ツレヅレグサ・ツー
            ッテナニ?

十一 十二 十三 十四


蕎麦屋で酒
インターネット
懲りずに真空管
歩道にて
ブルースバンド
いじめ
真空管アンプ作り
等々力渓谷
八代亜紀
人を恨まず
天ぷら屋
未成年
オーディオマニア
ギター
ぬた
漁港の食堂
網走監獄
ジンギスカン
100円ライター解体
チェーン店レストラン
立ち飲み屋にて
ゲーマー
受験勉強
瀬田無線の夫婦

 

GO HOME

蕎麦屋で酒

夜の道をうろうろして飲み屋を探していた。11時も回ってなかなかいい店が見つからず、たまたま人通りのない通りを歩いていたら、ぽつんと一軒だけ古臭い感じの蕎麦屋が開いていた。連れが、入ろう、っていうので、え、ソバ屋?なんて言いながら後について入って、座敷に座った。ビール飲んだ後、蕎麦焼酎の蕎麦湯割り、ってのを飲んでみたら、これがけっこうイケる。どうやら、この蕎麦屋、深夜まで飲み屋として開けている蕎麦屋のようで、予想に反してひっきりなしに客が入ってくる。いかにも蕎麦屋の店内で、いかにもの内座敷、いかにも蕎麦屋っぽいおばちゃんの給仕で、いかにも蕎麦屋の肴を食って酒を飲む、ってのもいいもんだね。すっかりくつろいじゃったよ


インターネット

さいきん、また、カラマゾフの兄弟をぱらぱらとめくって読んだりしている。インターネット上で繰り広げられている現代という代物に嫌気がさしたりすると、こういう古い書物をなにげなく開いてみるというわけだ。今、こう書いていて思ったけれど、インターネットという発明は本当にすごい発明だね。インターネットより前、テレビやら、新聞やら、雑誌やらでいくら情報社会だ、といったところで、社会の姿は以上にあげたメディアを一回通ってから我々一般人民に伝わっていたわけだけど、インターネットは、その我々一般人民の社会での動きそのものの姿が現れているところが、大きく違う。ここにきて、現代という時代のそのときの、ほぼありのままの姿が、現像液の中の写真のように、そのまま写し出されるようになった。古いメディアと、インターネットというメディアは、ちょうど、絵画と写真の関係のように見える。絵画を生み出すには画家という訓練を積んだ専門人が必要だけど、写真は基本的にはシャッターを押しさえすれば誰でも作れる。カメラマンという専門人は確かに生まれたけど、絵を作るという事をこうまで簡単にした、というのは程度の問題ではなくて本質的な変化だよね。それで、インターネットを覗いてみると、現代というものが、頂点から隅々までほぼそのまま見えていて、そのあまりの巨大さと、乱雑さに息が詰まるような気がしてくる。適当に見ないでいる知らないでいる、ということが人の衛生にとっていかに大切なことだったか、ということが骨身にしみて分かってくる。むかし、インターネットには「海」が見えない、すべて「陸」の上のお話しって感じだ、と書いたことがあるんだけど、やはりそんな感じがする。たとえば、今、窓の外に草花が見えているけど、この身近な草花の世界は、同じ自然の産物ということで、自分という生物の心と、まったく断絶なく連続してつながっている、という感覚が持てる。僕らの祖先は海から生まれたので、海を母親になぞらえることもごく自然に納得できる。それに対して、インターネットの世界に、大きな母胎となる母親が見えるかと言うと、どこにもいない。そこにあるのは、人間だけで、どこまでいっても人間、人間で、人間しかいない。なぜならインターネット上の情報は必ず人間を通って出てきたものだから当たり前の話だ。

もちろん、インターネットは関わりたくなければ閉じればすむことだから、個人レベルの生活では問題なさそうだけど、社会の動きそのものなので、そうも行かないよね。サラリーマンやめて北海道の原野で酪農に走っても、現代社会は常に追いかけてくるだろうから(笑) それで、カラマーゾフの兄弟の中の世界に接すると、どんなに極端で奇怪な悲喜劇が繰り広げられようが、そこに神様が棲んでいるのが感じられてほっとする、というわけ。

それにしても、最近、自分って、そういう心の故郷を持っていて、本当によかった、とつくづく思う。疲れている証拠かな(笑)


懲りずに真空管

真空管アンプの本を書き上げて、後は出版を待つだけ、すごいね〜、本当に出版してしまった。というわけで、本のために3台のアンプを製作し、我が家の自分の部屋に置いてある。さて、これどうしようね。って、実は元同僚に2台はあげることになっているんだけど、ちょっと癖のある性能であげるの迷っちゃうんだな。まあ、そんな癖のあるヤツを出版本で世の中に出すなよ、という反省がけっこうあるんだけど、もう今さら直せないから、あきらめている

めちゃくちゃ苦労して3台のアンプを作って、もう真空管アンプ作りは当分いいかな、と執筆しながらずっと思っていた。しかし、書き終わってしまうと、なぜかまたぞろ、なんか作りたいな、という気持がよみがえってくるから不思議だ。そうなると、アンプは人にあげちゃうから、ってことにして、そうなると、自分の部屋専用のアンプが無くなっちゃうので、そうなると、もう一台作らないと、などという理屈に合わない口実を作って製作構想に走るってわけ

この前、出張したときに、ヒマな移動時間、ひたすら新アンプの構想について妄想を重ね、なかなかいい案を思いついた。まずは構想が正しいかどうか実験をしなければいけないので、こっそりと通販で真空管とトランスを購入するべく、ネット振り込みのできる新生銀行に口座を開設し、購入決行した。まあ、受け取るのは家にいる奥さんなのでバレバレなんだけどね

それで、さっき設計が終了したので、いよいよ本格的に実験と製作を開始することになった。作ってどうすんの?と叱られるの覚悟で、いやー、遊び、遊び、と切り抜ける予定。それで、今度の新案は何かっていうと、「6V6GTの3結トランス位相反転式プッシュプルステレオアンプ」で、なかなかのこだわりの一品である。オレってマニアックだな〜


