ツレヅレグサ・ツー ッテナニ? |
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野良猫
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野良猫
カラマーゾフの兄弟
墓参り
上海飯店 それで、古臭い店内の壁にべたっと貼ってあった中華街マップをなにげなく見てみる。通し番号の振られた中華料理屋の数は100をゆうに超えていてかなりの数である。それで、僕の中華街でのひいきの店の「上海飯店」が、これが、マップに無いのである。もう三十年以上続いている中華街ではかなり長続きしているお店なので、載っていない方がおかしいのであるが、載っていないのである。 思えば、この上海飯店だが、内外の中華街のプロモーションとは無縁な店で、グルメブームの走りのときにテレビにちょこっと出たこともあるものの、老舗のくせに寄進リストにも名前が無かったり、非協力的な店らしいのである。マップに無いのですぐにピンときたが、これはたぶん、中華街の料理店組合と仲が悪く、孤立しているのではないか。あのあんちゃん(もうおじさんだが、僕の中では三十年前の通りあんちゃんなのであんちゃんと言わせてもらう)であれば、これは当然であろう。毒舌家で、無愛想で怖そうな人だからね。 しかし、さすがオレがファンのあんちゃんである。あんなでかい中華街で迎合しないところがカッコいい。だからといって、ときどきマスコミで紹介される仕事一徹の主人みたいに、頑固に妥協なく老舗の味を守り通して、とか、そういう日本職人っぽいところが皆無なのもカッコいい。ただ、昔と同じように、作っているだけである。人手が足りないから、作り方は昔より雑だし、料理の出来もあまり安定しない。でも、いかにも、それがあんちゃんの作った料理なのである。 だから、つまり、変わらないノスタルジーをたたえたようなタイプの店ではないのである。三十年の年月がたって、それに応じて姿をかえたような変えないような、そのテキトーさがとてもいいのである。変わらないのでもない、枯れるのでもない、万事が見たまんま、という感じがいいんだなあ。店に入って相変わらず何となく小汚いカウンターに座ると落ち着くんだなあ、これが。 考えてみると、横浜中華街で、昔ながらの面影を残している店はもうほとんど無いね。目抜き通りの大型店は名前だけは変わらない老舗が多いけど、ガンガン改築をかけて、店が進化して行っているので、もう何だか分からないしね。横丁に入ると、店の入れ替わりは激しく原型ととどめている店は少ないな。僕が思いつく限りだと、昨日入った「海員閣」、そして、この「上海飯店」、目抜き通りの広東料理屋の「海南飯店」、あと、古風な銭湯みたいなルックスで威風を放つ「安楽園」、「謝甜記」も有名になって支店を出してるし、えーと、あとは「愛群」があるけど、どうなんだろう。 昔ながらがいいとは言わないが、本当に隔世の感がありますな、中華街。ところで、海員閣を出て、香港路を歩いて上海飯店の前を通りかかると、相変わらずあんちゃんが一人で店をやっていて、客も一人しか入っていない。変わらず仕事をしているあんちゃんは、やっぱり昔ながらにカッコよかった。 あ、それから、そうそう、上海飯店はお勧めの店ではないです。もし行ってみたとしても、いいと思うか悪いと思うかは、多分にタイミングや気分や体調によりますので、その節は悪しからず。
陰翳礼讃 陰翳礼讃の世界が好きな方、悪しからず。愛憎なのです
銀色
焼き鳥
しずく酒
お墓参りにて
