それから (夏目漱石)

今までずっと敬遠してほとんど手をつけなかった日本文学を読んでみた。たまたま古本屋で目に入った漱石のこの本、結局、夢中になって読んでしまった。なんと、自分のメンタリティに近いことか。やはり同じ日本人なんだなあ、と感心することしきり。

主人公の代助は、30になっても一向に働きもせず、親の金で文学や芸術にうつつを抜かし、書生と婆さんのいる一軒屋で世の中に背を向けて生活する、今で言うところのモラトリアム人間である。それが、ある日近くに越してきた親友の細君への恋心から、理想と現実の板ばさみになるが、結局、代助は自身の信念から恋を選び、結果あっという間に親兄弟から勘当され、仕送りが止まり、実社会に放り出される。そこで物語は終わる。勘当を告げる兄の言葉の後、代助は「ちょっと職業を探してくる」と言い残して家を出て、電車に乗っていつもの風景を眺めるのだが、彼には、すべてがくるくると回って、真っ赤に染まって見える。このエンディングはいいねえ。

現実から逃避して生きる代助が、脆弱な日本の古い伝統を、ただ忙しく実社会で働く代助の回りの友人、親兄弟が、急速な西洋化によって歪んだ日本を、それぞれ代表しているようにも見える。代助が回りに屁理屈をこねながら、のらりくらりと現実逃避していた、その態度は、策略でも優柔でも無かった、と漱石は小説のどこかで書いている。現実逃避という明確な選択をしながら、対決の時を待っているのである。代助の回りの忙しく働く連中らは、自身の中に古くからある日本の本当の心を捨てて、西洋化の波に乗っているに過ぎない。一見、現実生活を送る者に理があるように見えるのだが、その実、彼らのほうが本当の意味で現実逃避しているのであり、見たくないものを見ないために、忙しい現実でこれに蓋をしているだけだ。そこには理想と現実の相克などハナから無いのだ。しかし代助は、まさにその相克のあげく、自身を肯定することで一気に社会へ飛び出して行く、その先に本当の希望があるのだ。

と、言うのは、ちょっと言い過ぎだろうか。でも、ずいぶん昔、就職はしているものの、ほとんどモラトリアム状態だった僕は、自分に都合のいいようにそう読んでしまったな、この小説。