歩道にて

歩道を自転車で走っていて、前に歩いているおばちゃんが道を開けてくれたので、ふつうに通り過ぎた。そしたら、その先の信号待ちで「道をゆずってもらったらお礼を言うもんですよ」と言われたので、いかにももっともなので、すいません、と謝った。それにしても、それからしばらく自転車に乗っていたけど、歩道なんかで、前に人が歩いていて、ベルをチャリンチャリンと鳴らすと、若者はすぐに気づいてよけてくれるけど、年齢がいくほどよけなくなるね。特に、なに不自由なく暮らしている系のおばさんで、意地でも譲ろうとせず、堂々と道の真ん中を歩き続けている人がけっこう多い。もちろん、歩道の上では、人優先なので譲る義理はないのだけど、こっちは、まあ、通り過ぎるときに危ないから鳴らすわけで、特に、どけと言っているわけではない。しかし、そのタイプのおばさんの後ろ姿からは「私が今この道を歩いている以上、この道は私のものですよ」という言葉が聞こえてくるね(笑)、それほど決然としている。まあ、思うに、それももっともで、年齢を重ねると、大量の試行錯誤の経験を経ていて、いまやあらゆる不測の事態に必ず対応できる、という自信がつくわけで、そうなれば、自分の歩む道には怖いものはなくなるわけで、そうすれば、自分の周りのものはすべて自分が手なずけることができる、と自然に思うはずで、そうすれば、自分の周りのものはすべて自分のものだ、と感じて当然なわけだ。それに対して若者は、経験が浅く、何が来るかも分からず、対処も手探りなので、無意識的にでも、かなりの時間を警戒態勢ですごしていると思われる。歩道で自転車のベルを鳴らすと、けっこうビクッとして振り返り、あわてて横にどいてくれる人はたいがい若い人である。しかし、人間の進歩って、対処法が分からない事態に遭遇して、その解決に苦しむときに起きるのであるから、何がきても大丈夫という人には、その理屈でいうと進歩はおとずれない、ということになる。別に、年齢がいって、これ以上進歩する必要もないし、安泰でいたい、と思えば特段に不都合もなく、要は、老いた、というだけである。逆に、老いても、常に自分の周りに不確定な、不測の事態を呼び入れるような人というのは、いわゆる「努力する才能」に恵まれた人で、死ぬまで進歩を、半ば強要されてすごす。あと、それから、何がきても大丈夫と自信満々な場合も、それまでしてきた経験の範囲があまりに狭いから楽に対処できてしまっていただけ、ということも多いだろう。ドストエフスキーの小説の中で、貧乏な家に生まれ、胸にノーブルな心を持つ少年は、ほんの数えで5つにもならないうちにこの世の中の真実を悟ってしまうのでございます、というセリフがあったけど、世の真実は裕福な人では一生かかっても分からないこともあるというわけだ。我がもの顔で行動する人に、裕福で、何不自由ない生活を送ってきた人が多いのもうなずける。それから、ここでは「ノーブルな心」というのも大切で、人が、貧乏に生まれるか裕福に生まれるか、ということと、ノーブルな心を持って生まれるか否か、ということは特段の関係はなさそうである。

と、まあ、たくさん書いてしまったが、冒頭のおばさんに恨みはないよ(笑) だって道を譲ってくれたしね。そのあと、自転車をこぎながら、道すがらあれこれ考えたってわけ


ブルースバンド

再びブルースバンドがやりたくて、それも’ど’の付くやつをやりたく、コードネームでマミーズ・ブルースバンドというのを企画したが、なかなか始まらない。ドラムがデザイナーなので、彼のコーディネートで、バンドのルックスがものすごくぶっ飛んでて、それで、音を出すととにかくオーソドックスなブルース、という意外性を狙ったバンドであるが、まずは、ものすごく変な形のギターを入手しないといけない、っていうんで、オークションをあさり、すごく変なギターを見つけたのだけどセリ負け、それ以降見つからず、ギター入手の段階で止まってしまった。それで、この前、ブルースバーで、たまたま会った知り合いにブルースバンドやりたい、と言ったら、とても行動的な人で、すぐにメンバーを集めてくれた。で、練習日まで決まっちゃって、やることになった。そうこうしてる夜、むかしデュオでやった仲間のベーシストから電話があり、今、ドラマーと飲んでるんだけど、一緒にライブ出ようぜ、と来た。あっという間にバンドが2つになったけど、できんのかなー それにしても、ブルースバンドなら誰でもやるような、手垢にまみれたみたいな曲を取り上げて、よみがえらせる、みたいなのにあこがれるんだなー。僕の中では、その昔ブルースをよみがえらせたのはジミなんだけど、そのせいかな。自分的には、その昔、60年代、黒人たちはR&Bなどへ進んでブルースを発展させたけど、ジミはR&Bみたいなのは通り越してブルースをもっとずっと先まで持っていって、それでかえってルーツのブルースに返ったみたいに見えるんだな。いずれにせよ、ジミヘンドリックスは、およそ15年前、僕を黒人ブルースの泥沼から救い出してくれた恩人だからね。ジミの演るブルースを初めて聞いて、これこそ、古い黒人たちのためのブルースじゃなくて、オレの世代のためのエレクトリックブルースだ、と、ホントそう思ったよ。


いじめ

齋藤学の本をぱらぱら見ていて、いじめについて書いた箇所があったので、自分の小さいころを思い出した。僕が小中学生のときも、ふつうにいじめはあった。自分は、いじめられるほうにも、いじめるほうにも属していなかったけど、そのせいで一抹の良心の呵責を感じることがある。つまり、まったくの傍観者で、いじめをはたで見ていたこともあるし、関わりたくないのでもちろん止めにも入らなかったしね。

そういえば、小学校の5年ぐらいのとき、ささやかだけど、いじめられたことがあったな。当時、近所に住んでいた友だち2人と3人で毎日のように遊んでいたことがあった。仲良しのまま何年もたって、高学年にさしかかるころ、突然、その2人が結託して僕を無視し始めたのだ。いわゆる仲間はずれというやつで、何かずいぶん悲しい思いをしたのを覚えている。そうこうしているうちに僕もあきらめて、疎遠になり、そうこうしているうちに、社宅が近所に移り、僕は隣りの小学校へ転校した

新しい学校で、またふつうに友だちを作って遊んでいたわけだけど、そんなある日、近所の道でぱったりと昔の2人の友だちと出くわした。僕はもう新しい世界にいたけど、その2人は相変わらずのままで、もう一年もたっていたので、ちょっと照れ臭い感じだったけど、ちょうど近くの広場で野球ごっこやってるからやらないか、と誘われた。柔らかいゴムボールを投げて、棒っきれで打つ、っていうやつで昔、3人でよくやったのである