歌舞伎 さて、二つ目もせっかくだから見て行くか、と思い、そのまま座敷に座って待った。次は「葛の葉子別れの段」で、人情ものである。幕が開くと、大道具も立派で、花道から現れる役者さんたちの化粧や衣装も立派で、なかなかに本格的である。僕は、実は、このとき初めて歌舞伎というものを見たのだが、思っていたとおり、なかなかリラックスできて、いいものだった。物語は人情話なのだが、歌舞伎だけあって途中それとなく笑いを取る仕掛けがあったり、けっこう楽しめる。 主人公の葛の葉は、おじさん演じる女形の役者で、このおじさんが、また、真四角の顔をした完全な男顔の人で、それが白塗りで、おかみさんや小娘を演じたりするもんだから、なんか漫才みたいで、それで自然と客席の笑いを取ったりしていた。さて、物語はけっこう長く、どんどん進んでゆく。実は、葛の葉は昔に恩を受けた白狐が化けていた姿で、これを知られてしまった葛の葉は、とうとう、可愛いわが子と別れなければならなくなる。真ん中で何も知らず眠っている幼子の回りで、ひとしきり嘆き悲しむ場面が延々と続く 実は、僕は、これを見ていて、どうにもこの詠嘆調の場面が長くて、いやあ、いつまで続くのかなあ、なかなか次に進まないなあ、などとちょっと退屈ぎみに見ていたのである。葛の葉は、しきりに幼子の左から右、右から左、と位置を変えながらセリフを引き伸し、そのバックにまばらな三味線の音が付くのだが、最後の最後、とつぜん、子供に寄り添ったかと思うと、手拭を口にくわえて、背筋を伸ばしたら、けたたましい拍子木が鳴り響いた。見ている自分であるが、この瞬間に、自分でもなぜだか分からないのだが、涙が流れ出してびっくりした いや、別に悲しくて泣いてるわけじゃないのである。セリフだって、全体の三分の一ぐらいしか分からないのだし、葛の葉が可哀想だと思って見ていたわけでもない。ちょうど、自分の頭の後ろにスイッチがついていて、誰かがこの瞬間にこれを押したせいで自動的に目から涙が流れた、そんな感じがして、驚いたのである。僕は照れ屋なので、横に奥さんもいるし、回りも人でいっぱいだし、泣かないように我慢しちゃったのだけど、このシーンから先、最後まで正気が取り戻せず、怪しい悲しみに取り付かれたままだった。しばらくして、花道から一人一人役者が去って行き、芝居は終わったが、もし、回りに誰もおらず自分ひとりだったら、間違いなく号泣していたと思う しかし、なぜ、こういうことが起こるのだろう、不思議である。素人役者さんたちは、僕は、かなり上手だったと思うけど、やはり演技力で誘った涙とは思えない。ストーリーだって、あらすじは読んでいたもののあまりよく分からないまま見ていたし、セリフ回しはやはりあまり聞き取れないし、三味線の謡いはいつかどこかで聞いたような音だった。登場人物に同情して泣いたわけでも、自分の体験を思い出して泣いたわけでもない。となると、結局、歌舞伎というものに、何百年の長期に渡って染み込んだ、庶民の血と涙でできた魂みたいなものが、舞台にとつぜん現れ、それに圧倒された、あるいは取り憑かれた、という風に思うしかなくなる たしかに、悲しいから泣けるんだろうけど、むしろ、なんと言うか、鼻風邪をひいて鼻水が止まらない、みたいな生理的反応に近いと思った。江戸時代の「情」という風邪みたいなもんだ。風邪はいずれは治るけど、潜伏していて、繰り返し、かかるのだ。自分にも江戸の庶民の情が、ずっと潜伏していたのかもしれないね
高知
花札
宅録 ところで、さいきんオヤジバンドがブームとか言われている。カネとヒマができ始めた主に40以上のオヤジたちが楽器を再開する、というアレである。たしかにときどき練習スタジオなど行くと、待合室にけっこうオヤジと思われる人たちがたむろしてたりするのをよく見かける(もちろん自分も一員です)。演奏の発表の場についても、同じくオヤジが経営するライブバーなんかで、気軽に出演できるところも増えている。音楽性を追求するなどという面倒なことは考えず、単に居酒屋で飲むよりは、演奏しながら飲んだ方が楽しい、という単純な理由がそこにはあるのであろう で、今回、宅録再開にともないネットで他の宅録をサーチなどしてみると、や! これがけっこうザクザク出てくる。結局、プレイヤーズ天国、っていう音楽アップロードサイトにたどり着いたのであるが、ものすごい数の宅録音源がアップされていてびっくり。そうか、オヤジバンドがブームとはいえ、バンド結成が思うように行かなかったり、セッションバーに単身行きつけるほども自信もないし、人前で演奏するのは気も引ける、さらに、そういう外出活動はまだまだカミさんが怖くてできない、などなどという理由でアウトドア(これが音楽オヤジの新しいアウトドアの定義だ! つまり、外で演奏して、飲む 笑)に踏み切れないオヤジたちは、宅録に走るのではあるまいか、という結論に達した。 と、まあ、そういうわけで、宅録オヤジは人知れず増え続けるものと思われる。もっとも、オレは相変わらずアウトドアであるが
