もし、検索エンジンが、入力された当のキーワードの趣旨に完全に一致した回答を与えるようになったとしたら、もう、それを受け取る必要すらなくなるんじゃないだろうか。だって、もう回答が存在してるなら、なんのためにそれを「知らないと」ならないのか分からない。そんなムダなことをするならビールでも飲んでのんびりしてた方がどんなにかいいじゃないか、と思う

それに、あるいは、完全な検索エンジンができたとしても、それ自体が、ある種の「傾向」を持つことは避けられないので、完全な検索、ということ自体が自己矛盾を犯すようにも思える。じゃあ、多角的な見方を提出できるエンジンを作ればいいのだろうか。少し前の現代で言えば、朝日紙があって、読売紙があって、海外にインディペンダント紙があって、雑誌があまたあって、全部購読して、比較検討する云々という、よくある知識人的行動をシミュレートできるようなネットサービスにすればいいのだろうか。なんか、この考え方も古いような気がする。いろんな見方をたくさん仕入れれば、当の核心の事件に、人はいくらでも近づくことができる、ということ自体が偏見じゃないだろうか。とかとかいうことを、ついさいきん構造主義っていう哲学から学んだんだけど、本当にそう思う

と、いうわけで、ナンバ歩きだけど、自分は、信貴山縁起絵巻みたいな、昔の日本のいくばくかの絵に描かれた情景など思い浮かべながら、あれこれ楽しく想像して、ビールでも飲んでいるのがいいね

 

ゆとり教育

ゆとり教育がとうとう全面見直しになるようだね。元来が勉強が嫌いな自分としては、ゆとり教育けっこうじゃないか、などと安易に思っていたのだけど、結局はそれをうまく生かせなかった、ということになったんだね。土台が、受験国な日本が教育だけをゆとりたっぷりにしてもうまく行かないし、先生たちも試行錯誤だし、なんていうことは今さら言うようなことじゃないし、分かりきったこととも言えそうである。結局、塾が儲かっただけか、という皮肉も言えるけど、これも当たり前な結果だ。

なので、ゆとり教育見直しです、と騒いでいるのを見ても、あ、そうですか、という反応しかできない。ただ、思い出すのだが、むかし、ゆとり教育が言われたときに「個性」をやたら重視する風潮が蔓延していた気がする。人と違うことが個性だ、という安易な考え方で、子供たちが個性を最大限に発揮できるように、大人が子供たちをおだてていた、そんな感じだった覚えがある。だいたいが、どんな子供でも子供というのは人と違うことをするから、そんな子供を見ちゃあ、あら、個性的な子ね、ひょっとして末はピカソかサルトルか、みたいにあらぬ期待をする親も多かったのではないか。

子供ってのは、ほんと、みな天才だと思う。放っておけば、もう、することなすこと独創的で、大人たちがあらびっくり、ということになるのは、これは当たり前のことなのだ。ところが、これら天才たちが、学校に通いはじめ、もう、中高校生ぐらいになると、すでに稚拙で凡庸な人間になりはじめ、それで結局、大半が平凡極まりない大人で終わってしまう。なぜなんだろう。学校のせいなのか。子供の天才を押さえつけて一律な教育をするせいで個性が伸びず平凡な大人になってしまうのか。個性の芽を摘んでしまうからか。

これは、絶対に、違うと思う。大人になっても個性的、と人から認められるためには、実は、表現力や技術力のような実力が必要なのである。実力というのは、基礎ができている、ということでもある。この基礎力を持たない人が大人になって個性的なように振舞っても、それは単なるヘンな人で、周りは認めてくれないのである。それで、そうした基礎力を身につけないで大人になっちゃった人は、その周囲の反応を察知して、早々にあきらめるんじゃないだろうか。

逆に、子供が個性的であることに実力はいらない。だって、子供であることそのものが独創的なんだから。むしろ、周囲の大人にとっては実力なんかない子供の方が、いかにも子供らしく、かわいくて個性的に見えるはずだと思う。そんなせいで、平凡な大人ほど、その子供時代は個性的でかわいかった、などということも起こるんじゃないだろうか。逆に、子供時代は目立たないヤツなのに、大人になって実に個性的な人間になった、なんていうことも自然と起こるんじゃないかな。

結局、やはり、長い目で見ると、子供時代は基礎力を身につけさせるために、退屈で地味だけど一般教養的な教育を一律に無理やりでもやらせることが大切なんじゃないかな。子供時代の個性なんていう怪しげなものは、まあ信用しないで、個性の芽なんて摘んじゃってもいいんじゃないかな。本当に個性的な子は、いくら摘まれたって、その種子はずっとその人間の中に無傷で残って、大人になってなんかのタイミングで芽を出して、花開くはずだよ。

ゆとり教育を反省する最近の動きが喜ばしい、などと言う気はないのだが、「子供の個性を伸ばす」とかいう昔よく言われた言葉を思い出したので。もっとも自分は子供がないので、なんとも無責任なんだけど

 

地元料理屋にて

地元の駅前にイタリア料理屋があって、何度か行っている。マスターたった一人でやっているお店で、味はとてもよいし、安いし、気楽だし、とてもいい店である。初めて行ったときのこと、僕らの横のテーブルに、白髪のじいさんと中年過ぎぐらいの女性が来ていて、両人ともやけに文化人的なルックスだし、その話も同じくで、へえ、と思って見ると、このじいさん、どこかで見たことがある。何かしら有名な文化人だったはずだ、でも誰だか思い出せない。それで、しばらくたったある日、お店に入って食事していると、腰がほとんど直角に曲がったじいさんがよちよち入ってきて、斜め前のテーブルに座った。あ、この前のあのじいさんだ、でもやっぱり誰だか思い出せない。しばらく時間がたって、気になってちらっと見ると、向こうは、じいさんとは思えないほど鋭い、光を放つような目でじろっと睨まれた。それで思い出した、そうだ、この人は加藤周一だ。なぜ自分が加藤周一を知っているのか分からないのだけど、あの鋭いルックスは忘れられないものがあるのだろうね。調べてみると、進歩的文化人と言われるけっこう過激な人で、90歳近いようで、三人目の奥さんも評論家だそうだ。そうか、あの二人はずいぶん年齢差がありそうだったけど、夫婦だったんだな。しかし、腰は曲がってるし、あの鋭い目を除いてルックスは完全なじいさんだけど、しゃべり方はいまだに毒気たっぷりで、その気迫もまったく衰えていない。ここが地元で、この店の常連なんだな。ちょっと憧れる。オレもあんな風なじいさんになることを目指そう、と思った

 

哲学の本と四谷怪談

あいかわらず、哲学の本と東海道四谷怪談の、2冊の文庫を持ち歩いて、気の向いた方をながめているのだけど、一見まるで性質の違う本で、訳わかんなくなってくる。しかし、それなりに思うところがあった