2人は相変わらずだったけど、僕がバッターにたって彼らの投げる球を打ったのだけど、むかし、ぜんぜんダメだったのに、このときは、どんな球を投げてもほとんど全部、壁越えのホームランで相手にならない。しばらくして、その2人、おまえ、すげえな、とか言って、僕もなんとなく得意だったけど、なんか、こいつらレベル低いな(・・なんていう日本語は当時は覚えてないので、そういう感じ)、と思って、妙にしらけてしまって、じゃあねバイバイ、と言って別れて、それ以来、一度も会わなかった

自分って、妙なタイミングで、今でも、「ちくしょー、絶対に見返してやるー」と思うことがあるのだけど、こんな経験もそのきっかけなのかもしれないね。正当に、実力で、見返すのである。いじめに会った方の人間が、一度でも相手を見返すことができると強いよ。いじめられる人の苦労って並大抵ではなく、挫折と成功の両方を知ることになるんだからね。ただ、これも、運がよくなくちゃ、無理だろうけど


真空管アンプ作り

新構想のもとに真空管アンプを設計して、それで、通販で買って送られてきた真空管とトランスで、ありあわせの部品を組み合わせて、今日、アンプを仮組みしてみた。2時間もして出来上がり、鳴らしたらあっさりと鳴り、動作も設計した通りで、なんかこの調子だといくらでもできるね。で、音は、というとまだモノラルなせいもあって、比較があまりできず、よく分からないけど、いい感じじゃないかな。こうしてみると、真空管アンプ作りって、求道的にやっている人も多いけど、僕はそんなのじゃなくて、ちょっと変わった構想で設計して、あとはそれだけで満足で、特に音質がどうの、と言う気がしない。

以前、だれかに、真空管アンプってなんで音がいいんですか? と端的に聞かれたけど、僕の答えは、きっと真空管に思い入れできるからいい音に聞こえるのだと思うよ、と答えた。真空管を知っている別の誰かは、真空管の歪みは2次歪みでそれが楽曲を豊かに聞こえさせる云々、と答えていたけど、僕はそういうのは疑問符だな。少なくとも自分で作ったアンプというものには思い入れが大きく、それで悦に入って、それでいいんだと思う

以前、ポータブルカセットを2本の真空管で増幅して、その辺のスピーカーを木箱に入れて、それでモノラルで鳴らす、そんなチープなカセットプレイヤーを作って、一人暮らしの部屋に置いていたことがある。それとは別に、当然、メインのオーディオセットは、JBLのスピーカーを直熱3極管で鳴らすゴージャス版だった。で、ある日、友人が遊びにやってきて、ゴージャスオーディオを聞いて酒など飲んでいたのだけど、なんか疲れてきて、今度は、昔カセットに録音したマディーウォーターズのテープをチーププレイヤーにかけて鳴らした。第一音が出たとたんに、彼、驚いてた。高級オーディオより、こっちの方がぜんぜん音が生々しいって

結局、自分の指向は、真空管で、アナログで、シンプルで余計な回路をつけず、音や特性より部品のカッコいい組み合わせに凝ったり、着想の変さに凝ったり、そんな路線で、これからもポンポンと遊びでアンプは作ってゆきたいね。今回作ったアンプも、出力管を6V6と決めて、それでドライバーを何にするかずいぶん悩んだあげく、結局、6AU6という古い球にした。理由は、6V6と6AU6どちらも6で囲まれていて、それが気に入ったからなんだよね


等々力渓谷

等々力渓谷へ行ってきた。蚊に刺されて帰ってきた、という感想しかないのが悲しい。たしかに、この都会のど真ん中に、それにしては広大な自然を残している、というのはすごいことだけど、残念ながら肝心の川べりと、川の姿があまりよくなくてね、仕方ないけど。こんなんだったら川辺にオシャレなカフェなり、蕎麦屋なりでも作って、ビールでも飲んで自然を眺めてくつろぎたい、なんてことを考えてしまうのは都会に毒されている証拠なのかな


八代亜紀

先日、仕事で知り合った人と、同僚何人かで飲んだときに聞いた話。その人は、かの八代亜紀にインタビューしたことがあるそうで、彼女は本当にスゴイ人だ、と言っていた。八代亜紀は、演歌歌手としてはちょっと古く、もうあまり歌では稼がないらしい。ただ、大御所なので、たとえば日劇などでやる大きな演歌ショーでホストなど勤めるだけで潤うので、特に困ることもないらしい。その彼女が、定期的にやっているイベントに、女性刑務所への慰問コンサートというのがあるそうである。彼は、その模様を映したビデオを見たことがあるそうで、大勢の女囚の前で、八代亜紀がヒット曲「雨の慕情」を歌う場面で、あの有名な一節「雨、雨、降れ、降れ、もっと降れ、あたしのいい人連れて来い」のところで、客席が、こう、一気に大きく、うねるように動くのだそうだ。女囚たちが、これを聞いてみな、ボロボロと泣いているのだ。彼いわく、犯罪で刑務所に入る女性は、たぶん、みな、何かしら男で、辛くて、苦しい目に会った経験があって、それで、自分の辛い気持を思って、それで泣くのだと思いますよ、と。

この話しを聞いて、彼のとなりに座っていた僕の同僚は、思わず目を押さえて泣いていた、僕は、そのときは泣かなかったけど、酔っ払って、ひとり夜道を歩いているとき、これを思い出して、やはり、泣いた。どう考えても、やっぱり、こういうものが本当の音楽だ、といいたくなる。


人を恨まず

この前、京都へ出張したとき駅前のビジネスホテルに泊まった。寝るだけだったので、夜遅くチェックインして狭い部屋に着くと、デスクの目の前に、あの「私が社長です」の帽子のおばさんのどアップ表紙の本が置いてあった。APAホテルって、あのおばちゃんのホテルだったんだね、知らなかった。それで、もう、すぐ寝ようと思っていたんだけど、何となく手にとって読んでしまった。まあ、大半が、自慢話みたいな感じではあるのだけど、成功するための、あるいは幸せに生きるための秘訣をあげたところは正しいことが書いてある。特に「人を恨まず、人のせいにしないこと」というのが筆頭にあがっている。これは、その通りだね。人を恨むと、自然と、自分がこうなのは他人が悪い、となり、それで、自分は悪くない、となり、それで、自分は正しい、となり、それで、まわりの人たちはそういう独善的な人から自然と離れて行き、そうしているうちに、社会とのつながりを徐々に失って行く。そうなると、その人の人生は、ごく自然とうまく回らなくなり、成功どころか不幸になって行き、ますます人を恨むようになる。