ぼろい蕎麦屋 さて、こういう店に入ってしまった場合の注文には鉄則があって、いくら色々なメニューがあっても迷ってはならず、必ず、その店で一番ふつうに注文される料理を選ぶべきなのである。蕎麦屋に入ったらザルとかタヌキとかにしてソバ以外は頼まない、中華ソバ屋ならラーメン餃子チャーハン、などなどにするべきで、目移りすると確実に失敗する。僕は、もう幾度も幾度も経験して分かっているのである。で、今日、どうしたかというと、やはり何度失敗しても自分の本性には勝てず、またまた、もっとも誰も注文しそうもないものを注文してしまったのである。牛煮込み定食である。注文したあと、カウンターごしに怪しげに動いている婆さんを見ながら、しまった、しかし、もう遅い、と観念して待っていたのだが、はたして、出てきた代物は予想通りであった(笑) 炊いてからジャーの中にどれだけ放置されたか分からない半分ノリ状になったごはん、アサリの入ったぬるいみそ汁には婆さんの白髪が一本突き刺さっており(笑)、メインディッシュの牛煮込みは何か干からびたみたいな牛モツにコンニャクを味気なく塩味で似たもので汁気もなく平皿によそってある。お新香は、ナスとキュウリとダイコンのぬか漬けであるが、何気なくナスを口に放り込んだら完全に古雑巾の香り。しかたなく口に入れたものは食ったけど、ぬか床が腐っているものと思われる いやー、想像以上のもので、なかなかであった。とはいえ、まあ、むしゃむしゃと食っていたら、先にいたおっさん客が「おあいそ!」と叫んだ。そうしたら、婆さん、調理場奥から大声で、「ありがとうございました!」と返したのであるが、この声が、腰の曲がった白髪のルックスからは想像もつかないような、若々しい、鈴の鳴るような声でびっくり! ああ、そうか、この婆さんも若いころはけっこう男泣かせだったのかもしれないなあ、などと想像したが、とにもかくにも長い長い年月が流れたのであろう さてさて、このように最悪の昼飯だったのであるが、別にいやな気分にもならず、晴れ晴れとお店を出て、いい気分であった。この店も、まあ、あと数年で閉店するのは見えているが、こういう店が都会からなくなって行ってしまうのはさびしいねえ。だって、こういう店って作ろうと思って作ることは決してできないからね。どんな食の魔術師であろうが、この店は無理だ。だって作ったって、てんで儲からないもの、当たり前である。したがって、こういう店は自然発生的に現れるのを待つほかないわけである。したがって、貴重なのである。もちろん、何の役に立つこともないのだが 自分が、こういう店に当たったとき、分かっているはずなのに、どうしても外れのまずいものを注文してしまうのは、けっこう好きでやってる、ってことだろうね
日本料理 しかし、ある日、ある人と話しているときにこの話題が出て、僕が「なにやってんのかね〜」などとコメントしたら、その人「いや、これは絶対やった方がいいですよ」と言う。「え? そうなの?」と言うと「だって、想像してみてくださいよ。外国へ行って、日本料理とうたった店に入って、それでメニュー見たら、カツどんとかカレーうどんとかしかなかったらどう思います?!」 って、それに応えてオレ 「えー?! カツどんとカレーうどんって完璧に日本料理じゃないですか!!」(笑) いやー、やはり高をくくってはいけない、色々な人がいるのだ。いくら訳が分からん法案であっても、本心から良いと思っている人が必ずいるからこそ、法案は通り、お金が出るのだ。もっとも、彼がいう日本料理というのは、京懐石などに代表される伝統的ないわゆる「日本料理」なのかなと思ったけど、よくよく聞いてみるとそういうわけでもないらしい。要は、「日本」についてまったく何にも知らない外人調理人がレシピーだけ見て適当に作って、その代物を称して日本料理と堂々と看板に書いているのがけしからん、ということのようである。