哲学の本に書いてあるんだけど、外の世界を見るとき、世界がまず網膜の裏に映像として映って、それを脳で解釈補完して、世界を認識する、という図式はまちがっている、とのこと。なぜまちがっているか、読んでゆくと、たしかに理解できるんだけど、でも、いざ、たとえば他人に説明しようとすると行き詰まっちゃう。カメラの像みたいに、網膜の裏に「映像」っていう実体が存在する、っていう考え方は、現代人の自分にも染み付いていて、容易に振り切れないもんだね。おまけに、自分って、もともと映像技術者だし(笑)

それで、こんどは、東海道四谷怪談を読むと、お岩や、お袖や、伊右衛門や、宅悦が、ひたすら江戸の言葉でしゃべっている。作者の鶴屋南北は、江戸の庶民生活を描写するのにすぐれた才能があったといわれているように、たとえば、茶屋での会話や、浪人の傘貼り、貧しい小売での会話やらを読んでいると、まざまざと当時の様子がよみがえる気がしてくる。では、これら言葉を読んで、その江戸の生活の「映像」が明確に浮かんでくるのか、というと、よくよく反省してみるとそんなことはあまりない

たしかに、目の裏、じっさいは自分の場合、右斜め上1メートルぐらいのところに、たとえば江戸の茶屋みたいな「光景」が浮遊しているように感じることはある。でも、ほとんどディテールはなくて、たぶん、浮世絵かなにかで見た記憶を単純化した断片みたいなのが出てきているだけな気がする。時代劇はいくらも見ているけど、ああいう風に「動画像」にはなっていなくて、なんか、静止したあんまいな像がぽつんぽつんと浮かぶだけに感じられる。それでも、本当に不思議なことに、あれらセリフを読んでいると、その生き生きした生活ぶりが「じか」に感じられる

たしかに、「映像」を仲介にしているわけじゃない。これは、たしかに、哲学の本の廣松渉の言うとおりだ。「文字」が、いろんな風にからまりあって、じかに「世界」が感じられて、そのオマケみたいに、「映像」の断片が目に浮かぶ。しかし、目に浮かぶ、といっても、どんなに頑張っても、その映像は、自分の体の中、つまり皮膚の内側にあるように感じられない。どうしてもどうしても、体の外に浮遊しているように感じられるのだけど、なぜなんだろう。目に浮かぶんじゃなくて、目の外に浮かんでいる。ただ、やっぱり映像はオマケで、実際に感じている世界は、直接、把握しているように感じられる

不思議なもんだね。東海道四谷怪談は歌舞伎の脚本だから、セリフとト書きしかない。ほとんど情景描写、ってことになるんだけど、これを使って芝居を組み立てたり、映画を作ったり、するわけだ。劇にしたり映画にしたりした時点で、そこには「映像」というものが「作品」という実体をもってたしかに存在するわけだけど、でも、その作品を見て、たとえば、ここでなら、「江戸の庶民の生活」が「分かる」と言ったとき、その「ことの本質」は、当の映像を見せられてそれを頭であれこれ考えたりする道筋とは、なんかぜんぜん違ったパスを通って、自分のところにやってくるような気がする

かといって、映像がぜんぜん無くても本質だけやってくる、ってのも考えにくい。でも、映像を通して本質を得ているとは言いがたい。とすると、何て言えばいいんだろう。映像のおかげで、なんかまるで違う世界にある秘密の通り道のパスワードが解除されて、そこを「本質」が通ってこの世の自分のところにやってくる、みたいな気がしないでもない。やっぱり、僕らにはすでに本質は与えられている、という気がしてならない。でも、なにか巨大な壁があって、この世と本質が一緒になることを阻んでいる。しかし、壁にはいろんな穴が開いていて、それを開ける鍵は、この世の至るところに転がっている。そんな感じ

でも、まあ、よくわかんないや

 

溝の口商店街

溝の口で再開発を最後まで逃れた一帯が火事で焼けて、封鎖になり、それをいいことに市が介入して、商店街再建許可を拒否している。さっき近くの食い物屋に行ったとき見たら、わずかに残る焼け焦げた飲み屋を除いてほとんど更地になっていた。また、ビルかマンションを建てるんだろうね。その一帯は細い道がいくつかあるところで、焼けたのは一角だけなので、他のところは残っていて、昔の雰囲気を伝えているけど、一番ディープなところが燃えたようだね。それで、残ったほかのところだけど、なんか、ぽつんぽつんとひとつずつ新しい店が入っちゃったりしてる。じきに無くなっていく感じがなきにしもあらず。それにしても、こういう不動産、開発がらみってのは裏が怖いからね。どうやら放火らしいのだけど、犯人は挙がらず、きな臭いよね。

 

ソウルの刺身

ここしばらく何度も韓国ソウルに行っていて、そのたびに韓国料理を食べる。韓国人はとにかく生ものが大好きなようで、ちゃんとした感じの料理店に行くと、刺身がよく出される。それで、これまでずいぶんと刺身を韓国で食ったのだけど、何だか分からないのだが微妙においしくないのである。魚そのものの鮮度の問題なのかもしれないのだけど、東京と比べてそれほど落ちるとも思えない。ただ、ひとつだけ気付いたことがあって、それはワサビである。町の食堂みたいなところから、中級、そして高級料亭風のところまでいろいろ行ったのだけど、ついてくるワサビがどうやらすべて同じなのである。ワサビの卸は、一箇所しかなくて、ソウル全店同じところから卸してるんじゃなかろうか、と思えるほど、見事に低級ワサビが出てくる。例の、巨大なチューブとかに入った、やけに鮮やかな着色っぽい緑色をして、べったりとした食感の、練りワサビである。日本だと、その辺の居酒屋など安店は当然このワサビを使って、中級になると、同じ練ワサビでももう一ひねりした味、見た目、食感のいいやつを使うよね。そして高級店では当然のようにこれが生わさびになるわけだ。どうも韓国では、ワサビは気にしないようで、高級店でも一緒。そういう刺身に対する気遣いみたいなものが、今ひとつなのかな、どうも、韓国で食う刺身は旨くない。なので、韓国ではたいてい、一緒についてくるコチュジャンのタレで食った方が、なんか旨い。さらに、どうも定番の焼酎の眞露だけど、こいつが刺身にあんまり合わない気がするので、余計にコチュジャンで食って、キムチでもつまんでいた方が気分がいい。やっぱり、眞露には肉が合うね。ちなみに、生肉、生内臓、炙り系の肉類、すべて、豚も牛も、どれをとっても、日本よりソウルの方が抜群に旨い。さすが、肉の国である。やっぱり、韓国は、肉食って眞露だなあ。本当に旨い。ちなみに、刺身なんか食うときは韓国人も清酒を好んで飲むみたいだ。酒と食い物っていうのは、切り離せないもんだね。

 

実体

相変わらず哲学の本をながめているんだけど、なるほど、と思ったことがあった。「実体」の性質について語るところで、「実体」というものはその性質上、外見はいろいろ変わっても常に同じあり方をするものなので、それゆえに不滅で、ということはさかのぼれば不生で、そのほかのすべてが消え去っても何の影響も受けずに独立してあり続けるものである、と書いてあった。それで、こういう「実体」というものは西洋産のもので、仏教思想の影響を受けている日本人にはなかなか理解しがたいところがある、と言っている。では仏教はどう教えるかというと、いわゆる諸行無常といわれるように、すべては「関係」の中にあって、その様相が時につれて変わって、生まれては消えてゆくだけで、実体というのはそもそも無く、変化があるだけだ、というのである。