ときどき、社会から孤立して絶縁しても、自分の理想を高く掲げている思想家や芸術家という人たちもいるのだけど、彼らであっても、実は、その発する言葉を聞いてみると、社会から離れてはいない。むしろ、常に社会とあいまみれるほどに社会を愛しているようにも見える。いわゆる愛憎関係に近いものが見えたりする。結局、恨む、というのは、他人を遠ざける行為のようにも思える。というか、もはや自分の正当な力では他人とやって行くのはまったく不可能、と思い知らされた場合に発生する感情な気がする。日本の幽霊には、よく、恨み、が出てくるけど、自分は死んでしまって、もうこの世で動けないのだから、それが恨みになって固執して現世に残る、というのも分かる気がする。

うーん、どうなんだろう。恨みのほかに、憎しみ、というのがあるけど、憎しみにはずいぶん積極的な響きがあるね。恨み、って何だろうね。そういえば、恨みモノの日本代表の東海道四谷怪談だけど、原作を読んだことがある。もちろんお岩の恨みはあるけど、物語全体から発散している雰囲気は、とっても健全で、健康で、はつらつとして、江戸時代のよさを伝えていると思う。恨み、も含めてまるごと肯定して、生きて、生活していることを愛している、みたいな感じがする。恨み、ってのが現世に残るのは良くないから、幽霊にして現世に戻してちゃんと晴らしてやる、という風にすら見える。もうこれ以上自分の力では不可能だから恨んでやる、という亡霊が現世のいたるところをさまよっている状態を嫌って、ちゃんと、そいつらに現世的な力を与えてやって、恨みを晴らして成仏してもらう。なので、変な話、幽霊ってのは、この時代には必要があって現れている、という風に見える。決して、不可解な亡霊として漂っていない


天ぷら屋

地元の目立たないところにある天ぷら屋に入った。銀座の天一っていう有名店で料理長をやっていた人が、独立して出したお店だそうだ。おまかせで揚げてもらったんだけど、本当に種も仕掛けもない感じの、ふつうで、変哲のない天ぷらが次々と出てきて、とても満足した。自分は割りと内気なほうなので(などと言うと知り合いは笑うだろうが 笑)、高級料理店というのは敬遠してしまうのだけど、本当の高級店というのはいいもんだね。この天ぷら屋さん、夫婦でやっていて、店内の雰囲気から、応対から、料理まで、気取ったところがなく、ごくごくふつうで、くつろいでしまった。さいきん、これだけ飲食店が氾濫して、すべてに渡ってサービス過剰になると、こういう「変哲なく、ふつう」というのが貴重になってくるね。また、行こう、という気になる


未成年

ドストエフスキーの後年の長編は、「罪と罰」から「カラマーゾフの兄弟」まで過去に熟読しているのだけど、その中で、なぜか「未成年」だけあまり読んでいなかった。さいきん、なぜか、なにげなくこの本を手に取り、それ以来、夢中で読んでいる。自尊心が強く、思想の力を信じ、高邁で理想を愛し、羞恥心が強く、傷つきやすいがゆえに、傲慢で、しかし、若いがゆえに本能的に人生を愛し、ときどき憑物が落ちたようにあけすけになり、心優しく、感傷的にもなる、そんな安定しない心を持たされた、私生児という身分のせいで暗い少年時代を持った20歳の主人公を巡って、次から次へと畳み掛けるように起こる錯綜した出来事を、本人の独白で語っている小説である。

それにしても、なんで、今ごろこの本を手に取ったのだろう? というのは、今、自分も環境がかわって、この主人公の未成年みたいな状態にいるのである。これまでずっと平穏な社会生活を送っていたのだけど、それが急に、ずいぶんと違う世界に住んでいる色々な人と、次から次へと大量に会って、一緒に喜んだり、ぶつかったり、泣き笑い、みたいな目まぐるしい世界に今いる気がしていて、さすがに47にもなっているので、自分の立っている地盤はしっかりしているつもりとはいえ、あまりに新しい経験が多いせいで、ときどきめまいみたいな状態になって、世の中がなんだか分からなくなるときがあるのである。

この小説、一言で言って、悪夢のようにこんがらがった実社会を描いていて、それが今の自分にかぶるのだろうね。そして、そんな中で、素朴で単純で嘘のないもの、という存在が、まるで奇跡のようにぽっと現れては、すぐに隠れて見えなくなる。それにしても、偶然とはいえ、タイムリーな本を見つけたもんだ。こういう出会いは、ふだん本を読まない人間の特権だね(笑)


オーディオマニア

真空管オーディオ熱も、わりとあっという間に冷め、ほぼ何でも良くなった。とはいえ、数年間は続いたので、十分長かったのかもしれない。「ハイグレードな音」というのを追求するのには、自分はあまり性格的に向かないな、ということが、首を突っ込んでみて分かった、という感じである。おおざっぱとはいえ、たいがいの技術的ベースについては勉強したし、そこらじゅうでやっている議論もサーベイして、そのあげく、もう、いいや、という気になった。

というわけで、我が家のリビングのオーディオセットも、自作の直熱三極管シングルアンプでJBLを鳴らすってのをやめて、もっと機能的でデザインが部屋にフィットした、一般的なのものに変えることにした。それで、まずはスリムタイプのスピーカーを買おうと思ってネットを調べて、ちょっとばかり掲示板などのぞいてみた。そうすると、出てくること、出てくること、音にこだわるオーディオ中毒の人たち!