さらに、これを食っている地元外人(ヘンな言い方 笑)が、この代物をもってして「これが日本料理か」ということになると、日本の本当の姿が正しく伝わらない、それが困る。ということでもあるようである。 さてさて、僕はこれらの説、理解はできるが、受け入れることはできないな〜 まず、料理というのは時間と共に常に動いて形を変えるものなので、そこに明確な基準を設けてそれを元に強引に検定を下す、ということが気に入らない。僕の考えでは、日本人というのは、ありものを輸入してそれをモディファイする天才で、これはそのむかし聖徳太子が朝鮮文化を輸入したときから綿々と続いている日本人の特性の一つだと思う。その後現れた、禅や武士道などなどのやけにストイックなノリは日本人のもう一つの柱かもしれないけど、どう考えても僕ら庶民の血には、前者のモディファイ本能が消しがたく刻印されていて、暴れていると思う。外来の既成ものを、あまりにもあけすけに率直に受け入れ、それで受け入れたら最後ものすごい消化力で消化して自国のものとくっつけてモディファイして、あきれるほど膨大なバリエーションを生産し続け、ついには輸出してしまう、という能力である。 こういう日本人が作ってきたのが日本料理であって、この観点から言うと、先のカツどんやカレーうどんは日本料理の傑作と言ってもいいのではないか。もちろん大衆料理なわけだが、日本というのは世界でもっとも大衆文化が、のびのびと、でたらめに爛熟したところではないかな。まあ、このでたらめさ加減のせいで、日本人は世界に対して恥ずかしい思いもしているわけだけど、血は争えない、というか、自分の性根をよくよく覗き込んでみれば、こういうでたらめさは本性に染み付いているね、少なくとも自分は。 これに対してストイックで簡素で高級な日本の特性の方は、どうだろう。これも自分の中にあるといえばあるけど、うーん。ここから先は私的なことになるけど、なぜか羞恥心を伴う感じがある。日本の高級は、なんかベタベタしていてイヤだ。それに比べてヨーロッパの高級のなんと分かりやすいことよ、異邦人の僕でも言葉が分かれば仲間に入れる度量の大きさみたいなものがある。なーんていうのは、僕の勝手な感覚なので一般性なしである。そういえば、むかし、外人と話すときに自分が最初に言うのが「オレは日本が嫌いだ」だったっけ(笑) まったくなんてヤツだろうね。今は大人になったので決して言わないが ま、いっか、長くなっちゃった。ところで、そういえば、冒頭の日本料理検定だけど、現実的には実行が難しいという理由から、方針変え、あるいは縮小になったなんて話も聞こえてきたね。とうぜんだろうけど
低俗 とかとかいうことを、今度研究会でしゃべるネタの一つにするんだけど、どうなることやら。ヤレヤレ
中国ノリ こういうおおらかなノリの反面に、さいきん発覚し続けている食品問題があるんだろうね。世の中は、安全で快適になったけど、退屈になって行くのは仕方のないことだね
格好と中身 それからかなりしばらくたって、再びテレビで本人が出ているところを見てびっくりした。かの、金五郎笑いは影も形も無く、見事にさわやかな笑みに変わっていたからである。同時に、ふだん顔のときも、単にニヒルで難しい顔をするのではなく、気さくな感じと、さわやかな明るさをかもし出しながら、それでも人生の酸いも甘いも知っている男の表情になっていた。普段顔から笑い顔へ移るさまもとても自然で、くったくが無く、全体にたっぷりした余裕が感じられる、そんな人になっていたのだった。 たぶんだが、本人、自分の初テレビ出演のVTRを見て、これはまずい! と、かなり反省したものと思われる。それで、鏡を前にして練習したり、イメージトレーニングしたりして、さらに出演を重ねて実地で練習成果を試し、そしてあのような自然な態度を身につけたものと思われる。僕は、テレビを見ながら、変われば変わるものだなあ、と感心したものである。以上は、滑稽話と思えるかもしれないけど、この作家は偉いと思う。 自分も音楽をやったりしているせいもあり、人前に出る、ということの大変さが分かる。