なるほどね、外国人に、あなたは宗教がありますか、と聞かれると、無い、と答えるのだけど、西洋人が言うところの「実体としての宗教」はないけど、生成流転する自分を支えている感覚としての宗教は、これは、はっきりと、ある、と答えてもいいのかもしれない。それほど、上記の仏教的感覚は自分の身に染み付いている、と思った。そもそも、自分が、実体という感覚を西洋的に持っていないとするならば、「宗教」というものも実体として持っていることにはならない、ということになるじゃないか。「宗教」という実体をいいことに、実社会で嘘を平然とついている様子に比べて、なんと清廉な感覚なのだろう。連中の手荒な様子に比べると、まあ、なんとも心細いほどナイーブで繊細な様子じゃあないか。

ちょっと前、別のところで、日本人に自殺が多いことが話題になって、何でなんでしょうね、と不思議だったんだけど、分かる気がする。自分のすべてが「関係」の中で移り変わりそれが「自分」というものだ、と感じているならば、現在の「関係」にひびが入って崩壊しようとしていることは、とりもなおさず今の自分が崩壊しようとしていることになる。つかまるものもなく、自身の崩壊を見るに耐えない、という感覚が他の民族に対してはるかに強いものだとすると、自殺に誘われるのかもしれないよ。

これに対して、まあ、例えば、仕事が失敗したとして、自分がいなくなっても仕事はそのまま残る、もちろん逆に、仕事がなくなったって自分は残るのだ、と、自分と仕事の関係から出来上がっている「しがらみ」みたいな実体の無いものを断ち切って、自分という実体と仕事という実体を、はっきり、くっきりと感じることができれば、そこには何を恐れるものもない、ということが納得できるはず。ここで、「他に何もなくなってもそれでも存在するもの」という実体を感じるか感じないかという感覚が顔を出すんじゃないだろうか。

「しがらみ」で生きている、っていうのは、呆れられたり、嘲笑的に言われたり、いろいろネガティブだけれど、「しがらみで生きている」というのはけっこう仏教的な感覚なんじゃないだろうか。すなわち日本人の血に染み付いているんじゃないだろうか。万物は永遠に流転してとどまることが無い実体の無い世界だと感じる人たちと、永遠に不死不滅の霊魂の実在を信じる人たちは、やっぱり、あんまり戦わない方がよさそうだね。

とか何とか言いながら、日本人には神道という、太陽のように明るい性質があるのを忘れちゃいけない。あと、仏教の始祖のインド人の仏陀は、けっこう違うことを言っていたりする。けど、まあ、このへんで。

 

月光

さっき、なんとなく部屋で鳴ってた音楽が、ベートーベンのピアノソナタで、かの有名な月光。実は、僕は、こんな曲ですらあんまり知らないクラシック音痴なのだけど、しばらく聞き流していたら、なんか突然、ものすごい音が聞こえてきてびっくりした。ピアノが壊れるんじゃないか、と思える烈しすぎるフレーズをたたみ掛けるように繰り出していて、これは自分の耳には完全なロックに聞こえるんだけど、どうなってるの? こんな曲が二百年前に作られて、演奏されていたなんてね、爆音を聞きなれた現代人の自分がびっくりするぐらいだから、当時の人なんか失神続出みたいになっちゃったんじゃなかろうか。聞いた話だと、老年にさしかかったゲーテは自分の部屋でベートーベンのピアノを聞かされて、気違いじみている、家が壊れそうだ、とかなんとか言ってあとはぶつぶつ口の中で呟いていた、とのことだけど、なるほどね。

 

プロ

しなきゃいけない仕事があるんだけど、どうしてもやる気がおこらないので、とりあえず現実逃避するために、部屋にこもってギター弾き語りの練習をひたすら1時間以上もやった。ふだんは、まあ、10分やればいい方なんだけど。それで、ギターを手にとって弾き始めると、出てくる音がひどく雑で、リズムも安定せず、歌も味わいがなく、じつに下手だ。でも10分、30分、それで1時間とやってゆくうちに、ギターの音色、リズム、声、フェイクのノリなどなどがずっとしっくりしてきて、1曲がけっこう有機的にちゃんとできあがったりする。ああ、やっぱり練習というのは大切なんだな。ふだん、ほとんど練習しないので、こうやってたまに練習したときには前の成果がきれいにリセットされていて、まいど下手から始めることになる。しかし、これを毎日本当に続ければ、うまくなるだろうな。友人のジャズギタリストの人がこの前、こんなことを言っていた「自分もプロもアマもいろいろ見たけど、プロの演奏って意外とたいしたことないですよ。ただ、プロは最低レベルがものすごく高い。でも、最高レベルはたいしたことなくて、アマチュアの方がむしろ高いですよ」とのことだが、すごくよく分かる話で、この「最低レベル」を上げるのが並大抵でないのである。それこそ毎日毎日絶え間ない練習を続けていないと、いきなりギター持って、はい、演奏となったときレベルを発揮できないんだよね。特に、レコーディングスタジオで本番レコーディングなんていうことになると、日常的な練習をしていないアマにはほとんど不可能なシチュエーションになっちゃう。自分も、今の仕事だなんだとすべて捨てて、ひたすら演奏に集中する毎日になったら、プロみたいに最低レベルは上がるだろうな。でも、最低レベルが高いだけのプロじゃしょうがないしな、やっぱり一攫千金の「最高レベルまぐれ一発アマ」をねらった方がいいか(笑)

 

あましょく

あましょくっていう食いものがあるけど、あれ、何だろうね。ふかふかしていて、ちょっと甘くて、茶色くて、クラゲの頭みたいな形をしていて、別にうまくもなんともないけど、懐かしいよね。たぶん、これは、甘食って書くんだよね。甘い食いものか、ほんとダイレクトなネーミングだこと。調べてみると百年以上前からある食いものらしいよ。このあましょくが、お店で、まだビニール袋に入って売っている、というのだからたいしたものだ。うちの奥さんが、袋入りで3つ入ったあましょくを買って自転車に乗っていたら、袋ごとぽーん、と道路に落っこちて、運良く自転車のタイヤでぶしゅっと端っこを踏んじゃったそうだ。家に帰ってきて渡されたあましょくだが、クラゲ頭の端っこがぷしゅーっと凹んでいて、それを見たら、なんか分からないけど強烈な郷愁を感じてしまった、なぜだろう? きっと、小さいころ、あましょくを手でぶしゅっとつぶして遊んだりしたことがあったのかな、そんな気がした

 