僕は、真空管アンプ製作からオーディオに入ったので、僕の見てきたオーディオマニアな人たちは、皆が技術を知っている人であった。頭の固い技術者も大勢いるので、いきおい、音のよさを技術的根拠に結び付けようとやっきになっている光景が多いのだけど、とにかくも、最低限の技術的バックグラウンドはみな身につけているのは確かで、その点から言って、自分自信の因果なオーディオ狂の姿を、技術的立場という別の立場から一歩引いて見ることが自然と出来ているように思う。

それに対して、一般の場、つまり背景の技術を知らない人たちが活躍しているオーディオマニアの世界は、ちょっと見てみたら、いたたまれないものがあるね。メーカーが次から次へと繰り出してくる製品や、Hifi神話や、オーディオ求道精神、そして、オーディオ玄人を自認している人たちがこれらをさらに増幅してビギナーに吹聴して、あげくの果てには、そこに教祖や信者が現れて、ひしめきあっている様は、滑稽でもあるけど、ちょっと可愛そうな気にもなってくる。

僕は、最後の最後には科学というものはほとんどどうでもいい、という立場で、ちょっとした科学軽視傾向があるのだけど、はっきり言いたいのは、科学というのは、懐疑精神のみなもとで、そこにこそ科学の効能があるのだと思う。科学は何も解決しないけど、健全に生きて行くには科学はやはり必要だ。健全な懐疑精神がなければ、本当にものを信じることもできないと思う。


ギター

この前、一人で自転車で殺伐とした目黒通りを下っていたら、よく大通り沿いになどにある大きなリサイクルショップがあったので、自転車を止めて何となく入ってみた。別にたいしたものは無かったのだけど、ハロウィーンコーナーとかいう小さな暗い部屋があって、そこにエレキギターが何台か置いてあった。で、そこに、メイドインコリアのクソぼろいSGが置いてあったので手にとってちょっと弾いてみたら、生音が乾いていて、けっこういい音がしたので、ちょっとびっくりして、それで、ま、いいかなと6700円で買ってしまった。持ち帰って、ギターアンプにつないで弾いたら、これがけっこういい音で、1弦が切れてていて1弦なしにも関わらず、ずいぶん長い間弾いてしまい、すっかり気に入ってしまった。このボロギター、実は、ネックの上の方がぼきっと折れていて、それをボルトと金具で汚らしくネジ止めした完全ジャンクもので、見るも無残なエレキなんだけど、なんかいいような気がしちゃうんだな。オレって、やっぱり、高価なもののいいギターには縁が無いみたい。もう30年もギター弾いてて、そこそこに弾けるので、よくいろんな人に「林君さあ、いつまでもそんな木の板に針金張ったみたいなギター弾いてないでちゃんとしたの買いなよ」と言われているのだが、ギターを見る目がなくて、さらに貧乏性なのか、まるでいいやつを選べず、すぐこういうゲテモノに走ってしまう。なんでかなー、たぶん性格なんだろうね。そういえば、むかし10年間もライブなどで使っていたガットギターは、大阪の古道具屋で500円で買った、やっぱりネックが根もとから折れたギターだった。あと、やっぱりずいぶん長く使ったストラトもボディーが真っ二つに折れたのを接着剤と波クギでくっつけたやつだった。こうしてみるとオレって変なヤツだな(笑)


ぬた

ぬたが好きで、居酒屋などに行ってメニューを開くと、どうしてもぬたをたのんでしまう。それなのに、ここ、もう、何年も、まともなぬたに出会わない。一昨日も、ちょっと高めのお店でぬたを頼んだけど、おいしくない。こんな簡単な料理なのに。まず、主材料が多すぎ、わけぎの量が少な過ぎる、味噌が多すぎる、味噌が甘すぎる、てなところ。自分的には、極端に言うとわけぎだけでもいいぐらい、それで適量の、変哲のない酢味噌がかかっていればそれでいいのに、なんでヘンテコなぬたを出すんだろう。ぬたなんて、別においしくなくてもいいのである、ぬたでさえあれば。なーんてね、自分で作ればいいんだけど、別にわざわざ作って食うほどのものでもないし、酒を飲むときにちょっと肴に欲しい、というだけなのに、ふつうのを出す店があまりに少ない。あと、おからも同じ。


漁港の食堂

知床の漁港は小さくて、のんびりした感じのところだった。水揚げ場の入り口のあたりに、知床魚協婦人部食堂という看板のかかった食堂があった。この、筆文字で、大きく書かれた「婦人部」という文字がやけにまぶしく輝いて見えて、迷わず一人で入った。カウンターと2,3卓の小さな店で、カウンターの中で、おばちゃん3人が働いている。ほんとにふつうのおばちゃんたちだったので、漁師の奥さんたちなのだと思う。木造の平屋で、引き戸、粗末な椅子やテーブル、テレビがついていて、大きなごとくの上に味噌汁や煮魚の鍋が乗って、常連っぽいお客さんもちらほらといて妙にくつろいでいて、なんか、自分も座っていて、ホント、日本人に生まれてよかったなー、という感じだった(笑) たのんだ定食も、安くて、量が多くて、変哲なくて、旨かった。自分は、こういう世界に住んで暮らすことは無いかもしれないけど、最後の最後、帰って来るふるさとは、きっとこんなところだろうなと思った


網走監獄

網走に、網走監獄博物館というのがあって、これがなかなかの見所である。この極寒の土地で、こんな所に収監されて、過酷な監獄生活を送ったら、自分ならどうなるんだろう?としきりに考えてしまう。すぐに想像がつくんだけど、冬は言語に絶する寒さだったそうだ。外気が-30度ぐらいになると、牢屋の中は-7、8度ぐらいになり、そこに、あの、ペラペラの囚人服一枚で放置されるわけで、自ら何かしらの手を打たないと、あっという間に、鼻やら足やらなにかが凍傷になってしまうらしい。ストーブは、たしかに焚かれるのだけど、申し訳ていどの台数が部屋の外に設置され、暖気はほとんど逃げてしまい、形だけの暖房だったそうだ。僕が行ったときは、秋でまだそれほど寒くはなかったけど、それでも、収容棟はがらんとしてかなり寒い。監獄に一度入ると、誰でもずいぶんと変わるらしいけど、当然のことだろうね。ただ、出所して娑婆に戻ると、ほぼすぐに元に戻ってしまう、というのもよく聞くね。でも、なにか、一生元に戻らない古傷のようなものができるのかもしれない。古傷がその人のその後の人生を左右するか否かは、古傷の深さによるのか、なんなのか。ところで、監獄博物館には、たくさんの蝋人形があって、いろんな所に囚人たちの姿が見える。この人形たちが、けっこう良くできていて、みな無名の囚人たちなのに、蝋人形師はかなり力を入れて作ったらしく、顔のバリエーションがとてもいい。作業をしたり、飯を食ったり、ござの上で寝転んだりしている囚人の顔に、ずいぶんと見入ったけど、何か、生き生きして見えるから不思議で、罪状が何であろうと、ここの生活は単純で、嘘のない、ありのままの生活があるだけ、という感じのせいで、この人たち、見物してる僕らよりよほどまともな人たちに見えたりする


