ユング自伝 (ユング、ヤッフェ編)

最初から順に読んでいたのだが、読んでいるうちにその必要はない、と気づき、それ以降はまぐれ当たりに開いたところを読んでいる。

この自伝は彼の最晩年に書かれたもので、いわば、研究者としての学会を始めとする世間への配慮とか、そういう厄介なしがらみをほぼ無視して書かれたもののようだ。しかも、自伝という形式もあり、研究者的な言葉ではなく、優しく静かに語っている感じが伝わってくる。まるで、暖炉なにかにあたりながら、おじいさんのお話を聞いているようだ。ただ、そのお話は、決して簡単に理解できるような易しい話ではない。自伝であるからには、自分にあった出来事を綴ってはいるものの、それは半分だけで、あとの半分は様々な困難な論考に満ちている。

面白いな、と思ったのは、特に死後の世界について書いた章で、ユング自らが、疑問を抱き、解決の糸口を見つけ、また見失い、そしてまたそれを得て、という彼の思考のリズムのようなものがそのまま文になっているように見えたことだった。こういう書き方は、研究者の論文ではもちろん許されない。論文というのは、一貫した論旨の元に、読者を論理で説得するためのものだからだ。しかし、論文の形式以外で人を説得するやり方は、いくらだってあるし、いったん学会から離れてみれば、この自伝のような語り口で、困難だけれど重要な問題を読者と一緒に考えて行くようなものであってもいい。

正直、自分も研究者の端くれが長いが、学会的論文の形式は、もう古いのではないかと、思うことがある。そんな中で、この彼が、アカデミアから自由になって書いた文は、とても豊かな啓示に満ちている。論文でないので、まぐれ当たりにどこから読んでもいいわけだ。冒頭に書いたように、この自伝の文に接しながら、自然とそのことに自分は気づいたらしい。これからも、聖書占いみたいに、開いては目を通す本になるだろう。