大興奮

この前、朝起きてぼーっとしてると、うちの奥さんが、これ来てたよ、と紙2枚を渡された。見てみると、なんだ、またNOVAか。半年以上前に英会話教室を探していたとき一度電話したのが運のつきで、電話はしょっちゅうかかってくるし、印刷物はやってくるし、NOVAで働いてる営業の人も大変だろうなと思いつつも、実にうっとうしい。で、2枚目を見ると、プリントアウトした紙なんだけど、下にボールペンの直筆でなにやら書いてある。いわく「今度、ぜひお食事でもしませんか? NOVAのこともっと知ってもらいたいです!  ○○純子」 え?、なに?、なんでお食事なの? 「これ見てよ、食事しませんか、だって!」「へえ 行ってくればいいじゃん」「えー? だって、いきなり電話して、だれそれですけど、あの、お食事に誘われたんですけど・・、とか言うの?」「いいんじゃない」「でも食事って、なんで?、いいの?」とか言いつつ5分間ほどひとしきり大興奮してしまった。そしたら、「ばーか、それわたしが書いたんだよ」だってさ。若い女の子から食事に誘われて興奮した、とかいってさんざん馬鹿にされた・・

 

セザンヌ

あいかわらず哲学へ現実逃避の日々が続いているのだけど、少しずつ精神的に復活してきた。しかしいまだに、廣末渉の哲学の本をながめつつ、電車通勤ライフを送っている。難しい本なので十回ぐらい読んで(拾い読みが多いけど)、ようやく雰囲気が分かってき始めた。論理的な「意味」の方はだいたい分かったのだけど、その、なんと言うか、視覚的な「意味」みたいなものが見えてくるのを待っている。こういうわけなので、本は読むのじゃなくて、ながめるのである。そうすると、字面の向こうに、何か有機的なものが見えてくることがあって、それが知りたいのである。

と、まあ、そんな風にしてながめていたら、廣末渉の文が何となくセザンヌみたいに見えてきて面白かった。日本でセザンヌのとてもいい絵を見たいときは、ブリジストン美術館をお勧めする。東京八重洲口から歩いて十分ぐらいのところにあって、人も少なく気持ちのいい小さなところである。ここに、主に印象派の絵を集めた部屋があり、ここの作品にはかなりいいものが揃っている。コローやモネなどにすばらしいのがあるけど、やはり自分として圧倒的なのがセザンヌの「サント・ビクトワール山とシャトー・ノワール」である

サント・ビクトワール山は晩年のセザンヌが繰り返し描いた主題なので、世界中にたくさんあるのだが、ここのものは必見に値すると思う。このころのセザンヌは、ちょうど一刷け分の色の面を緊密に組み合わせて作りあげる画風になっていて、特に、このブリジストン美術館のものでは、木々に囲まれたわずかにのぞいた空に塗られた「青」の美しさがたとえようがない。画布全体にわたり、細心の注意を払いながら、少しづつ、長い時間をかけて、組み上げてきた色面の、最後の最後に残った塗り残しに、大胆きわまりない生のままの青を塗った、という風に見えて、この最後の純度の高い青を塗るそのために、画布全体を構成していったのではないか、と空想したぐらいだった

絵というのは、たとえばこういうセザンヌの青みたいに、自分にとって、あちらの世界に通じる穴みたいなものが見えてくることがあって、それが見えると、もうその作品のとりこになってしまう。

さて、廣末渉の本だけど、セザンヌの色面の構成のようなものが見えたのだけど、まだ、その最後の最後の、あの世に飛躍するための純度の高い青みたいなものが見えない。

 

人身事故

いまさらなんだけど、毎日電車に乗って通勤していると、ほとんど日常的にどこかで人身事故が起こって電車のダイヤが乱れているよね。思い起こすに、20年ぐらい前は、電車に乗っていてアナウンスで「人身事故が発生し」などと言うと、とても心が騒いだ覚えがある。それに、あのころは最初から「人身事故」なんていうぶっそうな言葉は使わなかった。かなりしばらくして結果報告みたいなタイミングで言っていたように思う。それが、今では、本当に日常茶飯事のことになったせいだろうけど、しょっぱなから「人身事故で遅れています」と言い、それで「運転を再開します」「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」のルーチンワークになっている。乗っている僕らも、ああ、またか、以外の反応もなく、心に微風も吹かない感じ。それどころか、くそっ、はた迷惑な野郎だ、みたいな怒りまで周囲で感じられるほどになってきた。悩んで苦しんだ人が一人、少し前に、おそらくは死んだであろうに、本当に鈍感になるものだね。まあ、アナウンスも「人身事故」なんて言葉を使わず「どこどこ駅で飛び込み自殺が発生し」とでも言えば少しはぎくりとするのかもしれないけど、それもまた慣れてゆくだろうね。もちろん、世界中で、例えば1分間に何人の人が死んでいるか、と教えられてみれば大変な数で、「そう考えればさあ、世界はもっとひどいんだから地下鉄の中で聞く自殺にいちいち反応するんだったら、世界の不幸に目を向けないとねえ」などという反応も成り立つ。しかし、これは違うよね。隣人の不幸に鈍感になるというのは、おしなべて人間一般に大して鈍感になる、ということだよね。人はみな、自分の狭い世界で一生懸命に生きることだね。情報社会で世界が狭くなったことは不幸だな。少し前、江戸時代に書かれた「東海道四谷怪談」を読んだときに、狭い世界が本当にうらやましくなったのを思い出した

 

マイルス・デイビス

一昨日はマイルス・デイビスの命日だったんだね

エレクトリックになってからのマイルスをあまり聞くことはなかったんだけど、いわゆる典型的なジャズから離れていったきっかけにジミ・ヘンドリックスの影響があったそうだね。当時のマイルスバンドのギタリストのジョン・マクラフリンなどがジャズ風に演奏してもマイルスは満足せず、ロック風に演奏するとOKが出たんだそうだ。ジミとの競演が残っていたら、さぞかしすごいものになっていただろうね。

モード奏法を完成させたと言われる名盤「カインド・オブ・ブルー」の一曲目にSO WHATという有名な曲がある。ミディアムテンポの長い曲で、コードの起承転結のない、ほとんどワンコードに近い曲である。実は、僕はこの曲の演奏を、オリジナルより先にビデオで見た。マイルスとコルトレーンのアドリブはあまりにすごくて言葉なし、というほど感動した。特に、マイルスの音数の極端に少ないクールな奏法と、コルトレーンの音のシーツと呼ばれる譜割の細かいエキサイティングな奏法はみごとに対照的で、もう何度見たか分からないほど夢中になって見たっけ。

その後、カインド・オブ・ブルーのアルバムを買って、もともとのオリジナルを聞いたのだけど、ここではもうひとりのサックス奏者キャノンボール・アダレイが入っている。マイルスのトランペット、コルトレーンのテナー、キャノンボールのアルトと三人が順にソロを取る。

さて、ずいぶん昔のある日の夜、頭がかなりぶっ飛んだ状態でヘッドホンをして目をつぶって、この曲を聞いたことがある。そのときに、目の裏に浮かんだ情景が面白かったのでその話である