ジンギスカン

ずいぶん昔、東京でジンギスカンが流行って、食べに行ったら、すごくおいしくて大好きになった。そのころは、粗悪なマトンを布団蒸しみたいにロール状に固め、それを機械で薄く薄く切った肉がでてきて、それを兜型の鉄で焼いて、リンゴ酢っぽいタレにつけて食う。けちっているのか何なのか、やたらと薄い肉は乗せるとすぐに焼き色がつき、あたりにただよう粗悪な羊肉の焼ける臭いが、妙に下世話な、場末っぽい雰囲気を作り出すのが好きだった。つい最近ジンギスカンが再ブームで、僕も2、3軒に食いに行ったけど、肉が生ラムとやらに変わってしまい、臭みの少ない上質なラム肉とうたわれたやつを5mmから1cmぐらいのやけに厚切りにして出してくるのだが、まったく風情がない(笑) しかも、味も素っ気も無くおいしくもない。先日、ジンギスカンのふるさと札幌のビール園へ行ったら、ここも既に生ラムになっていたのには驚いた。ジンギスカンも進歩したもんで、いくつもチョイスがあって、一番人気のヤツには「プレミアムなんとかジンギスカン」などという矛盾した名前がついている。店員のあんちゃんは若くて、「昔みたいに薄く切ったやつってありますか」などと聞いても、全部薄いですよ、などと要領を得ない。しかたなしに食ったけど、やっぱり別にうまくない。僕は、以前ウイグル自治区に行ったとき、本当の羊肉を食ってきたので知っているが、日本のラム肉は、あれはおかしい。本物は、羊の獣の匂いがむせかえるぐらい濃厚なすごい代物なのである。昔のジンギスカンに使われたマトン肉は間違いなく粗悪だったと思うけど、いっそのことあのぐらい粗悪の方がいい。まあ、札幌の人に聞いたら、昔ながらのやつを出す店もまだ残っているらしいので、そこへ行けばいいのだが、なんか、日本って一斉に右へならえをする感じがイヤだね


100円ライター解体

煙草はあまり吸わないのだが、禁煙はしていない。なので、ときどき煙草を買って、ときどき吸うのだが、常に携帯しているわけではないので、持ち物リストの中にライターが入っていない。と、言うわけで、外で煙草を吸いたくなると、その辺で100円ライターを買って、使って、買った煙草が無くならない内は一緒に携帯しているが、煙草が底を尽きると、ライターは家のテーブルにポンと放り出す。それで、またある日煙草を買うと、一緒にライターも買う、というわけで、買った煙草の分だけ100円ライターが増えて行く。煙草はなくなるけど、ライターは20回使っただけで残り、家にどんどん溜まってゆく。それで、たまりたまった100円ライターが50個ぐらい、家のビニール袋の中に放置されているという状態になった。これだけたまると、一緒くたに入れておくと自然発火しそうで、なんとなく怖い

ある日、うちの奥さんが風呂場でなんかごそごそやっていて、うわ、とか悲鳴を上げているので何かと思って行ってみたら、目に水泳用のゴーグルをして、ペンチやらニッパーやらドライバーやらで100円ライターを解体しているのである。無理してやったら爆発した、とか言っている。めちゃくちゃ危ないので、オレがやるから引っこんでなさい、と、始めたが、これがまた、けっこう難しい。ドリルで底から穴を開けてガスを抜こうかと思ったが、ぐりぐりとドリルを回している間も、なんか、今か今かとドキドキして精神衛生上よくない。2,3個は悪戦苦闘してばらしたが、あまりに大変で面倒くさくなり放り出してしまった

祝日の午前中、よく晴れて気持がよかったので、窓をあけてベランダに腰かけてぼーっとしていて、ふと100円ライター解体を思い出した。そこで、いくつか持ち出してきて、再度やってみたら、割とすんなり出来るようになっている。先日の悪戦苦闘のあと、幾晩か寝ている間に方法を考え出したのだろうか、我ながらなかなかの手際のよさで、あっという間に出してきた5個の解体が終わった。そうしたら、妙に楽しくなってきて、残りのライターをすべて次から次へと解体してあっという間にすべて無くなってしまった。最後の方は、もう、一個1分ぐらいで終わっちゃう。すごいな、100円ライター解体屋さんになれるかも

やり方は簡単で、最近のライターはバルブ部分がねじ込み式になっているのがほとんどで、ラジオペンチで金属カバーを外し、すべての点火用部品を撤去し、バルブ部分のネジ山が露出するまでまわりのプラスチック部分をねじ切り、あとはバルブのネジを回して緩めると、プシュー、とガスが抜ける。注意点は、噴出方向を顔に向けないのは当たり前だが、ガスが手にかからないように注意してネジを緩める。というのは、噴出したガスが気化熱で零下にまで下がり、皮膚に触れると凍傷を起こし危険なのである。あと、もちろん火気厳禁なので、十分広い戸外で作業する

というわけで、100円ライター解体は楽しい。ただ、まれに古いタイプのものなどはバルブ部分がネジ式になっていない場合があり、これはちょっと厄介である。無理やりバルブをネジ切ったりしたが、バシュ! とか爆発して部品が飛び散り、ちょっと危険。、ま、これも、あと幾晩か寝ると、きっと寝ながら良い方法を思いついて、すんなりできるようになるだろう