なかなか客観的に見て「みてくれ」をよくする、というのは大変なことで、さらに、自分の行いを振り返って、悪かったところをちゃんと分析する、というのは出来そうでなかなか出来ないことなのである。誰だって、自分のかっこ悪い様を直視するのはイヤなものだ。でも、それをちゃんと見て、直して行かないと、いつまでたっても変わりようが無い 格好より中身が大切だ、なんて俗に言うけど、あれは間違ってるな。少なくともこの場合、どう考えても格好の方が大切に思える。かのハードボイルド作家だって、世の人たちが接するのはテレビの画面に映る姿なわけで、それを通して人となりを判断するわけだ。その人の言った言葉の上での「内容」なんて、見た直後にふつうすべて忘れてしまう。僕だって、彼の初出演のときの顔はいまだに覚えているけど、そのとき彼が言った内容など一言も覚えていない。と、いうことは、あのテレビ出演のとき、彼にとってもっとも大切だったのは格好をつけることだったわけだ。「中身」というのは、他人が勝手に作り上げるものだ、とまで言っていいんじゃないかな うん、以上のこと、僕の勝手な意見とだけはいえない。兼好法師だってパスカルだってスタンダールだって同じことを言っている
一本の紐 じゃあ、この少年が蒸気機関を発明したのか、と言われてみると、そうは言いにくい。ただ、この少年が現れるまで幾多の人間がレバー上げ下げ係をやってきたと思うのだが、だれも気付かなかった。少なくとも、この少年のように、仕事が退屈で遊びたくてしょうがない人間じゃなければこの事件は起こらなかっただろう。与えられた仕事をきまじめにこなす人間では何の変化もなかったはず。たしかに、何とかこの装置を改良しよう、という人間が日夜研究をしていれば、いつかはこの「ヒモ」に気付いたと思われる。でも、これって、よく知られたエジソンの幾多の発明活動がそうだったように、論理的に演繹して「ヒモ」の必要性という結論に達する、というノリではない。やはり、なんとなく、ひらめき、とか、夢のお告げ、とか、なんとなくやってみたらうまく行った、とか、偶然に近い出来事のおかげに思える。ちょうど、爆弾の導火線に火をつけるのに似て、ほんの小さなはずみが激しい爆発を起こすわけなんだな。結局、僕らはみなこの「ヒモ」を探り当てるゲームをしてるみたいなもんだ。きっと、この「導火線」は人知れず、いたるところに転がっていて、人に見つけてもらうのを待ってるんだろうな。だって、この「ヒモ」は、人間が計画して作り出したものじゃなくて、人間が計画して作ったのはあの無骨な動力装置だけだったわけだ。それで、その装置に、「竿」と「レバー」を取り付けたのだって、別に自動動力を生み出すためにしたことではなく、別の理由があってのことだ。竿とレバーがちょうどヒモで結べる位置関係にあったのだって、別の理由による。と、いうことは「この両者を結ぶとすごいことが起きる」と、いうことは、なにか、人知れず、どこかでひとりでに現れた「隠された導火線」だったわけだ。 それにしても、ひとりでに現れる「なにものか」と、この少年のように交信するには、何が必要なのだろう? 単なる一例とは言え、とても大事を果たしたこの少年を観察すると、退屈なレバー操作係をやらされている状況から「楽」になって、それで「遊び」たかった、という状況が見て取れる。この「楽」と「遊び」っていうのは、きっとすごく大切なことなんだろうな。楽と遊びはよく同列に言われることが多いけど、よく考えてみるとこの二つは反対の方向を向いている。いや、反対、というより両輪という感じがする。「楽」っていうのは、活動のバリエーションは増やさず、現状の中で充足する、ということだよね。つまり、現状から外に出ずにその中で気持ちよく眠り込むことを意味している。逆に、「遊び」の方は、自らバリエーションを増やす方向に活動し、その拡大した活動の中で自由に戯れることのできる、常に覚醒した状況を作り出して行く、ということだよね。この「楽」と「遊び」をうまいこと行き来していると、きっとあんな風にふと、大切な「ヒモ」に気付くんじゃないかな。ただ、この少年の場合、動力係りをやらされていた、という「苦労」があったことが前提になっているところも要注意なのかな。結局、「苦労」と「楽」と「遊び」をテキトーに配分してその中で楽天的に動けることが大切なのかなー、よくわかんないけどさ