まず、マイルスのソロであるが、聞いている間じゅう延々と伸びたガラスのチューブの中を高速で移動する乗り物に乗って、ジェットコースターのように移動するイリュージョンを見続けた。ガラスチューブの外には面発光体のようなものが貼り付けてあり、それらが後ろに向かってものすごい速度で飛び去ってゆく、そんな光景だったのである。

それが終わると、次はコルトレーンのソロである。こちらには今度は動くものは何も出てこなくて、静止した映像が1,2秒の間隔でフラッシュバックのように次から次へと目の裏に浮かぶのであった。その映像が、なぜか、日本の五重塔などの寺院建築の屋根の下についている複雑に入り組んだ「裳階」のイメージと、岩石が割れたときにできる複雑な断面のイメージの混合で、とにかく静止した複雑な形状のイリュージョンの連続なのであった。

この、二つのまったく異なるイリュージョンがそれぞれ延々と続いて、呆然としつつも自分の脳的には疲れきってしまった。どう考えても、どちらも異常極まりない感じだったからである。しかし、一見、ロングトーンが多く単純に言えばスピードの遅いフレーズを繰り出すマイルスが高速移動で、一方、超高速で繰り出される音のジェットコースターのようなコルトレーンが静止イメージだ、というのも面白い。

さて、そして最後にキャノンボールのソロになった。この人のときは、前の二人のときみたいな奇妙なイリュージョンはまったく現れず、「ああ、ようやく、ようやく、人間的で、血も涙もある暖かい人に出会えた・・」みたいな感謝の気持ちでいっぱいになった、というのもおかしな話だ。最初の二人のマイルスとコルトレーンは、しかし、どう考えてもまともな人間とは思えない、ほとんど狂人に近い。そんな狂人たちの演奏で金縛りにあっていた自分を助けてくれて本当にありがとうキャノンボールさん、みたいな、そんな感じがした(笑)

いや、しかし、この三つの印象は我ながら、三人それぞれの個性を実にうまく表しているなあ。

それにしても、これら狂人の二人だが(笑)、ああいうものを本当に感じるにはこちらも少し狂う必要があるよね。ゴッホも「天才達を本当に感じて好きになるには、こちらも少し狂う必要がある」と言っているしね。いや、これは彼が発作を起こす前の言葉だけど、彼自身がその天才の一人であることを期せずして証明することになったのは不幸だが、しかし、たしかドガかルノアールだったかも同じことを言っている、セザンヌなんぞは拘束服が必要だとかなんとか。

マイルスとコルトレーンこそが芸術でどうの、と言いたいわけではなく、キャノンボールだってすばらしい芸術だ。しかし、いろんな芸術の中には、なにか通常の人間の生活を送っている限り、踏み込んではいけない何物かを垣間見せるようなものが確かにあって、そういうタイプの芸術になると、たしかにかなり狂気じみてくる。そういう、一種のタブーのようなものを明るみに出す、ということに何の意味があるかはよく分からないが、時々そういうものに出会うと慄然とすることは確かだ。

コルトレーンは一聴して何となくエキセントリックなところがあるのでかえってこういう事情が分かりやすいけど、マイルスはちょっと聞いただけでは微妙すぎて、これが何で「踏み込んじゃいけない一線を越えている」のか分からない感じがあるのだけど、やっぱりそういう風に感じる。なんというか、フレーズに独特の呼吸法のようなものがあって、それが、僕らの日常生活の呼吸とところどころずいぶん異なっているような気がするのである。こんな呼吸の仕方で人間は生活できない、と、言うか、何か宇宙的な違う生物にならなくちゃ無理だ、みたいなそんな感じ

いや、ちょっと大げさな話になっちゃったけど、マイルス・デイビスは本当に凄かった

 

通信簿

さいきんの小学校の通信簿がどのようなものか知らないが、むかし自分が小学生だったときは、ふつうに学科ごとの点数が5段階評価で印字されて、担任の先生の直筆の所見がついてくるやつだった。ひょっとしてさいきんは通信簿なんか無かったりして。あっても、点数なんかついてなくて、所見には子供のポジティブな面をほめる言葉のみになっているのかな。そんなことを聞いたことがあるので適当に言っているのだが。

ところで、何でこんなことを言っているかというと、自分が小学生だったころ、その所見のところに、けっこうなネガティブなことが書いてあったのを思い出したからだ。僕の場合、点数はわりといつも良かったのだが、所見がもうボロボロで、なんとなく思い出すに、まず「積極性がない」それから「落ち着きがなくそわそわしている」「内気で引っ込み思案な反面、ふざけたり私語が多い」といったことを定番のように毎回書かれていた記憶がある。それで、家に持って帰って、毎回、親父にこの所見で怒られていた。

それで、ある学期末、成績表を学校でもらって見てみたら所見のところにやはりいつもと同じようなことが書かれていた。これを見せたらまた叱られるだろうな、と子供ながらに帰りみち憂鬱になったのだけど、「次にはこんなことをかかれないように気をつけよう」という発想がまったく浮かばなかったのも同時に思い出せるのである。親からも先生からも「もっと積極的にやりなさい」とか「そわそわするな」とか何とか言われ続けていたはずなのだけど、それを直す、ということがまったく思いつかなかった。

逆に、学科の点数については、点数を上げるためには勉強をすればいいわけで、勉強はあまりするほうではなかったが、ときどきは当たり前のように頑張ったこともあった気がする。でも、自分の「性格」の方は、というと、いわば、「これはオレそのものなんだから変える方がおかしいだろ」と、小学生ごときが言うわけは無いものの、今思うと、そうとでも言いたげなぐらいそのまま放置であった。その後も、点数だけは気にしたけど変わらず、仕事をするようになってからは「点数」が「結果」に変わっただけで、ノリはほとんど変わらない。

なんでこんなことを思い出したかというと、どうやらこの小学校の通信簿の所見に書かれた性格が、四十年ぐらいたったいまだにあまり変わっていないような気がしたからである。人間そのものの方はまるで改善なしだったかもしれない。

ところで、昨今の本の売り上げランキングとかを見ると、いわゆる成功するためのノウハウ本が常にトップの方に入っているが、どうやらああいった本では、人生に成功するには単に点数をかせぐのじゃなくて「性格」を改めることがもっとも重要である、という論法のものが多い気がする。店頭で、ぱらぱらめくったことがある程度で本当は知らないが、やっぱり、どれも、結局、性格改善を要求する内容のようである。この我慢ならない自分から脱出したい、という強い思いを持つこと自体が自分の性格に合わない、とつくづく思う

それにしてもオレのこの性格こまったもんだ・・

 