チェーン店レストラン

またまた食いものの文句なんだけど、先日、札幌の割りと豪華なホテルに泊まった。パッケージ旅行で行ったので朝飯クーポンがついていて、ホテル内にある3つのレストランから好きなのを選べる、という親切さ。和食、洋食、バイキングの3つで、朝、出かけてみてみると、和食を出す割烹が、お品書きを店の前に出していて、見ると、どこどこ産の明太子、どこどこ産の海苔、云々、と料理全部にブランド名がついていて、思わずつられて入った。ホテルの中だというのに、入り口までかなりしばらく石畳と、一面の床置き照明の中を歩き、なかなかに風情があったりする。それで、中に入ると、こぎれいで、和装の店員たちも対応がいい。それで、運ばれてきた御膳だが、一目で、ありゃー、何となく変。煮物も、焼き物も、色艶から行って、昨晩作られたものか、あるいは解凍ものなのが見て分かる。で、食ってみると案の定。おまけに味噌汁は出しが悪いうえに決定的なのが、薬臭い。水道水を沸かして、味噌汁の素を溶かして作ったのかな。で、結局、二日酔いのせいもあったけど、ずいぶん残してしまった。まあ、それにしても、自分も贅沢だよな、まずくてもあまり残したくはないんだけどね。それにしても、最近のこの手のチェーン店的なお店は、雰囲気とサービスのプロデュースばっかりしっかりできているくせに、肝心の食いものの方はからっきしダメだね。そろそろ客も気づいていて、今後ずいぶんと淘汰されるだろうに。ただ、調理の方は毎日のことなんで人件費がかさむんだろうね。それにチェーン店の料理人はお店にそれほど愛着もないだろうし、それで結局、レストラン企画ミーティングで作られたみたいな無味乾燥な味になってしまうのかもね。レストラン企画やってる人は、えらく優秀らしく、これまで巨大なチェーン店をいくつも成功させている人も多いと聞くけど、この辺が限界なのかな。でも、まあ、とすると、発想をガラリと変えれば、本当に繁盛するお店が、いま、作れるのかもよ


立ち飲み屋にて

二子玉川の駅の裏側の周辺は、再開発地域になっていて、もう、すでにいろんな店が閉店して開発準備に入っている。その中で、小さな店がごちゃごちゃと並んだところがあって、そこは、どうやら、着工までの期間限定で貸している店舗らしく、なんとなくやる気のあんまりなさそうな、ちょっと適当な飲食店が入っている。その中のひとつに、やけに頻繁に入る店が変わる小さな箱があり、今はそれがたち飲み屋風の居酒屋になっている。外装も内装もまったくやり直しをせず、単に思いつきで立ち飲み屋をやっている、という感じで、実際、店の名前すらない。昨晩、家へ帰る前、くたびれたなあ、と思って一杯やりに入ってみた。四方の壁に向かって取り付けられたカウンター十席ぐらいに、あと3卓ていどの店で、僕が入ったときは、1卓にスーツ姿のサラリーマン4人がにぎやかに飲み、あとは、みな独りのおじさんが、めいめい壁に向かって静かに飲んで、1,2杯飲んですぐに出て行く。すると、また別のおじさんが入ってきて壁に向かう、といった調子で、けっこうひっきりなしに客が出入りする。店内はぼろぼろで、おそらく元コーヒースタンドだったはずで、壁紙は煙草の煙で薄汚く黄色に着色して、ところどころベロンとはがれたりしている。僕は、店の真ん中のスツールに腰かけて生ビールを飲んでぼんやりしていたが、回りを見回すと、みな独りで寡黙に壁に向かって酒を飲んでいる様子が、やけに寂しい光景だけど、何となく安堵感があって、ずいぶんと気に入ってしまった。この前、北海道の網走刑務所博物館へ行ったときに見た、蝋人形の囚人たちの食事風景に近いものがあった。毎日毎日、働いてくたびれる。そりゃあ、仕事にやりがいを見つけたりもするし、お金も入るし、好きで働いていると言えなくもないが、ときどき、自分は、働いているのか、働かされているのか、分からなくなるじゃないか。それで、誰に働かされているか分かっていれば対決もするだろうけど、結局のところ、それも分からなくなってくる。と、なると、なにか、古い昔に罪を犯して監獄に入って、監獄生活を日々送っているうちに、犯した罪もなんだか分からなくなってしまったような囚人に、どうも自分は近い存在らしい、ということにならないかな。いや、実は、そんなことをビールを飲みながらぼんやり考えていた。そうしてみると、こうやって独り、仕事帰りに酒を黙々と飲んでいることが、すごくリアリティのある、まるでこの薄汚い店が、自分たちの肉体の一部みたいな、そんな気がして、世の中の真実は、こんなところにこそあるんじゃないかと肌で感じたりする。変だなあ、と思いつつ、囚人が、食事が終わればさっさと追い立てられるに似て、長居は無用とビール一杯で店を出た


ゲーマー

自分はゲームというものをまったくやらない。PS3やらなにやらの世界規模の騒ぎを見ていて、ああ、これが現代の一面か、と思うとなんか別の世界の話のようで不思議な気がしてくる。特にロールプレイングゲーム的なものには拒否反応が強くて、我ながら、自分って古臭いなあ、と思ったりもするけど、イヤなものはイヤなので、いまだに触ろうともしない。理由は単純で、どこの誰だかわからない人間が仕組んだ世界を探検したり、調べたり、考えたりするのがバカバカしく感じてしょうがない、ということに尽きる。要は、ゲームを仕組んだ人の顔が見えないからイヤなのである。さらに、顔は見えないけど、そいつは確実に自分と同じような人間で、どっかその辺の家に住んでいて、自分と同じように、歯磨いたり顔洗ったりしてると思うと、生理的にイヤになる(もっともゲーム作ってる人、顔洗わないかも 笑) 

ま、という次第なのだが、僕もテトリスだけは、まだときどきやったりする(恥ずかしいので照れ笑い) テトリスって発明したのロシア人だよね。でも、そいつはきっとロシアの家に住んで、サモワールでお茶飲んだりピロシキ食ったりしてるのかな、と思うと、ロシアびいきの僕は容認しちゃう。いや、それより何より、あのゲームって、形の組み合わせ原理を使ったゲームで、その世界を本当に形作っているのは、いわゆる「幾何学」で、当のアイデアを考えた人間の姿から、ごく自然に離陸して、作り主の居ない世界で展開しているように見える。まあ、たかだかゲームで理屈をこねるのは僕の趣味ではないのだけど、そういうことである

それで、ゲーマーと称する人間に特に知り合いはいないのだが、ゲームで育った人間って、この現代の社会組織の中で、きっと新しい役割を将来、確実に担って行くような気がする。それが何か、というと、僕の考えでは、過去の社会でいう「官僚」の未来型の人材が育って行くと思う。古い意味の官僚というのは、往々にして悪く言われることが多いが、確実に社会を回している人たちであることは間違いないと思う。官僚については、これまでもちょっと書いたけど、要は与えられたことを入力として、最適な出力を出す人たちである。自分の置かれた状況を正確に分析するセンサーと、入力から出力を得る高機能な処理装置をそなえた一種の機械にたとえてもいい。ところで現代というものが、こういう古い発想に基づいた機械では、どうにも制御できなくなってきているのは、現代社会のこの混乱を見ればすぐに分かる。最近の子供の自殺騒ぎしかりである