ジミー・ペイジ どこかで聞いた話なんだけど、ふつうギタリストというのは人気バンドで成功すると年を追うごとにギターの腕前が上達するものなのだが、ジミーペイジは逆で、レッドツェッペリン時代、ギターがどんどん下手になって行った、とのこと。うーん、なるほど、確かに、ジミーペイジの、あの、雑なピッキング、無理なフィンガリング、不正確なチョーキング、とギターテクに関してはいいところがないんじゃないか、と思えぬでもない。しかし、しかしながら、あの一聴して分かるジミーペイジのあのギターは、これら下手テクがあってこそ、というか、もう下手とは呼べず、まあ、平凡な言い方をすればすごい個性だよね ツェッペリン時代のペイジのギターをときどき聞き返すたびに、生身の人間が不正確で不安定なまま動いている様がフレーズの全体に溢れているようで、感動する。手癖が多すぎるとも言われたペイジのフレーズも、その手癖も、なんか人がしゃべってるときに、手の指をもてあそんだりするのと同じ感じで、いい感じだなあ。ロックギターというのは、そこらじゅうにガタのある機械みたいに弾かないといけないよなー、とか、オートマチックで弾きっぱなしはダメだけど、でも、オートマチックに弾いちゃうときは、その人らしく、呼吸するように弾かないとダメだよなー、とかいろいろなことを教えられるね、ペイジのギター。 それで、逆に、ジミーペイジの誰もが認めるすごいところは、作曲の才能、アレンジの才能、ギターアンサンブルの才能、そして、なんと言ってもリフ作りの才能は、天才的というか、職人というか、すごいよね。Whole lotta loveのイントロのリフなんか、ロックギターの夜明け、みたいな感じだし、フィジカルグラフィティなんかすごいリフのオンパレードみたいな感じだね。ギターアンサンブルでは、なんといってもプレゼンスが秀逸中の秀逸ですな。Achilles last standの尽きることの無い、無限に湧き出てくるみたいなアンサンブルのアイデアはすごい。おまけに、ジェフベックみたいにギタートーンをあれこれ変えたりせず、ぜーんぶ同じ音のギターを重ねて作った音の塊が、まさに「PRESENCE」だよね〜 なーんて、まるでひと昔前の、ロックLPについてくるライナーノーツみたいなことを書いてしまいましたが、やっぱりジミーちゃんはすごい!
朝 さてと、しかし今朝作ったコーヒーはうまくないな。せっかく、キリマンジャロのかすかな酸味が好きで豆買ってきたのに酸味もうまみも無くて意味ないや。毎朝、コーヒー豆挽いて、ドリップでいれるわけだが、毎回味が違って安定しない。飛び切りうまいこともあるけど、今日みたいにカスみたいになっちゃうこともある。毎回おいしくいれたいんだったら、もっと注意して毎回安定した作り方を理性的に意識的に目指せばいいんだけど、そういう頭脳を使った進歩発展を無意識に拒んでいるフシがあり、相も変わらず、今日はうまいな、とか、なんだこりゃ、とか言ってコーヒー飲むことで、これでいいや、と放っておいてしまう。このあたりも、前述に近いものがある 昨日の朝の本棚物色は、結局タイムアウトで、目の前にあったボロボロの岩波文庫のベルグソンをつかんで家を出て、もう何回目か分からない同じ箇所を再読したわけだけど、相変わらずものすごい力でひきつけられれて夢中で読んでしまった。創造的進化の最初の数十ページに好きな文章が宝石のように散らばってるんだな。人は、生命の活動を観察して、そこから理性の能力に沿った線を見出して、裁断して、そして元の生命そのものとは異なる、機械的な何かを取り出してしまう、みたいなくだりがあってさ、再び感動する。自分は、そのおおもとの生命と共にありたくて、そういう感覚にすごく安心感を感じる。と、同時に、鋏で裁断する様を思い浮かべて、人間の技術の力に感心して、そういう力を持っていることに希望を感じる 「一杯の砂糖水を作るときに、それを待つ時間は生きた時間だ」という僕の好きな言葉は、ああ、この本の最初にあったんだな。これはいい言葉だ。