スーパーのレジにて

とある人から聞いた話。ある日の夕方、わりとお金持ちの多い町にあるスーパーマーケットに買い物に入ったそうだ。主婦たちなどが夕食の食材を買いに来る時間である。レジに並ぼうとしたら、店内はわりと混んでいて、レジに列を作っていたのに、なぜかひとつのレジには列がなく、一人しかいない。実は、そこには、一見してホームレスと分かるオッチャンが会計をしようとしていたのであった。当然汚いし、ちょっと近寄るとけっこう臭ったそうだ。オッチャンの買い物はカップ酒ひとつ。さて、どこに並ぼうか、と一瞬躊躇し、ホームレスの人をあからさまに避けるのはいけないよな、でもけっこう臭いしな、でもそれでも他の列に並ぶのも時間かかって邪魔くさいしな、と、ちょっと迷ったあげく、オッチャンの後ろについたそうだ。オッチャンは、カップ酒のお会計を済ませて、そのまま歩いていったのだけど、そのときちょっと振り返って、彼女ににこっと微笑んだそうだ。皮肉な笑いでもなんでもなく「ほかの人たちみたいに避けずに来てくれて、オレは嬉しいよ」みたいな表情だったそうだ

心のあたたまる、いい話だね

しかし、他面では、こういうことも考えてしまった。さて、こういうオッチャンたちは素朴で、実は、心底からの悪人などにはなりたくてもなれるはずのない人たちで、一面ではとても純粋な人たちなのは分かっている。しかし、実際に付き合ってみると、そうそう僕らの手に負える人たちではないことも同時に分かるはずである。価値観もなにもかもまるで違うので、まったく悪気なしに、かなりの迷惑を周りにかけるはずである。さて、そこまで引き受けられる覚悟をしないで、ああいうオッチャンたちに、たとえば親切にする、というのは、実は偽善ではないか、というような疑問が湧いてくる。この問題は、実は、すごく古くから一貫して人類的な問題だったよね。それで、明答もない。僕にも分からないが、思うに、いろんな意味で異なるところに属している人どうしは「距離をおいてお互いに尊敬し合う」ということが一番大切なんじゃないだろうか。距離を近く取り過ぎると互いに不幸になるので、間隔をうまく取って、尊敬の心を交換するのがいいのかな、と思う。これに対して、距離を限りなく近く取って、必然的に愛憎関係になって行くような人との付き合い方は、絶対に必要なことだけど、一生にそんなにたくさんはないはず

 

料理人のリンさん

さっき思い出したこと。十年以上前、会社にあったキッチンつきの厚生施設みたいなところで、大勢を集めて宴会を企画し、そこで中華料理を作ったことがあった。料理ができる人間は僕だけじゃなかったので、何人かが一品ずつ作るみたいな感じで、僕はマーボードウフ担当だった。そのころから、林の中華料理はプロなみだ、とかなんとか評判が先行しており、集まってきた老若の女性たちにも「リンさんのマーボードウフ楽しみ〜」などと言われ、まんざらでもない顔をする自分

さて、トリ、といって本命は最後に登場するのである。あれこれサラダとか、広島風お好み焼きとか出て、うまいうまいと食ってはビールをがぶがぶ飲み、割と酔っ払う。それでは、といって、炎の中華料理人がキッチンへと向かい、いよいよ料理の開始である。十数人分なので、豆腐も5丁ぐらいあって大量で、実はそんな量を作ったこともなく、さて、挽肉を炒めて、お湯をいつもの5倍入れたのが間違いのもと。あっという間に妙なスープのようになり、豆腐を入れていくら煮込んでも、角切りの豆腐入りスープにしかならない

それに中華なべも大きさが限界でほとんどまともに扱えない。ふと見ると、あの、炊き出しの時に使う黄色いアルマイトのでかい文化鍋が目に付いた。お、これだ、と思い、どぼどぼと中身を移してかき混ぜたら、豆腐がぐちゃぐちゃに崩れ、ますます悪化。よし、じゃあ皆をあっと言わせてやれ、とばかり、ビンに残っていた大量の豆板醤を全部ぶち込み、杓子でさらにメチャクチャにかき回すと、豆腐はまったく原型をとどめなくなり、それでむりやり片栗粉でとろみをつけると、真っ赤な豆板醤、黒い醤油汁、白い豆腐がすべてポタージュ状に混ざり、どす黒い灰色に赤を混ぜたみたいな、ものすごい液体ができあがった

このどろどろの液体のはいった巨大な文化鍋を宴会場へ持って行き、長テーブルのはじに置き、「さあ、リンさんのマーボードウフができましたよ〜」とかなんとか言って杓子片手に登場すると、「わー、きゃー、すごーい!」と歓声が上がり、「さあ、みなさんお椀を持って一列に並んで〜、これからマーボードウフを配給しますよ〜」といって、杓子に一杯ずつお椀に入れてやる。さて、めいめいが食べ始めたときの反応を今でも覚えているが、みな、一応に顔をしかめて、「なにこれー?!」、「コレ、ほんとマーボードウフ? 辛くて食べられないし、だいいち、マズーイ!!」と、当然のリアクションである

伝説の中華料理人リンさんの面目は完全につぶれたわけだが、終始大笑いで、実に気持ちがよかった。宴会の終わりに、とある女性に、完全に真顔で「リンさんのマーボードウフって言うからすごく楽しみにしてたのにあれって何よ! それに比べてSさんの広島風お好み焼き、とってもおいしかったわ〜、さすがSさんね」などと言われ、僕は大笑い。謙虚なS君は、僕みたいに自分を伝説の料理人などと大言壮語するなどもってのほかで、しかし、作ったものはプロ級だったわけで、とっても評価を上げる。それに比べて僕は正反対で、評価下がりっぱなし。しかし、面白かったな〜

今では、僕は、こういうまねはしないと思うが、思えばあのころの自分って、いわゆる「奇矯」を旨としていたっけ。そういう心を忘れてはいけないよね

このお話、一応、後日談めいたものもある。かなり後日、今度は林さんの中華料理教室、というのを開くことになった。あのドロドロマーボーを知らない女性が企画してくれ、十人くらいの女性が同じ宴会場に集まった。それで、最初に、あのときと同じキッチンに立ったとき、一部の人がなんとなくちょっと馬鹿するような、半信半疑のような、言動や振る舞いをしていたのに、ふと気付いた。これ、つまり、あのマーボーを実際食ったか、噂を聞いた人たちだったようなのである。それで、そのときはほとんどしらふで一品目を普通に作り、みなが試食したのだが、とたんに、それらの人たちの態度が180度がらっと変わったのが手に取るように分かった。それ以来、みんなに「林先生」と言われて親しまれるようになった、という自慢なお話(笑)

しかし、あの、奇矯を旨とする伝説の料理人リンさんはどこへ行った・・(笑)

 