で、この現代に次に何が必要かというと、ゲーマーだと思うのである。ゲームに現れるあらゆる、非人間的戦闘から人間的課題から何から何まですべて揃った課題を得て、与えられた環境の中で休み無く解答を見つけることに長じて、自分の分をわきまえているところは、古い官僚たちの能力の比ではない。いわば、古い官僚たちの機械が入出力だけの1次元だとすると、ゲーマーたちの能力は二次元、あるいは三次元まで行っているような気がする。きっと、この人たちが社会に出て行って、これまでの官僚を駆逐して、新しい、もっと住みやすい現代社会を構成して行くと空想する

これは、皮肉や冗談で言っているのではなく、本当にそう思っている。ここ最近、こんな風に考えるようになったのである。じゃ、ゲーマーじゃないオマエの現代での役割は、と言うと、まあ、文章が長くなったから次回かな(笑) 僕は、新宿のゴールデン街か、大阪の新世界あたりに行って、新しい未来を空想したいな


受験勉強

今でもなぜか感触を覚えている、むかしの自分の欺瞞的な行動というのがあって、たまたまそれを思い出した。自分は高校まで、勉強して試験でいい点を取る、ということに疑問を抱いたことがなく、高三のときの大学の受験勉強も一日8時間ほどもやったりして、おかげでストレートで入試に合格した。それで、学校側が企画したのだが、これから受験準備に入る高二の生徒たちの前で、受験に合格した先輩が、受験勉強の秘訣や、心構えなどなどについてしゃべる会というのがひらかれ、僕がそのスピーカーに選ばれたのである。教壇の上に立ってしゃべったのだが、みなけっこう真剣に聞いていて、自分に注がれる期待の目線を感じながら、思いっきり気持よくべらべらとしゃべったのを思い出す。参考書は一冊に絞ってそれを徹底的にこなしたほうがいいだ、やれ、受験科目の勉強の一日の時間配分がどうだ、とか、そんな、本当は受かるためだけのつまらない勉強に過ぎないのは明らかなのに、偉そうにカッコつけてしゃべっている自分がいて、気持ちよくしゃべりながらも、ああ、オレって欺瞞的な人間だなあ、と別の自分が冷静に見ている風だったのを、いまでも感触として覚えている。

そんなこんなで、実際、この受験勉強を最後にして、僕はおよそ勉強というものをしなくなった。もう、二度と勉強なんかするか、という気持だったのである。それで、大学ではロクに勉強もせず、キャンパスにも行かず、とある、駅前の、吹き溜まりみたいな小さな飲み屋で、毎晩、サントリーレッドで飲んだくれていたってワケ(笑) 単位を取って進級するために最低限の試験勉強はしたが、高校までのように、何の疑問も抱かずごく自然な自発的行動としての勉強ではなく、まあ、生活するための手段の一つ、といった感じでこなしていた。自分を向上させるために強制的な勉強を自分に課する、ということを極端に嫌って、それは、受験勉強後の一時的なものではなく、そのままずっと続き、今に至る、である。今でも、僕は、勉強というものをしない。考えたいことしか、考えない。さすがに今では、これじゃやっぱりマズイんじゃないか、と思うようにはなったのだが、もう、戻れないね。それにしても、そこまでしてあの高三のときの受験勉強を忌み嫌うってのは、いま思うと不思議だね。なんか、思い出せないけど、心理学的にイヤなことでもあったのかな


瀬田無線の夫婦

秋葉原のラジオデパートの2階に瀬田無線という小さな部品屋がある。真空管アンプを作るとき、真空管とトランス以外のこまごましたものはほとんど揃うので、もうずいぶん前からいつもここで買っている。例によって、店頭の一面に部品箱が並んでいる典型的な秋葉原の部品屋で、店主は、はげ頭にすだれ髪の優しそうな目をした五十過ぎぐらいのおじちゃんで、それから、ちょっとそっけなくて怖い感じの四十ぐらいの店員のおじさん、そして、店主のおじちゃんの奥さんの、小柄でちょっとおっちょこちょい(この言葉ひさしぶりに使うね 笑)な感じのかわいいおばちゃんの3人でやっている。いつもは、店主とおじさんが店に出ていて、ときどき店主の代わりにおばさんが入る(と言っても、おばちゃんより店員のおじさんの方が頼もしい)、みたいな感じなのだが、この前行ったら珍しく、店主のおじちゃんとおばちゃんの夫婦で店に出ていた。僕は、大学ノートに書いた回路図を片手に、いつものようにゆっくりと部品選びをしながら、おじちゃんとおばちゃんがときどきかわす会話を何となく聞いていた。これが、また、なんとも言えずほのぼのとした二人で、おしどり夫婦(という言葉も久しぶりだね)というか、まるで長年一緒にやっている老境の漫才コンビみたいな、そんなやりとりで、すっかり感心した。実は、ちょっと気づいたことがあって、この二人、長年連れ添った夫婦と思われるのに、顔が似ていない。電車の中やら、何やらで、休みの日、よく見る夫婦で、元来違った顔なのに、これほどまで似るか、とびっくりするぐらい顔の似た夫婦をずいぶんと見かける。顔も似ていれば、立ち居振る舞いも似ていて、駅のホームなどで電車待ちをしているとき、たとえば、一人が右上を見ると、ほとんど同じタイミングでもう一人も右上を見たりする様子は、電線の上にとまっている2羽の鳥みたいで、けっこう見ていて不思議なのだが、思い起こしてみると、こういう似たルックスの夫婦ほど、あまり会話もないし、あまり仲良さそうに見えない。かといって、仲が悪そうにも見えず、なんか、二人で対になってしまっていて、今さら話すこともすることもない、という風に見える。ほら、漫才の二人組みって、かならずルックスが大きく違う人が組み合わさってコンビになって、見ている方も、その取り合わせがまず面白くて、それで、ボケとツッコミがあってそれで、一つ世界を作る。で、この瀬田無線の夫婦がそんな感じなのである。もう、二人ともずいぶん歳だと思うんだけど、なんか、おばちゃんがちょっとボケ役で、おじちゃんはおおらかな感じで、仲良くしゃべってる様がとてもいい感じだった。お二人ともいつまでも元気でいて欲しいものである