水に砂糖を入れてかき混ぜるとき、砂糖水になるまでいくばくかの時間がかかる。この「時間」は、科学的には単なる溶解という物理過程なのだけど、人が砂糖水が出来上がるまでに感じ取る「時間」は、人によって生きられた時間であって、物理過程としての時間ではない、というわけだ。人がなんか活動すると、どうしても物理法則のせいで「時間」がかかってしまうんだけど、これを「効率の不足」と考えずに、その「時間」に感謝する、というのに惹かれるんだな。「時間がかかる」というのはなんとすばらしいことなんだろう と、いうわけで、さて、もう一杯コーヒーでも作るか。今度はおいしくいれないとね(笑)
ミート・ザ・ビートルズ 音楽は、中1のころから聞くようになった。中学生になってから、自分の部屋のベッドサイドにラジオを置き、一人部屋にこもって深夜放送やらなにやらよく聞いたものである。それで、自分は、日曜の朝にやっていた、洋楽と邦楽をサイコロを振って曲を決めて流すラジオ番組が好きで、毎日曜の朝、楽しみにしていた。特に洋楽が好きで、カーペンターズやエルトンジョンやらお気に入りの曲もけっこうあった。そんなこんなもあって音楽をやる友達に惹かれたのだと思う。ある日、友達の一人のうちへみなで遊びに行ったときのこと。彼のうちはちょっとだけ裕福で、大きなスピーカーボックスを備えた豪華なステレオが置いてあった。そこで、彼が、これカッコいいよ、とかけたのがビートルズの初期のアルバム「MEET THE BEATLES」だった。これが自分にとってものすごい衝撃だったのである。特に、今でも、まざまざと覚えているのが「I Want to Hold Your Hand (抱きしめたい)」のサビの部分である 「And when I touch you I feel happy, inside」というフレーズを3声でハモっているのだと思うんだけど、なんというか、目の前に広大な空間が広がっていて、そこにめいめいの「人間」がいて、そのめいめいが歌って、それでハーモニーを生み出している−−初めて音楽がそんな風に聞こえたのだった。それまでに好きな曲はいくらでもあったけど、それまで自分は、すべて曲を「かたまり」として感じていて、演奏者というものが見えていなかった。それが、この曲のこの部分を聞いて初めて、一人一人独立したミュージシャンの演奏を心で感じたのである。そう考えると、この歌詞だけど、実際はただの、女の子と遊ぶ軟派な歌だと思うのだけど、違っても見えるね−−「そして、わたしがあなたに触れるとき、深い内面において、幸せを感じる」みたいにシリアス哲学風に訳すと、僕が感じた宇宙的な意味にもなるよね。 そのころ、ビートルズの曲はすでにいくらか知っていたとは思うのだけど、このMEET THE BEATLESをこのステレオセットで聞いた、この音が自分にとっては決定的だったのである。そのとき感じた情景を今でもはっきり思い浮かべることができる、ということがとても不思議である。しかし、どう形容したらよいだろう。目の前の空間は広くて果てがなく、宇宙的で、一触即発のようなリバーブの反響があって、エーテルみたいなものがたっぷりと充満していて、そこを音が通り過ぎるとき化学反応を起こしてキラキラした液体が溢れ出るみたいな感じで、ファズがかかったようなジョンの声、コンプレッサーがかかったみたいなポールの声、電話線の向こうのようなジョージの声が、空間のそれぞれの場所で鳴っていて、それがものすごいスピードで自分の耳に突き刺さってくるみたいな、そんな感じだった。 そして、このとき感じた、「音楽」、と、この「音」が、結局のところ僕の音楽ライフとオーディオライフの原体験になっているみたいだ。僕は、ひところ30代のころビートルズを忌み嫌っていたこともあるのだけど、やはり今では感謝している。僕を音楽の道に引きずり込んだのは確かに彼らだったから。それともうひとつ、あの友達の家にあった古臭いステレオセットにも感謝である。とにかく、あの音楽と音はすごかった。
遊ぶ子供
ブルースの右と左
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