ソウル

韓国で書いている。今回はお金をほとんど使う局面がないはずなので、ソウルの空港に着いて換金をする必要もないかな、と思ったものの、残るの覚悟で一万円ぐらいは換金して現金所持するのがいつものこと。それに、なんであれ、異国で現金なし行動するのはやはり心もとない、とはいえ、なんと財布の中には二千円しか入っていないのは困りものだ。でも、無いよりましだろう、とたった二千円をウォンに換金した。夜にホテルに着いて友人に連絡を取ったら、今夜の予定が見事にキャンセル。さて、夕飯はどうしようか。気取って高くて旨くないホテルのレストランに行く気はなく、外に出るか、と街へ繰り出したのだが、しかし、このポケットの中のウォンは、あまりに頼りないとはいえ持っててよかった。ソウルの夜の街を歩くと、みな楽しそうである。韓国語もできなければ、ハングルもまるで読めない自分は入れる店がどうしても限られるけど、かろうじて写真を載せてる大衆食堂を見つけ、入って、ビビンバとビールを注文する。韓国へは、これでもう十回目ぐらいだとは思うものの、いつも韓国人の友人の案内つきなので、こうして一人でわけも分からずお店に入ることは、ほとんどなかったはず。自動的についてくるキムチのたぐいとともにビビンバ登場。ああ、やっぱり、現地のビビンバは、日本のそのへんで出てくるやつと違って、野菜の種類が倍は入っていて、ホントしみじみ旨い。食って、飲んで、カネもないので追加注文はせずに店を出ると、小雨が降っている、実はソウルに台風が近づいているらしいのだ。そんなことはよそに、夜の街は賑わっていて、相変わらずみな楽しそうだ。そういえば、この前東京に台風が来た夜も、自分は、渋谷の繁華街を歩いて、帰れないかもしれないな、と与太を飛ばしながら飲んでいたっけ、それと同じ感じがした、ソウルも東京も、夜の街に出てしまえばみな、同じだね

 



もよりの駅から歩いてうちへ帰る途中は深い森のなかを抜けるようなところで街灯も少なくちょっと幻想的な感じである。昨晩もまた歩いたのだけど、少し前までは夜でも蝉が鳴き続けていたのが、みごとに一斉に秋の虫の声に切り替わっている。四方八方から届く虫の声の中を歩いていると、ときどき思うのだけど、この虫の声は俺だ、俺が鳴いているんだと感じることがある。もっとも、これは、なんとなく感じるだけで、なぜ、なんとなく、という風に強度が低いかというと、そうはっきり感じられるのが、ほんの切れ切れの0.1秒とか0.001秒とか、それくらいしか続かないから、平均すると弱くなってしまうのである。ちょうど、ちょっとがたのある木の継ぎ目の向こうに強烈な光があって、体の位置を変えると、わずかなすき間から光がちらちらと漏れて見える、そんな感じである。このすき間を大きく開けることを、脳が全力で拒んでいる気もする。なにか特殊な化学物質が脳内に分泌されていて、そのせいでブロックされているとも思える。もっとも、これは、逆だね。ある化学物質が脳内に行き渡ると、こういう幻覚が起こることは良く知られているから。すなわち、麻薬である。こういうことではっきり分かるのが、脳というのはかなりいい加減な器官だということ。人の活動のエネルギーの元を、ここでいうならあの虫の声から取っているくせして、だましだましかすめとっていて、真っ向から取ることを全面警戒している。そのくせして、たとえば麻薬みたいな自然物質を投与するだけでいとも簡単にその強固な門を開けてしまう。いったん開けてしまうと、今度脳がやることは、取ってきたエネルギーを活動に回すことをだましだまし拒否することで対応する。麻薬をやると最後には廃人になるのはそのせい。いろいろなことを「だましだまし」ときどきは「隠密裏に」やっている、というのが脳の役目のようで、ホント同情に値する(笑)

 

廣松渉

このあいだ外出したとき古本屋があったので何気なく入って、3冊ほどの文庫を買った。さいきんドストエフスキーと小林秀雄ばかり再読しているので、お堅い本でも買おうかと思い「記号論」と「新哲学入門」というのを買った。それで記号論をまず読んでみたのだけど、最初は面白かったものの、すぐに訳が分からなくなり、とりあえず断念。次に、新哲学入門を読んでみた。この本、ぱらぱらとめくるだけで、やたらと専門用語的な漢字のオンパレードでいかにも難しい。ともあれ読み進めてみたら、これが面白いのである。近代哲学を真っ向から批判している内容で、それら過去の哲学についてもほとんど名指しで論じることをせず、さっと読むと、勝手に独断的に対決しているように見えるところが半信半疑だったのだが、何か妙な魅力がある。もっとも古今の哲学を論じなかったのは新書ということで紙面が足りなかったからで、主著では綿密に展開しているということだった

普通に読んでいたのでは頭に内容が残らない晦渋な文章なので、意味はなかなか取れないのだけど、文体に注意して読んでみると、こう、独特な爽快さがある。あれだけ大量の漢字と、古めかしい言い回しだらけなのに不思議な感じだ。かなりしばらく読んでこの人は信頼できる、と思い、ようやく著者名を見てみると「廣松渉」と、ある。僕は名前を聞いたこともない人だったのでネットで調べてみたら、一世代前の日本の哲学者で、名の通った人だということが分かった。ひょっとすると、この出会いはとてもよかったかもしれない、なぜかとてもこの人が気に入った。もう亡くなってしまったが、こういう人が同じ日本にいたのだなあ、と思わせる

この新書だけど、目次の見開きページを眺めてみると面白く、緒論のあと、全三章あり、それぞれの章がすべて三節で成っている。したがって節の数は九つ。そして、章名はすべて十三文字、節名はすべて七文字で統一されている。そして緒論の題名だけが独立して十一文字になっている。並べ替えてみると「1、3、7、9、11、13」と、見事に奇数のみなのである。ただ「5」だけが欠けている。どこかにミッシングリングが隠されているかもしれないけど、このあたりにも彼のスタイリッシュでダンディな雰囲気が現れているね

ああ、今自分の書いたのを読み直して気付いたけど、書名の「新哲学入門」が5文字だね。なるほど

 

近眼

僕はかなりの近眼で、視力検査表の一番上がわからない眼をもって、もう三十年以上は生活している。もちろん、ふだんはメガネに頼っているわけだけど、僕の知り合いの近眼に朝起きてまず最初にすることは枕元のメガネをかけることでそれから体を起こす、という人がいるが、僕はその真反対である。必要とされるとき以外は極力メガネをかけずに生活している。とはいえ、仕事を始めとして目が見えないと満足に行動できないケースの方が多く、メガネをかけない時間の方がトータルでは短い。しかし、電車に乗ったり、歩いたり、自転車に乗ったり、という移動中はほとんどメガネをかけない。通勤などはいつも同じ経路なので支障ないのだが、初めて行くところであれメガネをかけなかったりするので、これが結構大変である。降りる駅の名前や乗り換え標識や、そのほか、ごく近くのものしか読めないので、断片的な情報を元に適当に進んで行ったり、聞き逃しやすい車内放送に頼ったり、とりあえず動いて印を求める無駄な行動をとって解決を求めたり、さまざまである。こういうことを、実に、何十年も続けていると、目明きの人にはほとんどわからない独特な勘のようなものが発達する。おそらく、目の良く見える人が、とつぜん僕と同じ視力になり、メガネをかけずに巷を歩いてゆくのはかなり怖いと思うはずである。特に夜の自転車など、危険すぎて乗ることを断念するのではないかと思われる

と、まあ、そういう近眼人間なのだけど、この前、夜10時ごろ、いくらか飲んだ後に、とある駅で電車を待っていた。もちろんメガネはかけず、しかも夢中で文庫本を読んでおり、電車が目の前に止まってドアが開いたので、なにを気にすることもなく、片手に持った本に目を注いだまま、そのまま車両に乗り込んだ。そうしたら、何かがおかしいことに瞬間的に気が付いた。本から目を上げることなく、近眼のぼんやりした視界に映った、女性らしい姿2、3人のほか、左下のあたりの座席、そして右に伸びている車両の全体から無言の妙な圧力のようなものを感じたのである。これ、すべて、時計上で1秒以下の出来事である。読んでいてもう気付かれたと思うが、僕は女性専用者に乗り込んだのであった。なんというか、ホームからおよそ3歩ほどで車内に入ったのだが、大勢の女性の無言の圧力をちょうど、本当の物理的圧力として感知したみたいな感じで、そのままその圧力に押されてごく自然に車外へ押し戻されたように外へ出た。あまりにすばやい出来事だったので、ホームに戻ってからまだ時間が残っており、今度は理性的に隣の車両まで歩いて、ドアが閉まる前に乗り移ることができた

やれやれ、女性専用車などという厄介なものはできればやめて欲しいものだ。それにしても、あの無言の圧力は、ちょうどゆっくりと膨らむエアバッグみたいにちょっと女性的な柔らかい力で自分を車外へ押し戻したのであった。近眼生活ゆえに養われた勘によるところも大きいのではないか、などとも思った

 

雑記

あまりに間が空いたので、ちょっと何か書いておこうか。さいきん、何も書くことがなく、書く暇があっても書いていない。自分の場合、書かない、ということは日々の発見がない、ということで、やはりちょっと困りものである。何かに気が付いたり、ちょっとした連想があったり、とかいうことは、実になんでもないささいなことで、ほんのちょっとのバランスが崩れると、もうそういうことが起こらない。自分ってつくづく随想的な人間なんだな、と思ったりする

文章のリズムも、微妙に崩れてきたりするとちょっと焦らないでもないけど、まあそう簡単に逃げてはいかないだろう、楽観するけれど、あ、そうか、ゴッホが弟への手紙の中で、調和とタッチというのはとても微妙なもので、ちょっとでも修練を怠ると簡単になくなってしまうものなんだ、と書いていたっけ。あのゴッホがそういっているんだから、きっとそうなんだろう。やっぱり注意しなくちゃ

でも、ゴッホの、特に晩年の絵を見ると、つくづくそう思うが、あの、何の苦労もなしに、短時間で、乱雑に絵の具をなすりつけただけのような画布の上の、あの調和の仕方の完全さ完璧さは驚異的だ。どうやったらあんなことができるのだろうと、今でも思う。やはり休むことない努力の結果なのだろうな。これについて、いちばん手近に見られるのが広島のひろしま美術館にあるドービニーの庭という絵だ。死ぬ一週間前に描かれたといわれている絵なのだけど、あのものすごい絵が、ちょっと足を伸ばせばすぐに見られるというのは幸運だ

そういえば、フェルメールの絵はまだ来ていなかったんだね。9月末からだそうだ。長蛇の列は勘弁なのでたぶん行かないような気がするけど、あの、ポスターになっているミルクメイドという絵は、実際に見てみると分かるけど、完全すぎて、ほとんど、天上に属している。僕は、アムステルダムで何度も見て知っているのだけど、ああいうものは一種の奇跡に近いように感じる。音楽でいうと、バッハやモーツァルトやベートーベンについて言われているようなことなのだろうね

自分はクラシック音楽を聞く耳がほとんど無いのだけど、ここ数年ぐらいうちの奥さんが家で日常的にピアノクラシックをかけるせいで、なかば環境音楽的に聞かされる状態が続いていて、少しは分かるようになった。恥ずかしながら、知らない曲についてはいまだにモーツァルトとベートーベンの区別がつかなかったり、分析的聴取能力はゼロに近い。でも、いくつか好きな曲もできたりして、ベートーベンのピアノソナタをときどき自分でかけて聞いたりすることもある

そんなこんなの生活を送っていて、特筆すべきことも無いのだけど、修練することを休んではいけないね

 

中目黒

家のお風呂場を工事しているせいで、それならば、と、二日間ほど外泊することになった。中目黒から少し歩いたところにあるちょっと変わったビジネスホテルを探してもらい、そこに決めた。その日の夜、仕事を終えて、さて少し飲んで行くか、ということで、たまたま、ずいぶん前から聞いていたロックバーが中目黒にあるのを思い出し、そこへ行ってみた。それでついでに、夜の中目黒を少し歩いてみたのだけど、いいところだね。小さな川があって、川沿いにオシャレな感じの店が並び、落ち着いていて、とても気に入った。お目当てのロックバーも、気さくな小さなスタンドバーでよかった。それで、お店のマスターにホテルの場所を聞いて、夜11時ごろ店を出て歩いて目的地へ向かったのだが、途中迷ってしまう。ずいぶんと分かりにくいところにあるようで、ホテルに電話して道を聞いても、どうも分からない。しかたがないので、犬の散歩をしているいかにも地元っぽいおばちゃんに声をかけて聞いてみた。そうしたら、おばちゃんは気さくな人で、うん、ここはね、ぜんぜん違うわよ。いいから、散歩ついでに連れてってあげるから付いてきなさい、と言って、犬の散歩がてらにホテルまで案内してくれた。曲がりくねった住宅地の小道に入って行き、あちこちを曲がり、それにしても、あたりはとても静かで、やはり何かとても落ち着く感じがするので、おばちゃんに、中目黒っていいところですねえ、と言ったら、そうでしょう、いま結構人気あるのよ、云々などと、与太話をしながら夜道を歩き、十分ほどで、はい、ここよ、と目的地についた。お礼を言って、ちょっとした坂を上がってゆくと、赤茶色のタイルにつつまれ、深緑の木々に囲まれた、二階建てほどの建物の入口が見えた。とたんに、ああ、いいところじゃないか、と思ったのだけど、きっと、それは、たぶんその日の夕方駅を降りてから、川沿いのオシャレな小道を歩き、こぢんまりしたロックバーに寄って、親切なおばちゃんに会って、静かな住宅地を歩いて、それで、最後の最後にホテルにたどり着いた、という、今日一日の良い終着地、みたいな気がしたせいだったのかもしれない。中に入るとビジネスホテルとは思えない、ほとんど平屋の旅館みたいな作りで、長い廊下を歩くと、中庭などもあり、それで、部屋はただのビジネスホテルだったのだけど、妙にくつろいだのだった。それで、すぐに気持ちよく眠ってしまったのだけど、次は夢の中で、すごくいい光景を見た。なにか、とっても素敵な場所に自分が来ていて、建物や、装飾品や、出会う人々などに囲まれて、なんというか、はるかに見晴るかす、明るくて、広い未来、みたいな感じをとても強く受けて、夢の中で陶然としているのである。朝、目を覚まして、はて、自分も、なぜ、ここまで中目黒が気に入ったかな、と不思議な気がした。